婚約破棄、承知いたしました。ところで殿下社会の窓が全開でしてよ?
豪華絢爛な装飾を施された王宮の舞踏会会場。
そこにはランバート王国の高位貴族が一同に会していた。しかし、会場の高位貴族たちは騒然としている。なぜなら目の前に立つ彼の婚約者、エリアーヌ・スペンサーに、王太子にして国王夫妻の一人息子、オリバー・ランバートがこう宣言したからである。
「エリアーヌ・スペンサー公爵令嬢、お前との婚約を破棄し、男爵令嬢リーナと婚約することを宣言する!!僕は真実の愛を見つけたんだ!」
そう言う王太子、オリバーの肩には男爵令嬢リーナ・エルウァーがしなだれかかっている。
エリアーヌは大して驚いた様子はない。そのつり上がった目から出る鋭い眼光で二人を見つめている。
リーナ・エルウァーは平民の生まれで昨年貴族学園に編入してきた。令嬢らしからぬ快活さで学園の男子生徒を骨抜きにした。それはエリアーヌの婚約者である王太子も例外ではなかったのだ。
リーナはオリバーに偵察という名のデートに誘われる度にエリアーヌに挑発するような笑みを向けてきたものだ。エリアーヌは特に気にしていなかったが。
「エリアーヌ、お前はリーナに数々の嫌がらせをしてきたようだな!」
「うっうっ、殿下ぁこわかったですぅ」
「心当たりがありませんわ、殿下」
(あら?)
「白々しい!!私は今すぐにでもお前を牢屋に入れてやりたいが、心優しいリーナの慈悲により国外追放で済ませてやる!!」
(殿下のズボンのチャックが全開だわ、嘘でしょう?)
「感謝しろ!!」
(まあ、誰も指摘できるはずがないわ)
「なんとか言わんか!!エリアーヌ・スペンサー!!」
その時、エリアーヌははっと我に返る。殿下がなにか言っていた気がするが何を言っていたが全く覚えていないので、周りの貴族のひそひそ話に耳を澄ませる。
「さすがの殿下といえど……」「婚約破棄は陛下はご存知なのか?」「エルウァー男爵家ってどこですの?」「エリアーヌ様が国外追放!?」「未来の王妃があんなので大丈夫なのか?」「殿下のズボン……」大体の状況は理解できた。一つずつ疑問を解決していこう。
「殿下、このことは陛下はご存知なのですか?」
「これから説得するつもりだ!」
この場の全貴族がズコーッと転んだ気がした。
2つ目の疑問、エルウァー男爵家とは男爵とは名ばかりの平民のような暮らしをしている貧乏男爵家である。王妃教育を受けたエリアーヌは全貴族の名前を叩き込んであるのだ。
「男爵家の人間をどうやって王妃にするおつもりで?」
「エルァー男爵家の爵位を上げるか、リーナを高位貴族の養女にすればいいだろう」
「王妃教育はどうしますの?」
「ゆっくり学んでいけば良い。真実の愛でどんな障害も乗り越えられる!!」
大声で宣言する。言っていることは上辺だけ見れば痛快な断罪劇だが、実際には現実的ではない頭の中お花畑な王子様のくだらぬ茶番劇だ。
「それが殿下のお望みとあれば、承知いたしました」
どよめきが上がる。王太子が全高位貴族の前で婚約破棄し、婚約者がそれを受け入れた。
「殿下、最後に一つだけ申し上げたいことが……」
「なんだ言ってみろ」
予定通りに婚約破棄できた王太子はご満悦のようだ。
「殿下、社会の窓が全開ですわ。ではご機嫌よう」
エリアーヌはそそくさと退散した。さり気なく周りを見ると、大体の貴族は顔を真っ赤にして震えている。
(さて、これからどうしましょうか)
次の行動を考えるエリアーヌは、茹でダコのように顔を真っ赤にした王太子の喚き声は右から左へと聞き流していた。
◇◆◇
「おかえりなさいませ、お嬢様」
玄関ホールで待っていたのはエリアーヌの侍女、カーラだ。幼い頃から仕えてくれている。
「ただいま帰りました」
「お嬢様、夜会はどうでしたか?」
「なんだか騒動が起こってしまったようですので早めに帰ってきましたの。おそらくお父様たちもそろそろ帰って来ますわ」
「騒動ですか?」
「ええ、第一王子殿下の婚約破棄騒動ですわ」
「え……?」
「第一王子殿下の婚約破棄騒動ですわ」
カーラの目が点になっていたので復唱してあげる。
「……はい?」
「旦那様、奥様、若旦那様のお帰りです」
玄関ホールにいた執事が家族の帰りを知らせる。
「おかえりなさいませ、お父様、お母様、お兄様」
「エリー!!」
突然母が抱きついてくる。
「怖かったでしょう、よく頑張りましたね」
父も兄も心配そうな顔をしている。改めて家族の優しさを感じ、胸が暖かくなる。
「お母様、正直わたくし殿下のチャックが気になって婚約破棄どころではなかったですわ」
「ぶふっ」
兄が盛大に吹き出した。思い出し笑いだろう。父も母も兄をたしなめていたが、二人の口元が震えていたことをエリアーヌは見逃さなかった。
「とにかく、わたくしはあまりショックを受けていませんわ」
◇◆◇
「どういうことだ、オリバー」
オリバーは父、ランバート国王の執務室に呼び出されていた。
「ですから、私とリーナの婚約を認めてほしいと――」
「おまえは今の状況がわかっているのか!!」
こんなに怒っている父は初めて見た。あの性悪女を婚約破棄して何が悪いのだろうか。
「しかし、エリアーヌはリーナをいじめていました!」
「ほう、たとえば?」
「た、たとえば?……たとえば、真冬に水をかけたり、何度もリーナを人気のないところに呼び出して怒鳴ったり、リーナが社交ダンスの授業で失敗したからといって冷笑したり睨んだり……」
「それだけか?」
「そ、それは、他にもあるはず……」
「もういい」
父が席を立つ。
「一人息子だからと甘やかしすぎたようだ。スペンサー公爵家には慰謝料と引き換えにお前との再婚約を望む旨の手紙を出した。返事が来るまでお前は自室で謹慎していろ」
「なっ……」
「自室で自分のしでかしたことを猛省しろ」
オリバーは父に本気で睨まれ震え上がった。
(私は、なにか間違えたなのだろうか)
◇◆◇
王家の無尽蔵の金、この国の最高権力者である父の一人息子であり、次代の最高権力者であるという絶大な権力。
欲望のままに遊びまくり、気に入らない者は解雇にした。オリバーの人生は虹色だった。世界は自分が中心だと錯覚するほどに――。
しかし、そんなオリバーにも気に入らない人間が居た。それは婚約者、エリアーヌ・スペンサー。
何もかも完璧で底が見えない。オリバーからの悪口ものらりくらりとかわす、まさに完璧淑女。公爵家の権力も絶大で、王家の権力でねじ伏せられることはできなかった。
気に入らない。こんなのが将来の伴侶だなんて冗談じゃない。
そんな時編入してきたのが平民上がりの男爵令嬢リーナ・エルウァーだった。
オリバーの全てを肯定してくれる、愛してくれる。エリアーヌとは違うまさにオリバーの伴侶にふさわしい人物。
しかし、ある日リーナが泣いていたのだ。訳を聞いた。するとリーナはこう答えた。
「エリアーヌさんって人がダンスの授業で私が下手だからって、社交ダンスはお相手の足を踏むためのものではありませんのよって言うの。周りの人たちはエリアーヌさんの言葉で笑ってくるの……わたし一生懸命やっているのに……」
許せない。
――エリアーヌ、お前は私を不快にするだけでは飽き足らず、リーナをもいじめ、泣かせるのか。
「エリアーヌ、ダンスの授業でリーナをいじめたそうだな」
「なのことですの?」
「しらを切るか、リーナは怖かったと泣いているぞ」
「あら、リーナさんというのは殿下の後ろでみっともなく震えている小動物のことでして?」
「馬鹿にしているのか!!」
「あら、かわいらしいではありませんか、小動物。小さくて、愛らしくて、無力で、強者に蹂躙される運命の小動物」
今考えると猛禽類のような鋭い眼光でオリバーとリーナを眺めるエリアーヌは、爪を隠した捕食者だったのかも知れない。
「用事はそれだけでして?」
人の神経を逆撫でするようなことを言う世界で一番嫌いな人。
「リーナに謝れ!」
「どこにわたくしが謝る要素がありますの?ダンスの授業でのことも、今も、ただそこにある事実を述べただけですわ」
なにも、言い返せる言葉がなかった。気に入らない。だから婚約破棄をした。それの何が悪い。なにも、悪くないはずだ。
◇◆◇
婚約破棄騒動の翌日、エリアーヌは国外追放を宣言されたにもかかわらず、屋敷の天蓋付きのベッドでいつも通りの朝を迎えていた。
昨夜、エリアーヌ達が帰ってから程なくして王家の使者が国外追放を取り消す事と、慰謝料の代わりにオリバーと再婚約を結びたい旨の手紙を持ってきたが、エリアーヌは自室で寝込んでいると言って帰らせたらしい。つまり、王家が自分たちの非を認めたということだ。実際、今回のことは王家の監督不行届だ。
無論、王家が謝ったからには臣下である公爵家が従わない訳にはいかない。しかし、エリアーヌには作戦がある。エリアーヌは屋敷の一室に向かっていた。
「失礼いたします」
待っていたのは父、母、兄――。いわゆる家族会議である。
「我がスペンサー公爵家も侮られたものだな」
父はどうやら娘が慰謝料同等に扱われたことにお怒りらしい。
「エリーはどうしたいのですか?」
母が心配そうにエリアーヌに聞いてくる。
「わたくし、愛とか恋とかくだらないと思いますの。ですから、よりわたくし達スペンサー公爵家に有利な方に話を持っていきたいですわ」
「それで本当に良いのか?」
兄はオリバーの側近だ。彼の自堕落さはよくわかっているだろう。
「ええ、わたくし早速王家に要求する条件を書き記して置きましたの」
・公爵家への慰謝料を払うこと
・オリバー・ランバートの王太子教育を再教育すること
・リーナ・エルウァーは王族をたぶらかした罪で終身刑にすること。
・エルウァー男爵家は取り潰すこと。
・オリバー・ランバートはズボンのチャックを一時間に一回確認すること。
・オリバー・ランバートは側妃及び愛妾を囲うことを禁ずること。
以上の条件でエリアーヌ・スペンサーはオリバー・ランバートとの再婚約を認める
「……これは流石に無理があるのではないか?エリアーヌよ」
父、母はあまりに強気な条件に絶句し、兄は五項目を見て笑っている。
「いいえ、無理ではありませんわ。こういうのはタイミングが大事ですの。今は少し焦らして王太子殿下に自分のしでかしたことを後悔していただきましょう」
エリアーヌはニヤリと笑った。
◇◆◇
「くそっ、こんなはずじゃなかったのに……」
王太子、オリバー・ランバートは自身の執務室の机で悪態をついていた。机に積み上がるのは大量の書類。今まではせいぜい三分の一しかやっていなかった。
「この書類の山の大半をエリアーヌが肩代わりしていたなんて聞いていない!!」
さらに、方々の文官から書類を催促されている。
「殿下ぁ〜、先生が怖いですぅ〜」
ノックもせずに扉を開けて入ってきたのは瞳に涙を溜めたリーナだった。
「うるさい!!今仕事をしているんだ!」
「で、殿下?」
「エリアーヌは王妃教育など完璧だった!お前ができないのは努力をしていないからだろう!!」
「そ、そんなぁひどいです殿下ぁ」
「出て行け!」
「な、なによ!こんなに怒鳴るなんてこんなの殿下じゃないわ!」
「化けの皮が剥がれたか!!」
喚くリーナを騎士が連れていく。
スペンサー公爵家に毎日文を送っているが、エリアーヌは部屋にこもっていると、門前払いされている。
故に、オリバーが婚約すると宣言したリーナが王妃教育を受けているところだ。
「エリアーヌと再婚約さえできれば……」
この王子は今になって、どれだけ婚約者に恵まれていたかを知ったのであった。
◇◆◇
「そろそろ頃合いかしら?」
報告によると、エリアーヌがオリバーの書類を肩代わりしなくなったことで王城全体の文官の動きが滞り、オリバー自身はあまりの仕事の多さにリーナにも暴言を吐くようになったという。
このタイミングで二人の再婚約と引き換えにエリアーヌが書いた無理がありすぎる条件を示しても、呑んでもらえる可能性が上がってきた。
◇◆◇
1週間後、エリアーヌは王城へ出かけるため、兄と共に馬車に乗っていた。
表向きの理由は、今までショックで寝込んでいたが回復したので王家との話し合いに参加する、というものだ。
「王太子殿下の無能っぷりが認知され、彼自身も精神的に追い詰められて真実の愛とやらで結ばれていたリーナさえも侮辱し始めた」
「そうですわね」
「しかし、あんなに都合よく全ての条件を呑んでもらえるとは思えん。何か作戦があるのか?」
「後はわたくし自身で殿下の精神を完膚なきまでに叩きのめすだけですわ。だって相手はズボンのチャックを締め忘れるようなポンコツ王子ですわよ?」
「なんとも脳筋というかなんというか……雑というか…………」
「失礼ですわね、お兄様。まあ、見ていただければ分かりますわ」
「いや、見ている時にハラハラするのが嫌なんだが」
ぐだぐだ言っている兄は無視しよう。
今のところ作戦は全て上手くいっている。
(あとは、わたくしが頑張るかどうかにかかってますわね)
◇◆◇
近衛兵が扉を開ける。エリアーヌは兄と共に部屋に入る。中にいたのはオリバー、国王だった。
兄が国王、王太子に挨拶をする。
「国王陛下、王太子殿下、お久しぶりでございます」
「うむ、よく来た」
しかし、気になることが一つ。
「ときに国王陛下、父の姿が見当たらないのですが」
「スペンサー公爵は急用ができたとのことだ」
兄もエリアーヌも表情にこそ出なかったが確信していた。その急用とやらは国王が工作したのだろうと。
(まあ、いいですわ)
「わたくし今回の事、とても悲しく思っておりますの」
「今回の事はこちらの責任だ。しかし、この婚約は家同士の縁を結ぶものだ。どうか、今一度考え直してくれないだろうか」
陛下にしては珍しく腰が低かった。しかしーー
(謝罪の言葉がありませんわ)
これで手加減をする理由が減った。
「わたくし、疲れてしまいましたの。ですから、わたくしが安心して王家に嫁げるように条件を書いてきましたの」
「ほう?」
しかし、エリアーヌが書いてきた条件を見た陛下の表情は一変。怒気を露わにする。
「なんだ、これは!」
臣下としてはあまりにもスペンサー家に都合が良く、傲慢な要求だろう。
エリアーヌはほろり、と一粒の涙を流す。
「この条件を呑んでいただけなかったら、わたくしはこの命を捧げることとなっても王家には嫁ぎませんわ」
「なっ!!」
王太子が婚約破棄をした罪のない令嬢が自死したとなれば、王家の権威は地に落ちる。
その時、これまで死んだように口を閉ざしていたオリバーが口を開けた。
「エリアーヌ!すまなかった、見捨てないでくれ!!」
このポンコツ王子も流石に懲りたのだろう。
「くッ、仕方ないか……」
仕方ないも何も、エリアーヌは一つしか選択肢を提示していない。
「なっ、待ってください父上!側妃、愛人を娶ってはいけない!?リーナが終身刑!!??王太子教育!!!???」
前言撤回。オリバーは単に反射的に否定しただけだったらしい。そして条件も禄に読んでいなかったらしい。
「なっ、ズボンのチャック……エリアーヌ貴様ッ私を侮辱しているな!?」
大正解である。
「黙れオリバー!わかった条件を呑も……」
「お待ち下さい父上!エリアーヌ、条件を変えろ!!」
「オリバー!!!!!」
似たもの親子だ。血筋とは恐ろしい。
「意見がわかれてしまったようですわね。条件を変えるつもりはございません。わたくし病み上がりで体調が優れませんの。一度屋敷に帰らせていただきますわ。色よい返事を期待しております。ではごきげんよう」
早口でまくしたてるとエリアーヌと兄はさっさと部屋を出た。
◇◆◇
部屋を出て、帰りの馬車の中で兄が口を開く。
「しかし、エリアーヌ涙を流すほど悩んでいたのか」
「あら、嘘ですわお兄様」
「は!?」
「涙なんて出そうと思えばいくらでも出せますのよ?」
「おまえ…………女とは恐ろしいな……」
「それにしても、ここまで順調に事が運ぶとは思っていませんでしたわ」
「そうだな」
どうやらこのちょっとボンクラな兄は気づいていないようだ。
全てがエリアーヌの作戦で、全員が彼女の手のひらで踊らされていた事を。オリバーがリーナを見初めたところからエリアーヌの作戦が始まっていた事を。
◇◆◇
「な、なによ!?離しなさい!わたしは未来の王妃なのよ!?」
リーナは近衛騎士に牢へとひきずられていた。
「リーナ・エルウァー、お前を王太子、オリバー・ランバートをたぶらかした罪で終身刑に処す」
「嘘よ!こんなの殿下が許すわけないわ!」
「殿下は既にこのことはご存知だ」
「なっ」
(うそでしょう……)
学園で王太子に見初められ、婚約者は婚約破棄された。これでリーナは未来の王妃だ。この世の春が来たのかと思った。それからは王太子の気が離れないようにひたすら純情な少女を演じた。これで、これだけで王妃になれると思っていたのだ。
(くそっ!)
オリバーの婚約者、エリアーヌの顔が脳裏をよぎる。吊り上がった鋭い目。温度を感じない冷たい瞳。
(あの女だ……あの女さえいなければ!)
後悔してももう遅い。リーナはこれから、一生を牢の中で過ごすのだから。
◇◆◇
あの後、陛下とオリバーで随分と揉めたらしいが最終的に条件は全て受理され、エリアーヌはオリバーと再婚約。
後に王妃となった。オリバー国王は王妃の尻に一生敷かれたという。
こうして、ズボンのチャックを閉め忘れた間抜けな国王の話は脈々と王家に語り継がれるのであった
読んでいただきありがとうございました!
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