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 オレは黒月刃くろづきやいばの冷たい感触を手の平に感じながら、まっすぐイジューを見ていた。


 ヤツの顔がすぐそこにあった。

 息づかいさえ聞こえる近距離だ。


 だが、オレはいま自分の置かれている状況に、微塵も焦燥感を抱いてはなかった。

 こうして刃を向けられていても、だ。

 オレはただその事実を淡々と受け止めるだけだった。


 頭の中はひどく冷静だった。

 感覚もいつになく研ぎ澄まされている。

 いまのオレにはイジューのどんな些細な動きすら、見えていた。

 目の動き、呼気のタイミング、表情筋の動きすら。


 そして明確に判断を下せていた。

 もはやいまのイジューにはオレを脅かすような要素はないと。


「お前の負けだよ。イジュー」


 オレは端的に言っていた。


「負け? 一体なにを持ってオイラが負けだって?」


 刃の向こう側、体重を乗せつつ、わざとこっちに身を寄せながら、実原の顔をしたイジューが言ってくる。

 舌をチラチラと見せながら、おどける様子はまるで蛇だ。


「この状況のどこをどう見たらそうなんだよ? てめぇの武器を持ってるのがオイラだってこと忘れてね? それとも目とかついてないから見えないとか?

 ナハハハ! あり得る! そかそか、それなら仕方ねぇよな~。

 けどだぜ? そんな強がりも大概にしとかねぇと、オイラの本気見てうんこちびっちゃうぜ? あ~やだやだっ」


 オレはただ息を吐き出した。


 挑発には乗らない。

 そんな気すら起きない。


「だからだよ」


 それだけ言って、オレは向けられていた刃をそのまま握りしめていた。

 グッと力一杯。


「ウヒャヒャヒャヒャ! バカだ! 本物のバカがいるっ!」


 オレが?

 本物の?


 静かに笑っていた。


「!?」


 その直後、ヤツの笑い声がぴたりと止んでいた。


 イジューが異変に気付いたからだ。

 ヤツは凝視していた。

 黒月刃を、だ。


 うごめいていた。

 まるで自ら意志を持つ生命体でもあるかのように、黒月刃が見る見る形状を変化させていた。


「んだと!?」


 イジューが握っている柄が刃へと――

 そしてオレが触れている刃が柄へと――


「クソガっ!」


 イジューは咄嗟に黒月刃を放り出し、その場から逃げるように飛び退く。


「どうしかしたか?」


 オレは自分の手に戻った黒月刃の感触を確かめながら、冷めた目を向けていた。


 見れば、イジューの手のひらから血が流れ出していた。


「て、てんめぇっ!」


「持ち主以外は認めないんだよ」


「ケッ! そうならそうとはじめっから言いやがれ! クソガッ!

 だが、てめぇの手に戻って来たからって調子にのるんじゃねぇぞ?

 そんなもんなくったってオイラにゃ関係ねぇんだからな。てめぇにゃ、どっちみちオイラは切れねぇんだよ。そうだろ?

 オイラの中のお嬢ちゃんはまだいるんだからな」


 イジューがまたもとのにやにやとした笑みを浮かべていた。


 実原を人質に取ってるつもりか。

 下らない。


 オレは無感動に言った。


「……だから?」


「は!? 『だから』? だからっつったか? 聞き間違えか? やけに冷てーじゃねぇか。それともわかってねーのかぁ? オイラをやれば、お嬢ちゃんも死ぬっつってんだぜ?」


 オレは聞かなかった。

 無視して、一気にイジューとの間合いを詰めていた。


 横凪、一線!


 太刀を振るう。


「ば、バッカかてめぇはっ!」


 焦りながらもひらりと交わし、イジューはさらに後ろへ食い下がる。


「死んでいいのかよっ!?」


 オレが本気で斬りかかったことにヤツもさすがに気付いたか。


 イジューの片眉が不格好につり上がっていた。


「だから?」


 オレは再びそう言っていた。


「だから、だからって、てめぇはそれしか言えねぇのか!」


 オレはスッと太刀を正眼に構えていた。


「で?」


 イジューの頬が引きつる。


 わずかな沈黙。


 脅しなど利かないとイジューはようやく悟ったらしい。

 ならば、としばし悩んだすえにイジューは意外な行動を取っていた。


 突然、諸手を挙げて見せたからだ。


「参った参った。はい、こうさーん。マジになりすぎだっつの。これだから人間は。

 ――オイラに言うことを聞かせたいんだろ? だったら、とりあえず見逃しちゃったらっどうよ? な? オイラだって死にたかぁないしさ~。

 もう鬱憤うっぷんも晴れたし、これ以上やっても意味ねーってオイラもわかってんだし。だからそろそろこのへんでどうよ? 妖魔だって聞き分けってもんもあるんだぜ? なぁ?」


 本気で言ってるのか?


 不敵な笑みの張り付いたイジューの顔から、本心は読み取れない。


 オレは気を許さなかった。


「信用できると思うのかよ?」


「さぁ? けど、そりゃあ信用するしかねーべ? な? オレは守るぜ? 言ったからにはよ?」


 拍子抜けするほど、あっさり確約してみせるイジュー。


 向こうから動く気配はなさそうだ。


 オレは眉根を寄せた。


 はっきり言って、こういう駆け引きは苦手だ。

 静かに考え――


 オレはおもむろに太刀を下げていた。


 油断と言えば、それは油断だったのかもしれない。

 オレは迷ったからだ。


 甘かったんだろう。

 イジューの話を聞こうとしたのが。


「ゲヘ」


 イジューが嫌らしい笑みを浮かべる。


 直後だ。


「葉!!」


 離れたところで鋭くリクがオレを呼ぶ。


「なーんてな? バカが見ーる、なんとや~ら♪」


 オレは顔をしかめた。


 その瞬間、その言葉を置き去りにしてイジューがオレの視界から忽然と姿を消していた。

 いまのオレの動体視力を持ってしても追いかけられない、異常な移動速度。


 逃げた!?


 気配すら、そこからかき消えていた。


 オレは思い出していた。

 空木が戦っていたイジューが、忽然とその気配を消したときのことを。


 どうやっているのかは分からない。

 だが、イジューはその気配を完全に消し去る方法を持ち合わせているらしい。


 チィッ!


 さすがに焦った。


 いま逃亡を許せば、他に被害が出るのは確実だ。

 想定だにしていなかった。


 オレは周囲に気配のアンテナを必死にのばす。

 わずかな妖気でも感知できる精度で、意識を集中する。


 だが、オレは間違っていた。

 その判断は根本的に違ってたんだよ。


「なーんてな? 逃げたとでも思ったかぁ? ナハハハハ!」


 オレは戦慄した。


 オレの背後だ。

 半径一メートル以内。

 そこから、あり得ないくらいに気軽な台詞が聞こえていた。

 ありがちと言えばありがちなポジショニングだ。

 だが、それだけ効果的な立ち位置でもある。

 

 イジューは一瞬にしてオレの背後に回っていた。

 振り向くには、オレだってそれ相応の時間を要する。


 くっ。

 無理か。


 イジューから見れば、気配を察知することに集中していたオレは完全な無防備。

 振り返っても、前に飛び出したとしても、すでにイジューの攻撃は避けられないタイミング。

 イジューもこのチャンスを逃すはずがなかった。


 一撃だ。

 致命的なそれをイジューはオレに向けてくる。


「ぃやっふー! もらったぜぇい!」  


 ほぼ同時、


 ドンッ! と鈍い音がした。


 その一瞬に、誰もが注目していた。

 ある者は息を止め、ある者は拳を握り、ある者は口を開けたまま――


 まるでこの一帯だけ、時が止まってしまったかのようだった。


 静かに風が薙いでいく。

 さわさわとあたりの立ち草が揺れていた。


 リクが向こうで唖然として、その場にへたり込んでいた。


 遅れて上がる声。


「なっ――」


 うめき声だ。


 だが、それはオレのものじゃない。


 イジュー。


 ヤツが貫かれていた。

 オレがヤツを串刺しにしていた。


 オレはヤツに背を向けつつも、黒月刃を通して、それが成ったことを手応えで感じていた。


「……クソ――クソガっ! なんだよてめぇっ! なにしてんだよ! 意味わかんねぇ! なんで自分の腹にぶっ刺して、ンなことしてやがんだよ!」


 そう。

 オレは咄嗟には迎撃態勢を取ることができなかった。

 だからその代わりに、最短のモーションで唯一一撃を与えられる方法を取っていた。

 黒月刃を自分の腹に突き立て、身体越しにイジューを迎撃するという方法を。


「クソガ!」


 イジューはオレの身体を腕で押し、よろよろと自分の身体から刃を引き抜いて、後ろに下がっていた。


「だっせっ。痛みわけってか?」


「痛み分け?」


 イジューの言葉に、オレは鼻で笑った。


「お前にはそう見えてるのかよ?」


 オレは見せつけてやった。


 平然と立ったまま、腹に黒月刃をぶっさしたまま、横に払い、自分の身体から引き抜いて見せていた。

 ……いや、引き抜いたっていうのとはちょっと違うか。

 太刀ははじめからオレの身体には刺さってなかったからな。

 

 黒月刃はオレの一部だ。

 瞑具アークとは言え、オレの妖気から生まれてるものなんだよ。

 オレの意志次第で切る物を選ぶことが出来たって不思議じゃない。


 オレはおもむろに身体を翻し、イジューを前に見据えた。


「ふ、ふざけんなっ! そんな装具アーティカが――瞑具アークがあっていいと思ってやがんのか!?」


 常識じゃ考えられないことなのか?

 オレにはその辺の常識なんてもんがないからよくわからない。

 けど、オレの血は可能だとそれを教えてくれてんだがな?


「まー、いいんじゃね?」


 それを聞いてイジューは、切られた脇腹を押さえその場に尻餅をついていた。

 だが、その脇から血は流れていない。

 オレが切ったのは、肉体じゃなかったからだ。

 

 近づくオレに、イジューの顔色が変わっていた。


「ま、待て待て待て! ちょーっと待て! 今度はホントに言うこと聞くし! もう抵抗しねーし! ほら、なんだったら、この身体だ! この身体だっててめぇの好きにさせてやってもいいし!

 元の持ち主だって、まんざらでもねーんだから、な!? しっぽりいこうぜ? そう言うの好きだろ? 男だもんなぁ? そうだろ? あぁ、オイラだったら、も、もちろん我慢するし! 楽しくやろうや! な? だから――」


「黙れゲス」


 オレは静かに言った。


 実原の顔をして、なにを口にしてやがる?


 だが、わかってる。

 オレの答えはこうだ。


「お前は殺さない」


「……え? マジ? いいの? 本気?」


 イジューの目が爛々(らんらん)と輝いていた。


「ただ――」


「『ただ』?」


「許すつもりはないけどな」


 オレはイジューを見下ろしていた。


「――!!」


 ガクガクとイジューの顎が揺れていた。


 覚えたのは恐怖か?

 それともそれ以外のなにか。

 今のオレはヤツの目にはどんな風に映ってるのか。

 いずれにしたってオレの感情が外に漏れだしてるのは明らかだった。


 オレは黒月刃の柄を握り込んでいた。


「や、やめ――」


 ヤツに最後まで言わせない。


 両手で構え、一直線にイジューの胸の真ん中を貫いていた。


「クベバッ!」


 イジューはその場の仰向けに倒れていた。

 ヤツは避けようともしなかった。

 オレの、脇腹への一撃とともに叩き込まれた黒月刃の呪いが、ヤツの身体の自由を奪っていたからだ。


 オレは太刀を引き抜くと、軽く妖気を払って消滅させていた。


 肉体にはもちろん傷をつけてはいなかった。

 だが、イジューの本体にさらに大きな呪いのくさびを打ち込んでいた。

 服従という呪いだ。


「とりあえず立て。立って、まずは謝罪しろ」


 ゆらりとイジューが立ち上がっていた。


「だ、誰がてめぇなんかに……っ」


「謝れ」


 オレの言葉にぴくりとイジューの身体が反応する。


「ごめんなさい」


 直角に頭を下げ、苦々しい顔でイジューは謝罪していた。


 イジューはもうオレの命令から逃れることができない。

 自分の意志では決して暴れることも出来ない。

 これが黒月刃の力だった。


 オレは深く息を吐き出していた。


 もう、これでいいはずだった。

 これで終わりのはずだった。


 オレは振り向いて、遠くでこっちを見てる奴らに視線を向けていた。


 リク、宗主、そして鋼士郎。


「これで言い訳もできないはずだ」


 そう呟いていた。


 オレはこの瞬間、椿家の欺瞞ぎまんを根底からぶっ壊す、イジューという確かな証拠を手に入れていた。


 そして見た。

 遠くでよろよろと立ち上がった、リクが口に手を当てて、ひどい顔をしているのを。


 泣いている?


 遠すぎて、よく分からなかった。


 その近くにいた宗主はただ呆然とし、椿は苛立たしげにこっちを睨んでいた。


 それからオレは再びイジューに向き直っていた。


「聞こえるか? 実原さん」


 イジューは歯ぎしりしてこっちを見ていたが、どうでもいい。

 オレは無視した。


「あとでイジューに、キミのことも解放させる。それまで待ってて欲しい。ごめん」


『謝らないでください! 困ります!!』


 そう言ってる声が聞こえた気がした。


 オレは思わず頬を弛めていた。


 そして妖衣ドレスを解いた。


「……」


 直後、どっと押し寄せる疲労感。


 やっぱりか。

 

 アレだけの力だ。

 なんのリスクも無しに、それを維持し続けられるわけがない。

 体中がきしんでいた。

 重力が何倍にも跳ね上がったかのようだ。

 

 だが、気分は悪くはなかった。

 オレの心は充足感で満たされていた。


「葉!」


 気付けば、リクがこっちに駆けてきているのが見えた。


「リク?」


 そこでオレは気付いた。

 オレは彼女にここで初めて名前を呼ばれたんじゃないかって。


 妙なうれしさがこみ上げてきていた。

 とうとうオレは心から彼女に認められたんだって。


 オレは走ってくるリクを受け止めようと、両腕を開いた。

 抱きとめ、一緒に感動を分かち合いたい、そう思った。


 けど、だ。


 これはちょっとどうなんだ?


 リクはオレのすぐそばまでやって来るなり、なぜだかその勢いを殺すことなく、むしろ拳にその勢いをのせ、


「心配させんなバカっ!」


 バキッ!


 オレを思い切り殴っていた。


 あまりに予想外な行動に、オレはまともな反応ができなかった。


 いや、確かに心配はさせたとは思うが――

 マジでこれか?

 マジで普通に抱き合うとか、そういう発想はないの?


 さすがにへこんだ。


「けど……」


 続きが――あった!?


 リクは言っていた。

 彼女は片方の目の端を、かすかに光らせていた。

 それが涙だと気付くのに、オレはちょっとだけ時間がかかっていた。


 ギャップが大きすぎたせいだ。


「ホントに……ホントに心配したんだから……」


 リクの小さな肩が震えていた。


 オレはそんな彼女の切なげな顔にドキリとしつつも、ふためいていた。


 まさかリクのそんな姿を見ることになるなんて思いもしなかったからな。

 単純に喜んでくれる、そうだとばかり思っていた。


「……ごめん」


 オレは思わず謝っていた。


「うん」


 そしてリクがちょっとだけ笑って、オレを見上げていた。

 すぐそこに彼女の顔があった。


 こんなに近くで見るのはたぶん、はじめてだった。


 長いまつげ――

 ちょっとだけ上気した頬――


 オレはリクの土で汚れた頬に手を伸ばし、軽く撫でてそれを拭っていた。


 さらに距離が近づいて――


 ん?


 戸惑った。

 なぜならリクもオレも近づいては、いないはずだったからだ。


 なのに、なぜだか距離が縮まってる?


 そう思ったとき、オレは情けなくも理解した。

 思わず苦笑いした。


 オレのせいだった。

 慣れないことをしたせいだ。

 どうやらここでオレの疲労がピークに達したらしい。


 膝からふっと力が抜けていた。

 ふらつき、そして意識を暗闇に引きづり込まれていた。


 近くでリクの声が聞こえていた。

 なにを言っていたかはわからなかったが、ひどく心地よい声だった。


 あぁ、ひどく心地よい声だった――

もうちょっと続きます。

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