春、2年生
高校2年の春。
同じ教室、同じ廊下、同じ時間。
一年経って環境が変わったはずなのに、結局“日常”はあまり変わらない。
——少なくとも、表向きは。
俺の名前は黒瀬ユウ。
ごく普通の高校生……ということになっている。
成績は平均より少し上、運動もそこそこ、目立つタイプでもない。
クラスでは「静かなやつ」で通っている。
それでいい。
余計な注目は、何も生まない。
席に座り、授業を受け、必要最低限の会話をする。
それだけで十分だ。
ただ一つ、他の生徒と違う点があるとすれば——
俺には「表の生活」とは別の役割がある、ということだ。
それをここで口にすることはない。
誰にも知られず、気づかれずにいることが前提だからだ。
だから今日も、俺は“普通の高校生”として教室にいる。
⸻
「ユウ、おはよ」
後ろから軽い声がかかる。
振り返ると、橘ひなのが手を振っていた。
茶色のポニーテールを揺らし、明るい笑顔を向けてくる。
こいつは俺にとって、ただのクラスメイトじゃない。
去年から同じクラスで、気楽に話せる数少ない相手だ。
「おはよう」
俺が返すと、ひなのはそのまま席に座りながら言う。
「ね、また同じクラスだね。ちょっと安心した」
「そうか」
「そうだよ〜。ユウいないと、ノート頼りにくいし」
冗談っぽく笑うが、実際にはよく情報整理や課題の確認を共有している。
軽い雑談の延長のようでいて、互いに必要な範囲のやり取りは自然に成立している関係だ。
「今日さ、新しい転校生来るらしいよ」
ひなのが思い出したように言う。
「へえ」
「女子らしい。ちょっと楽しみじゃない?」
「……別に」
「ユウらしい反応」
ひなのは小さく笑う。
こういう何気ない会話が、俺にとってはちょうどいい距離感だ。
深入りしすぎず、離れすぎず。
⸻
始業のチャイムが鳴る。
担任が教室に入り、クラス全体に軽く挨拶をする。
その後、予定通り転校生が紹介される流れになった。
「入っていいぞ」
教師の声とともに、教室の扉が開く。
そこに立っていたのは——
白坂ゆい。
銀色のボブヘアに、紫の瞳。
落ち着いた雰囲気をまとい、まっすぐ教室に入ってくる。
第一印象は、静かだ。
派手さはないのに、なぜか視線が引き寄せられる。
「白坂ゆいです。よろしくお願いします」
簡潔な自己紹介。
声のトーンも一定で、無駄がない。
(……タイプは違うが、目立つな)
そう感じた。
周囲のクラスメイトたちも、自然と彼女に視線を向けている。
だが、本人はそれを気にしている様子はない。
淡々とした動きで空いている席へ向かい、座る。
その一連の動きに、無駄がない。
(動きが整っている……か)
ただの転校生、という枠には収まらない何かを感じる。
直感的なものだが、無視はできない。
ひなのも小さく俺の方へ身を寄せてきて、囁く。
「ね、あの子ちょっと雰囲気あるね」
「……ああ」
「仲良くなれそう?」
「さあな」
そう返しつつも、内心では同じように観察していた。
白坂ゆいは、こちらに関わってくるタイプかどうか——
それを判断する必要がある。
だが今のところ、彼女はただ静かに座り、周囲を受け入れているだけだ。
⸻
その後、授業が始まる。
新学期特有の少し落ち着かない空気の中で、時間が流れていく。
ひなのは時折小さくメモを取りながら、隣の席の友人と軽くやり取りしている。
その様子はいつも通りだ。
場を和ませるタイプというより、自然に周囲に溶け込むタイプ。
俺にとっても話しやすい相手であり、距離感が崩れないのがありがたい。
(今年も、このままならやりやすい)
そう思いながら、黒板に視線を戻す。
教室の空気は平穏。
転校生が一人増えただけの、いつも通りの春。
だが——
この“いつも通り”が、どこまで続くのかは分からない。
少なくとも、あの白坂ゆいがただのクラスメイトで終わるとは、まだ思えなかった。




