03 Peaches
「桃のような……」
手術を受けることに決め、入院するのだと聞いて、宏一郎は病院を訪ねた。四人部屋だが広く日当たりも良い病室で、居心地も悪くなさそうだったが……。
「どうした?」
洋服のままベッドに腰かけていた陽美は、目を赤く腫らしていた。付き添いの母親が、困ったように彼を見る。
「ほら、陽美。宏一郎に言ってごらん。笑われるから」
「……」
「何だよ」
黙っている陽美に代わり、母親が説明した。
「頭の手術だからね、髪を切られるんだって。それを宏一郎に見られたくないって、だからやっぱり嫌だとか、さっき泣き出して」
「髪なんか、すぐ伸びるじゃないか」
「やだ。恥かしい」
「じゃあ、元の長さになるまで、会いに来ない。それでいいな?」
「えっ」
陽美の両目から、みるみる涙が溢れる。母親が横で怒りだした。
「余計に泣かせてどうするのよ、もう……」
「手術は明後日って言ってたな。今日は何かあるのか?」
「検査ももう終わったし、今日はゆっくり休んで、明日また別の検査って」
「ふーん。……あ、あのう、済みません」
ちょうど通りかかった看護師を捕まえ、宏一郎は何事か訊ねた。
「近くなら、出かけてもいいってさ。ルミ、一緒に帽子を買いに行くぞ。いっそ、金髪のカツラがいいか?」
「うん!」
もう機嫌を直して、陽美は立ち上がる。戸惑う母親をそこに残し、二人は病室を出た。
とはいえ宏一郎には、帽子やウィッグなど、どこに売っているのかも分からない。
「デパートかな……? とりあえず、大家に聞いてみるか」
ブティックを開いているのなら、何かしら知っているかもしれない。結構いい加減な判断ではあるが、彼は自分が借りているマンションの一階にある、オーナーの店に電話をしてみた。
「うちには置いてませんけど、ヘアスタイリストの知り合いがいるので、聞いてみますね。何か持っているようなら、店の方に持ってこさせるので……」
そう言われて、二人はタクシーに乗った。店の前に着いて、支払いを済ませていると、黒いポルシェが大きな音を立てて横に滑り込む。うるさいし運転も乱暴で、駐車違反で検挙しようかと思ったほどだが、ビルの敷地内だった。まさか、という嫌な予感は当たり、運転していた男は大きな荷物を持って、ブティックに入って行く。
「ちょうど良かった。高邑さん、友人の、」
「ケンジです。よろしくー」
『貴様には名字がないのか?』内心毒づきつつ、宏一郎は軽い会釈で済ませる。
「さっそくですが。妹が手術を受けることになって、髪を切られるんです。若い娘ですからね、嫌がっているので、帽子なりウィッグなりを探しているのですが」
「勿体ないなあー。あの、触っていいですか?」
「おい!」
制止など聞かず、ケンジという男は陽美の長い髪に触れてみる。それでも、思いのほか真剣な目と、優しい扱いに、宏一郎も黙った。
「手術から、何日後くらいに使うんですか? もし嫌でなければ、今切って、ご自分の髪でウィッグを作ってあげられるかもしれない。どうせ病院で適当に切られるんでしょ? それよりは……」
「聞いてるか?」
宏一郎は陽美を振り返る。
「わかんない。でも、自分の髪でって面白いね」
「だそうです。実際、作るのには何日くらい?」
「急いだとして、三週間から一か月かな。でも、全部剃られたとしたら、ある程度の形になるためには一年はかかるし、持ってても困らないと思うよ。第一、こんなに綺麗な髪を、ただ捨ててしまうのは勿体ない」
ケンジはまた、陽美の髪を一筋取って撫でた。宏一郎が物凄い顔をして睨んでいることや、友人の店長が冷や冷やしていることなど、全く気づいていない。
「じゃあ、お願いします。手術は明後日なの。今日と明日だけなら、髪が短くてもいいわ」
「オーケー。うんと可愛くしてあげるよ。じゃ、場所貸して」
「貸して、って。ここ、洋服屋で……」
「いいじゃない。大きい鏡もあるし、どうせ暇だろ」
手早くシートを広げ、椅子を乗せて陽美を座らせる。長い髪を結わえ、一言謝ってから、襟元でばっさりと切った。それを使うらしく別にして、今度は陽美の髪を切っていく。細かくレイヤーを入れ、自然に丸く整えた。フロントはかなり梳いて、ふわりと立ち上げる。たとえ一日二日であっても、自分が満足する出来にしたいのだろう。やがて、軽い感じのボブになった。
「うん。可愛い。ウィッグのデザインも、取り敢えずはこれで作るね。切ることはできるし」
「……あ、ああ。そうだな」
宏一郎の返事に違和感を覚え、陽美が問いかける。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「短い髪を、見慣れないせいだよ。ずっと長かったじゃないか」
「そっか。変なのかと思って心配しちゃった」
「失礼しちゃうなー。俺が変な髪にするはずないじゃん」
美容師がずけずけと割り込み、宏一郎はむっとして言い返す。
「おい君、その口の利き方は」
「ケ、ケンジ……、初対面なんだから……」
結局、店長の若者が間に入り、一人でおろおろする羽目になった。
「少しでも髪が伸びたら、すっごく可愛いベリーショートにしてあげるからね」
「わあ、お願いします」
「行くぞ」
非常に不機嫌になった宏一郎が、陽美を急かす。それでも一応、紹介者には礼を言おうと振り返った。
「ええと、島村さん。お世話になりました」
「い、いえ。あの、それより……」
だが、宏一郎たちはもう外に出ていた。そして、ケンジという美容師が首をひねり、友人の若者に問いかける。
「何でお前のこと、『島村』って呼ぶんだ?」
「話せば長いことながら……。とにかく、誤解なんだ」
「お兄ちゃん、お部屋に連れて行って」
「髪の毛でも襟に入ったのか? 気持ち悪いなら、見てやろうか」
襟元を気にする陽美を見て、宏一郎が訊ねた。
「ううん。もう少し、お兄ちゃんと二人でいたいの」
「……まあ、時間はまだあるが」
部屋のドアを開けたら、陽美はどんどんと中に入って行く。
「おい、ルミ」
突き当たりの寝室は、先程起きたまま、ベッドを整えてもいない。陽美には見えないにしても、若い娘を入れていい状態ではない。それでも彼女は記憶を頼りに入りこみ、手探りでベッドを見つけて、そこに腰をかけた。
「こんなに短いの、小さい頃以来かな」
「そうだな」
「お兄ちゃんが褒めてくれないから、失敗したかと思った」
「いや、見違えただけだ。さっきの美容師と同じことを言うのは癪だが、可愛いよ」
「良かった。お兄ちゃんが覚えてる最後の私が、変な髪型だったら嫌だもん」
「何言ってんだ。縁起でもない。無事に終わって半年もしたら、また切ってもらえ。そのときこそ、変な髪型だって笑ってやる」
努めて明るく言い聞かせたが、陽美は俯き、やっと口を開いた。
「……お兄ちゃん、怖いよ」
「大丈夫だ」
何の根拠もないが、そう言い聞かせるしかない。
「抱っこして、お兄ちゃん。このまま死にたくない」
「だから、死んだりなんかしないって……。ルミ……」
襟のボタンを外し始める手を、宏一郎は急いで押さえて止めた。だが、どうしていいか分からない。陽美はあのときのように、その手を伝い、彼自身に縋ってくる。
「お兄ちゃん」
妹の頬が濡れているのは、彼には見るにしのびない光景だった。ならば、見なければいい。目を閉じてもっと近づけば、何も目に入らない。思い切って抱き寄せ、また、唇を合わせる。ただ触れるだけではなく、深く重ねて、心ゆくまで味わった。そしてそのまま、ベッドの上に押し倒す。
「ルミ」
「……うん」
「俺のものになるか」
「うん」
ブラウスのボタンは、既にいくつも外れている。かき分ければ大きく寛がり、白い肌が見えた。敢えて下着は取らず、ブラジャーのカップに手を入れて、胸のふくらみを掴んで引き出す。
「いたあい」
「ふん」
甘えた口調で、本当に痛いとは思えない。誰が教えた訳でもないだろうが、女とは可愛いものだ。宏一郎はそこに顔を近づけていき、ぷっくりと立った濃い桃色の乳首の横に、軽く歯を立てる。
「ああっ」
陽美が声を上げたが、構わない。今度はそこに、強く吸いついた。
「お兄ちゃ、あ……」
しばらく唇をつけていたが、やがて顔を上げる。歯の痕と、吸いついたところはミミズ腫れになり、赤紫に変色していた。
「続きは、治ってからだ」
「やだ。酷いよ、お兄ちゃん」
「……覚悟はできてる。おふくろは嘆くだろうが、ルミを連れて、どこへでも逃げればいい。だが、今のお前は大切な身体だ。万全の状態でなくては、治るものも治らないだろう?ルミの目が見えるようになって、それでもまだ、俺のことが好きだとか寝言を言うのなら、泣いても喚いても俺のものにするし、嫌だと言ってもさらって行く」
「嫌だなんて言わない」
「ルミはもう、何年も俺に会ってないんだ。分からんぞ。誰、このオジサン、と言うかも知れん」
会っていないのではなく、見えていないのだ。だが、同じことだ。
「いわない」
「そのとき、ちゃんと言ってくれ。それから」
陽美のブラウスのボタンを留めてやりながら、耳に囁く。
「見られないようにしろよ? 俺が噛みついたところ」
「ええっ」
「俺のものだからな、印をつけておいた。しばらくは残ってるだろ。消えるころには、たとえ病院のベッドの上でも、またつけてやる」
「うん」
頬を染めて頷くのが、堪らなく可愛い。乳房にキスマークだけつけて放した自分が、信じられないくらいだ。
「実際、うっかりルミを抱いたりしたら」
「うっかりだなんて、酷い」
「言葉のあやだ。とにかく、俺が服を着せなきゃならんだろ? 女の下着なんて、どうなってるんだかよく分からないし、もし間違えて裏返しとかだったら……、犯人は俺しかいない訳で……、おふくろが包丁を持って追いかけてくるだろう。ルミを連れて逃げるならともかく、俺一人でどうしろって言うんだよ」
陽美は噴き出し、楽しそうに笑った。その声に、宏一郎も安心する。
妹の存在が大きすぎるせいで、自分から近づくことはなかったが、何人もの女性が彼に惹かれ、去っていった。潜入捜査で、女性を利用したこともある。陽美に嫌われるような容姿ではない。脱がせたことは多くても、着せたことがないのは事実で、女の下着が苦手だというのは、嘘にはならないが。
「ただいま」
「全く、勝手に出て行って……」
母親は二人を叱りつけ、小さな紙袋からスカーフを取りだす。
「何だそれ」
「あんたのところの大家さんだって人が来て」
「ああ、そいつのところに行ってた」
「ウィッグを作るって話をしたけど、出来上がるまでは日にちがかかるから、こうして包んでるといいですよって。一つ形を作って、あと二枚置いてった。お見舞いにさせてくださいって」
「洋服屋だしな。スカーフくらいたくさんあるだろ」
「バカだね。気持ちが有難いじゃないの。ちゃんとお礼言っておきなさい。それに、何であんたたちの方が遅いの? どこで道草食ってた?」
「……」
Peachsはお尻ですが、胸が出てきたので……(くだらないぞ)
かなりぎりぎりですが、まだ何とか、こちら側に踏みとどまっている二人です