名実3 {5・6合併}(10~12・13~15 北村月命日墓参り・7年・1年前のローラー捜査について検証)
須藤達が、真田と黛に「引率」されて観光に出かけた後、吉村が早速文句を西田に言った。
「何ですかあれは? 日帰りで帰りゃいいのに! 十分間に合いますよ午後の便」
「まあ言うなよ……。来ると分かった時点で、こんなことだろうとは思ったが。新しい情報持ってきてくれただけマシと考えようや」
「丁度あの頃でしたっけ、官官接待ってのが話題になったのは……」
※※※※※※※
西田や吉村が、佐田実、米田雅俊の殺人を追っていた95年夏頃から、世間では「官官接待」という言葉がニュースを賑わせていた。国家公務員を地方公務員が税金で接待(その財源は裏金)するというモノで、税金の無駄遣いと共に、その捻出方法が違法性の高いやり方だったこともあって、その年の「流行語大賞トップテン」入りも果たした。しかし、喉元すぎればなんとやらではないが、未だにそのシステムは生き延びていたのだった。
※※※※※※※
「当時は、俺たちは捜査で頭が一杯だったから、世間のそういうことにちょっと疎くなってたな」
振り返る西田の脳裏に、激動の95年のことが、現在のことのように蘇っていた。
「ところで、明後日、向坂さんに会うんだが、おまえも来るか?」
「え、向坂さん? 懐かしいなあ! 元々北見の人でしたっけ。是非同席させてください!」
「わかった。向坂さんにもそう言っておく。じゃあ、俺は先に昼飯に行くから」
西田はそう言うと、本日は、特別に後番のため、昼食に一緒に出られない吉村を置いて、小出と浅田を誘って昼食へと出かけた。
※※※※※※※
向坂とは、住所をお互い「面倒」ということで教え合わないままだったが、電話での連絡は、そこそこ取り合う間柄を、転勤してからも続けていた。一方で、年始の挨拶は年賀状ではなく、携帯のメールで済ませていた。
西田は苦手だが、向坂はパソコンもかなり使うようだった。竹下とは、住所もお互い教え合い、年賀状のやりとり含め、今でも会うなど交流があるらしい。さすがに捜査を相棒として共にした以上、西田より密な関係を構築していたのだろう。
実際、竹下が警察を辞めると言った時、未だ銃撃事件の捜査本部詰めだったにもかかわらず、向坂は、遠軽まで翻意させるためにやって来た程だった。あれだけ「竹下は警察を辞めるだろう」と予言していたのに、いざ辞めるとなると、やはり止めたくなるほど惜しいと思ったらしい。
そして、向坂は2年前、弟子屈署の刑事・生活安全課長を以って警察を早期退職し、お決まりのパターンである地元北見の「警備会社」に再就職していた。再就職と言えども、そこそこ忙しい生活を送っているようだった。そして西田が「北見方面本部」への転属を、内定の直後電話で告げると、その「理由」を含め大変喜んでくれていた。
※※※※※※※
4月3日、向坂と以前数度飲んだ市内の店で落ち合った。直接会うのは、97年の3月に、西田が転勤で遠軽署を発つ前に会った5年前以来だったが、多少髪に白いものが目立つようになった以外は変わらない向坂が、先に店の中で待っていた。
「いやあ、お久しぶりです!」
西田と吉村が奥の席に陣取っていた向坂に声を掛けると、
「おお、待ってたぞ!」
と手を挙げた。
「西田とは……、5年ぶりか? 吉村とは6年ぐらい?」
「俺とはそうですね」
「ええ、自分の件も、6年で合ってると思います」
西田と吉村はそれぞれ順番に答えてみせた。
「まあ取り敢えず座ってくれ!」
向坂に促され、2人は向坂の前の席に座した。旧交を温めつつ、前日の接待と違って心から楽しめたせいか、しこたま飲んだ3名だったが、その割に余り酔う感じではなかった。やはり、当時の事件のことに、話がところどころ及ぶせいだったかもしれない。
「さっき吉村が愚痴ってたが、察庁の組対から捜査員が来たってことは、何か情報もあったんだろ?」
「ええまあ……」
西田が歯切れが悪かったので、
「そうか、俺は既に部外者だったな……。つい昔のノリでな、悪い」
と、向坂は自分の頭を軽く手で叩いて、その理由を察した。
「向坂さんは信用してないわけじゃないんですが、一応形式上はそういうことなんで、詳細はご勘弁を」
西田も向坂の言動を踏まえて、そう言い訳した。
「いやスマンスマン」
向坂は再度謝ったが、
「でも軽く触れるぐらいなら……」
と西田は前置きし、
「どうも、葵一家の上位組織の血縁関係者に……、これはヤクザではないんですが、ちょっと怪しいのが居るって話で」
と告げた。
「そうか。そこら辺は、7年前洗っても見えてこなかったからな……」
「でも、有力情報の域までは、まだ達してないですからね、現時点では」
西田はそう言うと、ちびちびと猪口を傾けた。
「ところで、察庁自体はどうなんだ? 信用出来るのか? 西田、お前はどう考えてるんだ?」
突然、やや怒りが混じったような言い方をした。警察の最上位層である警察庁も、95年当時は、特に政治の影響で信用し切れない部分があった。それを前提にした話だろう。
「確かに、そういう部分が全くないかどうかは疑問ですが、今は政治状況が、7年前とは色々と違って来てますから、その点も、前と同じ感覚でいない方がいいかもしれません」
向坂を見ながら西田は答えた。
「そうか、今は民友党の内部構造も変化してたっけ……」
向坂の発言に、吉村も黙って頷いた。
今の内閣の国家公安委員長は、箱崎派とは縁遠い、弱小派閥「増沢グループ」の「鳴沢達也」だった。高松壮太郎首相の、党内力学を無視した「独自人事」で、主流派だった旧箱崎派・現梅田派は、かなり政権内部での力を失いつつあった。そういう意味でも、捜査に影響を及ぼしかねない政治バランスは、与党自体は民友党で変化していなかったものの、実質は大きく変わりつつあったわけだ。西田も、その点は考慮して赴任してきていた。
当然、警察庁自体もその影響を受けるわけで、警察庁長官人事も、必ずしも出世レースでトップを走っていたわけではない、「田上 有人」というキャリアが就任していた(作者注・警察庁長官は、国家公安委員会が、総理大臣の承認を経て任命するものです)。田上は、警察の行動上、割と政治的な影響を嫌うタイプだという「噂」はあるようだが、その実態については、当然何だかんだ言っても「末端」の範疇に居る西田に知る由はなかった。とは言え、いずれにせよ、組織対策部含め、状況が変化しているということを、念頭に置いておく必要はありそうだ。(作者注・橋爪警察庁長官は、修正にて田上名義に変更)
「ところで、11日は北村の月命日なんだが、時間があるなら、どうだ墓参りに行かないか?」
再び世間話や近況について話していた3人だったが、向坂が話題を突然変えた。
「ああ、月命日ですか……。言われてみれば、命日は確か11月11日でしたね……」
西田は宙を見上げ、黙り込んだ。
「アレが起きた時はホントにびっくりしたなあ」
吉村も飲んでいたビールのコップから口を離してそう言うと、机にそっとそれを置いた。
「俺は捜査が一段落、いや、まあ単にお宮入りしただけだが……、それからは毎月11日にはなるべく墓参りするようにはしてたんだ。ま、すぐに弟子屈へ転勤することになったから、家に戻ってくるまではご無沙汰だったけどさ……」
そう言うと向坂は渋い顔をした。
「そうでしたか。自分も遠軽から転勤する前に、墓前にそれを報告したきりです。いずれにしても、向坂さんに今でもそこまでしてもらって、北村も喜んでることでしょう」
「でも、俺よりは一時期一緒に組んでた西田の方が喜ぶんじゃないかな?」
「いやあ、それはどうかわからないですけど……。そういうことなら何とか時間を取ってご一緒出来ればと思います」
「久慈墓苑だから、市内から車で10分程度だ。線香上げる程度なら、そうは時間もかかるまい」
「あそこだと、自分の記憶が確かなら、行き帰りに墓参りの時間も合わせて、1時間ぐらい見てりゃいいかな……。事態も逼迫してるわけではないですし、何とか吉村と一緒に行かせてもらいます。時間はどうですかねえ……、ちょっと確約出来ないですね、現時点では」
「俺なら、その日は既に休み取ってるから、朝から日が落ちるまで何時でも構わん。用意は全部俺がしておくから、そっちは手ぶらでいい。ウチから方面本部まで15分ぐらいで行けるから、その点も見込んで電話くれ」
「そうしていただけると幸いです。じゃあご好意に甘えさせていただきます」
西田はそう言うと、向坂の申し出を了承した。
※※※※※※※
翌日は仕事もあるので、ほろ酔い気分で、午後10時前には一人暮らしの官舎のアパートに戻り、西田はひとまず風呂に入った。
そうすると、自然と頭もスッキリとしてきたので、寝る前に西田は、札幌から持ってきていた手帳の束を取り出した。7年前の捜査期間中、ずっと気になったことを書き綴っていた手帳で、メモ帳と日記帳を兼ねて取っていたそれらを、改めて見返したい気分になっていたのだ。
初めて大きな事件に、管理職の立場で直接関わっただけに、当時は緊張感とやる気にみなぎっていたのは確かだった。勿論事件の大小や立場で、捜査への熱意が変わってはいけないのだが、手抜きは論外にせよ、やはり、入れ込み具合は尋常ではなかったのは確かだった。
事件に直接関係するような事柄から、どうでもよさそうな捜査時の日々の出来事まで、事細かく記載してあるのを見て、西田は当時のことを思い返していた。
「桑野と大島の不一致もあったが、米田殺害の件も経緯がはっきりしてないし、本筋とは無関係だが、マルガイ(被害者)である佐田実の謎の言動や行動もあったなあ……」
パラパラとめくる度に、日付ごとの捜査の進捗状況や西田の心境も綴られていた。
勿論、これまでもたまに見返すことがあったし、赴任直前の引っ越し荷造りの際にも見ていたが、今日の北村の話を聞いた後では、また違う感情が沸き上がって来ていたのは間違いなかった。
そしてあの日……、つまり北見共立病院銃撃事件の当日である、95年11月11日の部分は、完全に空白になっていた。基本的には、その日の終わりに記述するのが日課だったが、当日はカラオケ大会の後、北村の非業の最期を知り、精神的にも疲れきってしまって、全くメモを取る状況になかったからだ。
「あいつへの供養は必ずしないとな……」
西田はそう呟きながら、眠気が襲うまでページをひたすらめくり続けていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
4月9日、須藤から情報が入った。例の阿部が、95年の10月末に東京に居たと言う裏付けが取れたらしい。Nシステムに、阿部の所有する車が、首都高やその近辺で数日間認識されていたようだ。その上京時に、鏡と何らかの形で接触していたかもしれない? という話だった。
ただ、肝心の11月11日前後に、阿部が北見に居たことは全く証明出来ていなかった。一方で、その前後に、阿部が地元の姫路に不在だったという話の根拠は、兵庫県警の姫路署が持っていた。
阿部らしき人物と喧嘩をして怪我をしたという若者が署に現れ、姫路署の刑事課から阿部の自宅固有電話へ11月8日から11月15日までの1週間に渡り、確認のため電話したものの、全く連絡が付かなかったというものだった。結局は人違いで別人が逮捕されたため、その時には何の問題にもならなかったようだが、なるほど、羽振りが良くなっていたということも併せ、状況証拠としてはもっともな事だった。
それを会議で報告すると、吉村が珍しく問題点を指摘した。
「年齢や立場を考えると、おそらく犯行では鏡が主で、一緒に銃撃した阿部が従と言えそうですが、テープの中の、鏡? 相手の喋りの口調も、幾ら何でも、阿部とは一回り違う鏡相手にしてはぞんざいな口調というか、その点も気になります」
これについては、西田も疑問には思っていたが、構成員ではないと言っても、葵一家構成組織の上位の血縁関係者だけに、そういうことを「許す」部分があったのではないか? という考えのもと不問に付していた。しかし、やはり、縦社会である暴力団とその関係者であるとするのならば、大きな問題点と言えばそれは否定出来ない。
「例のアベと呼びかけられている奴の方のテープの音声と、こっちの阿部の声の比較はどうしてるんでしょうか?」
主任の日下の質問に、
「まだ確認してはいないはずだ。ある程度固めてからするんじゃないだろうか?」
と西田は述べるに止めた。突破口になり得るマル被(被疑者)ではあるが、色々と課題も多い対象だ。楽観視は危険過ぎた。
※※※※※※※
4月11日、三谷課長の許可も得て1時間ちょっと、北村の墓参りに行くことにした。嫌な顔をされるかとも思ったが、さすがに殉職刑事の月命日となると話は違ったようで、花代をポケットマネーで出してくれた。昼食後合流と向坂に伝えると、方面本部、北見署合同の駐車場に、約束の時間通り現れた。
久慈墓苑までは花屋に寄ったこともあり、25分程度掛かって到着した。既に外気温は10度を超えてはいたが、街中からは消えた積雪が、まだ若干墓地には残っていた。しばらく歩くと、割と立派な墓石が見え、それが北村家の墓だった。
北村の三回忌に際し、墓石を新しくしたようだと、向坂が2人に告げた。三回忌には、日程の都合が付き、参加していたらしい。
おそらく親族の手によってか、きちんと掃除されているようで、かなり綺麗だった。そのまま課長の分と自分達の分の花を手向け、ローソクを立てて火を付けた後、線香に火を移した。そして管理所から借りた、水の入った桶から柄杓で墓石に水をかけ、しゃがんで冥福を祈った。供え物は、向坂が購入しておいた、北村の好物だったという、ガラナ(作者注・北海道特有のテーストの飲み物で、コーラと似ています。興味があったら検索ください)ジュースを置いていた。
西田は一緒に捜査していた時、言われてみれば、北村はよくガラナを飲んでいたなとは思ったが、好物だとは知らなかった。聞けば、向坂も遺族から聞いたらしい。正直、もっと高いモノの方が良いのではないかと思ったが、本人が好きだったというのだからこれでいいのだろう。ひとまず墓参りを終えると、3人は再び北見方面本部へと戻ることにした。
「さすがに毎月はちょっと仕事もあるんで……」
車中で、西田は向坂から何か言われる前に予防線を張ったが、
「いや、そりゃそうだ。ただ、来たばかりでまだ墓参りしてないと思ったから……。北見に居ることだし、今年の命日は出られるといいな」
とだけ言われた。
「そこは余程のことがない限り出ますよ。出来ればそれまでに解決しておきたいところです!」
西田がそう言ったきり、墓参りの帰りだったこともあったか3人の会話は弾むこともなく、北見方面本部へと着いた。
「どうもありがとうございました」
車を降りた2人が運転席の向坂を覗きこむように礼を言うと、
「俺はもう何も出来ないが、捜査の方頼むぞ……。じゃあ、またそのうち連絡するから」
とだけ言い残し、向坂は去っていった。
「もう、あれから7年なんですよねえ……。時が経つのは早いなあ」
それを見送りながら、吉村がしみじみと口にした言葉が、西田にもゆっくりと響いた。
※※※※※※※
西田達は、組対・須藤係長からの捜査情報を待つ間、銃撃事件当日から数日以内の鏡の動向がどうなっていたか調べ始めていた。正確に言えば、捜査を「再開した」という方が適切かもしれない。
1年前に鏡の遺体が発見されて、身元と共立病院銃撃事件への関与が判明してから、鏡が犯行後どういうルートで北見から東京へ戻ったかについては、色々な憶測が飛び交った。しかし、事件発生から即座に敷かれた検問に引っかからなかったこともあり、犯行直後の北見市内での潜伏を前提に考えるのが常識的だという結論に達していたようだ。更に、7年前は周辺地域のローラー捜査をしていたのだが、漏れがあった可能性を考慮し、事件再捜査始動の際も、一応同様のローラー捜査はしていたらしい。
ただ、再捜査後は、鏡の共犯としてのアベを炙り出すため、アベ姓の調査に全力を注いでいたらしく、ローラー捜査が、実態としておざなりになっていた可能性もあったので、西田は更にしっかりし直そうという意図を持って、今回の捜査に当たることにした。
まず、7年前の検問やローラー作戦の捜査状況を検証する分には、事件発生直後に検問態勢が敷かれたので、少なくとも、北見市外へ出る大きな道路を通って抜けたとすれば、免許の偽造など以外は、到底無理だっただろうことは確かだった。同乗者からトランクまでしっかりチェックするので、下手に隠れていてはバレるし、遠く離れた本州住所の免許などを提示すれば、それだけでマークされかねない。勿論車のナンバーもチェックするので、盗難車であればすぐバレる。
結局のところ、普通であればまず当日から、北見市内の検問が終わった翌々日までの間に、検問をすり抜けるのは容易ではないと、当時の捜査本部は判断していた。一方で、徒歩などで目立たない狭い住宅街の道路や山林を抜けられていたら、これはどうしようもないと考えてもいた。
また、JRも北見周辺の各駅にすぐに警官が配置され、道内から出る函館駅でもチェック態勢を整えていた。翌日からの女満別空港(既に当日は最終便は離陸済み)中心に道内の空港、また本州方面へのフェリーがある港では、鉄道以上にチェック態勢が厳しかったので、これも数日間は脱・北見・脱北海道は簡単ではなかったはずだ。
そこで、ある程度の間、実行犯は北見市内に留まっていたのではないか? という前提で、病院からの逃走に使われた車が放置された近辺で、事件後に、周辺の、特にアパートなどをローラー作戦で洗っていたわけだ。だが、事件発生当時は全く怪しいモノは出て来なかった。これは1年前の再捜査でも同様だった。
西田はそれを踏まえ、鏡自身が土地鑑(勘)がほとんど無さそうな点を考慮すれば、土地鑑のある協力者がいたにせよ、やはり、しばらく沈静化するまで市内のどこかに居たのではないかという考えに結局は至っていた。7年前の事件発生当時は、西田と吉村はそちらの捜査に従事していなかったため、どの程度詳細に捜査したかを具体的に判断するには、当時の捜査資料を見直すしかなかった。
それによれば、車が放置された空き地から半径2キロメートル以内の、アパートや単身世帯用の賃貸マンションなどを中心に洗っていたらしい。しかし怪しい居住者は居らず、空振りに終わっていた。
逆に言えば、それ以外の場所はまともに捜査していなかったということでもあり、1年前の再捜査後もそれと同じだろうと思っていた。しかし、そもそも時間が経ちすぎているので、再捜査の際は、あくまで7年前当時の捜査リストを再チェックしたに過ぎなかったようだ。
西田の指示で、7年前の時点の住宅地図を中心に、半径4キロ(つまり早歩きで40分程度)までリストアップし、不動産屋、大家、管理会社などを当たってみることにした。当然、かなり時間はかかるが、どうせやれることは限られているので、出来ることをコツコツと地道にやるしかなかった。
※※※※※※※
4月19日、察庁・組対・係長の須藤から、阿部晋也に関しての情報が入った。思惑が外れ、完全にシロというモノだった。連絡が付かなかった間、阿部はハワイへ行っていた。姫路署が別件で阿部をしょっ引いて詰問した結果、阿部にそれを主張された。これは大阪入国管理局で記録に残っていたので裏付けも取れていた。
羽振りが良かった理由については、一緒にハワイに行った古着屋の友人から、ビンテージアロハを日本に持ち込む手伝いという話をしていたが、それについてはまだ裏付けは取れていないということだった。ただ、仮にそれが嘘だったとしても、少なくとも実行犯として北見で銃撃事件を起こすのは、入管の記録から物理的に不可能というわけだ。東京での行動など、阿部晋也にまつわるいくつかの怪しかった話も、その時点で全て無意味になってしまった。結局、またもやアベの謎は残ったままになった。新たな希望もすぐに潰えてしまったのだった。
潜伏先捜査のためのローラー作戦も、虱潰しにやっているとかなり時間が掛かり、成果も出ない状況が続いていた。西田は、そんな状況を把握しつつ、地図とにらめっこしながら、色々と思索していた。
そんな中、車が乗り捨てられた空き地から1キロから2キロ程度離れた場所に、大島海路の北見事務所があったことに気付いた。捜査本部を指揮した当時の首脳陣は、大島の関与を疑ってはいたし、また捜索範囲内でもあったが、大島の直接の支配下で匿っていると考えたところで、確実に居ると言う確証でもなければ、手出しできるはずもなかったわけだ。
もし、大島の手の者が鏡と共犯者を車で回収し、大島の事務所でしばらく匿ったとすれば、それはもう警察の捜査の及ばない部分だ。西田は、まさかとは思ったが念のため、当時の検問態勢が時系列でどのように敷かれたかの資料を漁った。すると、市内の端の検問は早かったが、市中の検問までは、事件発生直後から30分程度掛かっていたことに着目した。
これは捜査ミスではなく、第一に市外へ逃れられるのを避けるための定石に近いやり方だったが、市内の割と中心部に近いところに、万が一「安全」な場所があったとすれば、裏目に出たとも言えた。
大島が事件に関与していたとしても、実行犯の逃亡まで直接的に助けるという発想が、佐田実の事件の成り行きを考慮する限りは出てこなかったことも、要因の1つとしてあったかもしれない。佐田の事件で、大島はあくまで周辺にチラチラと存在していたに過ぎなかったからだ。
7年前の時点で、佐田殺害において、実行まで深く関与した伊坂大吉を始めとする伊坂組関係には、銃撃事件でも関与していた可能性を少しは考慮していたものの、伊坂組関連の社屋含めた施設、伊坂の自宅等は、市内からは少し外れにあり、検問を設置した場所とかなり近かったという点で除外されていた。
「ひょっとすると、考えが甘かったかもな……」
西田は、自分が直接捜査指揮していなかったとは言え、大島の関与を疑ったなら、そこまで徹底すべきだったと臍を噛む思いだった。もう今更どうやっても、大島の事務所関係者に聴取するわけにもいかないし、証拠もおそらくない。
但し、国会議員の事務所に、「怪しい」と言うだけでガサ入れすることが、現実に可能かどうかと問われると、やはりそれは「ノー」だと認めざるを得ないという現実があった。
こうなると、打つ手はどんどん狭まってくる。倉野の計らいで、捲土重来を期して北見へ戻った西田だったが、元々行き詰っていたとは言え、就任早々壁にぶち当たった格好だ。
「遠賀係長! 鏡の殺害の方、犯人で愛人だったホステスから、俺らの事件の聴取はどうなってました?」
西田はそのことを考えても時間の無駄だと思い、唐突に、遠賀に尋ねていた。
「どうなってたかと言われましても……」
実直な遠賀は、思い付きで西田に質問され困惑して聞き返した。
「曖昧な言い方で失礼! 鏡の95年当時の動きについて、犯人のホステスが何か知ってたんじゃないかと思って……。ただ、俺は未だ具体的に聴いてないもんだから……」
「ああ、それですか。本庁(警視庁)の方も聴いてくれたらしいんですが、報告では、何せホステスが鏡と付き合い始めたのが97年の夏ですから。事件当時のことは知らなくて当然でしょう」
「97年か……。ったく何もかも使えんな!」
遠賀からの期待出来ない報告に、舌打ちした西田だったが、吉村が、
「でもねえ、所詮他人事でしょ? 本庁の方からしたら。聞き漏らしてることなんて普通にあり得るんじゃないですか?」
とアドバイスした。
「そうか……。これだけ壁にぶち当たってる以上は、直に聴取してみる価値はあるかな?」
「課長補佐のお気持ち次第じゃないでしょうか」
年上の遠賀だが、西田の独り言に近い問い語りに対し、相変わらず丁重に返答した。
「気持ち次第か……。予算は大丈夫だったかな?」
「問題ないです」
遠賀が即座にそう言ってくれたので、タイミング的には
「じゃあ行ってみるか」
と西田はスムーズに決断出来た。
※※※※※※※
4月23日午後、西田と吉村は、葛飾区は小菅にある、東京拘置所を訪れていた。拘置所の都合もあり、すぐ聴取という訳には行かなかった。
聴取の相手は、「相葉 淑子」32歳。鏡殺しでの、地裁の懲役8年の判決を不服とし、高裁に上告していたので、未だに拘置所に入ったままだった。共謀して殺害遺棄したクラブのボーイは懲役8年を受け入れ、既に刑務所に収監されていた。
女区(女性が収監されている区域)のある庁舎へと入り、手続きをして面会に入る。面会室に現れた相葉は、化粧っけこそ当然ないものの、さすがに元ホステスというだけあって、色気あふれる美人だった。
しかし、西田と吉村を見るなり、不貞腐れたような言葉を投げつけた。
「一体何の用よ!」
2人は、未だ自己紹介すらしていない状態だったので、それは無視して、
「どうも。北見方面本部捜査一課の課長補佐西田と、こいつは主任の吉村。今日は鏡が昔犯した犯罪について、色々聴きたいことがあるんで、ちょっとお邪魔したんだ。お忙しいところ申し訳ないね」
と皮肉を交えて伝えた。
「それ、警視庁の刑事連中にもしつこく聴かれた話? だったら知らないわよ! 私が付き合う前のことなんでしょ?」
相変わらず視線を斜め下にそらしたままの様子で、恵まれた容姿も色気も台無しになるような口の悪さだ。ただ、本庁側もちゃんと聞いていてくれたことは、期せずして理解出来た。
「まあまあ。そう機嫌を悪くしないでもらえんかなあ。折角の美人がそんな態度じゃもったいない」
西田はそうご機嫌取りの言葉を口にしたが、相手には微塵も影響していないようだ。拘置所より時間指定があったこともあり、これ以上無駄な時間を掛けるわけにも行かず、2人は本題に入ることにした。




