名実11 {21・22合併}(46~47・48~49 桑野欣也の足取りが再び浮上 河北 名寄)
東京支社に戻った五十嵐は、すぐに竹下に連絡した。まずは、久住に聞き出した内容を全て竹下に伝えた上で、
「今から貰ってきた資料送るから。詳しくはそっちで確認してくれ」
と伝えた。
「わかりました」
五十嵐は、竹下の返事を聞くと、ファックスで順に送信し始めた。まず、当時の事故の報告書だ。ジリジリと出てくる紙片を取って、熟読するという程でもなく何気なく眺める。全て送信されてからじっくり読むつもりだ。しかし、2枚目を流し見していた竹下の表情が変わった。そこには目を疑うような情報が書かれていた。
思わず、ファックスを流している作業中の五十嵐に、すぐに確認の電話を掛ける。
「五十嵐さん! この行方不明になった人物の名前、これ間違いないんですよね!?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「それがどうしたって……」
ここまで言って次の言葉を飲み込んだ。五十嵐は、この名前の意味をわかっているはずがないのだ。何とも思わなくても仕方なかった。
「で、何だって?」
「いや、こっちの問題で、五十嵐さんには全く関係なかったことに気付きましたから、もういいです……。すみません。作業続行お願いします!」
「なんだお前は……。まあいいや。因みに、行方不明になった奴については、別の資料もあるからそれでも見ろよ。気になった理由は知らんけど」
五十嵐は、竹下の先程までの興奮の意味がわからず、拍子抜けしたままのような口ぶりだったが、竹下はその言葉を聞き、しばらく黙って待つことにした。そして、最後の人事部の資料をファックスから取り出して見て、
「こんな幸運が舞い込んでくるとは!」
と口走ると、1人で何度も頷き喜びを表した。
行方不明になったという人物の名前は「桑野欣也」。そうある名前でもなければ、資料の生年月日から見ても、あの桑野欣也と同一人物と見て間違いなかった。昭和16年に、「免出重吉」が殺害されたあとのドタバタから、行方が掴めなかった桑野の足取りが、翌年の5月26日まで判明したのだった。
資料によれば、昭和16年の11月に、鴻之舞金山に「鉱夫」として入ってきたが、後に、桑野が旧制中学を卒業していることが現場監督に知れられると、ダイナマイト技師見習いとして、契約し直したとあった。
粗忽者の多い鉱山作業員、つまり鉱夫の中で、当時としては高学歴の人間であれば、坑道拡張のために使用する、危険なダイナマイトを扱う人間としては、貴重な存在になり得たのは想像に難くない。つまり、鉱夫から技師見習いへと格上げされて不思議はないわけだ。そして、もう1つ気になる記述があった。
『契約時、両手親指欠損あるも、業務に大きな支障なく、体格筋力平均以上故、人夫としてのこれまでの経験も考慮した上で、鉱夫として採用に至る』
なるほど、あの証文において、1人だけ親指ではなく、右手の人差し指で血判が押されていた理由は、桑野の両親指に「障害」があったからなのだと、竹下は深く理解した。
技師として採用し直したのも、「鉱夫として影響はない」と記述されてはいたが、学歴だけでなくそういう考慮もあったかもしれないと、先程の「考察」に付け加えた。そして、高ぶる気持ちを抑えるため、敢えて徐に携帯を取り出すと、竹下は再び五十嵐に電話を掛けた。
「何だ! 今度は!」
怒鳴り気味に出たが、再び竹下が興奮気味だったのを認識すると、
「さっきといい、一体何があったんだ……?」
と、むしろ薄気味悪く感じたのか、諭すような言い方になっていた。
「五十嵐さん、大変申し訳ないですが、もう一度、三友金属鉱業の方とコンタクト取ってもらえないですか?」
「おい! 送ったので確認出来ただろ?」
「いや、それは確認出来たんですが、新たな調査を依頼したいんですよ!」
「新たな!?」
五十嵐は、受話器の前で不満そうに大声を張り上げた。
「その通りです!」
「俺もこっちで仕事が山ほどあるんだが、いい加減にしてもらいたいもんだな!」
精一杯の抗議を受けたが、「勝負どころ」ということもあり、後輩はどこ吹く風で聞き流し、自分の要望だけ連ねる。
「あるかどうかはわかりませんが、ひょっとしたら、この桑野欣也という人物の、当時の雇用契約書みたいな何かが残っているんじゃないか、そう思うんですよ! 何しろここまでの資料が残っているとなると、そう不思議ではないように思うんです」
「それで……」
五十嵐は諦めたのか、投げやりに話を続けるように言った。
「その契約書に、もしかしたら拇印があるかもしれない。それを確認したいんです」
「ボイン? あ、契約書だから捺印の意味の拇印か……。それにしても意味がわからないぞ!?」
五十嵐には、未だにさっぱり話が見えてこないようだが、事件の詳細を知らなければ仕方ない。一方竹下としては、当時の一介の作業員の契約に、わざわざ印鑑を使用してはいなかったのではないかという「読み」があった。
「とにかく、桑野欣也が三友金属鉱業と契約した当時の契約書、これが欲しいんです!」
「話がさっぱり見えんな……。だが、お前がそこまで俺に頼むんだから、何か意味があるんだろう。まあいい! 特別に協力してやるわ! ただ、何時になるかわからんぞ! こっちも仕事の合間が限度だ。それにあっちとは、ちょっと険悪なムードになったからなあ……」
念頭には、先程の久住とのやりとりがあったが、それは逆に竹下にはわからない話だった。
「腹も立つが可愛い後輩のためだ! 相手とアポ取れたらまだ連絡するからな!」
「お願いします!」
竹下は見えない相手に頭を下げた。
「それはともかく、たまには俺のためにも働いてくれよな。頼られてばかりで割に合わんぞ……」
五十嵐は捨て台詞を残して、2人の会話は終わった。
「そうだ、すぐ西田さんに連絡しないと!」
竹下は、五十嵐の捨て台詞に反応する間もなく、西田に電話を掛けた。
竹下から詳細な説明を聞いた西田は、当然驚きの声を上げた。
「まさか、桑野が機雷爆発事故の現場に居たとはな……。竹下がブンヤになってなかったら、この事実も出てこなかっただろ? まだ俺にも運があるのかもしれない」
「そうですね。自分で言うのも何ですが、何というか運命的なものを感じます」
竹下も感慨深そうに同意した。
「しかし、何だかんだ言っても、そこから戦後、小樽の佐田家に現れるまでの足取りは、未だにわからないんだな」
西田は、単純な喜びから一転、突然現実に返ったような発言をした。
「そこは現状は仕方ないですよ……。それより、ひょっとしたらですが、当時の桑野の指紋が採取出来るかもしれないです! 当時だと、鉱夫みたいなのは、鉱山側と契約する際に、印鑑より拇印の方が、会社としても防犯の観点から都合が良かったんじゃないかって考えてるんです。勿論、今ならただの偏見で問題になりそうな話ですけど……。とにかく契約書があれば、おそらくチェック出来るんじゃないかと踏んでます。もし契約書が人差し指以外だと、血判と照合する時に、これまた面倒になりますが、まあ親指がないなら、常識的には人差し指でしょうね」
竹下は、西田を宥めつつ、自分の読みを披露した。
「なるほど、契約書か……。何とかなりそうなのか?」
「今、五十嵐さんに頼んでます」
即答に、さすが手回しがいいと西田は感心したが、契約書があって、それに拇印が押されているのならば、個人的にはむしろ大島の指紋と一致する方が、全体的な話としては都合が良いように西田には思えていた。何らかの理由で、血判の指紋だけが桑野自身のものでないとすれば、大島と契約書の桑野の拇印が一致する方が、以前考えていた大島=桑野が成立する余地が復活する可能性があるからだ。西田としても、まだそちらの説にも未練があった。
「それにしても、佐田実の兄貴の徹は、桑野に配慮したので、手紙には親指の欠損を書かなかったんだろうなあ。宮古の天井の爺さんが、『もっと達筆だったかも』って思ったのは、直に会っていた頃はまだ、親指があったからかもしれん……。そんな状況が天井と一緒の頃にあったなら、しっかり憶えてるはずだもんなあ。だから、証文の署名も、親指欠損の影響で下手になったと言うわけか」
西田はしみじみと竹下に話し掛けたが、
「天井って誰ですか?」
と言われてしまった。よく考えて見れば、竹下が西田と吉村の岩手訪問を知るはずもなかった。
「ああスマン。最近、岩手に色々聞き込みに行ったんだが、天井ってのは、その時出会った、桑野の釜石二中時代の後輩だった爺さんのことだ。釜石二中の話は高垣さんから聞いてるだろ?」
「なるほど、わかりました。その人が天井って名前なんですね。それにしても岩手に行ったんですか?」
「そう。竹下と黒須が7年前に行った田老にも行ってきた。そこで……」
西田はそう口にしかけて思いとどまった。信頼出来る男だが、「アベ」の謎を今明かすのは、やはり止めたほうがいいと考えた。この情報は、現状警察の外に流すべきではないだろうと、敢えて言葉を飲み込んだのだ
「何か?」
「いや、防潮堤を目の当たりにして、高さと規模が凄いなと」
西田は警察を辞めた今でも、今回のように西田に協力してくれている竹下に内心詫びながらも、敢えて素知らぬふりを通した。勿論、竹下は間違いなく信頼出来る人物ではあったのだが、不必要なことは伝えるべきではないと、ギリギリで踏み止まったわけだ。
「とにかく、契約書の件頼むぞ」
そう伝えると、
「ええ。何かわかったら連絡させてもらいます」
と返された。元部下とは言え、頼もしい言葉に西田には聞こえた。それ故、尚更黙っていることを申し訳ないと強く思うことになってもいた。
※※※※※※※
6月3日月曜日。ワールドカップが開幕して国内は盛況を呈していた。翌日の4日には、日本代表の初戦であるベルギー戦が控えており、マスコミの煽りも最高潮目前という印象だった。しかし、竹下は、そんな世間の喧騒よりも、五十嵐からのファックスを待っていた。
死亡者数の件で、短めの訂正記事を出した後に、既に「三友金属鉱業から、契約書が存在するという連絡を受けた」と五十嵐から報告があり、存在については疑う余地はなかった。そして、その契約書における桑野の「印」は、やはり竹下の思惑通り「拇印」だったという。しかも、親指の欠損のため、右手人差し指での拇印と、契約書の欄外に明記されていた。まさに証文と同じ条件だった。
というわけで、竹下の元へ、三友金属鉱業から直接ファックスで送信してもらっても良かったが、やはり「現物確認」をしてもらうのが、まず先決と竹下は考え、五十嵐にはそのまま訪問するように頼んでいた。
そして、もう1つの送信先を指定していた。北見方面本部の西田の元へだ。警察の鑑定で、桑野の証文の血判と拇印が一致すれば、湧別機雷事故の後で、現場に居た警官に同僚の死亡を伝達し消えた男は、間違いなく「証文上」の桑野欣也と一致することになるはずだ。
但し、竹下は期待と同時に一抹の不安を抱いていた。契約書の右手人差し指の拇印が、どの程度鮮明かどうかだ。そしてファックスとなると、わずかだがぼやける可能性がある。まして、契約書の状態が悪い場合には、コピーをファックスすることになる。もしそうなると、更に鮮明さが落ちることになる。その場合に備え、いざという時には、スキャンして画像のデータごとメールに添付してもらう手段を考えてもらえないかと、事前に五十嵐に頼んでおいた。
様々な要求に、五十嵐は不満を露骨にしていたが、「大掛かり」になってきたことから、何やら過去の事件について重要な局面にあることは、さすがにブンヤとしての経験から理解していたようだ。渋々ではあったが、それ以前よりは、素直に要求を受け入れてくれたように竹下には思えた。
※※※※※※※
いよいよ午後2時、五十嵐から電話が来た。
「待たせたな! ついさっき原本を確認させてもらった。ただ、やはりお前が危惧していたように、紙がかなりボロボロで、拇印も『押しただけ』って感じが強いな。基本的に認め印代わりで、実印的な、詳細な識別の意義はあんまり見出せない。どうする? スキャンしてもらうか?」
「そうですか……。じゃあそれで、三友さんの方に頼んでもらえますか? 勿論画質は一番いい奴で」
「画像の件はわかった。伝える」
そう言うと、電話は切らないままだったので、携帯の向こうで担当者に何やら頼み込んでいる様子が伺えた。そして少しすると、
「スキャン完了したら、そっちに送信してもらう。ところで、お前の元上司のところへは?」
と確認してきた。
「いや、ファックスならともかく、スキャン画像ならこっちから更に再送信しても劣化しませんから。僕がそっちへは送っときます」
「それもそうだな。わかった。えー、じゃよろしくお願いします」
五十嵐は担当者にそう告げたようだ。そして、作業が完了すると、
「送信完了したみたい。確認してくれ。@sanyu material co.jp末尾のメールだ」
と言ってきた。
「わかりました」
竹下はそう言うと、既に立ち上げていたメールソフトの「送受信」ボタンをクリックした。すぐにメールが入っていたのを確認し、添付ソフトをウイルススキャンした上で開く。
「あ、確認出来ました! ありがとうございます! 三友金属鉱業さんにもよろしくお伝え下さい!」
マウスを持ったまま、右耳と右肩で携帯を挟んだまま五十嵐に伝えると、
「わかった。じゃあまた後で」
と言って電話は切られた。
すぐに、竹下はスキャン画像を念入りに調べる。五十嵐の言う通り、画像の状態でもやや拇印は不鮮明な部分があった。やはりスキャンの選択は正しかったようだ。そして、確かに「両親指欠損につき、指印は右手人差し指にて」という、欄外にあった注意書きを確認した。更に鉱夫としての契約書がそのままダイナマイト技師としての契約書に転用されたのか、職種の部分に訂正印が押され、鉱夫から発破技師へと書き換えられていた。
正直なところ、契約が別だったので、鉱夫と技師の分が、本来それぞれ1枚ずつあったとしてもおかしくなかったのだろうが、竹下はそこまで頭が回っていなかった。結果的には問題なかったが、完璧主義者の傾向がある竹下としては、それに気付かなかったことに、やや不満だった。
ただ、いつまでも気にするようなこともないのですぐに頭を切り替え、画像を更にチェックする。採用理由欄には、報告書同様、「両手親指欠損も業務に支障なく、体格と筋力に優れるため採用」と言う、鉱夫としての採用理由の部分に、「職務態度良好。冷静沈着、知的水準も高いため、発破技師として再雇用する」と付け加えられていた。
「よし……、後は西田さん達に託すだけだ!」
竹下はそう呟くと、西田の携帯に連絡する。
※※※※※※※※※※※※※※
竹下からの電話を受けながら、西田はメールを受信し、画像を確認した。間違いなく、桑野欣也名義の契約書だった。生年月日や本籍も載っており、そちらも桑野と一致していた。
「確かに頂いたぞ! しかし、竹下にはホント感謝しかないわ! 神の采配としか思えない転職だな」
「転職してからも、こんな形であの捜査に関わるとは、警察辞めた時には思いもしませんでしたね。前も西田さんに言われましたが、運命みたいなものを信じたくなります」
竹下も色々と噛みしめるような喋りだった。
「まあとにかくあれだ! 今は鑑識に回して、血判と一致するかどうか、それが最優先だから。結果が出たら連絡する!」
「是非お願いします」
本来であれば、元捜査員とは言え、部外者の竹下にどこまで教えるかという問題はあった。だが今回の指紋の照合については、竹下の申し出抜きには成り立たなかったのだから、そのぐらいの融通はしてやらないとさすがに申し訳ない。
「ああ、任せとけ! じゃあ」
と電話を切ろうとすると、
「そうだ! 西田さんに湧別機雷事故についての資料、遠軽署に残ってないか調べてもらうように依頼したいんです。引き受けてくれますか?」
と、竹下は慌てたように用件を告げた。
「そうだな……。追ってる事件と多少なりとも関係が出てくるとなれば、遠軽署に照会することはそう難しくはないと思うが、何かに使うのか?」
「いや、記事は書き終えたんですが、関わった以上は、最後までキッチリと調べておかないと気持ち悪いんで。何しろ、今回の件も訂正記事絡みの、怪我の功名ですから……。そっちの方もちゃんとしておかないと……。まあ、遠軽勤務時代だったら楽に調べられたんでしょうけど、当時はそんなことは思い浮かぶわけもなく」
「そりゃ、こんな展開になるとは思ってなかったわけだし……。わかった。ちょっとゴタゴタしてるから、1週間後ぐらいか、もしかしたらそれ以上先になるかもしれんが、それでいいか?」
「それは全然。こっちは急ぎません」
今度は、竹下がそう言ったのを確認してから電話を切った。
そして、西田は画像をコピーして鑑識課へと転送し、内線でその旨を伝えた。こちらも既に手を回してあるので、すぐに照合作業してくれるだろう。
そこまで済ますと、吉村が話し掛けてきた。
「照合いけますか?」
「大丈夫だと俺は思うが」
「だったらいいんですけどね。後、念のため、天井の爺さんに指の件確認しておいた方がいいと思うんですが?」
「常識的に考えれば、知らなかったことは推測出来るが、そうだな……しておくか」
部下の提案に同意した。
「よろしくお願いします」
吉村は満足そうに頷いたが、
「おい! お前がやってくれるんじゃないのか?」
と西田は突っ込んだ。
「そこは課長補佐にお譲り申し上げます」
とふざけたが、
「しかし、7年前だと『飛び道具』はファックスだけでしたから、今回のような場合、郵便とかに頼らざるを得なかったでしょうねえ」
と、感慨深そうに西田に喋りかけた。
「そうだな。でも一応インターネットもメールもあったんじゃないか、95年当時は?」
「そうですけど、当時は一般人は勿論、警察もまだ普通に使っているようなもんじゃなかったでしょ? 携帯ですら、普及は10パー程度だったらしいですよ。ほとんどPHSだったんですね。(作者注・95年当時、警察が携帯電話を業務に活用していたかは、正直疑問ですが、小説上その方がやりやすいので、これまでも有効活用させていただきました)ウチら警察なんで既に使ってたけど」
吉村は、7年でのIT技術の普及ぶりを素直に認めているようだ。
「まあそりゃそうだけどさ……」
西田はバツが悪そうな口ぶりだったが、吉村の言う通り、7年前に捜査にその手の「ツール」を使う発想はなかったし、そのような環境にもなかった。その点は認めざるを得なかった。
「当時は、北見周辺じゃ圏外だらけだった携帯も、かなり色んな所で繋がるようになりましたからね。観光地なんかだと、高い山の上でも連絡出来たりしますから、今は。前はホント、ちょっと外れるとすぐ繋がらなくなって……」
畳み掛けるように吉村は、新たな「文明の利器」の普及具合を主張するも、西田としては更に一々付き合ってやる気は余りなく、適当に流していた。それより、やはり指紋が一致するかが気がかりだった。
照合の担当は、河北という、指紋照合が得意なベテラン鑑識員に頼んでいた。この道30年で、鑑識一筋という人物だ。但し出世には興味がないのか、年齢の割に役職は主任レベルに留まっていた。勿論「腕」は確かだったが、鑑定確定にどれくらい時間を要するかは気になった。
さすがに2日は掛からないとは思ったが、データベースの照合で、一致の疑いがある指紋が提示される時代になっても、最終確認は人間の目でするのが指紋の照合だ(作者注・おそらく現在でもそういう形式かと思います。刑事ドラマであるパソコンでの照合は、あくまで「候補」の選出で、確定させるのは人間の目に頼ることになります。かなり精度の高い判定が、プログラムで出来る時代にはなったようですが。参照 http://www.e-kantei.org/shimon/012.htm)。まして今回は、多少雑な指紋の照合になる。時間が少し掛かることになるかもしれない。
すぐに様子を見に行くのもどうかと思い、2時間ほど経過してから鑑識課へ行くと、河北が作業中だった。
「どうですか首尾は?」
「西田課長補佐、多分行けるんじゃないか? 指紋の形式は一致してるんで、今「特徴点抽出法」でやってるけど、12点中5点は合ってるし、これからも符号してくと見ていいんじゃねえかな」
「そうですか! そいつは結果が楽しみだ。どれぐらい掛かります?」
「ちゃんとやりたいから、今日残業しないとなると。明日の午前中かなあ」
何かを言いたげに、河北は西田を一瞥した上で見通しを告げた。
「ああ、そうですか……わかりました任せます」
「すまんな課長補佐。今日は、カミさんの誕生日なんだわ。急ぐのか? だったら若いのに頼んでもいいぞ? 俺は構わん」
ベテラン鑑識員は、試すように尋ねてきたが、
「いやあ、明日午前中までなら、河北さんに是非お願いしたいな」
と、西田は機嫌を取った。おそらく若手でも大丈夫だろうが、やはり技量のしっかりした職員に頼んでおきたいというのが実情だ。
「そうかい? じゃ、明日の午前中までということで了解!」
役職上は西田が上とは言いつつ、さすがに年齢が上の相手となると、そうは横柄な言い方は人間関係上出来ない。そのまま「退散」することにした。
そして、せっかく時間も出来たので、西田は天井に電話連絡を取った。天井に宮古で話を聞いていた限りでは、桑野の「両手親指の欠損」について全く触れていなかったからだ。
すると、やはり天井が知る限り、桑野の指の欠損は当時、つまり桑野が旧制二高に進学して1年目の夏までは、間違いなくなかったという言質が取れた。天井は、桑野が旧制二高をおそらく津波の影響で中退した後、教員などにならなかった理由を、本人の意思ではないかと以前語っていたが、西田から話を聞いて、
「何時怪我をしたかわからないが、もしかしたら、そのことが原因で、教員や一般的な社会的扱いの良い仕事に就けなかったのかもしれない」
と感想を漏らした。ただ同時に、
「そのような状況下ですら、厳しい肉体労働に従事している辺り、やはり、自分の積極的な意志はあったのかもしれない。そうじゃないとすれば不自然過ぎる」
とも語った。人目に付かない内勤の事務仕事なら、恐慌下で指欠損状況であっても、本人が希望すれば、桑野レベルなら絶対なんとかなったはずだと考えたようだ。それほどの能力があったということなのだろう。具体的には、外国語翻訳などを想定しているようだった。それなら、確かに指が欠損していても、当時ですらあまり「見た目」は問われなかっただろうと西田も考えた。
ただ、両親指欠損が、肉体労働を始めてからのことなのか、それ以前に既に発生していたのかは、現状はっきりはしていない。確率としては前者の方が高そうではあったし、話の流れとしては、そちらの方がわかりやすかったが、その場合、「良い」仕事に就けなかったのは、確実に、指の欠損が原因ではないことになる。
「肉体労働者をやってる間に労災でもあったか?」
西田は吉村と共に、桑野に何が起きたのか、天井に連絡した後も、しばらく思いを巡らせたが当然結論は出なかった。
※※※※※※※
6月4日午前11時、西田と吉村は、河北の元を訪れ結果を尋ねた。
「結論から言うと、12点中10点完全一致。若干不鮮明で必ずしも断定しきれない一致点も2つあるが、断定出来ないというだけで、一致している可能性は高い。起訴のためとか、そういう次元じゃない鑑定だから、多分合致しているとしても大丈夫だろう。両方共、右の人差し指とされてるのもプラス材料だな」
河北は笑顔で西田に結論を伝えた。
「そうですか……。助かりました」
西田が満足して、簡易的な鑑定結果が書かれた紙を折りたたみかけた時、
「西田課長補佐は、7年前の銃撃事件追ってたんだっけ?」
と、唐突に、河北が西田の担当事件に話題を変えた。
「は? あ、そうですが……」
「北村刑事が殉職した事件だろ?」
「はい」
「これはその事件と関係があるのか?」
「えーっとですね、直接ではないんですが、間接的には……」
そう言い淀む西田に、
「細かいことは俺にはわからんが、必ず挙げるんだぞ……。北村の親父さんには、俺は昔世話になったことがあってな……。そういうわけで頼むぞ」
と、静かに、しかし力強く真顔で語りかけた。
「そうだったんですか。勿論そのつもりです! しかし、北村の親父さんとお知り合いだったとは、正直驚きました」
「北村の親父さんは、警察で鑑識やってたんだ。俺の名寄署勤務時代に、色々と指導してもらって世話になったことがある。まさか、息子さんがあんなことになるとはなあ……。息子さんが刑事だったってのも、名寄署出て数年後以来、直接会ってなかったから、色々伝え聞いてびっくりしたもんだが。当時、小樽署に居たもんで、葬儀には出席出来なかったしなあ」
「へえ、親父さんは鑑識だったんですか? 北村とは事件前まで一緒に捜査してたこともあるんですが、警官だってことすら言ってなかったし、警官だったことは確か彼の通夜で何となく聞いただけなんで、鑑識だということは全く知らずって奴で」
以前、本橋を遠軽まで護送する際に、北村の警察への志望動機が、シャーロック・ホームズ等の推理小説を子供時代に読んでいたことだとは聞いていたが、その時は父親が警官だったとは北村も話してはいなかった。通夜でそれを知った時には特に何も思わなかったが、今考えるとあの時そういう話が出て来ても良かったはずだと思えた。
「そうか……。まあ堅物で、口数も少ないオヤジさんとは、息子さんも色々ぶつかってた時期もあったようだから、そういうところが、何もあんたに言わなかったことに繋がったかもしれんな……。当時、親父さんは酒が入ると俺にも愚痴ってたよ、息子さんのことでな」
含むような言い方をした後、
「とにかく、絶対挙げてくれ。頼んだぞ!」
そう言って、西田の背中を軽く叩いた。
※※※※※※※
意気揚々と刑事課に戻ってきた2人に、
「課長補佐! 今丁度、察庁の須藤さんから電話来てます」
と真田が、固定電話に出ている遠賀を指した。遠賀も西田を視認して、
「今戻ってきましたので、替わります」
と電話の向こうに告げると、指を3つ立て、3番の電話回線に回すと言うジェスチャーをした。西田は軽く手を挙げて、電話に出た。
「どうも」
「こちらこそ待たせましたね、西田課長補佐。一応該当しそうな連中は、既にまとめたんで、ファックスで送るから、見といてくださいよ。最終的に、事件当時のアリバイがはっきりしないのをリストアップしたんで。この4名をこれからより細かく洗ってみるつもりです」
「そうですか、それはお疲れ様でした。じゃあ後で拝見します。とにかくこちらとしては、関東方面じゃ動きようがないんで、是非よろしく」
西田がそう言うと、すぐにリストのファックスが送付されてきた。
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