最期の景色 〜異説•山本五十六〜
1943年4月18日、ブーゲンビル島上空。
大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 山本五十六を乗せた一式陸攻が、アメリカ戦闘機部隊の奇襲を受けた。
反撃の暇もなく目前に迫る敵機P-38。それを見据えながら山本は独り言ちた。
「こいつはあの時のバチが当たったのかもしれねぇな。」
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太平洋戦争開戦より半年が経過した1942年6月。
それまで連戦連勝を続けていた日本軍に大きな転機が訪れる。
ミッドウェー海戦である。
虎の子の正規空母四隻を失う大敗北。
その壊滅的な戦況報告を、山本は戦域からはるか数百km後方の旗艦大和で受けていた。
次々齎される凶報に、しかし応じる山本は狼狽えること無く、「ほう、またやられたか」などとつぶやきながら将棋を指していた。まさに泰然自若といった素振りだ。
ただその態度とは裏腹に、胸中には様々な想いが交錯していた。
作戦失敗に対する慚愧。遂にこの時が来たかという諦観。今後に向けた冷静な計算...。
そのなかで一つ、心の隅に不意に浮かび上がった小さな感情に、山本は自分事ながら少々驚いた。
「ざまぁみろ」
という思いである。
山本五十六は、新潟県古志郡で旧長岡藩士の子として生を受けた。
明治維新の折、長岡藩は旧幕府側の一員として戊辰戦争を戦い、薩長を中心とした新政府軍に敗れた。
錦の御旗を掲げ、我等こそが正義ぞと圧倒的な戦力で故郷を蹂躙した薩長。
故郷は維新後も長く賊軍の誹りを受け、山本本人もまた、少なからず薩長閥との軋轢に悩まされた。
それまでの国のあり様を全て否定して、薩長が作り上げた理想の国家、大日本帝国。
それがどうだ。維新以来、常に海の外に領土を求めて戦争に明け暮れ、潮目も読めずただ只管に海外に権益を求め、次第に世界から孤立するもそれも厭わず、終いには勝てる筈のない戦争に手を出す国へと成り果ててしまったではないか。
無論山本とて、全てが薩長のせいだとは思わない。寧ろ維新より70年余り、『薩長閥』という言葉は、少なくとも政治の世界では過去のものだ。
しかしその仕組みを整えたのは薩長である。
天皇を戴きながら、立憲君主制という檻で天皇をモノ言えぬ権威の象徴に縛り付け、その権威を自分たちが利用するという歪んだ権力構造。
それを存分に使い、自分たちの信じるがままに作り上げた国のあり様。その先に今がある。
旧体制のすべてを否定し、故郷を燃やし、
そんな彼らが正しいと信じて作り上げた国の、成れの果て。
天皇を軽んじ、政治を軽んじ、軍の意向がすべてに優先する。誰にも、もはや軍自身ですらその暴走を止められない。
そして無謀にも大国に戦いを挑み、今まさに破滅の道を歩もうとしている。
ミッドウェー。これを転機にいよいよ日本は敗戦への道を転げ落ちるだろう。講和などもう望むべくもない。日本は負ける。
そして、その先でこの国のあり様は大きく変わるだろう。どのように変わるかは分からない。しかし少なくとも薩長が信じた正しさは否定される。
ふと、それが痛快なことに思えたのである。
しかし一方で、国と国民を守るという、軍人としての使命に常に忠実であろうとした山本にとって、このミッドウェーで多くの兵の命、そして国を守る切り札を尽く失ったことに対する自責の念は、ほんの一瞬去来したその感情よりも億倍も強かった。
そのため、一瞬でも痛快だと思ってしまった自分を、酷く後ろめたいものに感じたのである。
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自身が乗る一式陸攻に向け、P-38が銃撃を開始する。護衛は間に合わない。
連合艦隊司令長官にしては呆気ない死に方である。どうせなら激しい海戦の中、艦を枕に華々しく討死したかったものだ。
...ああ、こいつはバチだ。あの時のバチが当たったのかもしれねぇな。
その生涯を終える刹那、山本は笑った。
おしまい




