名実9 {17・18合併}(38~39・40~41 岩手から帰還 竹下、記事の訂正を迫られる)
「まあ、取り敢えず話を聞いてもらいたい。今、岩手の方に捜査で来てるんだが、例の『アベ』、もしかしたら、苗字のアベじゃなくて、こっちの方言で『レッツゴー』の意味の言葉だったかもしれない」
「レッツゴー!?」
須藤からすると、いきなりの脈絡がない発言に聞こえたのかもしれないが、西田としては、「いきましょう」だけだと「行きましょう」なのか「生きましょう」なのか区別が付かないと思い、敢えて英語で言ってみた末のことだった。仕方がないので、西田は電話を掛けるまでの経緯を丁寧に説明した。
「なるほど。苗字以外のことは全く想定すらしていなかったが、確かに、『早く一緒にアベ』は方言だとしても通じるし、その後に『悪い癖が出た』も、訛が出たことを指しているとすれば、話の筋も通りますな……」
須藤はそこで初めて、西田の話に賛同を示した。
「これまで、姓のアベにこだわって、結局、確証のある該当人物は浮上しなかったが、もし、岩手出身という篩にかけてみたら、何か出てくるかもしれない」
「確かに、ここまでもつれた以上は、試す価値はありそうだ。ただ、問題なのはどこまで絞るか……。最初から、葵一家系全部のリストアップというのは効率が悪すぎる」
須藤は西田の考えに同意しながらも、先のことを考え、軽く文句を言った。
「どこまでするかは、こっちとしてはなんとも言えないが、少なくとも、協力して大罪を犯す以上、全く関係ない間柄だったということはどうなんだろう? 前と同じように、まずは、ある程度関係性のあるところに範囲を絞ってというところが妥当じゃないだろうか」
「うむ。事件直前のその場で会ったばかりということはないにしても、数日前にちょっと顔合わせただけでこれだけの犯罪を共同でさせるとなると、かなりリスクは伴うな……。少なくとも、鏡と北見に来る前に電話などで会話が出来るか、出来れば、直接の面識はあった方がいいだろう。その上で岩手出身者を炙り出すという算段ですな」
「こっちとしては、その辺の捜査は情報量的にも厳しい。そっちに完全に任せても問題ない?」
西田がお伺いを立てると、
「了解……。その点は任せてもらうことに異存はないですよ。ただ、出身地も絡むとなると、データベースからすぐというわけにも行かないかもしれない。数日から1週間程度、最初の報告まで時間もらいますよ」
と、この点についてはすんなりと承認した。
「OK。期待してますわ。あ、ところで、『アベ』が岩手全般の方言かどうかは、単なる一般人からの受け売りなんで、出来れば岩手の方言に詳しい研究者辺りに確認してからの方がいいかもしれん」
「研究者? そいつは面倒だな……。まあ仰る通り一応確認してからにしますよ」
須藤はさすがにこれについては渋々と言う感じだった。
(作者注・山形県でも、「行こう」=アベハ 宮城県で、「行こう」=アベのように、この用法は岩手だけに限らないというのが正確なところのようですので、小説設定上は岩手中心のままにさせていただきますが、事実上の問題としては修正させていただきます)
西田が会話を終えると、すでに戻ってきていた佐々木と及川が、
「もうよろしいですか?」
と尋ねてきた。
「すいません。ちょっと事務連絡してました」
「ええ、吉村さんからも聞いてます」
「そうでしたか」
西田が会話に夢中になっている間に、吉村が捜査業務に関しての連絡であると、彼らに説明してくれていたらしい。
「じゃあ、お電話も済んだようなので出発しても大丈夫ですね?」
という及川の問いかけに、
「しかし、これ美味いですね」
と、相手の話を無視して吉村が遮った。出発するつもりで立ち上がると同時に、変わり種のかりんとうを口に運びながらの感想だった。
及川も、
「ああ、おいしくて私も好きですよ。じゃあ吉村さんが食べ終わってからにしましょうか、出発は……」
と、愛想笑いせざるを得なかったようだ。食い意地の張った人間が、これまで手を付けていなかったのは、ある意味奇跡だったかもしれないが、会話の中に潜んだ、「アベ」に吉村が気付かなかったら、とんでもないミスを犯したままだったかもしれない。そういう意味では、吉村は相変わらず何かを持った男だと西田は感じていた。勿論、まだ「アベ」の意味が、本当に方言だったか確定したわけではなかったが、西田の中では、既に何か確信めいたものがあったのも事実だった。
※※※※※※※
その後、佐々木と及川の案内で、田老湾の北部にある、三王岩を見に行った。車に乗るかと思ったら、徒歩だったのには面食らったが、遊歩道を通ると、実際それほど距離はなかった。すぐに見えてきた三王岩は、確かにかなりの威圧感のある岩で、佐々木に聞くと、50mあるという。海岸傍にスクッとそびえ立つ奇岩は、遠軽署勤務時代の「瞰望岩」を彷彿とさせるものだった。勿論、こちらは海岸、遠軽は内陸にあるという違いはあったが。
※三王岩参考
http://amby.but.jp/kitatoho/tarou.htm
※瞰望岩参考
http://pucchi.net/hokkaido/trippoint/ganbouiwa.php
「壮観だなあ!」
西田は下から見上げると、感嘆の言葉を吐いた。
「縞模様の下の方は、白亜紀の地層なんですよ。今から一億年前前後のものです」
佐々木の説明を聞いても、全くピンと来ない2人ではあったが、
「自分達の地元にも、層雲峡やら瞰望岩という、こんな感じの自然の岩の造形がありますが、さすがに、海面からこの高さに太くそびえている岩となると、北海道でもほとんど……、否、おそらくないでしょうね」
と伝えた。
「確かに、海面からこれだけの高さの、大きな塊の岩が立っているとなると、日本には、そうはたくさんは無いでしょう」
佐々木も少々誇らしげな口調だった。
周囲を2人の案内で散策して時間を潰すと、役所へ戻る途中で、4名は防潮堤の上に登ってみた。階段を登る方法もあったが、スロープをそのまま登山のように登ってみる。防潮堤の上には、自動車が1台通れる程度の小路があり、河川の堤防に近いものがあった。ただ、高さが10mもあるので、その上から見る三陸の海は、曇天だったとは言え、かなり見晴らしが良かった。気温が低いのが少々残念ではあったが、幸い風はそれほど強くなかったので、体感温度がそれ以上下がることはなかった。
「田老駅から役場までは、防『波』堤のせいで海がよく見えなかったけど、こうして登ってみると、むしろ遠くまで見渡せる感じだなあ」
吉村が、両腕を空に向かって伸ばしながら、如何にも気持ちよさそうに言った。
「この防潮堤のおかげで、我々は安心して暮らせるんですよ。地球の裏側から大津波がやって来たチリ地震では、三陸周辺の他所の市町村が被害を受けた中、この防潮堤が、津波を完全にシャットアウトしてくれました。戦前からの長期的視点で建設された、最近は叩かれることが多いけど、本当に住民に役立つ公共事業の典型ですよ」
近年批判されることの多くなった「公共事業」を意識してか、佐々木の言葉は、役場の人間らしく「役立つ」を強調していたように西田には感じた。
それにしても、吉村の言う通り、役場を訪ねる前と後では、防潮堤を登る前と登った後という当たり前の前提の差こそあれ、まさに目に映る光景の差が、西田達の置かれている状況の変化を象徴していたように感じた。役場を訪ねる前の「壁」が、今は見晴らしを良くする高台へと変わっていた。それが、西田にとっては、妙に捜査の状況と符合しているように感じられていたのだ。
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その後は役場に戻らず、直接田老駅へと向かった。駅で佐々木と及川に、例のかりんとうをそれぞれ1袋ずつお土産にもらって、最後まで見送られながら、西田と吉村、は三陸鉄道北リアス線で宮古駅へと戻った。そして、昼食は宮古駅前で摂った。
その間も、専ら2人の話題は、北村のテープに残されていた「アベ」発言に、新展開があったことだった。この7年の間、アベの意味は、そのまま苗字だと捉えてきたが、同時に、捜査は全く進まず、壁にぶち当たってきた。しかし、もしあの犯人の発言が、彼の出身地由来の訛りから出た言葉だとすれば、明らかに状況は違ってくる。須藤の捜査次第ではあるが、新たな希望が見えてきたことも間違いなかった。
そして、宮古駅前から盛岡駅行きの都市間バスに乗る。出発した直後、西田は気になっていたことをようやく吉村に伝えた。
「しかし、よくあの発言からアベの話に気付いたな。俺の方は、おかしな形のかりんとうを味わうことに気が行っていた。食い意地の張ったお前にしては出来過ぎだぞ!」
「いやあ、普通なら食い物が気になるところですけど、かりんとうを持ってきたお姉ちゃんが、かなりのベッピンさんで、そっちが気になっちゃって。おまけに巨乳と来たら、そっちに完全に目が行っちゃったって話ですよ。で、名札見たら及川とか書いてある。それなのに、2人の会話で、アベという言葉が2度程聞こえてきたんでね。妙に気になったんです。正直、会話の内容自体、よく理解できなかったもんですから、アベという第三者が絡んでるという可能性もなくはなかったんですが……。それでも聞いておいた方が良いかなと……」
西田はそこまで聞くと、当初、西田が吉村に対して抱いていた「懸念」が、実際にそのまま当たっていたことに愕然とし、半ば呆れた。
「なんだよ、やっぱりそんなことだったのか……。あーあ、褒めて損したわ!」
西田はそう言うと、バッグからアイマスクを取り出し、シートを倒してふて寝し始めた。
「あら? 課長補佐、怒ってます?」
吉村の言葉にも何ら反応せず、西田はふて寝の態勢へと入った。言うまでもなく、吉村の今回の功績は、そんなことで揺らぐレベルのものではないわけで、西田も部下の情けなさ以上に成果に満足していたが、後のことを考え黙っていた。
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2時間程で盛岡駅前に到着し、そのまま花巻空港行きのバスへと乗り換えた。花巻空港から飛び立った飛行機が、新千歳空港へと降り立つ頃には、既に夕闇の中だった。
空港からは、JRか高速バスかどちらで札幌入りするか迷ったが、時間的に早く着くのはJRということで、2人はJRに乗った。ただ、二人共札幌駅まで乗らず、新札幌駅で札幌市営地下鉄・東西線に乗り換え、それぞれの実家を目指した。
西田は円山公園駅で降りたが、吉村は、その先の二十四軒駅まで乗って行った。帰宅ラッシュの時間からは若干ズレたので、地下鉄も円山公園からのバスもそれほど混んではいなかったが、さすがに北見よりは人の多さを感じていた。
家では、妻の由香が夕飯を用意して待っていてくれた。娘の美香は思春期ということもあり、難しい時期だ。ぶすっとしたまま「おかえり」と言った直後に、そのまま自室へと入った。いちいち反抗期の娘の態度に反応していても仕方ないと、西田は妻と晩酌しながら、愚痴を聞いてやることに徹した。
女は話を聞いてもらうだけでも、かなりストレス解消するという特殊能力があるらしい。男はその点、ただ話を聞いてもらってもストレス解消にはならない。むしろ、意味のほとんどない、ただのおしゃべりはストレスになることもあるぐらいだ。
しばらく聞き役に徹した後、夕刊を見る前に、本日の道報朝刊に目を通す。言うまでもなく、竹下の記事をまず見た。本日は、機雷事故発生当日の、朝から発生時までの様子を、時系列で説明する記事だった。
予定では、日曜までの連載になると、月曜の記事中にはあったので、後は土曜日と、事故発生日である、5月26日の日曜日の2回で終わりということになる。
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翌5月25日土曜日。札幌駅で待ち合わせた西田と吉村は、網走行きのオホーツク3号に乗車しようとしていた。西田は、疲れからか妻に起こされた8時過ぎまで熟睡していたので、慌てて朝食をかきこんで、この時間に間に合わせていた。故に新聞など読んでいる暇もなく、駅で買い込んで特急に乗り込んだ。
土曜ということもあり、車内は平日よりは混んでいたが、吉村はまだ寝足りないのか、心地良い鉄路の規則的な微動に身を委ね、時折うつらうつらしていた。西田は、そんな吉村の睡眠を妨げないように、めくる際に音を立てないようにしながら新聞を読んでいた。
最終回前の竹下執筆記事の内容は、公表されている犠牲者112名の他に、謎の1名が犠牲者として存在しているかもしれないというモノだった。
爆破処理のために、生田原にあった「北ノ王金山」と紋別の「鴻之舞金山」から、それぞれ発破技師が呼び出されたが、爆破処理直前の、午後に来る予定だった北ノ王の発破技師は難を逃れたものの、午前中から来ていた鴻之舞の技師はモロに巻き込まれたと言う話から記事は始まっていた。
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問題は、この後の内容だった。浜辺が鮮血で染まった、阿鼻叫喚の凄惨な爆発事故現場では、当然のことながら、巻き込まれた遺体のほとんどは、到底まともな状態ではなく、遺体の個人の特定はかなり難しかったことがあった。あくまで死者数は、当時現場に居た中で、その後現れていない人物を死者として扱っただけの場合もあっただろう。
一方、その現場に居た中で、4名で来ていた鴻之舞の技師集団の1人が、実は事故後に行方不明になったままだというのだ。ひょっとすると、公的な記録である112名ではなく、死者は113名居たのではないか、そういう中身の記事であった。
無論、竹下と北見で会った時に、取材のおおまかな内容は、大方聞いていたこともあり、記事の内容は大方知っているはずだったが、大分記憶から抜けていた部分もあった。
「ふーん……。今と違ってDNA検査もないし、歯医者もロクになかったはずだから、歯型からの鑑定も厳しい。死ぬ前の家なんかに残っていた指紋と照合って言っても人員が足りないし。色々大変だったろうな」
西田は、そんなありきたりの感想を、ブツブツと独り言のように呟きながら、他の記事へと目を移した。
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旭川を過ぎると、目を覚ました吉村が、新聞を読みたいと言い出したので、西田は新聞を渡して、たまたま2つとも空いていた通路を挟んだ隣のシートへと移り、ゆったりと座りながら車窓の景色で暇をつぶしていた。上川を過ぎると、人里離れた鬱蒼とした森林と山岳地帯を走り続ける。
石北本線のサミットであり、単線の、上下列車の行き違い用に設けられている、上越信号場を超えると、白滝村(2002年当時。現在は合併により遠軽町白滝地区)の小さな集落と崖を削り取るように流れる河川を縫うように、オホーツク3号は遠軽へと緩やかな下り坂を進む。
そしていよいよ遠軽駅へと滑りこむと、進行方向が逆になるため、西田と吉村は、それぞれシートを回転させて進行方向へと向きを合わせた。
「ちょっとホームへ降りる!」
そう吉村に一声掛けると、西田は、やや停車時間が長いことを利用して車両から降りた。特に降り立つ意味もなかったが、何となく外の空気を吸いたいのと、昨日見た「三王岩」の影響か、遠軽駅ホームからも良く見える瞰望岩を、ウインドウを通してではなく、直にじっくり見たいという気持ちがあった。
札幌を出た時には、調度良い涼しさだったが、ドアから出た直後、軽く身震いした。おそらく昨日の三陸ぐらいの気温だろうか。背広のみでは肌寒かった。
遠軽は、遠軽署から転勤後も、何度か通ることもあったが、勤務時代のように、瞰望岩をじっくり眺めていたわけでもなかった。そのせいか、ホームの外れから望むそれは、思ったより高さがある印象だ。昔、アイヌが敵を偵察するのに使ったと言う天然の「見張所」は、西田が日常的に見ていた当時と当然何も変わらずそこにあった。悠久の自然の時間の流れの前では、7年など一瞬の出来事に過ぎない。殺人事件の15年という時効もまた、それと大差ないものだろう。しかし、今の西田にとっては、その一瞬もまた見過ごすことは出来ない時間だ。
そんな思いに浸っていると、停車時間の数分など、これまたあっという間に過ぎた。乗り遅れるわけにも行かないので、進行方向が変わって、最後尾から今度は先頭になる車両へと小走りに駆け込む。
「課長補佐、あれ? 何も買ってないんですか? てっきり駅弁でも買い込むつもりだと思ってたのに」
吉村が、戻ってきた西田が手ぶらだったことに驚いた……、というより明らかに不満気だった。言われてみれば、確かに、時間的には午後1時過ぎで、昼食を摂るには丁度良い時間帯だった。
「ああ、失敗した!」
思わず舌打ちするも時既に遅し。とは言っても、車内販売で買っても良いし、北見へは後1時間も掛からないで着くから、北見に戻ってからでもいいやと思い直した。
「北見に着いてからでもいいだろ?」
「まあ、大して腹は減ってないから、それでいいですが……」
吉村はそう言いつつも、口ぶりは納得出来ていないようなものだった。その後、2人は北見駅で降りてから、駅前の食堂で昼食を済ませると、そのまま北見方面本部へと直行した。
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「どうもお疲れさんです」
捜査一課の部屋へ入るなり、同僚や部下と挨拶を交わす。
「どうでしたか、岩手は?」
遠賀係長が休みなので、主任の日下が、同じ捜査チームの中で声を最初に掛けてきた。
「本州とは言え、さすがに結構寒かった。今日のこっちと同じぐらいかな」
「そうですか。東北北部ですから、そう不思議なことでもないんでしょうね」
「いや、初日は結構いい感じで、ポカポカ陽気……、ちょっと曇ってはいたけど、そんな感じだったんだけどねえ」
西田はそう言いながら、お土産を部下に渡す。お土産と言っても、花巻空港で慌てて買い込んだモノで、果たして、本当の意味でのお土産と言えるかは微妙なものだった。ただ、大船渡名産の「かもめの玉子」は、大船渡市へと行っていたことを考えれば、買った場所が違うだけで、まさに地元の菓子と言えるのではないかと、ある種の言い訳を内心持ってはいたが……。
どうせなら、田老で貰った「かりんとう」をもらった分だけでなく、買っておけば良かったと飛行機に搭乗してから思ったが、空港にも売ってない以上は、かなり遅い後悔であった。かりんとうは西田、吉村それぞれが、貰った1袋を実家に置いてきていたので、北見の同僚達に渡す分は既になかった。
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5月26日の日曜日。まさに1942(昭和17)年5月26日に発生した「湧別機雷事故」から60周年のこの日、竹下達の連載記事も最終掲載を迎えていた。竹下は、早朝から紋別支局に出勤していた。本日は濱田と共に、慰霊式典そのものを取材する予定だ。その準備もあって、取り敢えず支局に来ていたのだ。そして、本日の朝刊で自分達の記事を確認していた。
連載最終日の今日は、60年前の事故が現在とどう繋がってくるかという、如何にも最後らしい総括の内容だった。元々、広く一般に知られていない事件が、更に風化しつつあるという事実を前に、どう世代を超えて継承していくか、戦時中のその他の出来事と含めて考える内容で締めとしていた。本日の慰霊式典そのものの記事は、明日の朝刊で別に出すことにしていた。
月曜から日曜までの7日間、上手くまとめてきた感覚こそあったが、同時に少し不満足な点も竹下にはあった。報道する以上は、「裏取り」は当然常にしておくべきというのが、記者としては「基本中の基本」的行動ではあるが、今回は、それが弱いと感じていたからだ。
というのも、元々事件があまりメジャーなモノではなかったことは勿論、60年という歳月の壁のため、証言や事実関係の把握が十分に取れていなかったことがあった。また、記者が少ない支局だけに、他の記事も色々書いておく必要があり、それに集中出来なかったことも理由としてあった。
それにしても、これだけの記事を書くのに、北見青洋大学の大内教授からの情報だけを中心に書き進めるのには、やはり不安があった。何しろ大内教授が自分で直に調べた情報ではなく、前任の高田教授の数十年前の調査結果を受け継いだだけだからだ。
新聞を机に軽く放り投げると、竹下は椅子から立ち上がって、社屋の窓の外からオホーツク海を望む。気温こそ5月末にしてはかなり低かったが、好天で遠くまで見通すことが出来た。
「天気は問題なさそうだ」
窓まで歩み寄ると、不意に顎に手を当てた。朝、顔を洗う時、ついでに電気シェーバーで剃ったはずの無精髭が、親指の腹に当たりチクっとした。きちんと剃ったつもりが、どうやら剃り残しのようだ。
「やっぱり、髭剃りもやっつけじゃダメだな……。T字のカミソリでちゃんとやらないと……」
竹下はそう呟くと、顎を何度か指で往復させて確認した。
「竹下さん、そろそろ出た方が?」
濱田がそう促すと、
「そうだな。そろそろ行くとするか」
と、竹下はカバンの紐を肩に掛けた。
※※※※※※※
5月27日月曜日。竹下はこの日休みで、ボケっと昼前の民放のニュースを見ていた。しかし、携帯電話に突然、熊田デスクから連絡が入った。
「何か管内で事故でもあったかな」
慌てて出ると、
「おい、連載記事でクレームが本社に来たらしいぞ!」
と、いきなり叱責された。
「えー、自分の機雷事故の件ですか?」
「ああ、勿論それだ!」
「そうですか……。どんな件で?」
「説明は後だ! とにかく今からすぐ来い! わかったな!」
そう一方的に言うと、勝手に切られてしまった。
「こりゃ嫌な予感が当たったかな……」
渋い顔をすると、早速外出の準備を始める。幸い、支局までは歩いて5分程度だ。その点は助かる。
※※※※※※※
部屋に入ると、既に濱田が、熊田デスクの机の前に立っていた。彼は今日は出勤していたので、とっくの昔に呼ばれていたのだろう。
「どうも」
他の記者達にも声を掛け、熊田の前まで行くと、デスクは机の上の紙を指でトントンと指して、「しっかり見るように」促した。それを受けて、竹下は紙を手に取った。一瞬ざっと見た感じ、どうやら本社の社会部長からのモノらしい。
「どうだ?」
熊田は、いきなりそう尋ねてきたが、竹下はまだ肝心の問題点までは把握してなかった。
「まだ中身を見てないので」
「早く読め!」
苛ついた熊田の声が室内に響いた。




