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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
明暗
64/223

明暗43 {44・45合併}(211~212・213~214 東京 小柴元都議聴取編2)

「そこをもっと教えていただきたい」

竹下が食いついてきたので、

「どうもさっきから話していると、桑野というか大島海路に何か問題があるのかね?」

と、覗きこむように怪しんだ。

「いや、それは何とも……」

竹下は口ごもったが、

「汚職? いや、そしたら道警じゃなくて東京地検だよねえ」

と刑事達の出方を窺うようにしながら、

「まあ、細かいことは今はいいでしょう……。議員になってからの彼は、私から見ても明らかに調子に乗っているような気がするから、ちょっとお灸を据えられるぐらいがちょうどいいかもしれない。彼は師匠の『海東イズム』を捨てたと言われても仕方ないのだから……」

と喋った。「海東イズム」なる言葉は2人には意味不明だったが、そんなことより気にすべきは、既に捜査対象がバレたことだった。しかし、ここから下手に取り繕っても仕方ない。

「大変申し訳無いんですが、この件は他言無用ということで……」

竹下は気まずい表情をしたが、

「まあ、事情ははっきりわからないけれども、そういうことなら仕方がない。こう見えて、結構口は堅いんだよ。だからこそ、地方議会とは言え、都議会議員を何十年もやれていたんだ。そもそも私が彼と会ったのはもう10年以上前の、私の都議引退パーティーまで遡るから、告げ口する機会すらないのが実情だよ」

と余裕の表情で約束してくれた。


「それでだね、当時はまだ民友党ではなく、私も海東さんも合併前の民和党の党員でね。民友党になったのが、昭和30(1955)年に民和党と議友党が合併してからだから。それで話を戻すが、彼が政治に強い興味があるというから、北海道の網走の方の選挙区から国会議員になっていた海東さんを紹介したわけだ」


 ここまで聞いて、さっき、「網走をご存知」と聞いたことが竹下は恥ずかしくなった。海東の知人なわけだから、そりゃ網走も知っているはずだ。

「桑野……いや多田は、当時から政治家になりたかったんでしょうか?」

竹下が聞くと、

「どうだろう……。政治に興味があるとは言っていたが、政治家になりたいという、直接的な言葉をその時に聞いた記憶はないよ」

と答えた。となると、国会議員になったのは、運が良かったのだろうか……。


「ところで、海東匠議員とは、同じ政党の所属ということだけでの知り合いだったんですか?」

続けて黒須が竹下の聴きたいことを聞いた。

「いやあ、実はそれはたまたまというか……。実はね、海東さんは私と同じ東京帝大の農学部出身なんだ。同じ研究室から『農商務省』、あ、さっきの農商省ってのは、戦中に一時期改名した時の短い期間の省名だったんだけれども、そこに入省した先輩というわけだ。彼は私より一回り上で、僕の在学中もOBとしてちょっと面識はあったんだが、特に入省してから世話になってね。元々札幌出身で、戦前に農業の研究施設などの長として網走などに赴任していた。そっちの名士なんかとの交流もあった関係で、請われて、帝国議会衆議院の国会議員になったんだ。私から見ても、道産子らしいと言うのかな? 豪放磊落ごうほうらいらくでありながら清廉潔白な人でね。あんな立派な大立者はそうそう出てこないよ。エリートなんだが、人当たりも良かった。だが、不正や巨悪には頑固なまでに立ち向かう人だったな……。大正デモクラシー、いや、当時はそういう言葉はなかった(作者注・大正デモクラシーなる言葉が出来たのは戦後のことです)が……、そういう中で青春時代を過ごした人だから、文字通りリベラルな人だったんですよ。戦中の大政翼賛会にも参加しないで選挙に出たぐらいでね(作者注・正確に表記するのであれば、「翼賛政治体制協議会より推薦を受けずに選挙に出た」が妥当です。このパターンの議員に、安倍寛【安倍晋三総理の直系祖父】、三木武夫などが居ます。安倍晋三氏の祖父と言うと何故か岸信介しか話題になりませんが、直系としてはこの安倍寛が祖父といえるでしょう)。色々睨まれることも多かったようだけれど……。戦後は軍部やマスコミ、果ては民衆のエスカレートする狭量なナショナリズムを止められなかったことを、かなり悔いていたな。エリート層なりの責任を感じていたようだ。とにかく、こういうところを、海東さんをよく知る人間は、『海東イズム』と呼んでたわけなんだ。まあ自分で言うのもなんだが、海東さんの人当たりの良さと清廉さ、そして一徹なところは、自分には終始足りないところだったな……」

小柴は自分の欠点を理解はしていたようだったが、ここまで来てしまった以上は、終生それを直すには至らなかったということなのだろう。そして、「海東イズム」なる言葉の意味をここで2人は初めて理解した。


「とにかく、それで小柴さんが口を利いてあげたということなんですね」

竹下が確認すると、

「そういうことだね。ただ、紹介すると言った時には喜んだが、すぐ後で海東さんが北海道の議員だと知ると、いきなり断ろうとしてね。僕としては、『なんだ恩知らずだな』と思ったんだが、まあその後撤回して、東京の議員の宿舎に通って、海東さんを助けるようになったというわけだよ。海東さんの議員としての力もさることながら、人柄を知って、改めたんだろうなあ」

と懐かしそうに語った。


 ただ、当時の桑野、いや多田靖が海東に師事することを躊躇したのは、間違いなく、「色々あった」北海道という場所から一度離れていた彼にとって、再び北海道と絡むことは避けたい意識があったのだろうと竹下は読んでいた。それでも尚、海東に付いて行くことにしたのは、その方が将来性があると、メリットとデメリットを比較して覚悟したのかもしれない。勿論、それが海東匠の後を継ぐという「大それた」野望故の行動だったのかは、この時にははっきりしなかったが……。


 ともかく、戦後の桑野欣也の支離滅裂な動きには、小柴による海東への紹介という、偶然が左右した可能性が高いと、この時竹下は考えていた。多田への改姓、道東を地盤とする海東への師事、この2つは意図せずに桑野欣也に作用した可能性を考慮する必要が出て来た。桑野の思惑と完全に無関係な運命により、大島海路へと変貌していく流れを、なんとなくだが竹下と黒須は把握しつつあった。


「大学時代はそのまま桜さんの下宿から、東京での海東の手伝いをしながら、卒業後は秘書として、という形で?」

「竹下君、その通りだ。それで僕の選挙も手伝ってくれたりしたんだが、翌年だったかなあ。海東の有力支援者の娘さんとの縁談が急に持ち込まれた。確か地元の大きな旅館の娘さんだったはずだ。夏休み中に、何度か北海道の地元選挙区の方に海東さんに付いて行ってたんだが、その時に気に入られたらしい。ただ、婿養子に入るという前提だったから、すぐに決められるようなもんではなかったわけだ。何しろすでに桜さんの養子になっていたわけだから、それが更に婿養子となると、そうは簡単じゃないよな。でも彼も悩んだ末に、最後は意外と乗り気になってね。『桜さんの後はどうするんだ』と僕が聞くと、『申し訳ないが、自分も結婚したいんです』とかなんとか……。確かに奥さんになった女性は結構美人だったし、婿入り先は結構な資産家だったようだから。一方の桜さんは義理の息子に任せるということで、余り気にしていなかったので、揉めたということはなかったようだね。『跡取り』としての養子というより、家族にしたいという意味での養子だったから、そういう意味で桜さんは気にしなかったということだったんだろう、今にして思えば。僕としては筋が通らないような気がして気分は悪かったがね」

そう言いながら少し渋い顔をした小柴に、

「婿養子に入るということは、多田、いや田所靖はその後北海道の方へ?」

と竹下が聞くと、

「いや、さすがに、その時点では桜さんを一人置いてということにはならなかったな。婿養子と言っても、彼に旅館の後を継いでもらうというより、2人の間に出来るであろう子供に跡取りになってもらうという意味が強かったようだよ。結局は2人の間に男児は生まれず、3人の娘の2番目が婿を取って旅館を継いでいるような話を、風の便りに聞いたぐらいかな……。とにかく、そういうこともあって、祝言を上げた後は、カミさんが北海道からこっちに来てたな。しばらくは奥さんと田所姓になった大島が3人で暮らしてたようだ。嫁姑の間も悪くなかったが、まあ年齢もあってね、昭和35年に桜さんが往生したということになる」

それを聞いていた竹下は、婿養子話も、当初は完全に桑野の意図しないものだった可能性が高いと認識した。その上で、それを利用するメリットが上回ったのだろうと、より強く思うようになった。


「その後、大島はどうしたんですか?」

黒須が続きを要求した。

「それでこの後から、彼にとって更に人生は急展開することになるんだな、これが……。当時、この一帯は……、ドーナツ化現象やバブルもあって、今じゃ少なくとも『住宅地』としては見る影もないが、住民がどんどん増えていてね……」


 小柴は暗い表情になった。確かに戦前から焼け野原を経て、現在のバブル崩壊まで、この街の『首都の一等地』という地位は不変だったのかもしれないが、『人が息づく街』としては確実に凄まじい『栄枯盛衰』があったはずだ。

「そんな状況もあって、当時、地域住民のための施設が必要ということになったわけだ。地元選出の僕としても、これは頭の痛い悩みだった。なにしろ用地がないんだよ、建てる土地が……。購入しようにも価格が上昇していて、予算上も問題があった。ところが、それを相談した海東さんが思わぬことを言い出した。『田所は、お義母さんが亡くなったんで、近いうちに地元の網走付き秘書に配置転換しようと思うんだが。どうだろうか、彼の相続した土地に、現状の建物を取り壊して建てさせてもらったら? 借地料は多少まけてくれるだろう。そこは僕が頼んでもいい』とね」

「なるほど、それで公民館が多田桜さんの土地だったところに建ったわけですか……」

竹下は結論を先に言ったが、直後にしまったと思った。そんな当たり前のことを言ってしまっては、その過程の詳細な話が聞き出せないおそれが出てくるからだ。

「そうそう」

と小柴が言った後に、

「あ、すいません、結論が出るまでの間の話も詳しくしていただけますか?」

と言う羽目に陥った。

「間の話か……。まあいいだろう。実際、かなり良い解決方法であることは間違いないから、僕は海東さんに彼に聞いてみてくれるように頼んだ。こう言っちゃなんだが、海東さんから言った方が、良い答えを引き出せると思っただな。考えようによっちゃ、無言の圧力的なものを期待した、少し汚いやり方だ。海東さんにそのつもりがなかったとしてもだ」

実際に竹下は、いや黒須も「それは実際にあったかもしれない」と思ったに違いないが、黙って聞く。

「そうしたらだ。何と大島は、『相続した土地と建物をそのまま千代田区に寄贈させてもらいます』と言い出したというんだな君!」

そう大げさに語る小柴だったが、既に区役所でその事実を知っていた2人は、どうリアクションしていいか、難しい判断を迫られた。

「ほう、それはまた大胆な決断をしたんですね」

こういうのは黒須の方が竹下より上手い。その場で上手くいなした。

「そう。こっちとしても財政に負担掛けずに、ある意味『手柄』をあげたわけだよ。都にも区にも、地元住民にも自慢できる結果だ。大変助かってね。僕としても海東さんにも、勿論、多田、否、田所にも感謝したもんだ。選挙もこれで安泰ってことだから。さすにが海東さんが、そこまでするように言ったことは考えられないから、自発的なものだったんだろう。そう考えるに至った理由は不明だけれども」

当時のことを振り返っているが、まるで今のことのように嬉しそうな小柴だった。


「しかし、大島はまた大胆なことをしたとしか思えないです。幾ら昔とは言え、高度経済成長と絡んで、不動産の価格もかなりの額になってたんじゃないですか? 下宿をしていたとなると、それなりの広さもあったと思いますが?」

竹下は当然出てくる疑問を口にした。

「正確な当時の値段は僕にもわからないが、土地が100坪以上あったのは確実だから、今ならバブル崩壊とは言え、10億以上は土地だけで行っても不思議はなかっただろう。思い切りが良いと言えば良いね」

そう言うと、パイプを燻らせた。それにしても、現在価格で考えれば、「思い切りがいい」の一言で片付けられるような額ではない。

「今の大島からは想像も付かないですね」

黒須が苦笑いすると、

「つまり、今の強欲な大島海路からは考えられないということかい? まあ政治に長く関わってくると、打算で動くようになるのは必然なんだよ」

と諦め気味に悲しそうな表情をして言った。

「必然ですか?」

「ああ必然だ。僕も残念ながら御多分に漏れずという奴だな。ああ、海東さんは違ったが……。自分も海東イズムを見習って、そうあってはならないと注意はしてきたはずだったがね……」

そう言うと、東京、いや日本の経済発展と共に戦後を生きてきた、生き字引のような老人は苦笑した。


「そして、大島は海東の地元へと旅立ったわけですか」

「竹下君、その通り。それからは早かった。奥さんとしては、故郷に戻るわけだから嬉しそうだったが、大島は余り嬉しそうではなかったな。アルバイト秘書時代に既に何度か現地に行っていたのだが、やはり本格的に住むとなると話は別だ。不安もあったろう」

「なにか小柴さんに、そこら辺について語ってました?」

竹下はそこをもうちょっと詳しく聴きたいと思っていた。

「『その時』は特に何か言っていたとは思わないよ」

小柴はそう答えたが、「その時」にちゃんとした意味が出てくることを、刑事達はすぐ後に知ることになった。


「でも、『損して得取れ』じゃないが、大島はその『寄贈』で大きな見返りを得ることになったからね」

「見返り?」

「そう見返りだよ、見返り!」

黒須に向かって強調すると、

「そのことが、海東さんが自分の後継に「田所靖」を指名する大きなきっかけになったんだ」

と言った。

「そうだったんですか!?」

竹下はこれについては想定しておらず、率直に驚いた。

「そうだ。海東さんは、かなりの相続財産を公共のために供した彼の行動が、自分の地盤を継がせる決断をさせたと言っていた。言わば海東イズムの継承者にふさわしいということだったんだろう。実際、役人経験もなく、地方議員すら経験していなかった田所を、いきなり国会議員候補にするということは、当時の政治の常識でも、まずありえなかったことなんだ」

「大島は地方議員経験もなかったんですか?」

竹下の予備知識でも、それはインプットされていなかった。

「だって君、彼が初当選するのは、それから数年後、えーっとだね、確か昭和38(1963)年だったかだよ。そんなことをやっている物理的時間なんてないだろ?」

全く以ってこれ以上説得力のある理由が思いつかないほどの回答だった。

「しかし明らかに準備不足というか、話が急展開し過ぎに思えます。海東さんに何かあったんですか?」

「うん、良いところに気が付いた。実は海東さんは心臓が元々丈夫ではなかったが、医者からもう無理はしないほうが良いと、確か昭和35(1960)年だったか……。その選挙が終わってから数年後に言われたそうだ。子供も娘3人で、当然議員になるつもりなんてなかっただろうし……。ああ、ちなみに海東さんの3番目の娘さんは、海東さんが40越えた時に出来た娘さんでね。大変可愛がっていたな……。名前は理科の理で理子みちこと言ったっけ。道理の理から取ったと言っていたのを思い出すよ。如何にも海東さんらしいネーミングだが、『名前の通り真っ直ぐな子で、俺に似た』とか、海東さんらしからぬ親馬鹿ぶりな発言があったりしたのを、今の事のように思い出す……。まあ、さすがに猫かわいがりのような甘やかしはしていなかったが、より愛情を掛けていたのは間違いない……」

思い出したようにニヤつく小柴だったが、すぐ真顔に戻り、

「おっと話が逸れてしまった。スマンね……。それで、それ以前に海東さんはそういう世襲みたいのが好きじゃなかったから、他の適切な人物に地盤を譲るつもりだった。当初は地元の道議会議員に譲ろうとしたんだが、女性問題が発覚したそうだ。そうなると、自分の秘書の中からと言う話になったが、一番のベテラン秘書が辞退して、あ、この人も仕える海東さん同様、かなり真面目な人だったから、恐れ多いという心境だったのかもしれない。それでどうしようかという話になった。そこにその『寄贈』話が出て来た。確かに年齢はともかく、田所の秘書としてのキャリアも全く足りていなかったが、人に好かれる才能は間違いなくあったし、さっきも言ったように『善行』をする度量もあると、思い切って跡を継がせることにしたらしい。僕もさすがにおかしいと思って、東京に居た海東さんに直接聞いたから間違いない話だ。そして厳しい選挙になったが、『海』東匠の『路』線を継ぎ、海東さんの所属していた派閥の長である大島憲一首相から『大島』の姓を選挙用の通名として戴き、『大島海路』として、当時の選挙区で最下位ながら当選したんだな。地盤を継いだとは言え、経歴的に疑問視されたのは仕方ない。そこから、今の彼の立場まで上り詰めた、そういうことだ」

と説明してくれた。


 小柴により、桑野欣也が桑野靖になり、それが多田靖となって、更に田所靖から大島海路と変貌していった経緯が明らかになった。

「いやあ、わらしべ長者じゃないが、凄い出世劇ですね」

黒須はある意味感嘆していた。

「わらしべ長者か……。言い得て妙だな」

それを聞いていた小柴も感心した様子だったが、

「でもねえ、本人は初当選した直後、初の登院後に我が家に挨拶に来た時には、あんまり喜んでいなかったなあ」

と思い出したように語り出した。

「いやいや、それはおかしいですよね? どう考えても前途洋々じゃないですか?」

竹下が聞くと、

「うむ、普通ならそう思うだろう」

とパイプを燻らせてしばらく黙った。2人は口を開くまでひたすら待った。その間1分程度だったと思うが、やけに長く感じられた。そして、小柴はパイプを置くと重い口を開いた。

「実を言うと、僕もはっきりしたことは聞いてないんだ。記憶がないというより、明確に聞いていないと言える。彼ははっきり言いたくなかったんだと思う」

「じゃあ理由は全くわからないということですか?」

竹下は残念そうに言った。可能性が高いわけではないが、そういう部分に何か糸口があるかもしれないからだ。

「それもまたちょっと違う……。口を濁したような言い方だったから」

「何と言っていたんですか」

竹下はなおも食い下がった。

「君もなかなかしつこいねえ。警察にお世話になったことは人生で一度たりともないが、本当に良かったよ。さっきの桜さんへの下衆な推測しかり……。容疑者でもないのにこれじゃあな、ははははは」

小柴は高らかに笑った。しかし目の前の2人が恐縮しているのを見て、少し笑い過ぎたと反省したか、再び真顔で話し始めた。

「それはともかくだ。彼はこう言っていた。『今だから打ち明けるが、実は自分は以前北海道に一時期居たことがあって、必ずしも良いことばかりではなかった。しかし、小柴さんから紹介された海東先生が、北海道選出の議員という縁もあって、そして結婚もしたことで、再び居を構えることになった。そこで後継に指名されるという幸運も得たが、同時に以前の嫌な思い出が、選挙期間中に再び蘇った。当選したが気分が晴れない』と言ったようなことを語っていた。その『嫌な思い出』とは何なのか、彼は聞いても答えなかった。とにかく、1年近くは、余り選挙区に戻ることもなかったようだな。新人議員としては失格な態度だ。その後は精力的に戻るようになった」

「その悩みというか、そういう状況は、議員を重ねる内に解消したんでしょうか?」

竹下は更に追及した。

「少なくとも2期目以降にはそういう態度はなかったと思うよ。解決したかどうかはともかく、気にするほどではなくなったのか、図太くなったのかは不明だがね」


 この小柴の弁を聞いて、竹下はその「嫌な思い出」とは、伊坂大吉との遭遇ではないかと直感した。「選挙期間中」という表現から、道東の選挙区を回っていた間に、伊坂に「大島海路」が「桑野欣也」だと見ぬかれたのではないか、そして接触してきたのではないかという推理をしたのだ。勿論接触とは、ある種の脅迫であった可能性が高いと睨んだ。


「ところで、ちょっと話が変わりますが、海東匠議員は、清廉潔白という評価の方ですが、当然地盤には、そういう点を評価した支援者が多かったと見て良いでしょうか?」

竹下の突然の話題の転換に一瞬ためらったが、

「はい? ……うーん、まあそう言っても良いのではないかな。僕も直接支援者に知己がいたわけではないから、あくまで推測だが」

と自信なさげに言った。

「そこは別に確定事項としておっしゃらなくても構わないですが、そういう可能性があるということですね。わかりました。一方、大島海路は、今では所属派閥同様、金権体質の権化と批判されることが多いようですが、そういう傾向には何時頃から? 少なくとも議員になる前には、そういう兆候はなかったと見てよろしいですね?」

竹下は更に畳み掛けた。


「まあそうだな、議員になる前までは、寄贈の経緯を語るまでもなく、そういう人間ではなかったと思う。一方で、その変質というか変貌を感じ始めたのは、割と早い段階だったように記憶している。1期目の後半には、なにやらきな臭い噂を聞くようになった。行政に口先介入しているとか何とか。実は2期目の選挙はかなり危なかったのだよ。1期目は知名度の無さからの最下位だが、2期目は、噂では海東匠の地盤が揺らいだことによる危うさだったらしい。つまり純粋に海東さんの人柄で投票してきた支援者の一部が、そういう大島の行動で離れたんだな」

小柴はしみじみと語った。

「しかし、その後は盤石の選挙での強さを発揮しているわけですから、支援者の層を入れ替えてきたとも言えるわけですか? いわゆる利権導入型として」


 この質問は、正直捜査には直接関係して来ないものだったかも知れない。だが、大島海路という人物の地域権力掌握の流れと、竹下の推理である「伊坂との接触による変貌」を、時系列的に結びつけて考えられるかどうかを確定しておきたいという竹下の考えから出たものだった。


「うむ。なかなか良い分析だね。多分そうだろう。海東イズムを捨て去り新たな『手法』を手に取ったわけだ、彼は……。勿論、議員になるということは、どうしても支援者や地域への利益導入とは無縁でいられないことは、僕も経験上はよくわかっているが、彼のやってきたことはそれ以上だからね……。度が過ぎたものは政治を……そして道理を曲げる」

小柴はそう言うと、静かに目を閉じた。


「それにしてもあっという間ですね、人が変わってしまうのは……」

黒須が残念そうに言ったが、「伊坂との出会い」により、少なくとも初期はそうせざるを得なかったのではないかと言う考えを持っていた竹下と違い、そこまで考えが至っていないようだった。


「大島とは、その後はどういうお付き合いを?」

沈黙が続いたので、竹下は余り意味はないが、場を繋ぐ質問をしてみた。

「僕自身は、彼に特に何か苦言のようなものを言ってきたつもりはないし、そもそもほとんど会うこともなかったが……、どうも彼の方が僕を避けているようだったな。彼が議員になってからは、初期にはそれなりの頻度で会っていたものの、当選回数を重ねるにつれ、どんどん会わなくなってね。忙しくなったという以上に、やはり避けられていたんだと思う。最近は全く会ってない。これは僕の勝手な憶測だが、海東イズムをよく知るだけに、海東さんの跡を継いだ彼自身の『不甲斐なさ』を、彼なりに内心強く恥じているのではないか? そう思ってるよ。さっきも言ったが、一番近いところでは、15年ぐらい前の、自分の都議引退パーティーに、『義理上』仕方なかったんだろうがやってきて、挨拶を受けたが、まあ心のこもっていない形式的なものだったな……。これについては、『会わせる顔がない』というだけでなく、あちらも国政での『お偉いさん』として扱われる立場になったわけだから、残念ながらちょっと見下されたのかも知れない……。ただ、自分にもその手の態度が政治人生において一度たりともなかったとは、振り返ってみて到底言えない。やはり因果は巡るということかな……」

そう言うと、小柴は庭の方にチラッと視線をやり唇を噛んだ。

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