明暗9 (49~57 佐田譲宅訪問 2枚目の証文の存在と紛失 そして2度目の実宅訪問)
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9月12日正午、西田と吉村は国道5号沿いにある、小樽は銭函地区のラーメン屋で昼食を摂っていた。14時からの約束に間に合うように早目に札幌の道警本部を発っていたのだった。道警本部に寄った理由は、午前中に遠山部長から緊急連絡を受け、刑事部長室を訪れていたからだ。遠山部長の口から伝えられたのは思いもしない朗報だった。
「さっき北見の科捜研から連絡が入ってな。なんと佐田の死因がほぼ特定出来たということだ!」
それを聞いて西田は感嘆の声を上げた。
「よくわかりましたね! まず無理だという話でしたが」
「科捜研がDNA調べてるってのは聞いてたんだろ?」
「はい」
「その過程で、骨を鑑識に戻してもう一度詳細に色々調べてる途中、肋骨の骨片に剃った(すった)ような痕を柴田って職員が発見したらしい。で、その剃った痕を調べると、金属の成分が微量だが検出されたそうだ。で、それを科捜研で分析させたら、銃弾の外装金属成分に該当したとさ。銃の種類が拳銃かどうかの断定は出来ないが、ほぼ拳銃で間違いないと言う話だ」
「金属の粉末ってのは、篠田が骨壷に入れるんで、ある程度の大きさにするために骨を砕くのに、スコップかツルハシを使った時に付いたものとは区別が付いてるんでしょうね?」
吉村の疑いはもっともだった。西田もその危険性に注意すべきだと考えていた。
「銃弾の外装金属に使われる真鍮は、ツルハシやらスコップやらに使われることはないそうだ。割と柔らかい合金だからな」
二人はそれを聞いて納得すると同時に、あの骨片の一部の更に局所を見切った鑑識の柴田に感服した。口は悪いがさすが技量は一流だ。
「柴田さん相変わらず腕はいいですね」
話しかけてきた吉村に、
「ああ、人は悪いが、さすがだな。ただ、どうせ気付くなら最初の段階でチェックして欲しかったもんだ」
と悔し紛れの嫌味を込めて返すと、遠山は、
「柴田ってのを知ってるのか?」
と尋ねてきた。
「ええ、特に今回は世話になりました」
吉村が間髪入れずに答えた。
「そうか。有能な職員がいるかいないかで全てが決まる。そういう連中を重用していかないとな……」
と自分に言い聞かせるように言うと、
「話を戻すが、肋骨の位置関係を考えると、おそらく心臓の近辺を銃弾が通ってるということで、多分それが死因になったという話だな。拳銃の種類は、大まかなものはともかく、最終的な特定までは厳しいそうだ」
とも付け加えた。
死因が判明したこともそうだが、殺害に銃が使われたというのも、これまでは思いもよらないことだった。
「篠田や喜多川に銃の免許はなかったよな?」
西田は吉村に確認した。
「そういう話は捜査過程では一切なかったと思います」
「うーん」
西田は釈然としなかった。遠山はそれを見て確認してきた。
「何か問題があるのか?」
「問題といいますか、少なくとも篠田は米田を殺害しているとは思いますが、もし佐田を殺害しているとすれば、まあ初犯はその時でしょう。しかし拳銃を使って殺害するとなると、ある程度銃の使用に長けている必要があると私なら思うんです……。因みに、米田の殺害においては、偶然出会った上でのこともあるかと思いますが、たまたまあったツルハシにて殺害したものと推測しています。どうも銃と篠田、喜多川が結びつかないんですよ」
「二人が佐田を殺した可能性は高いが、そう断定されたわけでもないだろ?」
「ええ。ですからもし自分の考えが正しければ、むしろこのことは、二人が殺害には関与しなかった可能性を少々とは言え高めたのかもしれません。いずれにせよ、予断を持ちすぎると見誤りますから、殺害に銃が使用されただろうことは事実として受け止めておきます」
「確かに予断はいかんな……。常識とは言え、今回よく痛感したことでもある」
遠山は伏し目がちに呟いていた。
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西田と吉村は食べ終わると、銭函のラーメン屋から、小樽は手宮にある佐田譲の家までは30分程で到着した。ただ、約束の時間まで1時間弱あった。車内で過ごすには長い時間だったこともあり、暇つぶしも兼ねて、手宮にある「鉄道記念館(現・小樽市総合博物館)」でも見学しようということになった。しかし、行ってみるとなんとしばらく改装のため休館中(92年から96年まで実際に休館中)ということで、近くにあった手宮洞窟の古代彫刻を保存してある「手宮洞窟保存館」を見学することになった。なんでも今年設備が出来たばかりだったようだ(手宮洞窟については http://www.namaraumai.net/otaru-unga/kyoyou/jtedou.html 参照 サイト上リンクは不可ですので、コピペでアドレス貼って移動してください)。
佐田一家の長兄である譲の家、言い換えれば実の実家は、作りはかなり古い洋館風だが、洒落ていて思ったよりかなり大きな家で、豪邸一歩手前という感じだった。建てられた当時はかなりの資産家だったのではと感じさせた。家の中も広く、内装はリフォームされているようで外装と比較して現代的だった。ただ、応接間には大きなシャンデリアが燦然と輝いていて、そこだけは確実に建てられた当時の雰囲気を醸し出していた。吉村は落ち着かない感じで目線が至る方向に散っていた。西田も出された紅茶にクッキーと来ると、なんとなく事件の捜査という気持ちをそがれつつあった。
「しかし立派なご自宅ですねえ」
「いやいや、うちのオヤジが戦前からちょっとした水産会社やってましてね。継いだ私の代で20年前に畳んだんですが、その名残みたいなもんですよ。弟のところみたいに倒産と言う形ではないですが、兄弟揃って商才はなかったかな、はははは」
西田の話に高笑いする譲だったが、決して無理して笑っているようではなかった。これだけ立派な自宅を維持しているのだから、少なくとも金に困っているということはなかろう。
「しかし、こんなことになるとは思ってもいなかったんでね……。正直言って、もう(実は)ダメだろうと諦めてはいたんですが、こう現実を突きつけられるとね。でも、うちがちゃんとしてりゃ、実の会社も何とかしてやれたんだろうけど……。そうすれば実も死ぬことはなかったんでしょうなあ……。母が死んだ時に遺産の件で弟とも話したんですが、家は処分しないで良いと言われてね。弟としても生家だから無くなるのは忍びないと思ったのかもしれないが、あの時は既に色々状況が悪くなっていたはずだし、多少の足しになるのなら、取り壊して売った方が良かったかもしれない。こじんまりとした家に住み替えるぐらい、私にとっても女房にとっても、大した苦にはならなかったんだから……」
さっきとは一変して表情は暗くなったが、すぐに気を取り直したように、
「そんな感傷に浸ってる場合じゃないですな。実に渡した手紙と証文について、私に話を聞きに来たんでしたっけ。正直これについては、存在は何となく憶えてはいたんですが、実が行方不明になった時点で、私には伊坂と言う男が絡んでるという情報が来てなかったし、仮に来たとしても、『伊坂』という名前については思い付いたかどうかは……。4年前に実の家族に手紙を見せられて、それについて指摘されてからハッと思ったんだけど……、後の祭りというか。まあ、例えそれが8年前の失踪直後にわかったところで、明子から話を聞く限り、あなた方みたいにきちんと捜査してなかったら、それを警察に言ったところで何も意味はなかったでしょうな……。とにかくあなた方のおかげだということは、よく実の家族から聞いてます。ほんとに感謝してますよ。だから今日も遠慮なく色々聞いてください。さて、何からお話させていただければ良いんだろうか?」
と西田達に返した。
西田は持ってきた手紙と証文を出しながら、
「ではさっそくお願いしたい。まずこの手紙と文書というか証文については、お兄さんはいつから存在をお知りになっていたんでしょう?」
と尋ねた。
「私は戦前、結婚して満州の商社に居たんですよ。そこで終戦間際になって召集を受け、その後ソ連の侵攻を受け、捕虜となりシベリアに抑留されました。妻と子供は命からがら日本に先に逃げ帰っていて、妻の実家の室蘭に戻っていました。まあ酷いもんで、その時のことは思い出したくない人生の1ページですが……」
苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに話を続ける。
「そして復員してきたのが、昭和24年の夏でした。そこで徹という、この手紙を書いた一番上の弟が戦死していたことをようやく知りましてね……。一番下の実は召集はされたものの、戦後すぐに日本に戻ってきていました。私については死んだと思われていたようで、父と母は生還を大変喜んでくれました」
さすがに戦争体験者の話は重い。刑事二人も捜査の一環で話を聞いているとは言い難い気分だった。
「おっと、脱線し過ぎましたかな。ですから、当然のことながらこの手紙が書かれた時期の近辺では私は全く存在を知らず、帰還してからも、しばらくはこの手紙については知りませんでした。ま、その後、この手紙や証文にも出てくる、『北条正人』の弟の北条正治と言う人が訪ねてきて、私もそこで初めて存在を知ることになったわけですよ。記憶が正しければ、あれは昭和26年を過ぎた頃だったと思います。既に私は妻子を呼んで、小樽で両親と同居して父の会社を手伝っていました」
「北条の弟が来たということは、正人本人はどうしたんですか?」
「正治の話では南方戦線で戦死したとのことでした。うちの徹同様、手紙と証文を出征前に弟に預けていたようですね」
「正治は、この手紙にあるように、兄の持ち分の分配のことでやって来たんでしょうか?」
吉村の一連の質問に、譲は思いもしなかった回答を繰り出した。
「いや、その時正治は2度目の我が家への訪問だったそうです。彼は身体が弱かったものの、戦況の悪化で結局召集されて、何とか生き残って復員後、戦前から居住していた滝川に戻り、そこから1度目の訪問をしたそうです。そしてウチの父母は、北条正人の弟だということを聞き入れ、砂金の場所を教え、彼が教えられた場所に行ってみたら、砂金は既に無かったという話をその時にしていました。因みに1度目は、私がシベリアにまだ抑留されていた頃に来たそうです。昭和22年頃だったようですね。それは彼から聞き、その後父母にも確認しました」
西田と吉村はそれを聞いて混乱した。
「つまり、譲さんが北条正治に会った時には、砂金の分配の件で来たわけではなかった?」
「そうですよ。私が会った時は、なんていうんでしょうねえ、思い出話というか、あの時金が残ってなかったからこそ今があるとか、そういう話だったと思います。まあでも、私から見る限り、かなり強がりを言っていたように感じましたが……。それでね、その時に彼は、自分の証文を『こういうものとは決別したいが、破り捨てるのも亡くなった兄に悪い。証人の家族であるあなた方に預けたい』とウチに置いていきまして、だから証文は合わせて2枚あったはずなんですがね……。実にも当然証文は2枚渡してますよ。それで、実の死後にこれを見つけた実の妻子が、私にこれらについて聞いてきたもんですから、その時もちゃんと確認したんです。ただ、その時にはやはりこの1枚しかなかったようです」
二人はその話を全く聞いていなかったので、更に驚いた。
「え? 同じものが2つあった? それは実さんのご遺族には聞いてなかったんで、今びっくりしてるんですが」
西田の言葉に、
「嘘は言ってませんよ、私はね。後で確認してみてください。あと、残っていた証文を今も見せてもらっていますが、これは徹が家に置いていったものですね。正治が置いていったものはもっと汚れてましたから」
と冷静に言った。
「まあこの前は我々も手紙の内容に興奮して、あんまり細かい確認作業はしませんでしたから、ご家族も言いそびれたんじゃないですかね? あの人達は実際に1枚しか見てないわけですし」
吉村がフォローした通り、あの時の会話の流れでは、そういうことを言い出すタイミングもなかったろう。しかし、2枚あったものが1枚になっていたということは、当然1枚をは失くなったか、或いは別のどこかに存在するということになる。
「申し訳ないんですが、他の2名、つまり伊坂太助と桑野欣也ですか、この二人は訪ねて来なかったんでしょうか?」
西田はきちんと整理するために、まずそこから聞き出すことにした。
「いや、来たそうです。私も正治の訪問後に、この手紙の内容を知ったので、その際に父母から聞きました。正治より先だったそうです。最初に伊坂が1人で来て、徹の指示通りその場では拒否したという話でした。その後伊坂一人ではなく、桑野も揃って来たので、手紙の通りに場所を教えたそうですよ。勿論北条や子供の分もちゃんと残しておくように伝えたそうです。しかし、その後やって来た正治に、正人本人が戦死したという事情や証文を持ってきたということを勘案して、父と母が徹の指示を敢えて破り場所を教えたものの、正治がそこに探しに行ってみると、さっきも言ったように書かれている場所にはもう無かった。まあ元々仙崎という人の遺産など無かったのかもしれないとは、2度目に来た時、彼の口から聞きましたが、それについても、自分に必死に言い聞かせてるだけのように見えましたがね。実態は先に2人に全部持って行かれたんじゃないでしょうか」
「そうだったんですか……。ところで伊坂と桑野が来た時には、手紙の指示通りに、証文の指紋と本人達の指紋は確認したんですかね? 北条正治は本人が戦死したのですから、当然確認する意味もないですが」
「それは私も聞いてません。でもどうでしょう、徹はそう書いていた記憶はありますが、警察でもないので確認したところでわかりますかね? 余り人を疑うタイプの父母ではなかったですから、証文を持ってきて、風貌や特徴が記載されていたものと似ていれば、そのまま本人だと信じたんじゃないかと思いますよ」
西田の質問に、譲は自信なさそうに答えた。
「それで正治が2回目に来た時には他にはどんな会話を?」
吉村は話の続きを求めた。
「2度目に来た時の話では、兄から聞いていた金のアテがなくなり、自暴自棄になったこともあったそうですが、それでも頑張って、滝川から流れ流れて行き着いた秋田で、水産工場に勤めて家族も持ったとかいう話をしていたように思います。場所を教えてもらった後、音沙汰なかったことを詫びるために来たとかなんとか。たまたまウチと当時取引があった工場なんで、それで知って、小樽に来る用事があったもので、ついでに懐かしくなって来たそうです。変に律儀なところがあったんでしょうなあ……」
「そこで証文を置いていった?」
「そう。さっきも言いましたが、本人が過去の自分と決別する意味があったんでしょう。彼の内心まで断定出来る程の確信はありませんでしたが、私はそんな気がしました」
2人はここまで聞いて話の流れをきっちり把握することが出来た。しかし、問題の2枚あったはずの証文が1枚しかなくなっていたことは何も解決していなかった。
「そうして、その後しばらく手紙と証文は譲さんとお父さん、お母さんとの間だけで共有された話題だったということでいいんでしょうか?」
「そうなりますね。そして父が死に、母が死んだ後で、私と実の2人の間で完全に形見分けすることになり、出て来た手紙と証文を私が久しぶりに見て実に見せたということです。そうすると実が興味を示したので、私はそれを実に与えました。その時には確かに証文は2枚ありました。徹のものと北条のものですね。実の会社は既に傾きつつあったんで、その砂金の話に一縷の望みでも賭けたんですかねえ……。正治の話でも既に無かったとも教えていたのに、実に馬鹿らしい……」
西田の確認要求に譲は残念そうに言った。
「いやそれは違う……」
吉村が反論しかけたところで、西田は腕を吉村の前に出して制すと、
「ところで、その正治の連絡先わかりますか?」
と尋ねた。おそらく吉村は、実がアテにしたのは砂金ではなく、伊坂から直接金を引き出そうとしたということを言いたかったのだろうが、わざわざ遺族を前にして実を悪者として扱うことはないだろうと言う配慮をして話題を変えたのだ。吉村も意図を理解したか、そのまま話を打ち切った。
「いや、当時それは全く聞いてませんね、申し訳ないが」
2人のやりとりに一瞬躊躇した譲だったが、すぐに答えた。
「なら、当時正治が勤めていた会社はわかりますか? 昔取引があったとか言う話を先程おっしゃってましたが?」
吉村が改めて尋ねると、譲は保管してあるという帳簿を調べに席を立ち、かなり時間は掛かったが見つけ出してくれた。
「これですね。秋田県の能代市の熊澤水産ですか。確か昭和50年代まで取引があったはずですが、会社を畳んだこともありますから、今はどうなってるかは不明です」
「そうですか、ちょっと今、この電話番号が生きてるか掛けてみましょう」
西田はそういうと携帯で掛けてみたが、全くの別個人に掛かった。
「やっぱり会社が無くなってるのかなあ」
譲はさもありなんという顔つきだったが、
「電話番号が変わっているかもしれないですし、今どうなってるか、必要であればこちらで調べます。場合によっては正治という人物に確認するかもしれない程度の話ですから、それほど必要不可欠というわけでもないんで」
と言って、西田は帳簿からメモをとりながら、譲に気にする必要はないと説明した。
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譲から事情を聞き終え小樽から札幌へと戻る途中、西田はまず明子に、証文が2枚あったという話を譲から聞いたことがあるか電話で確認し、しっかりと裏が取れた。そして車中での吉村との会話は、専ら消えた正治が持ってきた1枚の証文がどうなったかに割かれた。
「金庫に仕舞っていたようなものですから、少なくともいい加減な扱いをされていたとは思えませんね。だから紛失したというのは考えにくい」
吉村の考えは確かに筋が通っていた。
「となると、どこかに保管されている? ただ佐田実が他の場所に移したというのは考えにくいな。金庫に入れておけば問題ないだろう」
「ええ、佐田家の管理下には既にないと俺も思います。まあ、誰かに渡された上で、そいつが処分した可能性ならあるんじゃないですか?」
「吉村が言いたいのは、佐田実が意図的に誰かに渡して、受け取った人間がそれを消去したってことだな?」
「はい」
ここまで来て、吉村の意図を西田は理解した。
「吉村は、それを受け取ったのは伊坂大吉だと考えているんだな……」
「そりゃそうでしょう。一番しっくりきますもん」
なるほど、佐田から高村殺害の件で脅されたとして、その荒唐無稽な手紙の話を裏付けるには、伊坂太助つまり大吉の血判が押してある証文か、後に3体の身元不明の遺体発見の案件ぐらいだろう。その話は遠軽署で内々に処理されることになったのだから、そうなると伊坂を脅すには証文が必要になる。そして伊坂がもしそれを受け入れるとすれば、その証文と引き換えにするのが筋の通る話だ。
「しかし、佐田は金を得る前に渡してしまっていて殺害された。こうなるんじゃないかと」
「うむ。それがしっくりきそうだ。後は、8年前に伊坂太助と伊坂大吉をどう佐田が結びつけたかという話がどうなるか」
「手紙を初めて見た時には、伊坂太助と大吉はあくまで親族程度かと思ってましたが、今となっては同一人物というオチですからねえ……」
吉村の言う通り、事態は思わぬ方向へと進んでいた。
「もしかして、あくまでもしかしてだが、佐田実は早い段階で伊坂太助と大吉が同一人物だと見抜いていたんじゃないか?」
「えーっ? 佐田が伊坂太助と大吉を関係があると考えた理由すら、未だにはっきりわかってないのに、いきなり2人が同一人物だと考える理屈が思い浮かびませんよ。佐田と伊坂との接点すらそれまでなかったのに、いきなりそんなことが佐田にわかりますかね?」
「確かに直接的な面識はなかったかもしれないが、2人共経営者という共通点がある」
「まあ伊坂組の方はガチで大会社ですが」
「佐田の会社も零細という程小さい会社でもなかったようだぞ」
「まあそれはそうですけど……。やっぱり飛躍しすぎじゃないんですかねえ」
「やっぱり突拍子もない考えかねえ」
西田は押し黙った。
それ以降しばらく会話は途切れたが、吉村が再び口を開いた。
「ところで、桑野欣也ってのは、一体どんな人間だったんでしょうね。伊坂太助いや大吉と北条正人についてはわかってきましたが、証文の中で彼だけはわかりません。いや、正確に言えば免出の名前のわからない子供もですが、それはもう仕方ないから除外しますけど」
「徹の手紙の内容をそのまま信用するなら、人格も信用出来て、教養もあったということになるんだ。佐田3兄弟の実家から見てもそうだが、一番上の兄貴は商社員、二番目の徹も金鉱山で経理やって、実も実業家になったんだから、おそらく当時としては一定の学歴もありそうだ。そういう人間から見て教養があると感じたんだろうから、それなりなんじゃないか?」
「そんな人間が当時、あんな山ん中で砂金掘ってたんですか? どうもしっくりきませんね」
「いやそれはわからんぞ。タコ部屋労働者にも、当時の大卒も稀に居たって話を聞いたことがあるし、そもそも昭和初期は大恐慌があったからな。学歴があっても大変な時代を経てる以上、時代的には不思議とまでは言えない」
「なるほど。大恐慌ですか。えーっと、1929年のアメリカの株価暴落からでしたっけ?」
「正確に言えば、日本の恐慌はちょっとずれてるはずだ。1931年辺りに掛けてだな。『大学は出たけれど』で、尋常小学校が義務教育だった当時の大卒ですら就職難だった時期だ。当時の大卒でだぞ」
「なんかそんな言葉を聞いたことがあるような気もしますけど、それにしても係長は歴史詳しいんですね」
吉村は社交辞令ではなくおそらく本心から感心していたが、
「高校の時に日本史取っていて、割と好きで得意だった程度だ」
と西田は謙遜した。いや謙遜というより、およそ他人から褒められる程大したものじゃないという自覚があったからこその言葉だった。
「ただ、手紙が書かれたのは昭和19年……、終戦が1945年ですから1944年で、証文が書かれたのは昭和16年ですから、えーっと1941年ですか。ほんと元号は面倒ですね。で、なんだったっけ……、あ、そうだ、その恐慌から10年ですか。当時影響を受けてそんな立場に身をやつしたんですかねえ」
「あり得るんじゃないか?」
助手席側の窓から入ってくる海風が、季節的なものと時間的なものとで、段々肌寒く感じてきたので、西田はウインドウを閉めた。
札幌市内に入り、徐々に交通量が増え始めた国道5号の進行方向右手には、はっきりと手稲山のなだらかな稜線が浮かび上がっていた。会話が途切れた間、その手稲山を凝視していた西田の視線が気になったか、吉村は、
「何か気になりますか?」
と聞いた。
「いや、あっちの手稲山を見ていただけだ」
西田は手稲山の方向を指さすと、意識的に頭を逆の左に向けた。そしてその西田の視線の先に、ふと、あるビル屋上の看板が目に入った。
「財界北海道」。道内企業の話題などを扱う月刊誌で、どれくらい売れているのかわからないが、企業・財界人の間で読まれているだけでなく、テレビのCMも流されるなど、一般道民にもそこそこ名前だけは知られていた雑誌だった。ただ評判としては、企業のスキャンダルなどを相手に「買わせて」儲けているという、実態はスキャンダル誌の類という悪評も聞いてもいた。その財界北海道の宣伝看板が国道5号沿いのビルに架かっていた。西田はそれを車窓に映るまま、ただ過ぎ去っていくのをぼんやりと眺めていたが、ふとある考えが浮かんだ。
「佐田の母が亡くなったのが87年の5月だったっけ?」
突然の西田の発言だったが、吉村は意味を聞き返すこともなく、
「確かそうだったはずです」
と機械的に言った。
「そして行方不明になったのがその年の9月か……。この間、もしくはその前に、佐田が手紙と証文に載っていた砂金掘りの伊坂太助と、企業経営者・伊坂大吉とを結びつける何かを嗅ぎとるヒントがあったはずだな……」
「でしょうね」
「手紙の内容からは、徹から見て、伊坂太助は丸顔で目が大きかったと書いてあった。以前捜査資料の写真で大吉を見た分には、確かに丸顔で目は大きかった」
「いや、でも言うほど特徴的ではなかったでしょ?」
吉村の言ったことは確かにその通りで、年齢のせいもあったかもしれないが、明らかに顔に目立つほどの特徴は、財界人となってからの伊坂の写真からは感じ取れなかった。
「そして、左肘に大きなホクロがあったらしい」
「そうですね。見たわけじゃないので断定は出来ませんが、むしろそっちの方が特徴的かもしれない」
「そういうのがわかる写真が佐田の目に付く範囲に存在した可能性がないかな? 例えば著名な経済人を扱う雑誌なんかは、人となりを紹介したりする記事がよくあるだろ?」
西田はそう言いつつ、そのまま一人で結論を出すと、再び携帯で明子に連絡を取った。
「奥さん度々すみません。ちょっと確認させてください。ご主人の実さんが、ご自宅もしくは会社で、財界北海道という雑誌、購読されてませんでしたか?」
「はい?」
明子は西田の意図をはかりかねたようで、聞き返してきたので西田は繰り返した。
「いや、財界北海道って雑誌ご存知ですよね? それを実さんが生前読んでいませんでしたか?」
「はあ……。そう言われてみれば会社で取っていたような気がしますが……」
「そうですか。助かりました」
と西田が明るい声で言うと、
「いやあのー、あくまで気がするというだけで……」
と明子は言いよどんだ。
「いいんですよ、それで。確証なんていらないです。また何かあればよろしくお願いします」
短くそう言って切ると、西田は吉村に、
「おい、財界北海道社に行ってくれ」
と指示を出した。
「財界北海道? 聞いたことありますけど、会社の場所がわかりませんよ」
「そんなこともわからんのか」
と西田は舌打ちしたが、よく考えてみれば、自分自身もわかっていなかったことに気がついたが後の祭りだ。すぐさま遠山部長に調べてもらうため、横で吉村が笑いをこらえてるのをチラチラと見ながら依頼の電話を掛ける羽目になった。
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いきなり刑事がやって来て警察手帳を出したので、財界北海道の事務所はちょっとした騒ぎになった。やっていることが際どいだけに、大袈裟に言えば「名誉毀損罪」やら「恐喝罪」か何かのガサ入れかと勘違いしたのかもしれないが、当然西田にはその意思はなかった。
「警察の方が何か用でしょうか?」
恐る恐る総務部長の左右田という人物が応対した。
「すいませんね、ここ、当然財界北海道のバックナンバー置いてますよね?」
「バックナンバー? ああ、勿論自社の雑誌ですからありますが」
「少なくとも8年前、1987年の9月、いや雑誌だから一ヶ月先になるのかな……。1月号からその年の10月号までと、前の1986年の1年まるごと分ぐらいのが見てみたいんですがね」
後ろの吉村はやっと西田の行動の意味を理解したようだ。
「ああ、なるほどそういうことか……」
という独り言が西田の耳元まで届いた。
「何か問題があるんでしょうか?」
怪しげに西田を見る左右田に、
「いや、ただ捜査の一環として、ある情報が載ってないか確認したいだけです。お宅さんには何の問題もないです」
と告げると、ようやく相手も安心したようで、二人を応接室に通した。
しばらく待つと、左右田と女性事務員がバックナンバーを持ってきた。西田は礼を言うと、早速1986年1月号から12月号までパラパラとめくり始めた。何も指示を受けていなかったが、それを見て吉村も1987年の1月号から同様に調べ始めた。しばらく会話もなくそれぞれが読んでいると、先に吉村の手が止まった。
「これなんかどうでしょう?」
自信なさそうに吉村に該当箇所を指して示した。1987年、昭和62年の7月号、発売されたのは6月10日で、北見商工会議所主催ゴルフコンペ大会の記事だった。カラー写真には1位から3位までの出場者の前進写真が写っており、2位にはハンデ5で入った伊坂大吉が写っていた。ポロシャツの半袖から突き出た、左腕の肘の側面から前面にかけてかなり大きめのホクロが覗いていた。
「ビンゴだな!」
吉村はそれを聞いて喜んだが、西田はそれには構わず、意味もわからず様子を見ていた左右田に、
「これ、会社の名前言えば、当時購読していたかわかりますか? 8年前のことですけど、カネ実食産って会社なんですが?」
と尋ねた。
「8年前ですか……。多分わかると思いますよ」
左右田は面倒なことに巻き込まれたという態度を隠すこともなく、応接室から出て行った。
しかし、その割に案外時間は掛からなかった。10分程度で左右田が戻ってくると、明子が言ったように、会社で契約していた事実を西田に報告した。
「やはりそうでしたか。あ、ついでと言ってはなんですけど、これ売ってもらえませんかね?」
「それは勿論歓迎しますよ」
左右田は西田の申し出を快く引き受け、西田は財布から千円札を出して渡した。そして一度釣りを取りに出て行った事務員からそれを受け取り、手にしていた7月号を丸めて片手に持つと、簡単に礼を言って二人は社屋をさっさと立ち去った。招かれざる客はすぐに退散してくれる方が、厚謝されるより相手にとってありがたいだろう。相手も厄介払いが出来たとばかりに見送りはなかった。
駐車場で車に乗り込みながら、
「これで、佐田が伊坂太助を大吉と結び付けた理由がわかりましたね。いや、係長の考えた通り、同一人物だとわかってたんですね、雑誌を読んだ後には。これは御見逸れしました」
と吉村が明るい顔で言った。
「佐田としては、後はなんとかして伊坂太助が大吉に改名したことを調べれば良かったはずだ。これは興信所でも使えばなんとでもなるだろうし、伊坂自身がどこまで改名の事実を周囲に隠していたかも疑問だな。周辺で聴きこんでみないとわからないが、それは大して伊坂にとって知られたくない程の重要なことではなかったんじゃないかな。伊坂という苗字は同じままだし、太助と大吉じゃ見た感じの語感も大して変わらない。隠すという意識が高かったようには思えないんだ。そして佐田にとっての一番の強みは、指紋が残っていた血判付きの証文を持っていたことだ。勿論これは佐田にとっては一致しているか調べようがなかっただろうが、伊坂に見せれば反応でわかったろう。これが伊坂にとっては最も痛かったはずだ」
西田は満足そうに「解説」した。
「しかし、こう色々判ってくると、伊坂と共に現れた桑野は、その後どうしてるんでしょうか、死んでるのか生きてるのか……。やっぱり気になりますね」
吉村がボソっと言ったが、
「まずは判ることからコツコツとだ」
と西田はにシートベルトをキュッと締め、それを確認した吉村はギアを入れた。駐車場を出て、豊平川の堤防の上に作られた道路をひた走ると、去りゆく夏を象徴するが如く、早い夕暮れが札幌の町並みを覆いつつあった。
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当日の捜査を終えたので、西田と吉村は一度道警本部に戻り、遠山刑事部長にまず報告した後、遠軽の沢井課長にも電話で報告をした。佐田が証文を2枚持っていたこと、伊坂太助と大吉を同一人物だと勘付いた経緯と共に、当然、佐田の死因がほぼ突き止められたことも2人の話題の中心となった。
「しかし、科捜研がDNA調べることになって良かった。もう一度慎重に骨を調べたのがこういう結果につながってくれた」
「でも柴田さんなら一発目で見つけて欲しかったですけどね。そのまま遺骨返還とかなったら、更に火葬して墓の中なんてことになりかねなかったですよ」
西田は敢えて苦言を呈する形にしたが、勿論よくやってくれたという初期の感想に偽りはなかった。
「問題は、喜多川と篠田に銃を使って殺しが出来たかってのが気にかかる。竹下と小村もそれについて気にしてた」
「それは自分も思いました。ちょっと結びつかないんですよね、あの2人と殺害方法が。心臓近辺にぶち込んでるんですから、至近距離にしてもある程度慣れが必要だと思います。あくまで今まで出て来た情報としては、2人に銃を扱った経験はないわけですから」
「うむ。だからややこしいことになってくる。基本線としては、喜多川と篠田の2人が殺害の被疑者の筆頭格であるという前提でやってきたわけだからなあ。一応明日、伊坂組へのガサ入れ状請求するつもりだったが……」
「あ? 佐田と伊坂の関係が明らかになったので、伊坂についての捜査で動くんですか? 本人既に仏さんですから、今になって何か出て来ますかねえ……」
「いや、伊坂というより、喜多川と篠田が佐田の殺害に関わっているという前提で、2人が8年前の9月26日、佐田が行方不明になった日に何をやっていたか、勤務状況でも残ってないかと思ってな。まあその二日後程度も含めて調べたいんだ。伊坂についてはアリバイみたいなのがあったから、直接殺害に関与したってことはない以上はな」
「確かにそうでした。えーっと、当時の9月26日は土曜日でしたっけ? 問題は休みじゃなかったかどうか……。ただ、8年前の勤務状況って、仮に伊坂組の方で証拠隠滅していなかったとしても、現在確認する手段があるんですか? 結構厳しいかもしれませんよ」
「そこは言ってくれるな。実際年数という高くてでかい壁があるんだよなあ……。土曜という点については、土曜でも工事中の物件があれば作業していたようだぞ。当時の2人が所属していた建設部土木科は」
沢井も伊坂組周辺の対応の「変化」や経過年数については気にはなっているようだった。そもそも証拠書類が存在していないとすれば、隠滅を図る必要もないわけだから、これは相手の責任には出来ない。
「それぞれの遺族に聞くってのも、正直に答えるかわからないし、かと言ってちゃんと憶えてるとも思えないし、なかなか立証するのは難しいところです」
「やっぱり4年前がリミットだったかな」
沢井の言うことはもっともだったが、4年前には沢井も西田も遠軽にはおらず捜査権限がなかったのだから、言ったところで何も解決しないことに変わりはなかった。
「人数は足りますか? 自分と吉村の2人分減ってますが?」
「刑事課全体でやるよ。ただ、なんとなく西田と話してたらガサ入れするのにためらいが出て来たな」
「いや、でもどうせやるなら時間は早い方がいいに決まってます。予定通り明日請求したらどうですか? 結果を考えている時間自体が無駄でしょう。時間的にガサ入れは明後日になるでしょうけど。なんだったら、明日の夜札幌を夜行で出て、14日の朝には北見まで行けますから。そっちで落ち合ってガサ入れってのでも構いませんよ。今のところ、札幌でやるべきことは済んでると思いますから」
「わかった。取り敢えず令状の請求はすることに決めた。後、西田達の援護が必要かは、明日の昼までには決めるが、多分必要ない。ゆっくり戻ってきて構わんぞ」
「課長がそう言うのなら指示には従いますが……」
西田は不満げな口調にならないように注意した。
「どっちにしても金曜の夜にはそっちに戻ります。特別やることもないので申し訳ないですから」
「わかった。いずれにしても今回の札幌派遣でかなり前進があったから、よくやってくれたと思う」
沢井は西田を労い、2人の会話はそこで終わった。
「結局、伊坂組へのガサ入れは、俺達抜きでやるんですか?」
吉村が電話を終えた西田に確認した。
「ああ、基本的にその方向で」
「仲間はずれみたいでちょっと悔しいですね」
「まあ仕方ない。こっちは札幌に送り出してもらえたんだし、他意はないだろ」
実際課長に何か含むところはなかっただろうが、気分的には何となくすっきりはしなかった。
「どうですか、仕事も一段落つきましたし、気晴らしにすすきので軽く一杯? 中学時代の同級生が店長やってる居酒屋があるんですよ。安くしてくれると思いますよ」
「そんな知り合いがいるのか? そうだな……。じゃあ軽くな。そうなるとだ、借りてる車はここに置いていこう」
西田は吉村の誘いに素直に乗った。捜査が上手く行ったこともあり、多少気持ちに余裕が出来たからだった。
すすきののメインストリートから中程に入った雑居ビルの中に、その店「イヨマンテ」はあった。アイヌの祭事もしくは儀式の1つであるイヨマンテから取ったようだが、別にアイヌ人に店が関係しているわけでもなく、単なる北海道と言えばアイヌと言うイメージから取ったらしい。午後6時の開店間際だっただけに、他に客もなく、早速吉村の知り合いという店長が、奥の座敷席に陣取った2人に挨拶に来た。
「こいつが俺の同級生だった常田って奴です。で、こっちが俺の上司の係長の西田さん」
吉村が友人に西田を紹介した。
「いつも吉村が世話になってるようで。本日はご来店ありがとうございます。ところで、こいつ昔からおっちょこちょいなんで、上司として苦労してらっしゃるんじゃないですか?」
「やっぱりそうか。ホント確かに苦労どころか困ってます。それはそうと、初めまして西田です」
西田は常田に半分本気、半分冗談で挨拶を交わした。吉村は、
「おいおいそりゃないでしょ」
と笑ったが、苦労を掛けられているという程ではないにせよ、当たらずとも遠からずだったことを本人がわかっていたのかどうか……。
「今日は利尻(島)から新鮮なタコ入ってるんで、『タコしゃぶ(たこのしゃぶしゃぶが道内料理で存在する)』サービスさせていただきますよ」
「利尻って言ったらホッケも名産だろ?」
「勿論ホッケも来てるぞ! 丁度今旬なんだ」
「じゃあそれも丸ごと一匹焼いて出してくれ」
吉村は知己ということもあり、遠慮なく店長に要求していた。
午後7時も過ぎると、仕事帰りのサラリーマン風の客がそこそこ入ってきて、店は活況を呈し始めた。西田と吉村は既に1時間近く飲み食いしていたので、少々出来上がりつつあった。遠軽の「湧泉」程ではなかったものの、大衆居酒屋の割になかなかの料理だったこともあり、それでもまだ飽きずに注文を繰り返していた。特に吉村は何故かじゃがいものバター焼きをしつこく注文していた。気に入ったようだ。
「おまえの味覚は子供か?」
西田の半分呆れ、半分苦言のツッコミにも、
「ええ子供で結構です」
と意に介さず、食欲に従って食べ続けていた。そんな様子を見ながら、西田はイカ刺しをつまみにウイスキーを静かに飲んでいた。
※※※※※※※
「しかしよ、おまえのところも仕事取れなくなってんだろ?」
「ああ、税金の無駄遣い批判なんかもあって、公共事業自体が少なくなってきてるし、談合にもうるさくなって来てるからな……。この所マスコミなんかにも叩かれてるんで、自重せざるを得ないとさ。どこの市町村行ってもそんな風潮だ」
「うちも砂川の市庁舎の改築の入札で負けたよ(作者注・砂川の件は小説内の架空の話です)。大手のダンピングも露骨だよな」
2人の横の席に居たベテラン会社員2人のヒソヒソ話が、自然と西田の耳に入ってきた。話から察するに建設関係に勤めているようだった。
「乱橋建設なんかは、国会議員とのコネ使って裏で談合してんだろ?」
「ああ、あそこは露骨だ。道内じゃ大手だしやりたい放題よ」
メガネを掛けた中年の方が、腹立ちまぎれかジョッキをテーブルに音が出るような勢いで置いた。
「やっぱり政界とコネある方が強いよなあ。弱小ゼネコンじゃ勝負にならんよ」
細身の中年の方は焼酎らしきものをチビチビと飲みながら愚痴っていた。
「乱橋に肩入れしてんのは、増川と大島だっけ?」
「確かそうじゃないか」
細身の疑問にメガネが気のない返事をした。
「大島も怒らせたら怖いらしいからねえ。あいつに睨まれたら、会社だろうが役所だろうが終わりだよ。実際開発局(北海道開発局)のダム建設の担当一人飛ばしたらしいからな」
「好き勝手やってるな……」
増川と大島とは、話の流れを聞く限りでは、道内選出国会議員の増川達三と大島海路のことで間違いないと西田は思った。事件に関係した大島は言うまでもないが、増川も道内は勿論、全国でも有力な、与党・民友党の重鎮議員だ。二人共建設関係に強い影響力があった。
「まだ60代の増川はともかく、大島もいつまで議員やってんだろうな。あいつも結構年だろ。80越えてるんじゃなかったか? そろそろ辞めりゃいいのによ」
「辞めないだろー。一度旨味を味わったら、自ら手放すようなことをするのは、聖人かバカのどちらだって。息子もいないし、娘の旦那も官僚かなんかのエリートらしいが選挙に出るような話はないな」
「大島の師事していた海東さんは立派だったみたいだな、その点。おれもガキだったから晩年しか知らんけど。さっさと血縁もない大島に代譲ったという話だし」
「海東さんなあ。海路ってのはその、師匠の「海東 匠」の路線と選挙区を継ぐと言う意味で付けた通称だっけ?」
「あ、あれ本名じゃなかったんだ?」
「知らんかったのか? いや、そもそも苗字の『大島』も選挙上の通名だよ」
2人の会話はいつの間にか大島海路の話にすり替わっていた。それに引きづられるように、西田もいつの間にか聞き耳を立てていた。
「係長は何か頼まないんですか? イカ刺し全部食っちゃったみたいですけど」
吉村が空気を読まずに話しかけてきたので、西田はシッーっと指を立てて口元にやると、吉村は理由はわからないまでも、指示通り黙ってじゃがいもを再び頬張り始めた。中年会社員2人の会話はまだ続いている。
「大島は、海東が所属していた派閥の旧・鳳会の会長だった『大島 憲一』元首相から取ったって話だ。今は箱崎派だが、昔は鳳会だったからね」
「へえ。じゃあ一体本名は何なんだよ?」
「田所 靖」だったかな。
「なんだよ、全然元の名前と関係ないんだな。芸名みたいなもんだな」
メガネの方はそれまでのトーンと違い、嘲笑うかのような態度を見せた。
大島海路の本名が「田所 靖」だということを、しがないサラリーマンの会話から西田は初めて知った。選挙は本名で出る必要はないとは知ってはいたが、大島に対してそういう認識はなかった。
「田所靖と大島海路じゃ全く名前に接点がないな……」
西田はさっきまでは酔いが回りつつあったが、大島の話を聞いている内に、捜査の方へ気が向き始め酔いが醒めてきたのを感じていた。食い気の塊の吉村に対し、
「明日は最後の丸一日使える札幌だ。特にやるべきこともないから、佐田の遺族に捜査状況の説明でも説明しておくべきか」
と語りかけると、
「息子と娘さんは明日はまずいんじゃ?」
と言ったので、
「奥さんだけでも良いだろ?」
と返した。
「別に犯人が捕まったわけでもないから、それで十分ですかね」
「後、沓掛さんにも捜査状況を伝えておくかな。関心あるだろ、あの人は」
「沓掛さんもですか? 律儀ですねえ係長は……」
赤ら顔の吉村は妙にニコニコすると、突然手を上げて店員に呼び、イクラ丼を注文した。
「ここに来てまだ食うのか?」
「締めですよ締め。明日に備えての締め」
うわ言のように繰り返す吉村に釣られたか、吉村の注文を受けて戻ろうとする店員を呼び止めると西田もウニ丼を頼んだ。
「係長も結局食うんじゃないですか!」
酒のせいか絡み気味の吉村に対し、
「締めだよ締め」
と同じ言葉で制して正当化した。
※※※※※※※
9月13日、翌日は遠軽に戻るため、丸一日使える最後の札幌の捜査日となったが、まずは道警本部で南雲に明日帰署することを伝えた。南雲の連絡係としてのこれまでの労を労うと共に、伊坂家遺族との連絡体制を完全に遠軽の捜査本部で引き継ぐことを双方で確認した。そして西署の沓掛へと挨拶がてら状況報告をしに行った。
※※※※※※※
「詳しいことは知らないが、ちょっとした噂では何か進展あったみたいだね?」
2人を迎えながら沓掛が喋りかけてきた。
「既にご存知でしたか。ええ、おかげさまでかなり」
西田は答えた。
沓掛はソファに座るように促すと、
「ほう。それはそれは……」
と言って灰皿をテーブルの上に置きタバコに火を付けた。妙な間が空いたため、切り出しにくくなった西田達の様子を窺っていた沓掛だったが、先に口を開いた。
「で、差し支えなければどんなことがわかったか、教えてもらえるかな? 俺としても気になってるんで、教えられる範囲で構わない」
「それじゃあ、出来る範囲で。まず遺族の元にあった資料といいますか手紙といいますか……。どうもそれが佐田実が伊坂と接触した原因になっていたようで。そこからちょこちょこと」
「資料、手紙?」
西田の発言を沓掛はすぐには理解できなかったようだ。
「ええ。佐田実の兄が家族に残した手紙があったんですが、それが伊坂の戦前のことについて書かれていたんですよ。伊坂自身について書かれていたというのは、つい先日判明したばかりですけれども」
「あの時には、佐田と伊坂の関係性がはっきりしなかったけど、そうか、判明したんだ。それにしてもそういうものがあったなら、何とか出して欲しかったな……」
沓掛としては、自分が捜査に当たった時に、そういう証拠資料が出てこなかったことが不満だったようだ。
「沓掛さん、それが出て来たのは4年前だそうです。遺族が4年前に気づいて警察に報告していたようです」
吉村が詳細を説明した。
「あ、そうなんだ? じゃあ既に捜査から外れていた自分達としてはどうしようもないわ……。なんだか刑事部長が昔の捜査について怒ってるとかいう話がこっちにも聞こえてきたんで、そういうのが理由となってるなら、こっちとしても言いたいことがあると思ってたんだがね」
「刑事部長が怒り狂ってるのは4年前の北見方面本部についてですよ。その時は沓掛さんは居なかったんでしょ?」
「うん、俺は既に道警本部に戻ってきてたからね。そうなると知らぬ存ぜぬ、責任なんか取りようがないよな……」
沓掛は西田の言葉を聞くと、安心したかのように、深くタバコの煙を吐いた。
「それから、佐田の死因らしきものも新たに判明しました。こっちは自分達の捜査とは無関係に、北見方面本部が調べあげたものですが」
「死因がわかった? その話はこっちには伝わってきてないな」
沓掛は前のめりになってタバコを口から離した。
「ええ。おそらく射殺です」
「射殺?」
驚きを隠し切れないまま、タバコを灰皿に押し付けると、
「銃の種類は?」
と早口で質問してきた。
「そこまではまだはっきりとはしてません。考えられる銃弾の種類からはおそらく拳銃じゃないかという話ですが……」
「銃弾が見つかったの?」
「いや、銃弾は見つかってません。ただ、佐田の遺骨の肋骨の部分から、銃弾が擦った痕が調査の結果新たに見つかりまして、そこから銃弾の外装と思われる金属粉が検出されたようです。まあその種類から言うと拳銃かなと言う話ですね」
西田の回答を全て聞き終えると、
「拳銃ねえ。一応は堅気だった奴が使うかなあ……」
と灰皿のタバコを再び咥えた。
「沓掛さんもそう思いますか? 実は自分達も若干ですが疑問があるんです。特に我々が想定している被疑者に、表向き銃の経験がないようなんですよ。ちょっとイメージが湧かないんです」
吉村が西田の意見を代弁した。それを聞いてウンウンと沓掛は頷きながら、
「前来た時に、伊坂組に関係している暴力団を洗ったって話したよね?」
と話を振ってきた。
「ええ、聞きました。双龍会でしたっけ?」
西田はすぐに反応した。
「そう。双龍会。そして拳銃。気になるな……」
「しかし、当時の捜査では事件との関係性は浮かばなかったんですよね?」
「勿論。それについては自信を持っている。いや持っていたというべきかな……。あら……、何か嫌な予感がしてきたぞ。もしそんなことがなれば、今度こそ部長の怒りはこっちに向くな」
西田にニヤリとした顔付きを見せた沓掛だったが、若干引き攣っていたようにも西田には映った。
※※※※※※※
沓掛に報告を終えた後昼食を摂り、二人は午後から約束をした明子の元を訪れた。先日よりも豪華な茶菓子、否、ケーキも出されたテーブルを挟んで、老婦人と対峙した西田と吉村だった。
「先日のこの手紙と証文のおかげで、捜査が一気に進みました。感謝してもし足りません」
「いえいえ、こちらこそ、西田さんや吉村さんにはお世話になりっぱなしで。色々判る度に連絡していただいて」
「いやいやとんでもない。警察としては4年前に奥さん達が警察にこれを提出した時点で、率直に申しまして、捜査のしようがあったと考えられます。結果的に見ればミスと言われても仕方ない」
ここまで黙って聞いていた吉村は、驚いた表情を見せた。警察関係者である以上、身内のミスは認めないというのが、ある意味常識だからだ。無論、吉村は勿論、西田もそれが「真っ当」だと考えていた訳ではないが、組織上の常識からすると、外れた言動だったことは否めない。西田も正直なところ、「ここまで言っていいのか」と内心思っていたことは事実だったが、自然に口が動いていた。
「それにしても、この手紙に出て来た伊坂太助が、まさに伊坂大吉だったとは、我々も想像すらしていませんでした。ご主人の実さんは、ここはあくまで私共の推測ですが、購読されていた『財界北海道』に載っていた伊坂大吉の写真の特徴と、伊坂太助について徹さんが記述されていた特徴とが一致したので、太助と大吉が同一人物ではないかと考えたと思われます。そして伊坂に資金の融通を求めて接触したのではないか、そういうことだと考えています」
「……主人は、そんなヤクザまがいのことをする人ではなかったのですが、貧すれば鈍するということなんでしょうねえ……」
明子は西田の「遠回し」での説に、前回は直接語りかけられた訳でもなかったせいか、ある意味反応しなかったが、今回は落胆を隠さなかった。ただ、西田の考えを否定もしなかった。冷静な判断をする女性だと、吉村は傍から見ていて思った。
「勿論あくまで現時点での推測です」
「でも、信じたくない気持ちはありますが、私もそうじゃないかと思います」
西田は、どう夫人に言葉を掛けて良いかわからなかったので、それに対して何か言うこともなく黙った。
そんな中、
「あー、すいません、ちょっとトイレ貸していただけますか?」
突然吉村が気不味そうに声を上げた。
「ええ、部屋を出て、右手の階段のところの奥ですよ」
吉村は席を立つと、イソイソと部屋を出て行った。
「ホントすみません。昼飯の時に烏龍茶を飲み過ぎたかと」
西田は申し訳無さそうに笑って誤魔化したが、明子は涼しげに笑うのみだった。
西田は再び黙り、紅茶を飲みながらしばらくすると、部屋の外から吉村の軽い叫び声がした。西田と明子はそれを聞いて、部屋の外へ様子を見に行くと、本が廊下に散らばっていた。
「ああ、ごめんなさいね」
明子はそう言うと、散らばった本を片付け始めた。西田と吉村も手伝う。
「主人のことが一段落ついたものですから、今までずっとそのままにしていた、2階の主人の書斎をリフォームして、私の趣味の絵画のアトリエにしようかと思いましてね。それで取り敢えず書斎にあった本を下に下したんですよ。ただ、ちゃんと縛らずに積んでいたものですから、吉村さんにはご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、ウチの吉村の不注意ですから。スイマセン」
西田の謝罪と同時に吉村も何度も頭を下げた。
「それにしても、実さんは、たくさん本を持ってらっしゃったんですね」
西田は本を手に取りながら会話した。
「ええ、割と硬軟問わず本はよく読んでました」
「小説や経済書なんかが多いですが、姓名判断とか名前の付け方とか、そんな内容の本も多いですね。アイヌ語の辞典なんてのもあるなあ」
吉村も口を挟んだ。
「主人もそうですが、義理の父が名前とかそういうのに興味があった人らしく、主人もそういう趣味を受け継いだようですね。義理の兄が「譲」「徹」、主人が「実」なのも、父が「男は一文字」という信念から付けられたようですよ。それを踏襲して、息子が「翔」になったんです」
なるほど確かに佐田家の男子は皆一文字だった。
「そういうのに凝っていたものですから、知人なんかにお子さんが生まれると、結構アドバイスしたりしてね。聞いてくる人ならともかく、聞いてもいない人に口を出すものですから、私もよく『やめてください』とやんわり注意したんですが、いつまで経っても余計なお世話を焼いてました」
明子は遠い目をして懐かしんでいるようだった。
「そういう方だったんですか」
西田も優しい気持ちになって話を合わせた。
「そうなんですよ。あと初対面の方と話す時も、相手の名前を聞いて色々会話を広げていくというのが、主人の会話術の1つだったみたいです。私も知人の紹介で初めて会った時に姓名判断から会話が始まりました」
「そんなこともあったんですか」
吉村も、明子と実の馴れ初めや幸せだった日々を回顧するのを聞いて、自然と笑顔になっていた。
「でもアイヌ語なんて興味があったような記憶はないんですけど、一体辞典は何時買ったんでしょうねえ。整理している時に見て不思議に思いましたよ」
そう言う明子に、辞典をパラパラと見ていた吉村が、
「あ、ここにこれを購入した時のレシートが挟まってましたよ。栞代わりにしたんでしょう」
と開いた辞典からレシートを取ると、明子と西田に見せた。確かにレシートにはアイヌ語辞典の商品名である「新解・アイヌ語辞典」と購入した店名、日付が入っていた。
「87年の8月20日ですか……。亡くなる1ヶ月程前ですね。何でこんなものを買ったんでしょう」
明子の表情は、それを手にとって見ると若干暗くなった。
「まあ幾ら夫婦でも、相手のあらゆることを知り尽くすってのは無理がありますよ。どんなに夫婦仲が良くても……」
西田は相手より遥かに「若輩」とは言え、敢えて自分の結婚生活での経験から慰めた。
「まあそれもそうですね」
明子も気を取り直したようだ。レシートを返すと、吉村はそれを元の場所に挟んで辞典を積み上げた。ただ、さすがに3人掛かりであれば、散乱していた本の山はすぐに元通りに片付く訳で、明子の昔話もそれほど長くならずに応接間へと戻った。部屋に戻ると、西田は気乗りはしなかったが、事件についての話に話題を変えることを選択した。必要なことはやはり伝えなくてはならない。
「それでですね、これについては初めてお伝えするんですが、実さんの死因がどうも、銃撃されたのではないかと……」
これまたストレートに言いづらい話題となり、さすがに言葉に詰まった。
「撃たれたということですか?」
「まあおそらくそういうことです」
「そうですか。ショックはショックですが、殺されたことに変わりはありませんからね」
気丈に振る舞った。
「勿論、そのことで何かが変わるという程ではないと思いたいんですが、少々、我々の想定していたことと齟齬と言いますか違いが生じまして、もしかすると捜査に影響が出てしまうかもしれません。そうならないことを祈っていますが」
「どういうことでしょうか?」
「犯人の可能性があると思っている複数の人物と、実さんへの危害の加え方に違和感と言いますか、結びつきづらい部分があるということです」
「はあ……」
ため息を吐いた明子に、西田は慰めるように補足した。
「あくまで、ちょっとした違和感ですから。可能性が高いことに変わりはありません。それに万が一、違和感が当たったとしても、現時点で想定している被疑者といいますか、容疑者は、先日も話させていただいたように起訴不可能な状態ですから、むしろ真犯人が起訴出来る状況にあるのなら、反って良いことかもしれません」
「なるほど、そういう考え方も出来るんですね」
明子は少しは明るくなったようで、吉村も安心したか、ケーキに再び口を付けた。
「それで、我々は明日札幌を発ちまして、一度遠軽に戻って捜査続行という形になるかと思っています。勿論、捜査状況に進展ありましたら、私どもからまた、明子さんの方に連絡差し上げることもあるかと思います。場合によっては、直接こちらにお話を伺うために再訪ということもあるかもしれません。まだまだご協力いただくことがあるかと思います。その点よろしくお願いいたします」
西田はそう言うと頭を下げた。吉村も食べながらだったが、慌てたように合わせた。
「こちらこそ、最後までよろしくお願い致します。さあ、西田さんもお嫌いでなければ、ケーキ召し上がってください」
明子に言われてようやく西田もケーキに手を付けた。先に食べていた吉村を横目で睨みつけながらではあったが……。
吉村は相変わらずの早食いで、さっさと食べ終わり紅茶を飲んでいたが、思い出したように明子に尋ねた。
「あのー、そう言えば、佐田さんが遠軽の旅館に、失踪する1ヶ月ぐらい前に宿泊していたことが、遠軽駅や生田原駅でチラシを配ったことで判明したという話を前回伺いましたが、その旅館名わかりますか? ウチとしても調べておいた方がいいかと思うんで」
先程は不躾な態度に呆れた西田だったが、この吉村の言動は評価せざるを得なかった。前回は重大な「発見」に驚くばかりで、この話をされたことをおろそかにしていたからだ。家族の4年前の2つの文書の発見が、警察に相手にされなかったことで、結果的に自主的な調査をした唯一の成果だったという話だった。
「はい、ちょっと待って下さいね。確かシノなんとか旅館とか言う名前だったと思いますが、物忘れが最近歳のせいか酷くなりまして、確信が持てないのでメモを探してきます」
明子はそう言うと立ち上がって奥の方へ行こうとしたので、西田は呼び止めると、
「そういえば、チラシやポスターは、詳細には何時遠軽駅や生田原駅に?」
と尋ねた。
「手紙が金庫から見つかったのが1991年の11月頃で、警察に連絡して……。もう師走にはなっていたように思います。既に雪が積もっていました」
「そうですか。わかりました。以前聞きそびれていたので。邪魔してすいません。どうぞ」
西田に促されると、明子は部屋を出て行った。
「しかし、チラシの件よく憶えてたな。俺はうっかりしてた」
西田に褒められると、
「いやずっと気になってたんで」
と吉村は素っ気なく答えた。
「ありました。ここです」
戻ってきた明子の手にはメモ用紙が握られていた。それを見せてもらうと、「旅館志野山」とあった。
「シノと付くからもしかしたらと思ったけど、やっぱりあそこか!」
吉村は驚きという程ではなかったが、高い声を出した。吉村の話では、丁度、大将の「湧泉」のある場所と割と近いところにある、宿泊施設としては場末感のあるところに所在している旅館ということだった。ただ、吉村の中ではそれなりに古い旅館だというイメージはあったようだ。
「よく知ってるのか?」
西田に聞かれた吉村は、
「大将の店の近くにあるのは知ってますが、よく知っていると言う程では……」
と答えた。
「ふーん、遠軽に戻ったら、時間があれば聴取しに行こうか」
「そうですね。聞いて損はないでしょうから」
吉村は同意した。




