駆けつけるヤツら
「うへ~っ。これはまた、すごいね~」
言葉の割にはひどく白々しい、緊張感の欠片もない声がして、クレーターの上にいたリクがその声の主を振り返っていた。
「つ、椿様……」
……様?
リクがやけに恭しく誰かを呼んでいた。
おそらくいま、その彼女の横に並ぶように現れた野郎のことだった。
長い茶色い髪の、いかにもチャラいですよっていってるような優男だ。
歳はオレと同じか、一個上くらい。
白羽川の制服で三年の印章が襟に付いていたからだ。
「うーん、鋼士郎、もしくはコウちゃんって呼んでって言わなかったかな? 相変わらず堅いんだよねー、リクちゃんさ」
「……失念しておりました。申し訳ありません」
そう言って一歩下がるリクを、妙な違和感を覚えながらオレは見てたよ。
それに、なんでだろうな。
それを見て、オレがさっき「リク」って呼んだ声が、妙に虚しく霞んじまった気がしていた。
「えーっと、そっちのほら、ナニ? 知り合い?」
椿と呼ばれた男が、クレーターの中にいるオレを見下ろしながらリクに聞き、
「いえ」
リクはそう短く答えていた。
さっきオレに関わるなって言ったばかりだ。
そんな返事になるのは当然だろうな。
それになにより、七川が言っていた五葉家の椿ってのは、たぶんこいつのことだろうから、余計に関係を勘ぐられるわけにはいかないはずだ。
「ふーん」
それでも椿はオレのことが気になるのか、オレの方をつまんねぇもんでも見るみたいに、しばらく見ていたよ。
値踏みでもしてるのかもしれない。
「ま、いいけどね。どのみちすぐ帰るし」
「そうなのですか?」
聞いたのはリクだった。
「まぁ、じいさんが――あ、いや、ご当主様がねー、行けってうるさくTELしてくるもんだからさー、わざわざ見に来たけど、かったるいじゃん? それにこういうことはリクちゃんの仕事でしょ? パパッとやっといてくれないかなー。
好きでしょ? 悪者退治とかさ。そもそもこんなことで俺の手を煩わせて欲しくないんだよね。こっちにも予定があるんだからさ。意気なり、あれしろこれしろって、マジ迷惑なんだよ。だから、任せたから」
……マジか?
オレはそう思ったよ。
一瞬、憎しみすら沸きそうだったよ。
しかも、やっとけだ?
何をするかはもちろん、オレにはわかんねぇことだけど、それでもなんなんだよ、この対応は?
何とも思わないのかよ?
人が一人死んでるんだぞ?
それを全部リクに押しつけて、自分はのうのうと都合を果たしに行くってか?
マジでイライラするな、このクソ野郎。
けど、オレはもちろんそれを口に出さなかった。
そうすればリクに迷惑がかかると思ったからだ。
「なるほど。ということはすでに役割は決まっていると言うことかな? ならば私は無駄足だったということになる」
そこにまた新たな声がして、オレは目を向けていた。
林の中から出てきたのは黒いスーツに身を包んだ女だった。
髪はショートで、そのスーツのせいか、全体的に落ち着いてる印象だ。
歳は二十歳かそこらあたり。
スレンダー美人って感じなんだが、意外に出るところはしっかりと出てて、妙に色気を感じる姉ちゃんだった。
「空木様……」
リクが彼女を見て言っていたよ。
「音衣で構わないと、私も言った気がするが、まぁ、君のそういう謙虚なところは変わらないのかもしれないな。ただ、謙虚さと卑屈であることは違うからね。それは気をつけた方がいいことだよ」
空木音衣は小さく笑って言い、そして椿を見ていた。
ふとその表情が真顔へと変わる。
「で、宗家から連絡を受けて、わざわざ葬儀の準備を抜けてやってきたのだが、ご助力させても頂けないのかな、フィアンセ殿?」
その棘のある言い方に、椿が面倒くさそうな顔をしていた。
「まったく、今回は音衣さんが担当なのか」
どうやら椿にとっては苦手な相手らしい。
それは彼女が椿のことをフィアンセと言っていたのと、もしかしたら関係あることなのかもしれない。
まぁ、婚約者って割にはあまり親しげには見えないんだが、やっぱそのへんは、家の特殊な事情ってのがあるのかもな。
おそらくこの空木っていう人も、五葉家の一人なんだろう。
空木。
そういう植物をオレは知ってるよ。
「ま、いいから、そのへんは勝手にしちゃってよ。リクちゃんに任せたって言ったでしょ? とにかく俺はデートの約束してるんだからさ。あとはリクちゃんしだいだから。そんじゃ、気楽にやっといて」
椿は手をヒラヒラと振ると、淡泊に言い残してそのまま行っちまっていた。
それを呆れ加減に見送った空木が、
「まったく私たちがいる前でデートとはよくも言えたものだ」
腰に片手を当て、そう言うが、たぶん、それはいつものことなんだろうな。
責めるような様子はこれっぽっちもなかったよ。
甘いとオレは思うんだけどな。
だから、ああいうタイプの人間はいつまでもあんな調子になる。
「さて、あとはそっちの彼だな――」
って、え? お、オレ?
こっちに話を振るの!?
空木がオレの方を見ていた。マジマジとさ。
いや、別に悪いことしたわけじゃないってのに、妙に疑ってくるような視線を向けてくるもんだから、正直オレとしてはなぜだか後ろめたい気がしてきていた。
警察が追ってきたら、なぜだか逃げたくなる心境とそれは似てるかもしれない。
何にも心当たりがなくても、つい自分を疑っちまうような。
それに、もちろんお前ら、分かってるだろ? オレがなんにもしてないってことは。
「通行人のようです」
リクがそこに言葉を滑り込ませていた。
「彼はたまたま近くにいたようで、ここに来てしまったようです。関係はないかと」
そんなふうにリクは空木に説明していた。
「なるほど野次馬か」
しばし考えるようにスッと空木の目がすぼまっていた。
まるで狡猾な狐のような目だった。
椿に比べると、どうやらかなりやり手という雰囲気だ。
この人があんな男の婚約者っていうんだから、ひどく不釣り合いな気はする。
そして空木は再びオレの方を見て、
「君。名はなんと言う?」
聞かれてオレは素直に答えていた。
ここで言わなかったら逆に怪しいしな。
「伊垣です。伊垣葉」
「伊垣? 伊垣か……ふむ」
と、空木はオレの名字を口ずさみ、それからふと怪訝な顔をしていた。
「どうかされたんですか?」
リクがそれを不審に思ったらしく聞いていた。
「いや、どこかで以前聞いたことのある名字だと思ってな」
それもそうだろ。このへんじゃあどうかは知らないが、そんなに珍しい名字でもない。
それでも全国区クラスの鈴木さんや佐藤さんには負けるけど、オレが知ってる限りじゃあ、一部地地域には伊垣だらけの場所もあるくらいだ。
「だが、まぁ、気になるならば、いずれ思い出しもするだろうさ」
そう空木は納得すると、
「リク。すまないが、いましばらくはここを君に任せてもいいだろうか? 思わず鋼士郎にはああ言ったのだが、本当を言えば葬儀の準備が忙しくてな。それが終われば、すぐにでも駆けつける。どうだろうか?」
「え? は、はいっ。そういうことなら大丈夫です。任せてください」
リクは少しだけおかしそうに笑って答えていた。
空木が椿の言葉にムッとしていた、その意外な事実がおかしく思えたんだろう。
「そうか、本当にすまない」
空木は苦笑いして踵を返すと、足早に行こうとしたが、ふと何を思ったか、その去り際だった。
オレの方を向いてこう言ったんだよ。
「君には何か縁みたないものがあるかもしれないな。また会うこともあるだろうが、あまり無茶はしてくれるなよ」
……縁? 霊感みたいなもんでもあんのか、あの人?
聞き返すだけ無意味に思えて、とりあえずオレは頷いておくことにした。
そして彼女を見送ったあとで、リクはオレにこう言っていたよ。
「葬儀屋なのよ、空木様は」
気付けばリクはクレーター内に降りて、オレのすぐ隣に立っていたよ。
それを聞かされオレは、あぁ、だからかと頷いていた。
空木が黒のスーツ姿だった理由にだ。
まぁ、ずいぶんとその口調も、立ち居振る舞いも落ち着いた人みたいだったから、いつも黒のスーツを着ていてもまったく違和感はなさそうだったんだが、そう言われるとまさに適職だって気がしたよ。
「それより」
リクが言う。
「ん?」
オレが顔を向けると――
って、なんでだよ? なんで半眼でオレを睨む?
「関わるなって言ったはずだけど?」
リクはオレの胸に人差し指を向けて、まるでオレのお袋にでもなったような言い方をしてくる。
さすがにオレもカチンと来たが、リクはこっちに言い訳すら言う暇を与えず、
「これはあんたのためなのよ? すぐに五葉家の捜査員もここに来る。その前にどこかへ行って」
って、捜査員?
なんだそりゃ?
そんな組織的なもんまであんのか?
それにはさすがにオレも驚いたが、その話に素直に頷くにはやっぱり抵抗のある言い方だ。
あんま人の使い方に慣れてないんだろうな、リクは。
ま、それ以前にオレとしてはもう決めてたことだからな。
リクに対するオレの答えは考えるまでもないことだった。
だからオレは言ってたよ。面と向かってな。
「断固拒否するっ」
「は……はぁっ!?」
リクは目を丸くして聞き返してきていた。
素直に聞くとでも思ってたんだろうな。
いや、もしかしたらそれをふざけてるとでも思ったのかもしれない。
「あんたねっ!」
目尻を尖らせて本気で怒っていたよ。
けど、悪いがオレも本気だった。
これは譲れないことなんだよ。
だから、オレはまっすぐリクの目を見て言ったんだ。
信じさせるために。
「仕方ないんだよ」
その一言で彼女の次の言葉をふさぎ、オレはそのまま続けた。
オレには伝える必要があった。いまのこの気持ちを。
はっきりと。
「――知り合いだったからな。まだ会ったばかりだったけど、それでもオレの知り合いだったんだよ」
その言葉を聞いて、リクはオレの言わんとしていることを理解するかのように、ハッとして、クレーターの真ん中に目を向けていた。
そこに残されている物を彼女は目の当たりにし、
「まさか……」
頭の回転が速い。
さすがだよ。分かったんだ。
ここで何が起きたのか。
「実原和音。クラスは違ったけど、同級生だ」
「……」
言葉にならないリクのあえぎが彼女の口からこぼれていた。
リクは口を押さえていた。
そこにどんな感情が生まれたのか、さすがにオレにもわかったよ。
きっとオレのそれと近い感情だ。
驚き、怒り、悲しみ――
オレは、オレを見返したリクに頷いていた。
「だから、知りたいんだよ。何があって、どんな原因でこうなったのか。オレに何かできないかって。じゃないと、オレは堪らないんだよっ」
「あんた……」
リクの目がわずかだが潤んでいるように見えた。
それはたぶん気のせいじゃなかった。
そしてそれはオレの思いを汲んでくれているようにも見えた。
けど、だ。
その意志を貫くには、オレはあまりに無力過ぎた。
とことん無力すぎた。
無力すぎたんだよっ。
それはリクの仕業じゃあなかった。
辛辣な声。
それがオレたちの間を割るように上から聞こえたからだ。
「部外者は無用! さっさと出て行くがいい!」
その高圧的な声はクレーターの上からしていた。
オレが目を向けると、そこには若草色の着物を着た老人と、黒いスーツをきた捜査員らしき男たちがなにやら機材らしきものを手に持って群がっていた。