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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
明暗
41/223

明暗20 (114~119 椎野の正体 貸し金庫の捜索 政光への聴取示唆)

 駅からタクシーでホテルに戻ると、早速竹下から倉野の伝言を聞いた西田と吉村。貸し金庫の話に特に関心を示した。

「ここまでは竹下の予測通りだな。中身が判るのが明日か……。こっちでは事件の記者会見もあるし、色々忙しいそうだ」

西田は翌日の多忙を想像して、若干気が重くなっていた。

「ところで、なんで携帯が圏外だったんですか? 倉野さんは午後5時過ぎぐらいだったと言ってましたよ」

竹下は倉野からの電話が繋がらなかった理由を尋ねた。

「その時間は、倉敷の鷲羽山って言う山の上に居た頃だから、そのせいだろう(作者注・当時は携帯の圏外がかなり広範囲の時代でしたので、おそらくそうだったろうという推測での話です)」

「なるほど。山の上じゃ厳しいでしょうね」

竹下は納得したが、西田としては、「観光気分」だったことがバレて、少々気まずい思いもあった。ただ、竹下は特に事実以上の感情は抱いていなかった。


「竹下さん、これ倉敷のお土産です。夕飯既に食べたんですよね? じゃあデザート代わりにどうっすか?」

吉村は白桃が6つ入った、薄いダンボールケースを机にドカッと置いた。

「お、美味そうだな。じゃあ後でいただくわ」

竹下はそう言うと、

「ところで、米田の母親の方どうでした?」

と聞いた。

「まだ納骨はしてなかったよ。それから立件が難しいと言う説明もした。特に恨みがましいことは言われなかったが、内心悔しいだろうな……。歓待してもらったのがむしろ申し訳ない気持ちになった」

西田はそう口にしながら唇を噛んだ。悔しいのは遺族だけではない。

「そうでしたか……。こっちとしても結構辛いですよねえ、そういうのは……。罵倒されたりするぐらいの方がむしろ楽かもしれない」

竹下もしみじみと言った。

「米田家への『結果』を見せるのは正直厳しい。後は佐田家の『期待』に応えたいところだが……。何とかしないとな」

そう自分に言い聞かせるのが精一杯だった。


「ところで最初の吉見の件は、結局ただの事故ってことでいいんですよね?」

「あれはその方向になるだろう。転倒直後に即死で、カメラは占有離脱物横領されたと言う方向で、課長と話は済んでる。と言っても、そっちも喜多川の死で罪に問えなくなったが……。書類送検すらしないかもな、その程度の罪じゃな……」

西田は吉村の質問にそう答えながら、思い出したように舌打ちした。

「とにかく時間が経ってる上に、重要参考人がかなり死んでますからキツイこと極まりない。早め早めに先手打っていかないと……」

「早め且つ慎重にな」

西田は竹下の発言に念を押した。


※※※※※※※


 いよいよ10月12日、法務省、府警・道警、検察も絡んだ上層部会議の日となった。同時に竹下にとっては、記者会見内容を先に教える代わりに、東西新聞記者の椎野の情報を五十嵐からバーターとして受け取る期限でもあった。ひょっとするとその情報が間に合わなくても、五十嵐は椎野についての情報を後から教えてくれるような気はしていたが、出来るだけ昼過ぎまでに間に合って欲しいと願っていた。


 一方西田は、喜多川の貸し金庫の件が気になっていた。本来であれば竹下もそちらが最も気になるべきことのはずであったが、仕方ないと言えば仕方ない。


 再び大阪にやって来た田丸共助課長は、会議に出席する予定だったが、残りの遠軽署3名はホテルで待機という指示が彼からなされていた。ただ、仮に倉野か沢井から指示があった場合には、そちらを優先して構わないとの留保もあった。


 そんな中、リミットも近づいてきた午前11時半、西田の部屋に居た竹下の携帯に着信があった。竹下は西田に断って、自室に戻った。


「もしもし、竹下か? ギリギリ間に合ったか?」

「五十嵐さん。ええ、今捜査会議が開かれていて、記者発表が夕方前後になるかと思います」

「そうか。じゃあまずこっちの方だな」

五十嵐はそう言うと、ガサガサと紙をめくるような音と共に喋り始めた。

「東西新聞の椎名だが、今居るのが大阪本社の社会部だけど、今年の7月までは東京の政治部勤務のベテラン記者だそうだ」

意外な言葉に竹下は一瞬耳を疑った。

「転勤の時期も時期なら、その前は政治部ですって?」

「ああ、事実だ。ウチの政治部の町田ってのが、早稲田の政経OBなんだが、その先輩が椎野らしい。全国紙大手の東西新聞の中で、更に政治部でもトップクラスの記者だったそうだ。しかもほぼずっと、長年第一党の民友党議員関連の番記者やってたらしい。英語にも堪能で、30代の後半には、国際部に一時異動と言う形で、2年程ワシントン支局にも行ってたとか。民友党でも特に箱崎派の担当期間が長く、幹部の信頼も厚いらしいぞ。結構そっちからの透破すっぱ抜きもあって、社長賞とかも受けてた程って話だ。それで政治部でも、当初は突然の異動を訝しむ向きもあったらしい。何か政治家相手にやらかして、制裁食らったんじゃないかとな。また時期が中途半端すぎるからな。そういう話が出たのも致し方なしというところだろ」

言っている五十嵐本人も納得出来ないというような口調だった。確かに警察勤務の竹下ですら違和感のある動きなのだから、本職の五十嵐にすれば尚更だろう。


 しかし、五十嵐の話で1番大事なことは、椎野が政治一筋の記者であり、しかも箱崎派とかなり太いパイプがあるということだ。これで大島海路、本橋、椎野、そして本橋と椎野を拘置所で繋いだ梅田弁護士という点が、「箱崎派」というキーワードで線として結び付けられたわけだ。この時疑惑は確信へと竹下の中で結実していた。


「何があったんだろう……。本人の希望もあったのかな?」

竹下はその思いを隠すかのように、本橋の告白本出版のための取材で面会していたという、椎野の「表向き」の行動を前提に思案した。いや、というより、自身の昂ぶりを冷ますために、「確信」については「今」考えないようにしたかっただけかもしれない。

「本人の希望だけでどうにかなるようなもんじゃないだろ? あれだけデカイ組織だぞ!」

五十嵐は電話の向こうから竹下を怒鳴りつけるような言い方になった。

「そりゃそうですが……」

そう言うと竹下は黙ってしまった。その理由は怒鳴られたからではなく、頭の中で話を整理しようとしていたのだが、五十嵐は勘違いしたか、

「おい、冗談だ冗談。気にするなよ……。それでだが、その椎野が大阪本社へと異動した理由は、既に一応突き止めてるんだ。だから異動の理由は判明してる」

と竹下をなだめるように言った。


「何が理由ですか?」

当然竹下は、椎野の表の出向理由である「告白本出版のため」という目的の裏を認識していたが、別情報があるかもしれないので、聞き出そうとした。

「それがだな、例の『殺し屋』本橋死刑囚は勿論知ってるよな?」

「え? あ……、はい」

本橋の名前を五十嵐が口にしたので、おそらく既にわかっている話だろうと思い、正直落胆した。知っている情報を聞いても仕方ない。

「その本橋の告白本を、東西新聞の社会部編で、東西新聞出版から来年出すことになってたらしいんだな。まだ死刑が完全に確定する前の話だ。それで、民友党の政治家の手記みたいなのを何冊か出すのに関わったことがある椎野が、上層部命令で抜擢されたらしい。そっちについては、東西新聞の記者と仲が良い、ウチの東京本社の社会部の小室ってのが色々教えてくれた。それで突然の異動の理由もわかったってことだ。まあそれにしても、ちょっと時期がおかしいし、他に適当な奴が居なかったのかって話には変わりないが……」

落胆したとは言え、告白本の話の裏がきっちり取れたということはまず間違いない。そして何より、椎野が箱崎・大島サイドから送られた、言わば「工作員」だと言う確信を得られたことが大きい。東西新聞の上層部も、どこまで真相を知っているかはともかく、おそらく大島や梅田など箱崎派の誰かの要請を受けて、椎野を大阪に派遣する程度までは、確実に絡んできているのだろう。確率は低いが、椎野自身が上層部に異動を決めさせる程の影響力を、社内で持っていることも考えられたが、いずれにせよ、政治の思惑が東西新聞の人事すら動かしたと言うことは事実と思われた。


「おい、竹下聞いてるか?」

再び竹下が沈黙したので、五十嵐は応答を求めた。

「あ、聞いてます。すいません」

「これでいいのか? 良ければ、早くおまえのスクープとやら教えろよ」

五十嵐は「身代金」を要求した。

「わかりました」

10秒程竹下は間を置くと、

「佐田実の殺害のホンボシは、今話題に出た本橋です」

と静かに伝えた。

「お? え?……」

竹下の話に、今度は五十嵐が混乱したか言葉が出なかった。竹下は特にそれに対して何も言わず、相手が何か喋るのをそのまま待った。

「おい! 竹下、おまえ何言ってるんだ?」

20秒程すると五十嵐は聞き返してきた。

「いや、そのまま佐田実殺害の実行犯が本橋だということです。本人が数日前に拘置所で自供しました。自分も大阪に出張して来て、直接本人に確認済みです」


 それを聞いた五十嵐はやっと、事の重大さを理解したらしい。

「おまえ、ホントか!? もう他の事件で死刑確定してるよな?」

「はい。だから、北海道に引っ張ってきて取り調べ、再起訴、そして裁判ですね。まあ死刑はもう確定してますから、裁かれてない佐田の殺害だけの量刑に意味なんてないですけど」

「そいつはびっくりだな……」

五十嵐はそう言うと深く息を吸ったのが、受話器の向こうからでも伝わった。

「それで今日、道警、府警、検察、法務省の幹部で会議がされてます。まあ結論はわかってるようなもんですから、夕方前に記者会見してマスコミに事実発表という形だと思います。それを道報は夕刊紙面に間に合わせることが出来ますよ。これからファックスで概要送りますから、使って下さい。ファックスの番号……」

そう言いかけた時、五十嵐は突然口を開いた。

「俺は本橋のことをお前がたった今言い出した時、なんて偶然だろうと思ったが、おそらくこれは偶然じゃないんだな? 椎野について調べさせたのは、本橋の件が理由か?」

五十嵐に核心を突かれた以上は、竹下も隠す必要は今更なかった。

「はい。ご明察です。こっちで椎野が本橋と拘置所で接触していたという情報を得て、椎野のバックに何かあるのではないか、そう考えて五十嵐さんに調べてもらいました」

そう言うと、

「うーん……。そうか……。頭がこんがらかって今は何も考えられないが、どうも凄い裏がありそうだな。まあいい、わかった! 取り敢えずファックス番号を教えるから、すぐ送ってくれ! まあ明日にはどこにでも載るだろうが、確かに今日の夕刊に間に合わせるだけでもかなりの意味がある記事になりそうだ。後、この件については、こっちもかなり興味がある。もしおまえが色々調べて欲しいことがあれば、こっちに提供してもらうというバーターで協力させてもらうぞ」

と言って、竹下の衝撃的告白に、五十嵐は俄然乗り気になったようだ。

「まあ自分は、警察を裏切るつもりはないですが、許される範囲で協力してもらうかもしれません。その時はよろしく」

「じゃあファックス番号は……」

竹下はそれを聞いてメモすると、予め用意していた概要を部屋のファックスから送信した。そして五十嵐から確かに受け取ったと言う返事を貰うと、

「一応言っておきますが、道報の大阪の記者に会見が行われることを確認してからにしてくださいよ。今日発表しないなんてことになると、それこそ透破すっぱ抜きが過ぎますからね。どう考えても、道警の人間がばらしたことがバレると、さすがに色々と周りの他の人に迷惑掛けちゃいます。あくまでも記者発表からのタイミングで、間に合わないはずの記事を間に合わせるという点から許されると判断してるだけであって……」

と念を押した。


 五十嵐とのやりとりを終えて、竹下は西田の部屋に戻った。

「随分掛かったな?」

と西田は竹下が入ってくるなり言った。

「ええ。ちょっと知人に色々と調べてもらってまして」

竹下の物言いに、知人とはおそらく道報の記者だろうと理解した。

「何かわかったのか?」

「はい。例の東西新聞の記者の件で」

「ほう」

西田は思いもしなかった話に興味をそそられた。

「椎野って記者ですが、元は東京本社で政治畑の記者だったそうです」

「政治部!? 俺はブンヤについては詳しいわけじゃないんだが、そういう人事異動ってのはよくあるのか?」

「勿論、専門分野固定ってのは余りないんですが、椎野って記者は若いころから政治畑の、明らかにエリート記者でした。なにしろ与党民友党の、しかも中枢グループの箱崎派の番記者を全国紙の東西新聞でやってるわけですから……。このレベルの記者となると、もう一生政治部で辣腕振るうのが常道です」

「それが大阪本社の社会部で、死刑囚と面会やら手紙やら? よくわからんな」

西田は率直に疑問を口にした。

「しかも異動したのが8月だそうです。ちょっと普通じゃ考えられませんね。しかもその目的は、本橋の告白本の出版の取材ですから……」

「箱崎派の本来は番記者が、突然の本橋の取材……。本橋は大島派の議員の親類の弁護士から椎野を紹介された……。なるほど確かに臭うな……」

西田はしかめっ面になりながら目を細め、この不自然な出来事に奥にありそうな「疑惑」を見据えた。


「担当弁護士の事務所は、最初から本橋に絡んでますけど、中でも直接の担当ではない梅田弁護士と椎野は8月近辺から動き出してる。北見では7月の末に喜多川が別件で捕まりました。そうなると、明らかにウチの捜査の進展と共にどこから指示を受けて動いている、そんな気がするんです」

竹下は意味もなく無意識に声を潜めた。

「そうだな……。後はどうやって黒幕に続く糸をたぐり寄せるか……。疑惑は疑惑に過ぎん。確証を得たいが、どうやるか」

西田は思わず腕を組んで、その場で落ち着きなく回転してみせたが、すぐに何か浮かぶはずもない。

「よし、とにかく今の件を沢井課長に報告させてもらうが、いいよな?」

「ええ、どうぞ」

竹下の了解を得ると、西田は沢井に電話を入れた。沢井は昨晩も西田と電話で、米田家そして北見方面本部のガサ入れに件について討議していたので、この時間に西田から連絡が入ったことに、当初やや面倒だという口ぶりだった。ただ、実際に竹下の調査内容を聞くと、詳細な連絡を受けて当然だと認識したらしく、竹下と直接会話することを望み、本人の口から事情説明を受けた。


「お前の話を聞く限り、色々難しい局面を迎えるかもしれんが、とにかく慎重にやってくれ。さすがに本部長が代わっているとは言っても、危ない橋は叩いてから渡らないといかんから」

沢井も倉野や西田同様、竹下に注意深さを求めた。ただ、

「動くべき時には動かざるをえない。あくまで殺人捜査だ。そのことも勿論俺はわかっている」

とも竹下に言い切った。

「大島が佐田実に殺意を持っていた理由がわかれば、ここまで政治筋が介入してきた理由もわかるんですが、現状そこが全くわからないんで、まずそこなんですよ壁は……。でもそうじゃないと、ここまでやる理由がわからない」

竹下は自説を課長にも披露した。沢井はそれに対し、

「もし相手がおまえの言う通りならば、どこかで何かボロを出すと思うぞ。数少ないチャンスは必ずある。それを待て。俺が言えるのはそれだけだ」

とアドバイスした。竹下はそれをありがたく受け取ると、西田に電話を代わった。

「じゃあ、またこっちで動きがあれば逐次連絡します」

「頼むぞ。記者会見があるだろうが、その際はおそらくNHK辺りでも生中継する次元だろう。それについては入れなくていい」

と言って、西田と課長の会話はあっけなく終わった。


※※※※※※※


 その後西田は、北見方面本部の北網銀行・北見相ノ内支店における貸し金庫の捜索結果を待ちわびていた。先に昼食を摂った方が良いかと思い始めた時、西田の携帯がふいに鳴り響いた。吉村が思わず、

「うわ、よりによってこのタイミングかよ!」

と口にしたが、部下の愚痴には一切取り合わず出た。やはり倉野からだ。おそらく昨晩のうちに札幌を夜行のオホーツクで出て、朝から捜索に参加しているのだろう。

「西田! 出たぞ! 貸し金庫から!」

倉野の声はのっけからやけに弾んでいた。


「何が出たんですか?」

「カバンだ! いやカバンというかバッグか……。いや同じか。そんなことはどうでもいいや! おそらくだが佐田のだな。中身も入ってる! 例の手紙もその中にあったぞ! 貸し金庫って言うから引き出しみたいな薄いやつかと思ったら、コインロッカーぐらいの大きい奴だったぞ! そりゃバッグまるごと入れるんだから、ある程度は大きなもんじゃないと無理だもんなあ」

興奮しているせいか、それなりに理知的に話すタイプの割には、イマイチ話の繋がりがしっくり来ていない。

「手紙も出ましたか! やはり予想が当たりました! それで、中身ってのは具体的に何ですか?」

倉野にしては冷静さを欠いた発言の羅列に、成果に喜びを表しつつ西田は聞き返す羽目になった。

「例の佐田実の兄の徹? だったかの手紙のコピー? 他には例の証文に服だ、しかも血痕付きのな! 後は、おそらく北見に佐田が持ってきたであろうほとんどのモノが、そのまま詰め込んであった。喜多川と篠田は、その全てを伊坂を自分達に都合よく操る材料としたのかもしれんぞ! 小村の話だと、証文は今お前さんが持ってる奴とほぼ一緒で、多分本物って話だが? 比較検証しようにも、東京に行くときにお前が持って行っちゃったそうじゃないか?」

言われてみれば、北条正人に会いに行く際に、確認のため証文は持ち出していた。しかし、西田は想定していなかったことが起きていたことにすぐに気付いた。


「ちょっと待って下さい。そこに確か小村居るはずですよね? 申し訳ないんですが電話替わってもらえます?」

「うん? ああ、居るぞ。ちょっと待ってろ」

倉野はそう言うと、小村を呼んだ。

「はい、小村ですが?」

「ああ、小村か、すまんな。証文の話だけど? そっちで見つかった証文はコピーじゃないのか?」

「それはわかりませんけど、一見してかなり古いようですし、係長が持ってた奴と似てますからねえ。少なくともカラーコピーしたものじゃないと思いますが、見た感じ……。これは北条正治・正人の分の正真正銘の証文じゃないかなあ」

「いや、それだと、想定していた話がおかしくなるぞ!」

西田はあからさまに不満を口にした。

「係長の言いたいことはわかってますよ、こっちだって! 北条の分の証文は、伊坂に資金提供の約束と引き換えに渡したって筋が崩れるってことでしょ?」

小村も、そんなことはわかっていると言わんばかりに珍しく口調が荒くなった。ガサ入れで色々見つかり、気分が高揚していることもあるし、周囲がうるさいので自然と声が大きくなることもあったかもしれない。

「わかってるならいいんだが、それを踏まえても本物臭いのか?」

「この後、遠軽にある証文のカラーコピーの指紋と一致するか確認しようと思ってます。あと血判が本物かルミノール反応確認しますよ。今鑑識が来てないんで、佐田が撃たれた時に着ていただろうシャツとジャケットの血痕らしきものも後でやることになると思います。銃弾の穴の部分の繊維に、微量な銃弾の外装成分が付着してる可能性もありますし、血液型のチェックに加えてそれが一致すれば、更なる本橋による殺害の補強証拠になるでしょうね」


 本来であれば、竹下と西田が推理していた通り、佐田徹の書いた手紙のコピーがあり、更に思わぬ佐田の衣服の存在の方を気にするべきだったろうが、西田はそれ以上に、「無いはず」の証文が存在していたという事実が気になっていた。

「ところで手紙の方は間違いなくコピーでいいんだよな?」

「はい。それは間違いなくコピーですよ。紙からして今のもんです。大阪での本橋への聴取で、佐田が殺された後、喜多川と篠田がその手紙を生田原の現場で見ていたんじゃないかという話が出てきたことを、自分も沢井課長から聞いてましたが、多分これがそうだったんじゃないですか? まあコピーじゃないとおかしいですよね、本物は佐田の遺族が持ってて、今手元こっちにあるんですから」

小村は今度は落ち着き払った声で言った。

「なら問題ないな……」

西田は呻くように低い声で答えた。


「それはそうと、係長。バッグから他にも面白いモンが出て来てるんです。伊坂大吉が犯行前日の9月25日に、佐田から『仙崎大志郎の遺言書』を譲渡してもらったので、その対価として、伊坂が佐田に2000万を払って、更に佐田が2億円を利率年0.1%で、10年間伊坂から借り受けると言う文面の契約書です。要は、何かの『遺言書』を受け取って、その代わりに金を払って、更に金も貸すという契約書面みたいです。伊坂大吉と佐田実の署名と実印でしょうか? それがあって、更に当時会食に同席したという、例の道議会議員、松島孝太郎も立会人として署名捺印してるみたいです。更に出席した3名それぞれにこの契約書が渡ってたようです」

予想だにしなかった小村の補足情報だ。聞いていた西田は思わず、

「その譲渡してもらった仙崎云々の遺言書ってのは、まさに証文のことじゃないのか?」

と部屋に響き渡る声量で確認した。


「係長の仰る通り、文面見る限りは、その可能性は当然高いんじゃないでしょうか?」

小村は西田の大声に気圧されたか、かしこまったような返事をした。

「いやいや、小村しっかりしてくれ! そんな大事な話は、さっきの証文の時に言ってくれないとダメだろ? 大体がだ、そもそもそんなことより、かなり困った事態になったことに気付かなきゃ! 現実問題として、おそらく正真正銘、北条の本物の証文は、伊坂の手にではなく、佐田の持ち物の中にあった。じゃあ、その書面に記載されていた、伊坂が佐田から受け取った『遺言書』ってのは証文じゃないことになるぞ? それとも受け取ってなかったのか? どうなってんだ!?」

西田は矛盾をきちんと報告しない部下を叱責した。


「言われてみれば……。ついうっかりしてました。伊坂本人が受け取っていたであろう『仙崎大志郎の遺言書』、つまりおそらく証文が、佐田の持ち物の中にあったというのは、確かにおかしいことになりますね……」

小村もとんと見当が付かないようだった。


「喜多川と篠田に脅されて、伊坂大吉が後から、手にしていた証文を2人に渡したのか?」

「それはどうですかねえ……。それこそ係長と主任が、本橋への聴取で新たに気付いたという説というか、身元不明3遺体の件を知っていることで、伊坂大吉相手に新たに条件闘争したとするなら、2人にとって証文は意味がないですよね、内容的にも……。警察が昭和52年当時、捜査してたことも知ってるわけですし、伊坂が殺したという一人分の遺体も含めた3体分については……。後から証文をわざわざ引き渡すように要求する意味もないと思いますよ」


 小村の言う通り、あの証文は、身元不明の2遺体を発見して通報した上に、3体目も発見されて警察の捜査が行われたことまで知っていた喜多川と篠田にとっては、話の信憑性を担保する証拠としての意味はなかったはずだ。何も知らない佐田実にとっては、伊坂を脅すため、佐田徹の手紙の内容が真実だと言うことを担保するのに、血判付きの証文は必要だったが……。そうだとすれば、伊坂が佐田から受け取った遺言書とは何だったのか、西田は更に理解できなくなった。それとも実は伊坂の手に渡っていなかったのか……。


「まあこっちに居たままじゃ、詳しいことはわからないし、それはファックスでこっちに送ってくれ。とにかく今この場で考えてどうにかなるもんじゃないな」

そう自分に言い聞かせるように、小村に指示した。

「わかりました。後で送っておきます。鑑識に回してからですから、下手すると明後日ぐらいになるかもしれませんが、府警の方に送った方がいいですか?」

「いや、ホテルに送ってもらう。ホテルのファックス番号は×××……」

「わかりました。じゃあ後から送付します。それじゃあ倉野課長に……」

小村は用事が済んだと判断し、電話を替わろうとしたが、

「他には何かめぼしいもんはないんだな?」

と西田に更に確認された。

「え? あ、はい。えーっと、他にはですねえ……。そうだ! 何か切符が出てきましたよ。行方不明当日、昭和62年(1987年)9月26日付けの、北見・遠軽間、特急『おおとり』号の特急指定席券と、同日の遠軽・札幌間のオホーツク4号の特急指定席券ですね。乗車券自体は北見札幌間通しで1枚のままでした。遠軽に用事が急に出来て、途中下車するつもりだったんでしょうか? 元々が『おおとり』で北見を午前10時半過ぎに出て札幌に戻るのが、遺族が当初聞いていた予定だったはずですが、それが9月26日付けの変更印が押されて、遠軽までの分に、当日換えたみたいですよ。ですから行方不明になる前に、早朝には変更していたんでしょうねえ。その上で遠軽から札幌までの、『オホーツク4号』分の指定席券を、新たに北見駅で発行したようです、券面を見る限りですが」


 これも西田にとって思わぬ話だった。佐田実が行方不明になる9月26日当日、本来乗るはずだった「おおとり」に乗らなかったのは知っていたし、本橋の証言で、本橋達と共に、その日生田原の現場まで車で向かっていたのもわかっていた。しかし、どうもその当初の予定変更の更に前、遠軽に一度寄るという予定変更があったことになる。佐田殺害にとって、それが大きな新事実かどうかはわからないが、佐田が殺害されるまでのストーリーにとって、繋がりがぼやけてくる事実なのは間違いなかった。


「元々その日、佐田実は、金策の関係で色々やることがあり、札幌にすぐに帰るはずだったが、おそらく伊坂の策略で、突然生田原の現場に行き、殺されることになったと見ているわけだ。しかしじつはその前に、札幌への帰り方も既に変更していたってことになるな……。何が理由なんだ? まだ隠されていると勘違いしていた、否、騙されていた砂金を探しに行くことが、その変更の理由だとすれば、『おおとり』の時間じゃ、どちらにせよ北見駅に舞い戻るには早すぎるから、到底間に合わない。それぐらいなら、現場から生田原駅か遠軽駅に出た方が近いぐらいだ。つまり、北見からおおとりに乗る必要がそもそもないはず……。だから、おそらく、おおとりの切符を変更した後に、更に現場で金を取る話が伊坂から出てきたんだろうが、その前に切符を変更する理由が皆目見当が付かない」

西田も考えこんでしまった。

「一応遺族にも、近いうちに来てもらって、バッグも中身も確認してもらうように連絡しましたから、こっちで色々聞く事は出来ると思いますよ……」

小村は西田が黙りこんでいたので、様子をうかがうように西田に提案してきた。

「まあそれはそっちに任せるよ、これについても、こっちでごちゃごちゃ言っても仕方ないよな……。うん、取り敢えず倉野さんに替わってくれ」

腑に落ちないまま西田は力なく小村に交替を要求した。


 替わった倉野は、先程より少し落ち着いた感じで、更にこれまた西田が思ってもいなかった、伊坂政光への任意聴取を告げた。さっきは色々伝えたいことがあり、混乱していたようだ。

「あれ? 伊坂政光相手にいよいよやるんですか!?」

驚く西田に、倉野は事も無げに、

「やるぞ! 伊坂関係と本橋の金の流れをもう一度チェックしておきたい。既に伊坂家や伊坂組からの資金の流れを把握するように、銀行への令状も請求済みだ。8年前の捜査がどの程度真剣にやられていたか、正直わからない部分があるから、ある意味やり直しだな。あと例の本橋を喫茶店で伊坂に引きあわせた男は、伊坂組の関係者の可能性があるから、ついでに、正面切ってぶつかることに決めたってのもある。一応本橋が書いた似顔絵を中心に考えるが、それだけで余り絞りすぎるのも危険だ。当時30代以上の人間で大雑把に絞っておこうと思う。とにかく裏でこそこそやるのも面倒だし、今日の午後にも警察の記者会見があるんじゃ、表沙汰になって隠蔽されちまう可能性もあるから、方針を急遽転換したよ。賽は投げられたってことだ」

と言ってのけた。確かに慎重な捜査も必要だが、ここまで来たら大胆に行く方がいいかもしれない。倉野の方針転換には西田も賛同した。


 相手もまだ捜索中で色々やるべきことがあると思い、ひとまず自ら切り出して倉野との会話を終えた西田は、電話を切るとすぐに竹下に、

「おい! やっぱり手紙のコピーらしきものが、喜多川が保管してた、佐田の荷物の中から見つかったらしいぞ!」

と言って、想定通りの発見をまず告げた。

「そうですか! やりましたね。やはりそれを見て、喜多川達が伊坂に何らかの圧力を掛けたという流れが順調に判明しつつあるようでなによりです」

ズバリ推理が当たったことを竹下は素直に喜んだ。

「だがな、問題もあった。まずは北条の分の証文が、どうも喜多川の手にあったらしいぞ。佐田の荷物の中から、これまた出て来たってよ! 俺達の読みであれば、伊坂の手中に収まっていたはずなんだが……」」

「え? さっき電話で係長が、何か小村と揉めてたのは、そのことだったんですか? ちょっと待って下さいよ……。それ本物なんでしょうね? 自分も、北条の分の証文が伊坂へと資金提供の見返りに引き渡されたと言う説に同感だったんで、困りましたね……」

西田と同じ感想を漏らすと、表情が思わず歪んだ。


「まだ断定はできないが、その可能性はまだ高そうだぞ! 『手伝い』に行ってる小村がそう言ってるんだから。同時に、伊坂と佐田の間で、会食当日に結ばれたらしい契約書みたいのが一緒に出て来て、その中に、仙崎の『遺言書』を佐田から伊坂が当日譲り受け、それに対して2千万の対価が支払われることが書いてあったらしい。そんな額が払われる『遺言書』って、あの証文以外しか考えられないんだがなあ……」

西田にそう伝えられると、竹下は更に考えこんでしまった。実際に伊坂大吉に譲渡されていたら伊坂家以外に存在しないはずの証文が、現実として喜多川が保管していた佐田の荷物の中に存在しているのだから。しかしそれは伊坂と佐田の間で結ばれた契約書とやらの文言と矛盾する。


「おかしいですね……。実の兄の佐田譲の証言を前提にする限り、少なくとも2枚しか本物の証文は佐田実の手元にないわけですから。そもそもが譲の証言以前に、元々証文を持っていたのは、伊坂太助つまり大吉と桑野欣也、北条正人、そして佐田徹の4名。そのうち、おそらく仙崎の隠し金を勝手に全部手に入れたのが伊坂と桑野。2人は証文を持っているままか処分したかどうかわかりませんが、理屈で考えても佐田実が持ち得るのは、どっちにしろ2枚しかないです」

確かに竹下の言う通りで、譲の証言に嘘はないはずだ。


「それが、佐田の持っていた両方の証文とも伊坂の手に渡っていなかったとすると、証文は、伊坂が受け取ったという、その『遺言書』じゃなかったのかなあ……。何か遺言書に相当する別のものがあったんでしょうか? もしそうなら、今自分達が持っている情報ではお手上げです。ただ、伊坂が2千万出してまで欲しい遺言書って、アレ以外考えられないですよね……」

そう言うと、腕組みをして、しばらく考え込んでいた。


 それから1分ぐらいしてやっと口を開くと、

「伊坂は佐田がまさか北条の分の証文まで持っているとは知らなかっただろうから、証文を相手から取り返すことはかなり重要なポイントだったはずですよ。逆に言えば、切り札をもう1枚残せる佐田にとっても、相手を油断させるのに有利な状況だったはずで、渡して相手を安心させておくのも良い選択だったろうし……。普通に考えて、証文を受け取ったという書面がある以上、喜多川が保管してたのは偽物なんじゃないですか? 小村には悪いですけど」

と、自分の世界に入り込んだように、小声でブツブツと言い続けた。


「小村がそんなことも見抜けないわけないこと、竹下もよくわかってるだろうが……。それにそんな精巧な偽物があるとすれば、逆に、偽物が伊坂に渡されたなんてこともあり得ることになっちまう」

西田はそうキツ目に言ってはみたが、竹下の気持ちも理解できていた。

「とにかく、あっちで残っていた証文の血判についてちゃんと調べるそうだから、すぐにわかるだろう。そうそう……。それから、余り重要なことではないだろうが、佐田が札幌まで帰る予定だった、おおとりの指定券が、遠軽までの指定券に変更されていたようだぞ。そして遠軽からはオホーツク4号で札幌へ戻るつもりだったらしい。その指定券も出て来てる」

「ああ、その話でしたか、『おおとり』がどうだこうだ言ってたのは。 更に不可解だなあ。一体どうなってんだよ!」

頭脳明晰の竹下と言えども、ここ数日に起きた全てのことを筋道立てて理解することは、なかなか厳しいようだった。手紙の読解が行き詰まっているせいもあるか、ここまでイライラしていた竹下は見たことがない。


「小村とも話したが、生田原の現場まで行ってたら、到底、おおとりの出発時間に北見に戻るのは厳しい。だから、切符を変更したのは生田原に行くと決まる前だろうが、それにしても遠軽に何の用事があったんだか」

西田は竹下を刺激しないよう気を付けつつ話を続けた。それに対し吉村が反応した。

「佐田がその年の8月に生田原で世話になった、前田夫妻はどうですかね? 会いに行ったんじゃ?」

なるほど、8月に佐田が世話になった生田原の前田夫妻に、また会いに来ると告げたものの、その後は音信不通になっていたのは確かだ。

「いやちょっと待て、特急は生田原駅にも停まるだろ? 最寄り駅は安国駅だが、遠軽からよりは、どう考えても生田原駅からの方がタクシーも安く済む」

西田はすぐ疑問を呈した。


 しかし、それを聞いた吉村は、すぐ自分のカバンからポケット時刻表を出してしばらくパラパラめくると、西田にニヤニヤしながら該当ページを見せつけた。

「今のオホーツク4号は生田原駅は通過ですよ。これ、当時の『おおとり』号の後釜(函館・網走間を87年当時走行していた特急「おおとり」は、1988年3月の青函トンネル開業により廃止されていた。特に、網走発函館行きの上り「おおとり」について言えば、その後はオホーツク4号として、網走発札幌行きの特急として生まれ変わっていた。つまり佐田実が殺害された87年当時のオホーツク4号は、95年のオホーツク6号で、87年当時のオホーツク6号は95年のオホーツク8号になっていた)になってるはずだから、多分当時の『おおとり』も通過してたんじゃないですか? 一方で、生田原駅で降りて、更に札幌へ戻るのに生田原に乗ろうと思えば、早朝のオホーツク2号で行って、当時のオホーツク4号……、今で言うとオホーツク6号に該当すると思いますが、そういう乗り方しないと行けなくなります。当時のオホーツク4号で生田原へ行って、オホーツク6号で札幌に戻るとなると、かなり遅い時間帯になりますから。最初の予定では、おおとりで戻るつもりだったんですから、それだと時間帯が予定より遅くなり過ぎます。だったら、遠軽で降りてタクシー使って生田原へという方が、金は掛かりますが時間は節約できるでしょう。当然8年前の『おおとり』が今と同様に生田原駅を通過していたことが必要ですが。後で古本屋にでも寄って、当時の時刻表を調べてみりゃいいんじゃないですか?」


 吉村の説が正しいかどうかは別にして、それなりに説得力はあった。これは吉村の考えも1つの可能性として考えざるを得なくなったわけだが、

「こいつは一本取られたかもしれん。時間がある時に調べてみる価値はありそうだ。ただ、突然寄ることになったのは間違いないんだから、そこまでして前田夫妻に会いに行く理由が思い浮かばないぞ。大体電話の一本ぐらい事前に入れるだろ?」

と問題点も西田は指摘しておいた。

「まあそれは否定できないですよね、正直」

吉村は、自分の発言に責任も取らずあっけらかんとしていた。


 しかし、竹下はもう1つの疑問点を提示した。

「遠軽から乗るつもりだった、87年当時のオホーツク4号は生田原に停車した可能性が高いんだろ?」

「まあおそらくは……」

「だったら、遠軽から乗らないで、生田原から乗って札幌に戻ればいいじゃないか?」

確かに、生田原から乗車出来るのなら、乗車した方がいいだろう。

「そりゃそうですけど、自分の推測通り、おおとりは生田原に停車しなかったとすれば、生田原と遠軽は2重乗車になってしまいますから、どっちにしても生田原から遠軽の普通乗車券は必要になりますね?」

「それにしても、車内で車掌に、遠軽・生田原間の乗車料金を別に払えば、タクシーよりは安いし、時間も掛からんだろ?」

「うーん……」

これには吉村も反論の余地がなかった。しかし竹下も、

「まあ人間ってのは常に合理的に行動するわけじゃないから、それだけじゃ何とも言えないけど」

と、吉村を論理的に追い詰めるまではしなかった。



※※※※※※※


 午後2時過ぎ、昨日までの予定通り、府警のマスコミ向けの記者会見が始まると、ホテルの3人に田丸課長から連絡が入った。そして3時になると、NHK、同時間帯の民放ワイドショーが生中継を開始した。西田達も当然それに見入っていた。いよいよ全国の世間一般に本橋の新たな凶行が知れ渡ることになるわけだ。


 一方その中継の最中にも、北見方面本部に鑑定のため戻っていた小村から、西田に緊急連絡が入った。ルミノール反応で間違いなく本物の血液であり、人血判定(動物のものか人間のものかの判定)も済んだとのこと。いやそれより何より、伊坂大吉の掛かり付け病院に記録があった血液型も、警察に記録されていた指紋も、伊坂大吉の血判と一致したということだった。


 これにより、残された証文は、ほぼ北条正人の分の正真正銘の本物ということになった。後は、元々の持ち主であったはずの、血判にもなっている正人の指紋が、出て来た証文の他の部分にも残っているかどうかを調べれば、間違いなく確定だ。古いものだけに、検出できない可能性もあるが、今の技術なら何とかなると西田は見ていた。だが、仮に検出出来なかったとしても、これだけの材料でも十分問題ないだろう。また、受領契約書の実印のうち、松島孝太郎のモノについては、登録されていた北見市役所に照会を掛けたところ一致したらしい。筆跡鑑定はすぐには出来ないが、こちらもどうも本物の可能性が高まったようだ。更に衣服に付いていた血痕も、伊坂の血液型と一致したとのことだった。後は衣服に付着した拳銃の成分分析が出来ればこちらも完璧だ。


 ここまで来ると、明らかに殺人事件自体は、大筋において解決に向かっていたが、同時に小さい齟齬も同時にポツポツと、少なくとも詳細に事件を見ている遠軽署の捜査員にとっては出始めていた。大局を見るべきなのはわかってはいたが、どこか釈然としないものを西田も竹下も吉村も感じて始めていた。北見に直接派遣されていた小村も感じていただろう。


※※※※※※※


 そして遠軽署自体も、北見方面本部にガサ入れは任せていたとは言え、小村だけでは、直接捜査に関わった人間としての情報を入れることが出来なくなっていたので、銀行ガサ入れ後、黒須も北見に派遣する羽目に陥っていた。北見方面本部組の満島も北村も、大事な時期に捜査から抜けていた以上、他の北見方面本部の捜査員より事情に通じているとは言え、やはり遠軽組ほど精通していたわけではなかったからだ。


 また、倉野などから確認の電話も署に随時入っていたため、強行犯係は黒須と大場だけということもあり、沢井含めかなり忙殺されていた。ただ、そんな中でもニュースは常につけっぱなしにして、記者会見の情報にも目を光らせていた。当然小村からの情報は遠軽署にも随時入っていたので、深く考える暇もないほどだった。


 午後4時過ぎに、北見方面本部から伊坂周辺の銀行口座調査の令状請求が下りたと連絡が入った頃、女性事務員が北海道新報の夕刊を持って刑事課へやってきた。沢井はそれを受け取ると、余計な時間もないので、サッと紙面を開いた。その一面に、「連続殺人犯 本橋 生田原での殺害自供」の文字が踊っていたのが、沢井の目にいきなり飛び込んできた。それをたまたま横から見ていた大場が、

「あれ? あの記者会見の後で夕刊に間に合ったんですか? 3時過ぎでしょ? 考えられない程早いな!」

と目を丸くしていた。沢井はそれに対しては一言も発せず、ただ、

「竹下の奴、上手くやりやがったな……。さっきのブンヤからの情報はこれと引き換えたか……」

と、心の中で記事への竹下の関与を静かに見抜いていた。


 そして北見方面本部が幾つかの銀行に口座情報請求したのが、午後5時過ぎ。その場でわかるような明らかな大発見はなかったが、必要なものを押収し、すぐにも分析に入った。



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