私はただあなたの目を言葉もなく見つめるだけ
ハードボイルド・セブン
エピソード5.正保組
第31話
蓮は乾いた唾を飲み込んだ。心臓があまりにも速く鼓動し、そのまま胸から飛び出してしまうかのように感じた。
「いつから、どれくらいバレたんですか?」
「最初から、全部。7月初めに俺に二人を付けさせた。あの連中を逆追跡したら、お前の作業室が出てきた。俺は今、かなり鋭敏な状態だ。お前も分かるだろうが、いきなり守るべきものができてしまってさ。だから、不手際で余計に刺激しない方が良かったのにな。」
「オレも今、同じことを考えていました。」
修羅は手を伸ばして蓮が被っていたビニーの犬の耳をいじりまわして離した。
「修羅さん……?」
「まあ、俺を傷つけようとしたわけじゃないだろう。お前を信じるよりも、俺がどれだけ考えても、お前にはそんな動機も、俺を傷つける能力もないからさ。だから、俺を調査した理由と背景については、きちんと聞いておかなければならないけど。お前も理解したよね?」
「は、はい……。」
その間に出てきた数多くの料理に指一本触れない修羅を見て、蓮は額に浮かんだ汗を拭った。
「修羅さんについて調査することになったのは、ムラサキというハッカーのせいなんです。」
「ああ、あいつか。」
「知ってます?」
「まあ、少しは。ひまちゃんから聞いたんから分かっている。俺の熱狂的なファンらしい。」
「熱狂的という言葉では足りないくらいです。まさに修羅さんを宗教的な偶像として崇拝していると言っても過言ではないほどです。」
「時々いるよね、そんな奴ら。ともかく、そんな奴らの中であの奴が最もでしゃばりすぎる奴だということじゃないか?」
ムラサキの宗教的な偶像は、ムラサキの熱烈な関心にさほど感銘を受けていないようだった。蓮はディスコードの向こうから聞こえてくるムラサキの興奮した声と、今目の前に座っている修羅のそっけない姿を比較したら、ムラサキが少し可哀想になってきた。
「修羅さんが6月に突然引退宣言をしたので、そっちは相当衝撃を受けたようでした。そしてその時、修羅さんが取引先の連絡網をオレに渡し、今後修羅さんへの仕事は全部オレに任せると取引先の方々に公言されたので、修羅さんとオレのコネクションもある程度バレてしまったんです。」
「そうだろうな。連絡網なんて引退した俺には必要ないから、どうするかと迷ったけど、特に金が必要なわけでもないし、お前に任せる方が良いと思ったのでそうしたのに、それが問題だったのか?俺とお前がつながりがあることを知った奴が、お前に俺の情報を売ろうと誘ったのか?」
「似たようなものです。そしてそれが裏調査のきっかけにもなりました。でも信じてください!ムラサキ側に付いたわけじゃないですよ!オレも、オレを助けてくれた修羅さんの情報を、そんな危険な奴に渡したくなかったんです。」
日光はしばらく目を細めて、蓮をじっと見つめた。
「俺も催眠術で他の人の本音を突き止めることできたら楽なのに。」
「催眠術ですか?」
「行ってみただけだよ。ともかく、原因はあのムラサキという奴だとしても、その奴に俺の情報を渡すつもりはなかった? それならつじつまが合わないじゃないか。俺の裏調査をした本当の理由は何だ?」
「そ、それは……。」
蓮は顔が熱く燃えるのを感じ、目をぎゅっと閉じた。自分自身が情けなくて耐えられないくらいだった。できればこの部屋からほこりのように消えてしまいたいと思った。
「それは、あの、ただ、……気になったんですよ!」
「何?」
日光は口をポカンと開け、呆然としたまま蓮の返事を振り返した。気になったから?ただ気になったから?先輩と同居している家の近くで自分たちを監視したり、彗星インターナショナルに出勤する道までついてきて面倒くさくした理由が、ただの好奇心だったと?俺はわざわざと引き取った孤児が俺を裏切った理由が何だか、これまで過ごした時間を全部振り返って考えみたのに?
「分かったことで特に何かするつもりはなかったんです!ただ、オレは、修羅さんについて知りたかったんです。でも、修羅さんは、こんなに早く引退する理由や、突然親しくなった知り合いについてとか、オレに話してくれるはずないと思って!実際、話してくれなかったし、オレも、ただ、オレなりに納得したかっただけなんです……。」
そう言って、蓮は口を一文字の形につくんだ。日光は気が抜けてしまい、テーブルに頬を付けて倒れ込んだ。
「オレに失望したでしょう。すみません。修羅さんはオレの恩人と違いないのに、こうやって騙して本当に本当にすみません。」
「失望というより……。俺たちがこう言うふうに交わってはいるけど、友達や仲間のような関係じゃないこと、知ってるだろ?この世界にはそんなものはない。恩人なんて、俺はただお前にお金になる仕事を持ってきてやっただけなんだ。」
「分かってます。それでも、これまでオレを受け入れてくれて、助けてくれて、オレは修羅さんに真心から感謝しています。」
「真心から感謝している相手をストーキングする?お前が今言ったことも、実は本当だと完全に信じられないな。」
「その点も十分に理解しています!それでもこれが事実なんですよ……。」
はは、と日光がつくり笑いをした。残った時間で子供と少し遊んであげたと思ったのに、こうなると逆にあっちの方に面白くなって遊ばれたざまだ。
「……これからどうしますか?」
蓮は、叱った子犬のように落ち込んで、人形がぶら下がったバッグを強く抱きしめて、修羅の罰を待っていた。修羅さん、特にそんな気配はしてないけど、今きっとすっごく怒っているだろう。目の前でさっさと出て行け、もう二度と会わないと言っても、何も言えない。そのくらいならまだましだ。最悪の場合、命で罪を償わなければならないかもしれない。間違ったことだと自覚していたのに、誰よりも仕事に才能のある修羅さんが、こんなに突然引退する理由が何かを知りたい気持ちが強すぎて……。いや、これも言い訳だ。法廷で是非を争うこともできないから、今や修羅さんが言う通りにするしかない。
目をぎゅっと閉じ、硬直した蓮を見つめながら、日光はくすりと笑った。
「なら、許してやる。」
「え?本当に?」
蓮は目を丸くした。日光はすでに普段通りの余裕のある態度で腕を組んで座り、頷いた。
「代わりに、俺の頼み一つだけ聞いてくれ。どうだ?」
「修羅さんの頼みなら、何でも聞きます!」
力強い返事に、日光の口元が緩んだ。日光は軽く声を空中に漂わせた。
「わあ、それは良かった。正保組を襲うんだ。お前が合流して欲しい。」
「正保組?オレが知っているあの正保組?」
「そう。その、何だ、浅草橋の方にあるだろ。あいつらの隠れ家が。」
「そこにいくんですか?オレたち二人で?」
「二人ではなく、俺の先輩まで3人だけど、その人は一般人で護衛対象だ。」
「すみません!裏調査して本当にすみません!助けてくれたら、いつでも恩返しします!」
蓮は何度も頭を下げながら必死に命乞いをした。やはり修羅は修羅だ。自分より何倍も多くの人を殺した残酷な殺し屋だ。最初から許す気などなかったのだ。そんな誤解が深まろうがどうか、日光はようやく食事に手を付け、自分の分のビールをがぶ飲みしながらタッチパネルをぱちぱち押した。先輩が好きな歌を歌いたかった。たそがれ、たそがれ……。
「私はただあなたの目を言葉もなく見つめるだけ、さだめといういたずらにひきさかれそうなこの愛。」
日光はそうして2時間以上も歌い続けた。日光が熱唱する間、蓮は死んだような目で隣の席に座り、タンバリンを叩いていた。そうこうするうちに日光に強要されて、時バンプやラッドの初期の曲を何曲か歌った。お前、一体何歳だ?ガキのくせに選曲が古い。日光の指摘を受けた蓮は気まずく笑って流した。正保組に攻め込むというのは冗談だったのか?蓮はそろそろ修羅が自分と何をしているのか分からなくなっていた。修羅が選曲した最後の曲が終わり、派手なファンファーレの音と共に97点というスコアが色とりどり画面に跳ね上がった。
「惜しい!3点足りない。」
「それでも素晴らしかったです。」
「素晴らしいだけではダメ。完璧でなければ意味がないから。」
「オレたちは歌手でもないし、まあ、隣の部屋の学生たちよりはましですよ。」
確かに隣の部屋に新しく入ったような学生たちの幼い声は、音程もリズムもバラバラで、何の曲かさえ分からないほどひどかった。ヨルシカか……?違うかもしれない。それでも、楽しくなったのは間違いなかった。あんなに楽しそうにできるなんて、羨ましいな。俺もこの前まで先輩と楽しい時間を過ごしていたのに。
日光がジョッキを握って丸く回したら、ジョッキの中の液体は中心に集まり、渦を巻いた。これは赤見先輩の習慣だ。先輩はこれを沒入と呼んだ。渦の中に意識が吸い込まれていく間、何も考えないことができると言った。日光も何も考えたくなかった。血まみれの姿で連行される先輩と、 留置場に連れて行かれて会えなかった先輩、病院の床に倒れていた先輩、ほぼ水のように薄く煮込まれたシチューさえ飲み込めなかった先輩、ぼんやりとした顔で乾き切っていた先輩。そんな先輩がようやく意識を取り戻したみたいだったのに、ようやく俺の先輩に戻ってきたみたいだったのに。
「井內めい。」
蓮の目が大きく開いた。ここからが本当の会話だ。修羅の意図を測ろうとする蓮の顔が無表情になった。こうやって感情を顔の裏に隠す方法さえ、修羅から学んだ技術だった。
「はい、修羅さん。」
安っぽいカラオケの騒がしいレーザー照明の下、蓮の顔は奴の実際の年よりも若く見えた。スーツを着た自分の隣に座っているよりも、隣の部屋の学生たちと一緒に制服を着ている方が似合っていたはずだ。わずか17歳。日光が施設から脱出した年齢よりも若い。日光は突然、部屋中にいっぱいになった食べ物の臭いが吐き気のような感じがした。気持ち悪くなった。
何で?俺が何で?何でいつも迷ってしまうんだ?
日光は歯を食いしばった。
「お前の母親と兄を殺したのは誰だ?」
「井內修平です。」
「そう、お前の父親はただ事業が失敗したという理由で家に火を放ち、お前の家族を皆殺しした。」
「その男は自殺も失敗したくせに、罰が怖くて逃げ出しました。」
「唯一に火災から生き残ったお前が、その男に復讐できるように助けてくれたのは誰だ?」
「修羅さんです。」
「お前が殺し屋として成長できるように、2年間面倒を見てくれたのは?」
「修羅さんです。」
「信じるかどうかは知らないが、俺は今さらお前に恩人として何かを要求するつもりはない。俺はただ、お前を教えながら自分勝手に時間を過ごしただけだから。」
「信じてます、修羅さんの言葉ですから。」
日光はぐるぐると回していたジョッキを口元に当てた。冷たい液体をたっぷりと含み、ゴクッと飲み込んだ。これから言うことは非常に汚らしく、この程度の口直しでは洗い流せないだろう。しかし日光は元々汚れていた。清らかだったことなんかない。そして、日光は赤見先輩のためなら、どれだけでももっと汚れても構わなかった。気持ち悪い?先輩の命がかかっているのに、そんなことを気にする余裕があるのか?
「お前はまぬけに見えるけど、計算は早い。赤見先輩のことを知っても、意図的に言及を避けているのを見ると、確かにそう。無駄に俺を刺激したくなかったんだろう。先輩は俺にとって非常に重要な人であり、お前はそうではないことを知っているから。」
蓮は息を殺して、修羅の次の言葉を待った。
「だから、無駄に遠回しに言わずに本題から話したんだ。これは普段俺たちが受ける依頼とは違う。汚い乱闘になるだろう。数十人、数百人に囲まれたら、その時点で銃とかは意味がない。正保組と對敵する時、お前と俺は死ぬかもしれない。だけど、赤見先輩だけは生き残らなければならない。何の話かわかるか?」
「その、オレは……。」
「恩返しをしろと言ってるんじゃない。俺はお前が死ぬことが確実な戦場に、ただ、自分の足で踏み込めと言ってるんだ。」
「オレは、オレは……。」
蓮は左の肩を握りしめた。無意識にする行動みたいだった。そこには火傷の跡がある部位だった。日光はその苦痛を知っていた。同じ痛みにもがく蝶を一匹知っていた。日光は蓮がそのまま逃げ出すかもしれないと思った。しかし意外にも蓮は頭をまっすぐ上げ、日光から一歩も引かなかった。
「オレは、たとえ恩人である修羅さんのためにも、やっぱり死にたくないです。だから、今この願いを聞き入れないからといって、オレを殺そうとしても、オレは修羅さんがオレに教えてくれた全ての技術と能力を使って、最後まで抵抗します。」
「そんなのは無意味だ。バカな考えで良い頭を無駄にしている。俺はお前より強い。この差は絶対的だ。」
「はい、修羅さんは絶対的に強いから、修羅さんと一緒なら、きっとオレも、あの赤見先輩という方も生き残ると信じています。」
「……それは一緒にいくという意味か?」
「はい。一緒に死ぬという意味ではないです。」
馬鹿だな。馬鹿みたいだけど、なかなか立派な答えだ。日光は本気で少し感動してしまった。日光はマイクを掲げた。
「よし、ガキ!これが最後のカラオケかもしれないから、もう一曲歌おう!」
「お願いだから不吉なことを言わないでください!」




