ノクス
夜。
街の光が落ち着き、表の人間が家に帰る時間。
その裏側で、俺たちは動く。
ビルの屋上。
風を受けながら、イヤホンを装着する。
「——ブラック、回線接続確認」
聞こえてくるのは、落ち着いた声。
任務中の“データ”だ。
「問題ない」
「了解。任務データ送信する」
端末に情報が表示される。
顔写真、経歴、現在位置。
一瞬で頭に入れる。
⸻
ノクス(NOX)。
俺たちの所属する組織。
表には存在しない非公式機関。
扱うのは、表では処理できない案件。
裏社会の人間、違法取引、国家に関わる不都合な存在——
そういったものを“処理”する。
記録にも残らない。
ニュースにもならない。
だが確実に必要とされている仕事だ。
俺はその実行役。
コードネーム“ブラック”。
そして通信の向こうにいるのが——
「対象、男性一名。裏ルートの武器仲介業者」
コードネーム“データ”。
橘ひなの。
ノクスにおける情報管制担当。
現場には出ないが、戦場そのものを支配する役割だ。
監視カメラの掌握、通信の制御、位置情報の追跡、状況解析。
すべてを同時に処理し、最適な行動を提示する。
俺が動けるのは、データが“視界”を作っているからだ。
「対象は現在、取引後に単独移動中」
「警戒レベルは」
「中程度。武装あり、訓練経験あり」
「了解」
いつも通りだ。
⸻
現場付近。
人気の少ない裏路地。
「ブラック、対象まで距離50。右前方」
「確認」
視界の先に、男の背中。
歩き方に無駄がない。
完全な素人ではない。
「周囲は」
「一般人なし。カメラは抑えてる」
「いいな」
「でしょ?」
わずかに軽い声。
だが任務中のデータは、一切ミスをしない。
⸻
距離を詰める。
足音は消す。
視線の外から入る。
「ブラック、対象が周囲確認。警戒してる」
「問題ない」
この程度の警戒は想定内だ。
男が立ち止まる。
振り返る。
——遅い。
その瞬間には、すでに背後を取っている。
「なっ——」
声を出す前に、動きを封じる。
関節を極め、地面に押さえつける。
最小限の力。
最短の手順。
「……っ!」
抵抗。
だが読める。
無駄が多い。
「ブラック、クリア?」
「問題ない」
一瞬の隙。
正確に急所を打つ。
力が抜ける。
沈黙。
⸻
「……終了」
短く告げる。
「任務完了確認」
間を置かず、データの声。
「周囲に異常なし。回収も不要」
「了解。離脱する」
「ルート誘導するね」
視界に帰路が表示される。
迷う必要はない。
⸻
路地を抜け、夜の街に戻る。
何事もなかったように。
「ブラック」
データの声が少しだけ柔らかくなる。
「今日も完璧」
「いつも通りだ」
「それが一番すごいんだけどね」
軽く笑う声。
だがすぐに続ける。
「このレベルの任務なら、もう作業だね」
「否定はしない」
実際、その通りだ。
判断、接近、制圧、終了。
流れは完全に体に入っている。
「でもさ」
データが少しだけ間を置く。
「こういう“普通の任務”が続く方がいいよね」
「……ああ」
それは同意する。
イレギュラーは、余計なリスクを生む。
「じゃあ、今日はこれで終わり」
「了解」
通信が切れる。
⸻
夜風が通り抜ける。
静かな街。
何も変わらない景色。
だがその裏で、一つの“処理”が終わった。
誰も知らない。
誰にも影響しない。
それでいい。
それが——
ノクスの仕事だ。




