スタートライン
ちょい短いです。すみません。
「すぐに? 目にする……?」
オレは聞き返していた。
「あぁ、そうだよ。何の代償もなしに、こんな話を部外者であるキミが知っていいとは思ってないだろう?」
それは確かにそうだ。
けど、それとこれがどう関係する?
椿はオレの問いに答えるように、そのまま話しを続けていた。
「いま言ったことは、わかりやすく言えば五葉家の機密事項なんだよ。つまりそれは、キミが五葉家からはもう逃れられないってことでもある。
言い変えようか? キミはもう五葉家に従ってもらうしかないんだよ。側仕えでもしてね」
あまりに突拍子もなく出てきた言葉にオレは、すぐには反応できなかった。
「覚悟はしてたはず。そうだろう?」
「…………」
あぁ。覚悟はもちろんあった。
けど、それにしたってこればかりはイメージがまったくわかない。
側仕え――
オレに執事服でも着ろって?
「もし嫌だと言うんなら、それなりの対処はとらせてもらうことにはなる。
それに悪いことばかりじゃあないんじゃないかな? 五葉家に仕えればリクちゃんにも会わせてあげられる。彼女はいま、屋敷から出してもらえないでいるからね。
だから、とりあえずは、キミに屋敷に来て欲しいんだよね。なにもそこですぐ家来になれって言ってるわけでもないわけだし。ただ、キミとしては話は早いほうがいいだろう? 会うのもさ」
「…………」
オレは思わず複雑な顔をして、右手で顎を支えていた。
リクに会う。
なんでだろうな。
この期に及んで、そのことに妙な抵抗を覚えてたんだよ。
椿の話を聞いたせいか?
……そうだよな、たぶんそのせい、か。
それはわかってるんだが……どうにも気がすすまない。
そして椿はこうも言っていた。
「あとでキミの家まで迎えをやるからさ。詳しい話はそれからしようよ」
オレはヤツの言葉に頷くしかなかった。
さっきから椿との距離はまったく変わっていなかった。
けど、どうしてだか、ずいぶん遠くから椿にそう声をかけられてる気がしていた。
で、それでオレは自覚させられた。
オレ自身がひどく滅入ってるってことにさ。
自分じゃ鈍感なつもりはなかったんだけどな。
「どうしたんだい? 暗い顔して? ひょっとして心配かい? リクちゃんのことが」
オレが顔を上げると、椿は悪戯っぽく笑っていた。
わかってて言ってるんだろうな、コイツは。
リクのことを心配してるから、オレがいまこんな顔をしてるわけじゃないってことを。
それでも椿は素知らぬふりを続けて、オレに言ってきやがったよ。
「あぁ、でも、安心していいんじゃない? 彼女は無事だからさ。ただ、リクちゃんも強情だからさ。昨夜もちょっとお灸をすえすぎて寝不足になってるみたいだから、それだけ気遣ってあげてよ。
でもまあ、ただそれだけだから。リクちゃんは意外とMだからね。そういうのも嬉しがっちゃって。
ハハ、なかなか根を上げてくれないんだよね。普段気が強い反動なのかな? 求められるこっちも大変なんだよ」
そして椿は、それはそれは嬉しそうにひらひらと手を振ると、笑いながらこの場から去って行ったよ。
オレは奥歯を噛んだ。
理性で感情を押さえつけていた。
五葉家に関する知識を、可能な限り引き出す必要があると思ったからだ。
けど、それももう必要なくなった。
椿はいない。
だから、オレに我慢する必要ももうない。
オレは言葉に感情を思い切りぶつけていた。
「何様だクソ!!」
オレは思わず勢いに任せて、近くにあった石ころを蹴飛ばしていた。
それが遠くにあった無傷の車のボディをしたたか打って、派手な音を立てていた。
けど、オレはそんなことは無視した。
気にもならなかった。
見返してやる。
そう思ったんだよ。
あとで絶対に見返してやる!
けど、もちろんそれだけじゃ当然満足なんて行くわけがなかった。
オレは罵倒し続けていた。
空に向かって全力で椿のことを扱き下ろしていた。
「!?」
そしたらだ――
空を仰いだままのオレの前を、飛行機が一直線に白い雲を描いていった。
それを見た途端、スッとオレの中にあったどす黒い感情が溶けてなくなっていた。
頭に浮かんでいた汚い言葉の羅列が、その一瞬で全て消え失せていた。
不思議だった。
あまりに青く晴れ渡った空に、ただ一本だけ引かれた雲だったからか――
不思議と目を奪われていた。
「……」
「……もういいだろうか?」
空木が見計らったようにオレに声をかけてきた。
ポカンとしてオレは彼女を見返していた。
な!?
すっかり忘れていた。
彼女がすぐそばにいたことを。
それなのに、オレはあんな醜態を晒し――
って、うっわっ!
ハズ!
めっさハズ!!
「フフ。若さ故の――と言うヤツだろうか? だが、気にすることはない。誰でもあることだ。だから、そんなバツの悪そうな顔をするな。さっきのことも聞かなかったことにする」
うぐぐ。
穴があったら入りたい。
その上、埋めてもらえるなら、なおいい!
「だが、一言言わせてもらえるならば、キミにはこう言わせてもらいたい。いいだろうか?」
「?」
真顔で言う空木。
オレはおずおずとそんな彼女を見返していた。
どうぞ、と。
「受け身のままでいても、いいことなどないものだ」
あ、とオレは思ったよ。
それは、ついついいつも忘れてしまいがちになることだった。
オレは素直に頷いたよ。
彼女の言うとおりだった。
オレはただ椿に一方的に言われただけだった。
ただ言われるまま、理解させられるまま。
ただ翻弄されていただけだった。
それじゃあダメだ。
自分から動かなければいけない。
そうしなければ、欲しい物なんか永遠に手に入るわけがない。
あいつを見返すことだって、夢のまた夢だ。
あぁ。オレはまだスタートラインすら跨いでいない。
オレは再び飛行機が描いた、その白く長い雲を見上げていた。
そして自分の両頬を思いっきり叩いていた。
ヒリヒリするくらい、思いっきりな。
ここがオレのスタートラインなんだ。
オレははっきりと頷いたよ。




