これらは最初からブラックホールだったのに。
ハードボイルド・セブン
エピソード5.正保組
第37話
「カフェラテが飲みたい。」
日光は頭を上げた。
「ここ、井上病院だね。1階のロビーの隣にカフェがあるのは知っている。ラテは氷なしで、熱くも冷たくもなく、シロップはヘーゼルナッツとバニラをそれぞれ2ポンプだ。そしてテイクアウトカップは嫌だから、ティーカップを持ってきて。カフェが提供するマグカップはダメ、ちゃんとソーサまで付いた丸いティーカップでなければならない。」
日光は赤見の言葉を聞くと、すぐに体を起こして素早く床に降りた。
「行ってきます。」
日光が帰る前に赤見は考えをまとめた。考えが素早く整理できて幸いだった。長く悩むために意味のない条件を次々と付けたのに、一体どうやったのか、日光は10分以内にすべての条件を満たして赤見が与えたミッションを成功させた。
赤見は手の中でなみなみするカフェラテを見下ろした。ティーカップをくるくる回して小さな渦巻きを作る必要はなかった。 結論はすでに出ているから、同じく没入する必要もない。赤見はティーカップを見ていたが、その小さなカップの中の液体には集中していなかった。彼の意識は、大洗サンビーチの広い海に行っていた。
赤見はカフェラテをイオン飲料のように一気に飲み干した。
いつの間にか日が沈んでいた。窓の近くにある赤見の影が、日光の顔の上に伸びていた。もう9月中旬だなんて、実感がわかない。日光と出会ってから4ヶ月目だ。こんなに短い期間で、こんなに大きな変化を迎えることになるとは。
「じゃあ、日光。一生、私を守ってくれる?」
人差し指に掛かった空のティーカップの中に視線が溜まっている間、赤見は日光の心の中で、まるで夏祭りの花火のような熱く巨大な爆発が起こっていることを気づいた。それはただ感じられた。もう後戻りはできない。二度と。何も。そんな予感は、半分は情けない恐怖で、もう半分はむかつきそうな安心のまみれになって、赤見の舌の上に貼り付いた。わがままにに甘かった。
赤見が顔を上げて日光を真っ直ぐに向かい合うと、日光の黒い二つの瞳が明るく輝いた。これらは最初からブラックホールだったのに。赤見はいつも学びが遅かった。勉強に全く興味がなかったからだ。それでも今さら気づけて幸いだった。ブラックホールの中に永遠に垂簾したいというこの感情は、この世界の物理法則に従う、極めて正常的な現象だった。
たとえ一人だけの幻想であっても。
カフェラテの跡だけが乾いている、空のティーカップがソーサーの上に置かれる嚠喨な衝突音に、先から映像の中のシーンが止まったように呼吸さえ止まったまま、赤見の次の言葉を待っていた日光が、突然息をばっと吸い込み、その間に湿気が飛んだ瞼を瞬かせた。その姿は、まるで古い店の古びた隅に寄りかかっているビスクドールに人間の魂が宿る、まさにその瞬間みたいだった。
「そうします、先輩。」
そうさせてください。 日光が囁いた。非常に固まってかすれてざらざらとした声に赤見は胸が痛んだ。緊張すべきなのは君じゃない。君は私に利用される。だから、君がこれまでどんな罪を犯して生きてきたとしても、何人を残酷に殺したとしても、私をずっと殺したいと願うとしても、今後私に何をしたとしても、少なくとも私たちの関係だけでは純粋な被害者に残る。私たちの人生は、私が悪で、君が善の演劇なの。君はただその中で幸せでいればいい。
「設定は忘れてないだろう、元職場の後輩で現在のガードだ。」
「時々、先輩は自分の方が俺より偉そうに言いますね。」
「中学校も出ていない奴にそんなことを聞きたくない。」
「誰か聞くと、先輩は何か立派な学校でも出たと思いますよ。」
「今、私の母校をバカにしているのか?」
「どこを出たんですか?」
「そうだな、どこだっけ。」
赤見はふふと笑いながら言った。
「忘れちゃった。」
ー
石原拓也は救えなかった。赤見が正保組を訪れた時点にはすでに死亡していたという。赤見は日光が作業室に捕まえていた組織員に催眠術をかけて警察署に送った。正保組の没落は内部の粛清による自滅と結論付けられた。半分は嘘のその結論は、真実であるかのように大々的に報道された。東京内の他の組織に警戒心を抱かせるためだと赤見は推測した。
不動産法に精通した専門家を通じて、赤見は春風と春風が建てられた土地を合法的に購入した。そして店を石原翔太に譲渡しようとしたが、赤見の予想とは違って石原は一度にその提案を断った。当惑する赤見に、石原は笑って言った。
「気持ちはありがたいが、私は母親と共にその店を放してあげようと思います。もうその場所は母親の店ではないから。」
少しすっきりしたように見える石原の前で、赤見は馬鹿のように首を何度か頷いて、家に戻った。過去にとらわれているのは自分だけなのか。自責の念が湧き上がったが、赤見は石原のように春風を手放すことができなかった。もう宇代さんの店ではなくても、何らかの形で自分の聖域が残っていてほしいかった。日光のために死ぬ決心までしたのに、いざっと生き残ってみたら欲と言うものがまたできたようだ。人間の心は本当にずる賢いなものだと改めて感じながら、赤見は不意に春風の主人になってしまった自分の代わりに店を管理してくれる店員を探さなければならなかった。
店の前に貼る求人広告をペンで書いていたら、日光が爆笑しながら赤見の代わりにネットに広告登録してくれた。日光は店を任せるほど信頼できる店員の条件をあれこれ言いながらアドバイスしようとしたが、赤見は無視した。すでに広告の件で自分をあざ笑った日光からさらに小言を聞きたくなかった。
赤見はそのまま応募した順に店員を採用した。全員、赤見が設定した基本的で地味な条件を満たす人々だった。最初に店を任された眼鏡をかけたくせ毛の男は、優しくて大らかな印象が特にこのサービス業に似合っていた。
「初めまして、社長。本田大夢と申します。よろしくお願いします。」
赤見は、この時、催眠術でこの男を見破るべきだった。しかし、彼はもう赤見の聖域の中に入っていた。赤見は、自らかけた足枷の存在に気づかないまま、照れくさそうに微笑んだ。
「私こそ、よろしくお願いします。」




