3話
フリールスはドアの前に立つとさっさとノブに手を伸ばした。
ノックとか名前を名乗るとか、そういうのはいいのかと思ったけれど、それを言う前にドアを開けてしまう。そしてフリールスが部屋に足を一歩踏み入れたところで、鋭い声が飛んできた。
「遅い!」
驚いたことに、それは女の人の声だった。
「いや、今帰ってきたばっかりですよ」
「だからそれが遅いと言って」
私を見て、女の人は途中で言葉を止めた。
「・・・どういうことだ?」
厳しい声で、フリールスに問う。
「いや、仕事を終わらせて戻ろうと思ったら、戻れなくなって。この子、引きが強いみたいなんです」
女の人がこっちを見る。何かを探るようにじっと見られるのは居心地が悪かった。
けれどどうやら何かに納得したらしく、ふう、と大きく息を吐いて女の人は椅子に背を預けた。
「まったく。お前は5年も同じ仕事をしていて、まともに仕事を終わらせてきたことがない。今回なんて新任に任せるような仕事を与えたんだぞ?それなのにこれだ」
怒っているというよりは、呆れ果てているという様子だ。
「いや、これは不可抗力でしょ」
「今回お前が行ったところの近くに、先月ヤズーを派遣した。でもヤズーはこんなことにはならなかったぞ」
「え?今回のとこって、100年間調査が入ってないって言ってませんでした?」
「ああ、そう言わないとお前は余計に手を抜くだろう」
「そんなことないですよ」
ひどいなあ、とフリールスが言うけれど、二人の様子からして女の人の方が正しいんだろう。
「とにかく、ヤズーの時は問題は何も起こらなかった。だというのに、お前が行くとどうしてこうなる」
「そう言われても」
なあ、とフリールスが私に同意を求めてくる。いや、同意を求められても困るんだけど。
困惑の目で女の人に助けを求めると、女の人はさっきよりも大きなため息を吐いてから、フリールスに視線を戻した。
「まあいい。ひとまずこの問題は置いておく。それで、報告書はどうした」
「あ、それならちゃんとここにありますよ」
はい、と内ポケットから取り出した手のひらサイズの機械を手渡す。報告書っていうから紙かと思ったら、どうやら違うらしい。
それを受け取って、横にある機械に入れる。そしてしばらくそれを操作していたかと思うと、女の人は無言でフリールスの方を見た。正直横で見ていても怖い。フリールスは平然とした顔をしてるけど、どうしてそんな顔が出来るのか不思議で仕方ない。
「フリールス・フェザーレン。お前の役職は何だ」
「観察官及び記録員です」
「その通りだ。ではその仕事内容を答えよ」
「まず観察官は、他地域に駐在もしくは訪問し、現況を調査すること。記録員は、観察官に同行し、詳細について記録し報告すること」
「よろしい。・・・それで」
とん、と片手を、さっき報告書を入れた機械の上に置く。
「この中身は何だ」
「ですから、報告書ですよ」
「ああ、そうだ。そのはずだな。私はお前に、第八世界にある村の近況調査を命じ、お前はそこに向かった」
「その通りです」
真面目くさった顔でフリールスが頷く。正しい反応のはずなのに、なんか間違ってるように感じるのは何でだ。
「簡単な仕事だ。前回から特に変わった変化もないはずの地域で、紛争なんかがあるわけでもない。だというのに・・・何でこの報告書の中身は、空なんだろうな?」
一言ひと言を区切るように、はっきりとした発音で言う。それだけでも十分すぎる迫力だ。
なるほど、上に立つ人、それも女性になるとこれくらいの迫力が必要なんだなあと、現実逃避のようなことを考えていた。そうでもしないとこの部屋の空気に耐えられない。極寒っていうか、灼熱っていうか、もうよく分かんないけどとにかく肌がピリピリ痛い。
「え?マジで?」
「マジで、じゃない!お前は一体何をしに行ったんだ!せめて報告書だけでもまともに出来ているならまだしも!」
怒鳴って、もう疲れたというようにがっくり肩を落とす。
「うわー。ちゃんと記録したつもりだったんですけどねえ」
「・・・記録用のカード無しで、どう記録するつもりだったんだ」
「え。うわ、入ってなかったんですか」
「入ってなかったんですかじゃない!まったくお前は。それくらい行く前に確認しておかないか」
「今回はちょっとバタバタしてて」
「そう言って前々回も忘れていったな?」
「あー、そうでしたっけ?」
もういい、とため息混じりの声が落ちた。この人はむしろ苦労性なんじゃないだろうか。いや、こういう部下を持てば大概そうなるんだろうか。
っていうか、私の存在は忘れられてはいないだろうか。
「あのー」
勇気を出して声をかけると、フリールスが振り向いて、あ、という顔をした。これは忘れてたな、この野郎。
女の人の方は、どうやら忘れてはいなかったらしい。先に報告を終わらせてしまいたかっただけのようだ。
「すまない。この馬鹿者のせいで待たせてしまったな」
「いえ、それは良いんですけど」
「私はこれの上司のエルバー・リデイルだ」
「これってひどいな」
「私は早野佐保です」
フリールスの言葉を無視して私も自己紹介をすると、フリールスが横で拗ねたような顔をした。それも無視だ、無視。
「フェザーレンから、どこまで聞いた?」
「えっと、なんかフリールスがいろんな世界を飛び回って仕事してて、私がその移動の阻害というか、引っ張ってしまう、みたいなことを」
「まあ、大体そういう感じだな」
微妙そうな顔で、エルバーさんがフリールスを見た。それを受けてフリールスが、え、という顔でこっちを見る。
確かに今のは私の説明がマズかった。一応フリールスはもうちょっとマシな説明をしてくれたはずだ。私がいまいちそれを理解出来なかっただけで。っていうかあんな話突然言われて完璧に理解しろってのが無理な話だ。そう、私がダメなわけじゃない。
誤摩化すように、まだこっちを見ているフリールスから目を逸らして、エルバーさんの方に視線を戻した。
「それで、私は元いたところに帰れるんですよね?」
「ああ、それは大丈夫だ。大丈夫なんだが」
そこで初めて、エルバーさんは困ったような顔をした。
「あなたが元いたところに戻ってしまうと、今後もフリールスの移動に支障が出てしまう」
「え?どういうことです?」
「つまり、今回起こったことと同じことが起きてしまうということだ」
「別に近くに行かなかったら大丈夫なんじゃないんですか?」
フリールスが驚いた声を上げた。どうやら二人の間にも知識の齟齬があるらしい。
「俺は、近くを通ったら無差別で引っ張られるって聞いたんですけど」
「それは最初の話だ。引きが強い状態になったら、確かに無差別に域渡りを行おうとした人間を引っ張る。だが、一度誰かを引っ張ると、次からはそれが遠くであっても、同じ人間を引っ張るようになる」
「え」
私とフリールスの声が見事にハモった。
「ちょ、それじゃ俺はどうやって仕事したら良いんですか?」
「解決策としては、内勤に移るっていうのが一つ目だ。域渡りをしなければ引っ張られることもない。それなら何ら問題はないだろう」
「いや、そりゃそうですけどね。でもなあ」
明らかに納得してない声でフリールスが言う。どんな仕事か知らないけど、フリールスが仕事とか域渡り自体を結構好きだってことは何となく伝わってきていた。
それを見るエルバーさんも、苦い顔をしている。
「ただ、私としても、域渡りが出来る人間はそう多くないから、お前に内勤に移って欲しくはない」
ここに来る前に感じた、嫌な予感がまた背中をはい上がる。当たらなければ良いと思いながら、それがばっちり当たってしまうことを、私の本能は理解していたと思う。
嫌な予感がしたところで、それを避けられるわけじゃないんならこんな不毛なものもない。
「そこで、もう一つの解決策が出てくるわけだが」
エルバーさんの二つの目が私に向けられる。それを追って、フリールスもこっちを向いた。
「彼女をだな、お前の副官にすれば、引属についての問題は無くなるわけだ」
ちょっと待て。




