明暗31 (167~173 遠軽署での本橋の取り調べ)
西田達を乗せたワンボックスカーは、旭川鷹栖インターチェンジを下り、そこから国道39号を経て、上川町で国道333号線へ入った。そこから、ひたすら山中の樹海を走行し、例の「囚人道路」で有名な北見峠を越え、遠軽署へと到着したのが昼前だった。まさに囚人である本橋を囚人道路で運んだのは皮肉だったかもしれない。
現場ではなかったが、ここにもちょっとしたマスコミが押しかけてきていた。今回でちょっとは馴れたこともあり、彼らを横目にしつつ何事もなかったかのように署内へと本橋を連行して入り、1度昼食を兼ねた休憩をした。とは言え、1時間程で生田原の現場へとまた向かうこともあり、「戻ってきて落ち着いた」という感覚を西田が持つことはなかった。
一方署内では、あの悪名高い連続殺人犯が片田舎にやって来るとあって、いつもより落ち着かない雰囲気に満ちてはいたものの、皆それを敢えて隠そうとしているような不自然な態度をしていたせいか、より違和感のある空気感となり、それをヒシヒシと西田は感じていた。
一時的に寄っただけということもあり、本橋は留置場には入れず、刑事による監視の下で昼飯を食べていたが、竹下と吉村の姿を見つけると、片手を挙げて「挨拶」した。それに対し竹下は小さく頷き、吉村は手を挙げて応じた。竹下としては必要最小限のリアクションだったが、おそらく、現場検証が済んで戻ってきた後から始まる「闘い」への備えがそうさせたのだろうと、西田は考えた。
そしていよいよ生田原の現場へと向かうと、例の実質的に駐車場になっているスペースには、既にマスコミが大量に押しかけており、これから始まる実況見分を撮影しようという、殺気立った連中がうろついていた。
それを遠軽署から応援に来た警備課の警官が制して、そこにワンボックスカーと他の道警本部、北見方面本部、遠軽署の捜査員達を乗せた警察車両が駐車していく。普段は人気もない山中が、殺人事件のせいで、おそらく常紋トンネル工事中以来の人で溢れているという歴史の皮肉を、あの「辺境の墓標」に眠っているタコ部屋労働の犠牲者達も感じているのではないかという思いが、西田の脳裏にぼんやりと浮かんでいた。
それから始まった実況見分では、鑑識も交え、本橋の証言を元に検証がされた。ただ、ある程度は事前に予測されていたこととは言え、さすがに景色が一様な山の中で、しかも8年前の事件となると、必ずしも本橋の記憶もはっきりしていない部分が目立ち、この検証が即事件の立証へと直接結び付くというわけにはいかなそうではあった。翌日も見分は予定されていはいたが、結局は銃弾の成分分析とその他の秘密の暴露を優先して根拠とすることで起訴されることになるだろうと、捜査指揮も兼ねてやってきていた倉野課長は沢井と西田に告げていた。
※※※※※※※
喧騒の中、夕方まで見分をした後、遠軽署へと一同は戻って来た。本橋はひとまずは留置場送りとなり、遠軽署以外の捜査員も含め、全員が休憩していると、ニュースで実況見分の映像が流れていた。捜査員の中には、
「お!、おまえ映ってるぞ!」
というような軽口が交わしている者も居たが、大半の連中は、結構な山の中を歩いたので、大した時間を掛けた検証でもなかったが、疲労のせいか喜々として会話をする気もなさそうな態度であった。
そんな中、倉野は沢井に、
「一応、実況見分についての聴取を先にやった後で、遠軽署としての聴取の時間を取ってあるから」
と耳打ちした。あくまで遠軽署独自の聴取は「刺身のツマ」ということだが、時間を取ってもらえるだけありがたいと言う側面も否定は出来なかった。沢井はそれを西田と竹下にも伝えると竹下は、
「わかりました」
と小さく言って、捜査用の作業着から背広へとその場で着替え始めた。
実況見分についての本部捜査員による聴取が終わった後、西田と竹下は本橋と対面した。その前の聴取で、普通の被疑者であればかなり精神的な疲労でぐったりしているレベルのはずだが、本橋は相変わらずケロッとしていた。良くも悪くもタフさを見せつけていたわけだ。正式な逮捕後の聴取である以上、本来ならば書記を入れるべきだったが、具体的な供述でも始まるまでは必要ないと、敢えて二人だけで臨んでいた。余計な人間を入れない方が良いという判断が根底にあったことは言うまでもない。
「あんたか……。また喋るのを楽しみにしてたんや」
いきなり含み笑いを浮かべながらそう竹下に告げたが、竹下はそれに対して無反応だった。
「愛想悪いな、相変わらず」
「まあそう言うな。それでちゃんとさっきの聴取には応じたのか?」
椅子を引きながら西田が割って入った。
「まあな。大した話じゃない。現場でした話の確認みたいなもんや。記憶が曖昧な部分があるから、そこら辺を詰めたかったみたいやね」
「そうか、それならよろしい」
まるで教師のような言い方をしながらも、西田はタバコを差し出し、ジェスチャーで「吸うか?」と尋ねた。
「ほう、こりゃまた偉い気の回しようやね! 恩に着るで!」
本橋はタバコを受け取って指で挟むと、そこに西田はライターで火を付けてやった。
本来ならこんなことはあり得ないのだが、本部組が倉野以外はマジックミラーの外から見ていないことを知っていたこともあり、大盤振る舞いのサービスをしてやったということだ。ただ、そうした行動を取った理由は、この聴取は主に竹下主導で行い、西田はあくまでサポートに徹するということがあった。部下の為に本橋の機嫌を取ったということでもある。上司を差し置いてそういうやり方を竹下がするタイプではないと知っていたからこそだ。竹下はそれを黙ってみていたが、本橋が一度灰皿にタバコを置いたタイミングで話し始めた。
「どうだ、こっちは札幌より寒いだろ。もう2週間もすれば、雪が積もり始めて不思議ない所だから……」
やけに「人情派」刑事のような切り出し方をしたことに、西田は違和感を覚えたが、本橋も同じ感覚だったようで、
「何や? 染みったれた話するなあ」
と再びタバコを手にとって竹下をマジマジと見た。そして、
「まあ確かに山の中は寒かったな……。でも真冬の大阪拘置所の中も普通に冷えるからな」
と淡々と言うと、タバコの煙をふわっと吐き出した。
「じゃあ、早速、色々聴いていくぞ!」
その様子を見ながら、竹下は椎野の手紙などの資料の端を机でトントンと揃えて気合を入れるように声に出した。
「さあどうぞ」
本橋は軽く背筋を伸ばすと、タバコを灰皿に置いて消し、両腕を机に置いて構えた。妙に礼儀良く、西田は一言言いたくなったが、竹下の方は相変わらずそういう余計なことに時間を掛けたくないような印象で、本題に切り込んだ。
「お前が佐田実の殺害を自供するつもりになったのは、お前の話を真に受けるならば、死刑になって洗いざらい打ち明ける気になったって話だな。勿論、少なくとも、隣の係長と俺は信じちゃいない」
竹下の話に本橋は余裕の笑みを浮かべた。
「大阪で色々聞いた時は、正直まだ事情を把握していなかったこともあって、肝心なことを聴いていなかった。だから遠軽ではそこを重点的にやるぞ」
「そないなこと言われても、事実は事実やからな。大阪だろうがココだろうが、同じモンは同じやで」
予想通りの回答に竹下は何も言わず、
「本当は誰かに自供するように頼まれたんだろ?」
と一気に踏み込んだ。
「誰かに頼まれたやて? 一体誰に? 何のために?」
本橋は薄ら笑いを浮かべたまま、竹下の方へと上半身を乗り出すように口ごたえした。明らかに挑発の仕草だ。西田は、
「おい!」
と一言発し、片手で本橋の肩を軽く押して椅子に座るように命令した。
「それはこれからじっくり聴いていく」
冷静な部下は静かに、目の前の難敵にそう言い放つと、
「お前の無実の主張を書いた本を出そうという話が、ある新聞社からあったそうだな。まあ今回のお前の一連の自供で、結局は計画自体が白紙になったようだが……」
と言った。竹下は元々本の出版計画が有名無実だったことを五十嵐から聞いて知ってはいたが、敢えてそういう言い方をしたのだろう。
「ああ、あったな、確かに」
「その為に、おまえと新聞社の記者が拘置所で会ってたって話を大阪で聞いた」
「そうや。確かに面会に何度か来てくれたんや」
「何を話したんだ?」
「何って、俺の半生やら起訴された事件についてやな。まあ無実訴えていたのは嘘やったけどな。はははは!」
本橋はわざとらしく高笑いした。
「その新聞記者は東西新聞の椎野って奴だろ?」
「せやな」
「その記者を紹介したのが、おまえの顧問弁護士の所属事務所の、顧問弁護士とは別の梅田って弁護士らしいな。何でも8月の頭頃に突然現れたそうだが、それについては顧問弁護士の2人は何か言ってたのか?」
「ああ、忙しいから手伝いの別の弁護士が来るとな」
本橋はさっきまでより、徐々に真剣な受け答えになってきたように思えた。ここで西田が初めて口を挟んだ。
「どういう風におまえに椎野を紹介したんだ? 積極的に会うように薦めたのか、単にこういう話があるという感じだったのか?」
「えっーっとなあ……。確か、『無実を世間に主張したいなら、会ってみたらどうか?』というような感じだったと思うで……」
「それで会ってみる気になったのか?」
「ああ」
ここまで、勿論本橋が本当のことを言っているなどとは微塵も思っては居なかったが、話をひと通り聞いた上で切り込んでいく算段なのは、西田も理解していた。特に話の腰を折ることもなく、2人の刑事は話を進めていく。
「会ってみて、本を出すことになり、題名を決める話が出たんだな?」
「せやな」
「題名はお前が決めたのか? これがその候補だな」
竹下は資料から、椎野が本橋に出した手紙のコピーを示した。
「……」
「拘置所に椎野が送ってきた手紙のコピーがそれだが、どうやら2つ程候補があったみたいだな。その案自体をお前が考えた上で決めたのか?」
竹下の質問に答えなかったので西田が更に突っ込んで聞いた。
「椎野が提案したものを俺が選んで、俺が手紙を出したはずや……」
本橋はやや投げやりに返した。竹下は手紙のコピーを見ながら、
「それで本の題名に決めたのが、『THE JAYWALKING 今から始める自省と着た濡れ衣』
って言うことなんだな? もう一方の『THE CROSS-生まれより背負った十字架そして負わされた冤罪』よりどこが良かったんだ?」
と尋ねた。
「どこが良かったとか言うよりも、あくまでフィーリングや、フィーリング!」
西田に本橋はフィーリングを強調して答えた。
「どっちも何というか、狙ったような臭いタイトルだな。俺ならどちらも気に食わないのであ選ばないが」
竹下は感情も込めずに嫌味なコメントをしたが、
「一々センスがどうこうとか、こっちは本が出りゃいいんだから、考えてないって!」
と本橋は呆れたように言い返したが、竹下はそれには反応せず、
「ところで、おまえは若いころ頻繁にフィリピンへ行ってたそうだが、本当か?」
と急転直下話題を変えた。本橋のペースに巻き込まれないという強い意志を西田は感じた。
「おい、話を勝手に変えんじゃねえぞ! ……ま、ええか……。ああ、そんなこともあったな。誰に聞いたんや?」
「大阪府警のマル暴担当だ。目的は拳銃の密輸とかヤクの密輸とかの為か?」
「まあそんなところやな……」
「フィリピンはタガログ語と英語だが、どっちを使ってた?」
「なんだ急に変な質問始めやがって!」
竹下が急に話題を変えたのを改めて訝しんだ。
「答えたくないなら答えなくてもいい」
竹下は事務的にトーンを落として突き放した。
「ふぅ……。わかったよ! 答えてやるよ! 英語だ英語!」
「英語は結構行けるのか?」
「まあ日常会話程度はな。英検何級とかそういう話じゃねえが」
「じゃあ、JAYWALKの意味も知ってるんだな?」
「JAYWALK? 俺は一切知らんぞ」
「おかしいな。お前のフィーリングってのは、言葉の意味も理解しないままだったのか?」
「ああそんなもんや!」
竹下の突っ込みに、微妙にイライラを隠せなくなってきていた。ここまでは竹下の流れだ。
竹下はここで机の上の資料を両手に取ると、
「お前が以前所属していた葵一家だが、組の金の問題で破門されたんだよな?」
と聞いた。
「また話変えるんか……。そや。子分が上納金持ち逃げしてな。組長は何とか助けてくれようとしたんやが、それに甘えるわけにもいかんかったんや。それで破門! どっちかと言えば、こっちが突き付けてくれと相手に半ば頼んだような形やな。エンコ詰めるだけでどうこうなる問題じゃなかったからや」
「破門ってのは、実は将来的には許される可能性があると聞いたが?」
「ほう、よう知っとるな、マル暴でもない割に……。でも今やもうこういうことがバレたら戻れんやろ」
「それもそうだな。ただ、組にバレたのがおまえが自供してからなのかは疑問だがな……」
竹下はそう言うと、本橋を覗きこむように見据えた。
「そないなこと俺に言われても困るわ!」
本橋はそれに対し、椅子の背もたれに大げさにふんぞり返って言った。
西田は部下が尋問し続けるのを横でただ眺めていたが、
「おまえの一連の殺人……。実は全部、裏で葵一家が絡んでたんじゃないのか? そうすりゃ葵一家が破門以上の更なる対応をしなかったことに整合性が付く。依頼から金の受け渡しまで仲介したのが葵一家という考え方もあるんだぞ!」
と再び口を挟んだ。
「下衆の勘ぐりやな。俺は破門されたんやで! 破門した構成員と取引する組なんかあるかいな!」
白々しくふてぶてしい笑顔に、西田は机の下で拳を握り締めかけたが、竹下が本橋の目の前に、椎野からの最後に届いた手紙のコピーを取り出して本橋の前に並べたのを見て、「いよいよか」と、怒りよりそちらの方に注意が向いた。
「これ、当然見たことあるよな?」
「さっき話してた奴やろ? 勿論」
「少なくとも最初の2通は、死刑判決確定後のこれと違って、面会で済ませても良さそうな話だが、わざわざ文章にして出したみたいだが……」
「あんたは知らんのかもしらんが、面会ってのは案外短いんやで。だから全部の話が済ませられるとは限らんのや!」
「ふーん。なるほど。でも仮に話す時間があったとしても、短い時間の間のやりとりでは、いざという時に内容を忘れると困るので、きちんと文書化しておいたってこともあり得るよな? まあそれは今は置いておこうか……。そして死刑確定後の手紙がこれなわけだ……。ちょっと読んでみるぞ」
竹下はそう言うと、3通目を朗読し始めた。本橋は黙って聴いていた。
読み終えると、再び紙片を本橋の前に置き、
「この文面、本当はダミーだろ?」
と、ここで初めて強い口調で問い詰めようとした。
「ダミー? 何がや?」
口ごたえした本橋に、紙面を一字一字指差しながら、
「今 が 自 白 の タ イ ミ ン グ 決 め て く れ」
と斜めに読みながら区切りつつ強調すると、
「これがこの手紙の真意じゃないか? どうだ違うか?」
と両手をドンと机に突いた。
「はあ? そりゃお前が都合良く読んでるだけやないか! 特に『た居未ん具』なんて、お前そりゃ、無理があるわ! ははは……」
と空笑いで声を出した。西田からはそれが痛いところを突かれて焦った末なのか、落ち着いて追及を回避しようとした故の、演技からたまたま出た結果なのか、瞬時には見分けが付かなかった。わざとらしい感じこそしたが、それが無意識に出てしまったのか、意図的なのかわからなかったのだ。これまでのふてぶてしさが判断の付かなさに影響していた。ただ、西田の勘違いなのかもしれないが、竹下に手紙に隠された真の意図を読み上げられた瞬間、本橋の口元が一瞬だが緩んだような気がしていた。あくまで気がしただけとも言えたが……。
「確かに、これだけ取ったらそういう反論も出来る。ただな、それまでの2通を踏まえると、そうは思えないんだがなあ……」
先に書かれた手紙のコピーを、今度は本橋の面前に改めて差し出した。
「『クロス』、『ジェイウォーキング』。何も共通性がないように見えて、そうでもない気がするんだが……」
竹下は突き刺すような視線で本橋をじっと見つめた。本橋はそれを真正面から受け止め、火花の出るような「睨み合い」ながらも、それと矛盾するような静謐な空気を一瞬西田は感じ、戸惑った。その空気を感じた理由は、互いが相手の出方を探ることに、睨み合いの内実集中していたせいではないかと推察したが、西田とて、その答えに一切の自信は無かった。
「だ・か・ら! ジェイウォークなんて言葉知らんわ!」
言い捨てた台詞を拾うつもりは毛頭無かったのか、竹下は相手が言い終わるのを待たずに、
「どっちの題名案にも、CROSSとJAYWALKという横断するという意味を含んだ単語が含有されてる。特に『JAYWALK』には『斜めに横断』するという意味がある。おまえだけでなく、椎野も英語に堪能だという情報が入ってるんだ。それだけじゃない。椎野はとあるルートを通じて、おまえが居た葵一家と間接的にコネがあるな? そしてこれも聞いた話だが、ヤクザには昔から、手紙の縦書の普通の文章を横方向に読んで、別の内容を知らせる手段があるそうじゃないか? お前と椎野の間にそういう『暗黙の了解』があれば、面会において最低限度のやりとりだけで、拘置所側にも気付かれず、重要なやりとりをすることが可能だったんじゃないか? タイトルの後に付いていたサブタイトルが、『どこから読み始めるか』を指示したとすれば、全てが繋がるんだぞ!」
と竹下には珍しくドスの利いた声で怒鳴った。ただ、相手がそういうことに動じるタイプではないことは、竹下も当然織り込み済みではあっただろう。
一方の本橋は、ここに来てむしろさっきより、何故か落ち着き払った態度に見えた。その理由を西田は探り始めた。
「よく出来た話やけど、最初から最後まで全部あんたの勘ぐりやな……。まあ世の中、必然と偶然で成り立ってるわけやから、たまたま偶然が連続して起きることもあるわな。そして人はそれを必然として勘違いすることも往々にしてありがちや」
本橋は口調こそゆっくりだったが、きっぱりと反論した。それを聞くや否や、
「偶然でこんな上手いことが起きるわけ無いだろ! そもそもこの手紙がおまえに渡った直後に、お前は突然裁判沙汰になった事件と共に、何故かお前が関与していたことすら誰も想像していなかった、佐田実の殺害事件まで自供したわけだから。ここまでが偶然なんて言い出したら、世の中に必然なんて言葉は必要なくなるな!」
と、西田は急遽助け舟を出した。いや、助けになりたかったと言うよりは、むしろ純粋にそういう感想を言いたくなっただけだったかもしれない。
「本当は椎野のバックに誰が居るかもわかってるんだろ? ヤクザの世界とは一見関係なさそうな連中が!」
「バックなんて知らんわ」
竹下が続けて詰問するも、本橋は綺麗に追及をかわしながら知らぬ存ぜぬを通した。ずっとこの調子でやってきたわけだから、予測出来た成り行きではあるが、西田は徐々に、取り調べ中の本橋の態度の変遷を理解出来たような気になってきた。
先程までは核心の周囲を徐々に突かれているような感覚で、多少動揺があったものの、いざストレートに核心を突かれると、ある種の開き直りの心境になったのではないか? そういう感情の起伏が、いざとなるといつもの本橋への回帰に繋がったと結論付け始めていた。しかし、本橋には初めから本当に動揺する理由などなかったのだと知るのは、遥か後の話になる。とは言え、この時点では、西田が自分の考えが間違っていると知る由も無かったのは仕方ない。
一方、完全に「当事者」である竹下は、そんなことにはお構いなく、なんとか取っ掛かりを本橋から引き出そうと躍起になっていた。普段冷静な竹下ではあるが、政治側との関係を証明できる具体的な証拠が、手紙の他は現状まだ無いこともあり、本気で焦っているようだ。そういう時の竹下は滅多に見られないが、そういうタイプの人間がそんな様子を一度出してしまえば、ある意味、常人以上に態度にわかりやすく出ることがある。つまり悪い時の竹下の状態だなと、本橋の態度と対照的な姿に、西田はもうちょっと、自分が介入した方がいいのかなという気になってきた。
「竹下、ちょっと俺にしばらくやらせてくれ」
西田はそう言うと、「選手交代」を要求した。
「あ、はい……」
不満気ではなかったものの、さすがに釈然とはしていない様子だったが、上司としてここは敢えて我を貫く場面だろう。構わず尋問に入った。
「お前さんがまともに答えるとは、最初から思ってはいないから、まあ予想通りの展開ではあるんだが……」
そう前置きしながら、
「自供した佐田実殺害の件は、とある別の殺人事件の捜査から俺たちは既に調べてたんだ。被害者は若い男性でな……。そっちはお前と一緒に佐田を埋めた篠田って奴の仕業だと見てる。これはあくまで推測に過ぎないが、佐田の事件から5年後の夏、あの現場で佐田の遺体を確認しに言った篠田が、遺体を掘り出した後に、まさにたまたまその被害者の青年と遭遇し、口封じのためにその場で殺害したんだと考えている。母一人子一人の家庭の息子が殺害されたわけだ。母親の気持ちはお前でもわかるな?」
と語った。
「泣き落としに掛かっているつもりか? 真実を言うてる人間に、そんなことして何の意味があるかいな。大体、その件は一切俺のせいやないで」
本橋は話の導入部分を笑って一蹴しようとした。
「勿論そんなもんがお前さんに通用するとは1ミリも思ってない。だがな、その被害者に何の落ち度もない事件が、お前が関わった事件に全て起因しているとすれば、それについてもキチンとカタを付けるのが、せめてもの手向けだと思ってるんだ、こっちは……。残念ながら直接のホシである篠田は既にあの世に行ってしまって裁かれる場がない。だからこそ、俺はお前の事件をキッチリ始末しておきたい」
西田は顔を本橋の顔へと近付けて、言葉の中身と裏腹に静かに言い切った。
「その手向けなら、伊坂ってのが俺に指示して、俺が殺して篠田とか喜多川ってのが埋めたって話をちゃんとしてんだからそれで済むやろ? 何故更に疑うのかわからへんなあ? どうして、俺が何か隠しているか疑うが理解でけへんぞ! あんたらだけやぞ、そんなこと言ってんのは!」
やけに「だけ」を強調して本橋は凄んだ。
「殺人だけ切り取れば、お前の話だけで足りるかもしれん。だがな、その周辺のことも勘案すると、やはりどうしても筋が通らない部分が出てくる! この事件、まだ明らかになっていない側面が多い。そこをきちんと明らかにすることが、今の俺たちの責務と考えている。大体、お前と死んだ連中の責任におっかぶせて、逃げ切ろうとしてる奴が居るとすれば、おまえはそれを許せるのか? そもそもが、お前の死を利用しようとしてるんだぞ!」
この発言の直後、本橋の口元が瞬時に僅かに歪んだのを西田は見逃さなかった。しかし、コンマ数秒の変化で元に戻すと、
「せやから、そう言われても事実は事実やから、どないしようもあらへんのや! あんたらは事件を勝手に捏造しようとしてるんか?」
と今度は落ち着いた口調で反論した。
「組への借りを返したいという気持ちは、無理をすればわからんでもないが、組はそれを利用してるだけだ! それがヤクザの世界の実態だろ? 義理も人情もない! どうせ死ぬなら、ホンマモンの義理と人情を見せたらどうだ?」
しばらく西田に任せていた竹下がここに来て加勢した。ただ、2人の言葉に「変化」を見せたのは先程の一瞬だけで、その後は押しても引いても動じない本橋に、刑事2人はそれ以上為す術なく、最終的に1時間半の聴取を終えることとなった。
※※※※※※※
全てが終わり本橋以上に疲れ切った西田と竹下に、裏から見ていた倉野と沢井が労をねぎらった。
「後は明日の朝だな。現場に行く前に30分。それで君らの今回の捜査も終止符を打つ。悔いのないように」
倉野の言葉は、慰労ではあったが、同時に遠軽署捜査陣にとっては「死刑宣告」と同意義でもあったことは言うまでもなかった。西田と竹下は軽く頭だけ下げると一言も発せず、そのまま刑事課室へと引き上げた。わかっていたこととは言え、やはり現実にこれ以上の結果が得られないとなると、ショックは隠しきれなかった。
※※※※※※※
翌10月31日。朝食の後の短い時間を最後の聴取に当てられた西田と竹下は、やる気はあったが、元気が付いて来ない状況だった。そんなことが如実に本橋にも伝わったか、
「何や、機能とは打って変わって、腑抜けな取り調べやな」
と揶揄される始末だった。しかし30分程度で何とかなるわけがないと思わせていたのは、そう言っている本橋自身なのだから、皮肉にも程があった。時間はそう思っている間も刻々と過ぎていき、もうあと10分でリミットと言う時、尋問中の2人に、本橋自ら話を振ってきた。
「ところで、あんたらは、もし俺が自供しなかったら、俺が実行犯だと気付く自信はあったんか?」
いきなりの逆尋問に、2人を顔を見合わせたが、西田が目配せして竹下に発言を促した。
「自分達で言うのも何だが、おそらく無理だっただろうな……。わざわざお前が使ってた銃弾のジャケットの成分分析なんて、率先してするわけもないし……。事件とお前を結び付けること自体がかなり厳しかったのは事実だ。ただ、仮にそれが分析出来たとして、警察の取り調べ主導でお前が自供したとは到底思えないな」
そう言い捨てた竹下に、
「まあ、俺に言うつもりがなければ、自供すら引き出すのは至難の業だったやろうなあ」
と不敵に笑った。西田はこの期に及ぶと、それに苛立つというよりある意味感心すらしていた。
「あ、もう後数分やね。もう直接話すこともないと思うと名残惜しいわ」
始めは嫌味かと思ったが、その次の言葉で、必ずしもそうではないことに西田は気付いた。
「さて、竹下はん! あんたどうして刑事になったんや? 昨日こっちに来る時に、こっちの上司達には聞いたんやが、あんたには聞いてなかったから聞いておきたいんや!」」
思いもしない質問に竹下はキョトンとした顔つきになった。西田も本橋が何故それにこだわったかは理解できなかった。
「何だふざけてるのか!?」
少し顔を紅潮させて怒りを見せたが、海千山千の男はそれに動じず、
「あんたの上司は護送中でも教えてくれたで。あんたも別れ際に教えてくれてもええやないか?」
と悪びれる様子もなかった。西田も、
「いいから、教えてやれ……」
と力なく指示した。本来ならそんなことを言う義理もなかったが、このまま答えなかったとすれば、より相手を頑なにするだけだと思ったのかもしれない。それほど自分でもよくわからない言動だった。どちらにしてもまともな聴取が出来る時間は遺されておらず、意味はなかったのだが……。
竹下は上司の指示に珍しく嫌悪感を示す表情をしたが、ぶっきらぼうに、
「元々は新聞記者などのマスコミ志望だったが、受からなかったのと、大学時代に剣道で良い成績を収めたこともあって、その伝手で警察の受験を薦められた」
と口ごもったように教えた。
「マスコミ? またそりゃ方向が違うもんに就いたな」
目を剥いて笑う本橋が更に竹下を刺激したのは言うまでもない。ドンと机を叩いたが、本橋は意に介することもなかった。
「記者になりたかったってことは、国語得意やったんか? 昨日の話やと、英語もそれなりに出来そうやけど?」
更なる問いに、
「ああ、国語は割と得意科目だった。英語もそれなりだが、国語の方が得意だ」
と竹下は不機嫌そうに答えた。
「ほう、そないか……。現代文はもちろん出来たんやろうが、古文とか漢文はどや?」
あからさまにどうでも良いことを、本橋は重ねて尋ねてきた。
「しつこいな! 古文も漢文も得意だ!」
イライラも頂点という感じを隠さなかったが、きちんと回答する辺りが竹下らしいとも言えた。
「そりゃ結構なことやね」
自ら聞いておきながら、他人事の如き反応を示した上で、
「話を刑事になった理由に戻させてもらうわ。北村って刑事は、シャーロック・ホームズがきっかけだったと言ってたで。単純かもしれんが、あんたよりは動機が真っ直ぐやな!」
経緯を既に知っている西田を見ながら、本橋は感想を述べると、
「あんたはシャーロック・ホームズ知っとるか?」
と竹下に再び尋ねた。
「ああ、人並みにはな……」
ちょっと反省したか、相当馬鹿にされたような質問にも竹下はさっきよりは冷静に答えていた。
「人並みかあ……。そうか、あんた辺りだと結構知ってそうなイメージを勝手に持っとったわ」
そう言って頭を掻いた本橋だったが、
「人並みとは言え、それなりに読んだこともあったが」
と少しプライドを刺激されたか、竹下は自己訂正をした。
「ふーん。じゃあ好きな話あるか?」
「好きな話か……」
竹下はちょっと考え込むと、
「強いて言えば、緋色の研究かな……。ああ、何言ってんだこんな時に!」
と、答えた上で自己嫌悪に陥ったように頭を左右に激しく振ったが、どちらにしろ既に白旗を上げざるを得ないのも事実だ。
「最初の話だな。ホームズとワトスンが出会った時の奴だ」
本橋はそう言うと、視線を時計にやった。
「さて、時間が来たな。二人共お疲れさん」
そう言うと同時に、本橋を本部の刑事が連れ出しにやってきた。連行される本橋をただ見つめる2人に、
「ホームズで俺の好きな話は、『ノーウッドの建築業者』やで! 憶えといてや! まあ俺のことは、おそらく一生忘れられない野郎になるんやろうけど」
と背中越しに、ダジャレを交えてやけに明るく叫んだ。
「おい、昨日と言ってることが違うじゃないか!」
西田は思わず声を上げたが、
「そりゃあんたの勘違いや!」
と片手を上げて廊下を去って行く「勝利者」。残された「敗者」に、様子を見ながら裏から出て来た沢井が、
「さて、俺達も現場へ向かって検証を手伝わないとな」
とやけに優しく喋りかけてきた。
「そうですね」
西田は力なく返したが、同時に、
「あいつ、昨日と言ってることが違うぞ。相変わらず信用ならんな」
と部下に呟いた。
「本橋にも言ってましたが、何ですか? 言ってることが違うってのは?」
竹下が聞き返した。
「昨日は護送の車中で、『好きな作品は青い……』、あれは……」
言い淀む上司に、
「『青い紅玉』ですか?」
と確認した。
「あ、それそれ。ところが今は『ノーウッドのなんたら』とか」
「単に複数の好みの作品があるんじゃないですかね?」
「そうかな……。でもだったら、どうして俺の勘違いだと言ったんだろう……」
西田は竹下の言うことがもっともだろうとは思いつつも、釈然としないものを感じていた。しかしそれ以上は何も言わず、刑事課室まで戻ると、作業着に着替えて現場へと向かう準備を整えた。
※※※※※※※
現場検証は午後2時まで続き、本橋はそのまま札幌へと戻った。帰りの護送は、西田や北村の代わりに、札幌から鉄路でこちらまで来た道警本部の刑事が付いて行った。検証を終えた本橋が、札幌へ戻るためにワンボックスカーに乗り込む際、西田達の姿を発見して、手を上げてニヤリとしたのがはっきりと視認出来た。最後まで不敵な態度に終始した男に、遠軽の捜査陣は臍を噛む思いだったが、相手が上手だったのだから仕方ない。道警本部組が先に現場を後にしたのを見送って、遠軽や北見方面本部の捜査員、鑑識職員が現場を離れようとしていた。
「残念でしたね、西田係長」
北村が西田の姿を見つけて話しかけてきたが、ウンウンと頷くだけで、西田は何も言う気になれなかった。ただ、
「ところで、『ノーウッドの建築業者』? だったかな……、ってどんな内容の話なんだ?」
と聞いてみたくなった。
「え?」
唐突な質問に北村は困ったような顔をしたが、
「今日、あいつが、好きなホームズ作品がソレだと言ったんだよ」
と言うと、
「あれ? 昨日は『青い紅玉』って言ってましたよね?」
と西田と同じ反応を示した。
「そうなんだが、今日はそれだってんだ。おまけにそう言った話を俺の勘違いだとも言いやがった!」
「まあ好きな作品が幾つかあって不思議ないですから、あんまり気にしない方が……。勘違いってのは言葉の綾じゃないですか?」
北村も竹下と同じような台詞を吐いた。




