真の弱者
誰よりも早く起きた光平が、リビングで新聞を読んでいた。
次に目を覚ましたのは、喜一だった。
「光平、早いね」
喜一が近付くと、
「兄貴、事件だよ」
と、光平が真面目な顔で言った。
「夢に出て来たの?」
「うん。女子中学生。きっと、この事件の」
喜一が、光平の指し示している新聞の記事を覗き込む。
それは、連続して起きている通り魔事件で刺殺された、少女の記事だった。
今まで数人が襲われていたが、死者はその少女が初めてだった。
「よく解らないけど…この被害者だっていう自信があるんだ」
「そこまで解るようになったのか?」
「今回に限ってかもしれないけど…そんな気がしてならないの」
「レベルアップしたじゃん」
いつの間にか背後にいた陽二の声に、二人は飛び上がり掛けた。
「なぁ、たまにはこっちから如月さんに連絡してみたら?事件解決に協力します、って」
陽二がソファに座りながら言った。
「僕達は探偵でもなきゃ、正義の味方でもない。この事件だって、警察が捜査してるだろう」
喜一が少し呆れたように答える。
「俺は正義の味方のつもりだぜ?」
陽二が反論する。
「今までだって、そうじゃん。光平の夢に出て来た人が絡んだ事件は、俺達が協力して解決してきたんだ。実際―」
陽二は光平を指さしながら、
「背中にべったり貼り付いてる」
光平は少し身震いをした。
「放っておいても、そのうち如月さんから連絡来るだろうな」
陽二はそう言いながら、バスルームへ向かった。
「どう思う?兄貴」
光平が、少し不安そうな顔をして尋ねる。
「どう、って…何が?」
「実は、俺もすごく気になってるから、この事件」
「そんなに?」
「うん…被害者は中学生ばかりなんだ。なんか…弱い者いじめをしたいだけの愉快犯だとしたら、許せないよ」
光平の言葉に、喜一は再び新聞に目を向けて、
「じゃあ、やっぱり光平が連絡してみたら?」
「え!?俺…?でも…そしたら、また兄貴も力を出さなきゃならなくなるよ…?」
「だって、気になるんだろう?」
光平は複雑な顔で黙り込んだ。
「光平がそうしたいって言うなら、僕は何回でも犯人に襲われてあげるけど?」
喜一はそう言って、指先をヒラヒラと揺らした。
日向家に、如月と初美が早速訪ねて来たのは、その日の夜だった。
残念ながら、光平が連絡をする前に、如月の方からコンタクトを取って来たのだった。
「今回は、主に光平を窓口に進めて下さい」
喜一は本題に入る前に、いきなりそう言った。
「え!?兄貴、なに言ってんの!?」
「だって、自分から連絡しようと思ったくらい気になる事件なんだろ?」
「そうだけど…」
「了解。よろしく」
如月が笑顔で言った。
光平は、おどおどしながら頭を下げた。
「何とかしてやんないとな、お前に貼り付いてる彼女」
陽二がビールを飲みながら言った。
「また憑いてる?」
「うん、ずーっと」
陽二の答えに、光平は何度も背後を振り返った。
「詳しい内容を説明するよ」
如月が、鞄の中から書類を取り出す。
「被害者は、林田由貴。中学三年生。塾から帰宅する途中に、自宅付近の住宅街で襲われた。体を数ヵ所刺されて、死因は失血死」
「他の被害者も、同一犯の仕業ですか?」
光平が尋ねる。
「警察はそう見てる。手口に共通している点があるからね」
「でもさ」
陽二が口を挟む。
「今回の被害者だけ死んじゃったのは、なんで?運が悪かったから?」
すると初美が、
「恐らく、今回は殺すつもりで襲ったんじゃないかと思うんですけど」
「どうして?」
陽二が初美を見る。
「傷が多いし深いんです」
「共通点っていうのが、その傷の事なんだけど…」
如月が補足する。
「全員、こんなふうに…」
如月は、光平の背中に手を伸ばすと、左脇腹から右肩にかけて、斜めのラインを描いた。
「必ず最初に、こう切られている」
光平は、背中の感触に、
「これ、死なない可能性の方が高いですよ。殺すつもりなら、切りつけるより刺す方が…」
「そう。だから今まで被害にあった子達に関しては、傷付けられても死に至る事は無かった。必要以上に危害を加える事なく、犯人は逃走したから」
「なんで今回だけ殺しちゃったんだろ…」
陽二がビールを飲み干して言った。
「犯人が、顔を見られたとか…よっぽど嫌な相手だったか?」
光平が答える。
「両方、可能性はありうる」
如月はそう言って喜一を見た。
はい、解ってます、とでも言いたげに、喜一は頷いた。
「他の被害者達は、見てないんですか?犯人」
光平が如月に問い掛ける。
どうやら事件に絡んだ事柄だと、会話もすんなり出来るようだ。
「見てるよ。顔というか、マスクを」
「マスク!?」
陽二がおかしな声を出す。
「目撃証言を元にして探したら、これだった」
如月が一枚の写真を見せた。
それは、どこにでも売っているような、ただ白いだけで目元だけがくり抜かれた物だった。
「ふざけてんのかな?」
陽二が呟く。
「こんなもの被ってたら、夜道じゃ目立つんじゃねぇ?アホらしい」
「そのアホらしい事で、人が死んでる」
光平がポツリと言った。
「如月さん、現場に行く事は出来ますか?」
喜一が尋ねる。
「今から?構わないけど」
「あ、俺飲んじゃったけど、酔ってないから平気だよ」
陽二も立ち上がる。
「車、出すね」
光平がすぐにリビングを出て行く。
「今回は、やけにやる気だなぁ」
その姿を目で追っていた陽二が言った。
「何か思うところがあるんだろ。さ、行くぞ」
喜一が陽二を促す。
如月の車について、林田由貴が殺害された現場に到着すると、何人かの人影が見えた。
車のライトに気付いて、人影達がこちらを振り向く。
「…あれは…林田由貴のクラスメイトだ」
車を降りた如月が、そう呟いた。
喜一達も如月の後に続いて、彼らに近付く。
「君達、何してるんだ?もう時間も遅いから、帰りなさい」
如月がそう言うと、数人の少年少女達が、顔を見合わせた。
どうやら弔いに来たらしく、お菓子や花、点けたばかりの線香が置かれていた。
「夜に出歩くのは危険だ。しかも、ここは事件現場だぞ」
如月の言葉に、一人の少年が、
「普段、塾に行ったら、もっと遅い時間になりますから」
「一応、危ないとおもって、皆で来たんだし…」
少女も、解ってると言いたげに呟いた。
「警察の人達ですか?」
一人の少女が聞いた。
いや、僕達は違うけど。
と、喜一は心の中で言った。
そして、陽二と光平を見て、こんな奴らが警察官に見える訳がない、と思った。
「犯人、捕まりますか?」
「もう、誰か解ってるんですか?」
彼らが口々に言い出す。
「待ってくれ。こっちも捜査中だから」
如月が、なんとか宥めようとする。
「もし捕まえてくれないなら、私達で犯人探します」
ある少女が、目に涙を溜めてそう言った。
「おい、そんな事考えるもんじゃない。君達だって安全な訳じゃないんだ」
「だって…このままじゃ由貴が可哀想」
少女は、とうとう泣き出した。
「俺達、由貴と仲良くて…あの日、塾で一緒だったんです」
少年が、泣き出した少女を見て、辛そうに言う。
「私も…帰り道が途中まで同じで…普通に別れたのに…」
「君達の気持ちは解るが…」
如月は、困ったように頭を掻いた。
「何か協力させて下さい!」
泣いていた少女が顔を上げて、
「私、囮になります!だって、襲われてるのは中学生なんでしょう?」
「バカな事言うな。そんな事無理に決まってるだろう…」
如月が、やれやれと溜め息をつく。
大変だな、と喜一は思った。
無理もない。
子供なのだから、こんな感じだろう。
沸点も低くて、極端。
物事には黒か白しか無くて、怖いもの知らず。
それが子供らしいと言えば、らしいのだが。
しかし、余計な知識が無い分、大人では想像もつかないような、斬新なアイディアを持っていたりする。
成長してしまえば、その感性を取り戻すのは、不可能に近くなるのだが。
「ねぇ、君達は、犯人がどんな奴だと思う?」
そう言いながら、光平が近付く。
「…変質者、かな?」
「弱い人よ。子供を狙うんだから」
「じゃあ女?」
それを聞いていた初美は、少し納得がいかない顔をした。
女が弱いというイメージは、一体いつから持たれ始めて、いつになったら終わるのか。
「子供じゃない?」
一人の少女が言った。
すると光平が少女を見て、
「俺もそう思う」
と言った。
「だって、お面被ってるんでしょう?」
「死神みたいなマントじゃなかった?」
「マジシャンみたいだって聞いたけど」
おいおい、そんな奴がいたら目立って仕方ないだろう。
喜一はフッと息を吐いた。
学校でも、この噂で持ちきりなのだろう。
憶測や勘違いが混じって、犯人像もかなりデフォルメされているらしい。
「うちの学校の生徒かな?」
一人の少年が言った。
「待ってくれ。まだ犯人が子供だと決まった訳じゃない」
如月が制する。
その時、後ろからバタバタと足音がした。
「お前達、何してるんだっ」
男が二人、駆け寄って来る。
「先生だ…」
一人の少年が口にした。
如月は、その男達に警察手帳を見せた。
「あ…警察の方ですか」
男の一人が、
「私は彼らの中学で教員をしている東川と申します。こっちが亡くなった生徒の担任で、相本先生です」
東川と名乗った教師は年配だったが、相本の方はまだ若かった。
「あの…うちの生徒が、何かしましたか?」
東川が心配そうに尋ねる。
「いえ、そういう訳じゃ…現場で林田由貴さんの弔いをしていたのを見掛けて。もう遅いし帰宅するように言っていた所です」
「そうでしたか…申し訳ありません」
東川が安心したように頭を下げる。
「ほら、もう帰りなさい」
相本が生徒達を促す。
少年達は、面白くない顔をすると、渋々その場を立ち去って行った。
「ところで…先生方は何を?」
如月が尋ねる。
「あんな事件がありましたから…近隣の中学教師が相談して、パトロールを始めたんです」
東川がそう答える。
「全てを見回るのは無理ですが、何もしないでいるよりは気が済みます」
「ご協力、感謝します」
如月が頭を下げる。
「何かあっても困りますので、こうして男性教諭が二人一組で回っています」
「しかし、あまり無茶はなさらず、怪しい人物を見掛けたら通報して下さい」
「はい。あの…」
東川は、遠慮がちに、
「犯人の目星はついているのでしょうか?」
如月は、笑顔を向けると、
「時間はかけずに、全力で捕まえますよ」
そう言った。
「…皆さん、警察の方ですか?」
相本が不思議そうに喜一達を見る。
すかさず、初美は自分の警察手帳を見せた。
「彼らは、関係機関の人間です」
「そうですか…随分と…」
それから先は、言われなくても想像がついた。
お前達のせいだ。
と、喜一は陽二と光平を見た。
「しかし、本当に早く解決して頂きたい」
東川が改めて切り出す。
「生徒達の中で動揺が広がっています。授業にも身が入らないというか…どこか落ち着きが無い感じで」
「ネットでも、盛り上がってますからね」
聞いていた光平が口を挟む。
「さっきの子達もそうだけど…犯人像が面白おかしく語られて…まるでカリスマ扱いをしているサイトもあります」
「犯人が子供っていうのも?」
如月が問い掛けると、光平は頷いて、
「マスクを着けたり、中学生ばかりを狙ったり…ゲーム感覚で犯罪を楽しんでいるのが幼稚で浅はかだって…俺もそう思う」
「確かに…子供かもしれませんね」
東川が溜め息まじりに、
「子供達は、意外に残酷なところもあります。学校という閉鎖的な空間で生活のほとんどを営んでいると、視野が狭い。なのに感情的で、自分で抑制出来ない事も多い。毎日見ていても、驚かされる事がたくさんあります…社会に出れば、もっと悩む事もあるし、立ち直る術もたくさんあると解るんですがね」
「とにかく…一刻も早く犯人を捕まえて下さい」
東川と相本は、深く頭を下げた。
「さて」
二人が立ち去ると、如月が喜一を見る。
「気が済んだかな?」
「…ここには、僕が協力出来そうな物は無いようですし」
「じゃあ、帰ろうか。また改めてお邪魔するよ」
車に戻る途中、陽二に向かって光平が、
「ねぇ、被害者の子、ずっと俺に憑いてた?」
と、尋ねた。
「どうして?」
「いや、なんとなく」
「一瞬離れた。今はまた戻って来てるけど」
「離れてた?いつから?」
「俺達がここに着いてから、すぐ消えた。何度も見直したけど、憑いてなかったぞ」
「…その間、友達に憑いてたの?」
「いや、全くいなくなってたな」
「…そう」
光平が腑に落ちない顔をする。
「なんだよ。何が引っ掛かってんだ?」
車に乗り込むと、陽二が初美に手を振りながら聞いた。
「うーん…友達とか先生がいたら、嬉しくてそっちに行ったりしないのかな、と思って」
「自分が殺された現場だから、嫌だったんじゃねぇの?」
「それか、その人達が嫌だったか」
喜一が呟く。
二人は後部座席の喜一を振り返った。
「お互いが友達だと思ってる確証なんて無いだろ」
喜一は冷静に言うと、シートに身を沈めた。
翌日。
仕事中に光平から連絡が入って、喜一は何事かと思った。
「どうした?何かあったのか?」
「如月さんから電話が来た。今夜、どうしても兄貴の力を借りたいって」
「…そんな急ぎ?」
「うん。また被害者が出たって」
「え…?」
「大丈夫って返事してもいい?被害者…亡くなったらしいんだ」
喜一は了承すると、仕事に戻った。
早いペースで犯行に及んでるな。
よっぽど焦っているか、心底楽しんで中毒症状のようになっているか。
どちらにしても、結論はひとつだ。
早く止めなければ。
その夜、一人で日向家を訪れた如月は、どこか沈んだ様子だった。
「如月さん、また被害者は中学生ですか?」
喜一が尋ねると、如月が一枚の写真を取り出した。
「昨夜、俺達が会った中の一人だ」
「え!?」
三人が驚いて写真を覗き込む。
「…この子」
確かに、昨夜あの中にいた少女だ。
「まさか…あの後に?」
光平が聞く。
「そういう事になるな…やりきれないよ」
如月が頭を抱える。
三人も、酷く嫌な気分だった。
「如月さん」
光平が顔を上げる。
「最初に亡くなった林田って子の遺留品、持って来たんですよね?」
「あ、ああ…」
「今回の被害者からも、何か見えるかもしれないっ」
光平はそう言って喜一を見ると、
「兄貴っ、学校だ。学校に行ったら、まだ彼女達が使っていた物も残ってるよね!?」
「…そうかもしれないけど…光平、落ち着け」
「だって、こうしてる間にも、誰かがっ、誰かが狙われて被害に遭うかもしれないだろっ!?」
「光平っ!」
陽二が一喝する。
光平はビクッと身を震わせると、黙って俯いた。
その光景を、如月がじっと見守る。
「…どうした?光平」
喜一が優しい口調で問い掛けると、光平は首を振って、
「…ごめん、なんでもない…少し、頭冷やして来る」
そう言うと、リビングを出て行った。
「…今回のあいつは、どうなってんだよ」
陽二がふてくされた顔で呟く。
「…今日は、帰った方が良さそうかな?」
如月の言葉に、喜一は、
「見ますよ。光平だって、早く解決する事を望んでるでしょうから」
と、手を差し出した。
由貴が亡くなる時に持っていたという携帯電話に触れると、喜一の中でただならぬ恐怖感が広がった。
由貴は何とか逃れようともがきながら、通報して助けを呼ぼうとしたのかもしれない。
この携帯を、操作しようと努力をしたのだ。
学校生活の中の、何気ない光景も見えた。
あの時、現場に来ていた生徒達の顔も。
そして、振り向いた彼女は、マスクを見た。
彼女はその後、俯せに倒れ、地面が視界を塞ぐと、やがて真っ暗になった。
刺される振動で頭が揺れていたのか、時折チラチラとアスファルトの表面が見え、その後、彼女は息絶えた。
「…怖かったでしょうね」
喜一は、目を開けると、まずそう言った。
「自分の命が尽きていくのを…彼女は感じていました」
陽二が、苛ついたように舌打ちをする。
如月は眉間に手を当てて、溜め息をついた。
「…如月さん、さっき光平が言ったように、今回の被害者の物にも触れたいんですけど」
「大丈夫かい?また…今のような光景を…」
「今更、怖じ気づく事はありませんよ」
喜一はしっかりと如月を見て、
「かえって、二人目の被害者の最期も、同じような状況だったのか知りたいくらいです」
「そうか…しかし、すぐには…」
「だったら、本当に学校へ行きましょう」
喜一が本気でそう言ってる事は、陽二にも解った。
「…解った。学校に明日連絡を入れる」
如月が立ち上がると、陽二が言った。
「なぁ、如月さん。絶対犯人捕まえようぜ」
「…ああ、絶対」
如月はそう言って少しだけ笑みを浮かべると、家を出た。
如月が車に手を掛けた時、光平が戻って来るのが見えた。
光平も気付いて、一瞬歩みが遅くなる。
「…お帰りですか?」
「また明日、喜一くんをお借りするかもしれないよ。ちゃんと、今も林田由貴の遺留品を見てくれた」
「手掛かり、無しですか?」
「…喜一くんは、何かを感じていたみたいだよ。それで、今日の被害者の物も見たいと言ってくれたんだ」
「そうですか…」
光平は、その後に続く言葉を見つけられずに黙った。
如月は静かに光平の横に並んで、わざと正面から自分が見えないようにした。
「大分、落ち着いた?」
「…はい。すみませんでした」
光平は呟くように言った。
「誰にでも、感情的になる事はある。俺は、結構そういう君を見るのが好きだけど。ほら、喜一くんが倒れた時、俺に食って掛かって来ただろ?あれは悪くなかったなぁ」
如月が感慨深げに言うと、光平は照れ臭くなって下を向いた。
「どんな犯罪も許せないが、俺だって今回のように、子供が被害者の事件だと、いつもより気持ちが乱される」
如月の言葉に、光平はチラリと視線を向けた。
「俺も感情的になるよ」
如月がフッと笑う。
「…俺…」
光平が小さな声で、
「俺…中三の時に、いじめられた事があるんです」
驚いた如月が、光平を見る。
「理由なんて解らないし、いじめられなくなったきっかけも解らない。多分、そいつらにとっては、深い意味なんか無い、遊びのひとつだったのかもしれない。でも…いじめられた側は、ひどく苦しむんですよ」
「…喜一くん達に、相談は?」
光平が首を振る。
「その頃、ちょうど母さんが入院して…家の中もバタバタしてたし、心配かけちゃいけないと思って…」
如月は胸が痛んだ。
実の息子が、そんな思いをしていたのに。
「だから、今回みたいに…自分の快楽のために…ゲームのように人を傷付ける犯人が許せないんです」
「…そうだったのか…すまなかった…」
「なんで如月さんが謝るの?」
光平が、初めてまともに視線を合わせる。
「だって俺は…その頃はもう、君の存在を知っていた。なのに…」
「そんな事、気にしなくても…」
光平がフッと笑った。
「俺だって、その時に父親がいない事を恨んだりしなかったし、過ぎた事だから」
「本当は…償いをしたいと思ってる。でも…」
如月は困った顔をして、
「正直、俺もどうしたらいいのか解らない」
そう言いながら頭を掻いた。
「息子がいるって事は、すごく嬉しかった。自分に家族がいるなんて、興奮したよ。だけど…知世にまだ会わせたくないって言われた時…それもそうだって。急に出て行って、俺は何をしたらいいか、って…悩んだ」
如月は小さく溜め息をつく。
「父親として生きて来なかった俺は、頼りなくてダメな男かもしれない。がっかりさせたくないと思っても…どうやったら上手くいくのか…」
だんだんまとまりが無くなっていく如月の言葉に、光平がクスクスと笑い出した。
「あ…やっぱり、変な事言ってるよな」
如月が困り果てていると、光平はやっと笑い終えて、
「なんか、そういうとこ、似てる」
と、言った。
「俺も、全然どうしたらいいか解んないし。見たことない人に父親だって言われても、ピンとこなくて…。どうやったら上手くいくか、考えたって答えなんか出なかった」
光平は、少し照れながら、
「正直に言っちゃった方が、楽だったね」
と、微笑んだ。しばらく呆気にとられていた如月は、急に満面の笑みを浮かべると、思いっきり光平を抱き締めた。
「うぁ!ちょ、ちょっと…!」
驚いた光平が声を上げる。
「な、何っ?どうしたのっ」
ジタバタしている光平を、ギユッと抱き締めたまま、如月が言う。
「だって、俺に向かって笑ったろ?最高だ!」
「ちょ…!誰かに見られたら、変だからっ!」
その光景を、光平の叫び声に気付いた喜一と陽二が窓から伺っていた。
「兄貴、まさかの親子の抱擁だぜ」
「何してるんだ。人の家の前で…」
「光平にしてみれば、自分の家だけど」
「…他人の振りしよう」
喜一はそう言って微笑むと、ソファに座った。
「ごゆっくり」
陽二はカーテンを戻しながら、呟いた。
如月と初美、喜一の三人が学校を訪れると、あの夜出会った東川という教師が、応対に出て来た。
「電話を頂いてすぐに、相本先生に伝えておきました。会議室で待っていますので、ご案内しましょう」
東川に先導されて、職員室から近い一室へ向かう。
「相本先生、警察の方が見えましたよ」
東川がドアを開けると、相本が立ち上がった。
「先生、お忙しいところ申し訳ありません」
如月がそう言うと、会釈した相本は、不思議そうに喜一を見た。
「ああ、彼は…」
如月が紹介しようとした時、
「犯罪心理学の先生です」
と、初美が言ったため、喜一はちょっとメガネを直しながら、いかにもという雰囲気で、
「どうも」
と、挨拶をした。
「そうだったんですか」
相本は納得したようである。
「あの…これが、森山の私物です。ロッカーの中にあったんですが、手掛かりになるような物かどうかは…」
相本が机に置かれた品々を指さす。
雑誌やコスメの類い、ヘアアクセサリーが並んでいる。
事件のヒントとしては、確かに無関係な物だが、喜一には充分だった。
「失礼します」
そう言うと、喜一はひとつずつ物色し始めた。
「やはり、今回も同一犯でしょうか?」
そのまま会議室に残っていた東川が、問い掛ける。
「恐らく」
如月は、目の端で喜一の様子を気にしながら答えた。
「我々も責任を感じているんです。あの時、生徒達を送っていたら、と思うと…」
東川が辛そうに言う。
「それは、こちらも同じです」
如月がそう言った時、
喜一は、じっと手にしたリップクリームを見つめて、
「予期していない事が起こるのは仕方ありません。悪いのは全て犯人ですから」
と、言った。
「犯罪心理学の先生、なんですよね?犯人像は、解りますか?」
東川が尋ねる。
「…幼稚な犯罪…まさに子供の犯行です」
喜一が答える。
「動機もくだらない事でしょう」
「まさか、うちの生徒が…」
東川と相本が、顔を見合わせる。
「いえ、そうとは言ってません」
喜一が冷静に言う。
「ここが、子供…という可能性もあります」
喜一は、自分のこめかみ辺りを、トンと指さして、
「これ、お借りします」
と、リップクリームを手にした。
会議室を出ると、廊下の向こうから、一人の男子生徒が歩いて来るのが見えた。
あの夜に会った中の一人である。
「こんにちは」
如月が声を掛けると、少年はぎこちなく頭を下げた。
足早に通り過ぎようとした少年に、喜一が、
「ねぇ、君」
少年はビクッとして振り返った。
「森山友香さんと付き合ってたの?」
すると少年は答えずして解る程に、動揺していた。
「こんな事になってお気の毒だったね」
その言葉に、少年が泣き出しそうな顔で喜一に近付いて来た。
そして、目の前まで来ると、
「俺も、殺されますかっ!?」
と、いきなり聞いてきた。
「え?」
「だって…今までは、同じ学校の生徒が襲われる事が無かったのに…しかも、俺達の仲間内で立て続けに…もしかしたら、俺もいつか…」
少年はひどく怯えていた。
「大丈夫、そんな事ないよ」
如月がそう言って宥めようとすると、
「ほら…ご迷惑だぞ、変な事を言うな」
と、相本が静かに注意した。
実は喜一も同じ事を思っていた。
急に犯人のターゲットが、狭まったような気がする。
男子生徒を相本に任せて学校を出ると、喜一が切り出した。
「如月さん、今までの助かった被害者達は、犯人は一人だと言っていましたか?」
「ああ。マスクを着けた犯人は一人しか…二人いるのか?」
「僕の感覚では、そんな気がするんですけど」
喜一は、リップクリームを眺めながら、
「林田由貴が倒れた後、視界に不思議な感じがあって…もしかしたら、誰かに頭を押さえられていたのかな、って…そしたら、森山友香の方は、見ていました」
「もう一人、ですか?」
初美が尋ねる。
「刺されながら、自分の前にいる誰かの足を」
喜一は続けて、
「確かに最初の方は、一人の犯行だったかもしれない。傷付ける事が目的であって、殺す事ではなかった。でも、後からの二人は…」
「殺す事が目的?」
「動機は解りませんが、多分」
「殺される程、誰かに恨みをかったのでしょうか?」
初美が問い掛ける。
「しかし、一人は同じ人物の可能性は高いだろ?背中の傷は、共通している」
「その傷にも、何か意味があるんでしょうか…」
如月と初美の言葉に、喜一はじっと考え込んだ。
そして、何度も傷痕の形に、指先で線を描いてみた。
斜めのライン。
喜一は、窓の外に目をやる。
駐車禁止の標識、電車の模様…。
きっと何か理由があるはずだ。
「他にも共通点がないか、もう一度洗ってみるか」
と、如月が呟いた。
あれから数日。
次の被害者は出ていなかった。
如月も捜査に忙しいのか、連絡は来ていない。
あの日を境に、光平の中の如月に対するわだかまりは、少し軽くなった。
まだ全てを受け入れている訳ではないが、如月の事をこれから知っていくのが、何だか楽しみにすら感じ始めていた。
駅へ向かうため、人通りの少ない路地に入ると、光平は妙な雰囲気を感じた。
誰かが後ろを歩いている。
本来なら不思議な事では無かったが、なぜか違和感を覚えた。
光平の足音に、ぴったり重なった気配。
ヤバイかも。
光平は少しだけ足を早めた。
そして、それも同じようについて来る。
しかし、よく聞いてみると、同じでは無かった。
向こうの方が、早く歩いている。
追い付かれる。
思わず光平は、駆け出した。
後ろの足音も、走り出す。
どんどん歩幅がずれて、完全に誰かが自分を追って来ていると確信した時、光平は振り向いた。
目の前に、真っ白な顔があった。
あの、マスクが。
「うわぁぁっ!」
光平が叫ぶと、黒ずくめな服の腕が、今にも手にしたナイフを振り下ろそうとしていた。
次の瞬間、その腕を掴む、誰かの手が見えた。
驚愕のあまり、固まっている光平の視界から、マスクが消える。
え?何?
光平が戸惑っていると、
「大丈夫ですか!?光平さんっ!」
初美だった。
マスクの人物は、初美によって地面に投げ飛ばされていた。
「な、なんで…!?」
「犯人をつけていたんです。光平さん、如月さんに連絡して…」
そう言った時、マスクの人物が隙をついて、初美の腕から逃れると、走り出した。
「待ちなさい!」
初美はすぐに、その後を追う。
光平も、ハッと我にかえると、慌てて駆け出した。
マスクの人物は、あるビルへと逃げ込んで行った。
初美と光平が中に入ると、非常階段を駆け上がって行く音が聞こえていた。
二人も階段へ急いだが、何階かまで昇ったところで、男の気配が消えた。
光平は、非常階段からフロアに出る扉を開けてみた。
人の気配はない。
でも、このビルの中にいる事は確かなはず。
どこかの階で、フロアに移動したのは間違いない。
隣で初美が如月に電話を入れていた。
「申し訳ありませんっ、ビルの中で見失って…」
光平は、再び階段を駆け降りた。
エントランスへ出て、エレベーターホールに向かってみたが、そこにも人の気配は無かった。
入口に近づくと、電話を終えて息を切らしながら、初美が階段を下りて来た。
「今、如月さんも向かってるそうです」
「…この中にいるはずなんだけど…」
光平がそう言った時、背後で大きな音がした。
驚いた二人が振り向いて見たものは、倒れている人だった。
いや、落ちてきたというべきか。
初美はビルを出ると、その人物に近づいた。
白いマスクだ。
光平は、さすがに一緒に傍まで行く事は出来ずに、ドアの前で立ちすくんでいるしかなかった。
「おいっ!」
如月の声がする。
こちらに向かって、駆けて来ている。
「大丈夫かっ!?光平っ、怪我は!?」
如月は、真っ先に光平の元へ来ると、体のあちこちをチェックした。
「お、俺は、大丈夫だけどっ…あれ…」
光平が指さした方を見て、如月が溜め息をつく。
「やられたな…」
「…申し訳ありませんっ、私がっ…!」
初美が泣き出しそうな顔で頭を下げる。
「初美ちゃんは、俺を助けようとしたんだから、悪くないよねっ!?」
光平が如月に訴える。
如月はそれには答えずに、光平の肩をポンと叩いた。
気づけば、辺りに野次馬も増えていた。
やがて救急車やパトカーが到着して、現場は更に騒がしくなった。
光平からの連絡を受け、喜一と陽二は、すぐに現場に迎えに来た。
光平は、パトカーの傍らで、ぼんやりと現場検証の作業を眺めていた。
「なんで光平が…」
光平の無事を確認して、やっと安心すると、陽二が呟いた。
「犯人の目的が、中学生を襲う事じゃないって、これではっきりしたな」
喜一が静かに言う。
三人の元に、如月が近付いて来た。
「本当に大丈夫か?」
まず光平に声を掛ける。
光平は、小さく頷いた。
「如月さん、犯人は誰か解ったんですか?」
喜一が尋ねると、如月は複雑な表情になった。
「犯人は…あの中学の生徒だった」
「え!?」
陽二が驚いて声を上げる。
「あの夜、現場に弔いに来ていた中の一人だ」
そして喜一に向くと、
「自分が殺されると怯えていた子とは違う」
喜一は記憶を辿った。
だとしたら、あの、塾の話をしていた真面目そうな子か。
「それで…彼は?」
「きっと助からない」
如月が肩を落とす。
「じゃあ、動機は謎のままか」
陽二はそう呟くと、ふと思い直して、
「そんな事ないか」
と、喜一を見て言った。
生徒の葬儀が行われた。
小さい規模で、生徒も参列させなかった。
それでも、表にはマスコミが集まっていた。
世間を騒がせた通り魔事件の犯人が、中学生でマスク姿のまま飛び降りたとなれば、格好のネタだから仕方がない。
斎場のロビーで、如月は時計を見た。
そろそろ来る頃か。
ソファに、東川と相本の姿があった。
何やら深刻な顔で、ひそひそと話をしている。
「お疲れ様です」
如月が声を掛けると、二人は立ち上がった。
「この度は、ご迷惑をおかけして…なんてお詫びしたら良いか…」
東川の言葉に、相本も深々と頭を下げた。
「そちらも大変でしょう」
「はい…これから父兄や教育委員会…生徒達にも、何て説明したら良いか…学校にもマスコミはいるでしょうし…校長は、学年主任の私に全て任せると言って…」
東川はそう言いながら、胃を押さえた。
その時、喜一が光平を連れて、斎場に入って来た。
「あ…」
相本が喜一を見て、頭を下げる。
喜一は礼を返しながら、まだ学者の振りをした方がいいのか、少し迷った。
「遅くなりました、如月さん」
「いや、問題無い」
如月が、元気そうな光平を見て微笑む。
「あの…」
相本が不思議そうに、
「そちらの方も、あの夜、現場でお会いしましたよね?同じく心理学の先生ですか?」
と、光平を見た。
「僕の弟です」
喜一があっさり答える。
相本がポカンとしていたが、喜一は説明しようと思わなかった。
「相本先生」
後ろで東川が呼ぶ。
「そろそろ学校へ行かないと…ひとまず事件は終わったんですから、対策を考えないと…」
「終わってませんよ」
喜一が言う。
二人が、え?という顔で喜一を見た。
「…あの…今、何と?」
東川が尋ねる。
「終わってないと言ったんです。二人いる犯人が一人に減っただけで」
喜一はそう言って、如月に包みを渡した。
中身は、如月から預かっていた生徒の遺留品である。
「亡くなった彼…えっと…」
喜一が言葉に詰まると、
「石田」
如月がフォローした。
「そう、石田くんは、黒幕ではありません」
喜一は誰の顔も見ずに続けた。
「石田くんを犯行に走らせた人間がいます。いわば、主導権を握っていた人物」
「…まさか、それも、うちの生徒じゃ…」
東川が不安そうな顔をする。
「犯人の目的は、多分…支配する事」
喜一は質問には答えずに、
「支配された石田くんと犯人に共通している事があります。それは…侮辱される事が許せないという性格です」
すると、如月が補足するように、
「石田が容疑者として浮上してきたのは、被害者同士の共通点です。一見、バラバラの中学に通う無関係な子供達に見えますが…全員の通っていた小学校、塾、サークル…色々調べてみたら、全員と面識があったのが石田だった」
「石田くんは、全ての被害者に、何か侮辱されたと感じるような事をされているんです、過去に。周りからすれば些細な事でも、本人はひどく傷付いた…その復讐を、彼はしてたんです」
唖然としていた東川が、混乱しながら聞いた。
「…林田や森山も…石田に何かしたんですか?」
「林田さんは、石田くんを振りました。振ったというか、冗談だと思って笑い飛ばした。その時初めて…彼は殺意を持って犯行に及んだんです」
「森山は…?」
相本が聞くと、喜一は小さく溜め息をついて、
「それに関しては…同じ理由だとすると、光平が襲われたのも、解りました。彼女はあの夜…現場で言いました。犯人は変質者、あるいは子供じゃないか、って。そして光平も、幼稚で浅はかだと、犯人をバカにしたような発言をしました」
喜一は顔を上げて、
「だから、次は僕が狙われる番だったんじゃないですか?相本先生」
相本の顔が凍りついた。
東川は、訳が解らない様子で相本を見た。
「あなたが犯人です」
喜一は真っ直ぐに相本を見た。
「…ちょっと、待って下さい」
相本が、おろおろして頼りない声を出した。
「僕はあなたに言いました。犯人は、ここが子供だと」
喜一はあの時のように、自分のこめかみを、トンと指さした。
「さぞ…むかついたでしょうね」
喜一はゆっくりと相本に近付いた。
「あなたも過去にいじめを受けた経験があるんですか?…何かトラウマになるような事があったんでしょうね」
その言葉に、相本の顔がこわばった。
「ずっと、何だろうと思っていたんです。被害者全員に同じように付けられた背中の傷。でも、あなたが犯人だと解ると、その意味も解りました」
ずっと黙っていた光平が、小さな声で呟く。
「…チェック?」
「そう」
喜一が光平に向かって頷く。
「あれは、不正解の印。テストの採点と一緒です。あなたは、ダメな人間だという烙印を、被害者達につけた。最後の石田くんには、そんな余裕は無かったか…いや、石田くんを全ての犯人に仕立て上げるには、つける必要が無かったんでしょうね」
聞いていた東川が、恐る恐る相本を見て、
「あ…相本先生っ…嘘、ですよね?」
と、頼りない声で聞いた。
「相本先生、バレちゃいましたね。あなた…頭が悪いから」
喜一の言葉に、相本の表情が一変した。
ひどく攻撃的な目をして、喜一を睨み付ける。「人を侮辱するのは罪だよ?あなたも罰を受けなきゃならない」
「石田は、どんな罪を犯したって言うんだ…」
如月が尋ねる。
「あいつは…失敗したんだ…間違いを犯したなら、罰を受けるべきだろ。誰かが罰を与えなきゃ…」
「罰を与えた、って事ですね」
喜一がフッと笑みを浮かべて、
「石田くんは自殺のはずでしょう?」
相本が言葉に詰まる。
相本の豹変ぶりに、東川は呆然としていたが、やがて少しずつ如月の方へ移動すると、身を守るかのように後ろへ回った。
「石田くん、受験の事でかなりナーバスになっていたようですね。ストレスから、つい魔がさして…石田くんは万引きをしてしまった。それを見ていたのが、相本先生です」
「万引きを?…知らなかった」
東川が呟く。
「知らなくて当然です。黙っている変わりに、自分に従うよう、相本先生が脅したんですから。石田くんの精神状態も普通じゃなかったとはいえ…そんな脅迫で復讐をけしかけるなんて卑怯です」
「石田は満足していたんだ」
相本が言う。
「万引きなんてつまらない事で、石田の中にある不満は消えない。だから、もっと根底から原因を潰していかなきゃ。悪いのは、人を傷つけて平気な顔をして生きてる奴らなんだから」
「…石田くんを、どう言って支配して行ったのかは、解りません。恐らく、志望校に推薦してやるとか何とか、心にもない事を言ったんでしょうけど」
「…そんな事が…あるんですね」
東川がうわ言のように言った。
「あいつは、僕とは違ったんだ」
相本が俯いたまま、呟くように話し出した。
「…傷をつけるだけで良かったのに、深くやりすぎた…あいつは、失敗作だった。だから僕が、後始末をしなきゃならなかったんだ…僕は悪くない」
相本の表情が、普通でなくなっていく事に気付いた如月は、その腕をしっかり捕まえた。
「如月さん、後はお願いします。僕に、この人の真実までは解りませんから」
死ねば別だけど。
その言葉を、喜一は心の中に留めた。
日向家では、陽二がつまらない顔をしていた。
たった今、事件の詳細を聞き終えたのだか、自分は仕事で同席出来なかったため、少し不満だった。
「でもさ…」
光平が口を開く。
「相本先生があんなふうになるきっかけって何だろうね」
「それは、如月さんの仕事だよ」
喜一がそう答える。
「…だね」
今度会ったら聞いてみようかな。
と、光平は思った。
「なぁ、あんまり初美ちゃんの話題が無いみたいだけど、どうしたの?」
陽二が尋ねる。
「ああ…石田くんを取り逃がした責任を取らされて、始末書としばらくは内勤を命じられたみたいだよ。少し落ち込んでるって、如月さんが言ってた」
喜一がそう答えると、陽二がソファに転がりながら、
「そっか。俺も今回は活躍出来なかったから、二人で慰め合おうかなぁ」
と、頼りない声を出した。
「そういえば、陽二くん。俺に憑いてた子、現場で消えちゃってたでしょ?あれって、どうしてかな?」
「あ?…うーん、もしかしたら、嫌だったんじゃねぇの?自分が振った相手と、自分を殺した相手もいたし」
「でも…恨んでる相手に憑く事もあるじゃん」
「それはお前…人それ、いや、霊それぞれなんだろ、きっと」
「そっか」
それで納得なのか?
と、喜一は少し呆れた。
「それにしても…」
光平が、ふと思い出して、
「俺を助けてくれた時の初美ちゃん、格好良かったなぁ」
「え!?お前も初美ちゃんの足技見たの!?」
「俺は投げ技だった」
「いいな〜、俺も見たかった」
バカな事を…。
喜一は、フッと笑った。
この二人は、本当に…良い意味で緊張感がないな。
まあ、それでこそ、この二人なんだけど。
喜一はコーヒーをいれに、席を立った。
取調室で、如月は相本と対峙していた。
相本は、動機について、何も新しい事は語っていなかった。
「ねぇ、刑事さん」
相本が少し笑みを浮かべて、
「人を殺すのに、万人が納得する理由なんて、無いと思わない?」
如月は、じっと相本を見つめた。
「僕がどんな事を言っても認めないでしょ?」
「勘違いするな。お前を認めるために聴取してる訳じゃないんだぞ」
如月はうんざりした。
意味不明な奴の相手は、心底疲れる。
「刑事さん、何様のつもり?」
相本の言葉に、如月は怒りを覚えたが、グッと堪えた。
「そもそも、殺人が罪なんて、誰が決めたの?人間でしょう?だったら俺だって、ルールを作る権利がある」
相本は、目を輝かせて、
「それに僕は、罪の無い人間を裁いた訳じゃない。奴らは他人にしてきた罪の代償を身をもって払っただけ」
如月は、やれやれという感じで息を吐いた。
「そもそも、お前は何で教師になった?生徒達を支配出来るとでも思ったか?」
相本は、如月を見て、じっと耳を傾けた。
「お前の期待は、すぐに裏切られただろう?今時、小学生だって従順じゃない子が多い。悔しかったか?生徒達は、新米教師のお前を、尊敬どころか、なめきってただろ」
相本の手が、怒りにカタカタと震え出す。
「お前の同級生に話を聞いたぞ?お前は地味で面白くなくて友達もいない。ずっといじめられっ子で、他には何の印象も無いそうだ。そんなお前が、たった一人の生徒を思い通りに出来たところで、何だって言うんだ?」
如月は、更に相本に詰め寄ると、
「弱味につけこんで、自分が出来なかった復讐をやらせて満足だったか?自分をいじめた相手には何も出来ないお前が、人を支配するなんて出来っこない。弱い者に罪を押し付けていい気になって、まさに幼稚で浅はかな、腐った精神の奴が考えそうな―」
「黙れっ!」
相本が、体を震わせて叫んだ。
同席している警官が、一瞬身構える。
「お前に何が解る!お前には、僕の考えなんて解らないくせに!」
如月は、息を乱している相本をじっと見つめて、
「…いじめは、決して許される事じゃない。それが原因で未来を失った人も大勢いる。確かに同情すべき点もあるだろう。でも…」
如月は、相本の目の前まで顔を近付けると、
「それで殺しが許される訳じゃない。お前とは別の選択をして、ちゃんと生きてる人間もいる。甘えるな」
吐き捨てるように、そう言った。
「よく解らないんだけどさ」
陽二が、訪ねて来た如月に向かって、
「結局、実際に手を下してたのは、どっち?」
すると如月が、
「最初は相本だよ。石田に、過去の復讐を持ちかけて、石田の変わりに自分が制裁を下すと言って、被害者達を襲っていた。もちろん、石田はその現場を見せられていた訳だが。それで、林田由貴に振られた事で、自分が直接復讐したいと思ったんだな。しかし、手加減が解らずに、思いの外傷が深くて…」
「…殺しちゃったの?」
「ああ。相本が、助からないと判断したから。とどめを刺したのは相本だ」
「へぇ…。で、次の被害者は?」
「最初から手加減なし」
「なんで!?」
陽二が思わず妙な声を上げる。
「それは…相本も一緒に侮辱されたから」
横から喜一が答える。
「もう、過去の復讐じゃなくなってたんだよ、途中から」
「じゃあ、マジで光平も危なかったんだな」
陽二が今更そう言った。
「最初に会った夜から、光平は目をつけられていた」
如月が言う。
「最初に会った夜、相本は東川先生と一緒には帰らずに、君達を尾行したんだ。光平がどうやって仕事に行って、どうやって帰るのか調べて…あの石田が逃げ込んだビルの付近で犯行に及ぶ事は、最初から決まってた。成功しても失敗しても、あのビルに身を隠す計画で」
「…じゃ、俺達の家、バレてたのかよ」
陽二が恐ろしげに呟いた。
「僕達の家を突き止めてる間に、石田くんは森山さん殺害を実行していたんでしょう。なにしろ、彼女に関しては最初から手加減しなくて良かったんですから」
喜一が冷静に言った。
「…いかれてるな」
陽二が溜め息と共に呟く。
「石田くんは、あのビルに行けば相本がいると安心してたんだろうね。失敗しても先生が何とかしてくれる…間違ってるけど、信頼してたんだろうな…」
まさか、殺されるなんて思いもしないで。
喜一は、少し目を伏せた。
「…さて、そろそろ行くよ」
如月が立ち上がる。
「あれ?光平待たなくていいの?いつもより遅いけど、そろそろ帰って来るんじゃない?」
陽二が時計を見る。
「いや、いいよ。また寄るから」
如月は微笑んでそう言うと、家を後にした。
如月を見送ると、陽二がニヤニヤしながら、
「如月さん、光平って呼んでたね」
と、言った。
「は?そうだっけ?別にいいだろ、親子なんだし」
「そうだけど、なんか嬉しいような恥ずかしいような」
陽二は、くすぐったそうな顔をした。
その時、ドアが開いて光平が帰って来た。
「ただいま。どうしたの?陽二くんが気持ち悪い」
「お前なぁ…もう一回出掛けてこいっ」
「おかえり、光平。さっきまで如月さんが来てたんだよ?」
「ふぅーん」
光平は素っ気ない態度で返事をすると、
「トイレ」
と言って、再びリビングを出て行った。
陽二はソファに置いていった光平の携帯を手に取ると、何やら操作を始める。
「こら、陽二」
「あー、登録見るだけ。あいつ、まだ如月さんって登録してんのかな」
「おい、いくら兄弟でもルール違反…」
近付いた喜一は、思わず目に入ってしまった画面を見て、固まった。
陽二も動きを止める。
如月直人
次の瞬間、陽二がゲラゲラと爆笑し始めた。
「おい…陽二っ、失礼だから…」
そう言いつつ、喜一も笑いを堪えていた。
「あ!陽二くんっ!」
戻ってきた光平が、慌てて携帯を取り上げる。
「だ、だって、パパ…なんか、違うパパみてぇじゃん!」
陽二は思いきり笑い続ける。
「兄貴まで半笑いだし…」
光平がふてくされて喜一を睨む。
「ご、ごめん」
「別に、パパなんて付ける必要ねえだろ」
やっと息を整えた陽二が言う。
「んー…だって…まだ父親って認識が浅いから…まずは、この人が親父だっていう意識を植え付けようかと…」
光平がぶつぶつ言った。
「いいんじゃない?進歩しようと努力してるんだから」
喜一はそう言ったものの、まだ普通の顔には戻れず、キッチンへ逃げた。
気づけば、あの現場のビルの前だった。
喜一は、石田のために手向けられた花が置かれているのを見て、ここがそうだと気付いた。
こうして彼を供養してくれている人がいる。
生前、彼もそれに気付いていれば。
「あ、喜一くん」
振り返ると、そこに如月の姿があった。
「どうも」
「どうしたの?こんな所で」
「たまたま通りかかったので…」
そう言うと、喜一はビルを見上げた。
如月もつられて上を見る。
「…彼が、最期に見たものは、何だった?」
如月の問い掛けに、喜一はフッと下を向いて、
「…相本の顔でした」
と、答えた。
味方だと信じていた人が、自分を突き落とす姿。
喜一は胸が痛んだ。
「…如月さんは、どうしてここに?」
「ああ、屋上を調べに来てね。石田が自ら飛んだんじゃないっていう証拠が、もう少し必要だったから」
如月はそう言って、
「また詳しい事が何か解ったら連絡―」
「いいえ」
喜一が制する。
「もう、僕が知る必要はないですから。相本が何を思って、どうなっていくのか…僕には関係ないので」
如月は、喜一の横顔を見つめた。
犯罪者だけが特別なのではない。
喜一達だって、人には計り知れない苦悩があるはずだ。
どんな経験をしても、真面目に生きようとする人がいる。
だから、救われる人間もいるのだ。
「そうだ、如月さん」
喜一が顔を上げる。
「パパと呼ばれる事に、抵抗はありますか?」
「え?」
如月がきょとんとする。
「いえ。なんでもありません」
喜一は少しだけ微笑むと、歩き出した。
《第四話・完》




