名実5 {9・10合併}(22~23・24~25 湧泉の大将の生い立ち・湧別機雷事故詳細)
「今でも付き合いがあるって話ですが、その後は、従兄弟の方……。えっとイッチャンですか? その方は、果たして幸せになったんでしょうか?」
若い濱田が、いたたまれない話に、その先に救いを求めたような質問をした。
「うーん、裕福とは言えないが、料理人として修行して一人前になり、嫁ももらって、子供も出来て今は地元の遠軽で小さい小料理屋みたいのを細々とだが長年やって来て……。それなりに楽しく暮らしているんじゃないべか? まあ本人がどう思ってるかはわからんけども。でも、金がないのは、イッチャンだけじゃなくて、世の中の大半の連中がそうなんだから、それは仕方ないべや!」
浅井はこちらに同意を求めるような言い方をした。
「僕は、6年ぐらい前まで遠軽に勤務していたことがあったんですが、小料理屋ですか? もしかしたら行ったことがあるかもしれないなあ」
竹下は、遠軽署勤務時代を振り返って、数件の思い当たる店を念頭に尋ねてみた。
「ちょっと中心街からは外れたところにある、『湧泉』って店……」
浅井が言い終わる前に竹下は、
「あ! 湧泉!? ってことは、イッチャンってのは、そこの大将の、相田泉さんのことですか!?」
と驚いて確認した。
「お! 知ってるのイッチャンの店? そうそうそこ! 俺が取った新鮮な魚介類を、結構提供してやってるんだが、こっちが安く売って儲かるようにしてやってるのに、イッチャンも破格の値段で客に出してるもんだから、こっちの好意が無になってるから困るんだわ!」
浅井は苦笑いしながら机を軽く叩いた。
「そうか思い出しましたよ! 大将は、新鮮な魚介は佐呂間の従兄弟から仕入れてると言ってました! 確かに美味しくてかなり安かったです。浅井さんのおかげでもあったんですか! ホント懐かしいなあ!」
竹下は、思わず浅井に握手を求めていた。
「へえ、こんな奇遇もあるんだなあ! 遠軽で記者やってたの? 言われてみれば、道報にも遠軽支局あったっけ」
「いや、当時は今と違って、実は警察官でして」
竹下は、浅井の発言にそう言うと頭を掻いた。
「警官!? 警官が今新聞記者やってるの? どういう理由でそうなったか全く想像できないな……。なあ理事長もそうだべ?」
先程まで話をしていた理事長は、もはやただの傍観者になっていたが、
「ほんと、聞いたこと無いな、そういうパターンは」
と浅井に同調してみせた。
「まあ、あんまりそういう例はないでしょうね、実際」
そう笑顔で答えつつも、吉村に連れられて初めて「湧泉」の暖簾をくぐった時に、大将の顔を見て、やけに端正で目鼻立ちがはっきりしていると思った理由を、ここに来て竹下は悟っていた。これは西田も思っていたと後から聞いたが……。アイヌの血が日本人離れした顔立ちに影響していたのだろう。
「しかし、大将の人生にそういう背景があるとは、当たり前ですが、あの頃は思い浮かばなかったなあ。確かに妙に目鼻立ちがくっきりした顔だとは思ってましたけど」
そう言うと同時に、何故死亡者の名簿に、大将と同じ「相田」という姓の犠牲者が載っていなかったかを理解していた。大将が私生児として生まれてきたが故だった。亡くなった父親は「浅井」姓だったということになる。
「アイヌは昔は差別もされていたが、まあそれも時代と共に少なくなって行き……、 否、そもそもだ、純粋なアイヌ人自体が、ドンドン減っていったってものあったな……。それでイッチャンが青年ぐらいになる頃には、ああいう顔だからむしろモテモテで、俺も羨ましく思ったぐらいよ! 当時、中学出てすぐ板前の修行中だったが、お客さんの中に東京からたまたま来ていた、芸能関係者が居て、スカウトされたとか言う話も聞いたな。これはイッチャンから聞いたわけじゃなく、イッチャンの仕事仲間と一緒にウチに遊びに来た時に、そいつが言ってたから、嘘じゃないだろう」
「大将の実の父親もアイヌ人なんですか? それにしてはちょっと薄めの顔立ちのような」
竹下は、大将が純粋なアイヌだとすれば、目鼻立ちがはっきりしているとは言え、かなり和人よりの風貌だという印象があったので、そう確認してみた。
「詳しいことをよく知ってるわけじゃないが、実の父親は俺らと同じ普通の和人……、日本人らしいな。ただ、その人とも籍を入れない私生児の形だったってさ。この話は、イッチャンが中学卒業して、同時に家を出て料理人としての修行に行く直前に、母親のミチさんから色々聞いたって話だったかな……。その人との結婚も和人ということで爺さん……、つまりミチさんの親父に反対されて、色々あって、お腹に居たイッチャン残して、立ち去ったってね……。それでイッチャンの『泉』って名前は、その実の父から取ってミチさんが付けたんだと。ミチさんとしては未練があったんだなきっと……。ただ、反対した爺さんからしてみりゃ、相手が去ったのが自分のせいだったとしても、大事な自分の娘を孕まされた挙句に、あっさりと捨てられたわけだから、許せるわけがねえべや? で、もし孫の名前をそいつから付けたことが知れたら、絶対に反対されるってことで、実の父の名前からではなく、苗字から取ったってさ。それにしても『泉』なんて名前、今なら男が付けていても、それ程恥ずかしい感じはしないが、昔だと結構目立つ名前でさ……。そういう理由でもなけりゃ、そんな名前付けないべや! だろ?」
浅井は2人に同意を求めたが、竹下は笑って誤魔化すだけに止めた。そして、気になったことがあったので、尋ねてみた。
「そうでしたか。大将も色々複雑な家庭環境だったんですね……。いつも陽気でそういう陰のあるところを、ほとんど感じさせない人でしたが……。しかし、苗字から取って、名前に泉って名付けたってことは、小泉とか大泉とか、実の父親はそういう苗字の人だったんでしょうか? でも、相手の苗字は一切知らなかったんですかね? そのミチさんの頑固オヤジは。名字にそのまま『泉』と言う字が付いていたなら、知っていた場合すぐに気付きそうなもんですが……」
「そういう陰があるからこそ、ああいう振る舞いをするんじゃないべか? それと苗字の方はどうだろうなあ。確かに、爺さんが相手の苗字知ってたら、どっちにしてもバレるような気はすっけど、俺も深くは聞いたことがねえからなあ……」
浅井の大将の明るさの理由に対する回答は、至極的を射ていたように感じた一方、名前についての説明は、浅井同様、竹下も何かモヤモヤしたものが残る話だった。
※※※※※※※
「しかし、理事長の取材より、むしろ別の話で盛り上がってましたね……」
運転席の濱田が、おそらく皮肉交じりに竹下に話しかけた。実際、取材目的だったが、それよりも浅井と大将の話で盛り上がった時の方が印象に残っていた。勿論、時間的には、ちゃんと取材していた時間の方が長かったのだが、一方的に置き去りにされた彼としては、疎外感を感じていたとしても不思議はなかった。
「ああ、悪かった……。共通の知人が居るとわかって、つい調子に乗っちゃったよ」
「まあそれはいいんですけどね。取材自体はしっかり出来ましたし、浅井って人の話も、事故の犠牲者の話でもあったんですから……。で、今回の件は記事になりそうですか?」
「少なくとも、理事長の話は記事にするが、大将の絡みの件は止めた方が良さそうだな……。複雑な家庭事情を記事にするのは、匿名であってもマズイと思うし、知ってる人から見りゃ大将の話とバレかねない」
「それは、竹下さんとその相田さん? という人が知り合いじゃなかったら、匿名で記事にした可能性はあるんですか?」
濱田はそこにこだわった。おそらく、新聞記者としての判断なのか、知人を守るための判断なのか、そこをはっきりさせたかったのだろう。ややもすると、竹下に対して懐疑的な立場を採っていたと言えた。
「微妙だな……。正直、理由としてはどっちもあると思う」
竹下はそう言うに留めた。いつもは、多少は立派な先輩として接していた相手と、今は立場が逆転したかのような居心地の悪さを竹下は感じていたが、そう言われても仕方ないと諦めていた。
そんなことを思いつつも、2人の車は、北見へと向かって佐呂間町役場前を通り、国道333号を疾走していた。朝方の低い気温は20度近くまで上昇し、心地良い空気が、細く開けたサイドウインドウから吹き込んでいた。
※※※※※※※
取材に訪れた、北見青洋大学の「大内 喜好」教授の研究室は、思ったより狭かった。と言うよりは、元々はそれなりの広さはあったのかもしれないが、書物や資料などで一杯になっていたせいかもしれない。ただ、小汚い……、言い換えれば乱雑とした部屋に似つかわしくない、若い女子学生が頻繁に出入りするので、濱田がチラチラと視線をそちらに送り、落ち着かない状況で大内教授が現れるのを、助手(作者注・今は助教と呼ぶようですが当時は助手、助教授→准教授という名称でしたので)の割と知的美人にお茶を入れてもらいつつ待っていた。大内は丁度講義中だったらしい。
どうせなら、取材の時間を指定してくれれば良かったのにと思っていると、チャイムが鳴り、数分すると大内が現れた。40半ばぐらいの見た目に見えたが、想像していたよりは、割とスポーツマン系のさわやかな感じがした。双方で事故紹介し合った後、本題に入った。
「道報さんには、過去一度か二度か取材自体は受けたことがあるけど、この件での取材は初めてですよ」
大内はそう切りだすと、この乱雑な室内から見つけるにしては随分早く、おそらく既に用意していたのだろうか、分厚いファイルをさっと机にドンと置いた。
「えーっと、今日の取材の内容は、先日電話で、湧別機雷事故の説明をしてくれと依頼を受けた際に確認した、わざわざ住民の前でやることになった経緯と、警察が軍抜きに単独で処理することになった理由、事件がどう一般に伝えられたか、その後の地元社会への影響の、以上の点で良かったですか? 大まかな事実関係については、既にお持ちの資料で確認済みとのことでしたが?」
「はい、それで結構です」
竹下は短く言うと、
「もし良ければ、後で必要な資料のコピーいただけますか?」
と確認した。
「勿論! 話してる間、随時必要な部分があれば要求してください」
「じゃあ遠慮無く」
そう言った時、女子学生が部屋に急いで入ってきた。
「大内先生! 常紋トンネル調査会の会費払いたいんですけど」
「あ、今お客さん来てるから、そこの机の上に置いといて。わかってると思うけど1000円ね!」
そのやりとりを黙って見ていた竹下だったが、
「大内教授は、常紋トンネル調査会と何かご関係が?」
と、女子学生が出て行ってから尋ねた。
「あ? そうですよ。数年前から、私自身も一応会員で、興味がある学生を募って、遺骨収集とか参加してるんです。私が青洋大学に来た5年前から、前任の高田繁幸教授から引き継いだんです。高田教授は北海道の開拓史全般、オホーツク文化などに精通している方でしたが、私の場合はせいぜい日本近代史全般程度で、余り常紋トンネル関係に精通していたわけではないんですがね。今回も高田教授がご存命なら、そちらに聞いた方が絶対良かったと思うんですが、1年ほど患った末、3年前に他界されてしまってはどうしようもないですね……。私も教授の後任ということもあって、教授絡みの調査・研究結果を引き継ぐことにしました。……しかし調査会の方もご存知なんですか?」
「ちょっと以前関わりがありまして……。新聞記者やる前の話です」
竹下はそう言うと、あの当時のことが頭を過ぎった。
記憶が確かなら、西田と北村がコンビで捜査していた初期捜査で、常紋トンネル調査会の遺骨採集参加希望者に狙いを定めた際に、この大学の女子学生をチェックしたとか何とか言っていたような気がしていた。そして大内の話を聞く限り、この大学には、そういうことに積極的に関わらせるような、教育的風土があったようだ。
「ほう……」
大内は何か聞きたそうな顔をしたが、面倒なことになりそうな勘が働いたか、それ以上は突っ込まず、機雷事故について話し始めた。
「まず、地域住民を寄せ集めた件ですが、当時の遠軽署長が何と言うか、愛国主義の権化みたいな人で、『今が戦時であることを意識させるのに好都合だ』ということで、敵の機雷の爆破力を認識させるためだけにやったみたいですよ。ご存知かと思いますが、結果的には、署長自体が爆発に巻き込まれて亡くなっちゃってるんで、責任は、ある意味取らされたことになるんですけどね……。それにしても、その誤った判断が、被害をより広げることになったのは間違いない」
「なるほど。それで次の話にもつながってくるんですが、同時の道警の本部というか中枢の方は、処理について何か指示してなかったんですか? 警察はそういう仕事に慣れてないはずです。普通なら止める役割を果たすべきですよね?」
「当時の資料が余りないのが実情なんで、その特に警察内部のやりとりについては、高田教授も具体的な資料を持っていたわけではないんですよ。ただ、当時は、北海道庁の中に『警察部』という部署があって、それが今で言う道警本部だったわけですが、そこと協議はしていた模様です」
「やっぱりそうでしたか。それで?」
竹下はICレコーダーの位置を変えると、続きを促した
。
「どうも、当時既に道内には機雷の漂着が結構あったらしく、その度に地元の警察独自で処理していたという話があるんですが、ある意味軍事機密で、逸話という形でしか記録が残ってないんです。日本海側がほとんどだったようです。一応本部には、そういう処理についての専門家が居たという話もあるんですが、まあ数は圧倒的に少なかったでしょうね。実際遠軽には来なかった」
「ところで、旧軍は一体何やってたんですか? 今なら自衛隊のそういう部署が不発弾などの対応に当たりますよね?」
濱田の質問は、至極当然の解決方法を採らなかったことへの批判的な口調に満ちていた。しかし、これは一般的に当然抱く感想だろう。竹下も興味があった。
「具体的に、何か政府の指示があったということはないんですが、軍と警察、つまり、当時警察は内務省配下だったわけですが、その対立構造の中にまんまと落ち込んだ典型的事例ではないか? 教授は勿論、私もそう推測してるんですよ。例えば、『ゴーストップ事件』なんかも影響していた、或いは、その対立構造の1つの典型例だったのではないかと考えています」
「ゴーストップ事件、言われてみればありましたねえ! 日本史でやったなあ」
竹下は懐かしそうに言った。
※※※※※※※
ゴーストップ事件とは、満州事変のあった1933(昭和8)年6月に、大阪で起きた騒動である。警官と陸軍軍人の間に起きた諍いが、陸軍本体と警察、並びに警察を配下におく内務省との権限争いにまで発展した事件である。軍部が増長するきっかけの1つとも言われ、昭和天皇まで巻き込む騒ぎになった。
事件の流れは、大阪の交差点で、休暇中の陸軍兵士が信号を無視(当時赤信号で止まらなくてはならないという規定は実際にはなかった)し、それを警官が注意して派出所へ連行したものの、兵士が『憲兵(軍隊の警察権を担う)以外に従うつもりはない(作者注・厳密には警官も軍人を告発することは当時の法律上でも可能)』と発言したことから喧嘩になったことに端を発する。
その後、憲兵隊が担当警官の所轄署に抗議し、騒ぎが大きくなった。更に、軍隊を所管する陸軍省と警察を所管する内務省の間の省庁間の争いに発展。当時のマスコミも巻き込んで、一般人にも広く知られることとなり、事件の目撃者である一般人が、軍と警察の双方に聴取を強いられ、最終的に自殺するなど、異様な展開を見せた。
兵士側が警官を「特別公務員暴行陵虐罪」などで告訴するなどしたが、さすがに地検の検事もそれをそのまま受理することは問題を大きくするとして、仲裁する方向へと動いた。
そして、あまりにも問題が大きくなったことで、昭和天皇が裏で動き、兵庫県知事が調停に乗り出す。最終的には、該当の警官と陸軍兵士が握手して和解という形にて幕引きしたが、警察と軍隊によるテリトリー争いが、より意識されるようになった1つの契機であったことは間違いない。
※※※※※※※
「僕も日本史でちょっとやった記憶があります」
濱田も同調した。
「御二人とも知識があるなら説明も早いが、おそらく、できるだけ軍に協力を依頼することを避ける警察文化があったのではないか? そう推測しているんですよ。高田教授も同じような考えをお持ちだったようです、書き残してくれた資料の記述を見る限りは、ですが……。軍に頭を下げるというのは、屈辱だったのではないかと、ね……。まあ、ただ警察にもその手の専門家が居たようですから、それすら来なかったというのは、明らかに本部の怠慢でしょうねえ」
大内は苦笑いしていたが、プライドの問題や怠慢で死者が100名を超える大惨事になったとすれば、亡くなった人は悔やんでも悔やみきれない話だ。
「それで、当時の遠軽署は、具体的に機雷をどうやって処理しようとしたのかという話になるんですが、そこをお願いします」
竹下の要請に、
「そうですね……。まず地元の警防団、あくまで職業ではなくボランティア組織みたいなモノでした。つまるところ今でいう消防団ですね。それで、その人達に協力してもらうと同時に、爆破処理は、さすがに専門家が必要なんで、当時の遠軽署管轄下の生田原にあった、北ノ王金山という、金鉱山の発破技師に頼んで、機雷そのものによる爆破というより、ダイナマイトで機雷を爆破して、誘爆を誘うという形での処理を考えたようです」
と回答した。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
竹下が慌てたように口を挟んだ。
「今、北ノ王金山と言いましたが、亡くなっている方の中に、鴻之舞金山の職員の方が居たはずなんです! どういう理由で、わざわざあの山の中の鴻之舞の人が、海沿いまで平日に来ていたか疑問だったんですが、もしかして、北ノ王金山に依頼したのと同じような理由ですか?」
「良い所に気が付きましたね! そうなんです! 今から言おうと思っていたんですが、鴻之舞の方は、北ノ王金山の発破技師に依頼した後に、追加で応援を頼んだんです。何でも、北ノ王の方の発破技師が、仕事の関係で午前中には間に合わないということで。午前中の間も、爆発物の専門家が必要ですから、一応アドバイスをしてくれる担当者として、鴻之舞の発破技師を呼んだらしいんですよ。これもちゃんとした公的資料があるわけではなく、前任の高田教授の、当時の人たちへの聞き取り調査を元にした話なんですが」
「なるほど! それで運悪く鴻之舞の技師だけが巻き込まれたって訳ですか」
「竹下さんの推測通りです。北ノ王の技師は、爆発発生時点では現場には着いていなかった。その時間帯に機雷を動かすのに、アドバイスしていた鴻之舞の技師達が巻き込まれたってことですよ。まあそもそも、爆発物の専門家と言っても、殺傷、破壊目的の機雷と、できるだけ安全に扱えるようにしてある鉱山用のダイナマイトじゃ、意味合いも違いますから……。まさに畑違いのことを任されて、気の毒だったと言えばそうなるでしょう。運命ってのは本当にわからないものです」
(作者注・生田原の北ノ王金山の発破技師に依頼して、機雷を爆破処理しようとしたというのは、公的資料がネット上では探した限り見つからないものの、湧別機雷事故を元にした、修正版・名実4のリンクに上げた「汝はサロマ湖にて戦死せり」という小説の設定上、おそらく史実ではないか? とは思います。ただ、鴻之舞金山の技師が巻き込まれたという事実は一切ありません。あくまで、この小説上の創作設定になります。尚、リンクした小説の内容が事実であれば、北ノ王金山の技師は、この小説通り、爆発の場面にはまだ現場に着いていなかったようで、九死に一生を得ていたようです。因みに、この北ノ王鉱山に依頼した話は、ネットで知る前に、自分が鴻之舞の発破の専門家を利用して処理しようとしていたという筋を既に考えていたので、これとほぼ一致して驚いた記憶があります)
これを聞いた竹下は、疑問が解消されてスッキリした気分になっていた。ただ、いずれにせよ、単なるダイナマイトの発破技師に、兵器である機雷の爆破処理を依頼するなど、今から見れば無謀の極みであることは間違いない。そもそも、当時他の所轄は、警察本部の専門家が来なかった場合には、機雷をどのように処理していたのだろうと言う気持ちにすらなっていた。よく事故が他に起きなかったものだ。
「しかし、発破技師もちゃんとアドバイス出来てなかったから、機雷を警防団の人たちに砂浜で引っ張らせるなんて暴挙をしたんでしょ? 何のために呼んだんだか……。本末転倒とはこの事じゃないですかね!」
若い濱田は、やりきれなさを隠さなかった
「最初は海中で爆破しようとしていたようですが、漁場が荒れるということで、漁師、まあ警防団にもたくさん漁師さんが居たようですが、彼らが反対して砂浜でやろうということになったようですね。結果的には、被害を拡大することになってしまいました。実は、2つ機雷の内の1つは、不発弾というより、火薬すら詰まっていなかったという話があります。事故の後、そちらを爆破処理すると、爆発ではなく、2つに割れただけだったそうですから……。動かしたのがそちらであれば、あんなことにはならなかったはずですから、まさに運が悪かった、これに尽きますね」
事件事故の類は、あらゆる運の悪さ、対応の悪さが幾つも複合して初めて発生することが往々にしてある。まさにこれも、警察の初期判断ミスと本部の怠慢に、機雷に対する知識のない素人の行動、更に「活きていた」方の機雷を砂浜でゴロンゴロンと動かしたという不運が、幾重にも重なった末の大事故と言えた。
「それで……、鴻之舞金山の職員は3名亡くなってるんですね、犠牲者の内訳では」
濱田はそう言うと、大内の前に、自分達が既に入手している犠牲者の資料を置いた。
◯竹富 孝蔵(当時45歳)
◯相良 辰平(当時41歳)
◯小野寺 道利(当時23歳)
「この3名は、いずれも発破技師の方で間違いない?」
竹下にそう問われ、
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ……。資料があったはずだが……」
と、大内は少々慌てふためいたようにファイルをめくり始めた。そしてしばらくすると、
「あ、ありました、ありました! 高田教授は、この鴻之舞金山の職員についても調べていたようですが、えっとですね……、一番若い人は発破技師でも、いわゆる見習いだったようです。高田教授が、まだ北大の助手だった頃に、戦前の三友帝国金属鉱山・鴻之舞金山の後身である、三友金属鉱業・鴻之舞金鉱の事務所で、聞き取り含め調べた結果ですが」
と言って、2人に調査結果の該当箇所を見せた。
「あれ? これは何ですかね?」
字をしばらく目で追っていた2人だったが、濱田が突然資料の一部を指さした。そこには、合計4名が鴻之舞金山より派遣されたが、1名が爆発事故後に行方不明とあった。
「これはですね……、当時、遺体の確認がはっきりと出来なかったと言うことではないかと。何せ大爆発ですから……。私が直接調査していたわけじゃないですから、正直、よくわからない部分も多くて断定は出来ませんが……。これについては、教授からも直接何も聞いてませんしね」
「ちょっと待って下さい!? ということは、実際のところ、犠牲者は112名ではなく113名居た可能性が高いということなんでしょうか?」
竹下は身を乗り出すようにして確認した。
「どうですかねえ……。高田教授の調査結果を見る限り、そういうことなのかもしれませんが……。何度も言うように、教授から直接聞いたわけではないんで。……申し訳ない」
「でも、それが本当だとしたらですが、これは新発見ですよ。どうしてちゃんと調べないんですかね?」
無意識に、刑事時代のような問い詰めるような口調になっていた。
「何度も言うように、私も自分で調査したわけじゃないんでね……。また、現状は資料もほとんど残ってないわけです。ただ、当時は遺体がバラバラになりすぎて鑑定すらまともに出来ない状態だったので、他の人の遺体に紛れた可能性が高いんじゃないでしょうか?」
大内は参ったなという表情で応じた。竹下も言い方が強すぎたと気付いたが、今更訂正しても遅い。立て続けに質問する。
「ということは、他にもなんらかの形で犠牲者が出ていたが、判明していないのでカウントされていないということも、あり得ない話じゃないかもしれないと?」
「それはあり得るんじゃないですか……。繰り返しになりますが、私自身が調査したわけじゃないんで、はっきりしていない点が幾つかありますので、断定は避けます」
大内はその点を再び強調した。
「わかりました。この件は取り敢えずここまでということで。こちらでも、記事にするかどうかわかりませんが……。それでは、次に一般社会にどう伝えられたかという点をお願いします」
「では、竹下さんのリクエストに応えて……。爆発事故の翌日の5月27日が、当時の海軍記念日だったわけです。まして、当時は情報統制が進みつつあった時代ですから、報道は道内の新聞でも非常に僅かな報道量だったんですね。元々、海軍記念日に合わせようということで、その前日の26日に爆破処理しようと署長が決めたという話があるので、そうなってしまったのも、ある意味当然の結果と言えます」
「海軍記念日というのは?」
濱田がそう尋ねたが、竹下も疑問に思っていたので、渡りに船だった。
「日露戦争で、日本海軍がバルチック艦隊を破ったのを記念して出来た日ですね。敗戦後なくなりましたが、今でも海上自衛隊なんかは、その前後の休日などに、基地祭なんかをしているようです」
「日露戦争由来でしたか……」
竹下は大内の話に頷くと、
「じゃあ次は……、事故の、その後の地元への影響を教えて下さい」
と、あっさりと話を変えるように切り出した。
「わかりました。当時は、既に中国での戦線が拡大し、召集される若者が地元からも出始めていました。更に、前年の1941年の12月には、真珠湾攻撃で日米開戦まで起こってましたので、これまた若者がドンドン戦地へ行かされるわけです。追い打ちを掛けるように、残った若者や一家の大黒柱は警防団に参加して、機雷で爆死となると、そりゃ地元にも暗い影を落とすことは自明ですよね? 戦時経済で皆が困窮する中、更に困窮する家庭も出た、そういう結果を招いたようです」
「補償などは一切無かったんでしょうか? 当時は、今の国家賠償法みたいのはありませんでしたよね?」
竹下は「国家に誤謬はない」という当時の法体系からそう言ったが、
「いや、当時でも『戦時災害救助法』なるものが制定されていて、賠償ではなく、それこそ補償という形ではあったようです。まあ金額にしては僅かなもので、到底困窮を解消するようなものではなかったと、高田教授は結論付けてますね」
と大内は返した。
「なるほど。『戦時災害救助法』ですか。これは初めて知りました」
ICレコーダーも使用していたが、竹下はメモにしっかりと書き込んだ。




