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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
明暗
33/223

明暗12 (73~79 西田東京聴取編)

 10月5日早朝、西田と吉村は大場に送ってもらい、最寄りの羽田行きが出ている空港である、女満別空港に居た。あいにくの強い雨だったが、あちらは晴れているということで、ビニール傘は見送りの大場に預けて搭乗することにした。わざわざ飛行機で手荷物として預けてまで持っていくことは面倒だった。そういう意味では、仮に東京で雨が振っていたとしても、東京でビニール傘を新たに買うことを選択していただろう。


 そして羽田には昼前に着き、交通の便が良い新宿の安いビジネスホテルにチェックインした。気温は、さすがにもはや初冬に近い気温に朝晩なりつつある遠軽と違い、半袖の人もちらほら見る程のポカポカ陽気だった。二人共厚手の背広を部屋に置いたままで外出することにした。この日は夜まですることがなかったので、両名は東京を観光とまでは行かないが軽く見て回ることにしたのだ。


 西田にとっては新婚旅行でグアムに行った時に寄った以来の東京だった。吉村は高校の修学旅行で、関西からの帰りに寄って以来らしい。田舎で勤務している自覚はあっても、卑下するような感覚は一切持っていないつもりでも、さすがに久しぶりの東京の街並みには圧倒された。やはり札幌とは次元が違う。西田は人いきれで正直気分的にすぐれない感覚すら覚えていた。


 一方で、同日には北見方面本部の北村と満島が応援として再び遠軽署の捜査に参加することになっていて、西田と吉村としてはすれ違いになってしまっていた。前日に北村から挨拶の電話が掛かっていた時にそれを話すと、

「マジですか!? 初日から会えないとは正直残念ですが、出張の方頑張ってください!」

と本心からかどうかわからないが、残念がっていた。勿論会えないと言ってもせいぜい数日だろうから、大袈裟であることに変わりはない。


 因みに、東京に行く前の準備として、課長のアドバイス通り、西田は大黒建設で政光の上司だった「三宮」という設計部長とアポを取り、こちらは10月6日に会うことになっていた。ただ、北条正治の住所の所轄である板橋署に調べてもらったところ、93年10月の最新台帳には、別人のモノが記載されていたということだった。それ以前から東京に居ただろうとしても、今の住所にはそれ以降越してきたようだ。よって電話でのアポは取れず、直接訪ねてみるしか方法はなかった。それが「夜にすること」だったわけである。


 休憩するために入った、渋谷の喫茶店で窓の外を行き交うビジネスマンを見ながら、吉村は一言、

「ここに居たら2週間で精神やられますよ俺は。高校の時には感じなかったですけど、年ですかね……、適応能力が落ちてるとしか思えない」

と真顔で西田に言い切った。

「2週間か、随分大袈裟な奴だな!」

西田は笑い飛ばしたが、内心わからないでもなかった。歩いている人間の表情、動き、まさに「ロボット」であるかのようだった。それは札幌程度の「都会」では感じることのない違和感だが、この東京では明らかにそれを感じていた。


 西田はコーヒー、吉村はアイスティーを頼んでいたが、メニューの値段もやはり東京は遠軽より高かった。まあ不動産の価格の桁が違う以上仕方ないのだが、そういう面でも居心地の悪さを感じていた。来る前の修学旅行生のようなウキウキ気分は消え、着いた途端に何となくホームシックに近い思いを抱きつつあったのも確かだった。


 その後は寄り道した後、一度ホテルに戻って、北条に確認するために遠軽から持参した「証文」を、旅行カバンからセカンドバックに入れて態勢を整え、近くのレストランで早目の夕食を摂った。そして山手線か埼京線か迷ったが、埼京線に乗ってみようということでそちらを選択した。池袋駅で埼京線から東武東上線に乗り換えると、あっという間に大山駅に着き降り立った。帰宅ラッシュの時間帯だったので、それからすぐに解放されたのは2人にとっても助けとなった。


※※※※※※※


 北条正治が住んでいるという大山の町は、江戸時代の川越街道沿いの町であり、東京としては静かな佇まいの町だった。2人にとってはなんとなく安心出来る雰囲気が満ちていた。先に近くにある板橋署に寄り、前日に色々電話で聞いておいた地域課の千賀という職員に顔を見せて挨拶した。よく考えてみれば、北海道土産ぐらい持参してくるのが、大人のやり方だったが捜査のことで頭が一杯になっていてうっかりしていた。千賀に場所はしっかり聞いておいたので、署から5分程で迷うこともなくアパートに到着した。築年数はかなりありそうな外観だった。


 錆びた鉄の階段を、一歩一歩踏む度になる音を確認するように登り、「北条」と手書きの表札を確認すると、インターホンのボタンを押した。ただ、それはインターホンというよりブザーという方が正確だったか……。だが、3度鳴らしても誰も出てこない。窓の明かりがついているかはカーテンが閉まっているので確認出来なかった。おそらく留守なのだろう。

「ちょっと隣の人が居るようなんで聞いてみましょう」

吉村はそう言うと、隣のインターホン、いやブザーを押した。住人は秋ではあるが、まだそれなりの気温のせいか、露出の多いラフな格好をした若い女だった。雰囲気的に夜の商売という感じがしたがそうだとすれば、出かけていておかしくない。ただのケバい女子学生かもしれない。吉村が警察手帳を見ると、急に身構えたように見えた。

「すいません、隣の北条さんという方に会いたいんですが、この時間帯だといらっしゃらないんですかね」

「なんか夜勤みたいで、夕方には出かけることが多いみたいよ」

「ああ、夜勤ですか。勤務先わかりますかね?」

「いやさすがにそれは知らないわ」

「大家さんは?」

「管理は不動産会社がやってるけど、もうこの時間だと閉まってるんじゃない?」

矢継ぎ早の吉村の質問にも、期待出来る答えは出てこなかった。

「そうかあ……。係長、やられましたね」

吉村に話し掛けられた西田も、失敗したなと思っていた。どうせ昼間暇だったのだから、すぐに来た方が会えたかも知れない。


「あのー」

そんな2人の会話に、女が割って入った。

「隣のお爺さん、何か悪いことでもやったの?」

確かに警察が訪ねて来たとなるとそう思うのが世の常である。

「いや、そうじゃないんですよ。ある事件について犯人を追っているんですが、北条さんがその犯人につながる情報を持っているかもしれないんで、それで色々聞き込みたいと思ってまして。北条さんは犯罪には一切加担してませんからご心配なく。今日はこのまま退散しますんで、ご協力感謝します」

西田は彼の名誉のためにも強く否定しておいた。近所との関係が悪化するのは本意ではない。女は一応納得したようで、そのまま引き下がりドアを閉めた。


 仕方がないので、西田と吉村は階段を、登りの時とは違い、鈍いガンガンとした音を立てながら、急いで下りた。階段の前の駐車場で、さっき会った千賀に電話を掛けてみた。この大山栄荘を管理している不動産会社がわからないか聞くためである。さっきの女に聞き出しても良かったが、かなり面倒臭いと思われている節があって、どうせイヤイヤ調べてもらうぐらいなら、同じ警察に聞いた方が早いと思っていたからだった。おそらく吉村もそういう考えで聞かなかったのだろう。


 千賀は既に帰宅していたが、替わりの署員に首尾よく聞き出し、電話を掛けるも、案の定既に不動産屋は全員退社した後のようで、留守電になっていた。

「やっぱり居ねえわ。どっちにしろ明日だ、明日!」

西田は舌打ちすると、吉村を引き連れそのまま商店街を抜けて通りでタクシーを拾い、ホテルまで直接帰ることにした。疲れがどっと出て、人混みの中、電車を乗り換える気力もなかったからだった。


※※※※※※※


 翌朝、ビジネスホテルの朝食サービスであるバイキングで腹ごなしを済ませると、西田は大山栄荘を管理している不動産管理会社「北東京リアルティ」に電話を掛け、事情を説明して北条についての情報提供を求めた。ただ、直接来て警察手帳か令状を見せない限りは教えられないと突っぱねられた。確かに借り手の情報は本人の許可を取るか、或いは警察のような公的機関の要請でもない限りは教えるべきではなかろう。相手の態度が正しいのは間違いなかった。取り敢えず「用事が済んだら、本日中に伺う」とだけ言い残し、アポを取ってある、三宮への聴取を当然優先させることにした。


※※※※※※※


 大黒建設は東京の飯田橋にあるので、西田と吉村は新宿駅から総武線に乗り飯田橋駅で下車した。駅からすぐの場所に、大黒建設の目立つビルはそびえ立っていた。受付でアポを確認された上で応接室に通されて、そこで三宮と面会した。さすがに大手ゼネコンの部長クラスとなると、中間管理職とは言え、メガネで物腰の柔らかいと言う中にも風格があった。横には人事部の主任だという、西田よりちょっと上か同じぐらいの久米という人物も居た。伊坂についての社内での勤務状況などを教えてくれるらしい。そこまでしてくれるとは考えても居なかったので、良い意味で予想外だった。


 早速、伊坂政光について、まずどういう社員だったかなどを聞いていく。その観点については久米が中心になって答えてくれることになっていた。

「伊坂政光は早稲田の理工学部建築学科から同大学大学院で建築学を専攻、卒業直後の1974年、弊社に入社しまして、以降1級建築士資格を利用し、設計部門を中心に施工監理、都市計画などの部門にも関わっており、比較的我が社でも優秀な部類の社員だったようです。特に業務面での問題は把握しておりません」


 久米の発言内容については強行犯係もある程度調べがついており、それ自体は余り参考にはならなかった。吉村が少々突っ込んだ質問をし始めた。

「まず、政光は1993年の3月付けで退社という形になってるようですが、入社してから、勤務地はどうなってますか?」

「東京本社が1978年まで、その後福岡支社に80年まで、84年まで大阪支社、そこからずっと東京という形になっています」

久米の回答は、伊坂は少なくとも北海道では一切勤務していなかったことになる。規模はそれほどでもないが、札幌と旭川に支社を持っていたにも関わらずである。特に事件の発端としての佐田の殺人事件が8年前で、その時から東京本社だとすれば、一々北海道まで来るということは、やはりまず考えなくて良さそうだった。やはり直接的な事件への関与は、地理的距離から薄いと見ていいだろうと西田は確信を持った。


「東京本社が随分長いように思いますが、これはどういうことなんでしょうか? 大黒建設さんでは珍しいことでもない?」

「いえ、実を言いますとですね……。やはり多少ですが弊社と道内での取引があります、伊坂組の息子である本人の意向は反映していたかと思います。普通ではここまで一箇所に長くということはまずないですから……。本人が東京勤務を希望していて、伊坂組の方からそういう要望が弊社人事の方に伝わったのではないか? そう推測しております。私は当時の担当者でもなく、現在に至るまで人事の決定権者でもないので、真相はわかりませんが」


 吉村の質問から、本人が東京勤務を継続して希望していたことが本当なら、わざわざ父親の「恥部」絡みに積極的に関わろうとすることは、地理的問題以上にないのではないか? つまり事件には直接関与していない、そんな思いを西田は更に強く持った。

「三宮さんから見て、伊坂という人間はどういう風に感じていましたか?」

いよいよ西田が三宮に質問すると、

「そうですねえ……。まあ警察さんからお話を聞きたいと電話が掛かってきて、何かトラブルに巻き込まれたとか、そういうことかと思ったら、そういうわけではないということで、ホッとしてるというか」

かなり言いにくいのか、奥歯に物が挟まったような発言だ。

「それは、伊坂政光という人間に犯罪気質のようなものを感じていたとか?」

「いやいや! さすがそういうわけではないですよ。ただ、まあ優秀ではあったんですが、40越えて、酸いも甘いも噛み分けて分別が付いていないといけないわけですが、人を小馬鹿にするような態度が目に付くことが多々ありました。将来的には親の後を継いで、社長になるために辞めざるを得ないというのを本人から聞いて、人の上に立つタイプの人間ではないのに大丈夫かなと。人間関係で微妙に軋轢が発生することは、私の部下だった時代に既に危惧してました」

「要は嫌な奴なんで、人から好かれないということですか?」

吉村が露骨なまでにストレートな物言いをしたので、西田は、

「お前も思慮分別を付けろ」

と思わず言いたくなったが、三宮は苦笑したものの否定はしなかった。


「しかし、東京にこだわっていたと思われる伊坂は、父親に代を譲られるのは本意ではなかったんですか? 何か三宮さんは聞いてませんでしたか?」

「西田さん、そこはわかりませんねえ。そこまで打ち明けられたことはなかったです。ただ、余り田舎には帰りたくない感じはなんとなくですが……。ただ、将来的には継ぐことになると覚悟していたのは、間違いないんじゃないですかね?」

「そうですか。聞いてないという点はもう仕方ないですね」

西田は残念そうに言った。

「いやあ、僕からすれば、実家が北海道は羨ましいですよ。こんなせせこましい都会に住んでると憧れます。私は『北の国から』とか好きなんで尚更そう思います」

久米が話に割って入った。

「憧れられるのは光栄なんですが、やはり冬は耐え難いです。道民は冬なんて無くていいと思ってますから。雪は邪魔だし、灯油代がかかるしで、いいこと無いですよ、正直言って」

「地元の方だとそういう風になってしまうんですかねえ……」

久米は西田の口ぶりに残念そうだった。


「三宮さんの感じでは、東京に留まりたいと思いつつ、会社を継ぐことに対しての覚悟があったような感じがありますが、父親について何か言っていたとかそういうことはなかったですか? 嫌いだとか、尊敬しているとか」

「うーん、どうでしたかねえ。上司としての私にそういう話はなかったと思います。もし何なら、彼と親交があった人間呼びましょうか? 私の部下にまだ居ますんで、すぐに呼び出せると思います。」

吉村は、西田の顔を見て確認すると、

「じゃあお願いします」

と伝えた。


 三宮は携帯でどこかに掛けると、数分で部下の男がやってきた。男は須見と名乗った。30代に見えたので、おそらく伊坂にとっても部下だったのではないかと西田と吉村は推測した。

「すぐ終わりますんで、気楽に答えてください」

やや緊張気味の須見を緩めるためのセリフを西田は吐くと、さっきの続きをやれとばかりに吉村に質問の順番を回した。

「伊坂さんとはどういう関係だったんでしょうか?」

「伊坂さんは主任だったんで、私の上司でした。ただ、私も苫小牧の出身なんで、同郷ということで、割と良くしていただきました。他の方達ですと、何となく折り合いが悪かったりした人も多かったようですが……。私は独身なんですが、自宅に呼ばれて、よく奥さんの手料理もごちそうになる仲でした。」

そう言うと須見はチラリと三宮の顔を窺った。まあ須見も伊坂の評判が芳しくないことは当然知っていたに違いない。それでも個人としては伊坂に悪印象は持っていなかったということだろう。相手が須見相手に好感を持っていたのならそれも必然か。


「なるほど。同郷のよしみという奴ですか。勿論伊坂さんが北見の大手建設会社の御曹司だということはご存知かと思いますが、それについては何か言ってませんでしたか?」

「大きい会社の跡取りであること自体は、ある程度は誇りに感じている部分もあったようですが、一方で実際に継ぐとなると、ちょっと躊躇しているような感じはありました。ただいつか継ぐというのは運命みたいな感覚があったと思います」

「彼の父親については何か言ってませんでしたか?」

「父親ですか……。仲そのものは、特別悪くはなかったような感じはしましたけど、明らかに尊敬もしていなかったとは思います」

「尊敬はしていない?」

「はい。やり方がスマートじゃないというような表現を良くしていましたね。まあ地方の土建ですから、色々嫌な部分はあるでしょ? 世間一般では体面の良いところでも、魑魅魍魎が跋扈するのが建設業界ですから……」

他に2人の上役が居た割に、この時の発言については一切臆することもなく言い切ったことに、質問していた吉村だけでなく西田も苦笑した。とは言え、聞いていた三宮も久米も特に眉をひそめることもなく笑みすら浮かべていたのだから、業界人としては暗黙の了解として浸透しているのかもしれない。


「でも、やり方がスマートじゃないって言うのは、大変失礼ですが、今の話を聞いた限りでは地方の土建に限らないのでは? そこで敢えて自分の父親をあげつらうのはちょっと気になりますね」

吉村が畳み掛けてきた。ここから話を広げたいのだろう。少しは聴取が上手くなってきたと西田は少し褒めてやりたい気分になった。

「うーん、地方の土建はもっと酷いということじゃないでしょうか、伊坂さんの真意はわかりませんけど」

「じゃあ、そういう話というのは、伊坂さんと出会った当初から、彼から聞いていたと言うことですか?」

「まあそうです。ただ、なんだか辞める前ぐらいから急にはっきりと悪口を言い始めたような……」

「ほう、辞める前ですか。聞いている分には、伊坂さんが会社を辞めたのが93年の3月だそうですから、どれくらい前からになるのかな?」

「92年の10月の初旬だったと思います。あんまり悪い酒のタイプじゃない伊坂さんが、珍しく荒れてまして、『オヤジの馬鹿野郎』みたいなことをしきりに言っていたんですよ。僕も一緒に荒れてましてね。2人で暴れたんで間違いなく10月の頭でした」

と吉村の長い質問に答え終わると笑った。


「普段は温厚な須見がどうして荒れてたんだ? 酒癖も全く悪くないし」

突然三宮が須見に聞いた。須見の人格への信頼はあると見える。

「いやあお恥ずかしい限りなんですが、僕はトラキチなんですよ。一応道産子ですけど、オヤジが兵庫県の西宮出身なもんで」

「なるほど!」

吉村が須見の「種明かし」に納得の声を出した。三宮も、

「そうか、須見は確かに阪神ファンだったな」

と笑みを浮かべた。


 1992年の秋、終盤にヤクルトスワローズとのデッドヒートに破れ、阪神は1985年以来の優勝を逃したのだった。熱烈な阪神ファンなら確実に荒れる案件だ。西田もそれを理解すると自然と笑いがこみ上げてきた。

「なんか話が違う方向に行ってしまったような」

三宮が思わず言ったことは確かに両刑事にとっては少々耳が痛かったが、「時期」に信憑性が出たのも間違いなかった。


 話を聞き終えて、用件が済んだので去ろうとする須見を含め、

「今回の聞き取りについては、くれぐれも伊坂さんには内密に」

と大黒建設社員3名に2人は要請した。伊坂自身には事件性はないと言う前提での聴取だっただけに、違和感を覚えたのは間違いないだろうが、やはりそれはそれ、これはこれだ。特に関係が深そうな須見については念入りに頼み込んだ。


※※※※※※※


「時間の無駄だったんでしょうか……。政光が大吉の事件を知っていたかどうかすら、はっきりはわかりませんでしたね」

大黒建設のビルを背後に、西田と吉村は駅に向けて歩いていたが、明確に何かが出てきたということはなかったのは確かだった。

「元々大して何か出るとも期待してなかったんだから、こんなもんだろう。東京に聞き込みに来ること自体、北条の件とセットで初めて実現したようなもんだから」

西田は期待値が低いから気にするなと言わんばかり、悪く言えば開き直っていた。


「でも、おまえの聴き方はまあまあ良かったぞ。今回は聴き出すべきことがはっきり定まってなかったから、かなり難しい聴取だったが……。それにしても、政光はやはり事件の本筋とは関わってはいなかったと見て間違いない。ただ、伊坂組、いや、大吉の恥部について全く知らなかったのかどうかは疑問だ。特に92年の10月頃の政光の様子を聞くと、その頃何か知ったんじゃないか、そんな気がするな。時期的にも、伊坂大吉が湧別の工事現場に居た篠田に緊急の電話を掛けた時の後になる。何か関係しているのかもしれん」

「須見の話ですか。確かにちょっと気になりますね。あの時の伊坂から篠田へ来た電話とそれによって起きたと思われる米田の殺害含め、何か関連があったんですかねえ……。推測の域を出ませんけど」

「臭うが、まだ霞の中。五里霧中だ。はっきりとは何も見えない」

西田がそう喋った頃には既に飯田橋の駅舎が目の前だった。


※※※※※※※


 総武線から新宿で京浜東北線に乗り換え、東十条駅で下りると、不動産管理会社でる「北東京リアルティ」へと向かった。多少道に迷いかけたが、小さな雑居ビルの2階の一角にそれを見つけた。大層な名前ではあるが、ただの街の不動産屋という感じだった。

「これがこの会社のリアリティですか」

吉村はリアルティとリアリティ(reality)を掛けた皮肉を言ったようだが、実際問題2人ともリアルティが何を意味しているのかはこの時も理解していなかった。その後遠軽に戻った西田が、たまたま思い出して辞書で調べたことがあった。リアルティ(realty)とは英語で「不動産」であり、大層な名前だと感じたのは、意味もよく知らない日本人が英語を有難がっているだけの話だったということに気が付くが、それはあくまで後日談である。


 早速西田は北条正治の勤務先について、不動産屋の女性職員に警察手帳を出して聞き出すと、「板橋警備システム」という会社に勤務していることがわかった。警備員ということで夜勤していたようだ。そのことを聞き出すと、すぐに雑居ビルを一度出た。何となくゴミゴミしていたので、その場からすぐに離れたかったという気持ちもあった。


「さて、どうしましょうか? 夜勤となると今からアパートに行くと寝てる最中かもしれないですね。職場に直接行った方がいいかもしれない。そうなると、警備会社というより勤務先に行くことになるかもしれないから、警備会社に聞きに行きましょうか? 電話番号も聞いておけば良かったですかねえ。あ、電話だけじゃ教えてくれないかな」

吉村は立て続けに喋りながら、そう西田に確認したが、

「いや、それは止めた方がいいな」

と西田は一蹴した。

「どうしてですか? 寝てる最中に押しかけるより相手の迷惑にならないと思いますが?」

と更に聞いてきたので、

「警備会社に警察が来たとなると、正治にとってはもっと迷惑だ。警備会社なんかは警察に調べられてるような人間は敬遠するからな」

と答えた。

「そうかそうか。確かに」

吉村は西田の話にいたく納得したようだ。


「ただ、睡眠時間はなるべく邪魔したくないところだ。夜勤というからには夕方過ぎぐらいから勤務だろうから、午後3時過ぎぐらいに行ってみようか? 出る直前に行っても話は聞く時間もないだろうから、その塩梅が難しいところだな……」

「じゃあ時間もありますから、一旦ホテルに戻りましょうか?」

「いや、ちょっと神保町ってところに行ってみたいな。本屋と古書店がたくさんあるらしいから、前から行ってみたかったんだ」

「そうっすか。係長が言うならじゃあそうしましょう」

2人はそう会話すると神田神保町に向かうことにした。


 神保町まで行くのに、それこそ街の名前を冠した神保町駅で降りるために地下鉄を利用することも考えたが、慣れない東京での乗り継ぎがかなり面倒なこともあり、京浜東北線で東十条からそのまま神田駅まで行き、そこから徒歩で20分弱のルートを採ることにした。神田駅からは多少道に迷いながらも、なんとか本のメッカ・神保町まで辿り着いた2人だった。


「しかしすごい本屋と古本屋の数ですね。遠軽じゃ古本屋も本屋もほとんどないから……。こういうところが東京の凄さかな。札幌も北大の周辺でちょっと古書店多いですけど、こういう規模じゃないしなあ」

神保町周辺をうろつき、たまに店の中に入って「物色」しながら、吉村が率直な感想を漏らした。西田はそんな話を右から左へと流しながら、一際大きい古書店に入った。


「何を探してるんですか?」

「特にどれっていうわけでもないが、昔見た記憶がある、また見たい本とかな。絶版本は普通の本屋じゃ買えないから」

棚に視線を集中させつつ、吉村の相手をしていたが、知らぬうちに吉村と西田の距離は離れていた。特に西田はそれを気にせずに本を漁っていたが、しばらくすると吉村が急いで西田の元へやって来た。(作者注・本作品中に登場する店名等は、但書がない限りは「架空」ですのでご了承ください)

「これ見て下さいよ! 西田香菜の写真集。高校時代世話になったなあ。プレミア付いてるけど欲しいなあ。これ買っていいっすか?」

何かと思えばビニールに覆われたヌード写真集を持って喜色満面だった。これでも西田の部下の中で竹下、小村に次いで年長なのだから困りものだ。ただ、東京という「持ち場」から離れた場所でもあり、特に業務に影響もなさそうなので、西田は黙って頷き黙認することにした。旅の恥はかき捨てではないが、滅多に来れない東京で目くじら立てても仕方ない。


 レジで購入した後、吉村は再び西田の後をついて回っていたが、西田は相変わらず自分の「仕事」に夢中だった。

「おっ、これこれ。俺が警察を志すきっかけとなった、高校の図書館で見た『実録 警察が本気になった5つの事件』。懐かしいなあ。これは買って帰りたい。あー、結構高いなおい……」

西田は値段を見て迷ったがカゴに入れた。

「これが係長が今自分の上司になった原因ですか?」

吉村はカゴの中の本をシゲシゲと眺めていた。その調子で棚を移動しつつ漁っていると、各地方に縁のある古書のコーナーに来た。自然と2人の足は地元北海道絡みの古書の棚に向いた。


「お、常紋トンネルの本が何冊かあるぞ」

早速西田が目に付いた本を棚から取った。

「ホントですねえ。定価より高いからこれも絶版なんでしょう」

西田から本を受け取って、吉村は値段を確認していた。

「まあ今回の事件も、飯屋でのおまえの常紋トンネル話からドンドンここまで来て、今じゃ東京に捜査に出張するまでに進展してしまった。あの時はこうなるとは夢にも思わなかったな」

「言われてみればそうでしたっけねえ……。事件の本筋とは関係なかったんですけど、発端はこれでしたね」

吉村も思う所があったか、じっと表紙を見ていた。


「解決はしてないが、一時期の忙殺されるという感じでもなくなったし、ちったあ勉強でもするか」

西田はそう言うと、「常紋トンネル タコ部屋労働史」と「北海道歴史の暗部」という2冊の本をカゴに入れた。

「あれ、先日佐田の家で見た、「新解・アイヌ語辞典」がありますね」

更に色々見ていた時に、吉村が気付いて棚から取り出すと、

「あちゃあ、これもプレミア付いてるんだから、絶版なんでしょうねえ。たかだか8年前には売ってた本なのに絶版ですか……」

と西田に話しかけた。

「アイヌ語も使う人もほとんど居なくなってるし、研究者もそんなにいるわけじゃない。大学の文学部辺りの極一部だろうなあ、そういうので勉強してるのは。需要がなければ売り続けることは出来ない。出版業界もシビアだ」

西田は感傷めいた素振りも見せず、本人がよくも知らない出版業界の現実をさもわかったかのように言ってみせた。


 その後2人は一般の大規模書店などを回ってみた。警察関係の専門書籍など、道内では到底見当たらないようなものも普通に売っており、西田もさすがに市場規模が大きい書店だと、こういう本でも普通に並んでいるのだなと驚嘆した。吉村も先程とは違い、捜査に役立ちそうな技術論の本を読んで、買う気になったらしい。西田はこちらでも何冊か購入すると、2人はやっと遅めの昼食を食べ、一度ホテルに戻って荷物を置いた。そして一休みしてから証文が入ったセカンドバッグを片手に、北条正治を訪ねるため板橋の大山町へと急いだ。


※※※※※※※


 アパートの2階の北条の部屋の前に来ると、明らかに室内に「気配」があった。吉村がブザーを押した。するとガタガタと音がした後、中から、

「新聞なら取らないよ!」

と声がした。吉村が、

「北海道警察遠軽署の者ですが」

と小声で相手に聞こえるか聞こえないかのギリギリのラインで囁いた。周りの目も気にした故の「音量」だった。すると、小さくドアが開き、中から覗き込むように北条正治と思われるシワの多い老人の顔が出て来た。吉村はすぐに用意していた警察手帳を見せた。さすがに驚いた顔をしたが、少しの間を置いて、ドアが全開になった。


「北海道の警察が何か用かい? 悪いことをした憶えはないよ!」

正治の語気は強めだった。何やら嫌疑が掛かっていると思っているのだろう。

「いえ、そういう目的ではないんで。かなり昔のことで、北条さんに聞きたいことがあるものですから、赤平のご親戚にここを聞いて、聞き込みにやってきたんですよ」

西田が諭すように丁寧に説明した。

「何だ昔のことって? 昔のことでも警察に世話になるようなことだけは仕出かさなかったのが、俺の少ない自慢の1つだぞ」

まだ西田の言いたいことを理解してはいないようだ。


「あの、北条さん。北条さんが何か疑われているわけではなく、ある事柄について聞きたいだけなんです。犯罪に関与したとか、そういう疑いは一切持ってませんから、誤解しないでください」

吉村もなだめた。

「じゃあ、一体何しに来たんだ?」

「亡くなったお兄さんの正人さんが関係していた、砂金の話憶えてますか?」

西田の一言に正治の表情が一変した。

「ああ、勿論だ! でもそれと警察に何の関係が?」

「その件がどうも近年起きた事件と絡んでいるようでして。そのことについて当時の事情を知る方に話を聞いているんです。勿論容疑者としてではなく」

やっと西田の言いたいことを理解したか、正治は、

「ああ、わかったよ。玄関前じゃ近所迷惑だから、取り敢えず中入ってくれ。散らかってるけど……。それから、警備員の仕事であと1時間ちょっとしたら出かけなくちゃならないから、それまでに済ませてくれ」

と言うと、2人を中に招き入れた。


※※※※※※※


 部屋の中はそれほど散らばってはいなかったが、男やもめの部屋ということもあり、何か殺風景ではあった。間取りは2LKと言うところだろうか。2人は冬以外はテーブルとして使っているらしい、布団の掛かっていない炬燵こたつに案内されると、正人はお茶と煎餅でもてなした。


「しかし、あんな大昔のことを調べて何か意味があるのかい? しかもそれが事件と絡んでるとか、話がちんぷんかんぷんだよ、俺にとっては」

どかっと腰を下ろしながら、ため息混じりで話し始めた。

「以前の殺人事件が最近発覚しまして、それにどうも北条さんのお兄さんと共に、分け前に預かるはずだった、伊坂という人間が絡んでいるのではという疑いが出て来ました」

それを聞くと、正治は突然、甲のシワが深く刻まれた拳をこたつの天板に叩きつけた。吉村も一瞬ビクっとしたのがわかった。

「伊坂って奴がか……。まあ会ったこともねえがな」

怒気のこもった声で呻くようにつぶやく。西田は構わず続ける。

「正治さんが戦後訪ねた小樽の佐田さん、憶えてますか?」

「佐田さんか……ああ憶えてるよ」

「先日我々は佐田さんにこの件でお話を伺いまして、亡くなった正人さんの弟であるあなたが、残された砂金の件で戦後訪ねて来られて、その後ももう一度秋田から訪ねてきたと言う話を知りました」

「そうか……。佐田さんの所にも既に行ったのか……。じゃあ大体話の流れは聞いてるんだな?」

正治は湯呑みに手をかけたまま、目を瞑って何かを抑えるように喋った。


「はい、お兄さんが雇われていた仙崎という男から金を相続したこと。そしてその分与については、その後3人、いや正確に言えば4人が落ち着いてからにしようと決めたこと。そしてお兄さんが正治さんにそのことを書き残した後、戦死されたこと。その遺志を継いで、正治さんが証人であった佐田徹さんに会いに行ったこと。徹さんも戦死していたが、砂金のあった場所について徹さんの両親に聞いたこと。しかし金は最初からかどうかはともかく、もう無かったことまで知っています」

西田はとうとうと事実を羅列したが、正人が伊坂と共に高村を殴り殺したことは敢えて触れなかった。ただ、「以前の殺人」と言った言葉には、おかしな反応は全く示さなかったのだから、おそらく兄の正人からはそういう話までは聞いていないのではないかと西田は察知した。

「そこまで知っているのか……」

正治はかなり驚いたようだったが、すぐに、

「砂金はな、ほぼ間違いなく伊坂と桑野に盗られた後だったよ」

と西田に言い放った。

「盗られた? 佐田家を2度目に訪ねた時には、『最初から無かったかもしれない』ようなこともおっしゃっていたと聞きましたが?」

西田がそう尋ねると、

「ああ、そう言ったかもしれん……。だが、そう言っていたとしても、それは俺自身への気休めの意味だったはずだ。俺が佐田さんに聞いた場所を探り当てた時には、既に掘られたような跡があって、そこを掘り進んだが結局何も出てこなかった」

と、唇を噛み締めて悔しさを滲ませた。

「そうだったんですか……。先に伊坂と桑野が佐田さんに場所を聞いていましたからね」

吉村も気の毒に思ったか、残念そうな口ぶりだった。


「ああ、俺もそれは聞いていた。ただ、桑野って奴は、兄貴も当時は相当信用していたようで、俺に遺した手紙にも、『もし会った時に、おまえが大変だったらこの人に頼れ』と書いてあったぐらいだから、それほど心配はしていなかったし、砂金が無いのを確認した後でも、もしかしたら後から届けてくれるんじゃないか、そんな思いもあったんだ。兄貴は俺が働いていた滝川の商店を、その桑野って奴に教えていたようだったから。だが半年待っても全く音沙汰もなく、俺はいよいよ諦めて、それからはしばらく酒に溺れた。聞いていた通りの量の砂金があれば、商売が始められると思っていたからな。まあそれから流れ流れて秋田で働き始めて結婚し、落ち着いた後、佐田さんの名前を取引先に見つけてね……。勿論挨拶がてらでもあったが、ひょっとして佐田さんの方に兄貴の分が届けられているんじゃないかという淡い期待もあったのさ……」

正治は自嘲気味な薄笑いを浮かべた。


 西田と吉村は正治の話を聞きながら、聴取しに来たというよりも、独りの男の身の上話を聞いているかのような錯覚を覚えていた。抉ってはいけないことを聞いているのではないか、そういう後悔の念も感じ始めていた。ただ、そういう躊躇は言うまでもなく捜査には禁物だ。西田は茶を飲みながら意を決すると、3人の間に広がっていた沈滞した空気を切り裂くように口を開いた。

「幾つか他に明らかにしておきたいことがありますんで、聞かせてもらいます。まずお兄さんから残された砂金についてのお話を聞いたというか、さっきの話だと手紙を渡されたそうですね? 当然証文も渡されていたと思いますが、いつ頃だったか記憶されてますか?」

「えーっとねえ……。はっきりしたことはわからないが、生田原に居て、そこから飯場を渡り歩いていたのは知っていた。働いてた場所が変わる度に、ちゃんと俺に手紙を寄こしていたからなあ。だが、おそらく昭和19年頃だったかその前だったか、赤紙がとうとう兄貴に来てね……。それで滝川の俺の元へ出征前に訪ねてきたんだ。そこで、兄貴が砂金を貰える権利があることを知った。同時に忘れちゃいけないとばかりに、兄貴はそのことを書き記した手紙と大事な証文を俺に預けていった。結局行ったっきり戻って来なかったがな……。戻って来たのはただの戦死の通知のみ。遺骨すらなかった。俺も戦地に行ってたから後から役所で聞いたが……。オヤジは炭鉱の爆発火災事故で、お袋は後にそれを苦にして入水自殺で川に流され、2人共遺骨すら残らなかった挙句、兄貴も同じ目に……。どんな因果だかわからねえよ」

淡々と語ってはいたが、その内面に秘めた苦渋を西田は多少なりとも感じていたつもりだった。


「その手紙と証文のうち、証文については、佐田さんのところに置いてきたそうですね?」

一瞬質問を続けることが憚られたが、西田はそれを振り払うように、敢えて間を置かずに質問を続けた。

「ああ、そうだ。それで忘れようと言うつもりがあった。決別って言うのかな、そういうのは。かと言って、兄貴の思いを考えると捨てるのも気が引けたからな……」

「それは佐田さんからも聞きました。そう言っていたと」

吉村が口を挟んだ。

「そうかい……」

北条は噛みしめるように言った。

「手紙の方はどうされたんですか?」

「手紙? ああ、今もとってあるよ……。遺骨もないんだから、兄貴の肉筆は大事な遺品だよ、俺にとってはな……」

吉村の問いに答えると、ここで北条は始めて手にしていた湯呑みを口に運んだ。

「大変不躾なお願いなんですが、それ見せていただけないですかね? お兄さんの手紙に何かヒントがあるかもしれない」

「別にそれは構わんが……。そういえばあんた方は、殺人の捜査だったかで来たんだよな? それに伊坂が絡んでるとかなんとか……。今話してたことが役に立つのか?」

正治はあぐらから立ち上がりながら聞いてきた。

「あらゆる事実関係を関係者から聞き出して全部洗うことで、殺人事件の背景についての裏付けを取っている段階です。その背景には、証文の話も含めかなり昔のことが絡んでますから、複数人に聞かないと、本当だったかどうか微妙なところもあるんです。そして我々は伊坂がその殺人の犯人の1人と見ています。」

「伊坂が殺人犯!? そうかい……。そんな大それたことまでやってやがったのか……。そうなると、話すことに意味があるのか、俺の昔話にも」

そう言いながら、タンスの引き出しを漁っていた正治だったが、

「ああ、あったあった! これだ。大した話は書いてないが、何か役立てば……」

と言うと、西田と吉村の前に引き出しから取り出した便箋を出した。西田も思い出したかのように、持ってきた証文をセカンドバッグから取り出した。

「あれ、これは俺が佐田さんに渡した奴か?」

正治は証文を見るなり声を上げた。

「いえ、これは佐田さん……、あなたが2度目に会った譲さんではなくて、お兄さんの正人さんが証人として会っていた方の徹さんの分の証文です。実はあなた達の分の証文は今行方不明なんですよ。どうも佐田さんの、徹さんとは別の弟さんが持っていたらしいんですが、そこから所在がわからなくなってるというわけです。我々はこの伊坂という人物が最終的に持っていたんじゃないかと踏んでいるんですがね。今それがあるかないかは別として」

「そうか。確かに兄貴のやつはもっと汚れていたような気がする。それはともかく、早く問い詰めて取り返した方がいい」

正治がそうアドバイスしてきたので、西田と吉村はまだ正治が伊坂が死んだことを知らないのだと気付いた。確かに2人とも正治にその事実を告げるタイミングもなかったし、正治も伊坂太助の存在は知っているが、あくまで知っているのは証文の名前だけであり、それが伊坂大吉と同一人物だということもおそらく知らないだろう。

「北条さん。実は伊坂大吉……いや、伊坂太助はもう死んでます。ですから、余計に証文の在処ありかがわからんのです」

「ええ! 死んでるのか……」

正治は西田の発言に一瞬絶句したが、

「いや、しかし年齢的に考えれば死んでいたところでびっくりするようなもんじゃないな」

と思い直したように呟いた。

「それにしても、死んでる奴を追いかける意味があるのかい?」

「ええ、死亡した人間を裁判に掛けることは事実上不可能です」

西田は正治の疑問に即答した。

「じゃあ、結局は無意味じゃないか! 俺が金を生田原に探しに行った時と同じだよ!」

やや憤慨した様子でまくしたてた。

「勿論、警察としては無意味ですが、共犯者が居た可能性が高いので……。それに事件の真相を知ることは、遺族と亡くなった佐田さんへのせめてもの弔いになりますから」

西田は既に喜多川と篠田という、共犯と思われる2人が鬼籍に入ったことは言わなかった。

「ちょっと待って! 今あんた『亡くなった佐田さん』って言ったよな?」

「そうです。殺されたのは、あなたが会った佐田譲さんの弟、そして証人だった佐田徹さんの弟でもある、佐田実という人です」

正治は西田からそれを聞くと、愕然として口を半開きにしたままだった。西田達も伊坂の死同様隠していたわけではなかったが、正治にとってはかなりショックな事実だったようだ。

「なんてこった……。事情がさっぱりわからないが、やっぱりあの砂金のことが原因なのか?」

やっとの思いで喋り始めたような老人相手に、

「おそらくは……。細かい事情は説明すると長くなりますのでしませんが、基本的に我々警察はそう考えています」

と、刑事として忌憚なく答えた。


「兄貴も俺もとんでもないことに関わっちまったんだなあ……。まあこの手紙も見てくれ。話の途中で邪魔しといてなんだが……」

正治に改めて促され、西田と吉村は便箋に目を通すことにした。

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