昼下がりの距離
昼休み。
春の陽射しが、校舎の窓から柔らかく差し込んでいる。
教室はいつも通りの賑わい。
笑い声。
雑談。
どこにでもある、平和な時間。
黒瀬ユウは、そんな空気の中で一人、窓の外を眺めていた。
(……変な任務だったな)
昨夜のことが、まだ頭に残っている。
ターゲットの顔。
あの家の光景。
そして——
(ホワイトが断った理由)
完全には分からない。
だが、何となく理解はできる気がした。
(……考えても仕方ないか)
小さく息を吐く。
その時。
ふと、視界の端に入る。
白坂ゆい。
席にはいない。
(珍しいな)
いつもなら、静かに本を読んでいるはずだ。
(どこ行った)
なんとなく気になっただけ。
それだけのはずなのに。
ユウは席を立っていた。
廊下に出る。
静かな空気。
昼休みのざわめきが遠くなる。
(……屋上か)
なんとなく、そんな気がした。
階段を上がる。
扉を開ける。
風が吹き抜ける。
そして——
いた。
フェンスの近く。
白坂ゆい。
空を見上げている。
「……こんなとこにいたのか」
声をかける。
ゆいが振り向く。
少しだけ驚いた顔。
「……黒瀬くん」
いつも通りの声。
でも。
(……少し違うな)
わずかな違和感。
ほんの少しだけ、元気がない。
ユウはゆっくり近づく。
「サボりか?」
軽く言う。
「……ちょっとだけ」
小さく答える。
そのまま、隣に立つ。
しばらく沈黙。
風の音だけが流れる。
(……どうする)
話しかける理由なんてない。
でも。
そのまま帰るのも、なんか違う。
「……元気ないな」
気づけば、口に出していた。
ゆいの目が少しだけ動く。
「……そう見える?」
「見える」
即答。
少しの間。
ゆいは視線を外す。
「……ちょっと考え事」
「へぇ」
それ以上は聞かない。
聞く必要もない。
ただ。
「難しいことか?」
軽く聞く。
ゆいは少しだけ考えてから。
「……うん」
短く答える。
(まあ、そうだろうな)
「じゃあやめとけ」
あっさり言う。
ゆいが少しだけ驚いた顔をする。
「……え?」
「考えてもどうにもならないなら、考えるだけ無駄だろ」
シンプルな理屈。
「俺はそうしてる」
ゆいは、少しだけ目を見開く。
それから。
ほんの少しだけ。
笑った。
「……それ、ずるい考え方」
「楽だぞ」
肩をすくめる。
「おすすめはしないけどな」
ゆいは少しだけ俯く。
「……でも」
小さく呟く。
「正しいことって、分からなくなる時あるよね」
その言葉に、ユウは少しだけ止まる。
(……正しい、か)
昨夜の光景がよぎる。
「あるな」
短く答える。
「しょっちゅうだ」
ゆいが顔を上げる。
少しだけ意外そうな表情。
「黒瀬くんでも?」
「俺でも」
苦笑する。
「だから、あんま考えすぎるな」
ゆいは黙る。
風が吹く。
髪が揺れる。
しばらくして。
「……ありがとう」
小さな声。
「ちょっと楽になった」
ユウは軽く頷く。
「そりゃよかった」
それだけ。
それ以上は言わない。
言う必要もない。
ゆいは空を見上げる。
さっきより、少しだけ柔らかい表情。
(……まあいいか)
ユウも視線を空へ向ける。
青い空。
何もない。
平和な風景。
(こんな時間も悪くない)
「そろそろ戻るか」
「……うん」
ゆいが頷く。
二人で屋上を後にする。
廊下へ戻る。
日常の音が戻ってくる。
教室の前。
ゆいが少しだけ立ち止まる。
「……黒瀬くん」
「ん?」
「さっきの話」
少しだけ間を置いて。
「もう少し考えてみる」
ユウは軽く笑う。
「結局考えるんじゃねえか」
「……うん」
小さく笑う。
その表情は、もうさっきとは違っていた。
「でも、ちょっとだけ軽くなったから」
「ならいいだろ」
それで十分だ。
ゆいは小さく頷く。
そして。
「ありがとう」
もう一度、そう言った。
ユウは手を軽く振る。
「気にすんな」
そのまま席へ戻る。
いつもの日常。
でも——
(少しだけ変わったか)
そんな気がした。




