ツキグモのヒント(上)
リクによると、このツキグモって妖魔はどうやらこのあたりでは知られてる妖魔らしい。
まぁ、住み着いてるだけで何かをするわけでもないから、五葉家からは放っておかれてるんだとか。
ただ、オレみたいにコイツに妙に懐かれてるヤツも珍しいらしいが。
オレとしちゃ嬉しいんだか、嬉しくないんだか、複雑な心境ではある。
で、結局、そんなこともあってツキグモのエサ代はオレが出すことになったんだよ。
ったく、疫病神め。
「で、ツキ。これで満足か?」
オレは足下でカップのエサに頭を突っ込んでるツキグモに、声をかけていた。
場所は公園から移動して、近くのコンビニの前だ。
常設されてるベンチにリクと座りながら、一見すれば猫を可愛がってる、高校生二人組に見えるシチュエーションだった。
ツキグモはオレの声をすっかり無視すると、
「はぐふっはぐふっはぐはぐっはぐふっ」
と、がっついてる。
ひどいオノマトペだな、おい。
でも、まぁ、そうやってうまそうに食ってるのを見る分には悪い気はしない。
「あんた、意外に世話焼きなのね」
こちらを見向きもしないツキグモを見ながらリクが言い、オレはそうか? と彼女を見返す。
「けど、そうやってお節介も過ぎるとあとが大変よ?」
それはもちろんわかってる。
コイツにエサをやるのが日常的になったら、確かに面倒なことこの上ないからな。
出費も毎日となれば馬鹿にならなくなってくるだろうし。
もちろんオレとしては、今回だけだって割り切ってるからこれはこれでよかったんだが――
「……」
どうやら意図した点が違ったか。
不意に真剣な眼差しでリクがオレを見て来るので、それに気付かされたよ。
それはツキグモに対しての意味じゃあなかったらしい。
リクは確かめるようにオレに迫り、さらに言葉を重ねていた。
「いいのホントに? あたしたちのことに首を突っ込んで?」
それはあの購買での裏の時とは、明らかに違った聞き方だった。
あの時ははっきりとオレのことを拒絶しようとしている言い方だったからな。
けど、これは違っていた。
何かを心配しているようにも見えた。
ただ、妖魔が危険なものと思うだけじゃなく、他に何か違うものに対して、だ。
もちろん、それが何かなんて知りようがないし、聞いたところで答えてはくれないだろう。
そこまでの信頼関係があるわけじゃあないからな。
だから、いまのオレにはこういう事しかできなかった。
「さっきも言っただろ?」
心配するのは分かる。
でも、これはもう決定事項なんだよ。
「……わかった」
リクはため息と一緒に、素っ気なくそう返事をしていた。
「冷静になってもその考えが変わらないなら、もう無理ってことよね……」
もしかしてリクは一時の感情でオレが言ったとでも思ったのかもしれない。
あの場の雰囲気に、リクの気持ちに流されただけなんじゃないかって。
けど、そうじゃない。
オレとしては、あの場でリクにたしかに背中を押されはしたが、なにもその場の感情だけで言ったつもりはなかったんだよ。
ずっと考えてたことが、そこで決定的な事件によって結論づけられただけに過ぎないんだよ。
だから、オレに躊躇なんて生まれなかった。
「ったく、空気重っ! どこかの不倫してるカップルの会話かよ?」
突然そこにツキグモが、下から言葉を突き上げて来た。
呆れ顔でこっちを見ていた。
『!?』
言われて、オレとリクは同じタイミングで目を見合わせ――
『……』
うへっ。
妙に気恥ずかしさを覚えて、二人そろって目をそらしていた。
「あー、ハイハイ。ごちそうさま。そんなバカップルなリアクションはいいからさ――」
ツキグモは言う。
顔つきが変わっていた。
いささかシリアスな様子に、だ。
ということは、これはいよいよ話す気になったということかもしれない。
オレは襟を正したよ。
「なら、早速だが――」
ツキグモは神妙にそう前置きをすると、片足を前に押し出し、
「おかわりだ」
って、オレの気構え返せ!
ツキグモの言葉に、リクまでうっかりベンチからすべり落ちそうになってたよ。
「……だから言ったのに」
リクに呆れ顔で言われて、オレはため息をついた。
「……ったく、わかったよ。話がすんだらな」
「おぉっ、マジ!? 冗談のつもりだったのに!?」
「……なら、撤回」
「って、ぶわっかっ! なんでだよっ!」
それにリクがクスクスと笑っていた。
「そもそもこっちは約束はすでに果たしてんだからな? 今度はそっちの番だろうが? ツキ」
「キーッ! しけてやがるっ!」
「うっさいわっ! バカ猫っ! それよりも、だっ――」
と、オレが睨み付けるとツキグモは口を尖らせ、渋々ながらも頷いていた。
「チェッ。しゃーねぇなー。わかったよぉ。一つだけ教えてやればいいんだろ? ちなみにあたしのスリーサイズは――」
『それはもういいっ!』
リクと二人してツッコんで、ツキグモはひどく不満そうな顔をしていた。
「いいじゃんよ? お約束だろ? こういうのはさー」
TVの見過ぎだ。
「ったく、どうにかしろ。その芸人根性」
「へいへい、そのうちな。で?」
あらためてツキグモに聞かれて、オレは言ったよ。
教えてくれるのは一つだけって約束だった。
リクと話して聞くことは、すでに決まっていた。
だからオレはこう聞いた。
「ツキ。お前、あのクレーターのところで言ってただろ? 貴族だってな。だから、知ってるんだよな、あの妖魔のこと? もし知ってるならそれを教えて欲しいんだよ」
「あの妖魔のこと?」
ツキグモは一瞬嫌そうな顔をして、それからやれやれとひどく迷惑そうに頭を振っていた。
「物好きだな、お前ら。けど、そっちの姉ちゃんはともかくとして、お前。葉って言ったっけ? そもそも分かってて言ってるのか? 貴族ってもんがなんなのかってこと」
「ん? あ、あー……」
そういや、そうか……。
貴族だって言われて、はぁ、そんなのがあるのかってとりあえず納得はしてたけど、よくよく考えればそれ以上のことはなんも知んねぇよな……。
「ったく、明らかにわかってないんじゃねぇかよ!? けど、あたしが教えてやるのはあくまで一つだけだからなっ」
って! ケチくせっ! しけてるのはどっちだっ!
オレは思わず、ギチギチと歯噛みする。
「なら、それはあたしが教えればいい事。そうでしょう?」
リクが言い、ツキグモが面白くなさそうにツンと顔を反らす。
だったら早くしろ、という態度だ。
オレはそれに正直、ホッとしていた。
よくよく考えれば、リクはこれまでも妖魔に関わってきてるわけだ。
妖魔については知ってることも多いはずなんだよな。
で、そんなわけだから、オレは簡単にリクから『貴族』についての、レクチャーを受けた。
どうやら『貴族』ってのは、妖魔のヒエラルキーの中の上位に存在する、妖魔の中でも非常に強い力を持った妖魔、妖魔オブ妖魔ってヤツらしい。
そいつらは五葉家の中では『角付き』とも呼ばれていて、その名が示すとおり身体のどこかにその力の強大さを示すように角を生やしているんだと。
人で言えば、高級ブランドスーツを着てたり、高級車を乗り回してるような、ステータスシンボルみたいなもんだろうな。
で、そいつらは妖魔が住んでいる場所――普段はクレバスって呼ばれる異世界にいるらしくて、滅多に人の住む、こちら側の世界に出てくることはないし、実際にはこの世界と向こうの世界をつなぐ扉は閉ざされていて、出てこられないようになっているらしい。
けど、リクは最後にこう、それに関しては気になることも言ってたよ。
「それなのにこっち側に貴族がいるっていうことは異様なことなのよ」
つまり、今回はなにかいままでと事情が違うことが起きているってことだ。
そしてそれは今回、五葉家の宗家である椿の当主が直に指揮を執ると言って、わざわざ出てきたこととも関係しているのかもしれない。
リクはそう考えているようだった。
ただ、そうとは言え、リクをその現場から外すっていう違和感はぬぐえないんだけどな。
リクはその辺は気付いてないみたいだったが。
「――で、えーっと、とどのつまり、貴族は強い妖魔って認識でいいんだな?」
オレは聞いたことをまとめて言ったよ。
「ま、単純にはそういうことね」
リクに確認し、それからオレはようやくツキグモへと視線を向けた。
「じゃあ、こっからがお前の番だな」
「へいへい」
食後のせいか、ツキグモはひどく眠そうにあくびをして頷いた。