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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
明暗
25/223

明暗4 (31~34 遺体発見 西田久しぶりの休息で札幌の家族の元へ)

 8月31日木曜日昼過ぎ。周辺よりすこし小高い「辺境の墓標」の前には、強行犯係といつもの様に、鑑識の松沢と三浦、そして「31日ならなんとか」と都合をつけてくれた、遠軽・弘恩寺の岡田住職に生田原・弘安寺の松野住職という、「外部」の参加者が集っていた。まず、墓から骨壷を取り出す前に、2人の住職による読経による供養がなされた。そして西田が部下に幾つか注意を促した。


「まだ開けてみないとわからないが、おそらく篠田は、最初に佐田が埋められていた場所からここまで、購入した壺に白骨化した佐田の遺体を詰めて持ってきた後、ここに納骨されていた遺骨と、更に混ぜたと思ってる。タコ部屋労働者と無縁仏の遺骨は、いずれも火葬された上で入ってるが、佐田実のは、当然生のままの骨だ。少なくとも、タコ部屋の犠牲者の遺骨の方は、荼毘に付されていたことは篠田は知っていたはずだ。だから、そのまま完全に別にしておくことはしないと思う。万が一、誰かに開けられるようなことがあれば、あくまで、あればだが……、区別が付いて異変を察知される恐れもなくはないからな。結果的に篠田は、タコ部屋労働者の骨と、佐田の骨をごっちゃにしておいた方が良いと考えるはず。問題は、無縁仏3体とも混ぜたかどうかだが、そっちが荼毘に付されていたことは、おそらく篠田は知らなかったと思われるにせよ、全部の骨壷を開けてみれば、明らかにわかるだろうから、開けて確認していれば、結局は同じことをするだろうと思う。だから、きちんと丁寧に火葬されたものとそうでないものを分けていく作業が必要になるだろう。多分、佐田の遺骨もスコップやツルハシなどである程度割られていると思うから、その点は注意してくれ。重要なのは頭部、特に顎の部分だ。特に歯の治療痕なんかがあれば、それが身元確認に繋がる。最近はDNA鑑定みたいなもんも使われるようだが、やはり、まずは歯が重要だ。それから鑑識は、骨壷や篠田が買ってきただろう壺の写真を全部撮って、それぞれの指紋を採ってくれ。篠田の指紋は、以前採ってるから比較できるはずだ。あ、それから、岡田住職! 警察から受け取った無縁仏の骨壷わかりますか?」

西田が一気にまくし立てた後、住職に確認すると、岡田住職は、松野住職が弘安寺から持ってきた帳面を見て、

「当時納骨されたのは、警察から預かった3口の骨壷に、国鉄の方達が集めた遺骨が、骨壷9口の合計12口ですね。3体分の骨壷には、戒名が書いてあったはずです」

と、中身を確かめながら説明した。


「わかりました。こちらに壺を出した後も色々教えてください。それじゃあ、供養も済んだし作業開始だ!」

西田の号令と共に、大きな石棺の上にある石蓋が、吉村、澤田、黒須、大場の4名によって動かされ、捜査員の指紋が付着しないように白い手袋をはめてから、石棺から骨壷が順次運びだされた。


「結構な数があるな」

沢井課長は順次進む作業を見ながら、1、2と数えていた。ブルーシートが敷かれた上に置かれた骨壷、否、一部に普通の壺と思われるものが、全部で16口も出て来た。帳面の納骨された数・12口と篠田が買ってきた壺の数・4口の合計が、出て来た口数と一致した。そして、篠田が買ったと思われる4口の骨壷は、すぐに西田にも特定出来た。いくら形状が似てるとは言え、やはり、骨壷より底から口までの「縦」の形状に丸みがあり、普通の壺という形状を残していたからだ。但し、色あいは確かに白磁の色なので、全体としては、無理すれば骨壷と言えなくもなかった。


「松沢! 骨を中から出す前に、まず全部の写真と指紋採って」

西田の再度の要求通りに、松沢と三浦が作業する。それを見ながら、

「岡田住職! 3口形状が同じで、9口分の他とは違う骨壷がありますが、あれが無縁仏の分ですか?」

と確認する西田に、

「記憶がはっきりとまではないので、簡単に断定は出来ませんが、多分そうだと思います。さっきも言いましたが、叔父が簡単な戒名をそれぞれの骨壷に記入していたのと、骨壷が警察から渡された時点でも、無縁仏の区別として、甲・乙・丙の記入があったと思います。松野住職にも帳面で確認してもらっているので、それと合わせてみれば良いと思います」

と岡田は言った。


 西田は2人の住職とその3つの壺に近づくと、確かに甲・乙・丙と、それぞれ小さく墨らしきもので区別されていることに気が付いた。ただ、「さすがにそれではお気の毒」と、当時の弘安寺住職の岡田総信が、それぞれに戒名を付けたらしいものも、それぞれに墨で記入されていた。甲には「山穏恵豊信士」、乙には「山盛静健信士」、丙には「山来安和信士」とあった。名前もわからない、出自もわからない者に付けたのだから、さすがに、いわゆる院号はなかったが、それなりに考えて付けていたはずだと岡田は語った。松野が持って来ている弘安寺にあった帳面と、それぞれに付けられた戒名も一致していたので、その3つの骨壷は、間違いなく無縁仏のものだったことが最終的にも確認できた。


 そして、鑑識による外観の調査が、16口分全てで終わったので、いよいよ骨壷の中身を確認する作業に入ることになった。まず、4口分の偽骨壷の蓋が開けられた。西田の推理通り、そこには明らかに火葬された骨片が詰められていた。やはり、それ以前に「墓標」に納められていた遺骨と混ぜられてしまったらしい。


「案の定だな……。仕方ないから、シートの上に中身全部出してみて、そこから生の骨がないか、調べていくしか無い」

沢井課長の号令で、若手が骨壷を逆さにて、中身を取り出そうとしたが、岡田住職がそれを制止した。

「皆さんには、お手を煩わせて申し訳ないが、ふるって落とす形にすると、仏に申し訳がないので、丁寧に取り出してもらえますかな」

「住職の言う通り、手で中から丁寧に取り出す方法でやってくれ!」

課長もそれを聞いて、改めて指示を出した。このままでは時間が掛かってしまいそうなので、西田も手袋をはめて手伝うことにした。


 皆で手分けして作業し始めると、それほど時間が経たないうちに、

「あ! ありましたね。明らかに火葬されてない骨が幾つか!」

と、シートに取り出された骨を調べていた三浦が声を上げた。全員が覗きこむと、おそらく背骨らしき部分が出て来た。

「時間もそんなになかったはずだから、それほど細かくは砕いてないと思うんだよなあ。とにかく顎の部分を早く見つけたい」

西田はそう言うと、皆は作業に戻った。


 4口分の壺からは結局、生の遺骨は見つかったものの、佐田と睨んでいる骨の「重要」な部分は見つからなかった。残りは最初からあった、「本来の」骨壷に紛れ込ませたとしか思えなかった。当然、最終的には全部調べざるを得ないとは、西田も解かってはいたが……。

「じゃあ残りの分も全部調べるしかないな」

課長も加わって、残り12口分をシートに取り出し分類し始めた。


「これ、頭頂部かな?」

小村が頭蓋骨の一部を手にとって眺めていた。

「焼かれてはいないようだな。とすると多分そうだろ」

竹下が、大場からそれを受け取ると、じっくり見ながらそう言った。間もなく、次々と発見の声が四方から上がった。そして、

「あ、これ下顎じゃないですか!?」

と澤田が立ち上がった。西田も駆け寄って確かめると、それは火葬されていない下顎の一部だった。まともな治療痕もあったので、身元特定に役立つだけでなく、おそらく遺骨の主が、戦前に亡くなった者ではないという意味合いも証明出来るはずだった。つまり、それがタコ部屋労働者のものでもなければ、その後見つかった3体の無縁仏でもないということだ。


 結局2時間程、火葬したものと「生」のものを丁寧に分類した結果、バラバラになっていたとは言え、骨格のほぼ全ての部分を再現出来るまでになった。人里離れた山中で、篠田も当初考えてもいなかっただろう、突如現れた米田青年を殺害するというイレギュラーな事態に発展し、当然焦っていただろうと思われ、佐田実とみられる遺骨の「バラし方」がかなり大雑把だったことも、分類を結果的には楽にしてくれた模様だ。


「これで、佐田の遺体だとすれば、問題なくそれを証明出来そうだ」

松沢は、ブルーシートの上に再現された、ほぼ一体の骨格に満足そうに笑みを浮かべた。

「今回はよくやってくれた!」

課長は、ホッとしていた西田の肩を叩いた。だが、西田にとって見れば、ここまでは冴島骨董で証言を得た時点で、ある意味確信出来た部分だった。問題はここから先だ。それを思うと、余り喜んでもいられなかったせいか、篠田がとった行動を「読み切った」先日の気分と比べれば、浮ついたところは無かったと言って良かった。


一方、そんな課長と西田を横目にしながら、竹下が松沢に

「死因は特定出来るか?」

と話し掛けた。

「おいおい竹下! 多分だが、そいつは無理だと思うぞ。遺骨に傷が付いてるが、それは骨壷に入れるために割った時に付いたものだろうから……。全体から見た状況証拠として、何らかの殺害行為があったという形程度になると思う」

松沢はすぐに否定的見解を述べた。


「後は持ち帰って、北見方面本部の鑑識に任せよう! 判明するまでに、そんなに時間は掛からないはずだ」

課長は、残念そうな竹下を慰めるように語り掛けたが、

北見あっちはあっちで、まだ連続殺しの方が解決してないですから、しばらく掛かるかもしれませんね」

と、小村が水を差す様に疑問を呈した。

「今からそこまで気にしてもしゃあない! 今こっちでやれることはやったんだから、後片付けをちゃんとした上で、戻るだけのこと」

西田の発言に、その場に居た刑事は全員同意すると、遺骨を元々の骨壷と、この捜査のために住職達に持って来てもらった新しい骨壷に戻した。その上で、篠田が冴島骨董店で購入したと思われる壺4口分と、佐田と見られる遺骨を回収して、住職2人と共に現場を去ることになった。


※※※※※※※


 住職をそれぞれの寺に送り届け署に戻ると、遺骨の調査より先に鑑識が取ってきた指紋と篠田のものを照合させた。どうせ遺骨については、北見方面本部の鑑識がきちんと調査するので、余り熱心にしても意味が無いこともあった。一方で、元々の篠田のサンプルの指紋と今回壺から採取した指紋が、それぞれどの指のモノかはっきりしていないこともあり、鑑識での作業の結果は、多少時間を要する可能性があった。その合間を利用して、西田は、まずは壺が篠田の買ったものかどうか確認する為、署に暫定的に持ち帰った壺を1口を持って、一人で冴島骨董店へ再び向かった。


※※※※※※※


「ご主人、先日はどうも!」

暖簾をくぐってドアを開け挨拶をした西田に、カウンターでテレビを見ていた冴島が手を上げた。

「今日は何の用だい?」

「一昨日話した、ご主人が売った壺、これじゃないですかね?」

こちらに持ってくる前に、指紋を採集したので、ある程度拭いたとは言え、ちょっと汚れが目立つ壺を呈示された冴島は、メガネを額の上にずらすと目を細めながらじっと見つめた。


 そして、しばらく眺めると、

「買った人の記憶程確信はないけど、おそらく売ったのはこれだと思うよ。壺の口の周りにちょっとした絵付けがあるべ? それに記憶があるからさ」

とやっと口を開いた。西田も絵付けを確認すると同時に、そういう記憶と一致しているなら、まず問題ないと確信出来た。


「それにしても、結構汚れてるけど、どんな状態で保管されてたのこの壺? 犯罪に絡んでるんだべ? どっかに捨てられたのかい?」

主人はジロジロと西田を見ながら尋ねてきた。さすがに、骨壷として墓に納められていたとは口が裂けても言えなかったので、

「まあ、あんまり良い状態で扱われてはいなかった様だね……」

と口を濁した。西田の表情から、余り根掘り葉掘り聞くべきではないと察したか、店主は、

「まあ言いたくないなら、それでいいんでないか?」

と西田に告げた上で、

「この壺、警察が必要無くなったらどうなるんだべ?」

と聞いてきた。

「さあ……」

本来の所有者である篠田が、既に死亡しているので、結果的には、篠田の未亡人のモノということになるのかもしれないが、既にあの辺境の墓標に納めたということは、ある意味所有権を放棄しているとも言え、西田自身、どうなるのかわけがわからなくなった。そんな西田を見かねたか、

「要らなくなったら、ウチが単価5000で引きとるよ。悪くないんでねえか? こっちも一度大儲けさせてもらったぐらいだし。そっちもなんも問題ないっしょ?」

と、冗談で上手く話をまとめた。西田は、

「まあ、考えてみるよ」

と愛想笑いしながら返すと、店主に別れを告げ、署にとんぼ返りした。


 署に戻ってから1時間もすると、柴田主任率いる北見方面本部の鑑識連中が、遺骨を引き取りにやって来た。生の骨が出て来た時点で、現場から警察無線で連絡していたので、思ったより早く駆けつけて来たようだ。刑事課を訪れた柴田主任は、

「おい! おまえら、まーた余計な仕事を持って来てくれたな!」

と、悪態と取られても仕方ない「祝福」の言葉を掛けてきた。西田も慣れたもので、

「忙しいみたいなんで、遠軽署からの陣中見舞いです。心して受け取ってください」

と不謹慎な冗談で返してみせた。


 柴田はそれを聞いて、大声で笑いながら西田に近付き、

「それにしても、例の佐田の遺体の可能性が高いんだろ? これは冗談抜きに褒め言葉だが、よくもまあ見つけたもんだな……。今回の遠軽の一連の捜査能力には、北見方面本部うちも驚いてるぞ」

と、小声で褒めながらも肘で小突いてきた。その後すぐ、柴田達と共に鑑識の部屋に西田は向かうと、松沢がそれぞれに応対し、

「指紋はもうちょっと掛かりそうかな。柴田さん、遺骨はこっちです」

と「一行」を案内した。刑事課に戻っても、どうせ捜査報告書書きに参加させられるので、西田は柴田達について遺骨を見に安置室に入った。すると柴田は、

「おまえは現場で見たんだろ? 邪魔だ」

と嫌味を言ってきたが、西田は一向に構わず居座った。無視される形になった柴田も、それに一々反応することもなく遺骨を確認すると、

「おお! 本当にかなりの量の骨だな。それに、話に聞いて想像していたよりは、それ程砕かれてないな。復元となると、多少手間は掛かるかもしれないが、完璧を目指さなければ、それほど大変な作業でもないと思うぞ。これが佐田なら間違いなく身元はわかるよ」

とすぐに上機嫌になった。


「ところで、死因の方はやっぱりわかりませんかね?」

松沢から竹下が事前に宣告されていたとは言え、西田は柴田に一応聞いてみた。

「壺に入れるために割られたって、来る前に聞いてたが、それほど損傷してない一方で、やはり割ったその時の傷か殺害の時の傷か、はっきり区別が付きづらいんだわ……。当然、死因が骨にまで影響を与える物理的衝撃である場合だけどな。だけど死体遺棄してんだから、当然殺人容疑で捜査本部ちょうば立つだろ?」

柴田は松沢とこれまた同様のことを言った。まあ2人とも持ち場は違うが、鑑識のプロなのだから、結論が同じなのは当然と言えば当然である。


「捜査本部ねえ……。立つのは当然ですが、遠軽署単独なら捜査本部の意味がないですよね」

少々諦め気味の言い方をした西田に、

「よく考えたら、道警本部ほんしゃから北見方面(本部)が外されたぐらいだから、連続殺人案件になったとは言え、やっぱり無理かね?」

と尋ねてきた。

「いやね柴田さん……。それもあるけど、やっぱり喜多川が意識不明、篠田と伊坂が死んでるとなると、立件まで行くのが難しいと思うんじゃないかな、道警本部が。そうなると、人手が足りてない他の捜査のこともあるし……」

柴田は西田の不安を聞くと、それに一定の理解を示した。その上で、

「だけど、ここまでおまえら自身がやってきたんだから、もし応援が来なくても、何とかなるんじゃないか? むしろ、遠軽署単独でやっていたほうが上手く行くような気がするんだよなあ。今のオンナ殺しの方も『ウチ』が関わっても上手く行ってないぐらいだから」

と、自虐も交えつつ励ましてくれた。


「でも、今回の北見方面本部の倉野さんやら大友さんやら、こっちの意見も通してくれるし、応援してもらえるなら、やっぱりそれに越したことはないですよ」

西田は謙遜したが、

「まあな。あいつらは珍しく、上役にしては、それなりに柔軟だし人は出来てるなあ、確かに。ただ、いつまでも遠慮してないで、このヤマ、お前らだけで解決してしまえよ! 仮に立件まで行かなかったとしても、8年前に、北見総出でも発見出来なかった佐田の行方を調べ上げられたとすれば、それでも十分評価してもらえるぞ、札幌の本部にはな!」

柴田は、西田へのアドバイスとも叱咤激励とも区別が付かない話を一通りしてみせた。そして西田の存在など既になかった様に早速手袋をはめて、遺骨を手にとって軽く調べ始めた。口は悪いが、専門職としての腕前は確かな柴田らしい振る舞いに、西田はある意味安心してその様子を見つめていた。


「通常なら2日もありゃ、身元の結論は出るんだが、今のウチの忙しい状況だと、1週間弱掛かるかもしれない。緊急性がないからその点は許してくれよ……。おっと話に夢中で肝心なことを忘れてた」

柴田はハッと気が付いたかのように遺骨に手を合わせた。


※※※※※※※


 その後柴田達が、遺体を北見方面本部に持ち帰り、西田達が書類作成を終えたのが午後8時過ぎだった。篠田の指紋も、あの4口の壺からそれぞれ確認出来た。このことで、間違いなく篠田は、佐田の遺骨を、墓標にあったタコ部屋労働犠牲者の遺骨に混ぜることで隠蔽を企てていたことが証明出来た。篠田は慰霊式で骨壷を触る機会は全くなかったはずだからだ。


 本日の「成果」に満足したこともあり、緊張感から完全に解放されて腹が空いた一同は、ある種の「祝勝会」も兼ねて、課長も交えて「湧泉」に繰り出した。本来ならあり得ない流れだが、捜査も遠軽署単独でやりきっていることで、良く言えば余裕が、悪く言えば緩みがあったかもしれない。


※※※※※※※


「課長さんは、ウチは初めてだべ?」

大将が話しかけると、

「こいつらが噂してたのは聞いてたから、いつか行ってみたいとは思ってたけど」

と答えた。

「ここはいいですよ。美味いし安い」

吉村が太鼓判を押したが、確かにそれに嘘偽りはなかった。


「ちょっとね、繁華街とは方向が違うから、遠軽住みでも知らん人は知らんべな」

大将はビールの栓を抜くと課長のコップに注いだ。

「それでは課長、準備が整ったみたいなんで乾杯の音頭を!」

西田に促されると沢井は、

「じゃあ、今日はお疲れさん! 西田始め皆よくやってくれた。まあこの先どうなるかわからないが、身元が判明したらまた忙しくなると思う。今はその前の一瞬の気休めってことで特別だ。忙しくなった時も頑張ってもらいたい! では乾杯!」

と、割と手短なコメントと共にグラスを宙に掲げた。大将も加えてグラスの当たる音が何度も響いた。


「また別の遺体か何か見つかったのかい?」

刑事達の話を何となく聞いていた大将は、通路側に居た西田に小声で聞いてきた。

「まあ詳しくは言えないんだけど、確かに殺人の捜査に進展があってね」

店内の喧騒の元でもよく聞こえるように耳元で囁いた。

「そうかい……。何だかんだもう2ヶ月以上もずっとやってるんだよな。大変だべ?」

「まあこれが仕事だからね。仕方ないよ……」

「仕方ないか。うん、確かに仕方ないのかもしれないな。そんぐらいの心持ちじゃないとやってられんべな。とにかくストレス解消兼ねて、ドンドン注文してくれよ。そういうことなら、こっちからもお祝い兼ねて、ちょっとはサービスしてやるからさ」

「そいつはありがたいね。と言っても、今日は課長の奢りだから、俺には関係ないけどね! しかし、いつもスマンね。この値段じゃ大して儲けもないでしょ?」

西田は笑いながらそう言ったが、店の負担を考えてちょっと真顔になった。

なんも気にすること無いべさ。こっちは、客が来てもらわんと成り立たないんだから、サービスして当然よ! 客が喜んでる姿が嬉しくて続けてるわけだからさあ」

大将は笑顔でそう言うと、カウンターの中に戻った。


「大将、今日のお薦めは何?」

その様子を見ながら、いつもより気分が良さそうな竹下が尋ねると、

「これだな! 佐呂間さろま(町)で漁師やってる従兄弟が送ってきてくれた活ホタテ! 新鮮だぞ!刺し身とバター焼きでどうだ!」

と言って、「佐呂間漁協」と印字された、発泡スチロールのトロ箱を持ち上げて見せた。

「そいつはいいねえ! 早速頼むわ!」

他のメンバーも口々に叫んだ。


「それとこいつを1杯ずつサービスしよう!」

大将はそう言うと、「錦江湾きんこうわん」とラベルに印字された一升瓶をカウンターにドンと置いた。

「おお! 今日は幻の薩摩焼酎か!」

小村のテンションが高くなった。課長も焼酎には一家言あるタイプなので、手を叩いて喜んでいた。

「じゃあ、あれだ! 前回同様、魯山人の猪口で飲ませてよ!」

そこに吉村が口を挟むと、

「それなら、また新しくコレクションしたのがあるから、そっちで飲ませてやろう!」

と棚から木の小箱を取り出した。そして客席の方へやって来て、それを西田達のテーブルの上に置き、中から猪口を取り出した。


「これだ。どうだ? いいべや!」

大将は自分でもうっとりしながら、それをみんなに見えるようにテーブルに置く。

初めて来た課長も、興味をそそられたか、しげしげと覗きこんでいた。

「課長さんは、魯山人とか焼き物に興味あるのかい?」

課長の態度に大将が尋ねると、

「魯山人自体には詳しくはないが、こういう猪口とか、集めてみたいと思ったことは結構あるね」

と答えた。

「それなら、他にも幾つかあるから見てくれよ」

大将はそう言うと、課長をコレクションが詰まっている棚の前に連れ出し、箱を幾つか取り出して見せていた。


「大将! そんなもんどうでもいいから、早く飲ませてくれよ!」

酔った吉村は言いたい放題だったが、

「今課長さんに見せてるからさ……」

と『虎』をなだめるように言った。西田も追い打ちを掛けるように、

「大将と俺達の大将(つまり沢井)がまだ見てるんだから、ちったあ我慢しろ!」

と軽くたしなめた。


「係長もこんな時まで説教っすか? こんなめでたい日に……。係長のお手柄なんですよ、そもそも!」

「吉村! だからこそ俺のいうことを聞くもんだ」

西田はそう言いつつ、吉村の空になったグラスにビールを注いで、間をつないでやった。その後は、いつものように大将の料理と銘酒に舌鼓を打ちつつ、宴の夜は更けていった。


※※※※※※※


 9月3日。西田は妻の由香、娘の美香と共に札幌の中心部・大通地区にある「丸大デパート」の子供服売り場に居た。日曜の午後ということもあり、かなり混み合っていて、久しぶりに家族サービスしているとは言え、せっかちな中年に片足を入れかけた男としては、我慢の限界になり始めていた。


 8月31日に遺体を回収した後、鑑定結果が出るまでに最悪1週間近くは掛かるという話だったため、課長の計らいで、西田に急遽代替休暇が与えられた。本来であればもっと早く判明するのだが、柴田の言っていた通り、北見方面本部も道警本部も、他の殺人捜査で手が回らなくなっていたからだ。


 当然だが、本来は身元がわからなくても、殺人だと断定された時点で捜査開始が常だ。しかし、今回は死因の特定が困難な状況が予測されたので、遺体が佐田ということがわかるまで、ひとまず様子を見ることになったという、異例の事態のお陰でもあった。いずれにせよ、殺人事件が発覚した直後に休みを与えられることなど、通常ではあり得ないことである点は間違いなかった。


 米田の殺人事件も、未だ未解決のままだったが、その捜査を中断したのは、被疑者である篠田の死により、実質的に立件不可能という状況だからこそ出来た判断だったとも言えた。それらの結果として、勤務日の9月1日の夜、そのまま夜行のオホーツク10号に遠軽駅から乗車し、翌2日土曜日から5日まで札幌の家族と共に過ごせるようになっていたという訳だ。


※※※※※※※


「おい美香! まだ掛かるのか?」

「あなた……。こっちはまだ選んでるんだから……。たまに帰ってきて家族サービスしてるぐらいで、そんなに威張らないでよ!」

西田の苛ついた態度にも不満を隠さない妻を見て、「これはいかん」と思い直して、

「わかったよ……。じゃあ、ちょっと時間潰してくるから、終わったら携帯に電話してくれ」

と告げると、西田はエレベーターに向かった。


 デパートに入る時に、入り口に「北大路魯山人展 和と食の美学を追求した男 9F催事場」という看板があるのを見て、大将の一件もあり、かなり興味をそそられていたのだ。どうせ苛つくぐらいなら、それを見て時間を潰す方が、自分にとっても妻子にとっても、精神衛生上良いことは明白だった。


 9Fでエレベーターを降り、入り口で1000円払うと、西田は色々見て回った。魯山人の作った陶器は勿論、書や篆刻てんこく、漆器、果ては絵画までゆっくりと堪能した。


 美術や文化に特に興味や造詣のある人間ではないが、「湧泉」で、魯山人の作った陶器で酒をたしなんだというこのところの経験が、妙な陶酔感と共に芸術の秋を感じさせた、否、単に錯覚させたのかもしれない。


「北大路魯山人なんて大げさ名前で、どうせペンネームだとは思ったが、苗字の『北大路』の方は、そのまま本名とはな……。北大路欣也の北大路姓は、実際に存在してるんだ」

西田は魯山人の生涯年表をじっくり見ながら思っていた。


※※※※※※※


 北大路魯山人は、1883年(明治16年)に京都において、「北大路 房次郎」として生を受けた。しかしながら、母親の不義の結果として誕生し、父がそれを悲観して自殺したという、かなり複雑な家庭事情を生まれながらに背負っていたという悲劇があった。その後、貧しさから生後すぐに養子に出されるなど、家庭に恵まれない幼少期を過ごした。


 成長後、奉公人を経て、書家を志し上京。書家の弟子になり、書や篆刻てんこくで才能を発揮し始めた。しばらくすると、中国や朝鮮半島に遊学し、帰国してからは、パトロンとなった「河路家」に逗留しながら、芸術に打ち込む日々が始まった。


 一方で、この頃は「福田 大観」の号(名義)で様々な作品を輩出した。尚、福田の姓とは、生後すぐに養子に出されて、たらい回しされた後、6歳で養子に入った家の姓である。後に、魯山人は家督を長男に譲った後、姓を元の「北大路」に戻すことになる。


 それ以降は、多くのパトロンに支えられつつ、魯山人は芸術から食、そしてそれに使用する器まで手を広げていくことになった。


 ただ、終始家庭には恵まれず、度重なる結婚と離婚の繰り返しなど、幼少期に負った家庭環境のトラウマは克服できなかった模様だ。そして、人格的にもやや破綻した面が見られ、それが故に愛された側面もあるが、離れていった人も多いと言われている。


 戦後には、人間国宝の指定すら辞退するという、まさに孤高の文化人であったと言えるだろう。


※※※※※※※


 西田は、魯山人について色々知識を得て、満足しつつ会場を出ると、タイミング良く携帯が鳴った。勿論妻からだった。


「あなた、今終わったわ。それで何処に居るの?」

「やっと終わったか……。居るのは9Fだ。そこで待っててくれ、俺がそっちに行くから。あ、ところで由香は服とか欲しくないのか?」

「え、そりゃ欲しいけど……」

「いいじゃないか買えば! ボーナスの残りあるんだろ?」

「あなたがいいって言うなら、ちょっと気になってる秋物があるのよ」

「なら買えばいい。それから、夕飯はたまには和食でもどうだ?」

「え? 美香は普通のレストランを楽しみにしてるけど」

「いいじゃないか、日本人なんだから! たまには高級な和食でも食べよう」

魯山人に感化されたか、西田は気分的には食通気取りになっていたことを、特に気恥ずかしいとも思わなかった。



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