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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
終章
220/223

終章2 {2単独}(18単独 高松改革の進行)

 西田は慰霊碑のある小高い丘へと上るため、階段を上がっていたが、地元の人或いは有志、はたまたJRの職員の手によるものなのかはわからないが、かなり除雪されており、苦労なく上って行くことが出来た。


 実は慰霊碑のある場所が、冬季間雪に埋もれていないかどうか、北見方面本部勤務時代の伝手つてで、西田は北見署留辺蘂駐在所の職員に事前に確認していた。すると、「雪かきは割としっかりされている」という情報が入ってきていた。つまり西田としては、これは当然の予測出来た状況ではあったが、一応「万が一」に備え、かなりの「重装備」の用意をしていたことも事実であり、同時にそれが奥田の墓参りの際の雪かきでは良い結果をもたらしていたのだ。


 丘に上ると、2人の若い旅行客、つまり金華駅の廃止に伴いやってきた鉄道ファンと思われる若者が慰霊碑の辺りをうろついて、慰霊碑の写真を撮っていた。西田がやって来たのを見て、ややギョッとしている様にも見えたが、さすがに幽霊と勘違いしたというというより、単に人の居ない環境に突然初老の男が現れたせいだろうと理由を察していた。


 西田は2人を気にすることもなく慰霊碑、正確には追悼碑の前に立つと、リュックサックから用意していたワンカップの日本酒を取り出し、開封して碑の根本の方へとパッと撒いた。既に誰かが手向けた供物もあったので、そのままカップごと供えても良かったが、西田はゴミになるのを嫌い、敢えて中身だけ供えたのだった。そして静かに手を合わせ黙祷した。更にこの黙祷の間、西田はこの13年の間に起きた、道警の不祥事以外の世間の出来事の多くを思い返していた。


※※※※※※※


 大島海路は2005年に釧路地裁北見支部で死刑判決を受け、そのまま控訴せずに確定したが、執行される前の2007年に収容されていた札幌拘置支所で病死した。ただ2007年に病死しなかったとしても、大臣経験者の死刑執行命令書に法務大臣が判を押すような事態になったかは、西田から見ても相当疑問であった。


 葵一家の首領ドン・龍川は、あらゆる犯罪の嫌疑で警察側が長期間取り調べていたものの、本人が完全否認していたこともあり、裁判で判決が出る前にこちらも病死していた。結局、紫雲会のビル爆破事件が、龍川の指示によるものだったのかは、西田達も明確な確信を持つだけの材料は得られぬままだった。


 裁判でこそ悪事は認定されなかったが、逮捕して取り調べ出来たことから、大きな意味で法の裁きを受けさせたと言えたのかもしれない。しかし、真実の探求という意味では、大いに不満の残る結果だった。


 大島の秘書・中川も2004年に死刑判決を受け、控訴せず確定し、2008年に札幌刑務所(作者注・札幌と仙台は、拘置所と隣接する刑務所内の施設で死刑執行)で執行された。最期は落ち着いた様子だったと言うが、議員志望だった男が、師である大島の陰謀に巻き込まれ、最期は罪人としてこの世を去ったことは、本人はどう思っていたのだろうか? 不条理と言えばその通りだが、議員を目指す男ならば、大島同様、何が大事なのかということに立ち返るべきだったと言えば、それまでの話でもある。


 北見共立病院銃撃事件の実行犯であった東館は、2005年に地裁による死刑判決を受け、控訴したものの2007年の札幌高裁で棄却された。最終的に本人は上告を諦め刑を受け入れることになった。そして、2014年に札幌刑務所で死刑が執行されていた。


 伊坂政光は、2004年に殺人幇助教唆などの罪で起訴され、懲役10年の判決でそのまま控訴せず確定。西田も仕事の都合で関東まで行った時には、収容されていた千葉刑務所に面会に訪れていたが、模範囚として2012年に早目に出所し、現在は家族と共に北見で暮らしている。


 一方、建設会社銃撃や東館達を直接幇助した坂本と板垣は、2006年の札幌高裁まで争い、最終的に上告が棄却され、共に懲役12年が確定し、現在は坂本が千葉刑務所、板垣が岡山刑務所に収監されている(作者注・初犯で懲役10年以上だと、千葉刑務所か岡山刑務所しか選択肢がないためこの設定)状況が続いていた。


 そして大将こと相田泉は、被害者でもあった伊坂政光の上申書や本人の反省、更に脅し取った金の半分近くは慈善団体へと寄付していたこと、近所の人間や常連客の嘆願書、本人の年齢などを考慮し、2003年に懲役3年だが執行猶予が5年付き、今は無事執行猶予期間を全うしている。そして本日、金華駅から特別快速「きたみ」に乗って遠軽駅で降りた後、西田は湧泉で大将から退職祝いとして料理を振る舞ってもらう約束になっていた。


 一方、2003年以降の世相は目まぐるしい動きを見せていた。


 国際外交面では、アメリカ同時多発テロを発端として、アメリカ政府は「テロとの戦い」と称し、強硬な外交姿勢を鮮明にしていた。挙げ句、イラン・イラク・北朝鮮を大量破壊兵器を有してテロを支援している「悪の枢軸」と名指しした。そしてイラクが大量破壊兵器を保有しテロを計画しているとして、2003年の3月からアメリカ軍やイギリス軍などが軍事攻撃し、独裁者フセイン政権はあっけなく崩壊していたのだった。


 しかしその後イラク国内は、イスラム教のスンニ派とシーア派との対立や部族間対立が激増したこともあり、フセイン時代より治安がむしろ酷く悪化していた。そのことで、正真正銘の本家テロ組織であるアルカイダまでイラクへと入り込んで来て、カオス状態に陥ってしまうという悪循環だった。


 しかも攻撃理由となった大量破壊兵器は結局存在せず、多くのイラク国民が、戦闘終結後に頻発した、フセイン政権残党やイスラム過激派による無差別テロに巻き込まれるだけの、大変後味の悪い結末となった(作者注・アメリカやイギリスが、当時の開戦に至る政治判断について検証・批判したのと比較し、それを支持表明した日本は未だに当時の政治責任を不明瞭にしたまま)。そして今やイスラム国(正式にはISILもしくはISIS)なる巨大な宗教的過激派集団まで生み出し、中東全体の治安悪化をもたらしていた。


 日本も、北朝鮮問題でアメリカに外圧を維持してもらう為、アメリカ政府支持表明の一環として、自衛隊をイラク国内に派遣することとなった。しかしながら、憲法上紛争地域には派遣出来ない為、高松首相が「戦闘状態ではない」としたサマーワ地域に、住民支援を行うことを名目に派遣したが、実態としては戦地に等しい状況だったとも言われている(作者注・実態はほぼ戦闘地域に等しかった 

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3485/1.html )。


 追い打ちを掛ける様に、アメリカはイラク戦争終結後の泥沼化とブッシュ政権のレームダック化で、北朝鮮に構っていられる余裕が無くなり、結局日本は最終的にアメリカ側に梯子を外されるという憂き目に合う(作者注・テロ支援国家指定解除 https://www.newsweekjapan.jp/stories/2009/05/post-143.php )。


 国内に目を向ければ、高松政権は劇場型政治を織り交ぜつつ、様々な新自由主義的政策を導入。派遣法改正や、研究費などを民間資本から独自に調達する必要が生じた大学の独立行政法人化(2002年11月閣議決定後、法案提出・成立・施行を経て、2004年4月より移行)、そして高松の念願である郵政民営化など、「小さな政府」或いは「民営化」を主軸とした政策を推し進めていた。


 特に郵政民営化においては、郵政民営化関連法案が民友党内部の造反で否決後、国民の是非を問うとして衆議院を解散(2005年夏の郵政解散)。「改革の旗手」のイメージをより明確にすることで国民の圧倒的支持を受け、野党・民政党を大敗に追い込むだけではなく、造反議員の元へ「刺客」と呼ばれる民友党推薦の議員を送り込む徹底ぶりで、見事宿願を果たした。


 しかしながら、あれから10年が経ち、今や郵政民営化によって何がどうなったか、もっと言えば何がどう改善したかをまともに語ることが出来る、当時支持した有権者などほとんどいないと言える状況なのは、郵政民営化そのものの功罪以前の問題として、ある種の愚行の証明だった。単に「改革」のイメージのみ先行し、中身すら吟味しないまま熱狂した国民が、戦前同様、歴史上に再び再現されたと言えた。そしてその後の反省・検証すらないことは、戦時中から戦後の流れより、ある意味質たちが悪いとさえ言えるかもしれない(作者注・後述)。


 大学の独立行政法人化も、産学の連携には功を奏しても、「金にならない研究」、特に基礎研究がないがしろにされるという問題を露呈した。この大学の研究費用の削減は、これ以前から続いてはいたが、後の政権交代後の民政党政権含め、確実に日本の研究の裾野を一気に狭めていくこととなり、今現在も連綿と続いていると言う。


 その後高松は、既存の民友党の高齢指導者層を弱体化した上、盤石の体勢を築くことに成功。そして、北朝鮮拉致問題強硬派として国民のイメージが良かった、若手の保守派・田辺に首相の座を禅譲することになる。


 しかし田辺は、年金の未払い問題など、直接本人の政権とは関係ない過去の政権の問題で追い詰められると共に、また経験の浅さから来る発言ミスや、内閣人事での失敗によって参院選で大敗。その後精神面での弱点を見せ体調を崩し、首相の座からあっけなく1年程度で去った。それは所信表明演説直後に退任するという異例の展開でもあった。我が世の春を謳歌した民友党は一転して、首相が短期間に2人変わるなど追い詰められたが、その最期の引き金は、海外から引かれることとなった。


※※※※※※※作者注・後述


 小泉首相による構造改革の本丸たる「郵政民営化」については、様々な目的や効果が期待されたものの、後からの検証はほとんどされぬまま、熱狂の後、国民からも「忘れ去られ」、一体どんなことが起きたのか、ほとんどの人がよくわからないままというのが実情ではないでしょうか(勿論解っている方も居るでしょうが)。


 ここで念の為簡潔に振り返ってみたいと思います。


 尚、この問題を語る前提として、いい加減な運用をしていた特殊法人などへの「財政投融資」への郵便貯金からの預託制度は、2001年の時点で「資金運用部資金法等の一部を改正する法律」で無くなっており、郵政事業で一番問題だった点(但し運用先はリスクは低いが低利の国債などに限定)は、実は既に解消されていたことは、本書の「大島海路の遺言」で既に触れた通りです。


 また、従来郵政省が管轄する事業として行っていた郵政事業(郵便・郵貯・簡保)については、まず2001年に総務省(郵政省と自治省の省庁再編で誕生)の郵政事業庁が管轄することとなり、その後2003年に特殊法人としての日本郵政へと引き継がれています。そしてその後に民営化という形を取りました。


 ※日本郵政は、「2003年(平成15年)4月1日に日本郵政公社法に基づき、政府の全額出資により発足された。同時に同施行法の規定に従い、それまで郵政省の郵政関連部門の後継である郵政事業庁(総務省の外局)が行っていた各郵政事業の事務に関し国が有する権利及び義務、並びに簡易保険福祉事業団の資産および債務を承継した。


 監督する総務省郵政企画管理局は同郵政行政局となった。同時に郵便貯金・簡易生命保険業務に関する検査の一部を日本郵政公社法により金融庁に委任することになった。


 公社の役職員は、法律で国家公務員の身分が与えられ、役員は国家公務員法にいう特別職国家公務員、職員は一般職国家公務員とされた(これは異例であり、本来、公社の役職員は公務員でないことが一般的である)。」

(申し訳ありませんが、「」部分は面倒なのでウィキペディアから全て抜粋させいただきました。当作品でも利用し、信憑性という意味では100%とは言えないウィキペディアですが、事実関係は間違いありません)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%83%B5%E6%94%BF%E5%85%AC%E7%A4%BE



 更に、郵政民営化が小泉首相の悲願であったことは勿論、規制緩和により多額の郵貯預金や簡保の資金が、米国債や米株式市場に流入することをアメリカ側が期待していたという記事(2005年8月26日付ウォール・ストリート・ジャーナル)や、アメリカ政府が郵政民営化準備室と竹中大臣が何度も協議していた件を見ても、アメリカの意向が郵政民営化に強く絡んでいたことは明確な事実と見られます。

https://www.m-kiuchi.com/2009/02/09/kaikakuriken/


 まずこれらを踏まえてから郵政民営化の目的とスタート時点のシステムについて見てみましょう。


●民営化の目的と開始当初の組織構成

1)郵便事業が電子メールなどの普及で立ち行かなくなる可能性が高い。

2)金融サービスに多様性が出て来たので、郵貯をそれに対応出来る様にする必要がある。

3)物流の国際化に対応する必要がある。

4)郵政公社の事業を4つ(窓口サービス、郵便、郵便貯金、簡易保険)の会社に分割することで、多様なサービスが安価に提供される様になる上、各事業の責任や経営努力が明確になる。


これに伴い、窓口サービス事業は「郵便局株式会社」、郵便や荷物などは「郵便事業株式会社」、郵貯は「株式会社ゆうちょ銀行」、簡保は「株式会社かんぽ生命保険」にそれぞれ経営を任せる。


更に各社の全ての株式を持つ持株会社(実態としては郵政公社本体の後釜)として、日本郵政株式会社を設置して、事業全体の経営管理に当たらせると共に、最終的に支配下の各社の株式上場で完全民営化させる。またそれと同時に、日本郵政株式会社本体も株式上場(各事業会社の株式を処分しながら)することで民営化させる。また支配下各社含め、日本郵政グループと総称する。


5)郵政公社は「特殊法人」の為、法人税や法人住民税・事業税などが免除されているので、民間企業化することで負担を明確化し、国庫の増収を図る。

6)多額な郵貯(民営化後は正確には「貯金」)や簡易保険かんぽの資金(郵政民営化当時合計300兆超え)を、安全資産たる国債などへの限定運用から、株式市場などへの運用へと変更し、市場活性化が可能になる。

7)郵政公社の職員たる国家公務員の削減が可能になる。

8)特定郵便局の利権(渡し切り費の問題や、多くが実質的な個人経営店舗であり、国家公務員でありながら、通常の試験採用と違い任用が縁故主義的等)削減。


 これらが民営化の目的と郵政民営化に伴う最初の組織変更の形でした(以下ソース参照)。

A)http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2013pdf/20131101069.pdf


では各項目について、どうなったか軽く見ていきます。


1)はがきなどについては予想が当たったことは明確な事実です。

https://mainichi.jp/articles/20161223/k00/00m/020/068000c

https://www.yuseimineika.go.jp/iinkai/dai158/siryou158_1_2.pdf (20ページ注目)

稼ぎ頭の年賀状についても

http://www.garbagenews.net/archives/2114695.html

という右肩下がりです。


 しかしながら、「ネット通販」の普及(当然これは街の商店や各大型実店舗の衰退を意味しますが)などで、ゆうパックなどの小包系はここ数年増益ですから、「民営化時点」の想定外の出来事と言えるでしょう。

https://www.tsuhannews.jp/52016

http://cargo-news.co.jp/cargo-news-main/978


 これが将来的にどうなるか。通販による荷物の増え過ぎで運送業の人手不足が加速しているので、利益がこれから伸び続ける可能性については疑問ですが、単価で言うと一般郵送物より高く、ネット通信では代替出来ないことから、郵便事業の主力になる可能性があることは間違いないと思われます。いずれにせよ、「民営化」の功罪とは無関係な事象でしょう。


2)これについては、ゆうちょ銀行を既存銀行と同等組織と位置付けるのか、補完的な金融機関と位置付けるかで考え方は分かれるでしょう。ある意味民営化による「既存の民業圧迫」となりかねないので、本末転倒と捉えることも可能になってしまいます(但しゆうちょ銀行は、一般銀行と違い融資業務は出来ない)。


 まして、以前は1000万円という預入限度額があったにも拘わらず、2016年には1300万円(https://www.jp-bank.japanpost.jp/news/2016/news_id001147.html )

更に1600万円へと増額されることまで検討されており(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6305279 )尚更批判が該当しかねないと言えるでしょう。


 この増額の理由として、単にゆうちょ銀行の経営拡大を意図しているのか、「運用額の増強」により、株式や債権市場に資金を流入させて、価格上昇で儲けようとしている「輩」が裏にいるのかはわかりませんが、表裏の目的に関係なく、従来の銀行に対して預金獲得上の圧力となることは間違いないので、民営化の意義の根本を否定するようなものと言えそうです。


3)以下の様なサービス展開をしています

https://www.post.japanpost.jp/int/globallogistics/

が、これが民営化でなくては出来なかったかどうかについては判断の分かれる所でしょう。

個人的には、郵政公社以前の時代からEMSサービス(https://www.post.japanpost.jp/int/ems/ )

はあったので、特に民営化の功績とは言えないと考えておりますが、どの程度郵政公社時代に「業務提携などの自由度」があったかわからないので、断言は避けます。


4)窓口事業と郵便事業の分社化は、初期から様々な混乱を招き、結局両者は統合されて、2012年の10月に郵政民営化法等改正法により日本郵便株式会社(実態は、郵便局株式会社が郵便事業株式会社を吸収合併する形)になってしまいました。


https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/youseikaikaku/dai8/shiryou1.pdf (項目2)



 そもそも、郵政公社の後釜である、グループの持株会社たる日本郵政株式会社は、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険に現状収益の大半を頼っているのが現実です。その構造は民営化前と何ら変わっておりません。

https://vdata.nikkei.com/prj2/jppreport/


5)Aの参議院の総括の8ページ以降に資料がありますので、それと

B)http://report.jbaudit.go.jp/org/h27/ZUIJI6/2015-h27-Z6012-0.htm

会計検査院の調査を元にして言及します。


 このB資料作成当時までの7年半(2007年10月~2015年3月まで)で、日本郵政グループは2兆890億超の法人税等を納税(日本郵政グループの連結損益計算書と、各年度別に同じ年度で見ると納税額に違いがありますが、おそらくその年度中に国庫に実際に納付された金額と損益計算書上の、その決算年度に対する算出法人税額との時差のズレではないかと思われます)しています。


 他にも消費税は5年半(Bの資料に消費税がないのでAの5年半のみ)で2812億円の納税となっています。概算で年間500億円弱の納付額が続いているものと見られます。また、日本郵政グループからの国への配当金は、7年半で2304億円となっています。


 法人税等だけ見れば、年平均2780億円程度なので、配当などを含めた全体での国庫への貢献は、平均で年間3500億円程(全ての年度の金額を把握していないので、あくまで概算)になりそうです。


 一方、郵政公社時代は納税はしていないものの、「積立金の国庫納付について定めた日本郵政公社法第37条の規定」により、民営化前に9625億円を一括納付しています。因みに郵政公社は4年半の存続期間でしたから、こちらは平均して年間2376億程度となるでしょう。


 以上の様に、国庫への貢献金額的に限定して見れば、データで見た期間に限り年平均1000億以上民営化で増加しており、これについては明らかに民営化は「成功」していると断定出来ます。


 但し、納付消費税については2018年に国会の議決で、年間200億円程度を日本郵便株式会社に譲渡することで、郵便局の存続を図るものとしており、

(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31260240R00C18A6EA3000/

https://www.sankei.com/economy/news/180401/ecn1804010004-n1.html )

これ以降法的な理由で年間200億程減ることは確実です。まあ、結局完全民営化とは言っておきながら、郵便局のユニバーサル(全国一律)サービス維持を公言していた為、こうせざるを得なかった(というより個人的には「当然すべき」もの)のは自明であり、この点については仕方ないのと同時に、民営化の意義のマイナスポイントではあるでしょう。


 また上記データ外の年度の税金で言うと、法人税等については2016(平成28)年度(2016年4月~2017年3月)日本郵政グループ(連結)決算において、

(http://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS06651/6391379d/6520/4a36/8823/f16c5535f1cc/140120170512471367.pdf (10ページ)

1550億円程度にかなり低下していますが、2015(平成27)年度は、

(http://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS06651/6979e988/373c/43df/ada5/de36e0faa257/140120160512486909.pdf (12ページ)

2366億円程度ですから、オーストラリアの運輸会社の合併による4000億円程の損失の処理に伴うものです。

https://www.mag2.com/p/money/218326


 尚同様の損失は、郵政民営化後に日通のペリカン便との統合で誕生したJPエクスプレスでも発生しています(1000億程度)。

https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2502S_V20C10A6EE2000/


 この「巨額損失の発生」は民営化故の「失敗」でもありますが、成功する「可能性」も当然あり、民営化だから失敗したというよりは、経営陣の判断ミス(具体的には西室社長)と言うべきであります。当然ながら、「民営化したから経営管理が上手く行く」は結論から言えば「デタラメ」だったということでもあります。


 更に、日本郵政グループ(日本郵政株式会社と支配下の日本郵便株式会社・株式会社ゆうちょ銀行・株式会社かんぽ生命保険)の内、日本郵便株式会社を除く、3社が2015年に株式上場され、完全な意味での民営化が達成されました(この上場の際、日本郵政株式会社が保有していた株式会社ゆうちょ銀行と株式会社かんぽ生命保険の株式も放出されました)。


 株式上場開始から2回で、およそ2.8兆円程の日本郵政株の売却収入が国にあったものと見られます(かなりの金額が東日本大震災の復興財源に当てられました)。日本郵政の政府からの自社株買いも含めて40%程度で2.8兆円ですので、トータルで3分の2までが売却可能と法的に定められていることから、66%強売却出来ると考えれば、最終的には総額で5兆円弱の国庫収入となる可能性が高いかもと思いましたが、その後の株価低迷で先行きはやや不透明になって来ている模様です。


https://vdata.nikkei.com/prj2/jppreport/


 以上の点から見ても、納税と配当なども含めた国庫への貢献度は、郵政民営化で高くなったのは明確に事実です。


 一方で、郵政公社時代には、郵政公社の資本の一部である「利益剰余金」が実質国の持ち分だったと考えると、民営化でそれがすっぽり抜け落ちたことになり、5兆円分が国庫から「喪失した」とも取れます。

https://www.yuseimineika.go.jp/iinkai/dai38/siryou4.pdf (12ページ貸借対照表参照)


 ここをどう捉えるかによっては、かなり見方が変わってくるかもしれません。


6)運用資産の内、国債と地方債については、ゆうちょ銀行が107兆円、かんぽ生命が57兆円程保有しており(https://www.japanpost.jp/ir/library/earnings/past/pdf/03_2016_q1_01.pdf (7ページ以降) 運用資産のうち、現状でもまだ半分超は公債運用ということになります。


 但し、ゆうちょ銀行の保有資産のうち、「その他の証券」と呼ばれる外国証券(ソースの欄外の注釈)を37兆円超も保有しており、これは明確に民営化による保有資産の構成いわゆるポートフォリオの変化の象徴例と見て良いでしょう。

郵政公社時代含むポートフォリオについては

http://report.jbaudit.go.jp/org/h27/ZUIJI6/2015-h27-Z6113-0.htm 

を参照してください


 こうして見るとまさに「外国の為の」民営化という側面も強かったと思われます。


7)これについては、職員が国家公務員待遇だったとは言え、郵政公社は「独立採算制」を既に採用していたので、その従業員が国家公務員から完全な民間労働者になったところで、政府の人件費負担は元々無かったと考えれば、雇用において保護が明確な公務員ではなくなった程度の意味しかないでしょう。財政面で見れば民営化の恩恵は全くありません。


8)街の郵便局たる特定郵便局は、民営化後は郵便局株式会社(後に日本郵便株式会社)に管理されることになりました。そのことで、渡し切り費などの特定郵便局長の利権減らしが可能になったものの、特定郵便局長の実質世襲など、余り変化がない部分も多いようです。



 現状の郵政グループの経営状態や問題点については、

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30536510V10C18A5EE8000/

https://biz-journal.jp/2017/08/post_20066.html

https://matome.naver.jp/odai/2148843818262099601(いわゆる「まとめサイト」でやや偏向がある点は事前に考慮ください)

http://news.livedoor.com/article/detail/15493470/


などがあります。


 総合的に見ると、現状民営化による国庫への貢献はあったものの、郵政民営化が「日本の救世主であるかの様な一大テーマ」化していたリアルタイムの熱狂を思えば、肩透かしを食らったレベルの効果しかなかったと言うのもまた事実かと思われます。そして何より、郵政民営化の目的が一体どこにあったのか、民営化前にあった疑念が解消されていないこともまた事実でしょう。



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