エピローグ
ハードボイルド・セブン
エピローグ
第60話
渋谷のある横断歩道の前で、黒いコートを着た日光は、一瞬立ち止まった。腹の底から何か分からないものが、うずうずと湧き上がってきた。怒りか?殺意?その対象は既に自分の手で殺してしまったのに。日光は人混みの横断歩道に背を向けて、これまで来た方向へ歩き始めた。
無目的に歩いていると、ファミリーマートが目に入った。日光は、いつか赤見明と交わした会話を思い出した。どうすればいいか分からない気分になった時は、マイセンを一箱で全ての思いを燃やした、と言ったか。今になってあの狂った奴の言葉を聞く理由は全然なかったが、日光は突然、そのマイルドセブンというタバコがひどくも切実になった。それを手に入れることで、このうんざりした気持ちが消え去るような気がした。日光はいつもより少し早足でコンビニに入った。
「マイルドセブン……。マイセン一箱。」
「オリジナルですね?」
「あ…… そう。」
日光はぎこちなく注文した。これもまた日光らしくなかったが、日光は今、そんなことをあえて自覚したくなかった。ただ、そのマイルドセブンというタバコを手に入れ、全部吸い尽くしたいという欲望で満たされていた。
明るい空色のユニフォームとは対照的に、暗く疲れた様子の店員が濃い青色の小さな箱を差し出した。青色なんて、心のどこかで、その色は赤見明に似合わないという感想が顔を出すのとは別に、日光はそのタバコの箱を大切に受け取った。しかし、なぜかそのタバコの箱の表面には、マイルドセブンではなく、メビウスと書かれていた。
「これ、メビウスと書いてあるけど。」
店員は目を丸くして、すぐに曖昧な笑みを浮かべた。
「それがマイセンです。」
「これがマイルドセブン? じゃあマイルドセブンは販売終了になったのか?」
「販売終了ではなく変更されて、タバコにマイルドとかそういう言葉を使えなくなったとか。詳細は私も知らないですけど、とにかくあれに切り替えてから随分と経ちました。久しぶりに吸うみたいですね。」
店員の言葉が日光の全身を通り抜けていった。いや、すべてのものがそのように彼を幽霊のように通り抜けていった。ファミリーマートも、マイルドセブンも、赤見明も、結局は渋谷の風景までも。
気がつくと、日光はハンドルを握りしめ、無我夢中でアクセルを踏み込んでいた。それを自覚して、ブレーキを踏んだ場所は見慣れた場所だった。霰が薄く積もった古びた白い車から飛び出し、扉さえきちんと閉めずに、日光は大洗サンビーチの海へと走り出した。オフシーズンの2月であり、夕日が沈みかけるほど時間が遅かったため、この青黒い海岸には遠くを回る人影だけが点々と見え、言葉なしに静かだった。
索漠とした空気と薄暗い夕日が日光を包み込んだ。日光は濡れた砂の上に適当に座り込んだ。スーツのジャケットから濃い青色のタバコを取り出し、不器用に包装を剥がしていった。何度も無駄な手つきを繰り返す理由は何か。なぜこのタバコはもはやマイルズセブンではないのに、まだマイルズセブンの代わりを務めているのか。そんな疑問は些細だ。些細だが、止められない。
日光の周りで全てのことがぐるぐると回っている。肌が凍りつきそうなこの冷たい空気も、いつか温かい気配を取り戻すだろう。季節はまた変わるから。しかし、俺たちの1年は不完全だ。不完全で、最も重要なものが欠けている。俺たちは一緒に春を過ごしたことがない。おそらくこれからもずっと、そうですよね。日光はそう呟きながら、突然驚いた。誰のための敬語だったのか?聴く人がいないことを知っているのに、正体不明の羞恥心が波のように押し寄せ、虚しく消えていった。日光は白く細いタバコを震える指に挟み、唇に当てた。
「ライター。買うのを忘れた。」
馬鹿な。これじゃタバコを吸うこともできない。それでも日光は、その微妙かな香りのする柔らかい棒を、ただ口に咥えていた。これを吸うことができたなら、何かが変わるんですか?この怒り、殺意、どうすればいいのか分からない処理できない感情たち。それらは煙と共に消えてしまうのでしょうか?
そうなら、ライターがなくてよかったですね。俺、何か、ずっと怒り続けたくなったから。
そのまま自分を沼のように沈めてしまうような砂の上で、全く明るくないのに、それでも美しい大洗の波をただ見つめながら、そうして日光正義は火も付けられないタバコをくわえて、どんな考えをとめどなく続けていたのか。
「そんなことは催眠術で命令でもされない限り、言えるわけないだろ。」
先輩。
先輩。
俺はですね……。
《ハードボイルド • セブン》 完結




