明暗22 (126~130 伊坂政光事情聴取 証文の偽造テスト 11/13修正)
西田達が本橋に書いてもらった似顔絵を元に、倉野からの事前情報として、当時の伊坂組で秘書だった「重野 善昭」がリストアップされていた。その当時46歳の重野が、本橋を宿泊していた「久米旅館」から、伊坂の待つ喫茶店・「カフェ三和」に連れて行ったものと推測していたわけだ。
送付されてきたリストには、似ているというわけではないが、重野と似たようなタイプの社員も数人入っており、自然に「ダミー」写真として機能するはずだった。重野の本人の分は、かなり後の方まで取っておく戦術を、予定通り取ることにした。また、この日は経験値を上げることも兼ねて、竹下の代わりに、吉村を西田の相方として聴取に参加させた。
聴取が始まると、サクサクと流れ作業のように写真を見せていく。本橋はたまに手を止めてじっくり見直すが、首を横に振ると、また次の写真へと移る。全部で50名以上のリストの40を超えた辺りで、重野の写真がいよいよ出て来た。本橋は写真を手にとって顔に近づける仕草をした後、一度机の上に戻した。そして腕を組むと、
「おそらく、こいつだったように思うが、最後まで見せてもらってもいいか?」
と西田に告げた。
「ああ、決めるのはおまえだ」
西田はそう言うと、本橋は黙って残りの写真を見ることを再開した。そして最後まで見終えると、
「よしわかった! さっきのこいつで」
と、横に分けておいた重野の写真を2人の前に突きつけた。これについては、裏の取りようがないのが確かだったが、秘書という立場からしても、おそらく事実なのだろう。本橋も一度選んだものの、その後の分も確認するなど、かなり真摯に確認している節が見えた。とにかく、本人が死んでいる以上は、重野にも聴取出来ない。あくまで裁判での検察側陳述において、事件の流れを追うための事実確認でしかないのが残念ではあった。
拘置所での聴取を済ませ、再び大阪府警庁舎へと戻る。おそらく、次にこの拘置所に来る時には、北海道へ本橋を護送することになっているのではと、西田はタクシーのウインドウから過ぎて行く拘置所の建物を見ていた。
府警に着くと、まずは警務課に本が届いていないか確認したが、昼を回ったか回らないかでは、未だ着いていなくても不思議はなかった。
昼食を済ませ、休憩室で待っていると、携帯に警務課から本が届いたと連絡が入った。早速警務課に赴き、職員から受け取ってその場で中身を確認した。明子が言っていた、83ページを急いで開くと、そこは落款(美術品などに、サイン・署名代わりに押捺された印影)の偽造方法が書かれていた。
「これは何を意味しているんだろうな……」
西田はバッグから、遠軽から持ってきた佐田の証文を取り出しながら言った。
「ストレートに考えれば、血判の偽造ですかねえ」
吉村が証文と本を見比べながら言った。
「それもそうだが、この大きさなら、他の本文や署名なんかも偽造出来そうだな……」
竹下がそう付け加えた。
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「美術品裏の世界 これが禁断の偽物製作マニュアル」の83ページから数ページの間において、簡単な落款の偽造項目に具体的に記載されていたのは、「プリントゴッコ」という、孔版印刷を家庭で手軽に出来る小型印刷器具を用いたものだった。
カラーコピー機でも、ただのコピーなら出来るのだが、レーザープリンターで見られるような、一般的なトナー方式(顔料粉末を紙に定着させる方式)のモノでは、どうしても活版印刷の一種とも言える落款の味わいが出ない面が強調されていた。また、簡易性を考慮すると、プリントゴッコの方が、偽造のためには遥かに「適格」だとあった。
但し、マスターを製作するために、プリントゴッコに原本を直接貼ることは避けるように書かれていた。高温にさらされるため、痛める恐れがあるのと同時に、朱肉・朱墨に炭素がほとんど含まれていないので、そもそも上手くマスター(印刷のための版)を作れないことがその理由と書かれていた。この場合、一度炭素を含んでいるインクもしくはトナーを使ったモノクロコピー機で落款をコピーし、それをプリントゴッコに貼り付けてマスターを作った上で、色を自分で再現するのがやり方のようだ。
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プリントゴッコは、一昔前なら誰でも知っていたもので、広く一般家庭に、いわば「年賀状」作成用に普及していたものだ。
印刷したい模様や絵、書などを、炭素を含んだ筆記具等で紙に書き、それを専用のマスター(版)の元となるシートに貼り付ける。そして、高熱を発するストロボフラッシュで炭素に反応(特に炭素部分が周りより高温になり、その温度差で、印字・印刷したい部分にだけ、微細で無数の孔が開く)させて焼付け、微細な孔を開けることがまず第一段階の作業。
次に、前工程で出来上がったマスターに、専用の好みの色のインクを乗せ、印刷したい紙などにプレスすることで、手軽でありながら、家庭用としては、大量に多種の色彩を使った印刷が手軽に出来るというものだ。基本的には、ハガキや小さい紙の印刷が主な用途だが、インクなどを変えることによって、Tシャツなどの衣服に印刷することも可能だった。
尚、プリントゴッコは、その後普及したパソコンとプリンターにより活躍の場を奪われ、2008年に製造中止、2012年に販売終了でその歴史を終えている。
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「俺がプリントゴッコを使った経験から、多分出来るとは思うが、念のため実際にやってみるか……」
西田はそう言うと、職員に近くで1番大きい文房具店を聞き出し、吉村にプリントゴッコを買いに行かせた。
その間、該当部分を精読し、まず警務課のコピー機で証文のモノクロコピーを取った。モノクロコピー機自体が、プリントゴッコと同じ理想科学工業により製作されていた、「リソグラフ」というもので、プリントゴッコをより精密にしたオフィス用の孔版印刷を用いたコピー機だった(作者注・一般的には現在のオフィスコピー機の主流は、レーザープリンターですが、官公庁や学校などのように、大量に同じモノを印刷するような職場では、未だにこのリソグラフも使用されていることが多いようです。印刷方式の違いにより、大量のものを安く早く印刷するのは、この方式が向いているからだそうです。また、インクは大豆油を使ったものですので、当然炭素が含まれています)ことは、西田は知る由もなかった。しかし、どちらにせよ、このコピー機はモノクロ用なので、血判の色は再現できないのだから、そのままカラーコピーするやり方は不可能ではあった。
ものの20分もしない内に、吉村が警務課に大きい箱を抱えて飛び込んできた。さすがに、そこまで急ぐようなものでもないが、荒い息遣いは吉村の心意気を感じさせた。西田は吉村を労ったが、竹下は、87年当時に同じ型があったかどうかの方を気にした。さすが竹下らしいと言えばそうだったが、西田は、
「少なくとも印刷可能な大きさは、複数部分に分けて作成すればどうにでもなる」
と諭した。そして3名はいよいよテスト製作を開始した。
取り敢えずは、証文の一部分のマスターをまず作ってみることにした。証文のコピーをスクリーンに貼り付け、印刷する時と同じように、丁番のような形で開閉出来る上部を下部に押し付けストロボフラッシュを発光させた(電極が上部と下部についており、強く押すとそれらが接触して電池からストロボに電流が流れる仕組み)。物凄い閃光がカバーから漏れるほど輝き、焦げ臭い匂いが周囲に漂った。上部を上げて、コピーした原本をマスター用のスクリーンから剥がすと、いよいよマスターの完成だ。それに、証文の書や血判の部分の色に似せて調合したインクを置く、地味な作業を3人は進めた。警務課の女性職員がお茶を入れてくれながら、何をやっているのかとチラチラと覗きこむことも気にせず、その作業は1時間弱続いた。
「よし! じゃ、早速印刷してみようか!」
西田はコピー用紙をセットすると、吉村がスクリーンごとプリントゴッコの開閉部分をセットされた紙に向かってプレスした。数秒ほど押し込んでから、上に上げてみると、下からテスト印刷された、偽造証文の一部が浮かび上がった。
「試しにやってみた程度の割には、かなりの出来だな……」
西田は思わず感嘆した。血判部分の赤茶けた血の色も、やっつけ仕事の割には、手元にある佐田の本物と比較して再現性は高かった。血判部分の印刷が、やや粗い感は否めないが、そもそもが、証文本体の血判自体が粗いのだから、その点もよく再現出来ていたと言えた。墨字や血判の感じ、いや「味わい」を出せていると西田は実感した。
佐田徹の手紙なら、幾らでも複製出来るという話を、本橋の取り調べをした日に竹下と交わしたが、このやり方なら、証文ですら幾らでも複製可能になる。極論すれば、血判の部分のインクを粘土の高い血液にでもすれば、血判も本物の血液を利用して再現出来るかもしれない。
ただ、血液が別人のモノであれば、さすがに完全な同一性を前提とした偽造までは不可能だ。その点において、内容そのものが重要で、複製でも問題がほとんどない佐田の手紙と、血判自体に証拠性が高い証文では、同じ複製可能という共通点が出て来たところで、根本的な違いがあった。その点をこの「偽造」を通して、西田は改めて認識し直すことにもなった。
「やはり、血判のある証文の意義は強い」
そう思いながらふと傍らを見ると、
「結構いけそうですね、これは!」
と、竹下も吉村も「偽物」の出来に満足そうな顔付きだった。
「さて、こうなると、後は証文の紙に時代性をつける方策を考えないとな……」
西田はそう言いながら、本の索引に該当箇所がないか調べてみた。それはすぐに見つかった。
ただ、これについては容易に想像出来るというか、素人でも聞いたことがあるようなパターンだった。コーヒーの粉や紅茶の葉の使用や、軽く炙るなどの作業で、正直なところ新発見という感覚はなかった。紙自体も、大正辺りに入ってからのモノは、ほぼ現代に近い性質で、特に気にする必要はないと記述されていた。
確かに、西田も本物の証文の紙質は、それほど今のものと違う印象はなかった。そして何より、年数的には古美術などに比較して、さほど劣化しているわけでもなく、この点の加工には、手段の簡易性含め、そう力を入れる必要はないはずだ。敢えてこの場でそこまで再現することはないと西田は判断した。
「じゃあ後は奥さんに、プリントゴッコが佐田家に当時存在してたか、今確認してみようか!」
そう言うと、明子に電話で尋ねてみることにした。すると、当初はあるのかないのかわからないと、モゴモゴした言い方をしていたが、しばらく経って思い当たったか、かなり前から佐田宅にはプリントゴッコがあり、今でも年賀状作成には「稼働」しているということを確認出来た。そのプリントゴッコが何時からあるか聞いてみると、その点は「よくわからない」ということだった。昔の日々の生活について、一々憶えている人間はそうは居ない。仕方ないことだろう。存在していたという記憶が蘇っただけでも十分と言えた。尚、証文を作成するのに使った「マスター」が残っていないか聞いたが、「それは見当たらない」と言われた。
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西田はこれにより、佐田実は「偽物」の証文を作成した上で、それを伊坂に譲渡し、資金提供の契約書を受け取ったと言う仮説を主張した。西田としては、本物の証文の存在と契約書の文面の矛盾を解消出来たことを素直に喜んだが、竹下は必ずしもそうではなかった。
「係長の考えは、基本的に説明としては歓迎出来るはずなんですが、新たな疑問が湧きますよ。偽の証文を北見に持ってきた佐田は、何故本物の証文も持ってきたんでしょうか? わざわざ別に持ってくる意味がわからないんですよ、自分には」
「それって、相手に見破られた場合に備えたとか、そういうことじゃないんですかね?」
吉村は咄嗟に勢いに任せた回答をしたが、
「専門家でも同席していたならともかく、この方法で本格的にやられたら、その場で見抜くのはそう簡単じゃないだろ? それにだ、仮に見抜かれたとすれば、その時点で信用を相当失くすのは間違いない。代わりにその場で本物出されて、すぐに『はいOK』ということにはならないんじゃないか? そう考えると、偽物と本物を一緒に北見に持ってくるメリットは感じないな、正直なところ。出来に自信がないから、どっちを出すか、最後まで迷ったということもあり得なくもないが、この程度の再現実験でこの出来なら、そこまで迷うことはないはずだ。伊坂が本物を知っていると言っても、同様に知っている俺達が満足出来るんだから……」
と竹下は反論した。聞いていた西田も、竹下の疑問点を解消するだけの名案は思い浮かばなかった。
更に竹下は、
「その疑問は置いておくにしても、佐田が資金の受け取りより先に、伊坂に偽の証文を渡したのは、ここまで来ると間違いないと思います。勿論、伊坂大吉が証文を受領した上で、運転資金を融通するという契約書を、佐田がもらったという流れからの推測ですが……。そしてその場合、大きなリスクが生じる気がするんですよね……」
と新たな問題提起をした。
「契約書もらっててもですか?」
吉村は怪訝そうなな口ぶりだった。同様に西田も、
「リスクってのは、そのまま伊坂に契約自体破られることか? 佐田の伊坂への言動について、名誉毀損みたいなことがあると、資金提供契約が破棄される条項があったからなあ。そこで佐田が契約違反したと、伊坂に主張されると面倒なことになるってか? ただ、そんなことして、実際に腹いせに噂話でも広められたら、伊坂にとってそれこそ馬鹿な結末だ。そんなことはないだろう」
と言うと、杞憂だとばかりに笑った。
「係長のような話は、それはそれであるのかもしれませんが、そんなことより遥かに大きなリスクがあるような気がするんです」
竹下は、西田の言ったことが暗に的外れだと指摘したらしい。
「何だそれは?」
西田はすぐに答えを求めたのに対し、竹下は思案顔で語り始めた。
「佐田徹の手紙によれば、伊坂という人間は、免出を殺されたという義心から発生した激情であり、時効に懸かった過去の事件とは言え、高村という人物を現実に殺めてます。そもそも、それが佐田実が伊坂を強請った根本理由になったと考えているわけですよね」
「ああ、言いたいことがわかりましたよ!」
吉村が先に気付いたか、竹下が最後まで言うのを待たず話に割り込み、
「主任の言いたいことは、佐田実が証文という『切り札』……、とは言っても、おそらくは偽の方だったんでしょうが、それを先に与えてしまったことで、相手、つまり伊坂に殺意を覚えさせる危険性があるってことですよね?」
と竹下に確認した。
「吉村にしては勘が働いたな! 係長よく考えて下さい! 契約書を見ても、かなりの金額の動く取引だったことは間違いないです。まずは、おそらく証文引き渡しへの直接対価の2000万……。そして、佐田の借入金を返す為に、伊坂から借りることになった、超低利の2億。返済条件から見れば、あり得ないぐらい有利な貸借契約です。幾ら地方中堅ゼネコン経営者とは言え、そうそう楽に動かせる金額だとは思えないんですよねえ……」
竹下は最後を強調した。そして2人の反応を一旦見た上で話を再開した。
「そうなると、普通の感情なら、出来れば払いたくないという気にはなるでしょう。自分が伊坂本人であれば、なんとかして佐田から契約書を奪い、本人の口封じ……。逆に言えば、少なくとも僕が佐田実の立場なら、北見という相手の『懐』の土地に入って『取引』してるわけですから、かなり『命を狙われる』ことに気を付けながらの取引を意識すると思います。自分の仮説では、伊坂だけでなく、佐田の知らないところで、大島海路も佐田実に対して殺意を持っていたことは言うまでもないですが……」
竹下は、改めて大島海路も積極的に佐田殺害に関わったことを示唆した。
「しかし、佐田は契約書を受け取り、本物の証文も手元に2つある。油断していて不思議ないんじゃないか? 現に殺されちまったんだからな……」
西田はそれを聞いた上で、尚、懐疑的な喋りだった。
竹下の考えは、確かに注目すべき内容だったかも知れない……。それに佐田は、経営者でもあり、本来なら一定の思考力と判断力は持っていただろう。だが、経済的に追い詰められていた以上、そんなことを考える余裕が無くても不思議はないはずだ。そもそも恐喝・脅迫まがいの行動に出たのも、追い詰められた故だったからだろう。目の前の餌にすぐ飛びつく状況だったことは、西田から見ても想像に難くない。現実として、伊坂側の企てにより、佐田は殺害されてしまったのだから……。(おそらくは偽)証文の引き換えに、せっかく勝ち得た契約書も、佐田自身が殺され、更に佐田の側に立つ人物、最低でも第三者が見る前に、世の中から「消されて」しまえば意味が無い。勿論、喜多川と篠田と言う「他者」が見たが、彼らは本当の意味での「第三者」ではなかった……。
佐田が「過去の伊坂大吉の行為」について、他の誰にも言わないということは、9月25日の会食の前から、おそらく伊坂は、事前に約束・実行させていたはずだ(佐田の家族は、結果的には知っていたが)。それを前提にすれば、証文が自らの手に渡った時点で、伊坂は佐田殺害のゴーサインを本橋に出せたと言うことになるだろう。後は大島海路による、警察への圧力で乗りきれると踏んだと見れば、伊坂の凶行の判断も理解出来る。
そのような西田の反論に、
「『目の前の現実、そして事実を見ろ』いうことですか……。うーん、それを言われると、厳しいものがありますよね……」
と、竹下はこの場では一応は引き下がった。殺されたという事実が、佐田が現実にリスクを認識していなかったことに繋がるという理屈は、竹下の推測を超えて、一般的には当然のことだからであった。竹下も基本的には論理的思考によって行動するタイプだけに、必然と言えた。
ただ、「佐田がリスクを認識していなかったから」、あっさりと「殺された」という西田の考えは、後から振り返ってみれば、残念ながら間違いだったことになる。勿論、この時点では、竹下ですらそれをきっちりと反論する言葉を持ち得なかったが……。
そして、何故、佐田実が北条兄弟が所有していた本物の証文を、偽証文を渡すつもりでありながら、わざわざ北見まで持って来ていたかを知るためには、ここから更に7年という、遥かな時間が必要になることもまた、誰も知り得なかったのであった。
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西田は早速、遠軽の沢井に、重野や証文の件について報告を入れた。佐田実殺害の捜査本部は、現状遠軽署単独の形のままではあったが、事実上、捜査自体は北見方面・道警本部主導の形に戻っていたため、沢井は西田の話に関心は示すも、直接の指示は倉野に受けるようにと、あっさり西田に命じた。投げやりというわけではないが、独自捜査していた時に比較すれば、多少捜査への強い情熱は失っているのかもしれないと、西田は感じていた。
その直後連絡した倉野の方はと言えば、重野については、既にわかりきったこととして特に反応はしなかった。その一方で、佐田が偽造した証文を伊坂に渡したという説について、契約書の件との整合性が取れたことを喜んだ。しかしながら、事件の本筋とは直接関係ないと認識していたか、それ以上に、伊坂組と伊坂関連のガサ入れの結果について話したがった。
結論から言えば、伊坂大吉、或いは伊坂家保有の口座から、本橋への報酬が払われたという痕跡は、見つからなかったようだ。ただ、伊坂政光が大吉から相続した正規口座から、頻繁に資金が流れ込んだ、おそらく伊坂家保有の架空口座と思われるものが、たった1つだけ出て来たということだった。
それは、昭和30年代に、北網銀行の網走支店で作られた口座だった。口座名義の住所には、「福田」と言う、名義と同じ苗字の家族が、確かに古くから住んではいた。しかし、該当すべき房次郎という名前の人物は、警察が所有していた情報の調査の結果、昔から住んでおらず、存在もしていなかったため架空と断定したとのことだった。
また、数年前の伊坂家名義からの振り込みが開始するのと同時に、口座自体の動く金額が極端に大きくなっていたらしい。その意味は、架空名義の口座自体が、以前の保有者から伊坂家へと、脱税のための、事実上の所有権移転があった可能性を示唆していた。
ただ、その口座に資金が大きく動き始めたのは、8年前の佐田の失踪・殺人事件より数年後からで、その口座に本橋への殺しの報酬絡みの金が動いたということは、まずあり得ないと倉野は判断したようだった。
「ということは、結局のところ、伊坂が本橋へ殺害を依頼した張本人だという線は薄いってことでいいんですかね?」
西田は結論を急かした。
「口座から資金が出ていないからと言って、伊坂大吉が黒幕じゃないかどうか断定出来るわけではないからなあ……」
それに対する倉野の答えは、何とも煮え切らないものだった。そして、
「支払い方法は、伊坂が自分で持ってたゲンナマで直接やりとりしたということもあり得るだろ? 勿論、そうだったとしても、本橋の証言を前提とする限りは、伊坂とは会わないまま、犯行後すぐに北見を離れたのだから、本人が当日直接与えたことはあり得ない。一方で、伊坂が後日代理人に払わせたことは十分考えられる。残念ながらこれをやられると、後で現金払いされれば、把握するのは不可能と言える」
と付け加えた。
「そうですね。微妙なところです……。ところで、今回出て来た架空口座の方は国税(庁)と銀行の方に連絡するんですか?」
西田は尋ねた。
「いやそれはしないことにしたよ……」
思わぬ回答に、西田は、
「事件捜査に、国税の査察が入ると邪魔されて面倒だからですか?」
と尋ねた。
「それもないわけじゃないが……」
言い淀む倉野の次の言葉を西田は待った。
「その福田と言う偽名の、北網銀行網走支店の架空口座……。確かに総額で1千万以上の金が、数年前から伊坂家の口座から流れ込んではいるが、その内の半分近い金額が、最初の2、3回ぐらいまでに振り込まれてる。そして、最終的に多くが引き出されたり、別の用途として他のところに振り込まれてるようだ。しかしその後は、1回あたり十数万ぐらいの、それほど大きくない振込金額が振り込まれてる。そしてその半分以上が、今度は、赤十字や育英会などの慈善事業団体に直接振替されてる。おそらく当初は、脱税目的の資金移動だったのかもしれないが、俺には最終的には悪意は見えないんだ……。それに、時期的に大吉が死んで政光の代になってからは、金額の移動自体も、明らかに慎ましやかになってるからなあ」
倉野は最後まで歯切れが悪かったが、詰まるところは、政光になってからの「移転」金額の少なさと寄付という、「代替わり」と「善行」に免じて見逃してやるということだった。法の番人としてはあってはならないのかもしれないが、「警察にとって」の事件性が皆無で、国税が介入して捜査に邪魔となると、こういう判断もありなのだろう。
架空口座から寄付していたのは、名前を明らかにしたくなかったから、つまり、純粋な篤志からだという解釈を倉野はしたに違いない。寄付の邪魔になるとすれば、むしろ悪影響が出るので、銀行にも連絡しないという選択になったのは自明だった。西田もその決定に対して、特に何か間違いだと思わず、ある意味自然に受け入れていた。
「それにしても、怪しい口座がそれしかなかったのは、正直驚いたよ。意外にあの伊坂家は金にはクリーンだったってことだ。会社を起こすときには、仙崎という人物の遺産から、『取り分』以上の砂金をネコババして得た金を使ったのかもしれないがね……。さすがに伊坂組は、税務署から長年優良納税企業として表彰されてるだけのことはある」
妙に「甘い」口調になったので、方面本部のエリートである一課長が、単なる寄付行為程度に目眩ましされるほど単純なのかと、この時になって西田はかなり心配になった。だが、
「それはそうと、明日、いよいよ政光に任意で聴取出来ることになった。北見でも、本橋の佐田殺害の件、伊坂大吉が絡んでたんじゃないかという話が、地味に結構広まってるので、政光も、いつまでも拒否しているわけにもいかないと考えたみたいだな」
と、すぐにいつもの倉野の喋りに戻ったので、杞憂に終わって良かったと西田は安堵した。
そして、倉野は息もつかせぬように、
「伝えておかないといけないことがまだあったな……。正式決定ではないが、本橋を10月17日に空路、札幌琴似留置場へと護送する予定が、遠山部長から伝えられたよ。そこで一旦道警本部組の取り調べを経て、今のところは最終的に遠軽にしょっ引くらしいぞ。やっぱり最後は遠軽署に任せるってことだ。本社の一課から、いよいよ逮捕状持った護送要員が来るとは思うが、西田達の功績も部長は認めてるから、一緒に札幌までの護送と、その後の遠軽までの護送に参加してもらうことになると思う。聴取については、どこまで西田達が関与出来るかはまだわからんが、遠軽署に留置されるんだから、全く取り調べ出来ないなんてことはあり得んだろ? 近いうちに部長から西田に電話が直接あると思うから。とにかく遠軽署にも預けてくれるってことだ! 良かったな!」
と西田に伝えた。所轄の刑事が有名死刑囚の護送に関わるということは、表現が不適切ではあるが、「名誉」な業務を仰せつかったということであった。そして遠軽署でも取り調べ出来そうだ。西田が思っていたより、事件への最終的な関与度合いは強くなったと言えた。
とは言っても、ただ喜んでいるわけにはいかない。西田は倉野に1つ頼み事をした。
「倉野課長、政光の聴取の時に、是非『お前の親父が、喜多川と篠田、そして92年頃、それとは全く関係ない他の誰かに脅されていなかったか?』と聞いてみておいてください。おそらく認めはしないでしょうが、その時の政光の様子が知りたいんで」
「うん? ああ、喜多川と篠田の伊坂組での昇進の件と、篠田が米田を殺した時の経緯として西田が推測している件か……。わかった聴いておく」
倉野は申し出を快諾してくれた。
業務連絡が終わると、他の2人に「晴れの舞台」に上がれる名誉と起訴に関われることを伝え、竹下も吉村も単純にそれを喜んだ。
そして西田達は庁舎を出て、ビジネスホテル「大阪城キャッスルイン」にチェックインした。それから一段落すると、今度は、本格的に証文の偽造の検証を始めた。1枚の証文を複数部分に分けてマスターを作成し、調整しながら全体を仕上げる。血判の色具合含め、完璧な出来だった。
後は印刷する紙を軽く酸化したような色にしたものに調整すれば、間違いなく、その場では伊坂は騙せただろう。伊坂本人の指紋を確認されても問題ないから、尚更である。会食の際に、伊坂が自分の分の証文を持って来ていたとしても、余程注意しない限りはわからないはずだ。まして、証文はそれぞれが手書きなのだから、全く同じわけでもない。
この日の結果に満足した西田は、部下に寿司を奢ると宣言した。部屋のランクは前日より2つは落ちたが、北海道へと戻る日も具体的になってきて、何となくウキウキした気分になっていたのが、気前の良さの理由でもあった。
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10月15日、日曜。この日の現状としては、特にやることもないので、ホテルで待機していた。北見では、倉野達が伊坂政光を任意で聴取に掛けているはずだ。その結果を黙って待つしかない。
任意とは言え、聴くことはかなりあるはずだから、夕方になるまで連絡は来ないだろうと西田は踏んでいた。竹下と吉村にもそれぞれ部屋で待機するように指示しており、竹下は相変わらず、新聞記者・椎野の本橋への手紙を読み込んでいた(作者注・この場合、手紙は当然便箋で手書きによる縦書という形を本来取っているものとさせていただきます。サイトの形式上横書きになってしまいますが)。
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本橋さん
先日の今回の判決は、あなただけでなく、私もとても落胆するものでした。
これから時が経てば、受け入れられる……、いや受け入れられるはずもなく。
正直言って、自分があなたともう会えないという事実に愕然としています。
それでも、まだ白旗を上げずに特別抗告という手段も残されてはいます。
ただ弁護士の方々の判断では、それでは覆る可能性がないとのことでした。
確かにあなたのやったことが本当なら、法的にも社会的にも許されません。
しかし、私があなたと居たこの1ヶ月の間に、あなたが凶悪犯であると
自分に感じさせるものは未だにありませんでした。これまでであれば
容疑者の時点で、完全にみんなと同じように憎しみしか持ちませんでした。
ただ今回だけは違った。その具体的な理由を言葉で説明できないもどかしさ。
そしてそれが何なのか、もう突き止めることすら出来そうにありません。
前回の接見が、あなたの顔の見納めとなってしまったのは残念ですが
あの時の笑顔だけが私の救いとなっています。とにかく自暴自棄にだけは
最後まで、絶対にならないようにしてください。それでは、取り敢えず
今回はここまででやめますが、手紙を送れる機会があればまた書かせて
いただきます。
椎野 聡
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何度読んでも、普通に軽い親交のある人間への手紙でしかない。逆に言えば、そこに「感情」がこもっていない、ただのありきたりな文章の羅列とも言えた。幾ら数度しか取材で会っていない、しかも短時間だとしても、自分が取材者なら、それなりの制約を承知の上で、もうちょっと相手に訴えかけるような文章を書ける、そんな感想を持っていた。
「何か隠されているはずなんだがなあ……」
もう何度、同じ台詞を口にしてきただろうか。
「死刑確定後のコンタクト(手紙)だけ注目してきたが、それ以前から洗い直しておくかなあ。明後日には北海道に戻らなくちゃいけないんだから」
そう自分に言い聞かせるように言うと、護送の前に大阪拘置所でもう一度調査することを決意した。今日はもう無理だとすれば、明後日は移送当日。どう考えても明日の16日しか猶予はない。
死刑確定前にも、本橋と椎野の間で手紙のやりとりがあったと、拘置所・処遇部での聴取で竹下は既に聴いて、実際に、この手紙同様、他の手紙を目にはしていた。しかし、上告棄却による死刑確定によって、手紙以外のやりとりが出来なくなって以降の、唯一の外部との連絡手段が手紙になったことと、その後の自白のタイミングを重視したせいで、それ以前の手紙のやりとりについては重要ではないと、サッと目を軽く通しただけだった。コピーも取らず、熟読チェックすらしていなかった以上、もう一度洗い直そうと決めたわけだ。
これまでの竹下の考えでは、死刑確定前は、手紙以外に面会と言う手段を通じてコンタクトが取れたので、重要なやりとりがその期間であったとしても、面会で済ませられると考えていた。だが、もしかすると、その期間の手紙にも、何かヒントがあるかもしれないと、竹下はそれに賭ける気になっていた。周りに監視の目がある面会では、自由度は高いが限界もあるからだ。
※※※※※※※
午後3時前、倉野から伊坂政光の任意聴取の結果が入った。結論から言えば、「残念ながら具体的には得るものはなかった」というものだった。あの伊坂組のやり手顧問弁護士「松田 聡史」からかなり入れ知恵されたのだろうと、倉野はかなり悔しがっていた。
佐田の殺害事件当時、政光が東京在住で、一切関与し得なかったという絶対的「アリバイ」を中心に組み立てられた「答弁」を盾に、のらりくらりと交わされたらしい。架空口座については、事前に倉野から聞かされた通り、警察管轄外の事項として、時間の都合もあり聴取すらしなかったとのこと。
因みにこの聴取には、北村と満島も参加していた。倉野は北村に、西田に頼まれた「大吉が喜多川と篠田、そして92年の夏、他の誰かに脅されたらしい件を政光が知っているか」どうかの聴取に当たらせたと言った。遠軽組との捜査経験が、他の北見方面本部組より長く、遠軽組の聴きたいことをより知っている北村に任せる意図があったようだ。
とは言え、残念ながら、やはり北村の聴取も上手く交わされたらしいのだが、その北村から聞いた感触としては、
「西田係長、やはりあいつが何か知っているのは間違いないと思います。おそらく見立て通り、大吉はそれぞれの時期に脅されていたんじゃないでしょうか?」
というものだった。そして、
「口にした途端、一瞬驚きの表情を隠せませんでしたよ。任意じゃなかったら、しつこく聴いてやるところなんですが、所詮被疑者でもない、ただの任意参考人聴取ですからね……」
と非常に悔しがった。しかし、西田としては、その政光の動揺の情報だけでも、かなり重要だった。「やはり、政光は佐田殺害に関して、かなりのことを把握している」と西田は確信していた。
北村から再び倉野に電話が戻ると、今回の本橋の突然の自供についても、一応何か知らないか聞いたと話された。それについては、顔色一つ変えなかったようだ。そのことで、佐田実の殺害についてよりも、本橋の自供については、政光にとって完全に寝耳に水だったという印象を強く持ったらしい。
そして、今になって、佐田実殺害について、死んだ父親の依頼にされていることは不当ではないかと、やや憤慨していたそうだ。死人に口なしという状態に不満を持っても、それ自体は不思議ではない。かと言ってそれほど本気で怒っているようにも見えず、むしろそこに違和感があったと、倉野は西田に語った。
倉野始め聴取を担当した刑事は、当然その点を突いた。
「警察が察知していない、他の誰かの関与も知っているんじゃないか? しかも警察には言わない方が良いような理由があって、それを積極的に主張できないもどかしさを感じているんじゃないか? それとも、父親の事件関与を以前から知っていたから、それほど強く、父親に責任が押し付けられたことに文句が言えないのか?」
そう、暗に大島海路の関与を前提に問い詰めたようだが、そこはすかされたと西田に伝えた。
息子の政光に、伊坂大吉は死ぬ前には、粗方事件の真相をを伝えていたという推測を西田と竹下はしていた。もし大吉が真の黒幕、つまり殺害についての最終的な「責任者」であれば、政光が何も知らないままであれ、何か大吉から聞いていた場合であれ、父親のせいにされていることについて、曖昧な振る舞いをする可能性は低いだろう。もっと、父親のせいにされていることを不当だと主張する(勿論、事実関係を知っていた場合には、ただの嘘になるが)か、或いはあっさりと諦めるかのどちらかになりそうなものだ。
つまり、今回の政光の態度に、父親の関与に加え、真の黒幕の存在を知りながらも、その黒幕との関係を壊したくないという、微妙な心理状態が見えたとしてもおかしくはない。倉野達が違和感を感じたように、この点を倉野に西田は強調して見せた。
最低でも、伊坂大吉の他に同レベルの黒幕が居るか、それ以上の責任を負うべき黒幕が居る、そういう可能性が、任意の聴取から垣間見えたように、西田には感じられていた。そして黒幕とは、言うまでもなく大島海路のことである。
最後に、倉野は遠山部長からの電話が、西田の元にまだ来ていないことを確認すると、今日中には来るだろうと告げ、電話を切った。




