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夢の中では眠れない

作者: 衛炉 寧亜
掲載日:2026/03/06

 短編一本。

 ちょっとした野暮用で書いたものなので、他ほどそんなに凝ってはいないです。なのでキャラの性別はありませし、ご自由な想像を。

 一応、「枕中記」を受けての作品です。



 我ら思う故に、我ら在り。


 しかし。


 貴方が思うといえども、どうして在ると言えるのか。





 おやすみ。

 おやすみ。



■a-log20380226



「気を付けー、れーい。…おはようございまーす」

「おはようございます」


 教室に間延びした朝の声、そしていつもの短い合声。


「はい、今日もおはようございます」


 その声に、今日も今日とて『私』は返事をした。


「センセー、寝癖ついてる。めっずらしぃ」

「あれれ。直してきたつもりだったのに」


 あはは、と笑い声。

 まあいいや、という声は『私』の口癖だった。


「今日は生憎の雨だけど、短縮日課だからプラマイゼロで。小雨の風情ふぜいを感じながら乗り切ってください」


 しとしと降る雨。

 生徒らの視線はジトーとした、またいつもみたいに変なことを言っている、という目をしていた。


「朝礼おわり。じゃあ3限目の古典でまた会いましょう」

「気を付けー、れーい」


 再び、短い合声は教室に響いた。


 こういう、誰の手にも壊されるべきでない日々が好きだった。





◼️b-log20260226



 あくびが出る。どうにも昨夜、いや日付的には"今日"は張り切りすぎたらしい。


「はいじゃあ、前回までの振り返りはできただろうから、新しいところ読んでもらいます」


 なぬ、と思う間もなく、我ながら間抜けにも口を開けた状況で指名を受ける。


「お、目が合ったね。じゃあ4段落丸ごとよろしく」

「あ、はい」


 纏まらぬ思考のまま、該当ページを探る。

 隣席の愛すべき友人は、教科書を開いたままで夢の中。授業始めのついさっきまで起きてだろうに。

 だが、それよりも目当ての情報はあるのでよし。


「えー、時ニ主人ノ方ニきびヲ蒸ス。おきなすなわち嚢中(のうちゅう)ノ枕ヲ」

「はいストップ」




 朗々と読み上げる声が妨げられる。寸前まで非集中状態だったのも悟る余地もなき正確な音読だったが。




「そこ3段落、今は4段落だから。はい小雨にも眠気にも負けずもう一回」


 どうにも慣れない特異な言い回しの担任教師に、いつもの視線を送りかける。仕方なく古典の教科書を1ページめくれば、4段落は次のページからだった。

 こなくそと思いつつ、憎むべき隣人は行儀よろしくシャーペンを握っていた。


「………」


 その顔面の8割は真面目さの具現化だったが、口元と二つの目は例外だ。ちなみに日本人は口と目との大半で表情を判断しているらしい。


 今日は濡れたカバンと靴の一件も含めて運が悪い。それでも、まあ雨は嫌いではない。


同列どうれつこれヲ害シ、辺将へんしょう交結こうけつシテ…」


 この盧生ろせいみたく、天も同僚も味方をしてくれない。まったくついてない。















 数刻の時を経て。


 移動教室だった4限目ではバラけていた面々が戻ってくる。昼休みの合図はクラスのアホな男子どもの購買競走。スタート代わりのはた迷惑な騒音を耳で見送りつつ、隣席の友人を迎え入れる。


「3限の後、ニマニマしながら脱兎の如くしやがった言い分はなにかあるかね」

「ありません裁判長! そして私は潔白無実です。というかウトウトしている方が悪い」


 それはそう。


「この不肖シロ、けーしてオワビではないけどこんなものがあってなハル殿」


 そう言いつつ、後ろ手に隠していた袋、そして中から取り出したブツを見せびらかしてくる。

 それは購買屈指の大を通り越して超人気商品の。


「それは購買屈指の大通り越して超人気商品カラアゲ焼きそばたまごハム&ローストビーフDXさんどぱんっ!」

「そうカラ……略して、さんどぱん。いやぁたまたま購買通りかかったら2つあって」


 差し出された手の中、ブツを受け取ろうとしてひょいと避けられる。すわ何事かと、目を見開けばドキリと心が、「記憶」が高鳴る微笑みがあった。


「こーんな天気のいい日はお天道様の下でお昼、食べない?」

「……いいけどさぁシロさぁ、そういうところだよ。このサンウチ王子様め」


 それに、と窓へと目を向ける。戻ってきた購買競走出場選手らで騒がしくなりつつある廊下と打って変って、外は静かな騒音に満ちている。

 そのはずだった。


「な、」

「んー? 今日は快晴も快晴、"朝から"晴れだけど?」


 春麗らかな日の光の射す教室。空間に籠るような響きの廊下の騒がしさ。雲の陰りもない空模様。そっと風に揺れる木々。

 そこには雨の欠片も残っていない。

 思わず立ち上がる、こともできずに窓の方から視線を動かせない。


「さっきまで雨、小雨降ってたような…、いや。でも、」

 近寄るまでもなく、窓に雨粒なんてない。跳ねる雫のために閉め切られる窓は開放的になっているばかり。ただ、カーテンを揺らすだけだ。


「そーれーで、行くの行かないの?」

「え、ああ行くよ」


 先行ってるよぉ、と弁当箱と袋片手にシロは教室を出ていく。


「いやどこ行くか先教えてもらってない」


 慌ててその背中を見失わないように、追いかけるために立ち上がる。






 人気者はつきまとう人、主に女子を笑顔でバッサリ断り続けて歩いていた。どうして女子はあんなにも無遠慮なのか。流石の笑顔も、こっちからしたら裏では面倒だなと思っているのが分かるぐらいには笑っていない笑顔だった。

 施錠の開く重い音が鳴る。いないと分かってはいるが、思わず首をすくめて後ろの階段を振り返る。


「さあ開いた開いた」


 どうにも慣れた様子でシロは鉄扉を開ける。


「なんで屋上のカギをもってる…」

「まあ自分、ここの管理者だから」

「いや一般生徒が何言ってる」


 やはりというか、校舎の屋上に濡れた様子は皆無。

 うーん、と我が物顔で手を組みながら上げ、深呼吸の要領でリラックスした様子の自称管理者はさておき、初めて訪れる場所を見渡す。

 屋上の構造上、日を遮る場所に当然のように長椅子が置いてある。


「突っ立ってないで食べよう。ほらすわったすわった」

「…ツッコミはしないでおくよ、いろいろとね」


 手渡された例のカラアゲ焼きそばたまごハム&ローストビーフDXさんどぱんを膝に、二人して手を合わせる。そのままかぶりつけば、このカラアゲ焼きそばたまごハム&ローストビーフDXさんどぱんの美味が脳内を満たす。そう、カラアゲ焼きそばたまごハム&ローストビーフDXさんどぱんはビッグサイズ、絶妙にバランスのとれたインフィニティでパーソナルを通り越してアブソリュート、カスタマーの意見をオーソライズしつつ、ハーモニー&クロスオーバーさせた、つまり最高に美味い購買パンなのだ。


「買ってきた側がいうのもなんだけど、弁当も食べるならいらなかったか」

「いいや、カラアゲ焼きそばたまごハム&ローストビーフDXさんどぱんは別腹だからノープロブレム」

「いーや、…太る」

「は?」


 隣に座る方を見やれば、カロリーボムと名高いカラ…(自主規制)を言葉に反して幸せな表情でほおばるシロだった。


「けど美味しい、これが背徳の味…」

「お宝体質の、しかも運動部が何言ってる。今日も練習で走るんだから必要経費」

「それもそうか。…あー、というか今は太れないなぁ」


 改善が必要だとか、思いつきもしなかったとかつぶやく人は放っておき、残りを食べきる。つづいて、弁当を開く。


「そういえばハル、サンウチ王子ってなに?」

「え、まだ知らなかったんだ。自分の胸に手をあてて考えてようか」


 名字もあってか、不意打ち早打ち乱れ打ちの三拍子でサンウチ王子と称される御仁は、のんきにも無自覚であった。

 他愛もない話題と会話ばかり。そのくせ時間は早送りのように過ぎ去り、昼休みの予鈴が鳴る。

 再び、二人して手を合わせる。立ち上がれば、まるで何てことない一幕のように質問される。


「とうに志学を過ぎた身ではあるけど、君は一体何を望み、歩んできたのかな」

「いきなりに哲学的だけど、」


 一呼吸のその隙間に、先んじて声がはさまれる。


「なーんて。遅れないように急ごうか」


 釈然としないも、時間も迫っていて駆け足に屋上を立ち去るほかない。





 5限目。


「はい、また古典でお会いしましょう」


 いや会おうどころか今授業が始まったところです、という自分を含む生徒の総意が照射されている。


「センセー、なんでまた古典なんですかぁ」

「大人の事情さ」


 やはりこの担任教師はおかしい。


「とりあえずそれ言えばいいわけじゃないでしょうが…」


 少なくとも、昼休み後の余韻を関係なしに思ったことこぼれるくらいには。


「妙に適当なのが石林先生」


 シロの合いの手代わりの声が、独り言の連鎖になった。自然と余計な話につながっていく。


「急すぎて予習中途半端」

「真面目だなぁ、シロは」


 小声の密やかな会話とは別に、すでに授業は始まっている。


「大人の事情はさておき、前回までのまとめもかねて『枕中記』登場人物、場面展開を互いにおさらいしてください。あとは、その人物がどのような人物かも今までの文から推測しておいてください」


 一気に増大する音量。まるでボタンをかけ間違えたかのような様相の中、黒板とチョークの接触音が連続していく。


「盧生は三十代農民男性、なんかしがないおじさん。呂翁りょおうは…道士。この神仙っていうのは…」


 すらすらと列挙するシロ。

 相槌を打ちつつ、この盧生の境遇と物語の展開をつなげる。


「教科書の『枕中記』最後まで読んだけど、盧生っていい人じゃない、かも」

「え、どこが? 最期は夢エンドだけど平凡を選んでるし。真っ当な人っぽいし」

「なんとなくだけど、察するに能力だけで田舎のただの人だったみたいな。言語化が上手くできないけど…」






■b-log20380301



 教科書の枕中記。その一節では権力や出世、俗世ぞくせ的な観念よりも今あるものにも価値の重点があるとするような描き方だ。だけど今思うに、盧生という人は立派な人には思えなくなった。


「はい授業はじめまーす、日直号令を」


 掛け声を聞きつつ、『私』はこの漢文を読み解くと毎度毎度同じことを思う。

 教職について十年と少し。志学どころか自立の三十歳も過ぎ、惰性的にだがやるべきこと、やれることのわかってきた近頃。ストレスはある。これでいい人生ですかと言われると自信もある訳じゃない。やってみたい仕事に就いても、満ち足りてるかと言われると、どうだろうか。


「ページ開いて、あとプリント3ね」


 盧生は一見して凡庸な農民で、呂翁の取り出した枕によって見た夢から一般的な出世への志望を失う。だが、これは解脱というよりは、権力の構造をもつ社会文明に恐れをなした個人の弱さにみえてきた。

 だって夢の中の盧生は文武ともに非常に優秀な人物だったのだから。


「そこが置字に思えるけど実際は違くて…」


 非常に優秀で、民や天からの信頼も厚かった。しかし彼は簡単に言ってしまえば、逃げたともいえる。激動の人生から逃れるために、避けるために、彼が治世に関われば救えたであろう民への責任を放棄したとも。

 大人の悪癖の一つ、他人の責任を探してしまうせいでそう思い込みたいのかもしれない。いや、『私』個人の悪癖か。


 それは自覚してはいるだけで、大して役には立っていないけれど。


「それじゃあこの点を踏まえて、この一文はどんなことを表してる? 何となくの感触だけでもいいよ」


 結局は夢に過ぎないともいえる。三十路を過ぎた今だからこそだが、自立は難しいことではあるが、大それたことじゃあない。独立して自信をもって社会に貢献できる状態になるのが三十というのは分かりやすい。


 盧生が呂翁に吐露した、幼い頃より思い描いていた立身出世物語、つまるところ盧生の夢の話は別に誰だって抱えるもののはず。『私』だって一昔か、それより前にならスゴい何かになれる、私は素晴らしい素質があるのだと無条件に信じていた。いわばヒーローとかお姫様に憧れる類いの、原始的な野望。


「おっと、目があったからお頼みしても?」


 流れるどころか、押し流されるようにこうして生きていれば、十年なんて些細な時間だ。あの時とは違う場所から見れば、違う意見も浮かぶ。

 盧生だって、呂翁の枕によって一時揺らいだだけかもしれない。

 偉くなること、才覚を発揮すること。それは悪いことではない。







◼️



「おー、ハル? やっぱハルだぁ」


 ボーナスの出ない残業を終え、久しぶりに連絡をとった人物の声がした。


「久しぶり、シロ。忙しいところをありがとう」


 再会の挨拶もそこそこに、行こうと思っていた店へ歩き始めた。

 たどり着いた扉をくぐり、店員の案内を受けた。


「いやぁー、連絡受け取った時はちょっとびっくりしたけどね。研究もそこそこ目処ついてきたから、多少の暇は許される身でよかったよ」

「それでその単刀直入で悪いけど、うちの学校での進路講演会の講師の件受けてくれる?」

「無理、って一ヶ月前なら言ってただろーけど、今のところ行ける。むしろ自分なんかでいーのかって話」


 注文した小皿をつまみつつ、再会の喜びもあって話は弾んだ。


「いやいや、時代の最先端を行く脳科学研究チームが何言ってる。同期でもそこまでの奴は滅多にいないから」

「ま、やってることが社会の為だってのは自信あるけどさ。自分で楽しんでる部分の方が強いよ」


 チーム外にはオフコレだけど、と前置きもしてから、シロは自分たちの研究を話してくれた。


「記憶の深層部分?ってのはえっと…?」

「自分でも覚えてない記憶だったり、無意識に身体に染み込んでる動作とかは脳の処理でも見分けにくくて。そういうところを一つ一つ解明して、五感を再現することがここ最近の目標。いつかはその人の深層心理なんかから記憶の世界を創ることもできるかもしれない、て言うのがチーム長の口癖」

「素人見解だけど、仮想世界みたいなもの…」

「そうそう、元は電子的に脳と身体の動きを再現できるようにする研究だから」


 講師探しの役割を請け負った分、相手の話を聞く必要があったが、それ以上に純粋な興味で聞き入っていた。


「本当に望んでいること、なーんてのも分かる気がしてる」

「本当に、望むこと… 」


 ここまで、本当にあっという間の出来事だった。

 偉くなること、才覚を発揮すること。それは悪いことではない。

 そうすることで"誰か"のためになる。そのために働く。社会で生きる上で至極真っ当な論理、あるいは理想論。いわば夢。

 でも、思うにあの盧生は違っていて、そうなることが世の中の常識で正しいことだという主体性に欠けるお子様論理の持ち主じゃないかと思う。だから容易く呂翁の夢で改心するし、呂翁も枕を取り出した。


「夢、」


 きっと作者の沈既済も、盧生も根底は自分のために生きていた。そうであることが正しい側にいるための、自分が満足するための方法だと思ってた。自分の安っぽくて幼い憧れにみせかけた、自分の欲を満たすための方法。

 でも手を伸ばした夢は、初めて火傷をしたみたいな分かりやすい失敗。それも他人に演出された。


「これは夢か、そう…」

「おーい、ハル?」


 呂翁も不老不死を得ようとするぐらいには、本質は俗物的だったのかもしれない。だけど、盧生に差し出した枕は一人の思想を曲げるような悪夢そのもの。

 それでも。


「それでも。平凡すぎるぐらいには悪くない日々だった」

「あれまぁ自発的に…。シミュレートと予想では96%近く達成困難とされてたのに」


 盧生だって、夢の中は悪いことばかりではなかったはずだ。愛しい家族、輝かしい功績、そして悲劇と栄華の数々。何を勝手に、誰かの手の中で輝いてる夢を貶しているのか。

 夢を歪めるのは、輝きを視なかったことにすること。

 夢とは、誰かの手の中で輝くもの。


「あぁ、でも悪くない夢さ」


 もしかしたら、本当は理想に満ちた夢物語のような人生が出力されるのかもしれない。


 

 管理者権限行使を検知。


 システムコマンド:ログアウト。


 実行されました。





□目覚め


 目が開く。

 白い天井。清潔なベッド。晴れた空。窓。慣れ親しんだ三十代の最盛期を過ぎた身体。身に纏う検査服。強化ガラス越しの数々のサーバー群、オフィススペース、電子機器たち。


「"春乃主任"、起きられましたか」


 開発部の、私たちの研究グループの部下の一人が帰還の第一声だった。


「あぁ、随分と長い夢を見た気がしてる」 


 難なく立ち上がり、身体の感覚を確かめる。


「おー、起きたか春乃。しばらくぶり、でもない」

「"山内教授"…」


 自然と出た溜め息。つかつかと歩みより、拳骨を一発かます。


「おは、痛って。痛いって普通に」

「当たり前です。痛くしてます、なんならどこぞのシミュレータ世界でペインアブソーバーをカットレベル低くして殴り飛ばしたいぐらいです」

「いやそれはやめてね」

「主任、さすがに表だってはパワハラ案件です。コンプライアンスものです」


 わりと真剣に部下が提言してくれる。


「こっちが受けた影響に比べたら拳一発なんてかわいいものです」

「ちょーっと長くシミュレータにダイブしてただけだけ。気にしない気にし、痛っ」


 もう一つおまけ。


「山内教授、いくら試算で出た魂の限界寿命が二百年程度だとしても、軽く他人の十余年を実験化しないでください」

「うん、反省はしてるよ。でも面白…大人の事情での配慮のおかげでサンプルデータがとれたのも事実で」

「「はぁ」」


 部下と揃って溜め息。


「とゆーか、いつもそうだけど春乃ちょっとお固いって。同級生のよしみなんだからタメ口でいいよ」

「人の無意識的欲求の抽出実験シミュレータに自分もダイブしてる輩は誰だろう…。仮にもプライベートでパーソナルなデータなのに」


 一体、どこからがシミュレータの記憶か。だから長すぎるシミュレータ観測実験は原則禁止だと設定しているというのに。


「これは記憶凍結ものか」

「私、先戻ってます」

「松尾さん、後で私の正常記憶ファイルを用意してください」


 了解です、と打てば響く声。全く、同級生よりもよほど頼りになる。


「でもあそこまで平凡すぎる日常とは思いもしなかった」

「面白みがないとは、否定できませんけど」

「不定形な筋書きで展開されるシミュレータだから、どこかでまた別の世界観に転換するかと思えばそれもなし。将来の夢も教師。よりにもよって教師。凡庸で変わらない世界を維持してる」


 スーツ姿に戻り更衣室から出ても、山内教授の分析は続いている。

 先ほどまでのオフィス階とは違い、人気のない廊下。


「そういえば春乃、昔は将来の夢が教師だった?」

「さあ。どうでしょう」


 もうしばらくすれば、今回の記憶は現実での悪影響を抑えるために凍結処理する。

 差し出された枕に横になるのは構わない。


「時に。三十にして立つ、というけれど」


 白衣を羽織りながら、問う。




□side-SirouYamauti



 差し出す枕はどんなにも傲慢か。


「時に。三十にして立つ、というけれど。何を以て自立するのだろうか」


 春乃は白衣を羽織りながら問うてくる。

 今回の長時間試行によるハルのサンプルデータは、これまでの短期的なシュミレータでは得られなかった情報量に満ちている。自分も同実験を行っているが、あまりにも意外で、あまりに自分らしい世界が展開されていた。もちろんダイブ実験中は記憶域制限処置をされているから、あくまで結果を後からみた所感にすぎないのに。


「くすっ。いきなりに哲学的だけど、どうして?」

「十五のフリして若作りの気分はどうだった?」

「痛いこというね」


 どうにも春乃は、自分があのシュミレータ内でシロだったことを確信しているらしい。他のNPCは春乃のイメージをAGIで補助していた。世界に主観的なのはただ一人、ではない。


「しばらくしてからはオフィスに戻ってたけど。あまりにも変わらなさ過ぎて」

「一人残して加速時間外に退避しないでもらっても? だから十年越しの再会でも話し方が変わってない。一流の内部オブザーバーになるにはまだまだだね」

「おー、いやそれは普通に気づく人いる…? 人は変わらないって信じたいものでしょうに。あとその感じ、記憶域制限が不完全?」

「いや制限されてるのは17歳前後までの記憶域で、それ以前の知識は正常。あとは本能的な動作や思考方法は記憶の制限だけでは不完全のなのかも。…確かに、長期シュミレータも損ばかりではない。ただ、こうして現実の誰かに会うと懐かしさというか、ブランクがあるように感じて元に戻るには影響が大きいのは欠点だけど」


 こうしてみれば、このときの春乃は少し前までの『私』のような例外を除けば、精神年齢に十年近い差が生まれている。

 呂翁は一体、どんな神仙術を施したのか。盧生の主観では数十年ぶりの呂翁と枕だったのだろうか。であるなら、自分も人のことはいえないが随分とひどい話だ。


「あと、シミュレータ開始直後の環境制御プログラムのミス、あれも改善が必要」

「あれはあの後、もうこっちで直したよ。流石に看過できない規模のエラーだったし。環境構築の担当にバシッと丸投げして。朝から楽しそうな悲鳴あげてたけど」


 こういう、誰にも壊されるべきでない日々が好きだ。

 そして、誰かが土足で踏み入るのが大嫌いだ。その中でも特に、断りもなく踏み込む輩が。


 その点でいうと呂翁はひどい奴だと思ってる。どんな上から目線だっつーうの。

 作者も世の中の主流に一石投じるつもりだったのかは分からないが、まるで私の意見を聞いてください、こういうのも正しいでしょって感じがある。


「それで元の質問、何をもって自立とするか、ね」


 そんなの決まってる。







 差し出した枕に横になるのは構わない。


「それで元の質問、何をもって自立とするか、ね。そんなの決まってる」


 存外に長い付き合いの友人は、どうにも前に考えたことがあるらしい。


「自分のため、誰かのためのどっちもを大切にできてるかどうか。そこに尽きる」

「言い切るね」

「やっぱきっちりさせたくて。春乃は?」

「そうだね…、」


 今なら。あの夢でも過去でも言葉に纏まらなかったものが言える気がしている。若気の至りか、思春期特有の物思いらしいちょっぴり社会ってやつに反抗的な。


「誰にとか関わらず、大事にしたいものを大事にする、かな」

「…ふぅーん」

「元はといえばそっちが始めた話なのに、その薄い反応はなに」

「いーやなんでも。慣れないことは聞くんじゃなかったってだけ」


 そう、それが夢ならば、夢は誰かの手の中で輝いてる。


「枕中記の作者、あー誰だっけ。夢の中ならバリバリの国語教師らしく覚えてたのに。そういう権威ある人とか立派な人の意見は関係ない。世間様の真っ当な感性に服従する義務もない。ただ在りたい自分を見失わないのができる精一杯だと思う」


   仙人の勝手な演出に導かれることも世間の常識に惑わされることもあるのだとしても。勝者の物語である必要はない。諦めた凡庸な人生を送るべきだとも思わない。

 まぁ、つまるところ。


「まぁつまり、今日もお仕事頑張りましょうってこと」



 きっと、それ以上も以下も滅多にないのだから。



「おーし、やるかぁって、言いたいけどもうお昼時だぞい」

「…だぞい?」

「そこツッコむところじゃないでしょ」


 カツカツとよく響く廊下に、新たな人がやってくる。


「春乃主任、もう少しでチーム会議です。山内教授もです」


 頼れる部下も、あの世界では得られなかった繋がりだ。


「今行くよ、松尾さん。呼んでくれてありがとう、いつも助かるよ」

「いえ、主任の実験記憶も抜粋して再生するそうなので少し楽しみ半分です。先に行って待ってます」


 無論、生徒らのことも得難い記憶であるのは変わらない。たとえ幻であっても「今を大切にする」というなら、どんな記憶も蔑ろにしてはいけない。


「…ということで首謀者の山内教授? そのニマニマ顔とこの一件について何か言い訳は?」

「ありません!」


 ふっ、と二人して笑う。

 我ら思う故に、我ら在り。貴方が思うといえども、どうして在ると言えるのか。

 そうじゃないんだ。在りたいように選ぶんだ。僅かでもこの光があればいいなと思って。


「ただ、この山内。お昼時の会議に合わせてチームの皆に差し入れがありまして、春乃主任!」

「へぇ、一体どんな?」

「そ・れ・は…」


 きっと「明」けてからのお楽しみ、というやつだ。




  ー終わりー



 

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