明暗6 (39~40 沓掛から聴取)
同日午後3時、札幌西署の刑事課に西田と吉村は居た。本部で打ち合わせが済んだ後、沓掛に電話したところ職場で話そうということだったので、遅めの昼食をちょっと寄り道して、札幌卸売市場の場外市場内にある食堂で済ませた後だった。ただ、遠軽で食べる海鮮もオホーツクでの取れたて素材が入るので、わざわざ寄る必要はなかったと二人共思っていた。そして、2人の前に現れた沓掛は南雲よりおそらく年配だろうが、見た目は若々しかった。
「あの事件を蒸し返して遺体を見つけるとは、なかなかやるね。知ってると思うが、8年前には事実上お宮入りしてたから」
「大体の話は聞いてるんですが、捜査に制限を設けられたら厳しいのは当然だと思いますが……」
沓掛の賛辞が社交辞令か本音かは判らなかったが、西田は謙遜も兼ねて当時の「事情」の話に持っていった。
「まあね……。勿論決定的な証拠があれば、それは覆せたんだろうけど、なかなか尻尾掴めなくて。佐田が行方不明になった時に伊坂の行動が割とはっきりとしてたんで、アリバイに近いものがあってね。当然、誰かにやらせたんだろうという推測はしていたんだが、それについても掴めなかった。まあ、なんだかんだ言って甘かったんだと思うよ、こっちの捜査もね……。伊坂組自体が北見で力持ってたってこともあって、なかなか情報が周辺から出てこなくて。それを出させなかったこちらの力量不足は否定出来んが」
明らかに未だに悔いているように見えた。
「それにしてもよく見つけたなと思う。詳しい話は聞いてないんで、こっちこそ、そこら辺詳しく聞かせてもらいたいぐらいだ」
気を取り直した様に笑顔で尋ねてきた。
「別の殺人事件の遺体が近くで発見されていたんです。そこからウチの仲間が、それと佐田の失踪とが関係してるんじゃないかと言う推理をしたんです。その殺人事件の被疑者が伊坂組の社員で、佐田の失踪後に昇進していたんですが、別の殺人事件を詳しく捜査していく過程で、やはり佐田の遺体が出て来ました。佐田の失踪の件が伊坂組と絡んでいたという話は、それ以前に、当時の捜査関係者から直接聞いていたもんですから、その話を前提にした推理の成果でした。詳しく話すとキリがないぐらい複雑なんで、上手く説明出来ないのが残念ですが」
西田自身、相手に伝わったかかなり疑問な説明に不甲斐ないものがあった。
「ああ、伊坂組の絡みで持っていたんだ。で、その捜査関係者っていうのは?」
それでも沓掛は理解したのか、はたまたよくわからないまま話を進めようとしたのかは不明だが、話の先を急かした。
「向坂と言う刑事ですけど、ご存じですか?」
すると、間髪入れずに、
「向坂さんか! 懐かしいな。俺の方が役職は上だったが、刑事としての経験はあちらの方が上でね。色々教えてもらったよ。そうか、あの人が教えてくれたんだ……。確かにあの時相当悔しがってたからなあ。俺なんかよりよっぽどだったよ。なるほどね……」
少々声のトーンを上げて喋ると、沓掛はタバコを取り出し火を付けた。
「いきなりでなんですが、国会議員の大島海路から圧力掛かったそうですね?」
吉村がタイミングを計って本題に入った。
「うん、そう……。勿論自分が直接圧力受けた訳じゃないが、道警本部を通じて色々あった……。形式上は道警本部の命令だったけど、明らかにおかしいからね。伊坂組が大島の有力な後援者ってこともわかってたから、そういう話になった時にはついに来たかとは思ったが」
「当時、伊坂組の方は調べなかったんですか?」
「建設会社だから、当然のことながら『ヤクザ』との繋がりが多少はあった。伊坂組自体はヤクザのフロント企業でもなんでもないが、下請けなんかの絡みでどうしてもそっちと付き合いが出来るからな。どっちかというとそっちを中心に当たってたんだ。今となっては初動ミスなのかなあ。でもまさか、伊坂の所の職員自体が絡んでるとは思いもしなかったな、当時は……。今から知ったところで後の祭りって奴だが」
質問に真摯に答える沓掛は、エリートコースの刑事ながら、割と率直にミスを認める珍しいタイプだなと西田は思った。
「逆に言えば、如何にもありがちなヤクザより、自分のところの人間を使ったってことなのかもしれませんね」
「時間があればそっちに目が向くこともあったかも知れないが、なかなか難しい部分があるよ正直。で、佐田を殺したホシは死んでるとか言う話をごく最近噂で聞いたんだが、それ本当かい?」
西田の話を受け流す様に、話を別方向へと振る。
「その職員が佐田を殺したかどうかについては、まだ断言は出来ない部分はありますが、おそらくそうでしょう。しかし単独犯ではなく、少なくとも2名居ますので、もう1人はまだ生きてます」
「ほう。そうなんだ。じゃあ立件出来る可能性はまだある?」
「いや、それがまた……」
西田は口を濁した。
「うん?どういうことだ?」
「もう1人の共犯と思われる人物は、さっき話した、今回の発覚のきっかけになった別の殺人事件にも間接的に絡んでると思われる、伊坂組の役員で喜多川という奴なんですが、そいつが取調べ中に意識不明になりまして、現時点でも回復の見通しが立っていないんです」
代わりに答えた吉村の発言を受けて、
「ああ、先月釈明会見やった話か?」
と話に集中しようと思ったか、急にタバコを口から離すと、灰皿の縁に置いた。
「それです。ですから、更に共犯がいるとかじゃないと、立件は難しいかもしれません。現状は立件よりも真相解明を目指すと言ったところです。それもあって、一種の連続殺人にも関わらず、帳場(捜査本部)は現状のところ遠軽署単独態勢です」
「そうか……。伊坂も死んでるんだろ? 8年っていう時間の壁は厳しいか……。俺たちがもっとしっかりしてりゃ、君らに迷惑かけないで済んだんだろうけど。悪かったな」
沓掛は、本音はどうだか知らないが軽く頭を下げた。
「いやいや、沓掛さんにそこまで謝られても逆に困ります」
西田は思わず恐縮していた。
「なるほど、よく考えれば、謝るべき相手は佐田の家族か」
沓掛は溜息を吐きながらそう言うと、置いていたタバコを灰皿に強く押し付けて火を消そうとしていた。次の話題をその場で考えていたのか、過去の捜査に思いを馳せていたのかはともかく、そこから10秒程沈黙が場を支配した。
「札幌に来たのは、メインとしては遺族に面会して話を聞く為だっけ?」
不意に話を再開したので、西田は虚を突かれた形になったが、
「そうですね。それが主な目的です。後は沓掛さんのような、当時の捜査関係者にも話を聞くという目的も付随して……」
と回答した。
「もう会う約束はしたの?」
「ええ、先程道警本部の方で」
灰皿のタバコを見つめていたが、答えた西田の方を一度チラリと見た上で、
「じゃあ申し訳ないが、当時の捜査関係者の一人が、『申し訳ない』と言っていたと伝えてもらいたい」
と静かに言った。
「はい。聴取の時にそう伝えておきます……。それじゃあ沓掛さんも忙しそうだし、これ以上時間取らせても申し訳ないんで、ここらで失礼させていただくということで」
西田は、沓掛の話題が遺族への伝言の依頼に移ったこともあり、これ以上沓掛からは重要な話が出てくることはないと考えていた。
「あ、そう? 大してお構いも、参考になる話も出来ずに申し訳ないな」
西田と吉村が席を立つと、沓掛も立ち上がって、部屋のドアの所まで見送りに付いて来た。
「それじゃ、今日はどうも」
2人が揃って頭を下げた時、
「そうだ! さっきのヤクザの話で今思い出したんだけどさ……。伊坂組は双龍会という北見地区のヤクザと繋がりがある下請け幾つか持ってたんだ。で、87年当時に、やくざ絡みの筋を追ってた際に捜査協力してもらった、北見方面本部のマル暴(暴力団対策課)の奴から、更に数年後……、何時だったかわからんが、5年前よりは最近の話だと思ったなあ……。そいつから聞いたんだが、伊坂が『誰かに脅されたのか、何だか困ってるらしい』という噂が、双龍会の中に広がっていたそうだ。それを聞いた時、ヤクザからそういう噂が流れるということは、その脅された話がもし佐田の失踪の件を原因にしていたとすれば、むしろヤクザ自身は佐田の件に関係なかったのかなと考えたのを思い出したよ。とは言え、だから何だと言われると困るんだがな」
と頭を掻きながら教えてくれた。
「伊坂が脅されていたということが、佐田の件と絡んでるかもってのは沓掛さんの考えですか?」
「そうだ。あくまで俺がそうかもしれないと思ったってこと。あくまで何となくだから根拠はない。一応そんな話もあったよねってレベルの戯言だよ」
西田はその程度のことを言わないでくれという思いもあったが、些細なことでも知らせておいてくれて良かったという思いも同時に抱いた。
改めて二人は礼を言うと、刑事課を後にして西署の建物を出た。
「さて、どうしましょうか? 日曜まで暇ですね」
吉村が、車で西署から出て、すぐ旧国道5号に入った後、道なりに進みながら西田に聞いた。
「そう言えばおまえの実家って西区だったよな?」
「そうです。八軒です。係長の家は中央区でしたよね?」
「ああ。中央区の伏見だ」
「伏見ですか。藻岩山麓の良いところじゃないですか! うらやましいな」
社交辞令かやや大げさに羨ましがった。
「うらやましいたってただのマンションだぞ? おまえのところは一戸建てなんだろ?」
「まあ八軒と伏見じゃ、その違いがあってもねえ。うちは築30年だし。係長のところは最近買ったんですよね? だから単身赴任になったって言ってたじゃないですか。やっぱり羨ましいですよ」
吉村は更に羨ましがったので、強ち本気なのかもしれない。
「そんなもんかねえ。住んでみりゃ大したこと無いけどな」
そうは言っても、内心、文教地区で自然豊富な場所を探して選んだのだから、ある意味吉村の言っていることを意識して購入したのは自明だった。
「ご両親は今家に居るのかな? 居るなら挨拶してこうか」
「いやいや、係長やめてくださいよ! そんな家庭訪問みたいな真似は!」
吉村はかなり焦った言い方だった。まあ上司が家に両親に会いに来るなどというのは、確かに気分が良いものではないだろう。西田も本気で言った訳ではなかったが、その吉村の慌てぶりが面白かった。
「わかったよ。俺もわざわざ部下の両親に好き好んで会いに行く程物好きじゃない。面倒だからこのままウチまで送ってくれ。日曜日に佐田の家族に会いに行く時におまえにウチに迎えに来てもらわないといけないんだから、予行演習にもなるだろ?」
「それもそうですね。ついでに奥さんとお子さんにも会いたいですね」
「おい、さっきの仕返しか! マンション前までで帰ってくれよ」
今度は勝手に逆家庭訪問を持ちかけられたので、西田が少々焦る番だった。
「はいはいわかりましたよ」
吉村はしてやったりという表情をした。
旧国道5号から環状通に入ると、そのまま南下し南9条通りの交差点の手前の赤信号で停止した。「これ旭山公園の方向に曲がります? それとも直進?」
吉村が聞いてきたので、
「伏見って言っても藻岩山麓通り沿いじゃなくて、下の方だ。啓明ターミナルってバスターミナルの近くだ」
と返した。
「ケイメイターミナル?」
「ああ、南11条の交差点で右折」
西田は説明するのが面倒になったので、直接的な形で道を教えた。南11条の交差点で右折すると、住宅街を西田の指示で縫うように進み、中国領事館の傍のマンション前に停車した。
「ここですか。いやあいい立地ですねえ。まさに閑静な住宅街って感じでうらやましいわ……」
運転席からフロントガラスへ頭を近付けて、大袈裟に外を覗き込む様にしながら部下は感嘆した。
「マンションが建つ前はどっかの銀行の社宅だったらしい。バブル崩壊で福利厚生を削らざるを得なくなったんだろう。いわゆるリストラって奴だな。今でもここら辺の社宅を潰してマンションにする話がちらほらあるみたいだ」
「まだまだバブル崩壊の余波は続きますか……」
「そんな話はどうでもいいや。吉村、そこの来客用の駐車場に車駐めろ。茶ぐらいごちそうしてやるよ」
辛気臭い話になりそうだったので、西田は話題を変えようとした。気が変わり、部下をもてなしてやろうという気分になっていたのだ。そして思いがけない西田の言葉に、
「え? いいんですか?」
と吉村は素直に驚いたようだった。
「ああ。カミさんには、もしかしたら部下連れてくるかもって、遠軽出る前に言っておいたから、茶と茶菓子ぐらいは用意してあるだろ」
何だかんだ言いつつも、こうなることを実は遠軽を発つ前から予感していたのだ。
「そりゃ嬉しいな。同級生だったっていう係長の奥さんがどんな人かも見てみたいし、遠慮なく」
吉村が子供のように喜んだのを、上司としてではなく仲間として微笑ましく見ていた。




