潜入
それは椿家の敷地内にある、薄暗い林の中にあった。
遠くから見たら巨大な岩のようにしか見えなかったが、近づいてみて、それが見た目通りのものじゃないってことが分かった。
カモフラージュされた、施設の入り口。
薄墨色の岩と同化するように塗装の施されたドアが、そこには設けられていた。
ツキグモが言うには、ここから地下に降りることが出来るらしい。
ピピッ。
人の姿になったツキグモが、ドアの脇にあるタッチパネルにふれていた。
指静脈認証による電子ロックが施されてるからだ。
「解除できるのか?」
「出来なくて連れてくると思うのかよ?」
にやりとするツキグモ。
言ったとおり、電子ロックは解除されていた。
「急ごうぜ」
ドアが自動で開くのを目で確認して、ツキグモは親指でくいっと中を指す。
「誤作動?」
オレはあんまりすんなり開いたもんだから、マジマジとタッチパネルを見ていた。
「三枚におろされてーか?」
ツキグモがしゃきんと爪を尖らせる。
ごめんなさい。遠慮します。
おそらくだが、ツキグモは能力らしきものを使ってるんだろう。
一応、コイツも妖魔だからな。
オレははぐらかすようにドアに近づいて、中をのぞいていた。
そこから下りのエスカレーターが始まっていた。
ドアが開けられると同時に、動き始める仕掛けらしく、機械的な低い音をさせていた。
「ここを降りるのか?」
「あぁ、あたしが先行する。だからお前はついてこい」
そう言って、ツキグモは手のひらを差しだしてくる。
って、こんな時に?
マジか。
「メシなんて持ってきてないぞ?」
「アホか! 手だよ、手! あたしの手を握れっての!」
顔を真っ赤にして言うツキグモ。
照れてる?
なわけないか。
「手をつないでないと、あたしのカモフラージュ効果は無いんだよっ」
「あー、そういうことなのか」
じゃあ、とオレは遠慮無くツキグモの手を握っていた。
「なら、行くからな。離れんなよ」
そう言ってツキグモは先に降りていく。
オレはそれに引っ張られるようにあとに続いていた。
長いエスカレーターの突き当たりにあったのは、エレベーターだった。
さらに深く地下へと潜るらしい。
「今度はここを降りる。エレベーターに入ったら、しばらくは何もしゃべるなよ。こっちの気が散るからな」
オレはツキグモの指示に従い、それでさらに地下へと降りた。
いちいちパスワード認証やら、網膜認証やら、面倒くさいセキュリティがあったが、ツキグモがそれをあっさりパスし、エレベーターを順調に稼働させていった。
そうしてオレたちが辿り着いたのは、おそらく最下層だろうと思われるフロアだ。
いまいるのはエレベーターを降りた先にある、狭いロビーだった。
「この先だ。深呼吸はいいか? ビックリしても声とか上げんなよ。ちびっても申告はいらねーからな」
「するかっ」
フフンとツキグモは笑っていた。
けど、それだけ言うってことは、そんなに重大な何かがあるってことなんだよな。
オレは目の前にある、真っ白な扉を見ていた。
その扉にはD5と表記されていた。
何か意味のある記号なのか、それとも通番で振られた番号に過ぎないのかはさすがにわからないが、これまでよりもやけに強固な扉だった。
「なら、開けるぜ」
ツキグモはドア脇の壁に埋め込まれていた認証パネルに、手の平を押し当てる。
それが最後のセキュリティらしい。
認証パネルの上部に付いていたランプが、レッドからグリーンに変わっていた。
それと同時だ。
カシッと機械的な音が扉の奥から聞こえて、ゆっくりと扉が左右に開き始めた。
中から零れだしてくるのは冷気だ。
どうやら中は常温よりも低い、一定の温度に保たれているらしい。
肌をなめるようなそれに、オレは身震いしていた。
扉の奥には何があるのかは、すぐには見通せなかった。
暗かったからだ。
だが、完全にドアが開くと、自動的に照明が奥から点灯し始め、それが内部を照らしていた。
その突然の眩しさにオレは目を細めたが、それもわずかな間だけだった。
光に慣れ、そしてオレはそこにあった光景を目の当たりにさせられて、目を剥いていたからだ。
ツキグモが見せたかったもの――
それがこれだったらしい。
オレは心が底の方から、凍てついてくるような感覚に囚われていた。
「ここは椿家のラボだ。そしてその最下層にあるのは、その標本置き場だな。企業とかの地下にもほら、よくあるだろ資料室みたいなもんが。アレと一緒だよ」
ツキグモは平然と言いながら、オレと繋いでいた手を離した。
「こっからはもう大丈夫だ。お前の目で満足行くまで見てくれ」
ツキグモはオレを置いて、中へ一人で踏み入っていた。
オレもおずおずと部屋の中に入っていった。
その部屋にはいくつものガラスケースが林立していた。
床から天井まで伸びる円柱状のそれだ。
中は緑色の薬液が満たされていて、その中には一体ずつ、見たこともない生物のようなものが浮かんでいた。
おそらく普通に存在する地球上の生物じゃない。
これは妖魔と呼ばれる類のものだろう。
頭部や手足、区別のつかないまるで肉塊のようなものから、羊とライオンの首が並んで付いてるような四つ足の生物など、おぞましいって言葉がこれほど相応しいと思えるものも、ないと思える生物が、何体も何体も標本にされていた。
「けど、これだけじゃあない。こっちだぜ」
オレの胸の内がムカムカしはじめる中、ツキグモは顔色一つ変えず、至って普通に言っていた。
同じ妖魔、自分と同類のはずなのにだ。
「あー、念のために行っておくけどな、そいつらは全部被害者でもあるからな?」
被害者?
「言ったろ? ここはラボだ。人間たちがあたしらを知るために、作り上げた研究施設だ」
そしてその一角でツキグモは足を止めていた。
一つのガラスケースを前にして、ツキグモは手をのばして、つるりとしたその表面をなでていた。
彼女はまっすぐ視線をケースの中に浮かんでいる物体に向けていた。
「お前は壊れたラジオとか、分解したことあるか? 別にラジオじゃなくても、どんな機械でもいい」
意気なりなんのことかと戸惑ったが、無関係な話でもないらしい。
オレはその言葉に頷いた。
「レコーダーとかなら」
「なら、わかるよな。これはそれと同じようなもんだ」
ツキグモはオレを見た。
「どういう仕組みで動いてるのか、どういう構造をしているのか、それを知りたくて人はあたしらの仲間をこうしてバラバラにして調べようとした。それがこの標本ってわけだ」
ツキグモは淡々と言ったよ。
けど、それは責めているというより、ひどく寂しげな印象だった。
ひょっとしたらツキグモの知り合いが、その被害者になったのかもしれない。
「人ってのは、知るために壊す。分解する。そして殺したりもする」
ツキグモの言葉をオレはただじっと聞いていた。
「別にそれが悪いって言ってるんじゃあねぇよ。そうやって学んできたから、いまの学問ってのもあるんだろうからな。けど、それでも倫理ってもんがある。それは人だけじゃあない。妖魔にもあるんだよ」
そしてツキグモは再び歩み出していた。
「つまり、あたしがなにを言いたいかって言えば、だ。イジューが暴れてるのは、それが原因だってことだ。確かにもともとトチ狂った残虐なヤツではあったけどな」
イジューが椿を襲っているには理由がある?
ひょっとして、それを言いたくてツキグモはオレをここに連れてきた?
けど、だ。
けど、それならそれでもっと他に言い方はあったんじゃないか?
そんなことをオレは思った。
だが、それはすぐに突きつけられた現実に、覆されていた。
ツキグモが再び足を止めていた。
この部屋の最奥だった。
どうやらそこにあったものこそが、ツキグモがオレに見せたかったものらしい。
そしてそこにあったのは、それまで通ってきた場所にあった標本とはまったく別次元のものだった。
「けどな、イジューはイジューだ。それはついでだ。あたしがお前に見せたかったのはこれなんだよ。これが椿家のやってきたことだ。そして隠してきたことだ」
オレはそのガラスケースに収められていた標本を見上げて、血の気が引くのを感じたよ。
膝から力が抜け、下手をすればそのままへたり込んじまいそうだった。




