イジュー
「……こいつはさすがにヤバいよな」
オレの言葉に、ツキグモは深刻そうな顔をして頷いていた。
けど、オレもツキグモも気にかけていたのはイジューの気配というわけじゃなかった。
それ以外の気配だ。
「あぁ、まさかここまで五葉家の連中が弱ってるとはな……」
ツキグモがため息混じりに言っていた。
あきらかに五葉家が劣勢へと追い込まれてたからだ。
ラボに入る前に感じられてた気配の数と比べると、かなり数を減していた。
いまでは残ってる気配も、両手の指で数えられるくらいだ。
そしてそれらの気配の大きさも、あまり大きなものじゃなくなっていた。
おそらく疲弊してるんだろう。
なおさらオレは焦ったよ。
このままじゃ最悪の事態すら考えられるからな。
リクだ。
今は感じられているその気配も、消える可能性だってゼロじゃない。
オレはリクに伝えなきゃいけないことがあるんだよ。
そのためには絶対に無事でいてもらわなくちゃならない。
だから、オレは急いだ。
すぐに走り出そうとした。
けど、だ。
「待て待て」
それをツキグモに止められていた。
こっちはひどくじりじりしてるってのに。
「残ってるのは当主クラスだ。気配でわかるだろ? 大丈夫だよ。そんな柔にできちゃいねーって。それよりだ――」
そう前置きすると、オレを真剣なまなざしで見上げてきた。
「いまはお前の方が重要なんだよ。身体だよ。大丈夫なのか?」
「身体?」
「あぁ、そうだよ。血を飲んだ影響だ。問題なさそうか?」
言われてオレは、なんとなく手のひらをグーパーグーパーと握ってみた。
特に問題はないように感じた。
と言っても、これで十分わかるかも疑問だが。
それでもオレの身体に変化が起きているのは、オレ自身自覚はしてたよ。
それがどんなものかって言うのは、ちょっとばかし感覚的すぎて説明ができないんだが。
「ま、その様子なら問題ないか。妖気にも異常はなさそうだし」
ツキグモはオレの様子を観察するようにオレの周りを一周すると、一人納得して頷いていた。
「なら、ツキ」
オレは行かせろ、と急かす。
「ったく、焦りすぎだっての。少しは落ち着け。でないとうまく行くもんもいかないぜ?」
む。
「だから、お前はまず落ち着け。深呼吸しろ。こういうときほど、急いたら負けだ。あたしの経験則だよ」
オレは渋々頷くと、言われたとおりに深く肺に空気を送り込んだ。
数度それを繰り返す。
「よし。それくらいでいいか」
オレはツキグモを見返した。
「ふむ。ちょっとはマシになったな? なにげにこうして見ると、お前はやっぱ伊那の孫なんだな。昔のアイツによく似てるよ」
「ばあちゃんに?」
「あぁ、機会があれば七葉家だった時の話以外にも、またその話もしてやるよ。けど、まぁ、いまは――」
ツキグモは松林へと視線を向けていた。
「行けるか?」
「行けないとでも?」
「だよな」
ニシシシとツキグモは笑っていた。
「どんな選択をするかは知らねーが、うまく幕を引いてやってくれ。あたしは陰から応援してるよ」
そしてツキグモはにやりとしてオレに肉球を見せていた。
なんのつもりかと思えば、本当は親指を立たせたかったらしい。
グッドラックってな。
なんにせよツキグモは顛末を最後まで見届ける気でいるらしい。
適当に見えて、それなりに責任を感じてるのかもな。
おそらくツキグモ自身には妖魔としての力がほとんどないから――
オレが、はじめ普通の猫と勘違いして助けちまったくらい、ツキグモには妖気がない。
だから、せめてそれくらいのことはしないと気がすまないのかもしれない。
アレコレとお膳立てした立場としては。
「気をつけてな」
「あぁ」
オレは頷いて、ツキグモに背を向けた。
目指す先は松林の奥だった。
イジューと五葉家の主戦場。
距離としては五分もかからない場所だった。
が――
オレは順調にはたどり着くことが出来なかった。
「陣……」
そう、すっかりその存在を忘れていたからだ。
空木も対イジューの時には、張ってたってのに。
もどかしかった。
けど、ここで焦っても仕方がない。
オレは冷静に対処することにした。
いま、オレの目に映っているのは、ただ静かなだけの松林の風景だった。
だが、そんなわけがないのはわかってる。
もうそこに人の姿が――五葉家の人間の姿が、見えいてもおかしくはない距離までオレは来ているはずだからな。
ほら、
バチッ!
手をのばすと、すぐそこに手を押し戻そうとする何かがあった。
不可視の陣。
しかもどうやら、これはただの人払いの陣ってわけじゃないようだった。
五葉家に関わる者以外を排除する陣、そんな強制力が働いているらしい。
同時にそれはイジューを逃がさないようにするための檻でもあるのかもしれない。
だから下手に壊す、という選択をするわけにもいかなそうだった。
なら、どうする?
さわった感じからすると、方法はないわけじゃなさそうだが――
穴を開ければ行けるか?
安易だが、いまのオレならたぶん……出来る気がした。
それは緊急異行を使わなくても、だ。
おそらくこれはツキグモの血を飲んだおかげだった。
いまのオレは妖気がより詳細に感じられるようになっていたからだ。
オレ自身の中にある妖気も同様に自覚し、操作出来るようになっていた。
だから、陣に感じる妖気も操ろうとすれば出来るだろうと思ったんだよ。
オレは再び手を伸ばしていた。
陣に触れるか触れないかの距離だ。
すると手のひらに陣を構成する妖気が感じられはじめた。
熱に似た感覚だ。
だが、それは始終そこにとどまっているワケじゃないようだった。
流れがあったからだ。
この流れこそが、おそらく陣の正体だった。
形は、そう――
ドーム型。ややひしゃげた半球だ。
流れは、そんな形を取っていた。
つまり、この辺りを覆っている陣の全体像がおそらくそんな感じだってことだ。
妖気の質から察するに、数人でこの陣を維持しているからそんな不格好な形になったらしい。
オレはその流れに自分の妖気を同調させると、迂回させるような流れを頭の中でイメージしてみた。
さらにそこに、ゆっくりと自分の妖気を流し込んでいく。
効果が現れたのはすぐだった。
オレの妖気が混ざったせいか、オレの目にも陣の姿がはっきりとわかるようになってたよ。
そこにオレが悠々と通れるだけの穴が出来上がっていた。
うまくいったらしい。
自分でやっておいて、なんなんだがちょっとばかし驚きだった。
気付けば、オレは出来る子になってたらしい。
けど、だ。
それを喜んでいられる時間はなかった。
先を急いで陣の中に入ったオレを、手荒に出迎えてくれる存在があったからだ。
目の前に人影が飛び込んで来たんだよ。
蹴り!?
切れ味鋭い回し蹴りが、オレを狙っていた。
人影の放ったそれに、危うく首を刈られそうになってオレはバックステップでそれを避けていた。
すぐにオレはやりかえそうとするが、慌ててそれを止めていた。
人影がなぜだかひどく動揺した様子で、それ以上は攻撃してこなかったからだ。
「あんた……なんでいるの?」
それまで木々の陰に隠れて、判然としなかった人影の声。
陰からようやく姿を現して、それでそれが誰なのかわかった。
リク?
ほっとすると同時に、オレは戦いていた。
「なんで? なんでいるの? 帰ったんじゃないの? しかもどうやって? ここには五葉家の人間以外は入ってこれないはずよ? なにしに来たのよ? 気配がわかってないわけないでしょ? バカなの?」
次から次へと疑問符つきの言葉が出てきた。
一体それのどれに答えろってんだ。
「あーったくっ! いっぺんに聞くなっつの! こっちだっていろいろあったんだからな!」
と言って、とりあえずオレはリクを落ち着かせようとする。
だが、あっさりスルーされていた。
リクはそれとは無関係にぎょっとしていた。
乱暴にオレを押しのけると、オレが通ってきた陣の穴を見て愕然してたんだよ。
「……ウソ?」
ぽつりと言ってすぐに、オレを振り返って凄い剣幕で睨んでいた。
説明しろと目が言っていた。
「あー、それはいやその、中に入るために開けさせてもらっただけなんだが……」
「開けた? あんたが!?」
オレは頷いた。
「本気で? 本気で言ってんの? この五人がかりで張ってる陣に!?」
リクが信じられないと言った様子でオレを見返して来ていた。
「しかもあんた、妖衣も纏ってない」
「……マズいのか?」
まるで百面相のようだった。
リクはオレを睨んで、次々と表情を変えていた。
けど、すぐに気がついたらしい。
その言及はリクからすれば、もともとの論旨からは大きく外れてたことに。
「まぁ、いいわ」
と動揺を振り払うように、リクは頭を振って話を戻していた。
「それよりよ! なんでここにいるかよ!? 帰ったはずじゃなかったの!?」
「いや、そりゃ、帰ってないからだろ?」
「見たらわかるわよ! ってか、そいういことを聞いるんじゃないし! あんたはここにいちゃいけない人間なのよ! そもそも部外者でしょうが!!」
ぅぐっ!
ま、まさかまだそんなことを言われるとは。
しかも、よりにもよってリクに。
「わかったなら出ていく! ここはあんたのいるような場所じゃないんだから!! 出ていきなさいよ!」
両手でぐいぐいとオレの胸を押すリクの、その必死な言いようにオレはちょっとばかり戸惑ったよ。
なにかおかしい気がした。
あまりに強引すぎる。
何かあるのか……?
そう勘ぐった、その時だ。
「チッ」
リクがこぼしたのは舌打ちだ。
オレはそれを見逃さなかった。
到底慣れるなんてことが出来そうにない気配。暗く淀んだ、その気配がこっちに近づいていた。
イジュー。
そう、ヤツがここに迫っていたからだ。
オレはリクに反発し、当然この場にとどまることを選んでいた。
どんなヤツなのか。
その面を拝まずにはいられない。
実原の仇を見ておかずにはいられないからだ。
けどだ。
実はその必要なんてこれっぽっちもなかったことを、オレはすぐに思い知らされた。
「!?」
オレはそこに現れた人影を見て、心臓を握りつぶされるかと思うほどの衝撃を受けていた。
気配は間違いなくイジューだっていうのに。
イジューだと、オレは認めることができなかった。
イジューは、機動隊並の特殊装備に身を固めた、五葉家の黒服たちに銃口を向けられながら、尋常じゃない身体能力でその銃弾を交わして、次から次へと彼らをなぎ払っていた。
マジ……なのか?
間違いなかった。
イジューは実原和音だった。




