6話
「何だ?」
フリールスが呑気な声を出す。
この男、部屋に入る時にノックをしないばかりか、人の訪問にも立ってドアを開けるっていう選択肢はないのか。
開かないドアに、入っていいぞとフリールスが声をかける。私はここにいて良いんだろうか。そう思いながら見守っていると、部屋のドアがようやく開けられた。
「あ」
入ってきたのは、さっき中庭で出会った人だった。
声を出した私をフリールスが不思議そうな顔で見たけど、すぐに入ってきた人に声をかける。
「オルじゃん。珍しいな。俺になんか用?」
そう聞いたフリールスに、オルと呼ばれた人は無言で一枚の紙を差し出した。
どうやら中庭での態度は私を怪しんでというよりは、普段通りにした結果らしい。フリールスの雰囲気からしてそう親しくないわけでもなさそうだし。フリールスは誰にでもこうっていう可能性もあるけど。
「あれ、室長からだ」
「室長?」
「あ、エルバーさんのこと。な、仕事早いだろ?」
「エルバーさんはね。で、何て書いてあるの?」
エルバーさんからってことは、十中八九さっきの話のことだろう。私も無関係じゃないし、聞いてもいいはずだ。
「まあ待てよ。あーっと、え」
なかなかこれは、と言いながら、フリールスがオルさんのことを見上げる。
「お前、これ了承したの?強制じゃなさそうだけど」
オルさんが頷く。
ちょっと、全然話が見えないんだけど。
「へえ」
感心したような面白がっているような、そんな声をフリールスが上げた。
「ねえ、何て書いてあるのってば」
「ん、ああ」
忘れてた、という顔をして、フリールスが紙を私の方に差し出す。さっきといい、今といい、今の今まで話してて、どうして私の存在を忘れるのか。いっそ不思議だ。
渡された紙を見ると、そこには文字が並んでて、中央に円がある。縦半分に線が入ってて、左の半円がさらに横半分の線が引かれている。
「渡されても、何書いてるのか分からないんだけど」
「あ、そっか。手書きじゃないもんな」
手書きかどうかが関係あるのかと思ったけど、とりあえず内容を聞くのが先だ。
「一応俺宛ての辞令ってとこか。サホと一緒に12に戻って、そこを拠点にしてしばらくは仕事をしろってさ」
「・・・拠点って何?」
「ん?だから、12に生活基盤置いて、そこから域渡りするってことだな。今までここでしてたことを12ですればいいだけの話だ」
「いや、そんな簡単にいうけど、うち無理だよ?狭いし、二人で暮らす余裕なんてないし!」
慌てて言うと、フリールスはそんなこと考えてもいなかったという顔をして、ぷっと噴き出した。
「いやいや、さすがに一人暮らしの女の子の家に押し掛けたりはしないって。そこまで非常識じゃねえよ」
「・・・ある程度非常識なのは認めるわけね」
「俺のどこが非常識だってのよ」
「全体的に」
「・・・具体的には?」
「普通に人の部屋に出現するところ。なんだかんだで私をここまで連れてくるところ。あとそもそもその域渡りって能力」
「いや、だからそこらへんは言いっこ無しだろ」
「しつこい!それで、じゃあうちには泊めなくて良いのね?」
「おう。それはさすがに」
「ならどこに泊まるの?」
すぐに返事が返されると思ったのに、もったいぶるような間が落ちる。面倒くさい男だな。
「俺の能力を知らなかったってことはだな、これもサホは知らないってことなんだろうけど」
「いいからさっさと言う」
「焦っても良いことないぞ。少しくらい付き合ってくれても良いだろ」
なあ、とオルさんに同意を求めるけど、無言の無表情が返されただけだった。
ほぼ初対面の私からみても、明らかな人選ミスだと思うけど。
「12にも、ここと似たようなのがあるんだよ。向こうじゃ何て言うんだっけ?」
「・・・地方総務局」
初めてオルさんが喋った。一言だけだし、知らない単語だけど。
「何それ?」
「中枢の機関らしい。表には出ないから知られてない機関だとかって聞いたけど。俺も仕組みとか組織形態とかはよくは知らないんだよな。顔見知りは何人かいるけど」
「聞いたことないよ、そんなの。まさか、日本にもフリールスみたいな人たちがいるとか言わないよね?」
まさかね、と笑いながら聞く。乾いた笑いになった。フリールスだけなら、また適当なこと言ってるわ、でスルーできるけど、オルさんも一緒になって冗談をってのはないだろう。そんな事態は怖いような面白いような。
「いなかったら立ち寄ったりしないって」
「もともとはこっちの人なの?」
「そこまでは」
分からない、と肩をすくめる。分からないのか。
「じゃ、しばらくはそこで仕事するんだね」
「違うって。十二世界を起点にして域渡りするって言っただろ?」
「え?」
驚いてフリールスを見る。
「それは引きがどうとかで、無理ってなったんじゃないの?」
「サホが、12にいる限りはな。だからサホも今ここにいるんだろ?」
「それって」
そ、とフリールスが頷いてみせる。
「サホも一緒にってことだよ」
「いやだから無理だって!私、学校あるし」
「ここ、見て」
フリールスが、紙の真ん中の円グラフみたいなのを指差す。右半分にフリールスの人差し指が乗る。
「これが、日中。16時間な。で、こっちが」
左側の半円の上へと指が移動する。
「8時間。睡眠時間に当たるわけ。で」
その下の4分の1。つまり日中と睡眠時間の間にある空間が。
「この8時間が、仕事時間。俺の域渡りに付き合う時間ってことだ」
瞬き数回。目を擦ったりしなくても、錯覚なんかじゃないだろう。
「・・・一日が32時間ある気がするのは気のせい?」
私の問いに、フリールスはよく出来ましたとでも言うように深い笑みを浮かべた。
「そこで、こいつの出番ってわけだ」
こいつ、と言いながらフリールスが仰ぎ見たのは、もちろん一人しかいない。
「オルドア・ハイレンフィル。特殊な域渡りだ」
「特殊って?」
域渡りだけで十分特殊な能力だと思うけど。
「俺らが移動出来るのは、空間だけだ。でも、オルは時間も扱える」
「そこまで・・・」
私の許容範囲はもう超えてしまった。あり得ないよ、とオルドアさんの顔を見上げる。変わらない顔が、ふっとこっちに向けられる。何も考えられず、その顔をただ見つめ返す。
普通の人に見えるのになあ。
「おいおい、俺をそっちのけで見つめ合うなよ」
意味の分からないことを言い出すフリールスを横目で睨む。冗談なのは分かってるから、真面目な雰囲気で茶々を入れるのは止めて欲しい。
そのせいで余計に、現実感が薄まるじゃんか。
「ってことは、家に帰ってきてから、フリールスの仕事に付いてって、そのあとまた戻ってきて寝ろってこと?」
「そういうこと」
「だから何でそう、普通に言うかな?ちょっと考えれば、っていうか考えなくても分かるけど、一日につき8時間、私は人より余分な時間を過ごすってことでしょ?」
「あー」
不明瞭な声を出すフリールスに、続きを言わせずに口を開く。
「3日で4日分年を取るってことになるじゃない。3年で4歳。そんなの、冗談じゃない」
たかが一年。されど一年だ。20代になったばっかりの一年を何だと思ってる。いや、まだ私もよく分かんないけど。
でも、やっぱり一年って大きいと思う。一年って、振り返ってみればあっという間に過ぎてたりもするけど、365日、8760時間って考えると、うん、結構な期間だ。
それだけじゃない。人と違う時間を過ごすっていうのを、やっぱり受け入れられない。域渡りどうこうってことじゃない。それ自体は、滅多に出来ない経験で、わくわくする気持ちがないわけじゃないし。
ただ、当たり前に24時間過ごしていたのが、世界で私たちだけ32時間になるっていうのが、どうなるのか不安なんだと思う。未知の領域だし。
忙しい時とか楽しい時間が終わっちゃう時とか、一日がもっと長ければって思ったことは何度もある。でも、それとは別問題だ。
「絶対、嫌。そんなの嫌。無理!」
首を振ってはっきり告げる。そこは変えられない。
「あー、っとだな、そこはちゃんと実験済みだから」
大丈夫、とフリールスが両手を前に出して、どうどう、というように動かした。なんとなく煮え切らない言い方なのが不信感を誘う。
それが思いっきり顔に出てたんだろう。フリールスが困った顔をする。
「なんて説明すっかな」
「・・・複数の世界で過ごした時間は、一つの世界に集約される」
抑揚の少ない声で、オルドアさんが言う。見上げると、真っ直ぐ伸びる視線と目が合った。頭の中にすっと入ってくる声だ。
「例えば、この場所を今離れて別の世界で時間を過ごしても、今この瞬間に戻ってくれば、記憶や経験は残るが、時間自体は経過していないことになる。逆に、今移動して別の世界で1時間だけを過ごしても、今から8時間前に戻れば、人より8時間多く過ごすことになる」
「えっと、つまり?」
「いつ離れ、いつ戻ったか、その時間の差異だけが問題になるということだ。今ここを離れて、明日の今の時間に戻れば、一日は経過してないことになる」
オルドアさんの言ったことを、頭の中で反芻する。
「・・・じゃあ、今から別の世界で10年過ごして、でも今に戻ってきたら、その記憶は残るのに、今のままの、19歳の私に戻るってこと?」
それは無理があるだろう、と思ったのに、オルドアさんは躊躇いもなく頷いた。
とても信じられない。
「まさか」
「実験済みだ、とフリールスが言っただろう」
「え」
「したのは俺じゃねえぞ?オルが自分で」
「嘘、じゃないんですね?」
「ちょ、何で俺と口調が違うんだよ」
「フリールスは黙ってて」
「事実だ」
嘘じゃない、と言われるよりも、私の中に重たく沁みた。
「時間の密度が濃くなるだけと考えればいい」
何もしないのと、必死で何かをするのと。同じ1時間が経過しても、自分の中に溜まる知識や経験は全然違ってくる。それと同じで、時間の経過に対して経験の密度が濃くなるだけだ、という解釈でそう違ってないだろう。
「そんな無茶な」
どんな超理論だ。
でも、目の前の人達はそれを事実だと言うし、少なくともそう信じてるのだ。
なんかもう良いかなって気になってくる。っていうかややこしくて、考えるのが面倒なのだ。
もし私だけ早く年を取ることになるのだとしても、それは周りの人からみてそうだってだけで、私自身が経験する時間は、経過時間と同じままだし。
「いやまあ、急に言われて混乱する気持ちは分かるし、別に毎日って訳じゃねえし」
気遣うような声でフリールスが言う。
「いいよ、もう」
「どうしても嫌なら、頻度は相談して決めるから」
な、と優しい色をした目が私を映す。
「別にいいって。よく分かんないけど、私一人ってわけじゃないし」
にやっと、フリールスがよくやる笑みを真似てみる。
「フリールスとオルドアさんも、一緒なんでしょ?もし多く時間を過ごすってことになっちゃったら、私たち3人だけ人よりさっさと年とっていくんだ」
それをちょっとだけ想像して、笑ってしまう。
笑い事じゃないけど、笑っちゃっても良いだろう。遠い未来のことなんて、今はまだ分かりはしないんだし。