表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

7


挿絵(By みてみん)


7.

伸弥は死んだ妹、鈴子のワンピースを着せたスバルを連れ、一階に降り、玄関の横の応接室へ入った。

スバルの目に豪華なシャンデリアと、花を基調にした華やかな壁が映し出された。

足元を見れば、昔、西の異国の街でよく見かけたアラベスク模様の赤絨毯が敷かれているる。

中心にマホガニーのカウチ式ソファがテーブルを挿んで一式置かれ、後ろを向いたままの女性がひとり座っている姿が見えた。


「おかあさん、少し、いいですか?」

「…なにか、用事?伸弥さん。今日はわたくし、忙しいのよ」

黒い絽の着物を上品に着こなした伸弥の母、百合絵は、こちらを振り向こうともせず、咥えた煙草を指に持ち、その灰を灰皿へ落とした。


「今日は鈴子の初盆で忙しいのは僕も知っています。でも…どうしてもおかあさんに合わせたい友人がいるんですよ。スバルと言って…とてもいい子なんです。僕は彼をうちの家族に迎えたいと思っています。

「…なに、馬鹿なことを言って、いる…」

伸弥の言葉に驚いた百合絵は、初めてふたりの方を振り向き、伸弥の後ろに立つスバルを見た。

そして言葉を失ったのだ。


母親の様子に満足した伸弥はスバルの手を引き、百合絵の真向かいのカウチにスバルの手を繋いだまま座った。

「ほら、鈴子に似ているでしょ?よおく見てくださいよ」

「…う、そ…」

「まるで鈴子が生きかえったみたいじゃないですか。…スバルも鈴子と同じように親もいないし、学校も行かせてもらっていない、可哀想な子なんだ。僕も鈴子を失ってとっても寂しいし、スバルを僕の妹にしてもかまわないでしょ?」


スバルはただ黙って伸弥の傍に居た…。

彼は前もってこの企みを伸弥から聞かせられていたのだ。

「…かあさんを困らせてやりたいんだ。鈴子はかあさんに散々いじめられていたからね。鈴子そっくりのスバルを見たら、かあさんはきっと驚いて言葉もないだろうな…スバルには女の子のふりをしてもらうけれど…今日だけだからね、こんな恰好させるのは。だから協力してくれるね」

「うん、わかった」

あまり気持ちの良い提案ではなかったが、スバルはすぐに了解した。


伸弥の計画を知った時から、スバルにはもう引き返す手段はなかったが、真向かいに座る伸弥の母親のスバルを見る憎悪にも似た眼差しに戦慄を感じたスバルは下を向いたまま、早くここから出たい、とばかり願っていた。


「伸弥さん。一体…あなた、何を言ってるの?なんなのよ、その子は。…似てるたって…よく見たら、そんなに似てやしないし…第一、養子にするなんて…お父様が許すはずがないでしょ!」

「おとうさんには僕からよくお願いしてみるよ。鈴子が死んだ時、おとうさんは思ったよりもずっと悲しがっていたからね…。それよりおかあさんは自分の心配をした方がいいんじゃないの?」

「なんのことよ」

「鈴子がどうして死んだか…本当のことをおとうさんが知ったら、おかあさんはこの家にはいられなくなるんじゃない?」

「…なに…馬鹿なこと言っているの?」

「僕、知ってるよ。かあさんが鈴子を殺したって…」

「…」

「鈴子は水嵩の増した川の流れに巻き込まれて死んだってことになっている。…あの日は、僕は林間学校で三日前から家には居なかったし、お父さんも仕事で留守だった。前日の大雨で川は河原が見えなくなるほどの水量だった…」

「そうよ…あ、あの子は泳げなかったから…石の橋から足元を滑らせて落ちたって、村の者が言ってたわ。…あの橋は欄干がないから…きっと、川の流れを見たくて覗き込んで…それで落ちたんだって…そう、警察の人から聞いたわ」

「でもね、鈴子がもしあの橋から落ちても、鈴子は溺れたりしませんよ。…あの子、泳ぎが得意だったからね」

「…」

「ここに来た頃は全くのカナヅチだったんだけど、僕が特訓してどんなに川の流れが激しくても溺れない泳ぎ方と逃げ方を教え込んでいたんだよ。だから、鈴子は溺れて死んだりはしない…もちろん鈴子の意識がなく、誰かに突き落とされたのなら、溺れて死んでも変じゃないけれど…」

「伸弥さん!あなた、な、何が言いたいのっ?」

「…僕は鈴子が死んだのは、あなたが原因じゃないかって…ずっと疑っていたんですよ、おかあさん。自分の親を疑うなんて…妹を殺した奴が自分の母親なんて、考えるだけで吐き気がする。だけど…あのままじゃ鈴子が可哀想でしょ?あの子はまだたった…八歳だった。かあさんがどんなにあの子を嫌っても憎んでも、構わないよ。でもあの子に死ななきゃならないほどの罪があるの?…あなたにとっては他人でも、僕には血の繋がった妹だったんだよ?」

「…」

「あの日、あなたが鈴子をおつかいに出してあの橋を渡らせたんだ。鈴子は僕が居ない時は、あまり外へは出してもらえなかったから、きっと喜んであなたのおつかいを頼まれただろう。あの子に持たせた水筒に、あなたは強力な眠り薬を入れた。あの日は暑かったから、鈴子がどこかで水筒の水を飲むことはわかっていた。…たまたまあの石橋で滑って落ちたとしても、鈴子には泳ぐほどの意識は持てなかった…と、僕は推理している」

「…馬鹿馬鹿しいわ。そんなあなたの作り話を誰が信じるの?それに、もしあなたの言うとおりに水筒に何かを入れたとしても、結局は勝手に落ちたんじゃないの」

「そうだね、勝手に落ちたのなら、かあさんの所為じゃない。でもやっぱりあなたが鈴子を殺したんだ。あなたには殺意があった」

「…」


スバルは伸弥の言葉に戸惑うばかりだった。

伸弥の母親が妹の鈴子の死に関係があるとは、聞かされずにここに来た。しかも伸弥は母親が鈴子を殺した…と、までも責めたてるのだ。


握りしめる伸弥の手は汗を掻き、小刻みに震えていた。

…伸弥は苦しんでいる。

何とか助けたい…

スバルは真向かいに座る百合絵を見た。

百合絵のスバルへの憎しみの眼差しをなんとか耐えた彼は、無意識に百合絵の記憶の断片を感じ取った。

スバルの魔力がそれを望んだものかもしれない。


スバルの目の前に映し出される百合絵の記憶は、伸弥の言葉よりも恐ろしいものだった。

鈴子は水筒の中の水を飲まずに、橋から川に捨てた。なぜそういう行為を取ったのかはわからないが、きっとなにかおかしいと感じたのだろう。鈴子に見つからないように後を追っていた百合絵は、その様子を見た。そして…直接自分の両手で鈴子の首を絞め、意識を失った鈴子の身体を川に投げ捨てたのだ。

激しく流れる川に流される鈴子を、表情も変えずに見つめる百合絵がいた…。


「や、やめてっ!」

「スバル?」

声を荒げ、立ち上がったスバルは、そのまま意識を失った。

崩れ落ちるスバルの身体を、あわてながらも伸弥はしっかりと抱きしめるのだった。



「スバル?大丈夫かい?」

「…ぼく」

「いきなり倒れるから驚いたよ」

「…」

伸弥の部屋のベッドに寝かせられたスバルは、額に乗せられたタオルの冷たさを感じた。

「世話人たちは熱中症かもしれないって。気分はどう?」

「だ、いじょうぶ…あ…」

少し身体を起こしたスバルは、また眩暈に襲われ、頭を枕に戻した。

「やっぱり、もうしばらくそのまま寝ていた方がいい。夕食も用意させたから。少しばかりのつぐないだけど、夜までゆっくりなさい。あとで僕が家まで送るからね」

「…ありがと…伸弥さん…」

さっきまで来ていた鈴子のワンピースは、知らぬ間に元の着ていた服に着替えさせられていた。

伸弥はスバルの額に乗せたタオルを取り、洗面器で冷やし、絞ったタオルをまたスバルの額に乗せた。


「…スバル、悪かったね。あんな話を聞かせてしまって…。あんまり毒が強すぎたね」

「…」

「ホントはね。信じたくなかったよ。かあさんが鈴子の死に関わっていたなんて。でも、色々と調べる程に、段々と確信に変わっていくんだ。まるで、鈴子が真実を知ってくれ、って言わんばかりに…」

「…」


スバルはさっき見た百合絵の記憶を伸弥に話すべきかどうか、悩んだ。

もしあれが真実であるなら、伸弥の母親は本当の人殺しだ。だけど、伸弥は本当にその真実を望んでいるのだろうか…

だが、もし伸弥から真実を責められたら、スバルはすべてを話してしまうだろう。

スバルのアルトの性質が、伸弥に対して、絶対的な服従を強いられるからだ。


「あの、ね、伸弥さん…ぼくね…魔法使いなんだ…」

「え?」

「ぼくもよくわからないけれど…怪我したりすると、自分で傷を治せちゃうんだ。それを知ったのは二年ばかり前で…前に話した古本屋のチェトリじいから教えてもらった。…魔法使いはアルトって呼ばれてね…。この世界にはたくさんいるんだって。だけど…ぼくはまだそういう魔法使いに出会ったことがないんだ。…ぼくは、自分が普通じゃないのが…とても怖い。みんなと同じように生きたいのに…。今まで伸弥さんに黙っていたのは、僕が魔法使いだって知ったら、伸弥さんから嫌われてしまうかもしれないって…そう考えるだけで、怖かった…。伸弥さんはぼくにとって…大事な人だから…。でもやっぱり大事な人だからこそ、ぼくのことを知って欲しいって…そう、思った。だから、ね…普通でないぼくは、伸弥さんの家族にはなれない、と、思う…」

「スバル、今まで君と一緒に居て、僕は君を少しでも嫌ったりしたことがないんだ。それなのに、君が魔法使い…アルトだと知ったからって疎んじたりすると思うのかい?」

「だって…気持ち悪くない?ぼくだって自分の力が怖いと思う時だってあるよ…」

「起き上がれなくて、こうして寝ているスバルを、怖がる必要があるのか?…もし、スバルに魔法が使えるのなら、それは多分…神様がスバルにくれたプレゼントで、きっと君を…いや、君自身だけじゃなく、色んな人を救う力となりえるんじゃないだろうか…とてもすばらしい事だと思うよ」

「…」


昔、スバルを救ったチェトリじいと同じ言葉を、いや、それ以上の意味を、伸弥はスバルに与えた。

それだけで、スバルにとって、伸弥は絶対者になりえる権利を持つのだ。


「…ぼくは…伸弥さんの傍にいてもいいの?」

「もちろんだよ、スバル。…僕はね、この事を父に話したところで、警察沙汰になるとは思えないんだ。真実がわかってもきっと有耶無耶にされてしまうだろう。父も仁科家のとんでもない恥をわざわざ表沙汰にはしたくないだろうしね」


伸弥は切ない顔で少しだけ笑った。それがスバルには辛かった。


「だけど…鈴子の事を思うと、これ以上、母と一緒に生活できるわけがないじゃないか。無理にでも、二学期からはこの家を出て、どこか寮のある学校に行けるように父に頼もうと思う。スバル、君も一緒に来ないか?」

「え?ぼ、ぼくも?…でも…」

「初等科でも寮付きの学校もあるよ。僕と一緒に行ける学校を見つけるよ。どうだい?」


伸弥と一緒に学校へ行ける?…そんな夢のようなことが、本当にできるのだろうか…


スバルには伸弥の言っていることが、現実的ではない気がしていた。

だが、伸弥が本気で望んでいるのなら、そして、それは夢に描く幸福の毎日ならば、スバルが喜ばないわけがない。


「うん、行くよ!絶対、伸弥さんと一緒に学校へ行きたい!」

「じゃあ、明日から猛勉強だな。学校へ行くには、試験を受けなきゃならないんだよ、スバル」

「…え?そうなの?…ぼく、大丈夫かなあ…」

「大丈夫だよ。スバルには僕がついているんだから」

さっきまでの暗い思いを打ち消すような、伸弥の爽やかな笑顔に、スバルは心の底からほっとしていた。




その夜、スバルはなかなか寝つけなかった。

伸弥のこと、鈴子の死と百合絵のこと、そして、これからのことを考え出すと、安らかな眠りは訪れてはくれなかった。


『本当に伸弥さんの望み通りになるのだろうか…。あのまま伸弥さんのおかあさんを見捨ててもいいのだろうか…。ぼくはどうなってもいいけれど、伸弥さんが悲しむ姿は見たくない…』


遠くから鐘を打つ音が聞こえた。

隣で寝ていたスバルの祖母が、ムクリと起き上がり「火事だ!」と、叫んだ。

スバルは急いで家の外に出て、空を見上げた。

暗闇に乱れた灯火のような地上が見えた。


『あ、あっちの方角は…伸弥さんの家の方向だ!』


スバルは裸足のまま、仁科家に向かって走り出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ