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ただ失いたくないだけだった。

ハードボイルド・セブン

エピソード5.正保組

第34話




孤独な匂いを含んだ秋の風が、日光と蓮の間に割り込んで来た。蓮の切り落とされたピンクの髪の下で、日光が今朝に無理やりリボン形に結び直した赤いネクタイが揺れていた。それはチームを象徴する結束の印ではなく、実質的に首輪と違いなかった。日光は突然、手にしたその首輪の取っ手部分を実感した。重い。あまりにも重くて、放り投げたい。


「修羅さん!命令を下してください!修羅さんなら何か方法を知っているでしょう!」


蓮がここで死んでしまう。蓮とは何の関係もないことで、名前も知らないヤクザたちに、ただ日光が退屈だったという理由で。


「日光。気を付けろ。お前が崩れればどうするんだ。」


いつの間にか近づいた先輩が片手で日光の顎を掴み、唸り声を上げた。気を付けろと言う先輩こそ、むしろ正気を失っているように見えた。目は焦点が合っておらず、呼吸が荒い。先輩は今、極度のパニック状態の中にある。


日光は先輩が片手で数え切れないほどの種類の精神安定剤に依存していることを知っていた。しょっちゅう悪夢を見ることも、悪夢を見た後は必ず翌朝胃がもたれることも知っていた。先輩の書斎の机の最後の引き出しの中には、先輩が愛用する革カバーのダイアリーがあり、そのダイアリーが遺書と両親への謝罪の手紙で埋め尽くされていることも知っていた。そして最近では、手紙の相手が宇代と石原と日光に変わったことも知っていた。


日光は、その遺書と手紙を当たり前に全部読んだ。先輩に関するものなら、何一つ見逃したくなかったから。日光へ、そう始まる手紙はいつも同じ内容だった。先輩は今の日光と同じだ。日光が蓮の首輪を握る手を苦しそうにしているように、先輩もまた日光の首輪を握りしめた日を後悔していた。


でも、遅れました。俺も先輩も、今さら手にしたものを放すことはできません。そんな選択肢は最初から存在しなかった。間違った音を再び歌うことはできない。俺たちは毎回、失敗をした後で、間違いに気付くだけだ。


先輩は弱い。内側も外側も、甘すぎる。先輩は精一杯握りしめているみたいな握力にも、日光の顎は全く痛くなかった。やがて先輩の手が離れた。震える足でやっとバランスを取って、おびえた顔で自分を見上げる先輩は、あまりにも小さかった。そのままどんどん小さくなって、目の前から消えてしまうようだった。


先輩は自分を守る方法を知らない。このような一対多の乱戦では催眠術も効かない。先輩を守らないといけない。


「修羅さん! すぐ奴らが襲って来ますよ!」

「ガキ。加利部の反対派が俺たちとの面談日を機会にしたようだ。しかし、この連中の主導権争いは俺たちには関係ない。重要なのはこれだ。雑魚がどっさりと押し寄せてくるだろう。だからまずは室内だけで動く。俺が道を開けるから、先輩の隣で俺を護衛しながらついて来い。」

「はい!」


良い頭で既に同じ結論を出したはずなのに、日光の命令を待ってからようやく後を追おうとする態度は、蓮が日光仰ぐ見ているからだ。ここから生きて出られたら、日光は蓮に必ず自立心を教えなければならないと思った。


しかし、生きて出られるだろうか?この廃屋の中には、まだどれだけの敵が隠れているのか。建物も土地も相当広かった。数百人は十分に収容可能だ。


なら数百人を殺そう。


廃屋の構造は、鉄の門を開けて庭の入り口に足を踏み入れた瞬間から頭の中に描いていた。四方を囲まれて背をさらさないように壁の一方に近づいて室内だけで動けばいい。廃屋は横に長く伸びているので、最後まで行って壁を越えればいい。


ちょうど対峙状況が終わり、誰のものか分からない命令の声と共にヤクザたちが奇声を上げて突撃してきた。こちらに銃があることを知っていながら突撃させるのは、おそらく中でも捨て駒として使われる末端の組織員だろう。こんな白兵戦で弾を無駄にすることはできない。日光はグロック18を差し入れた。代わりに、目の前まで近づかせていた一人の組織員の手で、巧みに柳刃を抜き取り、横にできるだけ長い直線を引いた。日光を求心点を中心に半円形に集まっていた組織員たちは、腹と腰から血を噴き出し、咲き誇る花びらのようにそれぞれの方向に倒れていった。


大勢が一撃にやられてきたため、躊躇した組織員たちは、やがて仲間を失った怒りに駆られて再び突撃してきた。日光は朝のルーティンに含まれるジョギングをする時のように、冷静で一定の呼吸で、一人ずつ、時には二、三人ずつ切り裂いていった。敵の刀が上半身の方に入ってくると、体を捻って避け、逆に首を刺し、手のひらの下部分で力強く押し出した。そうすれば、その方向には数秒くらいの時間を稼ぐことができる。曖昧な距離で刀で脅かすだけの奴らは、蹴りで顔面を吹き飛ばした。奴らは、日光ほど長身の男と戦った経験がないのは明らかだった。日光のリーチを計り知れなかった。


しかし、敵を倒せば倒すほど、敵たちは日光について学習していった。柳刃を握る日光の腕の長さと脚の長さ、日光の拳の威力、反射神経の速度、その全てが優れていても、圧倒的な数には勝てないことを奴らも知っていた。奴らは日光が疲れるまで待つだけだった。そして日光は疲れていた。致命傷まではないけど、既にいくつかの攻撃を許していた。日光は蓮を横目で見た。


蓮は立派に自分の役割を果たしていた。震える赤見を背に向けたまま、自分に襲いかかる組織員を短刀で処理し、銃で日光の援護までカバーしていた。蓮は視野が広く、頭の回転が速く、同時に起こる数々の事をどれから、どうして処理するかを一瞬に判断した。迅速で柔軟な動きも非の打ち所がなかった。体格が小さく力が弱いため、日光に比べて攻撃の威力が劣るのは残念だったが、急所を狙うならそれは大きな問題ではなかった。


ただし、日光が疲れてるってことは、蓮の体力が既に限界に迫っていることだった。蓮は間もなく倒れるだろう。踏みつけられて殺され、そして次は先輩だ。


蓮も、先輩も、守れない。最初から先輩を止めるべきだった。ヤクザの信義を信じてヤクザの巣窟に入ったなんて、馬鹿げたことだった。宇代の復讐とか、石原拓也の救出とか、そんなものは先輩の安危と比べる価値のないつまらないものなのに。


蓮の呼吸が不安定だった。不安定な呼吸は隙間につながって、すぐその隙を柳刃が埋めた。蓮の首に掛かったリボンが引き裂かれる瞬間、全身の血が逆流するような感覚。それを何と呼べばいいだろう。怒り?


「ガキから離れろ!」


喉から火花が飛ぶような感覚。敵意?


「虫けらどもめ!」


日光はグロックを取り出し、四方八方に乱射した。殺意?


「全部殺してやる!」


壁に追い詰められて座り込んだ先輩が倒れた蓮を抱きしめて固まっていた。あ、これはわかる。


これは恐怖だ。


「なぜ俺が!」


日光は柳刃で目の前の組織員たちを手当てに切り裂きながら赤見に近づいた。


「なぜ俺が先輩を失わないといけないんだ!」


それは絶叫というより悲鳴だった。柳刃を振り回し、振り回して、畳の上にはいつの間にか日光だけが立っていた。頭からつま先まで血に染まった日光が赤見とようやく向き合った瞬間、赤見が言った。


「日光。逃げろ。」


日光は目を瞬かせた。全身を破裂させるように皮膚の奥まで滅多打ちしていた苦痛の感情が、潮が引くようにすっきりと消えていった。


「あれ?催眠命令じゃないじゃん。」

「逃げ、ろ。日光。」

「今さら解放するなんて。地獄に行く前に善人ぶって点数稼ぎか?」

「逃げろ。すぐ、また、襲ってくる。」


日光は震える声で同じ言葉を繰り返す赤見を無視し、目の中に流れ込む痛い血を手の拭った。


「それにしても、汚く処理したな。こんなのは本当に俺らしくない。赤見明、テメェがいなければ、ずっと綺麗に……。」

「そんなことを言ってる時間ないから、どうかここから出て行け!」


日光は眉をひそめ、赤見に近づき、ボールを蹴るように足で頭を蹴り上げた。赤見は庭まで力なく転がり落ちた。赤見は荒れた雑草が乱雑に敷かれた地面に頬を付けて倒れ込み、咳き込んだ。殴られた耳が鳴り響き、胃の調子が悪かった。


赤見の霞んだ視野の向こうに、日光の赤い足が倒れていた蓮に近づいていくのが見えた。黒い靴がそっと、蓮の肩を触れてから離れていった。


「ちっ。2年が無駄だったな。」


赤見は涙が込み上げてきた。昨夜、蓮の切られた髪を集めて渡せるように新聞紙を借りてもいいかと尋ねた日光が浮かんだ。ぎこちない表情から、赤見は蓮を大事にする日光の心を読んだ。あんなに優しかったのに、お前は相変わらず悪人なのか。


それでも私は迷っている。どちらが本当のお前なのか判断を保留している。実は知りたくないのかもしれない、日光。私はただ、どちらのお前もここで死んでほしくないと思っている。


「逃げてくれ……。」


日光が好きだ。後輩みたいとか、弟みたいとか、関係ない。私を好きだと言ったり、殺そうとしたり、関係ないな。ただ失いたくないだけだった。それが私を失う選択だとしても構わないって。こんなものこそ、おそらく、おそらく母親が私に分け与えてくれた愛に似ているものではないか?愛というものがこんな心なら、母親はすでに、私を許してくれたのかもしれない。


床に付けた頬を伝って、一群の足音が振動として近づいてけて、まだ耳鳴りが消えきっていない耳へ、たった一人の足音が床の畳を踏んで遠ざかっていく音が聞こえてきた。もう終わりだ。全てが終わってしまった。

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