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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
明暗
63/223

明暗42 {42・43合併}(207~208・209~210 東京 小柴元都議聴取編1)

 その時、携帯に西田から電話が掛かってきた。

「竹下? スマン! 例の選挙公報だが、出身大学しかわからなかったわ。鳴鳳めいほう大学法学部らしい」

上司のその一言に、

「大学しかわからない? どういうことですか?」

と思わず確認した。

「公職選挙法じゃ、選挙公報については、何を載せるかは候補者に委ねられてるから、学歴も出す必要はないんだそうだ。嘘はいけないが、何を出すかは候補者次第ってことだ」

それを聞くと、

「あちゃー、そうだったんですか……。公職選挙法についてよく知らないまま頼み事しちゃってスイマセン」

と謝罪するしかなかった。

「いや、それは仕方ない。少なくとも卒業した大学は鳴鳳だから、東京で確認しておいてくれ。法学部を昭和29年卒業だそうだ」

「虚偽ということはなさそうですが、29年に卒業となると、当時の「多田靖」名義での卒業ということになるのかな?」

「それは俺に聞かれても困る。そっちでやってくれ……。おっとそうそう、出身については岩手県と明記してあった。それだけだ」

西田はそう言ったが、ちょっと冷たい言い方だったかと思い直し、

「とにかくそういうことだから、申し訳ないがよろしく頼む」

と言い直した。


「わかりました。こっちは千代田区役所で聞き込みやって、昼過ぎに当時の事情を知っているかもしれない老人に聞き込みです」

「ほう。それで区役所では何かわかったか?」

「養母の多田桜が、昭和35年に死去して相続した土地と建物を、すぐに千代田区に寄贈したそうなんですよ」

「へえ……。さっき選挙公報の絡みで確認したんだが、大島海路が初めて国会議員になったのが昭和38年、つまり1963年の11月の総選挙だったそうだから、その前だな……」

西田がそう言うと、

「係長は何か気になったんですか?」

と、竹下は西田が何か思う所があったのかと尋ねてみた。

「いや、ただ年代が近いなってだけ。それだけだよ」

西田は率直に答えた。

「それならいいんですけどね……。こっちはそういう状況なんで、また何かわかったら連絡します。大学の件は今日はちょっと無理かもしれないです。例のシャルマンにも夕方から出かなきゃならないんで」

「わかった。課長からは期限区切られてないんだろ? 焦らずしっかりやってくれ!」

「はい。高垣に会えるまでは徹底してやりますよ!」

「じゃ、そういうことでよろしく」

西田は素っ気なく事務的な言葉だけを伝えたが、かなり長期戦になる可能性もあり、内心では「頑張ってくれ」としか言いようがなかったのを誤魔化すためでもあった。




※※※※※※※


 会話を終えた竹下に、黒須は

「学歴、大学以外はダメだったみたいですね……」

と聞いてきた。会話で察したようだ。

「ああ。公職選挙法上、学歴は別に必要記載事項じゃないらしい。うろ覚えで係長に手間取らせちまったよ。それから岩手県出身と公報にちゃんとあったそうだ。それが想定外の収穫かな……」

力なく笑った竹下に、

「そうでしたか……。まあたまには係長にも苦労してもらっても……」

と部下は半笑いで応じた。

「係長も課長も部下に辛いタイプじゃないだろ?」

「それもそうでした」

竹下にやんわりと注意されると、黒須は舌を出した。


※※※※※※※


 そして竹下は政治関連の書籍の棚の前に来ると、真剣に端から端までチェックし始めた。

「何探してるんですか? 何なら手伝いますよ」

「手伝ってくれるなら、高垣真一が書いた本を探してくれ! まずはそれからだ」

竹下の一言に、

「それが目的でしたか!」

と合点が行ったとばかりに黒須も棚を漁り始めた。

「でも、普通の本屋でも売ってるでしょ? わざわざ古本屋漁りしなくても」

と疑問を口にした部下に、

「古い本を読んでたと思われたほうが相手に気に入られて、色々話しやすくなるとは思わないか? 最近の本読んでるとか言う読者より、嬉しいもんだと思うがな」

と言うと、

「それもそうですね」

と如何にも感心した風だった。


 そうやって探していると、5タイトル程2人は探しだすことに成功した。1981年出版の「実録・談合血風録」、1985年出版の「告発違法投棄」、1988年出版の「見逃された告発・愛媛県警の原罪」の3冊が古いものらしく、それぞれ一冊しかなかった。正確に言えば他にも2冊程あったが、複数冊在庫があったことと、出版年代が若いこともあり、おそらくはかなり売れた部類のものなのだろう。3冊は値段も定価以上でプレミアが付いていたことから見ても、絶版本の可能性が高く、これを読んでいたら著者としては「書いた甲斐」があると思うはずだった。


 とは言え、売れただろう本も読んでいて悪いことはない。竹下は5冊全部を購入し、店を出た。因みに、竹下は最近の高垣真一の顔を認識していたが、作者紹介欄にあった若い頃の写真を見ると、如何にも血気盛んなジャーナリストという風貌だった。今は小太りで余りそういう印象がなかった故に対照的だった。


 そのまま、サラリーマンが昼食に出てくる前に、書店の近くの蕎麦屋に入り、天ぷら蕎麦を2人は注文した。戦の前の腹ごしらえは完璧に済ませ、頃合いを見計らって店を出て、千代田区役所の職員に教えられた住所へとタクシーを走らせた。


※※※※※※※


 タクシーの運転手は、近くに来たのか、

「ここですか。あの爺さんのウチですね」

と2人に話しかけて、タクシーをスローダウンさせて停めた。

「名物爺さんなんですか?」

黒須の問いかけに、

「ええ……。名物というか、嫌味な爺ですよ。会ったらわかりますよ。こっちを小馬鹿にしているというか、3回ぐらいハイヤー扱いで来て、乗せましたけど……。エリート風吹かせてね。東大卒か何か知らないが、頭にきますよ。仲間内でもそういう話がでたことがあります」

といかにも忌々しいという口調で返答した。


 料金を払ってタクシーを下り、インターホンを押して名乗るとと、女性の声がしてドアが開いた。見た感じ60代近辺だ。90代の爺さんの奥さんにしてはかなり若い感じがした。

「お待ちしてました。旦那さんは、奥の応接間でお待ちです」

という言葉から、ここで初めて家族ではなく、家政婦かお手伝いさんの類だと2人はわかった。その家政婦に案内されて、割と広めの廊下を抜けると、洒落た応接間に90越えと聞いていたものの、かなり若々しい老人が座っていた。


「小柴さんですか? どうも。区役所から紹介された、道警・遠軽警察署の刑事課強行犯係の主任・竹下と、こちら黒須です」

と名乗ると、座ったまま、

「ああ、聞いとる。まあそこに座りなさい」

と若干命令口調で指示された。

「なるほど、こういう感じなのか……」

と2人は先ほどのタクシー運転手の言葉を思い起こした。元都議という高圧的な雰囲気を露骨に出していたわけだ。


「それで君達は、多田さんのところに建った公民館の話を聴きたいとかだったかな」

「はい。よろしくお願いします」

取り敢えず下手に出て、相手の機嫌を損ねないようにした。

「えっーと、竹下君だったか? 了承しておいて何だが、何か警察が調べ無くてはならないことなのかね? かなり昔の話で、何らかの事件と関係があるとしても、明らかに時効のレベルだと思うのだが?」

いきなりジャブが入ったので、ちょっと面食らったが、

「現実には、今の時効圏内の話と絡んでくる可能性がありますので」

と、努めて冷静に答えた。

「うむ、そういうことならいいのだが……」

小柴はそう言うと、家政婦に、

「お茶を頼む」とぶっきらぼうに言ったが、

「あ、君達も緑茶でいいのかね?」

と確認してきた。

「ええ、お気遣いどうも。それで構いません」

と竹下は応じた。


 お茶が来るまで、小柴は刑事2人に質問してきた。

「ところで、エンガル署員とのことだが、エンガルというのは、北海道のどこにあるのかね?」

「そうですねえ……、網走ご存知ですよね?」

「そりゃ知ってる。失敬だよ君」

半笑いで応じた。

「失礼しました。ではサロマ湖はご存じですか?」

「聞いたことはある。オホーツク海側で、海と直接つながっていて、ホタテで有名なところかな?」

サロマ湖が部分的に直接海とつながっていることを知っているとは、案外「道東地域」に精通しているようだと竹下は感じた。それでも遠軽を知らないというのが、ある意味、遠軽の知名度の低さを考えると皮肉だったが……。


「ああ、それです。そこから数十キロ内陸に入った場所にあります」

と一連の質問に竹下は答えた。

「ふむ、大体位置関係はわかった」

と言ったところで、家政婦が丁度お茶を持ってきて、3名は一口二口すすると、いよいよ本題に入った。


※※※※※※※※※※※※※※


「それでは喋らせてもらおうかな」

そう言うと、来た時から机の上に用意されていた、アルバムのようなものを開いた。


「大空襲ですっかり焼け野原になってから、住民もかなり入れ替わって、この西神田一帯も終戦後数年経つと一気に人口が増えてきてね……。さすがに公民館みたいなのを建てようという話が出ていたんだが、なかなか土地が無かった。ところが、多田さんの奥さんが亡くなって、その土地をこちらに寄贈してもらうと言うことで、建てられたんだよ。これ、多田さんの家が取り壊す前にこんな感じでね、これをこんな風に更地にして、昭和36年の春から建て始めて……」

アルバムの写真を一々見せながら説明するのを聞きつつ、竹下はどう切り出すか躊躇していたが、

「すみません、小柴さん。申し訳ないんですが、その亡くなった多田さんの奥さんというか、多田夫妻がどういう方だったか、ということから教えていただけると幸いなんですが……」

と口にした。気難しそうな老人相手だけに、必要以上に気を遣わなくてはならない。


「公民館のことより、元の地主だった多田さんのことの方を先に聴きたいのか? いやまあそれは構わんが……。じゃあそうしよう」

そう言うと少々不満気にアルバムを閉じたが、竹下の求めに応じてすぐに話を変えてくれた。

「同じ町内会で、僕が子供の頃から面識が会った多田さんのご夫妻は、元々四番町という所に住んでいたそうだ。あの『番町』一帯は、江戸時代の旗本屋敷のあったところ(作者注・いわゆる怪談で有名な「番町皿屋敷」の番町です)でね。そこから明治以降こちらに移り住んで来たという話をされていた記憶がある」

小柴は年齢の割に、「矍鑠かくしゃく」という言葉通り、淀みなく記憶を引き出しているようだった。


「多田さんのご主人は、咲太郎というお名前だったと思うが……、戦前は印刷関連の事業をしていたはずだ。かなりの資産家だったが、夫婦の間には子供が出来なかった。それで2人も年を取ったので養子を取る話があったようだが、戦争が始まって一度立ち消えになったらしい。ここは直接本人達に聞いたわけではなく、あくまでも噂話程度に聞いていたに過ぎないから、本当かどうかはわからんがね。あ、スマンがちょっといいかね?」

突然話を中断したので、竹下と黒須は?という表情になったが、小柴は棚からパイプを取り出すと燻らせ始めた。

「すまんね。これがないと落ち着かなくてね」

ゆっくりとパイプから煙を吐き出すシーンは、なかなか様になっていた。かなり年季の入ったパイプ歴なのだろう。日本人でこういう姿が似合う人物はそうはいないように竹下は思った。


「それでだね、君達。あの東京大空襲だよ! 咲太郎さんはそれで亡くなったそうだ。僕は当時、『ノウショウショウ』というところの官吏だったんだが、それで京都に転勤で居て、実家は燃え落ちたが、幸い自分と女房と子供は無事だったんだ。残念ながら存命だったお袋は亡くしたが、あれだけ人が死んだんだから仕方ない……。あ、農商省ってのは、今の農林水産省の前身のことだからね」


 咲太郎と自分の母親が亡くなったと述べた時に、少し悲しい目をしたように思ったが、すぐにノウショウショウが何を指すか2人に説明した。

「小柴さんは、都議会議員の前は官僚だったんですか」

竹下は小柴が尊大と言われる姿の理由を納得して聞くと、

「あ、都議会議員だったことも聞いていたんだ? 役所の方はまあ大した役職まで行ったわけじゃなかったがね。それで47歳で一念発起で退官し、近くに住んでいた親戚が都議会議員だったから、その地盤を継いで、昭和26年(1951年)の4月にあった都議会選挙に立候補したというわけだ。そこから8期やらせてもらったよ、ハッハッハ」

と高笑いしながら言った。

「8期も勤められたんですか?」

黒須は褒めるというより、おそらく呆れていたのだろうが、

「うむ。民友党の都議会議員団の幹事長やら、議会の副議長やらも歴任させてもらったよ。本来ならば議長という話もあったのだが、体調面でちょっと自信がなくてねえ」

と自慢げに2人に華やかな経歴を教えてきた。2人は愛想笑いで応じながらも、この自慢話の連鎖に行くとやっかいなことになりそうなので、何とか話題を元のレールに戻そうとした。


「なるほど。すごい経歴の方だったんですね。それだけの方にお話を伺えて、我々もラッキーでした……。ところで東京大空襲の件ですが……」

「おっと、脱線してしまったようだね、すまない。さっきも言ったがそれで咲太郎さんが亡くなってね。奥さんは実家があった埼玉の……、確か大宮と言ってたかな桜さんは……。そこに疎開というか、そっちにたまたま居て助かったということだ。印刷工場も失ってしまったから、戦後は大変だったようだが、残り僅かな資産を処分して、焼け跡の土地に生活するために下宿を建てたわけだ。彼女は料理が得意で、世話好きだったということもあったんだと思う」

と遠い目をした。

「下宿ですか……。ということは、そこに桑野という男が入ってきて、という話になるのかな?」

黒須が、多田桜と桑野靖が養子縁組をしたことや、その年代の近辺で、桑野がその住所から大学に通っていたという情報を元に話の先回りをすると、

「そうそう! 君やけに察しがいいねえ! そして公民館の話はこの男なくしては成立しないんだよ! 区役所で色々聞いてきたのかね?」

と一度パイプを加えて吸った後、やけに褒めた。竹下達のヨイショが良い方向に左右したようだ。小柴は竹下達が本質的には桑野について調べに来たことを知らないので、こういう反応をしたのだろう。


「一応事実関係は既にある程度掴んではいますが、流れが重要なので、そこのところは詳しく教えて下さい」

念のため、竹下は下宿入りから、大島海路が相続した土地建物の千代田区への寄贈までの話が端折られないように釘を差した。

「わかった……。それでだね、そこにその、桑野が下宿人として入居してきた。その記憶が定かではないが、どっかの大学の新入生……確か鳴鳳大学の法学部だったかな……という立場で入居したようだが、既にかなりの年でね。その年で大学生なのかと、その後、桜さんに紹介された時にあっけにとられた記憶があるよ。幾つだったかなあ。既に30代半ばだったはずだが……。まあ実年齢よりは若くは見えたがね。岩手の出だという話だったが、東北の訛はほとんど感じなかったな当時から」

「大学というのは、鳴鳳大学の法学部で合ってます」

竹下が補足すると、

「やっぱり、鳴鳳か……。ちょっと記憶に自信がなかったんだが、間違っていなかったか。うん、とにかく今で言うところの社会人入学みたいな感じだったんだろう」

と頷きながら言った。


「桜さん、もしくは桑野自身で、桑野について何か言っているのを聞いたことはありませんでしたか?」

「そうだねえ。30をゆうに超えていたわけだから、さっきも言ったように、僕が『あの年で大学生?』って桜さんに聞いたら、『戦前は家庭が貧しくて、(旧制)中学までしか行けなかった』と答えてくれたような記憶がある。それから身体も弱かったようだよ。病気で召集(戦時召集)を免れたとも言っていた」

黒須の質問にそう答えた。

「旧制中学ですか?」

竹下が再度確認すると、

「まあそうだったと思うよ、あくまで『思う』だが。僕も90越えてるからね」

と笑った。

「中卒で大学行けたんですか? 大検みたいな形で?」

黒須が突っ込むと、

「昔の旧制中学は、今の制度で言うところの高校みたいなもんだけれど、彼は戦後、資格試験のために勉強していたとかなんとか言ってたから、おそらく君の言うとおり、旧制中学卒業だけでは、大学入試は受けられなかったんだろうと思うよ(作者注・資格試験とは、大検の前身に当たる、「新制大学入学資格認定試験」と言うものでした。昭和26年に大検に移行して廃止されました。ただ、戦前の旧制中学卒業者は、戦後の高校は3年に編入して通えば高卒資格を得られるなど、確かに高校卒業に近い扱いを受けていたようです。旧制中学が5年制であったことなどがそうなった要因かと思われます。尚旧制中学には飛び級があり、優秀者は4年で卒業出来ました)」

と小柴は答えた。すかさず、

「さすがにどこの旧制中学とか、そういう話は……?」

と竹下が聞いてみた。

「いやいや、君。そこまではさすがにわからないよ! 私も教育関係の専門家ではないわけだし」

小柴は基本的に朗らかではあったが、大げさに否定してみせた。

「そうですか、すいません」

黒須がすぐ代わりに謝ったせいか、小柴の機嫌も悪くなることはなかったし、その前の様子を見ても、何か「乗ってきた」感があったので、謝らなくても問題はなかったろう。


「それから、病気のせいで召集令状? が来なかったと言うことですか?」

竹下は他に気になったことをすかさず聞いてみた。

「それも桜さんから伝聞の形で聞いただけだから、僕は詳しいことは分からないが……。それなりに大病でなかったら、戦局が悪化した後は無理だね。それぐらい兵隊が足りなくなってた。さすがにあの頃はもう、政治にある程度のレベルで関わっていた人間は、負けを覚悟していたよ。それでも尚、始まったらやめられないのが戦争だ。『一撃講和』にこだわった挙句、どれだけの人生が失われたか……。あんなバカなことは我々が止めさせるべきだったが、如何せん無力だったな……」

戦前、高級官吏だった小柴らしい感想を漏らした。竹下や黒須も「知識」としてはわかっていても、「実感」は当事者でなくては理解出来ないこともあるだろう。

「ただ、大学時代は最初陸上部に入ろうかと考えていたようなことを、本人から聞いたから、おそらく肺病(結核)の類ではないと思うけれど……。しかし、君達は桑野についてやけに詳しいかったり興味があるようだな? 公民館が建てられた経緯について聴きに来たんじゃないのか?」

さすがに、小柴も何か感じ取ったようだが、桑野について探っていることを知られるのは、小柴の経歴を考えると望ましくはない。

「ええまあ……。それにしてもなるほど、大病と言えばまず結核を想像しますからね、当時は」

お茶を濁すようにしながら、竹下は小柴の推理の仕方に頷いてみせ、無理に話を続けさせようとした。しかし、タイミング良く、竹下がメモを取るのに使っていたボールペンのインクが切れて手間取ったのが視野に入ったか、

「まあ、何だかわからんが、それで、話の続きをしていいのかな?」

と気遣う方に気持ちが行ったようだ。

「あ、黒須に借りましたから大丈夫です。どうぞ」

竹下がそう促すと、

「じゃあ続けよう。そして桜さんはその桑野が下宿人になってから、1年程で養子にしてね。これは君達もどうやら掴んでいるようだが……。僕から見て、人当たりは間違いなく良かったにせよ、高いレベルで魅力や能力のある青年には当時は見えなかったが、本人が気に入ったのなら仕方ない」

と語った。

「頭は良くなかった印象があったんですか?」

黒須がすかさず疑問点を口にしたが、それに対し、

「いや、名門の鳴鳳大学の法学部だし、彼が頭が悪かったということはあり得ないが、特段、切れ者という印象はなかったよ。あくまで『特段』という前提だが」

と答えた。


 2人は内心、それまでの「桑野評」との不一致を感じて不審に思ったが、桑野が相手にしていた人間が、それまでのただの一般人と、小柴のような戦前からの超エリートでは受ける印象が違ってくるのも仕方ないと思い胸にしまった。事実、「頭は悪くはない」とは言っていたこともあった。

「下衆の勘ぐりといいますか、少々品の悪い話になりますが、ある意味『若いツバメ』のような側面もあったのでしょうか?(作者注・若いツバメについてご存じない方は、以下参照http://gogen-allguide.com/wa/wakaitsubame.html)」

竹下が更に探りを入れると、

「竹下君、それは君、亡くなっているとは言え桜さんに失礼だよ!」

と、これまでの小柴の口調にしては語気を荒らげ、たしなめるように言った。

「当時の彼女は既に70近辺で、そういう色恋沙汰の結果とは思えんよ。息子という感覚だったはずだ。そういうのは三文小説の世界だけにして欲しい!」

この時は93歳とは思えない威厳を、老いた姿に2人は垣間見たように思えた。

「それもそうですね。失礼なことまで踏み込むのは刑事の性とは言え、申し訳ないです」

竹下は素直に詫びた。

「まあ君達の職業柄、そういうところは仕方ないのかもしれないが、そういう理由ではなかったと思う。夫を空襲で失い、寂しかったんだろう。それに桑野も何か裏の意図があったようには見えなかったな、養子になる前は。実際、養子の話を桜さんから切りだされて、かなり驚いて、『ちょっと考えさせて欲しい』と言ったそうだから。ただ、桑野も養子になってからはよく尽くしてくれたとは思う。少なくとも遺産目当てというようなところは見せなかったな、桜さんの生前は」

そう言うと、ゆっくりとパイプを咥えた。


 しかし、「欣也」から「靖」に名前まで変えた桑野が、苗字を変えるチャンスだったにもかかわらず、すぐに飛びつかなかったということは、確かに養子になることを事前に画策していたということでは、明らかに「なかった」と見ていいはずだ。この「ロンダリング」はあくまで偶然だったということになるのだろう。


「桑野、あ、当時は既に多田姓でしたか……。多田靖はいつまで多田桜さんと同居していたんでしょうか?」

「彼が大学を卒業したのが、えーっと、はっきりしたことは忘れたが、昭和30(1955)年より前だったかな……。僕の2期目の4月の選挙の時に、卒業し立ての彼に手伝ってもらったはずだから、うん、そうだね」

「卒業後は就職していたわけではなかったんですか?」

「いやあ就職していたよ。国会議員秘書として」

小柴の口から思わぬ言葉を聞くことになった竹下と黒須。

「え? ということは、もしかして、その議員というのは海東匠議員ですか?」

竹下は飛びつくように質問した。

「竹下君、そうそうそれそれ! 君達はなかなか話がわかるねえ。あ、ということは、君達は当時の桑野、いや多田青年が後の大島海路だと言うことも、やっぱり知っているんだな?」

そう言うと小柴は、話に夢中になって既にぬるくなっていただろうお茶をグイッと飲んだ。


「大島海路が海東匠議員の秘書になった経緯は、どういうものだったかお聞きになりましたか?」

そう竹下が確認すると、

「何を言うんだね! そもそも海東さんに口を利いて、彼が学生時代に、確か大学2年の年明けてからだったと思うが……、議員事務所でアルバイトするようになったのは、僕のおかげなんだから!」

と自慢げに語りだした。

「それは大変失礼しました! そうだったんですか!」

竹下と黒須は新たな事実に思わず声を上げた。

「そうそう! 今の彼があるのは僕のお陰……、と言ったらやっぱり言い過ぎになるのかな」

小柴はニヤリとした。確かにエリート意識の強い尊大な部分もあるが、茶目っ気もある、根はそれほど悪い人柄ではないかと、竹下はここに来て感じていた。

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