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8

挿絵(By みてみん)



8、


仁科家の石垣で出来た塀の周りは、人垣で一杯になっていた。

母屋は煙で曇り、あちらこちらから容赦なく火の手が上がっている。

スバルは呆然と立ち尽くす。

正門の近くに昼間、スバルに団子をくれた女中を見つけた。

急いで近寄ってみると、女中は、警察にすがりついて叫んでいる。

「お、奥様がまだ中にいらっしゃるんですっ!それに…坊ちゃんも!」

スバルは驚いて、女中に尋ねた。

「し、伸弥さんが家の中にいるの?」

「ええ、坊ちゃんは一旦は外に避難されていたけれど、奥様がまだ中にいることを知ると急いで戻られてしまったんですっ!誰か…はやく…おふたりを助けないと…」

「これを貸して!」

スバルは女中が手に持っていた着物を取り上げ、水桶に濡らして頭にかぶると、一目散に玄関に向かい、中へと走って行く。


廊下は煙に包まれ、先もよく見えない程だったが、まだ炎は上がっていない。

スバルは走りながら伸弥の名を、大声で叫んだ。

「スバル!こっちだ!」

「伸弥さんっ!」

濡れた着物で口と鼻を押さえ、伸弥の声のする廊下の奥の部屋へ向かう。

ドアを開けると、畳敷きの和式の部屋に伸弥と伸弥の母親が倒れている。


「伸弥さん。早く逃げないと…」

スバルは伸弥の傍らに跪き、倒れた伸弥の様子を見て慌てた。伸弥の顔は真っ青で脂汗を掻いている。

「わかっているよ、スバル。でも…足が動かない。大タンスが倒れてね。母さんを庇って足を潰してしまった。なんとか這いずって出してみたけれど…痛くて…。ここは母さんの部屋で、親からもらった形見の着物に囲まれて死にたいって、離れないものだから…」

伸弥の母、百合絵はいくつもの着物を両腕に抱いたまま、気を失い、畳に倒れている。


スバルはすぐに伸弥のつぶれた右足に両手をそっと置いた。

「僕がすぐに治してあげるから」

「…スバル」

伸弥はスバルの両手から温かい光を感じた。気を失いそうな鋭い痛みが少しずつ和らいでいく。

「…もうちょっと…時間がかかりそう…」

スバルは焦りを感じた。


少しの間に、煙は容赦なく部屋を包み込んでいる。木材を焼くパチパチという音と火の粉が部屋のあちこちの板張りの隙間からくすぶりはじめている。


「もういい、スバル。痛みは十分引いたから。それより、悪いけれど母をここから連れ出してくれないか?大変だろうけど、担いで運んでくれ。…こんな人でも僕の母親だと思うと、見捨てておけないだろう?」

「し、伸弥さんは?」

「ああ、勿論、一緒にここから出るよ。足を引きずってでも、スバルの後を追うから、心配しなくていい。先に行ってくれ」

伸弥はスバルにいつものように綺麗な笑みを見せた。

すぐにスバルは伸弥の言葉が嘘だと悟った。


『伸弥さんは、後から追いかけるなんて言っているけれど、自分が助かろうとは思っていない。だからこんな嘘を言って、僕とおかあさんを助けようとしているんだ。…伸弥さんを見捨てるなんてできるわけがない』


「伸弥さんと一緒じゃなきゃだめだ。僕はここから動かないからっ!」

「スバル。このままじゃ、三人とも逃げられなくなるだろ?僕も、諦めたいわけじゃない。だけど…足が…動かないだよ。スバルにふたりも背負わすわけにもいかない。かあさんだけでも助けてやってくれ、頼むからっ!」

「そんなっ!」

「早く…早く行ってくれ、スバル。…煙で呼吸ができなくなる前に…」

「い、嫌だ!伸弥さんと一緒でなきゃ、僕は生きていたくないっ!」

「スバル…」

「誰も死なせない。僕は魔法使いだ。伸弥さんのために、僕の魔力はある。だから、僕は伸弥さんを絶対助けるっ!」


スバルは煙の充満する部屋を見渡した。

壁に飾り付きの丸鏡が掛けてある。

それを壁から剥ぎ取り、右手に持つと高く掲げた。

「伸弥さん、おかあさんを抱きしめて、そして、僕の左手をしっかり掴んでいてください。ここからワープします」

スバルは鏡を天井に向かって回しながら投げた。

鏡は回転しながら、スバルの伸ばした手の平から一メートル頭上でピタリと止まった。

スバルの手の平と鏡からゆっくりと光が伸び、合わさった。

瞬間、スバルと床に張り付いたふたりの身体が輝き、鏡に吸い込まれるように消えた。



チェトリじいは、スバルにひとつだけ、魔法の使い方を教えた。

魔法使いではなかったが、チェトリじいの古本屋には、魔法を操る術本があった。魔力のない人間には必要のないものだが、チェトリじいは幼いスバルの身を案じていた。

人を攻撃する魔法などは、優しいスバルには到底無理だろう。ならば、生き残るために、スバル自身が身の危険を感じた時、その場から逃げる為のワープする魔法を記憶させよう、と、思ったのだ。


魔法は絆の力でもある。

絆は愛だ。

伸弥とスバルの疑わぬ愛情が、伸弥と生きたいと願うスバルの想いが、魔力を増大させた。

三人の身体は燃えさかる仁科家の門の外へ、一瞬のうちにワープしたのだった。


突然目の前に現れ出た三人の姿に、村人は驚き、三人を囲んだ。

スバルはワープが無事成功したのだと、安堵し、泣きながらスバルを抱きしめる伸弥に「良かった…」と、一言告げ、そのまま気絶した。



スバルが目を覚ました時、周りは白い壁に囲まれた病室だった。

ベッドの傍らに座る若い女性が、気がついたスバルを見て、穏やかに微笑んだ。

「ああ、やっと目覚めてくれたのね、スバルくん。あなた、十日間もずっと眠ったままだったから、心配したのよ」

「…ぼ、く…」

「魔力の使い過ぎ。経験もないのにいきなりワープしちゃうなんてね。すごい能力だけど、滅茶苦茶よ。命を落としかねなかったわよ」

「あの…あなたは?」

「え?私?…自己紹介が遅れてごめんなさい。私は天野咲耶あまのさくや。若干二十歳のアルトよ」

「アルト?」

スバルと同じ東洋系の整った顔立ちだが、母や里山の女性のような恰好ではなく、仕立ての良い黒のパンツスーツと、漂う清潔な雰囲気が、あきらかに違う世界から来た人のようで、スバルは緊張した。

「そう、私は君と同じ魔法使い。このニッポンじゃあまり知られていないけれど、この土地にも沢山のアルトがいるの。その大部分が自覚のない子供の能力者よ。自分の力を知らずに、異端者と詰られ淘汰されるケースも多い。特に田舎ではね。だからスバルくんみたいな子供を保護する世界的な機関があるの。私の仕事はそういうアルトの子を探し出して助けてあげることなのよ」

「…よく、わからないけど…僕はどうなるの?」

「スバルくんの能力は、一般的に考えて、ものすごく高い次元にあるわ。だからスバルくんには、それに似合った教育、ちゃんと魔法を扱えるようになる勉強が必要になるわね。とにかく、こんな辺鄙な田舎に居ては駄目よ。良い施設を見つけてあげるまで、ここで待っててね。身体が完全に回復する頃には、そちらへ移れるようにするから」

「あの…伸弥さんは?伸弥さんは…怪我は大丈夫なの?それに伸弥さんのおかあさんは?無事なの?」

「…心配しなくても大丈夫よ。ふたりとも別の病院に入院されているわ。仁科伸弥君…あなたを管理下におく力のあるイルト…ね。彼に会ってみて、すぐにわかったわ。スバルくんが、強力な魔法を使えたのも彼を助ける為だったのね」

「伸弥さんに会ったの?」

「ええ、スバルくんを心配して、一度お見舞いに来られたのよ。目が覚めて元気になったら、また会いにくるからって」

「ぼ、僕、すぐに行くっ!伸弥さんの病院に連れてってください」

「そんなに興奮しなくても、連れていくわよ、スバルくん。でもまだ回復してないでしょ?自分で歩けるの?」

スバルは身体を起こし、ベッドから立ち上がった。なんだかふらふらする。

二、三歩足を踏み出すと、腰が砕け落ち、ペタリと床に座り込んでしまった。


「ぼ、く…立てない…」スバルは泣きそうになった。

「大丈夫よ。まだ身体が目覚めてないだけ。明日には動けるようになるわよ」

「ホント?」

「うん、ホント。だから二日後に伸弥君の病院に連れて行ってあげるわ。それならいいでしょ?」

「うん、ありがとうございます」



二日後、スバルは伸弥の居る病院へ向かった。

伸弥は病院の外苑のベンチで、スバルを待っていた。

ベンチの脇には伸弥の車椅子がある。

伸弥のつぶれた右足は膝下から切断され、これから伸弥は車椅子の生活を強いられることになる。


スバルは右足を失くした伸弥の姿に、唖然と立ちすくんだ。

あの時、もっと伸弥の足を治す努力をしていれば…と、スバルは自分を責めた。

伸弥にはスバルの気持ちが痛いほど理解できた。だから、明るい調子でスバルを慰めた。


「いいかい、スバル。僕の足がこうなったのはスバルの所為じゃない。君は母と僕の命を救ってくれた。どれだけ君に感謝しても足りないほどに、君には恩がある。ありがとう、スバル。あの時、僕は生きることを諦めかけていた。だけど、君は諦めちゃならないって…一緒に生きていこうと手を繋いでくれた。僕は二度と生きることを諦めない。誓うよ。…なあに、足を失くしたからって歩けなくなったわけじゃないさ。そのうち良い義足を作ってもらうよ。そして僕の未来の夢を叶える為に、頑張るよ」

「伸弥さん…」

「…聞きたくないだろうけれど、君には話さなきゃね。火事の原因だけど…やはり、母だったよ。今頃になって、自分が鈴子にしたことが恐ろしくなったんだろうね。仏壇の蝋燭で、盆提灯に火をつけたって…警察の取り調べで、話したらしいんだ。…仏壇が燃えても鈴子の霊がいなくなるわけでもないのに。馬鹿な人だ…」

「伸弥さん…」

「…母は心の病で、病院暮らしになるだろう。面会に行っても僕のことも、よく認識できないみたいだから…」

「…」

どう言葉をかけていいのか、スバルにはわからなかった。だから伸弥の隣に腰かけ、伸弥の身体に凭れ、手を繋いだ。


「スバル、ありがとう…僕は大丈夫だよ。スバルが居てくれる。ひとりじゃないって思える。だから未来に向かって歩こうと決めたんだ」

「ずっと伸弥さんの傍にいたい。僕が伸弥さんの足になる。これからは僕が伸弥さんを守るんだ」

「…ありがたいけれど、それは嫌だな」

「え?…どうして?」

スバルは顔を上げ、伸弥を見つめた。


「僕はスバルの重荷になりたくない。スバルが僕の足になるのは、嫌だ。君より五歳も年上の僕が、君に守られなきゃならないの?…僕だってプライドがあるんだよ、スバル」

「ちが…そ、そんな意味じゃ…ない」

「わかってるよ。…スバルの気持ちは嬉しい。スバルが傍にいたら、楽しいし、毎日穏やかに過ごせるだろう。だけど、僕はそれを選べない。スバルはすごい魔法使いだ。一緒に居たら、僕はスバルを頼ってしまう。頼ってしまう僕自身を許せなくなる。……僕が誰もが認める一人前になるために歩き出すこの先に、僕は色々な障害を乗り越えていかなきゃならないだろう。その時スバルが傍にいてくれたら、どんなに心強いか…と、考えるよ。でもね、僕はスバルに成長して欲しいんだ。僕とスバルが主と魔法使いという関係であるなら、尚更…僕たちはお互いに成長しあわなきゃならない。ちゃんと自我を確立させる…スバルには難しいか…。まあ、スバルにはまだまだ色んな勉強が必要だってこと」

「…伸弥さんと一緒にいちゃダメなの?…いやだ。僕、伸弥さんから離れたくない…」

「スバル、ね、聞いて。僕には夢があるって言っただろう?いつか…世界中を旅してみたいって。僕はね、スバルと一緒に行きたいんだ。どう?」

「い、一緒に行くっ!」

「この足を鍛えて、どんな荒地だってに歩けるようになって、色んな場所の言葉や歴史を勉強して、行ける時が来たら、必ずスバルを迎えにいくよ。だから、それまではスバルはスバルの居るべき場所で勉強をしなきゃならない。…天野さんは良い人だと思う。君を良き場所へ導いてくれるだろう」

「伸弥さん」

「さよならだ、スバル。大丈夫。必ずまた会えるよ。そして…その時こそ、僕とスバルは手を繋いで、ずっと一緒に未来を歩いていくんだよ。いいね、スバル…」

「うん…絶対だよ、絶対だからね…」


伸弥の誓いと覚悟を、スバルは信じた。


そして、スバルは伸弥と別れ、ニッポンを離れた。




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