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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
迷信
218/223

迷信8 {8単独}(14~15 合唱)

「そんなことがあったんですか……。ただ、警察官で一線の捜査に関わっている限り、多かれ少なかれ、……特に昔の警察官なら、多くが何かしら経験してることなんじゃないですかね」

竹下は彼らしくもなく、敢えて沢井を慰める言葉を並べた。この場で今更責めてもどうしようもないとわかっていたからこそかもしれないが。

「だからと言って許されることでもない。そしてそれはお前達がよくわかってるからこその現在いまの結果だろう? 何より竹下こそが、そういう思いが人一倍強いはずだと思うがな」

沢井の自省を否定する術は、誰も見出し得なかった。


「ただ95年の一連の捜査で、面倒なことに巻き込まれつつあった捜査状況の中、沢井さんが取った様々な振る舞いを考えれば、その時の後悔が影響していた様にしか思えないんですが」

黒須が重い空気を振り払う言葉を口にすると、

「あの時の俺には、お前達の捜査を陰ながら応援するぐらいしか出来なかったからなあ……。最低限の最低限だ」

と答えた。確かに沢井は積極的とまでは行かなかったが、西田達の圧力に抗おうとした捜査手法をそれなりに応援してくれていたし、自身もある程度の覚悟を持って臨んでいたはずだ。


「そんなことはないですよ。あの時課長として支えてくれなかったら、好き勝手にこっちも動けなかったはずです!」

決して強いリーダーシップを発揮するタイプの上司ではなかったが、刑事課長としての沢井の態度は、警察上層部の顔色をやや窺いつつも、実際に部下が自由に捜査する上で十分に頼りになっていた。西田の発言もそれを踏まえたものだ。

「すまんな気を使わせて……。ただ、もしちょっとでも圧力に屈しない様に、お前達に感じさせられたとしても、水上さんの教えを破ってしまったことに対しては、何の償いにはならんのだ」

沢井は唇を強く噛んだが、話を続ける。

「これは偶然なのかもしれんが、あの中標津署での一件以降、沢井さんから貰った人生劇場のレコードから突然全く音が出なくなってしまった……。最初はレコードの溝にホコリでも入ったかと思ったが無関係で、針やプレイヤーを替えても全く聴けず、原因は未だにわからんし未だに聴けない。かと言って恩人から貰ったモンを処分することも出来ずここまで来てしまった。しかし今、西田から聴いた話を前提にすれば、やはり俺に対する水上さんの怒りが原因としてあったんじゃないかと……。非科学的だがそう思えてならんし、薄々そうじゃないかとずっと考えてたってのもある」


「そんなことまであったんですか……」

沢井の推測した原因は、彼の言う通りどう考えても非科学的だったが、色々あり得ない経験をしてきた西田達に、この期に及んでそれを強く否定出来る理由もなかった。全員がはっきり口にはしないが、元上司の考えを概ねとしていたはずだ。


「それが今年の6月頃だったか、突然棚からそのレコードが落ちてきてな……。ふと、ひょっとすると、今ならまた聴けるんじゃないか、そんな甘い考えが湧いてきて、久し振りにプレイヤーで掛けてみたが、残念ながら相変わらずだった……。夏、西田と吉村に芽室ここのモナカ贈っただろ?」

話に脈絡が無いので2人は困惑したが、確かに芽室町の「めーぷるもなか」が、夏に沢井から陣中見舞兼お中元として送られていた。

「ああ、礼状に書いた通り、部下と共に美味しくいただきました。ありがとうございました」

西田は、無意識且つ機械的に社交辞令を述べた。


「あの時、丁度西田と吉村が、俺が現役時代にやり残した事件で頑張ってるんだから、何か贈ってやろうと考えてる最中だったんだ。結局レコードは聴けないままだったが、水上さんが甘いモノ、特に餡モノの和菓子が大好きで、中でもモナカが好きだったのがふと思い起こされてな……。それで「めーぷるもなか」に決めて贈ることにした。俺が現役の頃、池田署で殺人事件が起きた時も、捜査本部の差し入れにモナカ買って来てくれた。『疲れてる時には甘いモン取らないと駄目だ』って言ってな」

沢井はそう振り返った。


「え? モナカは水上さんの好みが影響してたんですか!?」

西田も吉村も新たな事実に面食らったが、

「ああそうだ。正直、大人の男共相手の贈答品だから、煎餅かあられでもと事前には思ってたが、突然考えを変えたのはそれが理由だ」

と、淡々と当時の決定の理由を暴露した。


 ここで初めて、あのモナカのリーフレットから得たヒントは、ただの偶然ではなかったのだと、西田達から経緯を聞いていた竹下も含めた3名はやっと気付き、

「こりゃ目論見もくろみ通りに動かされたか」

と苦笑いした。言うまでもなく、事情がわからない他のメンバーに、事件の発端とも言えた大将と佐田実の偶然の出会い、そして一連の事件が展開して行った経緯に対する推理の流れをまず説明した。同様に、既にしていた金華駅前での再会における水上のタオル提供話が、桑野と大島の入れ替わりの初期のヒントとしての意味合いがあったことを詳細に説明すると、

「そりゃ間違いなく、沢井さんから西田さん達まで、死んだ人に上手くしてやられただけだな」

と、黒須に笑いながらダメ押しされた。


「やっぱり、水上さんの手の上で踊らされただけなのか?」

西田は少々不服そうだったが、沢井は冷静に、

「水上さんが俺や同僚に、他によく言ってた言葉には、『最後は自分で考えるしかない』ってのもあった。少なくとも西田も吉村も、水上さんからヒントこそ貰ったかもしれないが、最後は自分で考えた上での結果なんだから、それ自体は何も恥と思うこともないだろう」

と諭した。


 一方で竹下もまた、

「そもそも、桑野欣也と小野寺道利の話も、大将と佐田の関係も、事件の背景を知る上で重要ではあったとしても、立件そのものにとって必要なことではない、あくまで周縁の話ですからね。水上さんのヒントという他力に頼ったとしても、西田さんや吉村達がやった事件解決の成果まで、評価を下げる必要はないでしょう」

と、先程とは違い、卑下する必要はないと強調してみせた。


 ただ、この沢井と竹下の意見は、単純に西田達を慰めるという意味ではなく、実際にそういう側面があったからこその考えであることもまた間違いないはずだ。

「そうですね……。何から何まで頼った訳でもないんだから。うん! 自信を持って、自分達の捜査の成果だと言わせてもらいますよ! そもそも、それを言うなら本橋の助けも既に借りてた訳ですから」

ここに至って吉村も強気に胸を張った。


「それにしても、大将の命を結果的に救うことになった人生劇場のラジオのリクエストは、もう確認しようがないですが、やっぱり水上さんの差し金だったんでしょう。沢井さんの話も踏まえてそう確信しました。同時に、あの手助けを受け入れるか受け入れないかもまた、警察官としての本分を忘れていないか試されていたのかもしれません。吉村がそれにしっかり応えたからこその、大将の救命という成果だったと」

西田もそう言うと気を取り直した。


「これで、沢井さんも西田さんや吉村も事情がわかってスッキリしたでしょ? 沢井さんも、水上さんへの借りは、西田さん達が返してくれたとも……」

黒須がそう言いかけて、沢井自身の無念は何も解消されていないことに気付いたか、それ以上は言葉を発するのを謹んだ。しかしその時、大場がその話を広げ始めた。


「沢井さんが考えている通り、教えに背いたから、水上さんがレコードすら聞こえなくしたとしましょう。しかし、裏切り者と言ったら何ですが、その沢井さんまでわざわざ介して、西田さん達を警察官のあるべき姿に導くことに水上さんが一役買ったとするならですけど……。沢井さんの部下だった西田さんや吉村さんが見事に出した成果で、沢井さんのことを水上さんは許したというか、過去の過ちは水に流してくれたんじゃないかと思うんですが? 都合が良すぎかなあ……。何があっても許さないような人なら、わざわざ沢井さんを使ったりしますかね?」

最も若い大場の意見ではあったが、そのまま同意するでもなく、否定するでもなく、場の雰囲気は微妙になった。


「そう言ってもらえるのは、それが大場であってもありがたい。……ただ、あくまで後輩である西田達の出した結果で、俺まで許してもらえたかどうか、俺自身が軽々しく言うべきでもない。それに俺自身が未だに強く悔いていることに変わりはない」

沢井はそうきっぱりと返した。これは偽りのない沢井の本心だったろう。


「でも、モナカの件でわざわざ沢井さんを使ってまで、そんなヒントを出したとするのなら、水上さんは決して沢井さんを、今でも拒絶している訳ではないと、やっぱり言えるんじゃないですか? そこは大場の考えにも一理ある様に思えるんですよ、自分からしても」

竹下は大場を援護射撃した。

「聴けなくなったレコードの件だけ見れば、残念ながら沢井さんは許されていないのかもしれないが、昨年のモナカの件を水上さんの仕業だとする前提ならば、そういう考えも無くは無いかもしれない」

西田もかなり曖昧な言い方に終始したものの、竹下にほぼ同意していた。


「今、人生劇場のレコードって聴けるんですか?」

大場が突然沢井に尋ねると、

「ああ、プレイヤーならそこにある」

と沢井は目で指し示した。そして、その場に居た皆が大場の意図を理解した。

「そうかなるほど! それで確認しようってんだな!」

吉村が大げさに手をパチンと叩きながら軽く叫んだ。沢井はそれを受けて、黙ったままゆっくりと腰を上げると、棚から黄緑色のジャケットである人生劇場のレコードを取り出した。そして静かにプレイヤーに掛け、自分の席に戻った。


※※※※※※※


人生劇場のレコードジャケット http://always.kaikado.biz/?pid=45950215


※※※※※※※


 レコードのスピーカーから、針が盤面に下りた瞬間に「ブツッ」と音がした後、しばらくスピーカーからかすかにプツプツという音がした上での静寂が室内を包んだ。そして、作曲者である古賀政男(作者注・後述)らしい、古河メロディ特有の大正琴(作者注・後述)の音色によるイントロ部分がいきなり流れると、誰と言わず、

「おおっ!?」

と一瞬声が上がった。しかし竹下は冷静に、

「聴けなくなってからは、イントロの方すら聴けなかったんですよね?」

と沢井に確認した。沢井はそれに黙って頷いたが、表情には驚きは見て取れた。ただ、イントロが出た時点でも、最後まで聴けるかどうかは話が違うと、沢井自身が慎重になっていたのも確かだろう。


※※※※※※※


人生劇場(以前取り上げた方の動画が、何らかの理由で消去されたようですので、別の方のもので)

(https://www.youtube.com/watch?v=6zfLpTMxv04&index=2&list=RDZab9bxaz-ik)


※※※※※※※


 しかし、イントロが終わってすぐに、村田英雄の腹の底から響くような声で、「やると決めたらどこまでやるさ」と出だしの歌詞が聞こえてきて、そのまま途切れることなく音が流れ続けると、沢井は腕を組んだままの一方、他のメンバー一同は「最後まで音が出続けてくれ」と祈る様に黙って聞き続けていた。


 1番が終わり、2番3番とそのまま村田の歌声が響き続け、最後まで流れたのを確認した沢井は、また黙って席を立った。黒須が、

「ちゃんと聴けたじゃないですか!」

と沢井に向かって喜色満面で言ったが、沢井はそれに一切反応せず、もう一度最初から掛け直しそれから席に戻った。


 再び大正琴のイントロが流れたが、目を閉じたままの沢井が、今度は村田の歌声に合わせて、唸る感じで口ずさみ始めた。

「やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじ止めるな夜の雨」

そして2番、3番と1人で歌い続ける沢井の閉じた目尻から、やがて一筋の涙が頬を伝うのを西田達は全員気付いていたが、一々指摘することもなく沢井は最後まで歌い終わった。ここで初めて瞼を開き、

「西田達のおかげで、完全とは言えないかもしれんが、長年の胸の閊えも多少取れた。本当に感謝する」

と頭を深々と下げてきた。

「いやいやとんでもない! こちらこそ沢井さんのおかげもありました。頭を上げてください」

思いもかけない元上司の振る舞いに、西田と吉村も慌ててかしこまり、頭を下げ返した。


 何故レコードの録音が突如復活したか、その理由は科学的には定かではない。ただ大場の言った通り、今回の西田や吉村が一連の捜査において結果を出し、警察官としての本分を忘れなかったことで、その先達としての役割を95年から果たした沢井についても、水上の霊が一定の評価を与えたという説は、そう飛躍した考えではなかろう。そして、かつて水上の教えを裏切った沢井を許した結果として、人生劇場のレコードが再び聴ける様になったという解釈もまた、決して科学的とは言えないまでも、それほど突飛ではないと、その場に居た一同は考えていた。


「どうせなら、俺達も一緒に歌いたいんですがね、特に1番を」

吉村の提案に、沢井以外の全員が、「そうしよう」と賛同した。

沢井はそれにやっと微笑むと、

「そんなことなら、リピートにしとけば良かったな」

と文句を言いつつ、再び立って人生劇場を掛け直した。そしてイントロが入ると、

「沢井さんはもう退職してるけど、俺達は竹下さん除いて現役なんで、水上さんが歌詞を替えていたっていう『刑事の魂じゃないか』で行きましょうや!」

と黒須が言い出した。

「よし、じゃあそうするか!」

西田が音頭を取り、皆でレコードのジャケットに印刷されていた歌詞を寄り添う様に見ながら、大声で歌い始めた。


「やると思えばどこまでやるさ それが刑事の魂じゃあないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじ止めるな 夜の雨」

大の男6名が夜中に大声で騒ぎ始めたので、沢井の妻が、

「こんな時間に近所迷惑よ!」

と、部屋の向こうから声を掛けてきたが、誰もその注意に従うことはなかった。そのまま思う存分人生劇場を最後まで歌い切った挙げ句、もう一度リピートまでして再び大合唱してみせ、沢井の妻を更に怒らせたことは言うまでもない。


※※※※※※※


●人生劇場 歌詞

やると思えば どこまでやるさ

それが男の 魂じゃないか

義理がすたれば この世は闇だ

なまじ止めるな 夜の雨


あんな女に 未練はないが

何故か涙が 流れてならぬ

男心は 男でなけりゃ

わかるものかと あきらめた


時世時節ときよじせつは 変わろとままよ

吉良の仁吉は 男じゃないか

おれも生きたや 仁吉のように

義理と人情の この世界


※※※※※※※



※※※※※※※作者注 後述


人生劇場は、昭和歌謡曲における作曲の大家たいかである古賀政男の代表作品で、彼の作品は古賀メロディと称されています。

詳しい古賀政男については、とりあえずウィキペディアレベルですがどうぞ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7


尚、大正琴は、古賀政男の作曲作品でも多く使われている日本固有の楽器です。

詳しいことについては、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E7%90%B4 

で確認してください。


最初のソースにもありますが、古賀政男は明治大学に入学後、マンドリン倶楽部設立に関わっており、楽器・マンドリンとの縁も深いことで知られています。

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