表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ショートショート

《SS 》食戮

作者: 白宮 安海

「甘いもの、食べる?ケーキを買ってきたの」


そう、彼女は言った。安くて狭いアパートにありがちなごく普通の台所で皿洗いをしながら。

「いいね」

乗り気で頷いた彼に、作業していた手を止めると、蛇口をひねってから冷蔵庫に向かって四歩程進んだ。彼女は身をかがめて、冷蔵庫の中から、片手でケーキを取り出した。コンビニのショートケーキだった。彼女が、皿の上に乗せようと準備し始めたので、彼は「そのままでいいよ」と声をかけると、彼女は「そう」と一言呟いて、コンビニで買ったそのままのケーキをテーブルの上に置いた。「あ、そうだ。これも」忘れていたように、後からフォークを置いた。


真っ白いふわふわとした生クリームが食欲をそそる。早く舌の上に乗せたくてたまらず、外の蓋を取り外した。そこで、皿洗いを終えた彼女は、彼の隣の席へと座った。

「美味しい?」

か弱いスポンジにフォークを奥まで刺して、一口サイズにくり抜き、そして口内に誘った。じゅわりと舌の上で生クリームの甘さが溶け出す。

「ああ、うまい」

彼は一口、また一口とケーキを口に含んでいく。

彼女は、密かにその様を眺めながら興奮していた。己が買ってきた食べ物が、彼の口に侵入する瞬間。やがてそれは、胃袋に到達し、彼の一部となるだろうと考えて。

彼はそんな彼女の思惑には気づかず、一口、また一口とケーキを口に含んでいった。

「ああ、美味しい」

彼女は、少しだけ、彼の舌に嫉妬した。彼の意識を独り占めする舌に。ああ、しかし何と、艶やかだろう。食欲という欲にあらがえぬまま、食べ物の己の体内への侵入を許すとは。彼女は、決して口には出せぬ、欲情を彼に抱いていた。

「ごちそうさま」

彼はケーキを綺麗に食べ尽くした。

「いつも美味しそうに食べるのね」

彼女は言いながら、こんなありきたりな日常の風景の中で不意に――例えるならば、まるで、かつて誰かが地球が丸いと発見した時のようなひらめきで――思いついた。

「金曜日も、うちでご飯でもしていかない?カレーをつくってあげるから」

彼は断わる理由もなく嬉しそうに肯いた。



金曜日。夜を照らす窓の明かりは、日常の風景であり、非現実的な要素などどこにも含んでいない道を歩いて、彼女の家へと向かった。

ぐつぐつぐつ。鍋の音が漏れだしそうな夕飯の香りが鼻腔をくすぐる。ついお腹の音が鳴る。

彼女のアパートの前で、換気扇から匂う香りに、彼は呟いた。

「ううん!今日はカレーだな」

更に浮き足立つ心情隠さず、顔は笑みを浮かべて、彼女のアパートの扉を開けた。

「お邪魔します」

居間には明かりがついているのに返事がしない。彼は首をかしげながら中に入っていったが、彼女の姿は見当たらなかった。代わりに、ぐつぐつぐつ。カレーを温める鍋の音だけが聞こえる。

コンビニで材料でも買いに行ったのかな。ふと、テーブルの上を見るとメモが置いてあった。

《 ごめんなさい。ちょっとだけ出る用があったので、先に夕食済ませておいてください》

メモを読むと、何だ用事かと、少し安心し、メモに書かれている通り、一足先に夕食のカレーを食べることにした。

ぐつぐつぐつ。

カレーの香辛料が、空腹をそそる。じっくり煮込んである鍋の中を掻き混ぜて、火を止めると、ご飯を器によそる。絶妙な配分でカレーを上にかけたら、テーブルの上に置いた。さて、食べよう。いただきます、と手を合わせた時「あ、そうだ。忘れてた」台所からスプーンを取って改めて、いただきますと手を合わせた。


ご飯とカレーをスプーンで掬い、口に運ぶ。熱々のカレールーが柔らかくて甘い人参を包み、口の中で蕩ける。ルーの中に細かく挽肉が入っていて、舌の上にいいアクセントをくわえる。美味しい。一杯目を完食し、またおかわりをよそった。二杯目も完食した後、幸福な満腹感に、腹をさすり、椅子にもたれた。

「はぁ、美味しかった」

ピリリリリリ。携帯電話が鳴り、着信を見ると、そこには彼女の名前が表示されていた。

「もしもし」

「カレー、食べてくれた?」

「ああ、美味しかったよ。二杯も食べちゃったよ」

「そう、良かった」

「今どこにいるの」

「今」

彼女は、言い出しづらそうに溜めた。

「今、病院」

病院という彼女に、驚いて椅子から立ち上がる。

「え、どうしたんだ?大丈夫か?」

「ちょっと事故で。でも大したことないから大丈夫よ。カレー食べてくれてありがとう。あなたが美味しそうに食べてるの一番好きだから」

彼女はそう言って電話を切った。

彼は、彼女の怪我を心底心配しながら、せめて家事を済ませておこうと食べ終わった皿を洗い始めた。

翌日、彼女の帰りを待つ。彼女にごちそうさまを言う為に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ