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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
迷信
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迷信5 {5単独}(8~9 新年の挨拶回り)

 年が明けて2013年の1月3日の午前9時。北見駅のふるさと銀河線(2006年4月に廃止された、JR根室本線池田駅と北見駅を結んだ日本最長の第三セクター鉄道であり、JR路線時代は旧・池北線)のホームに西田と吉村は居た。


 2人は風呂敷包みをそれぞれ持ち、その中には100円ショップで買える使い捨てプラスチック容器には似つかわしくない、豪勢なおせち料理の数々が入っていた。


 この日、2人はまず訓子府くんねっぷ町の奥田老人の元で、持参したおせち料理を3人で食べて新年を祝うつもりだった。そしてその後、再びふるさと銀河線とJRを乗り継いで、芽室町の沢井元課長の家まで行き、泊りがけで新年の祝いを別途しようという計画だった。


 奥田には、一連の事件捜査で95年から相当世話になっており、西田の方からお礼をしたいということを、事務処理が一息付いた12月上旬に電話で持ちかけた。すると、一人暮らしで今年は子どもや孫も帰省しないらしく、正月を一緒に祝おうということになったのだ。そしてお礼ということもあり、西田達がおせち料理を調達してご馳走することにしていた。


 因みにそのおせち料理は、あの大将こと相田泉の手によって調理されていた。この間、大将は逮捕された後、勾留10日間ですぐに起訴されたが、家族である息子と娘や湧泉の常連、そして近隣の住民がかき集めた200万の保釈金を払って、すぐに保釈されていたのだ。


 保釈された理由には、大将が完全に自白し、深く反省していたことが勿論あったが、被害者である伊坂政光が、大将からの最初の詫び状を受けて、処罰感情がない旨の上申書を検察側に提出していたことも大きかった様だ。大将は改めて伊坂に詫びと感謝の手紙を書いた。最初に西田を介して出した詫び状で、脅し取った金の出来る限りの返済と、遺産の砂金の相続放棄を申し出た際には、政光はそれに対しては特に返答していなかったので、改めて少しずつ金を返し、相続放棄すると伝達した。


 政光は大将が強請ゆすった分の半分近くは、慈善団体に寄付していたという事実を踏まえると共に、政光自身のこれまでの行為についての反省も込め、返済の申し出については辞退しチャラとすることを伝えた。言うまでもなく大将は、その好意を受け入れるかかなり迷ったが、政光から「その分は自分に返すより寄付に回してくれ」と言われ、結局納得していた。


 一方で、保管していた免出重吉の取り分の砂金、つまり大将が相続すべき分の砂金については、政光は家族の為に相続放棄の申し出を受け入れることにした。ある意味、脅し取った分の一部に対する返済という性格があったかもしれない。金相場自体は90年代から低迷していたので、グラム当たり1300円程度しかなかったが、政光としてもこのぐらいは譲り受けた方が、強請った分を返済しなくて良いという申し出を、大将が素直に受け入れ易いと考えたのだろう。当然ながら、それはあくまで西田の推測でしかなかったが。


 尚、本来であれば身元引受人としての家族、つまり大将の場合には、旭川に居る息子か滝上町の娘の元で生活するのが通例だったが、隣の高橋家の夫妻が身元引受人となったので、ほぼ自分の家で生活し続けるのと同じ状況で済んでいた。


 また、大将におせちを造ることを頼んだ際、店名である「湧泉」の真に隠された意味を読み切った西田への褒美として、大将はただで造ると主張したが、西田と吉村は断って材料費と手間賃を払っていた。本格的なおせちであれば、材料費だけでも高額になることもあったが、竹下にも作ってくれと頼んでいたので、竹下も食べられる機会に別にご馳走してもらいたいという意図があった。


 実は沢井の家には、札幌に帰省していた竹下や他の遠軽時代の都合がついた仲間も来る予定ではあったが、沢井の所でも別にご馳走になることもあり、わざわざ大将に造ってもらった料理を持ち込むことは憚られたからだ。


 その竹下の方はと言えば、12月の中旬から下旬にかけて、西田に頼まれていた大島についての特集連載記事を道報の紙面で執筆しており、裁判も始まっておらず、未知の情報が初めて表沙汰になったこともあり、かなり大きな反響を呼んでいた。


 やはり、大島海路が戦時中の機雷事故で死亡した従兄弟に成り済ましてこれまで生活して来たことは、相当の驚きを以て迎えられたのだ。しかし、さすがに竹下は、ただ単なるスキャンダルとして扱うことなく、桑野欣也との幼い頃からの関係性や時代性を絡め、深みのある記事に仕上げていた。同業者からの反応もなかなか良いらしく、竹下自身も手応えを掴んでいる様だった。


 また、大将には、小野寺道利が桑野欣也に成り済まし、更に大島海路へと変貌していくことまでは教えていたが、この竹下の記事を読み、大島が本来佐田殺害に加わる必要がなかったことを知って嘆いていた。


 大将は余計な出来心で、米田青年を死に追いやることに意図せず加担した。大島もまた、成り済ましを認識していない佐田を、伊坂に騙され殺害するに至っていた。2人共本来不必要なことを自ら仕出かして、貴重な人命が失われたというやりきれなさと罪深さを、改めて強く感じていたのだろう。


 そして、記事を書く竹下に情報を提供する為連絡した西田が、たまたま警察OBであった水上のことを竹下に伝えると、竹下はそれを驚きも無く受け止めた上、自分が高垣とタコ部屋労働者とみられる幽霊と常紋トンネル内で遭遇した話をし始めたので大層驚いた。しかし、どちらの体験も真実だと相互に信用したのは勿論、亡霊は恨み辛みで目の前に現れたのではなく、共に強く伝えたい思いがあったのだという共通認識を持った。一方で水上については、吉村の言った通り、竹下は7年前に追悼碑で向坂と共に会っていたので、そういう意味での驚きはあったらしい。


 尚、伊坂政光が、大島が使い込んだ(と、当時大吉は推測していたが、大島の自供で確定事実)北条兄弟の取り分の砂金を聖徳太子の1万円札で相当額として保管していた分の返却についても動きがあった。西田は政光に頼まれ、弟の正治にそれを返そうとしたが、正治はあの板橋区のアパートからは既に引っ越し、行方知れずとなっていた。その為西田は、警視庁に調査を依頼し、その後存命であることと新しい住所の情報を何とか掴んでいた。そして西田は12月下旬に休日を利用して、日帰りの強行軍で東京まで直接渡しに行っていたのだ。


 西田はその聖徳太子のピン札1万円の束の中で、プレミアの付きそうな紙幣がないか事前に探していたが、さすがに昭和33年に発行し始めた紙幣の為、AA券こそなかったものの、キリ番(キリの良い番号)の紙幣などを数枚見つけ、別途コインショップに売りに行くように勧めることを忘れなかった。ある意味捜査から得た知識を最大限利用したと言えよう。


 正治は、今は一時期疎遠となっていた娘夫婦と同居して世話になっていたこともあり、思いもかけないプレゼントに、娘の家族に恩返し出来ると喜んでいた。結果的に見れば、砂金で持っているより現金化していた方が、金の相場変動から見てお得だったのも、運が良かったと言えるかもしれない。更に、政光から西田が預かって届けた詫び状を見た正治は、自らの不遇な人生が最後に報われたこと、そして恨んでいた伊坂大吉が、使い込んだ分を現金で立て替えていたことに感謝すると共に、伊坂大吉に対して恨みを抱いていた不明を詫びる政光への手紙を西田に託した。


 しかし、西田は複雑な経緯や事情をいきなり正治に説明することは難しいと考え、使い込んだのが実は大島だったということは敢えて言わなかった。正治としては、兄の分(と伊坂大吉が思い込もうとした)の砂金を使い込んだのは、伊坂大吉本人だったと認識したままだっただろうが仕方ない。


 また、警察OBの伝手つてで、水上の墓がどこにあるか調べ、西田と吉村は年末に墓参りもしていた。時節柄雪かきが多少必要ではあったが、あの別れのままにしておくより、一度しっかりと感謝の意を表しておくべきと考えていたからだ。しかし、一切何事も起こらず、それは水上がこの結末に納得して完全に成仏したからなのか、それともあの水上に縁の深い、慰霊碑のある金華地区ではないと何も起きないからなのかはわからなかった。仕方ないので、取り敢えず、まずは結末に「納得した」からということに2人はしておいた。ただ、もし水上に「会える」ことがまだあるのだとすれば、やはり墓前ではなく、あの金華地区しかないのだろうという確信も内心持っていたのだった。


※※※※※※※


 話を戻すと、この日の早朝、吉村が車で遠軽まで大将のおせち料理を取りに行き、戻ってきた上で、現在いまこの北見駅のホームに2人は居た。車を利用しないで鉄道を利用するのは、さすがに奥田宅でどちらかが酒を飲まないという選択肢は無かったからだった。


 北見駅午前9時20分発の、JR乗り入れの帯広行・快速「銀河」に乗り込むと、30分もせず訓子府駅に着き、車で駅まで迎えに来ていた奥田と落ち合い、奥田宅にはそこから5分程度で到着していた。


 奥田はおせちをご馳走になる代わりに、福島県・会津地方のプレミア銘酒「磐梯桜」を用意していた。なかなか手に入らないものを、知人に頼んで譲ってもらったらしい。午前中から、大将が普段の湧泉で出している様な一品料理とは違い、思いっきり腕を振るったおせちに舌鼓を打ちながら、滅多に飲めない美酒で心地良くなっていた3名だったが、自然と奥田は西田達の労を労う話をし始めた。


「しかし、西田さんと出会って7年経つが、よく辛抱して解決に導いたもんだわ。北村さんのかたきも討って、あの大島まで捕まえるんだから、こんな優秀な刑事さんと知り合いになれて、俺も幸せもんだ」

優秀かどうかはともかく、刑事と知人になったところでメリットなんざほとんどないはずだが、奥田らしく気を使ってくれたのだろう。

「正直な話、一度は諦めていたんですが、奥田さん始め、色々な方に尽力いただき、幸運にも恵まれ、なんとか大元の大島まで挙げることが出来ました。ホント奥田さんには、どうやって感謝したらいいかわからないぐらいです」

西田はそう言うと、座卓から一度下がって手を付いて頭を下げた。それは別に酔っていたから出た大袈裟な行動ではなく、西田の本心からの振る舞いだった。


「いやいやいや、そんなことしないでくれや西田さん! 別に俺がやった情報が直接逮捕に役立った訳じゃないんだべ? そこまでされても心苦しいだけだわ」

苦笑した奥田の言葉はある意味事実だったが、犯行に直結する情報ではなかったとしても、事件背景を探る上で、奥田の情報がなければ、果たして事件が解決するまで行ったかは疑問でもあった。


「確かに奥田さんから聴いた話が、そのまま事件解決に直に結び付いたとまでは言えないかもしれません。ただ、奥田さんの話を知らなかったら、事件展開の経緯がよくわからず、捜査は更に難航していたはずです。だから、本当に感謝しているんですよ」

顔を上げて率直に語った西田の言葉を聞きながら、好物だという伊達巻を頬張ったままの吉村が、上司だけにそんなことをさせて、申し訳なさそうに横目で様子を見ていた。

「まあそうだとしてもだ。今日はこんなに美味いおせちをご馳走してもらえたんだから、それで十分だわ」

奥田はそう言うと、2人に改めて酒を勧めた。


※※※※※※※


「ところで、田中さん元気でやってますか?」

一息付いたところで、西田は当初事件に関与していたことを疑った、奥田の国鉄時代の元同僚且つ友人であり、奥田を紹介した田中について尋ねた。松重と話した時、幽霊の実像である水上の話に終始して、水上と同じく常紋トンネル調査会の会員である田中の現状について聞くことを忘れていたからだ。そもそも、昨年の6月に奥田の元を訪れた際にも、折角のチャンスに田中の話を聞き忘れていた。確かに田中本人は事件に関係なかったとは言え、一度は疑って迷惑を掛けただけではなく、田中の娘婿である喜多川の件もあり、それなりに気になっていたということもある。


「ああ、清のことか? 何とか元気でやっとるよ。喜多川のあれがあった後、1年ぐらいは娘家族のこともあって、色々心労があったみたいだけどな……。幸い喜多川が亡くなったことで……、清からちょっと聞いたが、あいつは過去に人殺しに関わったんだべ?」

奥田が話中に西田に確認してきたので、西田は軽く頷いた。

「それで、あいつが死んだおかげって言ったらなんだけど、娘家族の方には色々と被害が行かなかったから、孫も普通に結婚出来て、爺としても安心出来たみたいだわ。清のカミさんも娘家族も元気だ。昨年ひ孫も生まれたってよ」


 奥田による田中の近況報告は、西田をホッとさせるものだった。田中を疑ったことも悪いが、幾ら喜多川が殺人を手助けしたとは言え、家族に罪は一切無い。その点、ある種の幸運と言っては良くないことかもしれないが、喜多川が死んだことで実名で報道されず、残された遺族には取材攻勢などの事件の影響が無かったことは、余計な不幸を社会に増やさずに済んでいたと言えるだろう。


「そりゃ良かった。田中さんには迷惑掛けたんでね……。喜多川の病死も、取り調べの最中ですから、全く無関係などと白を切ることも出来ないですから」

西田の言葉に、

「西田さん方警察も疑うのが仕事だろうし、喜多川も実際に加担してたんなら仕方ないべや? こればかりは、喜多川以外は誰も悪くないべ」

と、奥田は西田を慰める様に達観した発言をした。悪い話ではなかったこともあり、3人はその後何もなかったかの様に再び飲食を再開していた。


「そう言や、道報だったかで最近見たんだが、大島は戦時中に起きたっていう湧別の(機雷)爆発事故の際に、死んだ従兄弟とすり替わって召集免れたってのと、あの伊坂が俺と同じく沖縄で従軍してたってのはびっくりしたな。後、伊坂が大島を脅していたってのも同じくらい驚いたわ」

宴もたけなわとなった頃、奥田が竹下の書いた道報の記事で見たのだろう、大島や伊坂の話を始めた。ただ、伊坂については実名ではなく、「既に亡くなっている、北見地方の有力建設会社の創業者」と記事では記載していたので、あくまで奥田がそれを察したということだろう。無論、一般人でも十分特定出来るだけの話ではあったが。

「そうなんですよ。実は、大島がそんな話を含めた、色々な身の上話を自供した時の取り調べは、自分と吉村がしてたんですよ」 

奥田にとっては驚くべき西田の告白に、

「いやあ、本当かい!? それじゃあ2人は本当に、大島をとっ捕まえる最前線でやってたんだな……。ある程度責任のある立場だとは、西田さんから礼をしたいという電話をもらった時の話で、何となくは感じてはいたけどよ」

と、尊敬の眼差しと言えば言い過ぎかもしれないが、そのぐらい目の前の2人が、大きな仕事を成し遂げたのだと、改めて認識した様子を隠さなかった。


「それで大島の話を聞いてたら、幾ら連続殺人の首謀者とは言え、なんとなく気の毒というか、波乱万丈の人生経験みたいな話が身に沁みまして……。そして、大島を脅した側の伊坂は伊坂で、戦時中に酷い目にあって、その恨み辛みを召集されなかった大島にぶつけたという、何とも救いのない話でした」

そこまで言うと西田は一度溜息を挟んだ。

「伊坂の話の方は、ほとんどを逮捕した息子から聞いていたんですがね……。そして戦地へ行かなかった大島は大島で、道内のタコ部屋労働で戦時中大変な目に合っていたそうです」

西田の感想に、

「あの(連載)記事をずっと見てたら、やっぱり俺と同じくあの時代を生きてた奴は、多かれ少なかれ時代に弄ばれたってのが判って、身につまされたもんだ」

そう絞り出す様に語った奥田から、それまでの陽気な雰囲気は消え去っていた。国内史上唯一の地上戦となった沖縄戦従軍で、まさに生き地獄を見たという奥田には、強く思う所があったはずだ。


 しかし、空気が悪くなったのを感じた奥田は、

「いやいや、折角の美味い料理と酒が不味くなっちまったな……。スマンスマン。忘れてくれや」

と2人にぎこちなく微笑みかけた。しかし、西田は敢えて、

「忘れる必要なんて無いじゃないですか。……と言うより、むしろ忘れちゃならんのだと思います」

と奥田の気遣いを制した。


「自分も吉村も、大島のことも伊坂大吉のことも許すつもりは微塵もありません。連中の馬鹿げた行動で多くの人間が迷惑を被り、失われる必要がない生命いのちが失われ、北村もその1人でした。そして政治の信頼も失墜し、警察もまた政治権力の介入を許し醜態を晒したんですから……」

西田は思わず唇を噛んだ。

「……ただ、そうだとしても、連中が過去に経験した何とも理不尽な歴史的出来事が、その後の振る舞いに相当影響したことも事実でしょう。そして、日本の戦前、敗戦、復興、高度経済成長からバブルを経て現在いまに至るまで、その目で実際に日本のこれまでの歴史の流れを見て、そして体験して来た奥田さんだからこそ、1つ聞いておきたいことがあるんです」

突然のかしこまった西田の求めに、奥田はやや身構えたのが西田は勿論、吉村にもわかった。


「何だべ、その聞いておきたいことってのは? 難しい話は勘弁してくれよ」

ほのかに上気した眉間にシワを寄せて、奥田は聞き返した。

「大島を取り調べていた時、道報の記事でも見たと思いますが、今の政治状況について大島なりの危機感を我々に話してくれました。それは、大島自身が、これまで見てきたことを踏まえて導き出した、歴史的な意味での警告でもあったと思うんです。その時、隣の吉村が『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という格言を言い出しました。つまり、大島の言っていることは、大島にとっては『経験』をも意味しますが、世代の違う我々にとっては、あくまで純粋な『歴史』として捉えるべき類の話ですから、『歴史に学ぶ必要がある』という意味で言ったんだと思います。私もその時はそういう感覚がありました」

吉村は西田の話に頷いていた。とは言え、まさにそれを発言した時の吉村は、その格言がその時の大島の話にそのまま該当するかどうかについては、それなりに懐疑的な態度だったはずだ。


「ただ、その時は大島はそのことを流したんですが、話の最後に『その格言は半分は当たっているが、半分は間違いだ。元になったことからも、自分で考えても。それどころか下手をすると、元の言葉すら間違いかもしれない』と言ったんです。その際にはその意味が理解わからず、我々の上司に東大出の警察官僚が居たものですから、後からその人に軽く聞くと、その格言の由来は、『愚者は自分の経験に学ぶが、賢者は他人の経験に学ぶ』という様な発言(作者注・後述)をした、有名なドイツの政治家の言葉だと言ってました」

西田がここまで言うと、奥田は困った様な表情を隠さず、

「グシャってのは愚か者のことで、ケンジャってのは賢い奴のことだべか? そんな話自体は、何となく聞いたことがある気がするわ」

と聞いてきた。

「そうです。最初の格言は、経験を軽んじ歴史を重んじた言葉です。ただ、元になった言葉は、自分の経験を軽んじ、他者の経験を重んじた言葉なんでしょう。しかし、自分にはどうにも、どちらの言葉も納得が行かないんですよ。大島もそんな印象を抱いていた様な節があるし、果たして正しいんですかね? これまで46年生きてきて、更に刑事としてこの事件に携わってきた自分からしても、どうしてもしっくり来ない。奥田さんは、自分や吉村よりはるかに長い人生を歩んできて、我々より色々悟ってるものが多いと思うんです。どうですかね? 奥田さんから見て、何か違うと思いませんか?」

西田は目の前の老人を正視したまま尋ねた。この時点で西田の酔いはかなり覚めていたのを自覚していた。


※※※※※※※作者注・後述


正確なビスマルクの発言の直訳

「愚者だけが自分の経験から学べると信じている。私は最初から過ちを避けるため、他人の経験から学ぶことが良いことだと考える」


※※※※※※※

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