八木町オカルト事変
人生何がどう幸いし、また災いするのかわからない。一寸先は闇という言葉にあるとおり、未来のことなど解かるわけがない。運命にどう対処するかが、自分の人生に大きく関わってくる。……とまぁ、それが僕の持論。運命は切り開くものだとか、抗ってみるとか。そういう熱血なのは他で頼みたい。流される、というのも気持ちのいい話ではない。その場その場の選択でどうにかしておきたい。まぁ、なんというか。その場凌ぎ的で、姑息極まりない考え方かな。
*
八木東高校。八木町の中でもレベルの高い進学校と呼ばれる学校である。とはいえ、一地方の進学校なので世界に通用する人材を数多く世に出した、という立派なものではない。たまに思い出したかのように東大に合格する人が出るとか、そんなところだ。
「さむいよう。秋川君」
「十月も過ぎたからね」
隣の席の、茶髪のかかったおとなしい男子生徒に僕は話しかけた。彼は秋川秀一。美術部を退部して、絵本部を結成する。それと同時に非リア同盟から追放処分を受けた奇妙な人物である。そして今では立派に彼女もち。彼が異性恐怖症だというのは長い間皆に知られてきたことだったが、どうもガセだったらしい。お相手は同じクラスの冬森雪花という、これまた小さくて怖がりな子だ。彼女も同じく異性恐怖症とのことだったが、それもウソ。今では彼と彼女の関係はクラス公認の仲。二人が寄ればそこは幸せ空間。一生やっていろ、といった風情なのである。羨ましい、とは思うまい。
「この前借りたゲームだけどね。ラストだよラスト。世界を半分手にしたほうが正解のルートって何さ。ラスボスと戦ったら強制敗北イベント起きて最初の村まで飛ばされるって何? あと正解のルートでも中途半端なところで終わるし」
「次回作はシュミレーションになるからだって」
「フリーダムすぎない?」
評判は上々らしいよ、とのことで。時代の流れはよくわかりませんね。
放課後。基本的に部活動の時間となる頃合だ。運動部系よりも文化部のほうが数が豊富なこの高校は、似た様なジャンルの部活が幾つか存在している。例を挙げるとするならば、ミリタリー研究会とサバイバルゲーム部。囲碁・将棋部とボードゲーム部……といった具合だ。僕の所属する部活にも、大きなライバルが存在する。僕は手芸部の所属で、これがまた小さなものなのだ。というより、廃部寸前。幽霊部員が何人かいるおかげで部としての成立しているが、実働人数で考えれば同好会、研究会以下だ。なんせ僕含めて二名。そんなわけで、全校女子の五分の一程度がいる家庭科部と対抗ができるハズもなく。そもそも手芸という面で見たって向こうのほうが上手な人が多い。僕は気楽でいいとは思うけど、本当に手芸がやりたいんだったら家庭科部に入った方が建設的というやつだろう。
というわけで、校舎の一番隅っこに振り当てられた空き教室が手芸部の部室。いつもどおり僕はその扉を開けた。
「やあ藤井君。今日は早かったんじゃないかい?」
気さくそうにそう、僕こと藤井文也に話しかけてきたのは先輩、猫柳茶子という少し変わった女子生徒だ。背が女子にしては高く、長い黒髪で細いフレームの銀縁眼鏡。痩せ身で顔立ちは整い、肌も白い。絵に描いたような美少女といった風情で人気もある。しかし、彼女はどうにも変な性格をしているのだ。つかみ所がないというか、あっぱっぱー。というか。どう形容すればいいのか、いまいちわからないけど。
「何か失礼なこと考えてるね?」
「気のせいです」
そもそも、彼女は人間ではない。学校にファミコンを持ち込んで平安京えいりあんをプレイしているから、といった変人という理由からくるのではなく、本当に人間でないのだ。
人間でないとするなら何なのか、となると。簡潔に答えるなら彼女は妖。猫又なのである。その証拠に彼女は猫の耳と尻尾が生えている。これは霊感がある人間にしか見えないとのことで、さらに言えば耳と尻尾も時代のニーズに合せているから、とのことらしい。本来は大きな猫の姿で、人になるとしても猫を二足歩行にして巨大化させた感じとのことだ。単純にウケがいいほうを選んだのだろう。
「で、いつまでファミコンしてるんですか」
「お母さんかね君は。今、今終わるよ」
「そもそも、学校の電気なんですよ。盗電です」
「それなんだがね、藤井君」
先輩は古ぼけたファミコンの電源を切ると、メガネをかけなおしながら真面目そうな顔で僕に向き直った。こういうシリアスな顔をする時はロクなことを言い出さないというサインである。そう長い付き合いというわけでもないのだが、こればかりは慣れてしまった。
「その学校のお金というのはどこから着ているのかね? そう、言うまでも無く我々生徒の家庭から、である。ならば、こうして電気を使うのは私の持つ当然な権利であり、電気代が嵩もうがなんだろうが、そんなの学校側の利益を削ればいいのである。そもそも、蒙昧にして不勤勉な経営側の教師達に何故気遣う必要があるのだろうか? 実際に指導を行なう教員等を顎で使い、安月給でコキ使っておきながら自分達は何もせず、教育を行なう人間としての倫理を無視し責務を破棄し、利だけを貪ろうとする鬼畜の権化に何ゆえ配慮というものが必要であろうか。本来ならば私が天誅を下すべきところをこうして電気代の必要以上の浪費という形で済ましているのだからこれぐらいは許されて然るべきである」
「先輩」
「何かね、藤井君」
「ここ、公立高校です」
公立高校は、最近になって授業料を納めなくていい、という風になりましたね。結局は税金だから、回りまわって払っていることにはなっているのだろうけど。
「な、何をう! だが、しかし、君、知らないのかね。公務員こそは悪人の仕事である!」
「何年前の価値観ですか」
「私は悪くない。米英の陰謀だ。裁判だけにはかけてくれるなよ。それは木の根ではなくてゴボウ! それは火あぶりでなくお灸!」
「戻ってきてください」
意地になってわけのわからないことを喚きだすのも、猫柳先輩の習性である。そもそも妖怪の彼女に家庭があるのか、ということだがちゃんと両親がいるらしい。母親がこれまた猫又で父親が人間。なので正確にはハーフなのだとこの前先輩が話していた。妖怪も税金を納める時代であり、試験も仕事もある……それが現実らしい。
「……まぁ、まぁ仕方ない。藤井君。実は話したいことがあってね」
「どうせまたロクでもないことだとは思いますが、何ですか?」
先輩が傍らの鞄をごそごそと漁り出し、中から一枚の紙を取り出した。A4の印刷用紙に何やら殴り書いたものらしい。先輩はそれを僕に無言で差し出した。読め、ということだろうか。
「妖向け相談教室のお知らせ……八木東高校一階右端空き教室にて、15時半より開催。人に見られずに来られる人に限る……」
「名案だと思わないかね? こんなところに妖怪と、妖怪を見ることのできる人物がいる! これを社会的に役立てずにいたら君にビジネスは向いていない! 僕らと目指そう明るい未来……! というわけさ」
「いやいやいや。それなら先輩だけでやってくださいよ。僕に何ができるっていうんですか。そもそも、妖怪の相談事なんて人にどうこうできる範疇越えているでしょう」
どうにも今回ばかりは未然に防がなければならないらしい。どうにかして先輩を止めなければ、また厄介な方向に話がもつれこむ。
「ちなみに君の答えは聞いていない。すでにその辺りの幽霊に配ってきた」
「そんな!」
対策を考える間もななかった。
「で、でも。ほら、そんなことすると傍から見れば紙がそこらを飛びまわる怪奇現象になるのでは……?」
「渡しちゃったらそれは幽霊とかの妖の物へ捧げたことになるから、この世を離れるよ?」
「……じゃあ怪異にすらならないと?」
「そうだね」
「……じゃあ、本気にしてくる何かしらがくるかもしれないと?」
「無論。そうに決まっているじゃないか」
自信満々に言う先輩。もうやだ。勝手な思い付きを人にホイホイ押し付けるんだから、この人は。そんなだから浮いた話も一切無い――それどころか、影で残念美人と言われてしまう始末なのだ。この性格とノリは、何も僕にだけ向けられたものではない。万人に対してこうなのだから、やはり人と妖は決定的に違うのだと、そう思い知らされる。
「また失礼なことを考えて。大体だね、君はその折角の霊感を役立てようとは思わないのかね?」
「僕は今日この日ほどこの能力を呪う日はありません」
霊感があっても、いいことなんか何一つありはしない。強くそう思う。こうしてヘンテコな猫又にいいように遊ばれてしまうのがオチなのである。
「あのう」
遠慮がちなハスキーボイスが聞えた。女の子のソレだ。背筋が凍ったような錯覚を覚える。間違いなく、人じゃない。振り向いてはいけない類の存在が背後にいる。勿論原因は先輩の作ったビラのせいである。話している傍から怪異の皆さんコンニチハしてしまったらしい。胃が痛くなってきた。
「やぁやぁ。君は随分派手な格好をしているね」
「生まれはフランスなんです。14世紀ごろの……」
フランス人が流暢な日本語を喋りやがって。それにしても、随分な古参がきたものだ。振り向きたくないけど、仕方ないから振り向くことにした。
ピエロの格好をしていた。顔の左半分を白い仮面で隠している女の子だ。髪色は茶で、ショートが映えている。派手すぎるという点に目を瞑ればかわいい部類だろう。それで、14世紀フランスの生まれの何さんなんだろう。
「うむうむ。まずは自己紹介だね。私は猫柳茶子。人間と妖のハーフ。で、こっちが藤井文也君。純粋な人間だけどこの霊感は侮れない。それで、君は?」
先輩はこの道化の女の子が気に入ったらしく、名前を聞く。
「ええ。ワタクシはマカーブルと申します。こちらの言葉で言うなら疫病神でしょうか」
本当に、とんでもないものがきてしまった。
「まずいですよ先輩。疫病神って。いきなりデカいの釣り上げてくれましたね!?」
「まぁ落ち着きたまえよ藤井君」
ふふん、と落ち着き払った風に先輩が余裕を見せる。その根拠を知りたい。
「疫病神としての力がしっかりあるなら、フランスから出ないでしょう」
「恥かしながら。記憶の限りでは、最後の大仕事はインドが最後でして」
「何年ぐらいの時かな」
「平成6年ぐらいの時でしたっけ」
「……日本に明るいねぇ、君」
まさかこちらの元号で答えるとは思わなかったらしく、さしもの先輩もやや引いていた。平成6年というと、1994年か。それでインドでおきて、疫病っていうと……。
「ペスト! 君、ペストを振り撒く疫病神なのかい!?」
インフルエンザどころの騒ぎではない。まさかの黒死病とは恐れ入った。思わず言葉にも力が入る。大きな声を出されたのか、道化の女の子は少し萎縮したようだった。
「え、ええ……たしかに人間たちはワタクシの病をペストと呼んでおりましたが」
「今じゃあ、治療法もしっかりあるし、予防もできる」
先輩がそう付け足すように言う。まぁ、いわれて見ればそうだ。
「さらにいえば、ワタクシは少し事情が異なるのです」
「疫病神の事情?」
なるほど。確かにそういうのもあるかもしれないが。
「ええ。普通は疫病神があって、病があるのですが……」
「君の場合はペストが先にあったってことかな」
そうなのです、と彼女は困ったように頭を垂れた。
「そういうわけで、衛生管理が行き届くとどうにもならないんですよう」
疫病神だが病を振り撒くことができないというのも間抜けな話ではあるが。そういうのも何かの拍子で出てきてしまうものなのだろうか。世界は広く、怪異もまた広い。そういうことだろうか。いや、うん。できれば僕と関係してほしくないのだけど。
「それで、何をそんな困っているのだね?」
「ええ。実は日本にきてからというもの土着の疫病神にイジメられていまして」
イジメがあるのか。オカルト業界にも。
「今日の住家にも困る始末なんです」
「……ふむ。そういうことか。うんうん。君は運がいいぞ、マカーブル君や」
先輩がまた妙な笑みを浮かべている。ああ、事態は余計なことになりつつある。
「ここに住みたまえ。愉快でイジリがいのある少年もいることだし」
「ははぁ、ここにですか? でもよろしいので?」
「構うものかね。君は相談者第一号だ。それを記念せねばならない」
「本当ですか。いやぁこれは良かった。ヨロシクお願いします。猫柳さん。藤井さん」
道化の女の子は心底嬉しそうに先輩と僕の手を取って上下に振った。何故だか先輩はドヤ顔をしてまんざらでもなさそうでいる。……どうしてこうなったんだろう。
「藤井君。もっと嬉しそうな顔でもしたらどうだ。こんなかわいい子と近づけるんだぞ?」
「……色気か! 色気が足りないんですね。厄介になる以上、脱ぐぐらいなら!」
「やめて!」
僕の胃は、果たして卒業まで持つのだろうか?