明暗21 (120~125 喜多川が保管していた証文の謎と契約書 報道により政光聴取に応じる)
10月12日午前になると、一昨日までに北見方面本部が集めてきた、本橋に対する取り調べのための資料が府警に送られてきていた。西田達はすぐに府警を通じて大阪拘置所に了解を得ると、取り調べに向かった。今度は府警の捜査員は付いて来ず、道警単独のモノとなった。
「これが、おまえの証言から撮ってきた、北見駅前にある旅館数軒分の写真だ。どうだあるか?」
竹下は昨日よりはイライラは収まっているようで、かなり落ち着いてきていた。本橋はしばらく写真を見比べていたが、
「これだな多分」
とだけ言うと、久米旅館の写真を選んだ。北見方面の聞き込みによれば、どの旅館の従業員も、本橋が宿泊していたかどうかについては、8年という歳月の問題もあり、期待できる回答は得られていなかった。ただ、久米旅館に宿泊しないとわからない情報、つまり久米旅館がホテルのように風呂が部屋単位で付いていたことを利用し、風呂について質問すると、的確にその答えが返ってきたので、間違いなく宿泊したことを確信した。
次に西田が喫茶店について質問した。こちらも複数の候補があったが、これについては似たような外装、内装の店があったので、最後まで「ルマンド」と「カフェ三和」で悩んだようだが、最後は外見でカフェ三和を選んだ。
ルマンドは久米旅館からは離れた場所にあり、最寄りがカフェ三和だったため、こちらも本橋は筋の通った証言をしたと西田は思った。満足の行く取り調べを終え、西田はまた取り調べに来るかもと本橋に告げると、一言、
「いつでもウェルカムや」
とにっこりした本橋だった。それには西田も竹下も、せいぜい気まずい愛想笑いを浮かべるのが限度だった。
取り調べを終えた2人と隣の控室で合流した吉村は、表向き順調な内容に喜色満面だった。一方、こういう時にこそ案外落とし穴があるもので、西田は、状況をそのまま好意的なものとして受け取っていなかった。部下はそれを知ってか知らずか、底抜けの笑顔だったわけだ。ただ、そう西田が思っていたのは、北条の証文に関して予想外の展開があったからかもしれない。
府警に戻ると、田丸共助課長が出迎えてくれた。昨日の会見を目処に、一度また道警に戻るらしい。移送が確定した時点でまた戻ってくるようだが、未だにどこで聴取するかについては、道警本部側も決めかねているようだ。その上で、やはり遠軽署では厳しいということで、札幌の道警本部直轄の琴似留置場が現状では最も妥当だろうと語った。そして、明後日の14日からいよいよ、長期出張ということで、予算の関係上ビジネスホテルでの宿泊に切り替わることも告げられた。今までが一流ホテルだっただけに、残念ではあったが、ある意味これまでが「異常」だったのだから仕方あるまい。田丸とのやり取りを終えると、西田は取り調べ結果を倉野にまず報告した。
倉野からは、昨夜、佐田実の未亡人である佐田明子からファックスで、実印の印影と佐田の自筆のサインが記載された昔の書類が送付されてきて、残っていた契約書に残されたものと同一であると確認されたと伝えられた。一方で北見からの帰札方法の変更については、当時、実からは一切聞いていなかったということだった。更に、残されていた証文から、鑑識によって、北条正人の血判の指紋と一致する指紋が検出されたことも聞かされた。これで科学的にも貸し金庫から出て来た証文は、北条兄弟が小樽の佐田家に譲渡していたものと確定した。
倉野の後、沢井への電話報告を済ませると、当日中はその時点で予定もないので、ひとまず待機することになり、3人はホテルへと戻って西田の部屋に3人で集まっていた。竹下は相変わらず暇になると、椎野が本橋へと書いた手紙に何が隠されているのか、便箋に穴が空くほど見入っていたが、首を傾げるばかりで、かなり苦闘していたようだ。西田も吉村もその度に助けに入るが、竹下が解読出来ないものを2人が何とか出来るはずもなく……。
そして午後4時過ぎに、例の、伊坂が佐田に会食時に渡したと思われる契約書が、鑑識での作業も済んでファックスされてきた。西田は早速文面を読み込んだ。
※※※※※※※
◯仙崎大志郎氏の遺言書並びにそれに対する金銭譲渡・事業資金貸借に関する契約書
伊坂大吉(株式会社・伊坂組代表取締役 以下「甲」)と佐田実(株式会社カネ実食産代表取締役 以下「乙」)は、仙崎大志郎氏の遺言書の譲渡並びにそれに対する金銭譲渡及び事業資金貸借に関する契約(以下 「本契約」)を結ぶものとする。またこの契約に関して、松島孝太郎(北海道議会議員 以下「丙」)を証人とする。
第1条 甲は、乙より仙崎大志郎の遺言書(仙崎大志郎の遺産分配に関して記載された、事実上の契約書)を昭和62年9月25日に譲渡され、その対価として金2000万円を、札幌向洋銀行東支店の乙の普通口座に、昭和62年10月7日水曜日までに、振込で支払うものとする。
第2条 これとは別に、乙の事業資金に対する融資として、札幌向洋銀行東支店のカネ実食産の当座に、2億円を昭和62年10月7日までに振込むものとする。
この融資は、10年間で満額返済されるものとし、利子は元本に対し年利0.1%とする。返済においては、期限と元本、利子の総額以外は乙の任意においてされるものとし、甲はこれについて如何なる請求権利を有しない。
第3条 乙は甲における如何なる名誉も毀損するような言動、行動をしてはならない。
第4条 甲・乙・丙の3者共にこの契約について一切口外してはならない。
第5条 乙が第3条と第4条について違反した場合においては、第1条及び第2条の契約は自動的に破棄されるものとする。
以上、本契約の成立を証するため、この契約書を甲・乙・丙にそれぞれ与えるため3通作成し、3者による署名捺印の上、各自1通を保有するものとする。
昭和62年9月25日
甲 北海道北見市×××………
氏名 伊坂 大吉 印
乙 北海道札幌市○○○………
氏名 佐田 実 印
丙 北海道北見市△△△………
氏名 松島孝太郎 印
※※※※※※※
「うーん」
読み終えた第一声はその一言だった。すぐに吉村に見せ、吉村は椎野の手紙と「格闘」していた竹下にそれを渡し、竹下は受け取るとそれを読み始めた。西田と吉村は竹下が読み終えると、感想を求めた。
「小村が係長に報告してきたままですね……。確かに、少なくともこの書面上では、本物か偽物かはともかく、おそらくあの証文を伊坂は受け取ったことになってますね。実際に譲渡がされたかどうかはわかりませんが、これにより、佐田は証文を先に渡していたとしても、契約書が作成されましたから、金を受け取る算段は法的にも担保されたということ。この時には安心はしていたんでしょう……。会食後の遺族への9月25日夜の電話でもそれが窺えます。先渡しによって、伊坂が証文だけ持ち逃げして金を払わないという、資金提供の債務不履行の可能性はなくなったわけですから。それに書面は、おそらく弁護士に事前に作らせたものかと思います。かなりちゃんとしたものですから……。伊坂組の顧問弁護士・松田辺りですかね、作ったのは。ただ、証人として会食に同席させなかったのは……」
そう言うと、口淀んだ。
「やはり松島と比較すると、やり辛い?」
吉村が竹下の様子を見ながら、代弁しようとした。
「うん……。確かに松田は伊坂の顧問弁護士として、喜多川の時も警察とやりあうぐらい忠実ではあるが、伊坂が佐田を殺そうとしていたとなると、そこまで付き合わせるだけの信頼感はなかったんじゃないかと……」
西田は、竹下の意見を聞くと、
「つまり、松島は伊坂の計画を知っていたってことか?」
と確認した。
「正直微妙です。ただ、松島は大島の子分みたいなモンですからね。大島と伊坂の関係性に、松島と大島の関係性。大島への疑惑からすれば、松島は殺しまで認識していたかはともかく、深く絡んでいたと見るのが筋です。それに対し松田弁護士は、伊坂の忠実な顧問弁護士ではあるが、きちんと独立した弁護士でもあります。それに喜多川の件で警察とやりあう程とは言っても、所詮、しっかりとした法律上の闘いですから……。松島がどこまで知っていたかは難しいところですが、一方でかなりヤバイ橋を渡っている認識はあったと見ていいと思いますよ」
「なるほどな。社会的地位もあり、後からの警察への証言にも重みが出てくるとなると、道議会議員はうってつけだ。それは同時に、相対した佐田にとっても証人としては重みが出てくるから、佐田も信用するし」
西田は深く納得した。
「とにかく、この契約書を作ったことで、佐田は安心し油断し、そして伊坂は、おそらく証文と契約書を引き換えにして手に入れたことで、佐田を殺す条件が整ったってことでしょう。佐田の分の契約書は殺害後回収すれば、契約自体ははっきりしなくなりますからね。残念ながら、殺害現場に居た喜多川や篠田にぶんどられてしまったようですが……。確か、伊坂は8年前に事情聴取された際、資金提供の話が円満に解決したとは言ってたはずですが、その後、この書面のような実際の佐田家への利益提供はなかったんですよね?」
竹下に確認を求められた西田は、
「そうだ。その後カネ実食産は倒産してしまったわけで……。佐田本人が行方不明になって、契約書も他の人間の目につかなくなった以上、どういう資金提供だったかも第三者には証明できないし、契約が履行される必要は実質存在しないからな。ここで債務の履行を気にして、『話し合いが不調に終わった』と嘘を言う方が余程怪しまれる。全体的なものの見方をすれば、金の話をした直後に、佐田が行方不明になったんだから、言い訳としては苦しいかもしれないが、少なくとも物別れに終わったというよりはマシだろう」
と答えた。
「そう、まさに絶妙のバランスですよ。書類上の条件は、そんなの関係無く振込む必要があったようですが、契約条件がわからなければ、むしろ本人が行方不明のまま金だけ振込むのは、普通に考えておかしいとすら思えます。言い訳する中ではベストでしょうね。後は大島の介入でなんとかやり過ごすと……。犯人の本橋がバレる恐れは、当時まずなかったわけですし」
竹下は筋が通って満足した口ぶりでそう言った。
「それはそれでいいんですけど、結局この契約書面通りだったという前提じゃ、証文が何故伊坂の手元ではなく、喜多川が保管していたのかわからない……。あれ、そうじゃないな……。勿論最終的に喜多川が持っていたのは、荷物ごと自分達が奪いとったからでしょうけど、そういう意味じゃなく、伊坂の手にあったものが、佐田実の荷物の中にあったかって方が正しいか……。とにかくそういう意味じゃ何にも解決してないですよ」
吉村がにこやかな2人に、珍しく冷水を浴びせるような発言をした。
「そいつは言ってくれるなよ……」
西田はため息を吐いたが、竹下は、
「考えてもわからないことは、後回しでいいんだ! パンク寸前! 敢えて触れる必要なし!」
と言い切った。竹下にしては珍しい投げやりな言動だったが、それを聞いた西田も、
「そうだそうだ! 今はそれでいい!」
と子供のように囃し立て、契約書のファックスを折りたたんで、ファイルに仕舞った。その時には既に竹下は、再び椎野の手紙と格闘し始めていた。今はそちらの方で頭が一杯で、他に回す余裕がなかった、そういう末の発言だったのだろう。
※※※※※※※
そんな竹下を邪魔するわけにも行かず、テレビを消音にしながら見ていた西田の携帯が鳴ったのは、そろそろ待機も解除して、夕食にしようかと思っていた午後6時過ぎだった。倉野からだ。
「佐田の奥さんに、札幌から北見にわざわざ来てもらって、さっき到着したから、そのまま確認してもらって、貸し金庫から出て来たのが本人のバッグだと証言もらったわ。後は、喫茶店に連れだした男についてだが、おそらく似顔絵から見て、当時秘書だった、重野と言う男がリストアップされたよ。それでだが……、残念ながらこいつも5年前に死んでる」
急にトーンが落ちたのでどうしたかと思えば、そういうオチがついてきた。
西田はそれを聞いて、思わず、
「いやはや、またですか!?」
と声を荒らげてしまった。吉村も竹下も西田の方に視線をやった。
「ただ、こいつも心臓が悪くて死んだようだから、別に疑わしいところはないんだ。自然死ってやつだ」
倉野は自身も落胆しただろうが、おそらく無意識に西田を宥めるような言い方をしていた。
「それにしてもこうも死にまくってると、捜査が厳しいですね。おそらく殺人についての詳細は知っていなかったでしょうが……」
捜査陣にとって唯一の救いは、本橋を喫茶店まで連れて行った男、おそらく重野は、佐田殺害の核心部には関わっていなかった、もしくは聞いていなかっただろうという推測に基づく、「関与の薄さ」ぐらいなものだった。
「おっと、大事なことを忘れてたぞ。死にまくってると言えば、こちらもまた死にそうな、松島孝太郎だが……」
倉野は話題を突然変えると、妙に溜めるような言い方になった。
「何ですか?」
西田はしびれを切らせた。
「松島にダメ元で、出て来た契約書について任意で聴取かけたら、何と応じてくれたみたいだぞ!」
「本当ですか? そりゃまた意外なことが!」
西田は良い意味で想定外の事態に心底驚いた。
「いやあびっくりしたぜ、実際のところ。どうせ面会謝絶とかで拒否されると思ったがな……。北村と満島が行ったんだが、話してくれたらしい。何でも北村の彼女の親族が、松島の担当看護婦だとかなんだとか……。それで口利いてくれたらしい。契約書について聞いたら、確かに記憶にあるとさ。実物はもらったはずだが既に処分してしまったってのが残念だがな。まあ実印で裏付けは取れていたが、本人の証言が新たに採れたのは助かった」
倉野の声は先程と違って嬉しそうだった。
「本人が認めたんですか? それも驚いたなあ……。認めるってこと自体、死んだ伊坂にとって不利なことなんですけどね。もう伊坂に色々押し付ける流れが出来上がってるんでしょうか? 佐田がどういう状況であれ、契約上金払わないといけなかったことがバレるんですから……。8年前の時は、契約書についてはこっちも尋問してないから、年数が経って気が変わったのか、聞かれてなかったから答えなかったのかはともかく、ここまで来るとそれ以外についても何とかならんですかねえ……」
西田は、直接松島相手に喋っているわけでもないのに、懇願するような言い方をした。
「書面の内容をどこまで認めたのかはわからんぞ。あくまで見たことが有る程度の証言だ。後、残念だが、契約書についてだけの聴取だったようだ。それ以外は過去に済んだことだからNGだとさ」
「そうですか……。それは残念です。ただ事件について、松島は会食の時点でどこまで知ってたんですかねえ。本当に立会人というだけだったのか。過去の捜査、現時点での本橋の供述、周辺調査からも、松島の関与は見当たりませんが……。今しがた、竹下や吉村とも話してたばかりでして、証人の松島については。今が死ぬ前にひと通り調べ直すラストチャンスかもしれない。今回も限定とは言え聴取に応じてますから……」
「どうだろう。北村の話じゃ、かなりやせ細ってるようだったから、病状を盾にされたら、任意じゃ無理だろ。令状も担当医師によっては拒否される恐れがあるし、そもそも令状掛けるだけの根拠もない。無理じゃないか?」
倉野は相当懐疑的な様子だった。
「それもそうですね……。まあそっち帰ったら北村からも話聞きますよ……。他にもあちこちでガサ入れ掛けた話やら、色々もう一度聴きたいことだらけだし」
西田はそう答えた。
「それからな、昨日のガサ入れで押収した、当時の30以上の男性社員の写真全部そっちに速達で送ったから、本橋を問い質してくれ。重野については最後にまわしといた方がいいかもしれない。結局真正面からガサ入れ掛けたから、それまでの隠密で集めてた資料が無駄になっちまったけどな……」
倉野は西田の話を切るように話した。
「わかりました……。本橋への聴取はトントン拍子で進むでしょうが、問題はその先でしょう……」
西田は暗に大島議員へどう捜査の矛先を持っていくかを振ったが、倉野はそれについては特に受け止めず、佐田のモノと見られる衣服に付着した微量金属成分が、本橋が使用していた弾丸外装と一致したことも更に付け加えた。この点でも、本橋を有罪にする外堀はドンドン埋まりつつあった。
「後はなにかあったかな……。そうそう、喜多川の遺族にも貸し金庫について聞いたことがあるか、参考人聴取したんだが……」
「そっちも同時進行してたんですか?」
なかなか手回しが良いと西田は感じた。
「まあな」
倉野はそう言うと、その結果を西田に伝え始めた。
「貸し金庫の話は、喜多川からは生前というか、倒れる前まで一切聞いてなかったそうだ。一方でカミさんの話だと、生命維持装置外す段階で、社長、つまり伊坂政光に相談したことはあったらしい」
「政光に?」
ここで、西田は貸し金庫の話と伊坂政光の相談の話が、どう繋がっているかはよくわからないままそう尋ねていた。
「ああ。一応、旦那が役員やってる会社のトップなわけだから、別に不自然でもなんでもなかろう?」
「そりゃそうです」
「それでだ、その時に喜多川が意識不明になる前に、『何か大事なものを保管しているような話を聞いていなかったか?』と、それとなく聞かれたらしい」
「ほう。それは興味深いですね」
ここで、貸し金庫の件とようやく話が繋がったのを理解した上で、西田は政光が父の大吉から、何か一連の事件について聞いていたのではないかと、竹下と共に疑っていたので、この話については、多少の驚きと共に、普通にあり得ることだとも感じていた。
「あんまり驚かないんだな」
倉野は拍子抜けしたような言葉を吐いた。
「こっちで単独捜査していた際に、政光が事件に直接関与してないにせよ、何か知っている可能性については考慮していたんで……」
西田が率直にそう言うと、
「なるほど。ウチが例の連続殺しを追っていた時に、そこまで行ってたか」
と言って、倉野は西田の態度の理由を理解したようだ。
「それで、妻は何と?」
「本当に知らんかったようだから、そのまま『知らない』と言ったらしいぞ」
「政光はそのまま引き下がったということですかねえ」
「みたいだな。特に執拗に聞いてくるようなことはなかったようだ」
「他には何か動きはあったんですか?」
「一応それぐらいかな、カミさんから聞いた限りでは。他にもわからないところで何か動いていたかもしれんが、今のところはそんなもんだ。伊坂絡みの各口座も洗ってる最中」
「そうですか。そうなると、政光がオヤジから事情を聞いていたとすれば、その割に、喜多川達が保管していた佐田実の遺品類には執着はしていなかったということになるのかなあ……」
西田にとっては少々アテが外れた形だ。
「喜多川達の大吉を脅すための『切り札』について、どの程度のモノか、政光がどこまでわかっていたのかは知らんが、知っていたなら勿論、知らなかったとしても、政光自体は犯罪に関わっていなかったのと、喜多川達自身が犯罪者でもあるから、それほどマズイことにはならないと考えたのかもしれんぞ。もしヤバイもんだったら、必死だろう?」
倉野なりの解釈ではあったが、西田もそれなりに頷ける話ではあった。
「そうですね。それにこうなってみると、案外伊坂親子と喜多川・篠田の関係はそれほど悪くなかったのかもしれません。大出世劇の裏には、2人が大吉の過去の犯罪をネタに条件闘争したことが、間違いなくあったとは思いますが……」
西田としては、本橋の供述から、2人が過去の大吉の殺人をネタに、半ば脅した可能性を竹下と共に考慮してはいた。その一方で、思い返してみれば、そのネタは時効によるただのスキャンダルに留まるとも言えること。佐田実の殺人自体に2人自身も直接関わっていること。その後も2人が専務として仕え、大吉の死後も政光の下、関係の悪さを噂する話は特に聞こえていなかったことなどがあった。それらを総合的に考えると、双方に多少の緊張関係にはあったものの、脅迫される側、する側までの、完全な対立関係までには至っていなかったのではと思い始めてもいた。いわば軌道修正が必要だと感じ始めていたのであった。
「その部分はこれから色々調べる。政光の方も聴取に応じるそうだ」
「あっさりでしたか!?」
西田は驚いた。確かに本橋の証言により、伊坂大吉の事件関与の言質が取れたことを考えれば、いずれは動かざるをえない部分だが、事件に直接関係した大吉はすでに故人なだけに、息子の政光としては、任意の聴取に無理に応じる必要はなかったはずだからだ。
「ああ、案外あっさりだった。既に今日の道報の朝刊あたりで、本橋の証言した事件について、『既に亡くなっている北見の建設業経営者の依頼で』と言ったような書き方で、報道されてしまってるからな。見る人から見れば、それが伊坂大吉のことだとわかるだろ? そういう状況で、警察の捜査から逃げ続ければ、事業にも悪影響が出かねんという意識はあったんじゃないか?」
「なるほど。道報がそこに踏み込んできましたか……。そうですね、そうなると応じた方が無難でしょうね。でも、倉野課長、かなりやる気満々ですね」
西田はそう倉野に笑いながら言うと、
「俺のやる気の種明かしするとだ、連続女殺しの方のDNAも一致して、そっちの方の起訴が決まったから、こっちに全力投球可能になったってのもある。あくまで慎重にしないといけないけどな」
と答えた。倉野は最後の部分を強調したが、声からして機嫌自体は良さそうだった。事件が1つ片付いたことが、なんだかんだ言って心理的余裕に繋がってはいるようだ。
「なるほど! それはおめでとうございます。こっちも助かりますよ」
西田は、自分には関係ない事件ではあったが、状況の変化を心底喜んでいた。
「まあやっとってところだな……」
倉野は噛みしめるように言った。
※※※※※※※
10月13日、新たな捜査資料は北見からまだ届いていなかった。昼間、長期出張ということもあったため、生活用品などの買い出しに、西田、竹下、吉村の3人は大阪市内で買い物することにした。翌日からはビジネスホテルに移る予定だったが、自分達でする洗濯にも限界があり、替えの下着やYシャツなどを購入していた。
また、吉村が言っていた、87年当時の特急「おおとり」は生田原を通過していたのではないかという説を検証するため、大きめの古本屋で古い時刻表を漁り、見事に87年9月の時刻表を見つけ、旭川から遠軽や北見を通って網走まで至る石北本線の欄を調べてみた。
やはり吉村の目論見通り、おおとり号は生田原駅は通過扱いになっていた。これにより、吉村の説が現状もっとも説得力があるものとなった。ただ、夫妻を訪ねるつもりなら、電話を事前にしておくのがやはり常識的であり、その点においての弱さは解消出来そうもなかった。また札幌に帰る際、87年当時のオホーツク4号は生田原駅に停車したことが時刻表上確定し、前田夫妻と会った後、竹下の反論通り生田原駅から乗車すれば良いわけで、そういう疑問も出て来た。やはりそう簡単に完璧に説明が付くような考えではなかったようだ。
その道すがら、喉が渇いたので飲み物でも買おうとコンビニに寄ると、「週刊 FREE」という有名なゴシップ雑誌の見出しに目が止まった。「激変! 公共事業削減で様変わりする地方のゼネコン・土建業界」というものだった。いや、もっと正確に言うなら、副題の「北海道 オホーツク激闘編」という、まるでヤクザ映画の「仁義なき戦い」の副題のようなネーミングセンスと「取材・文 高垣真一」という文字に反応したというべきか。東京での捜査で、新宿ゴールデン街のバー「シャルマン」で飲んだ時に、マスターから聞いた名前と取材内容だと、ピンと来たのだった。
西田は早速手に取って、目次で該当箇所を調べ、パラパラとそのページまで辿り着いた。シャルマンで粗方聞いた通り、渦中の大島海路のお膝元である北見や網走周辺の土建業者において、これまでであれば考えられない、バックのヤクザも交えた対立構造が出来上がっているということだった。土建業者そのものがヤクザのフロント企業だったり、業者のケツ持ちのヤクザだったり、周辺のヤクザのつばぜり合いも徐々に目立ってきたそうだ。
立ち読みで済ませる割にはなかなか面白く、ページ数も多かったので、西田はそれをペットボトルと共に吉村に1000円札を渡し買わせた。吉村はコーラ、竹下は紅茶を頼んでいたが、当然一緒に会計させた。
そして、全ての買い物を終え、昼食を摂りホテルに戻って部屋で1人になると、ベッドに横になり、週刊誌をきちんと読み直した。要は、バブル崩壊により財政が悪化し、現時点ではまだ景気対策で拡大傾向にある公共事業費だが、近い将来にはかなり削減されることが確実な政治状況がまず前提としてあった。
従来であれば住み分け、或いは協力関係にあった土建業者同士による、(数年先の)公共事業のパイの奪い合いが公然と行われ始めたようだ。その周辺を動くヤクザ同士もきな臭い状況とのことだったが、警察内部に居る西田は、特に北見方面本部内で、ヤクザ同士が抗争しているという話は聞かなかったので、この点に関してだけは「本当かいな?」とかなり懐疑的にならざるを得ない部分だった。
記事の具体例の1つとしては、大島海路の傘下の地方議会議員の影響下にある土建会社同士でやくざも絡んだ争いがあって、その結果として議員同士の軋轢も生み出しているという内容だった。自分達が追っている人物に関係する話題だけに、かなり気にはなったが、時系列を考えれば、事件には明らかに無関係だった。後はヤクザについての記事は、センセーショナルにするために、オーバーな表記ではないかと感じた。
西田は該当記事を読み終えると、後は惰性で他の記事にも目をやった。自分も見ている、お宝鑑定番組の話題だった。前年の94年から始まったこの番組は、全国キー局としては、最も視聴率が取れてない弱小テレビ局でありながら、1年程度で20%程度の視聴率を取る程までの番組になっていた。構成は素人が持ってくる自称「お宝」、或いは一見価値のない「ガラクタ」を専門家が鑑定することで、素人が一喜一憂するのを見つつ、さまざまなお宝についての知識を得るものだった。
番組プロデューサーのインタビューでは、如何に市中に偽物が出回っているかという話が語られていた。特に書画、陶磁器の偽物が多く、番組に出す際にもかなり注意しているという内容だった。ただ、実際にはそういう偽物を掴まされた人を笑いものにする要素もあるなと、西田は皮肉に感じていた。
いずれにせよ、西田は自分も見ている番組だけに、なかなか興味深く記事を眺めていたが、他の記事を読み始めた時点で、ふと証文の件がどうしても気になり、週刊誌をベッドの片隅に置いた。
確かに北条正人の証文は、おそらく喜多川と篠田が、伊坂大吉、ひょっとすると彼が死んでからも政光に対しての「牽制材料」として、少なくとも篠田の死後は喜多川の手の内に保管されていた。このことは、西田達が当初考えていた、佐田の資金提供との「交換材料」として、証文が佐田実から伊坂大吉の元に渡ったという筋書きを崩してしまった。
一方で、おそらく北条兄弟の証文を佐田実から伊坂大吉が受け取ったという、伊坂、佐田、松島に対し3通作成された中の、おそらく佐田が受け取っていた1通分の契約書も喜多川の手にあった。明らかに矛盾する2つの事実。
そうなると、実が保有していた佐田「徹」分の証文、北条正人が持っていて、弟の正治により佐田「譲」に渡され、最終的に実に渡っていた証文以外の別の証文が、伊坂大吉に譲られていたのだろうか?
当時、佐田実の元にあった証文はまず2枚で間違いない。仮に他に同じものが存在するとすれば、伊坂大吉の分、桑野欣也の分の2枚だ。しかし論理的に考えて、伊坂の分は伊坂が持っていたか処分されていたはずだろうし、それを佐田が伊坂に譲渡することもまずあり得ない。
だとすれば、あり得るのは桑野欣也の分だが、桑野自身が行方知れずであり、佐田実が実母の死後、証文の存在を知ってから、更に桑野の証文を入手するのは、時間的に見てもまず無理だろう。佐田実が桑野の行方や居所を察知していた節も今のところ見出だせていない。これは貸し金庫の捜索の後、小村が「証文があった」と西田に報告してきた直後に、竹下が解説したことと一致した考えだ。
だが、資金提供が現実にされる前だったのだから、ひょっとすると、実はその「実現」まで証文は大吉に譲渡されない、裏の「条件」が存在していたのかもしれない。あくまで文書の文言は形式的に「譲渡済み」であったが、実態はそうではなかった、そういうことだ。
しかし、そうだとすれば、佐田実が北見まで本物の北条の証文を持ってきた理由がわからなくなる。あくまで佐田が脅しに使っていた証文の実在の確認を、伊坂の前でするためだけだったのか?
考えれば考える程、袋小路にはまっていくかのようだったが、それでも必死に、譲渡が実は9月25日の会食時点でされていなかったこと、そして証文はあくまで存在確認のためだけに持って来られたことを前提に、西田は考えをまとめようとした。
そうだとするなら、伊坂は佐田が証文を2つ持っていることは当然知らなかったはずだから、佐田が持ってきた分を回収出来れば、佐田に対する「口封じ策略」が最大限に生きてくる。そして証文を北見に持ってきたことを、9月25日の会食の際に確認して、予定通り翌日に佐田を殺害実行。佐田から証文と契約書の回収は、殺害協力のため本橋に付けた喜多川と篠田に任せた。
ところが、たまたま伊坂の過去の殺人を、身元不明の遺体を発見することで知っていた2人が、佐田実殺害にも関与することになったばかりに、今度は更なる「条件闘争」の材料として、佐田の荷物等全部と一緒にまとめられて、「手紙」と共に証文も2人の手に落ちることになった。そう考えると、それなりに筋は通るような気がした。
喜多川と篠田の過去の遺体発見の「記憶」がなければ、伊坂大吉の思惑は予定通り達成出来たはずだ。そして、さっき考えたように、佐田実が証文を北見へ持ってきた理由は、ただの「顔見世」程度の意味であり、証文も伊坂大吉が契約書の形式上受け取っただけだったとすれば、その後再び佐田実の手元へ一度戻ったということもあり得、大枠において矛盾は解消される。
「そうか、別に証文が残っているのは、そういう経緯を経ただけの話と考えれば、それほど深く悩む必要もなしってことだな……」
西田はそう呟くと、フッと笑って、再び週刊誌を手に取ったが、
「いやいややっぱり待てよ……」
と躊躇する言葉が自然と口をついた。
確かに、佐田が証文を北見まで持ってきていた理由は重要ではないかもしれない。それはそうとしても、「譲渡された」という契約書の文言が形式的なもので事実ではなかったというのは、やはり都合が良すぎるのではないか? 再び逡巡が始まった。行きつ戻りつ、結論は出ようがなかった。
「ああ面倒くせえなあ、おい!」
発狂しそうになって、大声で叫びそうになったのを、ギリギリで小声で抑えた西田は、ベッドにドンとうつ伏せになると、身体を返して仰向けになって週刊誌を顔にかぶせてふて寝しようとした。
「出て来た証拠を頭から否定して考えることなど、あっちゃいけないだろ……」
西田は週刊誌の「下」から、1人そう口ごもった。
「北条の証文を伊坂が受け取ったことと、北条の証文が喜多川達の手元に渡っていたことが両立することは、どう考えてもありえない……。」
そう口にしかけたところで、西田は飛び起きてさっきまで見ていた週刊誌に釘付けになった。
「渡した証文がやっぱり偽物だったらどうだろう?」
見ていた記事には、「書画は偽物が多い」という話が出ていた。証文は画よりは似せるのは難しくはないように、西田は「この部分に限って」は自分に都合よく考えることを許した。それを否定する材料もなかったからではあったにせよ……。
そして古いと言っても、証文は昭和になってからのモノである以上、それほど「加工」する必要はないのではないか? つまり、素人でもなんとかなるのではないか? そういう思いが急に強くなった。
先日、小村から証文の存在を伝えられた時、それが偽物である可能性に触れた竹下に対し、「それなら渡したモノが偽物の可能性もある」と反論した西田だったが、まさか本気でそう思うことになるとは、あの時は微塵も思っていなかった。溺れる者は何とやらではないが、可能性はゼロではない。そして、伊坂に渡ったはずの証文の存在と譲渡の事実が、偽の証文が佐田から伊坂に譲渡されたことで両立・成立するだろう。
さて、もし佐田実が証文の贋作を作るとすればどうするだろうか。彼の職業上そういう接点はまずなかったろう。であるとすれば、まず本などの知識に頼るのではないか? 佐田宅を尋ねた時の佐田実の蔵書の多さから、西田はまずそう考えた。そう来れば行動あるのみだ。西田は佐田宅の明子へ電話を掛けた。
西田は丁度在宅していた明子に、実の蔵書の中に美術関係の本、特に贋作などを扱ったモノがないか聞いてみようとした時、大事なことを忘れていたことに気付いた。まずどう考えてもこっちが先だ。
「お久しぶりです。ニュースご覧になったかと思いますが、ご主人の犯人、あの本橋でした。私もこちらで直接聴取しましたが、間違いないです。立て込んでいたとは言え、真っ先に連絡するべき方にしなかったこと、お詫びいたします」
そう、本橋の件を伝えるのを忘れていたのだ。少なくとも記者会見の直前にはしておくべきだった。
「そのことでしたら、道警の遠山部長という方から直接ご連絡いただいてましたから、お気になさらず」
明子はさらっと言ってのけた。
「ああ、そうだったんですか……」
西田は予想外のことに驚いたが、遠山はおそらく南雲から連絡先を聞いて、直々に捜査報告したのだろう。捜査の不十分さが招いた事件解明の遅れという認識が、部長の中にあったからこそ、自ら説明しておきたかったに違いない。それなら、本題に入る心理的障壁はないと言えた。気持ちも軽くなった。
「ついでと言っては何ですが、ご主人の蔵書、結構ありましたよね?」
「はい!? ええ、本はそれなりにあるとは思いますが……」
「その中にですね、美術品関係の本、特に複製とか修復とか、或いは贋作とかを扱った、そう言った類の書籍はなかったですか?」
西田は「偽物の作り方」と言う表現をストレートに言いづらい気がしたので、ぼかした言い方に終始した。
「えーっと……」
「いや、この場でどうこうではなく、調べてもらってから連絡いただければ……」
「あの……、いいえ確かにあった記憶があります……、いやあります。それにしても、その本がどうかしたんですか?」
「お! 本当にあるんですか!? それはありがたいです」」
西田は勘が当たりそうなことに、小躍りしたい気分になっていた。
「はい本当です……。ただ、それが何か必要なんですか?」
明子は妙に狼狽えたような声を出したのが気になったが、直接的に理由を答えるのは、さすがに憚られた。「あんたの旦那が偽造した」とは到底言えなかったわけだ。
「その本の題名わかりますかね? 出来れば出版社名とか版とかもわかると助かるんですが……」
「ちょっと待って下さいね」
明子はそう言うと、保留のメロディが流れ、1分程した後また明子が喋りだした。意外と時間は掛からなかった。
「西田さん、ありました……。『美術品裏の世界 これが禁断の偽物製作マニュアル』? という題名の本ですね……」
明子は題名を読む時に、たどたどしい言葉遣いになっていた。題名から察するに、あまり真っ当なタイプの書籍ではなかろう。読むのも恥ずかしいという思いが、上品なタイプの年配女性である明子にはあったのかもしれない。
「出版社はどこですか?」
西田は余計な会話はせず、間髪置かずに必要事項だけ聞いた。急いでいたからではなく、明子に嫌な思いを長くさせたくないということがあった。警察が聞いてきた本が夫の蔵書にあり、その蔵書のタイトルが胡散臭いと来れば、明子が何か感づいて当然だった。タイトルの読み方に西田はその匂いを感じ取っていた。既に、夫が伊坂を事実上「強請っていた」ことは知っていただけに、まず間違いないだろう。
「紅春出版、ベニにハルで紅春……ですね」
「ついでと言ってはなんですが、版、あの第何版とかありますよね? 1番最後に載っている奴ですけど、それ教えてください」
「えーっと……、初版で86年6月30日とあります」
「わかりました。ありがとうございます。また何かあったらよろしく」
西田はそう言って電話を切ろうとした時、明子が呼び止めた。
「あのー、栞代わりのレシートが挟んでありました。そのページは83ページ……」
「わざわざすいません。それでは」
一々言わずとも全部洗っても大した作業ではないと思われたが、明子なりの気遣いだろう。サッと流したが、有り難い心遣いだった。
西田は取ったメモを破ると、書店へ直行するために、事情を説明して竹下と吉村にも声を掛けた。吉村はテレビを見て笑っていたから仕事に駆り出すのは当然だが、竹下は未だに椎野から本橋への手紙を見て「格闘」していたので、連れ出すのを中止しようとした。ただ、竹下もかなり行き詰まっていたらしく、遠慮した西田に、自ら気分転換がてら付いていくことを選択した。
タクシーで大阪の中心部でもっとも大きい書店を「お任せ」で指定すると、ベテランの運転手は大阪駅前のビルに入っている本屋名を出し、了承するとそこに西田達を連れて行った。確かにフロア面積も広く、2階分もあったので、運転手の選択も納得だった。しかし、店員に書名を調べさせると、かなり時間が掛かった上に、本は絶版、紅春書店自体が既に廃業していたという、不毛な結果のみが告げられた。こうなると、3人は時刻表の件で寄った古書店へとタクシーを飛ばした。
しかしそこでも在庫はなかった。かなり大きな古書店だっただけに期待値は高かったのだが、そこでも期待は打ち砕かれた。よく知らない街で、アテもなく古書店巡りをするのも時間の無駄ということで、ホテルに戻り、電話帳を借りて片っ端から在庫の有無をチェックしてみたが、残念ながらどこも見当たらなかった。
「参ったな……。奥さんに実物送ってもらうしかないか……」
「駅前の書店で見当たらなかった時点で、そうしなかったのがおかしいんですよ、むしろ……」
吉村は西田の言葉を聞いて、不満を隠さなかった。
「係長としては、あんまり奥さんに負担掛けたくなかったんだろ」
竹下は西田の内心を代弁してくれたが、
「あれだけ迷惑掛けといて、今更ですよ」
と吉村は態度を変えるつもりもなさそうだ。ただ、吉村の態度はともかく、考え方は正論とも言えた。
「東京で本を買った古書店がかなりの冊数があったから、もらった栞にある電話番号に掛けて聞いてみるか……。そこになかったら、諦めて奥さんに甘えるしかない」
そう言うと、西田は一縷の望みを賭けて、栞に記載されていた、東京は神田神保町の「カイザー書院」に電話を掛けた。
電話に出た従業員は、話を聞きながら何やら端末を打ったような音を立てていたが、すぐに
「あ、ありましたよそれ」
と西田に伝えてきた。
「お、あったかあ! 初版かな?」
「一応、画面上ではそうなってますねえ……。ま、こういう名前の知られてない会社の本ってのは、大体初版で絶版になるもんですよ」
古書店の従業員らしい知識を西田に披露すると、
「税込みで1545円になりますが、これは取り置きすればいいんですか?」
と聞いてきた。
「いや、申し訳ないが東京まで行く余裕がないんで、大阪まで送って欲しいんだけど……」
「それなら指定の口座に振り込んでいただくか、代引きという形になりますね」
「じゃあ代引きで。大阪のホテルに送付して……」
西田が言い掛けたところで、
「申し訳ないんですが、ホテルじゃ代引きは無理ですね……。ホテルのフロントでトラブルになることがあるんですよ。振込してもらえば、配達員は渡すだけですからいいんですが……」
と、やんわり拒否された。
「そういうことなら仕方ないな……。じゃあこっちに送ってもらうか……」
そう言うと、西田は大阪府警の住所に付加して、所属すらしていない警務課 西田 敏弘と指定した。
「宛先承りました。じゃあ、今から発送させて貰うとして……。ぎりぎり夜の便に間に合いそうですから、代引きだと明日の午後には着けるかなあ。それで送料、代引き手数料併せて2100円になりますんで、来たら配達員に払って下さい」
「わかりました。それじゃよろしく」
注文を終えた西田に、
「さすが神保町ですね」
と先程までとは一変して笑顔の吉村が声を掛けた。
「警務課には何も言わずに勝手に注文しちゃったから、配達員が来る前に警務課行ってないといけないなあ。あ、どっちにしても明日には」
西田は今度はそっちの方に気が行っていたが、翌日はビジネスホテルに移る必要があったので、荷物をまとめる作業に3名の刑事は入った。
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翌10月14日、ホテルを早めにチェックアウトすると、西田は府警へと向かった。警務課の職員に事情を説明して、2100円を払い、代わりに払っておいて欲しいと頼んだ。そして、同時に北見方面から届いた、男性の伊坂組関係の写真リストを受け取った。その後、早速本橋に取り調べをするため、荷物を警務課に預けて、3名は拘置所へと向かった。




