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オレは戦場にいないようです。

「…………」


 気付くとオレは、見慣れない天井を見上げていた。

 堅すぎない背中の感触からすると、どうやらベッドの上らしい。


 横を見れば、サイドテーブルの上に乗せられた花瓶があった。

 ピンク色の花が一輪、そこには挿してあった。


 目を引くほど鮮やかってわけじゃなかったが、色という色が白で埋め尽くされたこの部屋では、とくに華やいで見えた。


「病院……か?」


 オレは確かめようと身体を起こし、思わず悲鳴を上げて、そのまま身体を投げ出していた。

 少し力を入れただけで体中に激痛が走っていた。


 よく見ればオレの身体中に包帯が巻かれている。

 右足なんかは石膏で固められて、ヒモのような器具で上からつり下げられてる始末だった。

 きっと全身鏡で今の自分を見たら、ミイラ男に見えるに違いない。


 オレは諦めて、目だけで部屋の中を確認していた。


 一人部屋のようだった。

 オレが使っているベッド以外に他のベッドは置かれていない。


 しかし、オレはどうしてこんなところにいるのか。

 記憶がどうも鮮明じゃなかった。

 経緯が分からない。

 まだ意識も霧がかかったようにどこかぼんやりとしているせいか、頭もしっかりとは回らなかった。


 だが、ここがどこの病院かはなんとなく想像がついていた。

 窓の外に見慣れた街の景色が見えていたからだ。

 オレがずっと育ってきた街の景色だった。

 見慣れた商業ビル群が見えている。


 頭もはっきりしてくれば、そのうち状況もわかってくるのかもしれない。

 そんなふうに思っていると、部屋のドアが開いていた。


「お兄ちゃん!」


 そこから飛び込んで来たのは妹の白葉しらはだ。

 まるでしばらくぶりに会うようにぱあっと笑みを咲かせて、すぐベッド脇にまでかけて来る。

 尻尾でもあったらきっと激しく左右に振っていたに違いない。


「よかったぁっ。元気そうっ!」


「ったく、心配かけさせるんじゃないっつの。この愚弟っ」


 さらに入ってきた口の悪いのは、姉貴の琴葉ことはだ。

 さすがに外に出るときは、いっちょまえにカジュアルな格好をしている。


「で、加害者にはもうあったのか? もちろん慰謝料、治療費、ぶん取ってやったんだろうな?」


「慰謝料?」


 オレが琴葉に聞き返すと、琴葉は怪訝そうにオレの顔をのぞき込んできた。

 ガリガリと短めの髪を掻きむしると、


「電話で言ってただろうがっ。なんか二つの頭が付いた羊の形だっけか? そんなマークが付いた車に轢かれたって。高級車だったんだろ?」


「……電話した? オレが? それに轢かれたって?」


 そう聞き返すとさすがに変に思ったか、白葉と琴葉が顔を見合わせて、頭大丈夫か? とオレに視線を向けてきた。


 けど、そう言われればそんなことがあったような気もする。


「……そういえばかれたんだったか」


 いまいちピンと来ない。

 が、それならこの怪我も納得できるような気がする。


「お医者さんが記憶の混乱があるって言ってたし……」


「だな。コイツはけっこう逝ってるのかもな。けど、案外これで頭良くなったりして」


 ケラケラと笑う琴葉にどういう意味だ、とオレは目尻を尖らせるが、琴葉はまったくもって意に介さない。


「ま、もっとも交通事故ってのはその前後の記憶は飛ぶらしーし、しょうがねぇんじゃね?」


 言われてオレは頷いた。

 そんな話はオレも聞かされたことがある。


「でも、びっくりしたもん。昨日の夜、事故にあってから、お兄ちゃんには会えなくてメンカイ、メンカイ……えっとー」


「面会謝絶?」


 オレが補足してやると、白葉は大きく頷いていた。


 そりゃあ、確かに心配するよな。

 突然のことだっただろうし。


 オレはちょっとばかし照れくさかったが、一応二人には感謝の言葉を言っていた。

 普段はそれほど仲のいい姉妹って感じじゃないんだが、こういうときはやっぱり特別らしいな。

 悪くないと思ったよ。


 それからオレは二人とポツポツと話をしていた。

 が、記憶の方はやっぱり相変わらずなままだった。

 何か大切なことを忘れているような気がするんだが、それも思い出せない。


「ま、頭も打ったんだろうし気にすんなって」


 琴葉はそう言って気を遣ってくれたが、それでもオレの気は晴れなかった。

 漠然とした不安が心の底にへばりついてる気がした。


 どうやら、それが二人にも伝わったらしく、時折オレの方を複雑そうな顔で見ていた。

 さすがにバツが悪くて、オレは思わずはぐらかすように、こう話題を振ってたよ。


「そうそう、あの子犬はどうなったんだ?」


 白葉に聞いていた。


「子犬?」


 目を白黒させて、白葉は琴葉を見上げる。


「ほら、お前がこの前大事そうに抱いてただろ?」


 オレが言うと二人とも困ったような顔でしばらく口を閉ざし、それから――


「あー、う、うん。元気だよ? すっごく元気っ」


 白葉が慌てて言ってきたよ。

 嘘だった。

 すぐにオレには分かった。

 白葉は嘘をつくとすぐにアヒル口になる。

 きっとオレに気を遣ってくれたんだろう。

 これ以上オレが不安にならないように。


「ま、退院したらすぐに会えるさ」


 琴葉が話を合わせて、胸の前で腕組みしながらうんうんと頷いていた。


 けど、オレは「あぁ」とそれに相づちを打ったきり、それ以上は何も聞くきになれなかった。


 やっぱりなにかがおかしい。

 それともおかしいのはオレの方なのか?


 ますますオレは混乱していた。

 自分の中にある違和感がさっきよりもより大きくなっているのを実感していた。


 そんな折り、


「伊垣さーん。検査のお時間ですよー」


 女の看護士さんが病室に入って来る。


 いいタイミングだった。

 沈黙がその場を支配しようとした寸前だったからだ。


「あら、仲がよろしくていいですね?」


 オレたち三人を見ながら看護士さんが言っていた。


「あぁ、えぇ」


 オレは答えながら、ふと既視感を覚えていた。

 初めて会う看護士さんのはずなのに、だ。


 最近の看護士さんはナースキャップはしていない。

 その代わりに彼女は髪をヘアピンで留めていた。

 四つ葉のクローバーのヘアピンだ。


「検査?」


 琴葉が聞くと、


「そうなんです。まだ一部の内科の検査が終わっていなくて」


 そうなのか?


 オレも初耳だ。


 さらに、他の看護士さんが車いすを持ってくる。


「なら、あたしらはちょっと外してるか」


「うん。また、あとでお姉ちゃんと一緒に来るね、お兄ちゃんっ」


 琴葉、白葉が順番に言って病室を出て行く。

 オレは看護士さんに手伝ってもらって車いすに移ると、そのまま車いすを押してもらいエレベーターに乗せられていた。


「ちなみにどこに行くんですか?」


「上の階です」


「上?」


 普通、検査室って病院の下の階とかにあるもんじゃないのか?


 オレは首をひねっていた。


 チンッ。


 エレベーターが止まる。

 ドアがゆっくり開いて、オレはそこに現れた奇妙な光景に顔をしかめたよ。


「あの……看護士さん?」


 けど、看護士さんは無言のままオレを車いすに乗せたままエレベーターから降ろすと、まっすぐ進んで行く。


 明らかにおかしかった。


 ここは普通の病院なのか?


 エレベーターは上に向かっていたはずだった。

 それはエレベーターのドア上部にある階層表示にも出ていた。

 なのに、出た先は薄暗く、明かりは天井から点々とつり下がっている裸電球の明かりだけだった。

 まるで地下室だったんだよ。

 しかもまっすぐのびた廊下の脇には、一切の扉はない。


「ちょっと、看護士さん?」


 さすがに不安を覚えた。


 こんな異様な場所が病院の一部とは思えない。


 だが、看護士さんは一向になにも答えなかった。

 彼女はオレの車いすを押して黙々と進んでいく。


「!!」


 ふと鼻先を不快な気配が掠めていた。

 激しく嫌な予感がした。


 まっすぐ伸びた廊下の奥、そこにそれは見えて来た。

 大きな鉄の扉だった。

 その扉の上には手術室とプレートが取り付けられている。


 手術室?


 これで違和感を覚えない人間がいたら、まずその人間は普通じゃない。


「ちょ、検査じゃなかったんですか?」


 オレは急いで車いすのブレーキをかけていた。

 けど、それ以上の力で看護士さんに押されて、車いすはタイヤが削れるような耳障りな音をさせていた。


「くそっ」


 オレは仕方なく手でじかに後輪のハンドリムを掴む。


 看護士さん――いや、看護士はオレの言葉に聞く耳はもうもっちゃいないようだった。

 さすがにこのセリフはなかった。


「放しなさい。その手をすぐ放して!」


 後ろから苛立たしげな声がしてくる。

 おそらくそれは看護士のものなんだろうが、さっきとはまるで別人の声だった。

 まるで男のような低い声だ。


 オレは必死に抵抗を試みながら、正面の扉を睨んでいた。

 後ろを振り返る余裕がなかった。


 だが、すぐそこに鉄の扉は迫っていた。

 じりじりと車いすごとオレは押されていく。

 けど、このままじゃ遅かれ早かれ押し負けるのは確実だ。


「こなくそっ!」


 オレはギプスを巻いてない方の足を床にのばし、じかにブレーキをかける。


 それでなんとか力が拮抗し始め、その場に留まることに成功はしたんだが、


「なっ!?」


 安堵した、その途端だ。


 後ろにいたはずの看護士がオレの横に回り込んだかと思うと、鉄の扉を乱暴に蹴り開け、


「はい、サヨウナラてか?」


 車いすをその場でひっくり返し、オレをその扉の奥へと投げ込んでいた。


 しまったとオレが思ったときには、もう遅かった。


 オレはその時になって、ようやく見ていたよ。

 看護士だったものの顔を。

 けど、それはさっきまでの看護士の顔じゃなかった。

 嘲り、にたにたとオレを眺める男の顔。


 それがオレに全てを思い出させていた。


「イジュー!!」


 そう。

 それがイジューの本当の顔だったんだよ。


 だが、それに気付いたときにはもうどうしようもなかった。

 オレはすでに扉の向こう側だ。


 深い谷の真上に投げ出されていた。

 ドアを境に床がとぎれてたせいだ。

 その底にはこちらに切っ先を向ける、血塗られた剣の山がギラギラと光っていた。


 オレの身体を包み込むわずかな浮遊感。

 だがそれは、次の瞬間には加速度的に早さを増す、落下感へと変わっていた。


 手が届く距離には掴む物はなにもない。

 妖衣ドレスもなぜだか使えない。

 ジタバタしようが、ただ落ちていくだけ。


 絶望的な数秒間だった。


 そしてオレは、ただ無感動にそれを聞いていた。


 ザクリ――


 そんな無情な音を。


 無数の何かがオレの身体を突き抜けていた。


「クフフフッ。ナハハハハ! これでてめぇの身体はオイラのもんってかあ? ありがたく使ってやるぜぇ! ナハハハハ!」


 上から声が降ってきた。


 オレはそれを聞きながら理解させられていた。


 ひゅーひゅーと自分の肺から空気が漏れる音を聞きながら。


 遅すぎると思い知りながら。


 ここは現実じゃない。

 心象世界であることを。


 だが、ここでの死はそのままリアルでの死と同じだ。

 オレの中の何かがそう教えてくれていた。


 オレが現実で、イジューに挑みかかったのは、ほんの少し前のことだった。

 そこで苛烈な衝突を繰り返し、オレはヤツの右肩に刀を突き立てていた。

 もう少しでイジューを黒月刃の制御下におくことができる、そんな時だったってのに。


 そこでヤツは笑いながら、オレに手を伸ばし、そしてオレの精神に潜り込んできたんだよ。

 ヤツが今言ったとおり、オレの身体を奪うために。


 だが、オレはそれに気付くのが遅すぎた。


 それがヤツの仕掛けたことだったとしても。

 この世界じゃオレはただの人と大差ない。

 だから為す術もなく、この様だった。


「ケフッ……」


 のどの奥からせり上がってくる血に、オレは咳き込んでいた。

 

 痛みと、苦しみが、オレの意識を混濁させはじめていた。


 息が――できない。


 ひどい結末だと思った。


 オレは仰向けに、そこから見えるわずかな空を見ていた。

 どんよりと曇りきった空がそこにはあった。


 目の前は、すでに薄暗くなり始めていた。

 血が流れすぎたらしい。

 やがてオレにはなにも見えなくなっていた。


 オレは思っていた。 

 こんな時、もっとあがけるもんじゃないのかって。

 どこかの漫画や映画の主人公みたいに、根性論全開で少しくらいならなんとかできるんじゃないかって。


 けど、無理だった。

 死っていうのはこんなにもあっけなくやってくるもんらしい。


 走馬燈もどうやら嘘っぱちみたいだった。


 ほら、オレはもう……なにも……考え……られ……な……く……




「カハッ!」


 がばりとオレは身体を起こしていた。

 空気をむさぼるように肺に送り込む。


 体中がきしんでいた。

 だが、無視した。


 急いであたりを見渡すと、そこは――


「……また?」


 同じ病室のベッドの上。

 ただし、そこはさっきほど明るくはなかった。

 薄闇に包まれていたからだ。


 貫かれたはずの身体の元に戻っているようだった。


 わけがわからなかった。


 だが、一つ言えるとしたら、オレはまだ無事らしいということだ。

 確かにオレは生きている。


「……伊垣くん」


 声?


 弱々しいそれだった。


 病室のドアの方からだ。

 わずかに隙間が開いていた。

 その隙間から、ずいぶんと小柄な少女が顔を覗かせて、オレの名を呼んでいた。

なんとか手直し完了。

本日から最後まで、連日更新していきますので、よろしくお願いします!

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