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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
終章
223/223

最終話

いよいよ最終話となりました。本編(現在は草稿版)の連載から4年と9ヶ月でなんとか完結いたしました。


それはともかく平成最後の年末に、日経とダウが暴落(12月27日はひさしぶりの大反発)基調ですが、暴落と暴騰の繰り返しはリーマンショック渦中でも頻繁に見られたことで、単純に上がったから問題ないとか、そういう次元のこととは違うのはおわかりかと思います。12月28日の本日早朝(日本時間)もダウは今見る限り、物凄い下がり方から上がり方をしているようです。何となくどっかの公金が下げを嫌ってぶっこまれている様な(オイルマネーの可能性もありますが……)


但し、アメリカの実体経済そのものは良好(日本は正直良いとは思いませんが)と言われているので、この下げは、トランプ政権の誕生から投資家が勝手に期待して勝手に呆れた(しかも当初はダウは劇的に下げたにも拘わらず)部分のただの調整とも取れます。


しかし気になるのは、日銀が様々な「異様」とも取れる金融緩和を行ったことで、特に地方銀行の収益構造にここ数年変化が生じていることです。国債の低金利(まあ国債や日銀の金利依存が、正しい収益構造かどうかはまた別の話ですが)などのため、国内不動産投資(融資)や海外証券投資をかなり増やしていると言われています。

https://diamond.jp/articles/-/175942?page=2

https://dot.asahi.com/aera/2018011600076.html?page=3


スルガ銀行で問題になったアパート経営(あの場合は正確にはシェアハウス経営)などへの過剰不適切融資も、地方銀行の不動産融資や投資事業偏重の一形態と思われます。


また、首都圏を中心に地銀も不動産投資(融資)を行っている様ですが、こちらも2020年の東京五輪後に不動産バブル崩壊とも言われています(実際どうなるかの断定は不能)。


一方、ダウ銘柄を初めとした海外証券などを、どの程度の平均価格で地銀が売買しているかわからないので、この程度の下落なら大丈夫なのかもしれませんが、もし売り買いの繰り返しの結果、高値掴みをしていた場合(勿論、「売り」の場合ですら、乱高下していれば結果的に下げ相場でもやられます。リーマンショック時には、売りでやられた人も機関も多数)には、場合によっては損失が大きくなる可能性もあります。


これは最終的に株価が持ち直しても、その時点で実際に売買して損失が発生してしまえば意味がありません(長期保有なら株価変動の過程は評価損以外は計上されないので、余程巨額の評価損以外はそれほど問題にはなりませんが)。この点では、本作の注釈でも触れましたが、特に民営化後のゆうちょ銀行がかなり海外投資しているのも気になります。まあ、トランプ相場はこの2年程度なので、そんなに高値掴みはしていないと思いたい所ですが……。当然、海外投資では為替も問題になり、株安円高となると、更に海外投資での損失は膨らみます。


まして株価と不動産価格はリンクしますから、株価が思ったより落ちれば、当然不動産価格にも影響を及ぼします。特に首都圏のタワマンなどの人気の高額マンション需要は、株で儲けている層とリンクしますから、より密接な関係があるでしょう。既にマンション需要が落ちているという話も耳にします。

https://media.tousee.jp/news/post-10367/


万が一内外の株価に異変が起きれば、地銀は(海外)株式投資と不動産投資のダブルで巨額の損失を計上する可能性(不動産融資なら焦げ付き)があり、1つ2つならともかく、複数地銀に大きな問題が起きれば、場合によっては金融不安を引き起こす恐れも無いとは言えないでしょう。もちろん、メガバンクですら「基礎体力」はともかく、収益構造が地銀と全く違う訳ではないので、それなりの影響は受けかねません。

http://ascii.jp/elem/000/001/591/1591788/


前回のリーマンショックでは、日本の金融セクターはほとんど問題のない中での大不況でしたが、今回もし何かあれば、金融セクターそのものに問題が生じた中での大不況になりかねず、リーマンショック時よりタチの悪い不況という恐れもあります。ま、杞憂であることを祈りますが、既に大不況時にやるべき金融政策を、「風邪気味」の段階で大盤振る舞いしているという問題があります。


抗生物質の無駄な使い過ぎで耐性菌が出来るのと同様、「治療薬の無駄な投与」はいざという時に効き目や打つ手が無くなるという危険性を、どうも「お偉いさん」達は理解していないのか、理解した上で博打を打っているのかわかりませんが……。ましてその治療の仕方が、間違った金融機関の動きを誘発したとすれば、尚更悪質と言えるかもしれません。


 西田は黙祷を終えた後も、しばらく慰霊碑のある丘の上に留まり、周囲をゆっくりと歩きながら色々と思索していた。先程まで居た若者2人は既にこの場を去り、どうやら駅に戻ったらしい。


 あれから13年。日本も世界も短期間ながら激動の時代を経て、いよいよ混迷の時代へと足を踏み入れているのかもしれない。また、この間に2020年の東京五輪開催が決定してもいたが、東日本大震災で被災し、仮設住宅などに避難している人は、未だに17万人を越えているという(2016年3月時点 http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat7/sub-cat7-2/201603_pamphlet.pdf )。


 高橋是清が昭和恐慌の後、緊急対策として大規模な量的金融緩和を財政ファイナンス形式で行い、経済界は一気に復活した(もたらされた為替安が列強のブロック経済化を招き、世界大戦への元凶となったという皮肉があった)が、一般庶民の生活の質は、恐慌中よりはマシだとしても、それ以前よりは落ち、昭和三陸津波や冷害で疲弊した東北は、結局取り残されたままだったことが再現されたとも取れた。そしてそんな中で、大島海路が政治家の遺言として警告した、「景気の回復と一般国民の生活向上が一致しない場合に行き着く先」が現実味を帯び始めた様に、残念ながら西田には思えていた。


 否、正確に言えば、既に高松改革の中でそれは現実化しており、リーマンショックと東日本大震災を経た後のタナベノミクスでも、短いスパンで再現されたと言うべきだったかもしれない。


 これをどう評価するかは、個人の考えや価値観に拠るのかもしれないが、大島海路の警句を前提にすれば、経験したはずの社会的失敗がすぐに繰り返され、真に取り返しの付かない「焼け野原」へと進行しつつあるとも取れた。


 ただ、高松の「自称」改革がもたらした新自由主義は、「精査無き熱狂」の中で進行したが、今度の新自由主義は、「無自覚な白紙委任」の中で着々と進行している様に見えた。言い換えれば現実主義ですらないただの現状追認である。


 一方、警察官としてこのまま退職まで居続けることに、あと1年ですら疑問で耐えられなかったとは言え、一体この先の第2の人生において、自分はどうすれば良いのか、西田は悩み続けて未だに答えは全く出ていない。言わば暗中模索という言葉が当てはまる状況であったが、社会同様、西田も混迷へと足を踏み入れてしまったのかもしれない。そしてこれに絡み、金華駅の最期を看取るという目的には、更に隠れた意味があった。


 金華駅やこの慰霊碑のある丘に来れば、あの水上に会えるのではないか、そんな思いが、金華駅を訪ねようと思い立った1ヶ月前には同時に芽生えていた。そして水上に会いたいと言う切実な願いは、西田の今の悩みと関係していた。


 あの頃と同じ様に、具体的なアドバイスなど必要ではなく、何か背中を押してもらいたい、励ましてもらいたい、そんな藁にもすがる様な思いに、ある意味取り憑かれていたのだ。


 今回訪れた北見で、水上の墓参りをしなかったのは、会えるのであれば「ここしかない」と、西田が賭けたからこそでもあった。それ故、慰霊碑の前での黙祷が終わった後も、水上がひょっとしたら出て来るのではないかと、周囲をウロチョロしていた。


 しかし20分経っても全く何も起こる気配も無く、遠軽へ行くのに西田が乗るべき、午前9時42分発の特別快速「きたみ」号が、金華駅に到着する時間も徐々に迫って来ていた。西田は後ろ髪引かれながらも、仕方なく駅へと戻ることにした。


 階段をゆっくりと下りながら、西田は改めて考え始めた。社会の混沌の中、あらゆる出来事が一瞬の間に消費され、1ヶ月後にはなかったことの様にされる。その傾向は80年代以降も普通に感じられてはいたが、今は更に加速している様に思えた。


 人々は目の前の生活のことで精一杯、手一杯になり、過去を検証という意味で振り返ることも出来ず、懐古主義どころか質の悪いアナクロニズムに陥る側面すら見えた。かと言って先のことも冷静に考える余裕も無く、二進にっち三進さっちも行かないとは、まさにこのことだろう。様々な問題提起もその場限りの盛り上がりで、根本的な解決を見ることも無く消費していくに過ぎない。本当に変えるべきことは何も変わっていない、そんな気がしていた。


 当然だが、西田もその様な流れの中に巻き込まれていないとは間違っても言えなかった。無論組織人としても、社会は勿論、組織を何か明確に改良した成果を出せた訳でもなかった。単に強力な上意下達の組織の下部構成員であるだけではなく、その警察組織で一定の責任ある上層部に居たのだから、言い訳は通用しない。同時に、それに納得出来ない部分があったからこそ、早期退職を決めたのも確かだ。しかし、退職した後のことはハッキリと見えないまま、今、最後の頼みの綱すら掴めずに居た。


 階段を下りた後、国道242号を少し歩き、再び金華駅へと真っ直ぐに向かう横道へと入った。気が付くとやや暗くなっていたので、立ち止まって先程まで晴れていた空を見上げると、今は薄曇りになっていた。とは言え、その程度の天候の変化が、特に何か影響する訳でもなく、また歩き始める。


 振り返ってみれば、敗戦後、奇跡の復興を成し遂げた日本社会に、再び暗雲が立ち込め始めたのは、不動産の下落前に株価がピークを過ぎた1990年からだった。それはやがて明確なバブル崩壊として、1990年代初頭に土地・不動産神話が崩壊した。その後、阪神大震災や新興宗教団体によるテロなどを日本は経験しつつ、数年を経て深刻な金融危機が発生し、いよいよバブル崩壊の本格的悪影響が出始めた。そして、横並び意識の典型と揶揄されることが多かった、日本で長年多くの人々に共有されていた総「中流意識」は、2000年代にはもはや過去のモノとなってしまった。


 更に、原発安全神話も大地震と大津波で崩壊した。ただ、高垣の東西新聞を辞めた原因である、1970年代後半に起きていたという原発事故(作者注・1978年11月2日 福島第一原発3号機日本初の臨海事故。2007年発覚)で、既に半分は崩れていたという方が正確なのかもしれないが……。


 誇張して言うなら、バブル崩壊以降次に頼るべき価値観について誰もが模索しているが、そもそもそんなモノが本当に在るのかすら怪しいのかもしれない。何もかも信じられない世の中で、人は理想も理念も語れず、虚無主義ニヒリズムと言っても良い現状追認に社会は覆われつつある様に思える。この西田がリアルタイムで経験している世相もまた、歴史の1ページなのだとすれば、後世においてどう見られるのだろうか? 西田にはその「空気」が、同時代に生きる者として理解出来るが、時間を経て感じられない人々からすれば、「理解出来ない時代だ」と切り捨てられるかもしれない。無論、その空気が正しいか誤っているかは別の次元の話ではあるが、どうにも正しい様には見えなかった。


 そんなことを考えていると、薄曇りの空から時折、桜の花びらが舞い落ちるが如く、小雪がチラチラと降って来たので、無意識で手袋をはめたままの手の平で受けた。ふと見れば、明らかに真冬の雪と違い、春の訪れを感じさせるフワフワとした淡雪だった。しかし、まだまだ気温が低いのと手袋のせいで全く溶けなかったので、そのまま軽く振り払った。トボトボと駅舎に向かって歩きながら、結局何の成果も得られぬまま金華を去ることになり、思わず「ふぅ……」とため息を吐いて下を向いた。


 その時だった。西田の左斜め前から思いがけない突風が吹き抜け、西田は頬を軽くはたかれた様な錯覚に陥った。一瞬何が起きたかわからず、止まって頬をさすりながら周囲を見渡したが、風は既に止んでおり、周辺の廃屋が視界に入っただけで何も変わりはなかった。

「何だ今のは?」

西田は怪訝そうに顔を歪めつつそう言い掛けたが、直後、雲の切れ間から春の温かい陽が差した瞬間すぐにハッとした表情を浮かべた。そしてしばらく間を置いてから、

「そうか……」

と納得して、2度顔を縦に往復させた。

「それにしても、全くいい歳してそんなことに考えが及ばなかったとは……。俺もケツが青いままだな……。青二才って奴だ……。それはともかく、ありがとうございました」

そう呟き、風が吹いてきた方向に深々と一礼した。その風が、ただの風では無いことに割とすぐに勘付いたことは言うまでもない。だが、何故その風によって、西田の頬が張られたかの如く感じたのかについて理解するには、少し間を置く必要があった。


 確かに、この混沌の時代に、何かわかりやすい「基準」が存在しているとは言い難い。ただ、何時何処であれ、当たり前の様に、人が軽んじられ、非道な扱いを受け、筋の通らないことが大手を振ってまかり通ることが許されるはずはない。それは正義や普遍的な真理などと言う、決して大袈裟なものでは無いかもしれないが、どんな時代でも守るべき価値はあるはずだ。もっと言えば、そう信じる必要がある。


 人々の根底にその信念が無い社会は、短期的に上手く行っている様に見えても、そう長くは持たないだけでなく、最終的に破滅的な結末を迎えかねない。そして西田もまた、そういう当たり前の思いを、あの一連の事件の捜査を経験して以来、改めて強く意識しながら警察官、そして刑事として働いて来た。……否、人としてそうあるべきだと信じて来たのではなかったか? 例えそれが成就しようがしまいが、警察官であれ一般人であれ、どんな立場であれ常に意識を持ち続けることが重要なのではないか? そんな簡単なことに気付かされたとも言えた。ただそれ自体は、あくまで西田がそうありたいと思いながらも、迷いが生じていたことへの、当然の答えでしかなかった。


 西田が本当の意味で風に気付かされたのは、西田自身が誰かに何かを教えられ、伝えられる年齢では、もはや無いということだった。誰かに頼ることなど、本来は許されない世代に既に入っていることにすら、自分で気付いていなかったからこそ、叱責されたのだと思えた。


 そしてそのことは、西田本人があらゆることを教え伝える側に、既に完全に回っているということをも意味していた。これまで西田が伝えられて来たことを後の世代に更に伝え、自身が体験し、自ら考え感じたことを教えていく立場である。同時に西田が第二の人生でこれから果たすべき役割とは、まさにそこにあるのではないか、その答えも大まかには出たと言えた。西田は再び駅舎へ向かって歩き出した。決して速くはないが、しっかりとした歩みで。 


 狭い駅舎の内部には、思っていたより多くの金華駅の最終日を惜しむ鉄道ファンが居た。網走を早朝に発って金華を終着とする普通列車が、午前8時過ぎに着くので、折返しの北見行きに再び飛び乗る、形だけ駅を訪れておくだけで満足するファンはともかく、次の到着列車である特別快速「きたみ」までの待ち時間的に、駅を十分見たいファンにとっては都合の良いこともあり、この時間帯でもファンの人数は多いのだろう。但し、明らかに場違いの西田にとって、そこは相当居心地が悪いだけだった。駅員も居ない無人駅なので、自由往来の小さな改札をすり抜け、薄日は差しているが、小雪が舞うまだ肌寒いホームへと敢えて出た。


 一番ホームから駅舎を見れば、軒天のきてん(作者注・屋根の軒先の天井部分のこと)下に紺地の看板が掲げられており、白い文字で、「常紋トンネル工事殉難者追悼碑 昭和55年11月建立 駅より約300m」と書かれていた。観光資源などという言葉は明らかに不謹慎な表現だが、この金華地区で見るべきものと言えば、あの慰霊碑ぐらいしかないのも確かだ。そしてこの看板も、明日以降は存在意味が完全に無くなってしまうのだろう(作者注・YOUTUBEの鉄道動画で見た所、まだ駅舎と看板は2018年の夏までは残っていることが確認出来ました。 https://www.youtube.com/watch?v=XuEQkVviU74 4分25秒過ぎ)。看板だけならいいが、慰霊碑そのものの存在も、誰かが明確な意図を持って伝えていかない限りは危うい恐れもあった。


 古ぼけたホームには、先程の若者2人組も含む数人の鉄道ファンが居て、何やら熱心に駅舎やホームをカメラで撮影している様だ。今日はこの調子で、普段なら1日に1人乗降すれば良い様な駅も、最後に開業以来おそらく初めて、狂い咲きと言った賑わいを見せるのかもしれない。


 そうやって時間を潰していると、北見方向のカーブの向こうから微かなエンジン音が聞こえてきて、やがて銀色の車体のディーゼルカーがこちらへと向かってくるのがはっきりと見えた。待っていた特別快速「きたみ」に間違いない。駅舎の方からもぞろぞろと人が出てきて、ワンマン運行時の乗車ポイントには人が溢れた。


 石北本線などローカル線の無人駅では、車掌が乗っていないワンマン運転の普通列車に乗る場合、乗降口は運転士の居る側の1つしか開かない方式となっているが、どうやら、旭川まで走る長距離運行の特別快速ですら、車掌が乗務していないらしい。JR北海道の多くの路線で、普通列車には車掌が乗務していない現状は西田でも知っており、ワンマン運転の列車にも何度か乗ったことはあった。だが、運賃以外の別料金が要らないとは言え、特急と遜色ないスピードで、北見と旭川を結ぶ長距離列車ですらワンマン運行をしているとは、さすがにJR北海道の窮状を感じさせた。


 それにしても、これだけ人家の少ない区間が長い路線(特に上川-白滝駅間 36.3キロなど)で、途中で事故など起こした場合、運転士1人で対応出来るのだろうかと西田は思った。まして運転士が怪我などで対応出来なくなった場合、人家すらないヒグマが出没する山中で、乗客が孤立する可能性すらある。道東の様な人口の少ない大自然の中を走る列車で、これでは心もとない。


 列車が到着して1両目のドアが開くと、やはり金華駅の最期を看取りに来た鉄道ファン達が数人下りてきた。彼らが降り切ると、逆に去る鉄道ファン達が乗車し始め、彼らに続き西田も整理券を取って車内に乗り込んだ。事前に調べていた限り、特別快速「きたみ」は列車と言いつつ、通常1両編成のいわゆる単行運転らしいが、春休み期間中の繁忙期の為か今日は2両編成だった(作者注・増結することがあるのは事実ですが、この時実際にそうだったかはわかりません)。そのおかげで、鉄道ファンが多数乗り込んでも、思ったより混んではいなかった。後ろの2両目の方の進行方向右側のボックス席の、更に窓側に陣取ることに簡単に成功した。尚、ボックス席にはもう1人、金華駅から乗車した30代前後の鉄道ファンと思われる青年も座った。


 金華駅との別れを惜しむ為、西田はリュックサックを座席に置いて一度デッキに出た。発車の合図と共に、後部の運転席の窓から、ゆっくりと遠ざかる最期の金華駅と、去り行く特別快速「きたみ」を撮影する鉄道ファンを見つめ続けた西田だった。ただ、カーブに入ってすぐにそれらが見えなくなると、きびすを返して客室に戻りゆっくりと席に着いた。


 本日で消える金華駅と対称的に、明日のダイヤ改正で新函館北斗まで延伸開業する北海道新幹線は、更に札幌まで伸びることが決まっていた。一方、今走っている石北本線は、北見や網走と言ったオホーツク海側の道東主要都市と、札幌や旭川を結ぶ幹線路線であるにも拘わらず、金華駅では飽き足らないとでも言わんばかりに、路線自体が廃止される恐れすらあると報道されていた。


 北海道新幹線開業前から、新青森-新函館北斗間は、120キロ程度の営業距離で既に年間50億近い赤字を見込んでいる(作者注・https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2016/04/post-13.php 2018年にはついに100億円程度の赤字 https://response.jp/article/2018/04/26/309065.html )らしく、年間30億円強の赤字とは言え、公共交通機関としての重要性は遥かに高い石北本線(作者注・https://tabiris.com/archives/jr-hokkaido-11/)を切り捨ててまで必要なものなのか、西田はかなり疑問に感じていた。


 まして、北海道新幹線は札幌まで延伸させても、長大トンネル続きで工費は莫大(作者注・現時点で1兆7000億程 https://railproject.tabiris.com/hokkaido.html )になる上、LCCと呼ばれる格安航空会社まで出て来た飛行機との競争に、時間どころか価格面でも打ち勝てるはずもなく、更に赤字は莫大になるはずだ。まさに土建会社以外には、ほぼ完全に不必要な公共事業で、本来鉄道が必要な方に金が回らないのならば本末転倒であり、北海道を更に歪な札幌一極集中化させるだけではないかとも思えた(作者注・世界的に雪質の良いリゾート地として知られるようになった、ニセコ地区を通るので、料金を考えなければ、海外客を取り込む可能性がゼロだとは思いませんが、その需要増効果は、1日当たりで1000人程度の増加が限界でしょう)。


 北海道新幹線が多少の赤字程度なら、飛行機以外の本州とを結ぶ交通機関の選択肢があることは、決して悪いことではない。しかし、他の選択肢があって利用者が限られる上に、莫大な赤字が出るとなると、旭川まで距離がある上、冬季間に山地越えのある国道では、バスでの代行運転が厳しい石北本線と状況は完全に違うだろう。当然、将来的には高速道路が北見や網走まで延伸(作者注・十勝オホーツク自動車道。旧・ふるさと銀河線と似たような線形を取る)されるのかもしれないが、冬季間は安定した運行はまず無理である。やはり、どうにもおかしな選択が行われようとしていることは自明だ。そもそもこの調子では、北海道新幹線自体が、いずれ大赤字で廃線となる恐れすらある。


 無論、決して少なくない石北本線の赤字をどうするかを考える必要はあるが、常紋トンネルという過去の大きな犠牲を払ってまで作った鉄路も、バランスの悪い政策の結果、100年ちょっとで切り捨てられるという結末が来るのであれば、何とも虚しいものがあった。


 北海道開拓には、単純な開拓目的だけでは無く、対ロシア・ソ連という国防目的があったにせよ、鉄路を作り道路もたくさん作ったが、肝心の産業そのものを育てることを忘れ、(開拓の為に入って来た)地域の人達がそれを利用して最後には出ていったという、北海道だけに限らない全国の地方の惨状の典型例が、特に北海道の地方都市とローカル線の現状なのだろう。


 ただ、西田がボヤいたところで、これだけの赤字であれば、JR北海道の経営状態から考えても、廃線が現実化する可能性は否定出来ない。しかし、石北本線が廃止されるとしても、「明日から無くなります」という一声で、今までの廃線で繰り返された、最終日だけ鉄道ファンで賑わって終わらせる様なことがあって良いはずがない。あれだけの犠牲を払って作った鉄路がどうしてこうなったか、そして「そんなもの」の為に何故多くの人が犠牲になる必要があったのか、あらゆる観点から考え、そして伝えていく必要があるだろう。


 確かに、赤字である以上、「多くの犠牲で出来たからもったいない」とするだけで路線を維持することは、合理的とは言えないのかもしれない(石北本線の公共交通機関としての重要性や必要性は、当然まだあるが)。一方で、犠牲が大きかったことを惜しみ、それに現在の人間が振り回されることを愚とするなら、新しく出来たモノにだけ目を向け、過去にあったことを無かったこととして、そのまま放り出すのも更なる愚だ。そしてその新しく出来たモノですら、始めから維持できるかどうか疑問だと言うなら、もはやどうにもならない馬鹿げた振る舞いと断言するより他無い。


 石北本線をはじめとする北海道の鉄道路線どころか、道路含む各種インフラ設備や田畑や町並みは、多くの自発的開拓者、そして強制されて開拓に従事させられた名も無き人々、生活の糧を奪われたアイヌ、それぞれの汗と涙、場合によっては血であがなわれている。その上に成り立った北海道の広大な大地が再び原野に戻っていく様を、一体現代の自分達はどう考えていけば良いのか。そこまで含め、大きな課題を背負わされた、否、背負っているのだと西田は自覚していた。

 

 そんなことを思っていると、列車のディーゼルエンジンは喘ぎながら峠への曲がりくねったわだちを進み、ふと車窓に人為的に除雪されたと見られる一角が映り込んだ。

「あれが歓和地蔵尊か……」

西田は、JR北海道の現役職員達が、今もタコ部屋労働の犠牲者達を慰霊している場所を見つめた。もし石北本線が廃止されたら、常紋トンネルはじめこの地蔵尊はどういう扱いになるのだろうか? 金華の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」の様に、有志により維持されるのだろうか? それとも辺境の墓標の如く、ほとんど人に知られることもなく、自然の中に埋没していくのだろうか? しかし、列車は深く考える間も無くあっという間に通り過ぎ、すぐに、山峡に「フォーン」という警笛が木霊した。


 そろそろ常紋トンネルに進入するので、それをトンネル内に人が居た場合に知らせる為の警笛だ。常紋信号場(2017年廃止)の、雪害から鉄路を守る大型シェルターを通り過ぎると、もう一度警笛が鳴り響き、いよいよトンネルに突入した。


 この500m程の長さのトンネルとそれに至る区間の難工事で、100名から400名とも言われる死者を出した曰く付きのトンネルは、壁面の蛍光灯が仄暗く照らすだけで、列車は黙々と進むだけだ。一方この光景は、常紋トンネルの恐ろしく悲しい逸話について知っているのであれば、おどろおどろしい怪談や幽霊話を盛り上げるのに一役買っているとも取れる。だが西田にとってはそんなことはもはやどうでも良く、静かに目を閉じ犠牲者にさりげなく黙祷をした。


 数十秒経っただろうか、再び警笛がトンネル内に響いた。そろそろトンネルを通過するので、今度はトンネル外の人に警告する為の警笛だ。西田はそれを聞くと、これまで何度も乗って聞いているのに、あたかもタコ部屋労働の犠牲者への弔砲の様に、初めて思えていた。そして徐に目を開け、再び明るくなった車窓に齧りつく様にして、外の変わり映えしない山深い雪景色を凝視した。


 トンネルを出てから僅かな時間が過ぎた。元々鉄路から奥まった所にあり、そのままでは見えない「辺境の墓標」が、更に雪が積もっているのでよりわかりにくくなっていたが、西田が過去の記憶から「ここだ」と見切った場所を通過した瞬間、今度は目を閉じるだけではなく、はっきりと一礼した上で手を合わせた。ボックス席で同席していた青年が居たが、彼の視線など一切気にせず、西田は5秒程そうしていた。そして突然サッと立ち上がると、小走りに再びデッキへと向かった。


 既に最後尾の運転席からは、カーブで常紋トンネルはおろか辺境の墓標の付近すら見えなくなっていたが、西田は小さく歌い始めた。


やると思えばどこまでやるさ

それが男の魂じゃあないか

義理がすたれば この世は闇だ

なまじ止めるな 「春の雪」


最後の「夜の雨」を時期と天候に合わせて「春の雪」と勝手に言い換えたものの、まさに人生劇場の1番の歌詞を口ずさんでいた。


 今日、大将が待つ遠軽まで向かう時、「辺境の墓標」を通り過ぎる際には、この歌を歌おうと実は最初から心に決めていた。当然、混んでいれば、歌うとしても心の中で歌うことしか出来なかったろうが、幸いこの状況では、無人のデッキなら多少声を出しても、列車の走行音で客室まで聞こえることもないので、小声とは言え口に出して歌うことが出来た。


 警察官、そして刑事として初めてと言ってよい難題に立ち向かい、常紋トンネル工事殉難者追悼碑以上に、警察官人生第2の原点となった辺境の墓標。そしてその捜査の過程で西田がいわれを知って以来、特別な思いを抱く様になった「人生劇場」の1番の歌詞は、その後の警察官人生の苦境において度々西田を勇気付け、「警察官として社会的辺境を作り出さない」と言う使命感を強く思い起こさせる歌詞でもあった。


 しかし、未だに労働者の人権や労働法令無視のブラック企業の存在がニュースになり、それこそタコ部屋労働を彷彿とさせる様な、外国人技能実習制度を悪用して、労働環境の劣悪な状態に、研修生という名のただの外国人労働者を置く輩も跋扈しているという。この現代の平成における日本社会でさえ、直接的な意味での警察が出張る類の犯罪者ではない場合も多いにせよ、悪辣な連中との決別が済んだという訳では決して無いのだ。


 だからこそ、この歌を辺境の墓標に眠る人々への向けとして歌うことは、退職する西田にとって、警察官人生最後に彼らに捧げる感謝と、自分の後を辿る後輩が「新たな犠牲者を生まない様に頑張ってくれるはずですから」と犠牲者に伝える意味での、鎮魂歌レクイエムになると確信していたのだった。


 しかし今の西田にとって、その思いは若干変質していた。金華駅前で「風」に教えられたからだ。警察官であろうが無かろうが、どんな立場であれ、西田が人として取るべき道や態度は変わらないと……。当然、直接の後輩や次世代の人間にも、これまで考えていた以上に働きかけていく必要があるだろう。そしてこれからもこの歌詞は、西田にとっての「指針」であり続け、彼らの様な犠牲者を生み出さない社会を、警察を離れても作り出すという、西田自身にとっても誓いの鎮魂歌なのだと……。


 静かに歌い終わった後、西田はこう呟いた。

「今日は列車内ここからですが、雪が溶けたら、しっかり目の前まで行って参らせてもらいます。退職して暇になるんでね……。そういう訳で、残念ながらその頃には、リタイアしたただの爺さんという身分ですが」

しかしすぐに首を振って、

「違うな……」

と言下に否定した。その上で、

「ああ、ちょっと心得違いをしてました……。残念ながら、リタイアした『賢者』とまではいきませんが、ただの『良き凡人』としてます」

としっかり言い直した。そして西田は、今はもう遥か向こうへと見えなくなった辺境の墓標と常紋トンネルに向けて、警察官人生おそらく最後になるであろう敬礼を決めて見せた。


 その瞬間、列車の前方にエゾ鹿でも居たのだろうか、不意に警笛が「フォーン」と鳴った。その警笛は、今度は西田の今の心境に高らかに木霊するだけではなく、明確に弔砲として認識されていた。


 同時に、この特別快速「きたみ」が遠軽駅に到着した後、ホームに降り立って見る瞰望岩を、西田はこれまでにない程ハッキリと、そしてすっきりと清々しい思いで見ることが出来ると確信していたのだった。

                                      完

                                

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