名実90 {118単独}(282~284 竹下帰札)
その後は、2人で95年当時の思い出話を軽くしながら、エレベーターに乗って捜査一課の応接室へと向かった。その時の話では、室野は一度府警の所轄に出た後、3年前から大阪府警本部へと戻って来ていたらしい。よくある昇進ルートの1つだ。そして今年から、府警の捜査一課長として職務に当たっているということだった。
応接室には、大阪府警の組対部長・香川と刑事部長・今田、鑑識課長・葉山が待っていた。挨拶の後で早速証拠物を葉山に提出し、それの分析と鑑定を頼んだ。
今田からは、捜査への協力について感謝の言葉が述べられると同時に、お互いについて自己紹介をした。竹下は、新聞記者が捜査に協力しているという、自身が仮に警察側に居たとしても、それなりにやりにくい相手になっていると自覚しているだけに、過去、刑事として本橋の殺人を追っていたということを、しっかりと相手に説明しておく必要があった。室野もその点については、昔の竹下を知るだけに、話を横から補強してくれた。
その一方で府警側としては、やはりどういうルートで証拠を手に入れたかが気になっている様子だった。しかし竹下としても、それについて事実を言うことは憚られたので、あくまで取材上の問題として突っぱねた。ただ、それについて今田部長は、竹下が西田から事前に伝え聞いていたままのことを言い出した。
「実はですね、その道警さんと竹下さんの提案のやり方ではなく、こちらが偶然に証拠物件を発見したという形にさせていただきたいんですよ。報道の自由としての『取材源の秘匿』が理由だと、裁判上、やっぱり面倒なことになりかねないんで……。犯人の秘匿は、一般的に報道の自由絡みであっても、刑事事件ではまず許されないというのが、判例上の解釈ですが、今回の様なただの証拠の入手ルートの場合についても、かなり微妙でしてね……。正直、『認められない』とも言えないが、『大丈夫』だとも言えない。不安定過ぎて、検察の段階でも多分揉めると思うんで、出来ればそういう微妙な要素は、事前に排除しておきたい所ですから」
大阪府警にとっては、「得点稼ぎ」の観点から見ても、かなり都合の良い話だけに、今田はかなり恐縮はしていたが、竹下としても、具体的にどういうやり方をするかについては、事前に詳しく聞いておく必要があった。
「それについては、既にこちらとしても、どうして入手したかは言えないんで、人のことはとやかく言う資格は無いんですが、そちらとしては、どういう話の設定でやるつもりなんですか?」
竹下は、相手がどのような「筋書き」を描いているのか尋ねた。
「それは、元々本橋の住んでいた、賃貸マンションの大家が知らずに預かっていて、うっかりずっと忘れていた形にしようかと」
「しかし、大家の了解は取れてるんですか?」
竹下は疑問を呈したが、「素人」が言わば「偽証」するに等しい訳で、その理由を確認してみたくなったのは当然だった。
「そいつは、そこの大家が、中国人の不法在留者を、知った上で入居させていたことをネタに頼んだんですよ」
今田は苦笑しながらそう漏らしたが、これが本当なら、ほとんど脅迫か強要に近いやり方での、証拠物件の入手経路偽装だ。確かに竹下の考えていた手法も偽装は偽装だが、こちらは更に別の問題が加わっている。
自分で尋ねておいて何だが、どうしてこんなあからさまな違法性のあることを、「部外者」の竹下に暴露したかわからなかった。敢えて言うなら、幾ら新聞記者とは言え、元刑事という認識故の、身内意識から出た言葉だったのかもしれない。正直言って、本来の竹下の職務を考えれば、これについては、そのまま黙っているべき類の話ではないが、今重要なことは、黒田と久保山の身の安全と、それを切に願った本橋の遺志の尊重であることも確かだった。
竹下はかなり複雑な胸中ではあったが、敢えてそれを飲み込み、府警側の提案を了承することにした。府警側としては、当たり前という受け止め方だったが、竹下としては、竹下自身の考え方としても、そして新聞記者としての倫理面においても、かなり苦渋の決断だったことは言うまでもない。
何か一言文句を言いたい衝動に、この会談の最中ずっと駆られていたが、その度に、「嘘も貫き通せば真となる」という、本橋が久保山に書いた暗号文の解読方法についての言葉を、念仏のように脳内で口ずさんでいた。
無論、そのヒントがどこまで本橋の本音だったか、或いは単に解読方法としての意味しかなかったのかは、竹下にははっきりとわからなかったが、今の彼にとっては、そんなこととは無関係に、強く響く言葉だったことは間違いなかった。
竹下は、その後も府警側の聴取に簡単に応じた後、念の為、翌日の昼まで在阪して欲しいと言われたので、そのまま府警側が用意したビジネスホテルに宿泊することになった。
この日は、大島海路の「北見協立病院銃撃殺人事件」の起訴日でもあったが、本橋による突然の暴露によって、葵一家の首領と大島の、佐田実殺害関与発覚というビッグニュースまで、前日の夜に飛び込んできた為、道警本部と北見方面本部は、かなりカオスな状況となっていた。
大島起訴のマスコミ対応をしつつ、裏では、急浮上した佐田実殺害関与の決定的な証拠への対処、並びに瀧川逮捕への協議など、西田も吉村も、てんてこ舞いという言葉がぴったりの状況に置かれていた。
道警や大阪府警だけでなく、東京の警察庁や警視庁、兵庫県警まで巻き込んでの、捜査畑トップレベル同士の協議の結果、現時点では時効が迫っている佐田実殺害事件を優先する方向性は、一応出ていた。当然だが、今回の一連の捜査で、道警側の陰の捜査責任者とも言える西田の意向も、一定の影響力として配慮してくれている様だった。
しかしながら、こちらに拘束されている大島はともかく、全国トップレベルの指定暴力団組織、しかもその「首領」として25年以上君臨している人物の身柄を、まず大阪に留め置くか札幌に持っていくかは、かなり揉めているようで、その場では到底結論は出なかった様だ。
夕方には、逮捕を何時するかも含め、協議を翌日以降に持ち越すことになり、札幌の地に居るまま、それに直接参加してないとは言え、西田も骨折り損のくたびれ儲けと言ったところだった。
ただ、丁度その頃には、佐田実殺害に関する、デジタル化した本橋の録音データと日記の画像データが、府警からメールに添付して送付されて来ており、札幌の西田達や北見の捜査本部にも届けられた。最終的には、道警側にも「本物」が送付されて来るはずだが、取り敢えずはそれで我慢する他無い。言うまでも無く、札幌の捜査陣、北見の捜査陣が中身をすぐにチェックして、どういう経緯で事件が起こり、終幕を迎えたのかを、改めてしっかりと把握することが出来た。
竹下が西田に伝えていた通りの内容で、西田としても、瀧川の殺人罪の共謀共同正犯での立件は、全く問題ないと確信していた。しかし渦中の大島海路は、これだけでは、直接殺人罪で起訴するのは厳しい。やはり、瀧川もしくは大島或いは中川秘書の誰かの自供が出来れば必要だろう。しかし、その道のプロである瀧川と、忠臣である中川がわざわざ自白するとも思えず、むしろ大島本人が自白することが、最も可能性としては高いのではとすら思えていた。
「差し迫っているという程じゃないにせよ、時間の制約もありますから、どっかを何とか突き崩したいんですけどねえ」
吉村も思案した様子だったが、西田はふと思い立ち、北見方面本部へと電話を掛けることにした。そして電話で遠賀係長を呼び出した。
「西田ですけど、そっちはどうですか?」
形ばかり、相手の様子を尋ねた。
「府警から送られて来たデータの件で、今聞き終えて、明日以降に中川にもう一度取り調べする予定です。と言っても、大島への忠誠心は本物ですから、まあ、口は割らんでしょうなあ」
遠賀も諦め気味だった。
「でも、物的証拠もありますから、中川と本橋が北見駅構内で会ってたという証明は確実に出来る訳で、その点は気にする必要ないでしょ?」
「ええ、その点は。ただ、大島の殺しの件ですよね、問題は……」
年上の部下はそう言い淀んだが、今はそのことについて話したいのではなく、もっと別の用事があり、あくまで話の枕として、本日届いたデータの話をしただけだった。その為、西田は、
「そこは、これから何とかしましょう。それに、最悪の場合、佐田実の殺人で起訴出来なくても、中川の本橋への報酬受け渡しについては、殺人幇助で行くのは大丈夫でしょうから、それに対する教唆は、大島と中川、2人の関係性から何とか行けると思うんで」
と語ると、その話はそこまでにして、あるモノを至急札幌へと送付するように要求した。
その一部始終を聞いていた吉村は、
「そんなモノがありましたね……。でも効果があるんでしょうか? 自分には、ほとんど意味がないとしか思えないんですが……。そもそも謂れ自体がかなり曖昧でしょ? うーん」
と、西田を見ながら疑問を口にすると、言い過ぎと考えたか、唇を真一文字に結んだままそれ以上の発言を止めた。文句はあるのだろうが、他に打開策も思い浮かばないのだろう。
「そりゃそうだけどさ……。しかし、切れる手札は先に切っておかないと、間に合わなくなる気がするんだ……。今更温存したところでほとんど意味はないと俺は思う。使えないなら、すぐに結果が分かった方がむしろ良いぐらいだ」
そう言うと、少し落ち着かないように、西田は床を小さく踏み鳴らした。どこまで効果があるか、西田も半信半疑どころか、正直ほとんど自信はなかったのだ。
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10月8日火曜昼前。府警・道警・警視庁の協議に、警察庁も絡んで、瀧川の逮捕が10月10日の木曜早朝に最終決定した。本来であれば、時効が年末に迫った、佐田殺害の件で逮捕するのが先決ではあった。しかし相手が相手だけに、逮捕の際には相当の抵抗や混乱が予測されることから、結局は暴力団対策という点を最大考慮して、慣れた大阪府警が、本橋による一連の殺人の中での最初の殺人で逮捕することになった。
確かに佐田の事件の時効が迫っていたものの、勾留は最長でも20日間、逮捕を入れても23日間(作者注・実務では、逮捕で1日、翌日勾留請求、翌々日から勾留で、更に勾留請求初日も勾留日算入と言うケースがほとんどで、真の最長22日、普通の最長では21日というケースがほとんどの様です。当小説中も通常この設定です)という点を考慮すれば、最初の殺人を先に取り調べても、佐田の事件の取り調べには、直接的に影響することはないからだ。
当然のことながら、本件取り調べの実質延長を狙って、別件に対する立件で瀧川の勾留を伸ばすことも可能で、その場合には色々と、佐田殺害に対する取り調べの時効にまで影響する可能性はあった。しかし最初の主婦殺害については、本橋との電話での会話からも、かなり背景もはっきりしていることから、長期間の取り調べは必要ないので、それについても考慮する必要はなかった。
更なる問題としては、最初の逮捕勾留の後で、佐田の件で再逮捕の上、大阪に勾留したまま道警が遠征して取り調べるか、或いは一度北海道へと留置するかと言うことが改めて浮上する。ただ、やはりこれだけの犯罪者を、1件のために北海道まで護送して、また大阪へ送り返すというのも難しく、裁判も一括して、おそらく大阪で行われる可能性を考慮すれば、そのまま大阪に勾留するというのが、最も妥当と言う判断になった。
道警からすれば、捜査上やりづらいのは確かだが、現実問題として、まともに取り調べたところで、瀧川が自供するとも思えず、結果的には大した障壁にはならないだろうというのが、西田の結論でもあった。
とにかく、全国的トップクラスの暴力団の首領の逮捕は、他にもあらゆる大きな犯罪に関わっているとされる以上、道警や大阪府警、兵庫県警、警視庁だけの問題ではなく、他の府県警の捜査にも影響が出て来る可能性が高かった。おそらく瀧川の勾留中は、一連の殺人絡みに限らず、他の案件でも相当取り調べを受けるのは確かだろう。そして、紫雲会ビル爆破事件についても、黒幕には葵一家が絡んでいると見られる以上、追及されることは間違いあるまい。
一方、音声データのコピーや日記代わりのノートのコピーについては、道警の科捜研の方でも分析に入っていた。既に瀧川の声紋と簡易的に一致しており、こちらでの殺人の共謀共同正犯もしくは教唆での立件は、これまでの事件の概要と会話の裏付けが取れていることもあって、瀧川が黙っていようが確実に可能と見られていた。
更に、大阪で報酬のやりとりに使われたと見られる、2店の骨董店も存在が確認され、既に別件でガサ入れが予定されていた。電話での会話から、依頼殺人に絡んでいると見られる、他の人物の特定や捜査も、急ピッチで開始されているらしい。
また、佐田実殺害で道警が再逮捕する以前の段階で、道警からも府警に捜査員を派遣することとなっており、北見からは日下と黛、道警本部からも捜査一課の刑事が派遣されることが決まっていた。
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いよいよこの日の夕方には、今回の最大の影の功労者とも言える竹下が、大阪から新千歳空港に戻って来た。隠密行動とは言え、道警側も今回の「調査」の経緯についてきちんと事実関係を把握しておく必要があり、刑事部長の許可を得て、西田達は竹下を刑事部の応接室へと招待して話を聞くことにしていた。
本来ならば、もうちょっと堅苦しくしなくてはならないところだが、竹下の存在は、捜査過程になかったものとして消されることは確定しており、報告というよりは、その多大な貢献に対する慰労という意味合いが多くを占めていたという理由もあった。
大阪でも、竹下は既に事実関係の聴取をされていたが、詳細については黒田や久保山との絡みで明かしていないはずで、西田や吉村の前で行われるだろうモノとは明らかに別の中身だったはずだ。
忙しい最中とは言え、部外者ながら見事に期待に応えた、というより遥かに大きな成果を上げてくれた竹下を、西田が直接出迎えないという選択肢があるはずも無い。事前に連絡を取って、JRで札幌駅まで帰ってくる竹下を駅の西側の改札で待っていると、ホームに続くエスカレーターから下りて、キャリーバッグを引きずった竹下が、西田と吉村を視認して手を上げた。
「いや、お疲れさん! ホントによくやってくれた! で、今日はこのまま泊まりだな? 普通なら接待しなきゃいけないところだが、こっちも忙しくてな。五条刑事部長も、後で礼を言いに来るはずだ」
と、改札を通った竹下に、早速西田が矢継ぎ早に声を掛け、続いて吉村も、
「さすがというところでした! 一体どんなことがあったか、詳しく聞かせてくださいよ」
と笑顔で言った。立て続けに喋り掛けられたこともあり、竹下は、
「何だかんだ言って、結構疲れてるんですから、ゆっくりさせてくださいよ」
と苦笑した。そして、
「それにしても、自分が関与したことは、本部に快く思われてるんですかね? 正直こういう結果が出たから良いものの、色々マズかったように思うんですが……」
と、自分の行動がどういう影響を道警にもたらしたか、心配そうに尋ねた。
「そりゃ、竹下からの連絡で、俺が五条さんに府警との協力を要請した時、かなり驚いていたのは確かだけど、それよりも出て来たモノの大きさに、新聞記者が直接関与したってことはほとんど問題になってない。実際、竹下も大阪府警で、歓待されただろ?」
「そこは確かに。本来なら、招かざる客だったと思いますけど、自分が元刑事で、前一緒に仕事した室野さんが一課長だったことも、多少その緩和に役立ちましたかね」
逆に西田に問われた竹下はそう返した。室野については、大阪府警での聴取の後、西田に電話連絡した際に触れていた。
「何言ってんですか? あの瀧川の殺人関与の証拠持ってきゃ、警察なら誰でも喜びますよ」
吉村は呆れた様に最大且つ最適な理由を指摘した。
「まあそれもそうだよな」
西田と竹下は、その当たり前の回答を得て共に笑顔になっていた。
「ところで、今夜はホテルじゃなくて奥さんのところだよな?」
改札から南口まで向かいながら、西田が竹下に確認すると、
「勿論そのつもりですよ。今日は久しぶりに、夫婦水入らずってところです。接待なんて、むしろしてもらっても困りますよ」
と答えた。紋別支局には単身赴任していたので、札幌の家は2ヶ月以上戻っていなかったらしい。そのまま、道警本部の庁舎まで距離的にはほとんど無いとは言え、荷物のある竹下のためにタクシー乗り場からタクシーで道警本部を目指した。
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