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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
鳴動
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鳴動1

「ここまでのあらすじ」


 95年6月早朝、JR北海道・石北本線は常紋トンネルの生田原側出口付近の線路沿いで、鉄道の写真撮影に来ていた北見市在住の会社員・吉見忠幸の死体が発見される。持ち物としてあったはずのカメラは、周辺を動き回っていた何者かに持ち去られていた可能性が高かった。殺人の可能性も考えられたが、木の根に躓いて転倒し、石に頭をぶつけたことによる事故死と大筋で判断。ただ、転倒の理由には、カメラを持ち去ったと見られる謎の人物の影響が考えられた。


 当時現場周辺に少し前から「人魂」の目撃情報(吉村の行きつけの店である、小料理居酒屋の大将からの情報)があり、転倒も吉見がそれを目撃して焦って発生したことも考えられた。


 その後吉村の紹介で、JRのベテラン運転士が、目撃されていた一連の人魂の信ぴょう性を否定する証言を行い、西田達は人間の所業と判断。連日の深夜の山中での行動と気配を消したがっていた様子から、何か怪しい行動を取っていたと見て、署を上げて現場周辺を探ることに。


 その結果、常紋トンネル建設の際に犠牲となった無数のタコ部屋労働者の慰霊碑ならびに墓標と幾つか掘った痕跡を発見。最終的にその中から、遺体を発見することになる。遺体状況から殺人と断定した。

 いよいよ殺人事件ということになり、翌日も遠軽署員のほとんど総出で現場周辺を検証した。しかし、さすがに前日にしっかりやっていただけあって、新たなる発見はなかった。また、現場が事前に想定していた国有林ではなく、実は個人の所有地だったということが、その日の夕方、生田原駐在所の丸山からの連絡で判明した。それを受け、署長からすぐに旭川に居住しているという地権者に、断りと詫びの連絡をいれる羽目になった。


 そして、道警の科捜研が殺人事件と正式に断定したのは、遺体発見から2日後の6月17日。直後に遠軽警察署に捜査本部が立てられた。捜査本部名(通称「戒名」)は、「常紋トンネル付近における頭部殴打による青年殺人事件」と、なんとも締まりのないものになったが、それほど重要な問題でもなかろう。


 捜査本部の本部長は通常通り、遠軽警察署を所管する、北海道警察北見方面本部の刑事部長であり、警察庁からキャリア官僚として出向してきている大友雄平が就くと共に、副捜査本部長には遠軽警察署の槇田署長が就いた。一方で、常時捜査本部に詰め、捜査を実質的に指揮する事件主任官に就いたのは、北見方面本部刑事部捜査一課長・倉野貴文だった。尚、捜査本部における各「役職名」は、あくまで捜査本部内での役職に過ぎない。


※※※※※※※


 北海道警察における「方面本部」とは、北海道が通常の都府県と違い面積が数県に該当するほど広いため、道警の中に更に県警本部類似の組織が入っていると考えればわかりやすいだろう。北海道は北見方面本部の他に、函館方面本部、旭川方面本部、釧路方面本部の計4つの方面本部があり、各方面本部は、各方面公安委員会の下に置かれている点でも、他の府県警と類似の組織であることがわかる。札幌地区は道警本部のお膝元であることから、「札幌方面」の名称で本部名はついていない。


※※※※※※※


 捜査本部が立てられた時点で、遺体についてかなりの情報が出て来ていた。初期の鑑識による見立ても含めると、20代前後の身長160センチ台中盤のB型男性で、死因は頭部を鋭利なもので殴打されたことによる脳挫傷。死後3年から4年程度経過、歯の治療痕あり、左脚の膝下に骨折痕ありというところまでわかっていた。遠軽署所轄内、北見方面本部管内に該当者がいるかどうか調べたところ、既に該当するであろう捜索願が出されている人物が、お膝元の遠軽署案件に含まれていることが判明していた。状況証拠から見て、ほぼ確実と言えるレベルのものだった。遠軽署自体に捜索願が出されていたということもあり、ここまで行くのにはほとんど時間は要さなかった。


 被害者と目されているのは、3年前の8月、遠軽署管内生田原町(2015年現在、合併により遠軽町生田原地区)において行方不明になった、当時23歳で岡山県倉敷市出身の、関西商大4回生(年生)米田雅俊という青年だった。鉄道が趣味で、常紋トンネル付近に鉄道写真を朝から撮影に行く予定で、夕食までには戻ると言い残し、生田原の民宿に一部荷物を残したまま失踪した事案であった。


 カメラと三脚が線路脇に残されたままだったため、当初はヒグマに襲われたのではないかという憶測が流れ、警察及び地元の住民により山狩りが行われたが、一切の痕跡が見つかることもなく、そのまま行方知れずとなり今に至っていた。因みに残されていたカメラには列車の映像が写されていただけだった。捜査資料と突き合わせた結果、既に血液型、身長、骨折痕についてはほぼ同一であることが確認されており、あとは歯型と虫歯の治療痕が一致すれば確定という次元まで来ていた。


 捜査本部設置の際、遺体の身元確認ができるか否か以前に、遺体発見の状況、周辺環境から見て相当厳しい捜査を迫られることは確定している以上、余り無駄に捜査期間を引き延ばすことは無駄だとして、北見方面本部や道警本部からの応援要員は通常の殺人事件より少なめになっていた。西田も課長も本来なら「軽んじられた」と多少憤る面もあったかもしれないが、現実問題として、お宮入りの可能性については否定できないだけに、諦めの心境にあった。ただ、ここまで来た以上、犯人ホシにたどり着く端緒は必ずどこかにあると言う信念もまた、同居していたことは言うまでもない。


 それから被害者確定までの数日、捜査本部に集められた捜査員達はもう一度現場検証をし、地取り捜査、聞き込み捜査を徹底して行っていた。特にこの事件にも絡んでいる可能性が高い、例の「人魂の本体」の特定をするため、周辺道路の検問やJR保線区員、運転士への再聞き込みを念入りにした。その人魂現象を生んだ人物……、靴のサイズや一人で行っていた穴掘りの作業量から見ておそらく男であるだろうが、奴は吉見の不審死にも直接関わっているかも知れず、当然米田の遺体の回収、または遺体の確認を試みたことは確実であった。また必然的に、その米田の死体遺棄、殺害にも関わっている可能性は高いはずだ。


 人魂の主がこの一連の事件のキーマンであることは、北見方面本部組も遠軽署による事件発覚の経緯として重視しており、捜査本部長、事件主任官もこの点については遠軽署の方針を踏襲してくれた。ただ、場所が場所だけに、周辺における検問での聞き込みでも特に何か得られたわけではなく、JRの関係者についても以前聞いたこと以上の事実は出てこなかった。捜査本部としては、人魂が目撃された時間帯から見て、ある程度時間に融通が利く仕事に就いているか、或いは無職ではないかという推測もしていた。


 西田は捜査本部が立ちあがって以降、北見方面本部捜査一課から応援に来た北村という31歳の若手刑事とコンビを組んでいた。基本的に捜査本部が立ちあがると、応援に来た本部の刑事と所轄の刑事がコンビを組むことになっているのだが、西田の場合はある程度経験と役職を考慮して、本部からの応援組が西田より若手になっていた。


 その北村と地取りから遠軽署に戻った西田に、

「鑑定結果が出たみたいですよ。一致したって話です!」

と、丁度玄関向かって階段を降りてきた黒須が、堰を切ったように喋りかけてきた。

「やっぱり一致したか!」

と北村と頷き合った西田だったが、すぐに開かれるだろう捜査会議に備えて、捜査本部のある2階へ階段を駆け上った。


 捜査本部の様子は、鑑定がある程度予想された結果だっただけに、それほど騒がしい感じはなかった。被害者が確定したところで、捜査が難航しそうだということはわかりきっていただけに、これ以上の進展をそうそう期待できないという心理的重しがそうさせた側面もあったかもしれない。


 会議は主任官の倉野から、形だけの鑑定結果の報告と被害者の人物紹介、そして捜査方針の確認に始まり、それが終わると捜査員達の捜査報告がされた。案の定本日も特に成果はなく、彼らがくゆらすタバコの紫煙が、まさに捜査の先行きを暗示しているかのように空中を漂っていた。


「西田係長は、マル害(被害者 ガイシャとも称す)が特定されましたけど、これによって進展すると思いますか?」

小声で横に座る北村が話しかけてきた。勿論西田もこれと言って何か具体的な考えがあるわけでもなかったが、

「何故今になって3年前の事件を蒸し返すようなマネをしたのか、それが捜査のキーポイントになると思うが……」

と気になっていたことを伝えた。これについては捜索現場に立ち会った遠軽署のメンバー全員が思っていることでもあった。

「そうですねえ、わざわざ隠蔽できていたものを掘り返そうとしたわけですから、それなりのリスクを負っても遺体を回収するか、或いは確認するかの必要性があったんでしょう。問題はその理由が何かってことですね」

北村は軽くコツコツとボールペンを机に打ち付けながら言った。感情をあらわにしないタイプではあったが、やはり多少苛ついてはいるようだ。先輩刑事としてはそういう気持ちは出せないが、西田も焦りは感じていた。


 結局のところ、その後すぐに、人魂の主が何故今になって動き出したのかという端緒を徹底して探ることに捜査方針は切り替えられた。というよりもはや、それしか手がかりはなかったとも言えるのだが、切り替えのタイミングとしては決して遅くはなかっただろう。刑事達も最後の望みに全ての労力を傾けて、執念の捜査を続けることになった。因みに6月21日、函館空港で全日空857便がハイジャックされたまま駐機状態になるという、管轄の道警全体を震撼させる事件が発生していた。だが、発生翌日未明に無事解決し、西田達の捜査にも全く影響することがなかったのは、不幸中の幸いと言えた。


 そして捜査本部が立ちあがってから10日、捜査方針を転換した2日経った後、1つの大きな進展があった。北見方面本部の高木刑事と組んでいた吉村が、幽霊・人魂騒ぎを吉村に教えてくれた飲み屋の大将から、更なる面白い話を聞き出してきたのだった。


 丁度人魂が目撃され始めた頃の5月の中旬から下旬あたりに、大将の店が取っていた地元紙の「北見屯田タイムス」に興味深い記事が載っていたという。その記事は、今年の7月から常紋トンネル周辺で10数年ぶりに、タコ部屋労働による犠牲者の遺骨を大々的に調査採集し、慰霊することを地元の有志団体が発表して、同時にボランティアを募集するものだったようだ。特に、これまでその有志団体により大規模に調査されることが無かった、生田原側を重点的にするということも書かれていたという。


 これが事実なら、人魂の主が3年後の今になって、再び動き出した理由には十分なり得る話だった。なにしろ埋めているとは言え、万が一調査によって埋めた遺体が回収されれば、警察沙汰に発展する可能性があるからだ。捜査本部は色めき立った。ただ、大将の元には現物の新聞は既に無かったので、捜査本部は北見にある新聞社に西田と北村、高木と吉村を派遣することになった。


 その記事が載った新聞を発行している北見屯田タイムス社は、道民である西田でさえも、この事件まで社名を一度も聞いたことがない、北見周辺地域専門の弱小地元紙であった。訪問する直前に調べた限りでは、朝刊・夕刊などの日刊紙ではなく、週刊によるコミュニティ紙のような形の発行をしている新聞社らしい。故に社屋もおそらくかなり小さいものだと思いこんでいたが、実際に訪ねると、そこそこの敷地面積がある5階建ての自社ビルにあり、1~3階をテナントとして貸し出しているようだった。おそらく、新聞社というより、実態としてはテナント貸しで「食べている」会社なのだろう。


 4人は、訪問する前に電話でアポを取っていたこともあり、スムーズに5階にある新聞社の本部の応接室に女性事務員により通され、懸案の記事の確認のために担当者を待っていた。やがてやって来た初老の担当者が西田達に渡した名刺には、「社長兼編集長 田上 正義」と印字されていた。おそらく、社員も社長含めて数人しかいないのだろう。西田も自己紹介と他の3人を簡単に紹介すると、世間話もそこそこに、すぐに社長が持ってきた記事について確認することにした。


 確かに記事内容は吉村の報告通りで、日付は5月18日となっていた。時期的にも丁度人魂がJRの運転士達に目撃されるようになった直前に該当する。4人はお互いに目配せして頷きあった。社長が言うには、記事を書くための取材は5月12日だったらしい。田上と遺骨採集の有志団体である「常紋トンネル調査会」の会長が知り合いだったので、会長が取材してくれるように依頼してきたことが、記事のきっかけだったという。


「田上社長、いきなり押しかけた挙げ句申し訳ないんですが、実際発行部数はどの程度で、どこに配布しているか教えていただけますか?」

西田の問いに田上社長は、

「そうですねえ……。北は上湧別(旧・上湧別町。2009年に湧別町と合併し、「湧別町」へと変わった)あたりから南は陸別(町)、西は留辺蘂(旧・留辺蘂町。2006年に合併して「北見市」へと変わった)、東は網走辺りまで、全体で1000部程度です。それだけじゃやっていけないんで、ご覧の通り不動産で食ってるようなもんですわ」

と言いながら頭を軽く掻いた。そして、

「こう見えても、祖父の代から長くやってる新聞社で、一昔前までは日刊紙だったんですよ……。まあ私の代で週刊にして、親父達が遺してくれたこのビルでなんとか、新聞社の体面を保ってるってところですが……。ちょっと待ってくださいね、購読者の名簿持ってきますから」

と、最後には席を立ちながら喋った。


 数分した後、社長の持ってきた名簿は、個人よりも圧倒的に会社や飲食店などの名前が並んでいた。おそらく「付き合い」や「客」のために取っているのだろうと推測された。すぐにコピーを頼み、先程の事務員が名簿をコピー機に掛けている間、沈黙を衝いて社長が西田達にさりげなく伺いを立ててきた。

「この記事って例の生田原の事件と関係あるんですか?」

西田はそれについて特に答えることはなかった。あいそ笑いを浮かべると、直接の部下である吉村に目で合図する。やはり捜査情報はそう簡単に漏らすわけにはいかないからだ。まして、昔はおそらく記者を通して警察ともそれなりに付き合いはあったのだろうが、今は週刊の弱小紙相手では尚更である。ただ、当然捜査協力していただいた以上、無碍むげに断ることもまた無礼であろう。そんな西田の意図を察した吉村が、

「ええ、まあそんなところです」

と濁した形で回答した。社長もそれ以上は聞かなかった。今の形態の北見屯田タイムス紙面では、仮に情報を得たとしてもスクープ性は発揮できないということもあっただろう。


「あ、それから記事内容について知っていたということで、取材先の有志団体の連絡先と、ここの新聞社の記者とか従業員の方のお名前も教えていただけますか?」

その直後、北村がちょっとした間に発した言葉には、田上もさすがに驚いたようだ。

「え?常紋トンネル調査会の連絡先はともかく、うちの社員まで調べるんですか?」

と素っ頓狂な声を出した。

「あくまでチェックであって、参考人事情聴取とかは余程のことがない限りしませんので、ご心配なく」

と西田がすぐにフォローしたが、首を2、3回振って、やや不満げな態度を社長は隠さなかった。


 他にも記事に関する情報を仕入れ、更にコピーを受け取ると、取り敢えず必要な情報を得たこともあり、4人はトータル1時間程で北見屯田タイムス社を後にすることにした。去り際にちょっとした謝礼金である「報奨金」を社長に渡すと、社交辞令として一度は断った田上氏ではあったが、最終的には受け取ってくれた。西田達も色々迷惑かけたこともあり、受け取って貰って反って心理的には助かった。


※※※※※※※


 車に乗り込む前に、念のためタイムス社の駐車場に駐めてある車のタイヤを、西田は持ってきた転写シートで若手の吉村、北村両名に採取させた。勿論ありふれたタイヤだけに、一致したからと言ってすぐに「人魂の主」に結び付くというわけではない。しかし、少ない手がかりを結びつけていく必要がある以上、新聞者の人間も捜査対象として徹底的にやっていくしかない。見た感じでは、現場から採取したタイヤ痕とは似ているが、一致はしていなかったように思えた。


 一方で、田上から聞いた「常紋トンネル調査会」は留辺蘂にあるとのことだったが、電話したところ土日以外の聴取は無理ということで、取り敢えず今日のところはそのまま署に直帰することにした4人。


 国道39号から国道242号に乗り換え、署に向かって留辺蘂町の金華地区を通りかかった頃、道沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の看板が見えた。北見に向かっていた行きの道中は、道路の反対側だったので気付かなかったらしい。いや、そもそもこの事件の前は勿論、この事件の後にも、この場所は北見方面への行き帰りに通っている。その時ですら気付かなかったのに、今日気付いたのは、成果もそれなりにあり、時間にも余裕があったせいなのだろうか? 西田は運転していた吉村に一声掛けて、国道横の狭いスペースに車を駐めさせると、4人で小高い丘に向かう階段をゆっくりと登っていった。

(作者注・以下参考資料として他者のブログと参考映像をリンクさせていただきます)

http://takahashinonuhiro.seesaa.net/article/188248513.html

https://www.youtube.com/watch?v=xLbuF0AddkE


 高台に出ると、そこは元々「金華小学校跡」の碑が示す通り、元は小学校の跡地のようで、人口減のせいか既に廃校となっていた場所らしい。その近くに、煉瓦造り形式の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建立されていたのはすぐ視界に入ってきた。碑の下には、地元の人かそれとも通りがかった人か、遺族かは知らないが、小さな花とカップ酒が手向けられていた。


 「これですか……」

吉村が碑を上から下までじっくりと見ながら呟いた。一方で、北見方面本部からの応援組である高木と北村は、この事件の前から常紋トンネルについての逸話は概ね知っていたらしいようなことを、捜査本部が立ちあがった当初に話していた。だが、こうして追悼碑を目の前にするとまた違った感慨が湧いているように見えた。さすがにこの場で、以前していたような「心霊スポット」的な会話は憚られた。


 5分程度追悼碑の周囲を思い思いに散策していると、階段を老人が、年齢の割には軽快に上がってきたのが視界に入った。古めかしい大きめの、そして外装がメタル調のラジカセを手にぶら下げて大音響で「村田 英雄」の「人生劇場」を流しながらの登場であった。この時代に村田英雄の「人生劇場」を聞いているのが如何にも年寄りらしいという印象だ。


※※※※※※※


 「人生劇場」は、任侠映画ブームの火付け役である、「人生劇場 飛車角シリーズ」と言う、昭和38(1963)から昭和39年に掛けて上映された、名優「鶴田 浩二」主演映画シリーズの主題歌であった。また、歌った村田自身も映画に出演すると共に、彼の代表的ヒット曲でもあった。ただ、実は「人生劇場」という物語は、原作である小説「人生劇場」を元に戦前から何度も映画化されているだけではなく、この歌自体も昭和13(1938)年に、作詞が佐藤惣之助、作曲が古賀政男によって既に作られていたものだった。つまり、村田歌唱の人生劇場は、あくまでリバイバル、今風に言えばカバーしたものに過ぎない。更に言うならば、村田版の人生劇場も昭和34年に既に一度リリースされて小ヒットしていたものが、村田の代表曲である「王将」のヒットを機に、後に更に大ヒット(映画の主題歌になる前)したものである。また映画の「人生劇場」は任侠モノと捉えられがちだが、作品のモデルとなった小説上は、青春モノの中にヤクザが出てくるという方が正確な作品内容である。


 それにしても、老人にありがちだが、いわゆる「ウォークマン」の類を知らないか、知っていても持つつもりもないのだろう。住宅も殆ど無く、「音害」は発生しないということも、古いラジカセでの大音量垂れ流しを許す要因になっていたかもしれない。


 老人は視線を上げ、過疎化した地に似つかわしくない4人の背広の屈強な男が居たのを「発見」したように見えたが、全く驚くような素振りも見せず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。おそらく近隣住人なのだろうか、着ているものは室内着のような簡素なモノであった。ラジカセを操作して、止めたのか消音にしたのかはわからないが、流れていた「人生劇場」は聞こえなくなっていた。西田達が様子を窺っていると、

「あんたらどっから来たんだ?」

おもむろに話しかけてきた。想定内の第一声ではあったが、一番老人に近い位置に居た高木が、

「遠軽ですよ」

と返した。

「遠軽? ああ、山の向こうの人達かい」

そう言いながらも、答えをわかっていたかの様に屈託のない笑顔をこちらに向けつつ、やや曲がった腰を伸ばした。その上で、

「参拝にでも来たのかい?」

と改めて尋ねてきた。

「まあそんなところです」

今度は西田が答えた。すると、老人は碑の方に視線を向けながら、

「本当にこれは酷かったんだわ……。逃げ出してきたタコは皆死にそうな様子で、逃げるのも命がけのようだったわ。警察も取り締まるどころか、逃げ出したタコを引き戻したんだから、そりゃひでえ話だべさ……」

と、やけに遠い目をしながら、深いシワをさらに深刻にして呟く様に言った。


「常紋トンネルって開通したのが1914年って話だけど、爺ちゃん、その頃の記憶がある年齢ってことは、結構な年齢ですよね?」

老人の話に吉村が少し驚いたように言ったが、老人は苦笑いしただけで、それについては何も言わず、

「タコ部屋で亡くなった人達については、国鉄自体は常紋トンネルの方にある歓和地蔵尊で慰霊してるんだ。まあちょっと簡単に行ける場所じゃないけどよ……。ここの追悼碑は、地元の有志が作ったんだわ。聞いた所によれば、生田原側にも慰霊碑だか墓だかがあるとか聞いたことはあるが、俺はよく知らん」

と山の向こうの方を指差しながら喋った。既に民営化でJRになっているにも拘わらず、「国鉄」という表現をすること自体が、如何にも老人らしい。


「ここは人は来ますか?」

北村が問うと、

「いやあ滅多に来ないべ。見ての通り、人っ気もないし、たまに汽車好きの若いあんちゃんみたいのが金華駅から降りてやって来ることはあるみたいだけどな……。下手すりゃ人よりヒグマの方が多いかもしれんべや? 既に世の中から忘れ去られた場所だわ、寂しいけどな……」

と、途中までブラックジョークも言ったが、最後は悲しそうな顔付きだった。ヒグマのくだりまでは「自虐」として笑えないこともなかったが、最後まで聞く分には、4人は愛想笑い程度が限度だった。


 散歩の途中だったらしい老人と、しばしの間、とりとめのない世間話をした後別れを告げると、4人は元来た階段へと歩を進めた。残った老人のラジカセから「人生劇場」が再び流れ始めたので、西田が1人止まって軽く振り返ると、老人は黙って碑を見つめていた。西田はそれが妙に気になったが、時間もないので、3人の後を追って階段を小走りに下り、車に戻ってそのまま遠軽へと向かう。


 車で242号を金華峠に向かう途中に「常紋トンネル」と言う文言と「→」の書かれた小さな標識が目に入った。常紋トンネルへは、生田原側から入るルートと金華峠側から入るルートの2つが存在しているが、その内の後者の方だった。西田達は使ったことがないが、常紋トンネルの金華駅側、つまりJRの常紋信号場へと出る、かなり険しい山道らしい。これもまたこれまでは気付かないモノだったが、今日はしっかりと目に付いた。ただ、先程の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の看板を見たときとは違い、より意識的に視界に入ってきたように西田には感じた。勿論山奥の常紋信号場まで寄っている時間も意味もないので、そのまま車は遠軽市街地を目指した。


※※※※※※※


 4人が署に戻ると、捜査本部では、北見屯田タイムスから持ち帰った購読者名簿を元に、ローラー作戦を実行するためのプラン選定が始まった。対象が1000近くあるので、40人強程度の小規模体制だけに、かなり効率よくやっていかなくてはならない。まして会社や飲食店などの不特定多数が出入りする箇所も多いとなると、そこから更に購読者の実数がかなり増えることは確実であり、どこまで捜査を広げるかも判断が難しいことになる。一方で、この事件を解決するための、ある種最後の砦というべき事案だけに、徹底してやらないといけないというジレンマもあった。明らかに捜査本部に加わっていない遠軽署員にも応援を要請する必要があるだろう。


 ただ、ローラー作戦をする上で、1つの点を捜査本部では重視した。それは、「そもそも何故、米田青年は殺されなくてはならなかったか」という点である。犯人を捜し出す第一歩として、「殺人事件として扱われていなかった事例を、3年後にわざわざ掘り返す必要があった」という点からアプローチをしかけている中、今度は更に殺人自体の「動機」を考えることにより、更に対象を絞れるのではないか?という手法である。


 明らかにこの地域に縁のない人間が、この地で殺されたということは、怨恨などということはほぼあり得ず、たまたま犯行に巻き込まれたというのが最も説得力のある推察だろう。問題は、その犯行が、本当に場当たり的な「通り魔」犯人による純粋な無差別殺人なのか、或いは何か理由があって巻き込まれたのか、きちんと分析しなくてはならないということである。


 前者であれば、この数年の間に似たような事例が発生している可能性が高いが、そういう分類が出来る事例が現時点ではないということが反論として出てくる。また場所的に無差別殺人狙いの犯人がそれをするにふさわしいと言えるか、かなり疑問があった。勿論、「発覚しにくい」という意味ではふさわしい場所かもしれないが……。


 後者だとすると、意図したしないはともかく、被害者の米田は常紋トンネル近辺で殺される理由になるような行為をしたということになる。一方で米田は、鉄道好きの普通の大学生であり、犯罪行為とは無縁で来たのだから、本人自身の悪意のある行為により、返り討ちの類にあったということはまず考えにくい。そうなると、完全に一方的に巻き込まれた挙げ句殺害されたという方が納得出来る。よくあるパターンが、被害者が犯罪行為を阻止しようとして返り討ちにあった、或いは都合の悪いシーンを目撃したことによる口封じ目的等が挙げられよう。


 捜査本部では当然、巻き込まれ型による殺害の可能性を第一候補として考えた。特に、見られてはいけない何かを目撃した、口封じによる殺害ではないか?という可能性が重視されたのだ。


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