田舎生活のはじまり。
「双頭の羊?」
そう聞き返してきたのは、よろず屋の店長だった。
引っ越しの片付けを終えたオレは、夕飯の買い出しのために近くにあったこの店に来てたんだよ。
ちなみによろず屋ってのは、なじみがない人もいるだろうが、いわゆる田舎のコンビニだ。
日用品をはじめ食料品など、生活に必要なものが置かれている。
ただ、24時間じゃないし、おでんとかもないから、そのへんの期待は禁物だ。
そこでオレは買い物を終えると、思いついたようにおしゃべりな店長――スキンヘッドのおっさんに聞いてたんだよ。
双頭の羊のエンブレムに心当たりはないかって。
「ちなみに、そいつはどんなヤツなんだ?」
聞かれ、説明するにも困ってオレは言った。
「えっと、書くものあります?」
「ん? おう。ちっとまってろよ」
カウンターの後ろに置かれていた机の上から、おっさんがペンと紙を取ると、それを差し出してくる。
オレはそれを借りて、さらさらと書いた。
「んー。あー。なんだ? これ……ゴジラ?」
「……羊ですけど」
おっさんに苦笑され、オレは顔が引きつった。
絵心無いのオレ?
いま初めて発覚した衝撃の新事実。
「……ま、まぁ人には得手不得手ってのがあるしな」
ぽんぽんと肩を叩かれ、慰められて、正直オレは普通にへこたれた。
「……やっぱいいです」
「いやいや、待て待て。で、そいつが一体どうしたんだよ?」
オレは渋い顔をしつつも、せっかく聞かれたので答えた。
「知ってたら、詳しく話を聞かせてもらおうと思ったんです」
「あー、なるほど」
おっさんは頷くと、はたと何かを思い出すように顎をしごいて、しばしの思案ののち、
「あ」
お!
「こ、心当たりがあるんですか!?」
オレは心の中で指を鳴らす。
これはひょっとするとひょっとするかも!?
期待する目でおっさんを見る。
と、
ブッ!
「屁が出そう」
「――いや、出てるし!」
一気に冷めた目でオレは、おっさんを見ていた。
「ダハハハハ。いやぁ、悪い悪い。考え込むとケツの穴が緩くなってよ~」
「もういいですよ!」
「おう! 覚えてたら、他のヤツにも聞いとくぜ!」
オレはげんなりした顔で、背中におっさんの快活な声を聞きながら店を後にしたよ。
まぁ、そうだよな。
こんなに早く分かれば苦労なんてしない。
根気よく行くか。
オレは食料を詰め込んだレジ袋を握り直して、帰路についたよ。
外はすっかり日が暮れていた。
山に囲まれてる場所なせいで、日暮れが平野部に比べてずいぶん早いらしい。
ハンディライトを持ってくるべきだったかもしれない。
と、そんなことを思ってると――
視線?
オレはオレに向けられているそれに気がついて、足を止めていた。
薄気味悪い感覚だった。
オレの背中にへばりつくようなそれは、オレに気付かれたと知ってもなお向けられていたからだ。
……なんかしたかオレ?
心当たりはなさ過ぎるが、このままというのも気持ちがいいもんじゃない。
オレは振り返って、その主を確認しようとした。
その時だ。
キキーッ!
甲高い車のスリップ音。
それがオレの耳に届く。
直後にオレの脳裏には、あの月のない夜の光景が浮かんでいた。
自分の轢かれたあの時のことだ。
だが、今回は違っていた。
オレじゃあない。
それはオレからやや離れた場所で聞こえていたからだ。
オレはほとんど反射的に顔を向けて、それを目撃していた。
ヘッドライトに照らし出されていたのは、小さな影だった。
黒猫だ。
なぜだか車道のど真ん中にいたらしい。
それがいまにも轢かれようとしてたんだよ。
今から行っても、間違いなく間に合わなかった。
痛ましい惨状が容易く想像できた。
「ちっ」
オレは躊躇なんてする暇もなかったよ。
心のうちで呟いていた。
ただ静かに――
緊急異行と。
その瞬間、オレの周囲の景色は一変していた。
時間遅滞現象だ。
原理は単純だった。
オレの五感が先鋭化したせいで、認識される周囲の時間が遅く感じられるようになっただけのことだ。
……あぁ、わかってるとも。
胡散臭いって思うのはわかる。
冷たい視線を向けられてるってのも、何となく感じてる。
けど、ホントなんだよ。
オレはこれで、身体能力も飛躍的に向上する。
そしてそれは見た目にも影響を与えるらしく、オレの髪や眼は、真っ赤に染まるんだよ。
深く濃い、禍々(まがまが)しい赤へとな――
ほら。
言ってるウチに、変化は完了だ。
細胞という細胞が沸騰するような感覚が身体を包んでいたよ。
充溢する気力、胆力。
おそらく力が滾るってのは、こんなことを言うんだろうな。
オレは再び今にも轢かれそうになってる黒猫を見たよ。
これなら余裕で間に合いそうだった。
「感謝しろよっ、ノラ。ここにオレがいたことにな!」
言うと同時、オレはレジ袋をその場において地面を蹴り、車道を横切っていた。
スローに見える車の前で、オレは道のど真ん中にいた黒猫を片手で掬い上げると、道を渡りきって着地を決めた。
車道を車が通過していったのは、それからほんの数瞬後だった。
運転手は何が起きたのか分からず、しばらくノロノロ運転をして、後ろの様子をうかがっていたようだが、どうやら轢いたわけではないと分かったか、すぐに行ってしまっていた。
オレの姿には気付かなかったらしい。
もっとも、気付いて礼を言われたとしても、面倒なことこのうえないから、そっちの方がありがたい。
こんな薄気味悪い姿を見られる訳にはいかないからな。
「よっと」
オレは黒猫を地面に下ろしてやる。
「命拾いしたな。次から気をつけろよ?」
そう息をついて、レジ袋を取りに戻ろうとした。
そしたらだ。
「へぇー、あんた人間じゃないんだ?」
「!?」
意気なり、そんな声。
オレは焦ったよ。
……見られた!?
愕然としたよ。
オレは誰かが近づいていれば気配でわかるはずなのに、この時だけは気付けなくて――
いや……違う?
そうじゃない?
オレは確かめるように、おそるおそる周囲に目を這わせ、結果、困惑させられていた。
いない?
そう。こんなふうに声が聞こえるほどの距離には、誰もいなかったからだ。
オレはその不可解さに眉根を寄せていた。
「って、おいおい」
声は下からした。
「なにシカとしてんだよ? こっちだっつの。こっち。お前の目の前にいるだろうが?」
目が点だった。
え゛?
「……まさか」
あぁそうだ。
オレは目玉をひん剥いて、目の前にいる黒猫を見たよ。
ね、ね、ね、猫がしゃべったぁあああ!?




