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9.


ニッポンを離れるまでの三か月間、スバルはトウキョウから少し離れた小島に建ったアルトを保護する機関で緻密な検査を受けた。

知能や魔力の特異性、身体能力など様々だ。

特に学力については、スバルはまともな教育を経ていない為、一からのやり直しを要求された。

その合間に、祖母に別れを告げる為、スバルは天野咲耶と共に、夏の間だけ暮らした村へ帰らせてもらった。

すでに山も村も秋の気配が訪れ、段々畑の稲穂は綺麗に刈り取られ、まだ少しばかり早いススキの穂が垂れ始めていた。


庭の畑に水を撒く祖母の変わらぬ姿に、スバルの胸は懐かしい思いに満ち溢れた。

たった三か月余りを過ごした土地なのに、スバルの故郷はここでしかない…そんな気がしていた。


玄関の土間でスバルと咲耶は立ったまま、祖母と応対する。

細かい説明は、すべて咲耶が引き受けてくれる。

スバルはただ黙って祖母の顔を見ていた。

祖母も何か質問するわけでもなく、時折頷きながら咲耶の話を聞き、一通りの話が終わると、一旦部屋へ引き、手に着物を持ってまた現れた。


「おまえの浴衣だ。持っていきなさい」と、祖母はスバルに浴衣を差し出した。

スバルが祖母から受け取った浴衣は、紺地に白糸で蚊絣に織られた真新しいものだ。

きっと祖母が自ら織り、縫った浴衣であろう。

スバルは祖母の働く姿を知っている。

細かく丁寧に揃った縫い目を見つめながら、スバルは目頭が熱くなった。

何も言わぬ祖母だった。優しい言葉などひとつもなかった。

だが祖母とスバルの間には、確かに家族の絆が育っていたのだ。


別れの挨拶をして敷居を出る時、祖母はたった一言「スバル。ちゃんと食べて、長生きしろ」と、言った。

「うん、ばあちゃんも…」

それから後の言葉が続かず、スバルは頭を深く下げ「ありがとうございました」と言い、祖母の家を後にした。


伸弥からは時折手紙が来た。

スバルとの約束を果たす為に、元気にリハビリに頑張っている。と、明るい文章で綴られる。

それは伸弥の本当の想いだろう。だけど、スバルは伸弥の手紙を読むたびに何故だか心細くなる。胸がきゅんと締め締めつけられる。

咲耶に相談すると、咲耶は「スバルくん、それが恋のときめきなのよ」と、笑った。

「いいわね~。決まったイルトがいるアルトは。私なんかまだ誰にもときめいたことなんかないのよ」

「…一度も?」

「そうよ、一度も、よ」

「早く決まった人が、見つかるといいね」

「あのねえ、そういうのをいらぬおせっかいっていうの。私はまだ二十歳なの!スバルくんがおませさんなのよ」

「おませさん?」

意味が分からずに聞き返すスバルに、咲耶は軽くデコピンをして「幸せ者って意味よ」と、今度は優しく笑った。


冬が来る少し前に、スバルはニッポンを発った。

去る前に、一度伸弥に会いたいと思ったけれど、どうしても口には出せなかった。

もう十分世話を掛けているのに、これ以上我儘を言って、咲耶たちに手間を掛けさせるのは忍びなかったからだ。

スバルはニッポンでの最後の手紙を伸弥に書き、新しい国へ出発した。


スバルが通うことになる学校は、遠く西洋の国、その歴史の中でも最も古く、異彩を放つ都市サマシティの中心に建つ「天の王」学園だ。

ニッポンから船と列車の乗り継ぎを数えきれない程繰り返し、三か月後、スバルはサマシティにやっと着いた。

勿論、ひとりではなく案内人の天野咲耶も一緒だ。

咲耶はスバルだけではなく、別に二人の子供を連れていた。スバルと同様にアルトである他のふたりもそれぞれ見合う学校へ通わせるためだ。

あちらこちらと旅をしている間に、三か月もの時間が経った。


「まあ、天の王学園の入学は九月だし、初等科五年生にちょうど間に合えばいいんだから、スバルくんはゆっくりでいいよね~」と、咲耶はお気楽なものである。

あまり人馴れしないスバルだったが、さっぱりした性格の咲耶は、気兼ねしない分、楽に付き合えた。


「あの…その『天の王学園』って、どんな感じなの?」

「え?…さあ、私もよくわからないわ。なんかすごい魔術師育成機関みたい…なイメージだけどねえ…すごいアルトがうじゃうじゃいるんじゃない?」

「…僕、大丈夫かなあ…」

「…まあ、どうにかなるんじゃない。ひとつ言っておくけど…西洋は白人至上主義者が多いから、私達みたいな人種はなんとなく…居づらいわよ」

「…咲耶さん、それ要らない情報だよ…」

「そうだった?ごめ~ん。まあまあ、落ち込まな~い。まあ、あそこには桐原っていうニッポン人の先生が居るから、いじめられたら頼ってみなさいな」

「…うん」

何とも頼りない咲耶の言葉である。


サマシティの港から車で一時間、咲耶に連れられスバルは「天の王」学園へ来た。

学長室へ行くまでの間に出会う幾人かの生徒たちは、見慣れない客人を遠慮なしにじろじろと見る。その目線は決して歓迎している風ではなく、何者かと品定めを案じているように見えた。

スバルは我が身がいたたまれたくなり、下を向いた。どう見ても、彼らの容貌やオーラはスバルとは遥かに違い、華やかで美しかった。スバルが今まで暮らしてきた、方々の土地の人間とは、確実に違って見えた。

スバルは自分が惨めに思えてきた。

学長のトゥエ・イェタルとの対面も、スバルは下を向き、小さくなったままだ。

完璧に覚えてきた挨拶も、しどろもどろで言えなくなった。

学長は腰をかがめて、スバルの頭を撫でた。スバルは撫でるトゥエ・イェタルをおそるおそるそっと見つめた。

そこにはまだ見たこともない、深い知識と器量の大きさ、それを対峙するように持った際限の無い力と包み込む穏やかに満ちていた。小さなスバルにさえ。人としての敬意を払っている。

スバルはますます恐縮した。


『今まで出会った大人の人と全然違う感じだ…。すごく優しくて大きくて強くて…怖い…』


案内人の咲耶が別れの挨拶をして部屋から出ると、心細さと学長と二人きりの緊張に泣きそうになった。


「今日からスバルはここで暮らすことになりますが、臆病な性格が少し心配ですね。みんなの前ではこれを掛けて過ごすといいでしょう。無理に目を合わせなく済むからね」

学長はスバルに色つきの眼鏡を与えた。

スバルが掛けてみると、なんだか肩の力が抜けた気がする。

「どうだい?」

「すごく…楽になりました。ありがとうございます」


スバルは初等科寄宿舎の四人部屋に案内された。

スバルは五年生だ。他の三人も同級生だと言うが、とても仲よく友情を分かち合うような者たちではないことは一目見て理解した。

アーシュ、ルゥ、ベルの三人は選ばれた者たちだと感じた。その見目麗しい容貌もさながら、非常に強い魔力を持った魔法使いだ。

「天の王」では魔法を操れる者を魔術師と呼ぶが、三人からは他のどの生徒よりも圧力を感じた。


『こ、こんな人たちと一緒の部屋で寝起きを共にするだなんて…嫌だなあ…』


気後れし、目を合わさないスバルの態度に、ルゥやベルも嫌悪感を隠さなかった。ふたりは、スバルを無視し、極力口を利かなかった。スバルにとっては、無視されることは変にかまってもらうよりも気楽で良かった。

だが、もうひとりの同室のアーシュは、時々スバルをじっと眺めてはクスリと笑い、人差し指をクルクルと回し、何やら呪文のようなものを描いている。

馬鹿にしているのか、からかっているのかわからないが、スバルはアーシュが大の苦手だ。


アーシュは普通の人間とは明らかに違う。

親も無くこの学園に捨てられていたそうだが、「俺は魔王だから、親なんかいなくて当たり前なんだよ。つうか、親なんかいらねえや」と、快活に笑う。

アーシュは美しい。稀に見る美しさだ。伊達眼鏡で本性を隠しているのだろうが、あのカリスマオーラと傲慢とも言える俺様性格に、どの生徒たちも見惚れている。

スバルはアーシュに近寄りたくない。

ああいう揺るぎない自己意識と自尊心の高い男には、スバルの求める繊細さなんて理解できるはずもない。


彼らだけではない。学園にいる生徒たちの中に、スバルが心許せる者は見つからなかった。彼らにはスバルが求める癒しが少なかったのだ。


スバルはいつも伸弥を思った。

こんなところで我慢して暮らしているのも、伸弥と約束した未来を成し遂げるためだ。

懸命に勉強し、その時を待った。


伸弥との手紙のやり取りは、遠距離の所為で時間とお金がかかり、そう簡単にはできず、一年に一通か二通程度がやっとだった。

伸弥の手紙には写真が同封される。

義足にも慣れた伸弥は、山登りにも挑戦していると綴り、杖を持って山頂に立って笑う伸弥の写真をスバルは嬉しくも泣いてしまう。


「伸弥さん、会いたい。…会いたいよお…」

どれだけの努力をして、ここまで歩けるようになったのだろう。泣き事など言わずに、伸弥は自分ができる最大の頑張りを見せている。

スバルと一緒に生きる為に…

そう思うと、スバルは自分の情けない姿など見せる事もできず、自分の写った写真は決して手紙に入れなかった。


ショーウィンドウでたまたま見つけたサテンのピンクのワンピースは、伸弥が着せてくれたあの日を思い出す。

とても高くて買えなかったが、何度も来てはショーウィンドウを見つめるだけのスバルに同情してか、店主がそのワンピースをスバルに着せてくれた。それだけではなく写真を撮って、スバルにくれた。


その写真を眺めながら、スバルは鈴子に似ていると言った伸弥を思い出す。


『この写真を送ったら伸弥さんは喜ぶだろうか…』


『いいや、伸弥さんは鈴子さんの身代わりの自分を求めてはいない。でもきっと…これを僕が楽しんで着て見せたら、笑ってくれるだろう。伸弥さんのその笑顔を見たいな…』



中等科二年の冬だった。

天の王に来て三年半。

スバルは来年初めには十四になる。


校内ではアーシュの恋人のルゥが休学するというニュースで持ちきりだった。消息がわからなかったルゥの親が見つかり、親元でしばらくの間暮らすらしい。

スバルにはどうでもいい話だったが、教室でしょげたアーシュの背中を見ると、少し同情しなくもない。


スバルは校庭の隅で二カ月前に来た伸弥の手紙をポケットから出して読む。

何度読んでも嬉しくなるからだ。

伸弥は春から念願のユーラメリカへ留学していた。有名な渓谷を背に、太陽に照らされ元気そうに笑う伸弥の写真はずっと見続けても飽きない。


うっすらと雪が積もった夕方、寄宿舎へ帰ると、スバルは学長室へ呼び出された。

急いで行くと、部屋には学長のトゥエ・イェタルと図書司書のキリハラ・カヲルが居た。

ソファに座るように促され、スバルは目の前に座るふたりを交互に眺めた。


「スバル、突然の事で驚くでしょうが…仁科伸弥くんの訃報が先程届きました」

「…え?」


スバルには、その言葉の意味が理解できなかった。




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