明暗35 (183~189 北村の遺したテープ)
11月14日。朝から西田と吉村は、北見方面本部・鑑識課の主任である柴田を訪ねていた。聞き込みによる捜査に進展が無かったこともあり、今度は犯人の遺留物について詳しくチェックしようとやってきたのだった。と言っても、現場には銃弾と下足痕しか残されておらず、犯人の目星になりそうなものはないという情報だったが、藁にもすがる思いで来たのだった。
「本当にこれしかないんですか?」
遺留物がほとんどないことへの吉村の確認が不躾に聞こえたか、
「おい! 俺らの仕事にぬかりはないぞ!」
と「若造」を威嚇するベテラン鑑識官。
「すいません。どうにもこうにも、あれだけ大胆な事件だった割に手がかりが少なくて。検問をすり抜けられちまうし、結構厳しいんすよ。こっちで何か情報がないかと……」
藁にもすがる思いであることを、その若造は白状した。
「ヤクザ絡みの方はどうなってんだ?」
「日照会や義心会を中心に洗ってるみたいですよ。特に松島を襲う理由があると見られる日照会からは、構成員は勿論、末端チンピラに至るまで調べあげてるが、今もアリバイやら何やらで、該当者は見当たらなくて、かなり難儀してるところなんで」
西田は吐き捨てた。
「ったく、だらしねえなあ! こんだけ派手にやられてやられっぱなしかよ! 仲間の北村が死んでんだぞ!」
いつもの柴田らしい口の悪さではあったが、らしさから出るというより、本当に凶行への怒りから出ているという感じの悪態だった。
「あ、そうそう! お前らが邪魔にしにきたおかげで、大事なこと忘れるところだったぞ! 今日中に犠牲になった3人の遺品返す算段つけないと……」
柴田はそう言いながら、ビニール袋に入ったモノを取り出した。入院中で色々持ち込んでいた松島のものはダンボール箱に入っていた。百瀬はナース服に入っていたのか、ペンなど程度しかなかった。おそらくロッカーなどに入っていたものは、事件時には着用しておらず、既に簡単にチェックして遺族に返却済みのようだった。
3名が殺害時に来ていた衣類関係は、銃創分析の関係で別に保管してあるようだった。柴田の話では、北村の遺留物は、コートや背広に財布等が無造作に入っていたとのこと。しかしそのまとめられた北村の遺品の中で、ウォークマンのような携帯型のカセットプレイヤーが保管用のビニール袋に入っているのが西田の目に止まった。その時西田の脳裏には、北見で喜多川専務を北村と共に張り込んでいた時、車の中でカラオケの話をしたことが鮮明に蘇っていた。確か、北村は自分の歌声を携帯テープレコーダーで録音して、チェックするほどの熱心な「歌い手」だと言っていたはずだ。西田にはピンと来るモノがあった。
「これ中身聞いてみました?」
すぐさま尋ねた。
「あ? RECボタンがあるから、北村が松島から話聴いてたってんで、ひょっとして何か録音されてるんじゃないかと思ったが……。最初から誰かの歌ばかりで、一向にそれらしきものが聞こえてこなかったから、残念ながらそこまで北村の頭が回らなかったかなと……」
「いやちょっと! ってことは最後まで聞かなかった?」
「まあ、そうだけど……」
「冗談じゃない! 最後までちゃんと確認しないと!」
西田が急にえらい剣幕で怒鳴ったので、柴田は思わずたじろいだ。
「お前、何をそんなにキレてんだよ?」
「あの日北村は非番で、俺達と夜に遠軽でカラオケに行く約束してたんですよ! そのウォークマンは、北村がカラオケに行くときに、自分の歌声をチェックするため所持していたモンだと思います。ところが、突然松島から話がしたいということで、引き返して病院へ向かったんです! だから、急にその存在に気付いてもおかしくないでしょ!? そしてそうなると、巻き戻す暇もなく、それまで録音していたテープの途中から、聴取を録音していても不思議じゃない! 北村が射殺された後も回り続け、最後まで行って自動的に巻き戻されていたとしてもおかしくないでしょ!?」
北村の「習慣」も知らない上に、一方的にまくしたてられたせいもあって、柴田は話を完全には理解出来ていなかった。
「なんだか事情がよくわからないが、お前がそこまで言うなら、確かに最後まで確認した方がいいかもしれんな。よしわかった、じゃあ聞いてみるか……」
柴田はそう言うと、近くにあったラジカセに、テープレコーダーからカセットを取り出して再生ボタンを押した。そして逐一音声を確認しながら、早送りボタンと交互に押すことを繰り返した。20分程、北村の歌声と思しき、本人が生前言っていたように、なかなか綺麗なハイトーンボイスの歌唱が入っていたが、しばらく早送りしてから聞いてみると、急にやや不鮮明な音と共に、会話のようなものが聞こえ始めた。その声は、どうも北村と老人だろうか、余り声に力のない男の会話らしかった。老人は松島の可能性が高いと西田は踏んだ。
「これか?」
柴田は西田に確認すると、
「わからないけど、多分そうじゃないかなと思います……。ちゃんと最初から聞いてみましょう!」
と言った。3人はラジカセのスピーカー部分に顔を寄せ、早速柴田は微妙且つ慎重に巻き戻し、その会話の先頭を探った。
「柴田さん、これどこに入ってたんですか?」
吉村が作業を見守りながら聞くと、
「俺は直接現場で採ってないが、資料に書いてある分には、北村のコートの胸ポケットに入っていたみたいだぞ。さっき言ったろ? ……おっ、ここかな?」
と答えつつ、丁度録音開始付近を聞き分けたようだ。おそらく北村が隠し録りするために胸ポケットで録音したため、雑音が混じっている上に不鮮明だ。しっかり聞き分けるために音声に集中した。
※※※※※※※
「……松島さん、どうも遅れまして」
「やっと 来たか こっちが 勝手に 呼び出したから 仕方ないが……」
「ほんとごめんね。松島さんがすぐに来てくれと言うもんだから」
老人、つまり松島の声は、録音状態の影響もあったが、おそらく肺がんの影響もあったか、途切れ途切れになって更に聞こえ辛い状態だった。ただ、集中すれば何とか聞き取れるレベルにはあったのが、不幸中の幸いだった。その松島の後に喋ったのは、担当看護婦の百瀬由紀子だろう。
「それで、何かお話があるとのことでしたが?」
「ああそうだ……。例の佐田? だったかの 事件に ついて、 上申書を 何とか 書いたから……。ちょっと 力が 入らない から 字が 読みづらい かと思う が どうしても厳しい ところ は この 看護婦さん に 代筆 して もらった から まあ 読めない こと はないはずだ……。まあ 見てくれ……」
「あの事件に関する上申書ですか!? わかりました、とにかく拝見させてもらいます」
北村は急な展開に上ずったような声になっていた。そしてパサパサと音がして、おそらく看護婦から紙を受け取ったのだろう、
「じゃあちょっと読ませてもらいます」
と北村は一言告げていた。
※※※※※※※
「ちょっと止めて! 上申書って言ってましたよね、松島が……? これは現場には残ってなかった?」
西田は焦ったように尋ねた。
「少なくとも、鑑識で回収された形跡はないぞ!」
西田の問いに、柴田も停止ボタンを押して語気を強めた。
「ってことは持ち去られたんですかね……? そしたらやばいんじゃないですか?」
吉村もこの意味の大きさをわかっていた。
「最後まで聞いてみないとわからないが、どうもそうかもしれん……。取り敢えず続きを聞いてからじゃないと!」
再び柴田が再生ボタンを押した。
※※※※※※※
テープではそれから2分程の間、ほぼ沈黙が続いていた。時折松島らしき咳き込む様子と、北村と思しき息遣いなのか服がこすれる音なのか、雑音が録音されてはいたが、北村はその間じっくり黙読していたのだろう。ただ、どうせならこの時点で、音読して欲しかったと西田は強く思った。おそらくだが、上申書とやらは、犯人達に持ち去られたという結末だと推測出来たからだ。そして沈黙を破って再び北村が喋り始めた。
※※※※※※※
「正直、かなりびっくりしてます……。これはホントに本当なんですか?」
「……。ああ、本当のことだ。 あの日 俺は 伊坂と一緒に 佐田と会った。その時には わからなかったが、 警察から 後で 佐田が 行方不明 に なった と聞いた時は、『ああ 伊坂達に 殺られ たんだな』 と思った。……俺は 大島から 『伊坂と佐田という男の間で 諍いが 起きてる から、道議として 佐田を 信用 させる ために 立会を して 欲しい』とだけ 頼まれていて、 直前まで 話し合い の 中身 を よく 知らなかった。ただ、俺の親族の 建設会社 も 大島に は よく世話に なってた し、俺が 道議に なれたのも 親分の 大島の お陰 だから、頼まれ たら 断る ことなんて どっちに しても 選択肢 には 当時なかった わけよ。 そして、 行方不明 に なった 後も それに ついて 詳しく 警察に 話す 選択肢 も なかった んだ……。そこら辺は わかって もらえるべか? ゴホッ ウゥ ゴホゴホ……」
ここで咳き込んで一度会話が途切れたが、すぐに話し始めた。
「……伊坂が 『あの野郎、 調子に 乗り やがって』と、佐田が帰って 2人きり になった後、毒づいたのを…… 思い出す。そして 伊坂は、「まあ、後ちょっとの辛抱だべ』 と にやけ顔で 言ってたんだ。 まさか それが 佐田 が 行方 不明 になる こと だとは その時 には 思いも しな かった んだ……」
ここで吉村が停止ボタンを押した。
「これは伊坂が、事実上殺害を予告していたってことですか?」
「そういうことかもしれん! とにかく早く続きを聞くぞ!」
西田は昂ぶりを抑えられずに再生させた。今、とんでもないことを聞いているのかもしれない。そういう自覚があった。
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「そうですか……。ちょっとどうしようかな……。えーっと、大体は書いてあるから、何を聞くべきかな。……。ちょっと中身が凄すぎて、混乱しているというか……。えーっと、何を聞くべきか……。ああ、じゃあ取り敢えずこれに書いてないことを聞いておくか……。失踪する前の、会食というか話し合いですが、伊坂と佐田は最初から喧嘩腰というかそういう感じだったんでしょうか?」
「それまでに どういう 流れで ああ なった のかは わからんが、表向きは お互いに 冷静 だった ような 気がする。 かなり 事務的 に確認作業 して いる感じ がしたな。俺にも 話し合い の 中身 を記した 契約書 が 渡されて サインした」
「ということは、最初から、ああいう(証文の)受け取り確認の契約書面みたいのを用意しつつ、細部を詰めるという感じでしたか?」
「多分そんな ところ だった。無関係な 俺に 気を使ったのか、余り佐田は 細かい ことに ついては 言及 して いなかった ように 思う。 ただ そこに 書いてある ように 伊坂は 佐田 が 帰った後に 昔、伊坂自身 が 昔しでかした事で、脅されている とは 俺に言ってたな。 その中身は 教えて もらえなかったが まあ 悪びれる 素振り も なかったな……。さっきも 言った ように 俺は 大島から 事前 には 話し合い の 中身 を よく 聞いてなかった。だから 伊坂の 話も 正直 その時には ピン とは…… 来てな かったな」
「なるほど……。ただ、1番大きな疑問として、何故このことを今になって、上申書として警察に提出しようと思ったんですか? 大変申し訳無いが、もっと早く言ってくれていれば……」
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本来ならば、北村はこれをいの一番に聞くべきだったろうが、相当混乱してたのだろう。最初に本当にどうでもいい内容について聞き出そうとしていたことに、西田は北村の心中をむしろ慮った。
ただ、伊坂もさすがに、1941年当時、仕事仲間で免出を殺害した高村を、更に制裁で殺害したことまでは松島に告白してはいなかったようだ。直接的ではないとは言え、佐田殺害計画をほのめかすような発言をしていたのに、そちらについては全く触れなかった、伊坂大吉の心理を完全に説明することは出来ないが、殺人既遂経験があると言い切るのは、ボカした予告以上に抵抗があったのかもしれない。また、おそらく佐田実が伊坂相手にメインで強請りを掛けたのは、雇い主であった仙崎の遺産の横取りの件よりもそちらであろうことも、刑事達は以前から確信に近い推測をしていた。
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「申し訳 ないな……。今言った ように 大島 には 世話に なってた から、 おそらく、大島も 関わって いそ うな 佐田の 失踪に ついて 余計な ことは 言いたく なかった んだ。 しかし…… もう 俺も 長くはない いや、下手すると、 一週間 すら 持たない かも 知れ ない。 情け ない 話 だが この期 に 及んで 地獄 には 行きた くはない……。 そして、仮に 地獄へ 行くに しても、甥の 会社が 存続 出来る なら 煮え湯を飲む ことも 仕方ない と 思える の かも 知れないが ゴホッ ゲッ グホッ……」
「大丈夫ですか? 松島さん! ちょっと休みましょうか」
ここでやっと百瀬由紀子が会話に入ってきた。しばらく何やら介抱しているような感じの空気感が録音されていた。
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一旦西田は再生を止めると、
「松島は佐田が失踪したと知った時点で、大島も関与したかもと感じていたんだな」
と言った。
「当然でしょう」
吉村も反応した。
「しかし、当然とまで言える程でもないんじゃないか? 何せ伊坂は大島の有力後援者ではあるから、伊坂への便宜供与として、立会人の斡旋程度なら普通にするだろうし。……まあちゃんと聞いてからでもいいか、結論を出すのは……」
部下の「断言」にそう軽く突っ込むと、再び再生ボタンを押した。1分程すると、息が整った松島の話が再開された。
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「バブルが潰れて 税収も、落ち込む中、今はまだ、景気の刺激で それなりに 公共 事業 も 盛んだ。 だが そう遠くない内に かなり 減らされる って見通しで それを 見越した 生き残り の 争い が 既に起き 始めて、 大島 や 民友(党) の 党員 や 支援者 同士でも 争いが 起きる ように なって しまった。 甥 の 会社は その競争に 破れて 9月から は もう 潰れる のが 事実上決まった ような モン だった……。 だから もう 大島に 貸しを 作って おく 意味も 無く なって しまった……。おまけに 何故か 知らんが、あり得 ない 村山組 への 銃撃 まで 甥の 会社 の仕業に されて しまって いる らしい。甥 は そんなことを 出来る ような 男 じゃない。小さい 頃から よくあいつの 性格は わかってる。 誰かが 甥の会社を 陥れよう と して いる としか 思えん……。 だから、もう 甥の 将来を 俺が 気にして やった ところで 今から これ じゃ 意味 もない ってことだ……。俺は 死ぬ前に 知ってる ことを 全部 打ち明けて 何も 思い 遺すこと なく 死んで 行き た いんだ。刑事さん にも わかる べ? 俺の気持ちが」
「……なるほど。そうでしたか……。わかりました。そういうことなら、今になって告白しようというお気持ちになったのも判ります……。そうですね、重荷は下ろしておかないと……。 それで、佐田の失踪を知った時に、松島さんは、大島や伊坂に何か確認してみたんでしょうか?」
「いや、しなかった……。それは もう 暗黙の 了解 みたいな もんだべ? 大島 も、 俺が 何か バラす ような 人間じゃないと 信用 して いたのか いないのかは ともかく、 そういう お互いに 不利 なこと を しでかす 男 じゃ ないと 考えていた に違い ないから こその 俺の抜擢 だった はずだべ。 実際、 その後、当時は まだ 俺の兄貴が 経営 して たが、会社に 仕事が 更に 回って くる ように なったんだ……。あれは 口止め 料 の意味 だった んだろうな……」
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「仕事が更に回ってくる程となると、やはり伊坂から純粋な意味での斡旋を頼まれたと言う感覚では、少なくとも、事件後からはなかったんですね……」
「そうだな。松島もわかってたようだな、音声聞く限り」
西田は聞けばわかることを、そのまま言った吉村に小言を言おうかとも思ったが、グッと我慢して、柴田に再生ボタンを押すように頼んだ。
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「そうですか……。わかりました……。ちょっと 上申書の中身でこれも気になったんですが、佐田は話し合いでの去り際に、『この件はまだ、あなたが取った分の遺産を貰うべき人物が居て、その内の1人が見つかった。自分との話し合いはこれで終わりだが、その人物とは別に話をつけてもらう』と発言したとありますね。これについてはどうだったんですか?」
「どう だった って 言われても 何を 喋れば 良いん だべか?」
「具体的には、伊坂が、佐田のその話聞いてから、どういう反応をしたかとか、何か言ったかとか、そういうことですね」
「そう いう ことか……。それなら 伊坂は 佐田が 帰った後で 『見つけ られる わけ ない だろう』と笑ってたな」
「ところで、遺産を貰うべき人物で、『見つかった1人』ってのは、具体的に名前とか そういうのは、佐田の口から出てました?」
「名前 というか、何か 具体的に 言っていた はず だが そこは 思いだせない。 ただ、伊坂は、『少なくとも、名前すら わからない 奴 を どうして 探し 出せるんだ』と ブツブツ文句を 言って いた こ と だけは 思い出す……」
「うん? ちょっとわからないなあ……。松島さんは、名前こそ具体的には思い出せないが、佐田の口から具体的に『何かの言葉』が出たのは聞いてたんですよね? それについて、伊坂は『名前すらよくわからない』と言ってたんですか?」
「ああ そうだ。 それについて 聞かれても なぜ伊坂が そう言ったか の理由 は わから ない」
「そうですか……。よくわからないな……。まいった……。まあいいや……。重要な次の話に移らせてもらいます」
※※※※※※※
ここで西田は停止ボタンを押した。北村が、「佐田の口から、何かの言葉が具体的に発せられたが、それを聞いた伊坂が『名前がわからない』とも言った」という松島の発言の意味を理解できなかったのは、おそらく証文や手紙にあった、「免出重吉の名前もわからない遺児(北条正人の、弟・正治への手紙の記述より、遺児は男児とは判明済みだが)」の部分と結び付けられなかったからこその混乱だろうと考えた。
佐田実はその時、おそらく「免出重吉の息子(本当に見つけていたのなら尚更、息子と言う可能性は高い)」或いは「免出重吉の遺児」のような言い回しをしたのではないか? 佐田の中で、見つけたという遺児の実名が、仮にわかっていたとしても、相手にしている伊坂は、当然それを知らないわけだから、そのまま言っても通じなかったはずだ。だから佐田が伊坂に対して、この時点で実名を明かさないままだったことは普通にあり得た。
そして「免出の遺児」と佐田が口にしたことを以って、松島はそれを「具体的なこと」として認識した。しかしながら、その会話の流れでは、伊坂大吉が「名前すらわからない奴」という言い方をして全く不思議はない。しかし、そこをきっちり考えておかないと、傍から見れば違和感のある会話になるわけだ。
上申書の詳細な中身は、現状目の前に存在していないのでわからないが、北村がその意味の大きさに、思わず混乱するほどかなり重要な内容だったのだから、これについても頭がよく回転していなかったのかもしれない。少なくとも、北村は一時期この捜査からは外れてはいたが、証文や手紙の内容については、その後の捜査(喜多川の貸し金庫捜索など)である程度把握していたことは間違いないはずだ。当然全く理解出来ないはずがなかった。
そして何より、佐田が札幌の探偵事務所で1987年当時言っていたように、松島と伊坂の前でも、おそらく免出重吉の名前もわからないはずの男児について、「存在を突き止めた」と切り出していただろうことに、西田と吉村は驚いていた。おそらく、その男児(もう老人か老人に近い年齢だろうが)の相続すべきだった分か慰謝料に相当しそうなモノも、伊坂に要求しようとしていたと言うことが、松島と北村の会話を見る限り、上申書には記載されていたのだろう。
「片岡探偵事務所での発言と言い、佐田実はここまで言ってのけたんですから、本当に免出の息子を見つけていたと考えてもいいんですかね?」
と吉村は口にした。
「うーん、正直何とも言えん……。常識的には確率はかなり低いはずなんだが……。ただ佐田という男が、伊坂相手に、単にはったりとして言ったならば、片岡探偵事務所の職員にまで、敢えて同じことを言うとは思えないんだよなあ……。だから、やっぱり見つけていたんだろうか……」
2人の会話を聞いている柴田にとってみれば、まさにチンプンカンプンの内容に違いないが、いつもの柴田らしくなく、ただ黙って真剣に成り行きを聞いていたのが、西田にはある意味印象的だった。しかし、そんな感想を抱いているよりも、西田にとってはもっと重大な意味をこの北村と松島の会話から得ていた。
「ところで、問題はそれだけじゃないだろ吉村! 大阪での話憶えてるか? 竹下が俺に、『佐田は随分のんきに北見までやってきていたが、既に人を殺めたことがある伊坂大吉に殺される恐れについては考えなかったか?』って言ってた奴だ」
「はい、それなら憶えてます 係長は、『そういう認識だったからこそ殺された』って、主任に言ってたやつですよね?」
「そうだ。恥ずかしながらその通りだよ。でもこうなるとやっぱり、竹下の読み通り、佐田は保険を掛けていたんだなと思えてきたよ」
「保険?」
「そう、保険だ! 危害を加えられないようにする保険を掛けていたんだよ、伊坂相手にな。ところが伊坂にとっては、その『あり得なさ』故に保険にならなかったという皮肉な結末になったんだろうなあ」
西田はそう言うと、自嘲気味に笑った。吉村はすぐにはその意味を解しなかったが、しばらく思索すると、
「そうか! 『俺以外にも、お前の過去にしでかしたことを知ってる奴がいるんだから、俺にいい加減なことをするんじゃないぞ!』という脅しですか? 佐田が免出の息子を見つけていたなら、当然、当時のことを色々と、そいつに話している可能性は高いと考えるのが常識的ですからね。実際のところ、本当に見つけていたのか、そしてそれが事実だったとして、そんな話をそいつに打ち明けていたかもわかりませんけど」
と声を上げた。
「そういうことだと思う。しかし残念ながら、その発言をいわゆる完全なブラフとして、伊坂は取ってしまったんだな……。佐田はその点まで考えておくべきだった。普通なら、実際あり得ない発見だと、佐田自身も思っていたんだろうから……」
「そうなると、やっぱり佐田も、単なる浮かれ気分で北見まで乗り込んでいたというわけでもなかったんですね……。ある程度覚悟して会食に臨んだんでしょうか」
吉村はそう言うと、再生ボタンをまた押した。
※※※※※※※
「えーっと、ここは本当に大事なんですが、伊坂は、『大島も昔自分に協力して悪事に手を染めたことがある。そして、もっと大きな秘密も俺に握られている。だから、あいつは俺とは一蓮托生の関係だ』と、佐田が出て行った後、確かに松島さんに言ったんですね、書いている通り?」
「ああ、 間違い ない。 確かに そう 言った。 だから こそ、 『大島 は 俺に 協力 せざるを 得ない』とも言った」
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再生してすぐに、西田はすぐにストップさせた。
「昔、大島が何か伊坂と協力して悪事に手を染めたってのは、何だかよくわからんが、更にもっと大きな秘密があって、それらが、大島が伊坂に協力する必要性につながってるみたいだな。松島が大島も佐田実殺害に関わっていたと思ったのは、こういうことを聞いていたこともあったのか……」
「大島が伊坂と、佐田実殺害含め、ずっと協力関係にあっただろう理由は、単純に有力な後援者だったというだけではなかった……。というよりは、むしろこちらにこそ、理由があったというわけですね」
吉村も深く頷いていた。
「何かはっきりしないが、昔の悪事やら何やらで、伊坂に弱みを握られていたんだろうな。国会議員が過去に何か悪事をやっていたら、評判はガタ落ちになる公算が強い。下手をすれば政治生命に関わる! 伊坂と大島の関係ってのは、有力な支援者と議員ではなく、そもそもがこういう構造でも成り立っていたんだろう! ただ、問題はこれだけでは、悪事も秘密も、その中身がわからんことだ。全く検討が付かない」
西田の顔は紅潮し始めていた。再びテープを再生する。
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「上申書には 書いて ないが、佐田から 契約書 と 引き換え に 証文の ような もの を 伊坂 は 譲り 受けた んだが それも 佐田が 出て行った 後で 俺に 見せた」
「ああ、経営資金を融通する代わりに、佐田から受け取ったやつですね、結果的には偽の証文だったようだけど……」
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北村は、「結果的には」以降を口ごもるようにボソボソと言った。元々不鮮明故に更に聞こえづらかったが、その部分は2度程繰り返して聞いて理解した。そんな喋り方になったのは、松島に言ってもわからない話だったからだろう。
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「そうだ。 その 証文 を 俺 に見せた……。ああ これを 聞いとか ないとな……。 大島海路 と言う 名前は あくまで 選挙上 の 通名 なのは 知ってるべ?」
「ええ、何かそんなことは、チラホラと聞いたことはあります」
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北村の言い方は、「どうでもいいだろ」と言いたげだった。
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「だから、本名は 田所 靖で これは ちょっと 大島を 知っている 人間 にとって は 普通に 知る所 だ」
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西田はこの時、札幌での捜査で、吉村の同級生がやっていた居酒屋「イヨマンテ」での、サラリーマン2人の会話を思い出していた。
大島海路の由来は、師匠である、網走・北見に地盤のあった北海道第5区(96年まで存続していた、北海道の旧中選挙区の1つ。釧路、帯広、北見、網走、根室など、四国全島分の面積の選挙区だった)選出の名物国会議員だった、「海東 匠」の「路線」を引き継ぐ意志を示すための「海路」に、海東が属した「鳳会」という派閥の領袖であった、名宰相である大島憲一元首相からの「大島」である。両者を取って、「大島 海路」という選挙用の通名を名乗ったわけである。その時にも、「田所靖」が本名だという話が出ていた。それにしても、伊坂が松島に証文を見せた話が何故そちらに飛んだのか、西田には理解出来なかったので、意味を取ろうと更に耳を傾けた。
※※※※※※※
「そして、伊坂は その証文を 見せながら、 思いも しないことを 俺に 言ったんだ。 『この中に、 田所 靖に なる前の、俺と 一緒に 遺産を 横取り した 時の 奴の 元の 名前 が 書かれて いる』とな……。 その時に 『協力して 手を 染めた 悪事』の 意味も わかった」
※※※※※※※
これを聞いた瞬間、西田と吉村は顔を見合わせた。しかし何も言わず、いや言えず、テープを止めることすらせず、そのまま音声に集中した。
※※※※※※※
「何ですって!? 本当ですか? それで 大島海路こと田所は、元は一体何という名前だったんですか?」
北村は先を急ぐようにまくし立てたようだが、松島はそれとは対照的にゆっくりと答え始めた。
「証文に 書いてあった 名前は よくは 憶えて いない。もし、刑事さん が 名前を 憶えて いて それを 出して くれ たら わかる かも しれない」
「判りました! 自分はその証文に載っていた名前……、いや1人は名前じゃないか……それを全部把握してますから、今から紙に書いて示すんで、該当するものに憶えがあれば、指してください!」
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北村がペンで紙にサラサラと書く音がしばらくしていたが、すぐに会話が再開された。
※※※※※※※
「どうですか? この中に居ますか?」
「ああ、 居る。 これだ」
「これですか! これですね? 桑野ですね!? 本当に間違いないんですね?」
「ああ、こうして 出されたら 間違いない。 そいつ だ……」
「ちょっと待ってくださいよ……。ええっと、うーん、正直これには腰が抜けるほど驚いてます……。でもよく考えたら、この中じゃ確かに桑野以外にありえないんだよなあ……、伊坂が言ったことが本当なら」
※※※※※※※
ここで西田はテープを止めた。北村の呟きは確かにその通りだった。北条正人や免出の息子である訳がないとすれば、残るは「桑野 欣也」だけである。更に、伊坂が握っていた大島についての「大きな秘密」とは、おそらく、大島の「表向き」の本名である「田所靖」とは似ても似つかない「桑野欣也」という名前が実名且つ実体であり、流れからして「偽装」が疑われるということなのだろう。
そして、西田達がこれまでにも聴取してきた、佐田徹・実の長兄・佐田譲や北条正人の弟である北条正治の話を考慮すれば、「昔、大島が伊坂と協力して手を染めた悪事」とは、「伊坂と大島こと桑野が、免出の遺児と北条正人の分まで、仙崎老人が遺した砂金を盗った」ということで、大方間違いないはずだ。西田の手は微妙に震えていた。勿論緊張からではなく、やっと大きな尻尾を確実に掴んだと言う、喜びからだ。
「係長! ある程度は既にわかってましたが、今ので、大島が佐田殺害に関わったことを推測させる根拠が、これではっきりしましたね。佐田譲や北条正治のこれまでの証言とも整合性が取れます! 早く課長や竹下主任に教えないと! 主任は特に喜ぶだろうなあ」
吉村も破顔一笑と言うにふさわしい笑顔だ。
「……まあ、ちょっと待て! 最後まで聞いてから喜べ。北村の事件に関わる情報がまだ入っているかもしれないんだから!」
柴田はそんな喜びに溢れる2人を見て諌めた。
「確かに!」
西田は強めに再生ボタンを押し込んだ。
※※※※※※※
「しかし、伊坂は、 他にも 気に なる ことを その時 言って た ぞ。『大島 の 奴 は』 えっと 桑野 だったか ? 『その 名前 の おかげで 俺が体験 した ような 地獄 からは 確実に 逃れられた』と……」
「えっと……、よくわからないんですが、それはどういう意味なんですか?」
※※※※※※※
よくわからないというより、全くわからないという方が、当時の北村の心境を加味すると正しいのではないかと、西田は聞きながら考えた。
※※※※※※※
「俺に も わから なかった から、 聞いて みたんだ。そう したら……」
「そうしたら?」
「『あんた は、 俺と 同年代 の癖に わか らないのか? 察しが 悪いなあ』と言って、何か 言おうと していた が、 丁度 その時 割烹 『風鈴』 の 女将が 挨拶 に来て な。 2人共、よく 使う 上客 だったから 当然のこと だったが……。そのまま、 女将と 談笑した 挙句、 伊坂は 用事がある と先に帰った よ。それに ついては それきり だ……」
「それじゃわからないですね……。まあ、それ自体は、おそらく大したことじゃないでしょうから…… 気にしても仕方ないですね」
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西田も吉村も、勿論事件について詳細に把握していない柴田も、この松島孝太郎の発言については、その前の「重大事実」を聞いた後では、何の意味も感じていなかった。否、感じるはずもなかったろう。証文の桑野欣也と大島海路が結び付くという、まさかの展開に加え、大島が伊坂と、伊坂の言葉を借りて言うなら、「一蓮托生」の関係だった事実の前には、明らかに霞む内容だった。おそらく、北村もそうだったに違いない。
ただ、この伊坂が言わなかった答えこそが、大島海路という人物の素性を知る上で重要なことだったと、7年の時を経た捜査中にやっと気付くことになるとは、この時の西田が知るはずもなかった。そしてその録音テープの先に聞きたくない事実が記録されていた。
※※※※※※※
「とにかく、我々捜査陣にとって、大島の事件への関与は重大な関心ごとでしたから、感謝しかないような上申書です。本当にあり……」
※※※※※※※
ここで扉が開く音なのだろうか
微妙にスーッっと言う音が微かに入っていた。そして、
※※※※※※※
「……何だお前ら!」
と北村の怒号が飛び、
「キャー」
という、百瀬の悲鳴がした。そして、パシュッ パシュッとかなり連続して、おそらく拳銃の発射音が録音されていた。
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サイレンサーを使ったのではないかということだったが、思ったよりは発射音は響いており、銃弾を浴びせた音がはっきりと入っていた。北村も銃撃を受けて、呻くような声は入っていたが、それもすぐに消えた。確かに即死状態だったのだろう。それを聞いていた2人は示し合わせることもなく、静かに目を閉じ、同僚刑事の死への怒りに唇を震わせていた。
しかし、同じ場に居合わせた柴田は、発射音を数えていたのだろうか、発射音が切れるともう数回巻き戻し聞いていた。感情より職務を優先させた彼は、残された銃弾と発砲数をチェックしていたようだ。西田と吉村には理解出来ないと言うか真似できない部分ではあったが、このこだわりが柴田なりのやり方なのだろう。
その後も、この部分に、北村始め3名殺害の重要なヒントがあるかもしれないので、西田達は黙って聴き続けていた。下手な感傷に浸るより、それこそが北村への供養になる。そういう刑事としての意識が先に、柴田以外の2人にもやっと「訪れていた」。そして、実際にそこからは、銃撃の際に入っていなかった犯人グループの音声が入っていた。
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「おい、全員殺ったか?」
「大丈夫……。問題ない、お陀仏だ」
「例の紙とそいつが持ってたメモ帳は俺が回収したから。さっさとアレ回収しとけ!」
「どこだっけ?」
「コンセントの所だってよ、早くしろ!」
「あ、あったあった! じゃあ早く一緒にアベ!」
「……」
「あ……、また余計な癖が……。早く行くぞ!」
そして犯人達のドタバタした音は、ドアが閉まる音と共にすぐに聞こえなくなった。
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「ラッキー過ぎる! 犯人の中にアベってのが居たようだな!」
西田は、まさか犯人の苗字が音声の入っているとは思わなかったので、これを聞いた途端、ある意味浮かれていた。先程までの沈んだ気持ちは何処へやら、刑事の性が出た。言うまでもなく、北村の敵討ちのためにはホシを検挙する必要があるのだから、喜びは不謹慎なわけでもないにせよ……。
「まさか録音されてるとは思ってなかったから、名前がでちゃったんですね!」
吉村もしてやったりの顔をしていた。しかし、柴田だけはそれほど喜んでいなかった。
「ただ、アベって言っても、普通の阿寒湖の阿の阿部やら、安い部の安部やら、安い倍の安倍やら幾つかあるんだぞ!」
喜んでる2人を前にして、冷静に注意した。
「言われてみりゃあ……。ありふれた苗字だし、字のパターンもありますね。ワタナベみたいなパターンですか……」
そう言われて、急に喜びを半減させたような吉村に、
「もっとも、全くわからないよりははるかにマシだろう」
と西田は慰めた。
それにしても、松島の上申書は、銃弾の状況、音声の状況から、目撃証言通り、おそらく2名の犯人グループに盗られていたようだ。1人の苗字が判明したとは言え、肝心の上申書を奪われたのは痛恨の極みだった。北村が書いていたと思われるメモ帳も盗られていたようだ。しかし逆に言えば、この銃撃犯の目的は、犯人達が認識していなかった北村の録音によって、白日の下に晒されたと言って良い。メモ帳を取っていた北村が、まさか録音までしていたとは思いも至らなかったのが幸運だった。時間がなかったとは言え、それらのことに完全に気が行って、むしろ変に服まで探られることが無くて良かったのかも知れない……。
いずれにしても、これにより、ヤクザの抗争による松島への報復・2人の巻き添えと言う筋書きは完全に消えたと言って良かった。テープはその後、犯人の逃走を目撃して、第一発見者にもなった、隣の個室の入院患者が室内に入って、悲鳴とも驚きともつかない大声で叫んだ後、病院関係者らしき人間がドタバタ入り込んできて、騒ぎになり、外からのパトカーや救急車と思われるサイレンの音がかすかに聞こえてきた辺りで時間切れとなったようだ。そこで自動的に巻き戻されたのだろう。
「それにしても、犯人はどうして、北村さんに松島が上申書を渡すことを知っていたんでしょうね? 元々タイミングが良すぎたことが怪しかったとは言え、目的が完全にそれなのはもう間違いないでしょうから、偶然とは思えない」
吉村が、松島が北村に佐田の事件について何か言おうとしていたことから、それに関係して殺害されたのではないかと疑う、捜査陣にあった当然の疑問を呈した。
「それはあれだ。コンセント云々って会話が鍵だろう」
柴田が遠回しに答えを言った。
「なるほど! やっぱり盗聴器ですか!」
吉村はそのヒントですぐに気付いたようだ。
「まず間違いないな。常時電源に繋ぎっぱなし、且つタップとしても普通に機能もする、完璧な盗聴器があるからな。あれは一目では、盗聴器とは区別できないはずだ。それを使っていたんだろう。そしてその盗聴器で、当日に北村が松島から警察への上申書とやらを手にすることを知り、受け渡しを阻止し、上申書自体も奪おうとした。実行犯と盗聴していた奴が同一かはともかくとして、少なくとも盗聴犯は病院から結構近い場所に居て、実行犯もおそらく北見市内、もしくは近辺に居たんじゃないか? すぐに盗聴の情報で駆けつけたんだからな」
柴田は鑑識らしからぬ的確な推理を披露した。
「突発的に発生した可能性も少なからずはあったが、こうなってくると、ある意味計画性がないとあり得ない犯罪だよなあ。しかし個室に盗聴器を仕掛けるとなると、かなり限定されるはずだ。常識的に考えれば、見舞いに来た奴か病院関係者のどちらかになる」
西田も柴田の考えを踏まえて意見した。
「見舞いは、例の大平技建の甥っ子とその家族ぐらいしか来てなかったそうです。政治関係やら昔の知人には、見舞いを固辞していたようで……」
吉村は柴田に説明した。
「更に病院関係者となると、もう死が迫ってる患者なんですから、担当医師や担当、あるいは担当以外でも出入りしたであろう他の看護婦なんかだと、もっと『穏やか』な方法でばれないように殺害することが可能だって話が、捜査会議でも出てます。やはり医療には直接従事していない病院関係者というのが、まず考えるべき道理ですかね」
「吉村の言う通りだ。ただ聴取ではまだそれは見えてきていない。それに問題となるのは、手を下したくはないが、殺害犯が殺害するのに、何か協力だけしたというパターンだと、殺害の容易性から可能性が低いとされている医者や看護婦の関与もあり得るという点かな。しかし、やっぱり確率的には低いのも確かだろう。まして少なくとも百瀬由紀子は一緒に殺害されてる」
「係長、口封じで『協力者』を殺害したと言うことは?」
吉村の形式的な反論に対し、
「その可能性はまずないな。理由は単純だ。看護婦に盗聴器をわざわざ仕掛けさせるぐらいなら、直接彼女から情報を得た方が早いだろ。実際松島は彼女とは打ち解けていたようだし、傍に居たわけだから」
と自信を持って答えた。勿論、その『看護婦は巻き込まれたただの犠牲者』という説は、盗聴器云々の話は別にして、ある程度捜査陣では既に共有されていた「答え」ではあったが。
「それもそうでした……。ああ、それはさておき、一刻も早く捜査本部に伝えないと!」
吉村は手をパンと叩いて言った。
「吉村の言う通り、捜査本部にすぐ報告して……と行きたいところだが、松島を探っていた人間が居たとなると話は違ってくるな。伊坂と佐田の間で取り交わされた契約書について、松島が北村に対してした、この前の聴取が今回の発端になった可能性がある。それが警察内部に巣食ってるエス(スパイ)なのか、単に捜査情報が悪意なく外に漏れたかはわからんが、犯行グループに流れていたかも知れない。現時点では、出来るだけこの情報を伝える人間を、かなり絞っておく方が吉じゃないか? いつまでも黙ってる訳には行かないだろうが、すぐに伝えるのも得策とは言えないだろう。そういうわけで、柴田さんもこの件については、まだ他言無用でお願いします。後、テープもダビングお願いします」
西田は柴田に言葉遣いは丁重だったが、強く要請した。柴田は、
「全くお前は無茶を言うなあ。仕方ねえ、なるべく早く報告するんだぞ! こっちは規則違反なんだからよ。2、3日が限度だぞ引き伸ばすのは!」
といやいや応じたが、目は笑っていた。




