第9章 埋められた空白と、残された疼き
夕暮れの部屋に、柔らかなオレンジの光が差し込んでいた。楓はデスクの前で、最後のイラストを仕上げていた。
画面には、朱の鳥居の下で寄り添う二人の姿。
銀髪の青年と、赤いドレスを着た自分。
九尾の尾が優しく巻きつき、赤い瞳が穏やかに微笑んでいる。ペンを置いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
涙が、ぽろりと落ちた。
「……できた。全部、描けた」
焔は人間の姿で、楓の背後に立っていた。
赤い瞳が、画面を静かに見つめている。
「美しいな。
お前の心が、完全に色づいた」
楓は振り返り、焔を抱きしめた。
温かい体温。
人間の鼓動さえ感じる。
「焔……ありがとう。
私、もう空っぽじゃない。
悲しいことも、嬉しいことも、全部感じられるようになった」
焔は楓の背中を優しく撫でた。
だが、その手が――わずかに震えている。楓は気づき、顔を上げた。
「焔……?
どうしたの?」
焔は目を伏せた。
声が、低く抑えられている。
「……お前の心が埋まった。
これ以上、俺は……お前の『空白』を喰らえない」楓は息を飲んだ。
「それって……いいことじゃない?
もう、代償なんてないってこと……」
焔は首を振った。
「違う。
俺は、感情を喰らうことで存在していた。
お前の空白がなくなれば、俺は……薄れていく」
赤い瞳に、初めての恐怖が浮かぶ。楓は焔の頰を両手で包んだ。
「そんな……!
嫌だよ。
焔がいなくなったら、私……また空っぽに戻っちゃう」
焔は静かに微笑んだ。
切ない、儚い笑み。
「いや……お前は、もう大丈夫だ。
俺が与えた温もりは、お前のものになった。
お前は、感じ続ける。
笑い、泣き、愛する」
楓の涙が止まらない。
「でも……焔は?
焔の心はどうなるの?」焔は楓の額に、自分の額をそっと合わせた。
「俺の心は……お前で満ちている。
これ以上、埋められることはない。
だから……満足だ」
楓は強く抱きしめた。
「嫌……!
一緒にいたい。
焔がいない世界なんて、考えられない」焔は九尾の尾を広げ、楓を優しく包んだ。
赤い瞳が、静かに輝く。
「なら……最後に、一つだけ頼む」
楓は頷いた。
「何でも……」
焔は楓の耳元で、優しく囁いた。
「俺の名前を、呼んでくれ。
何度でも。
お前の声で、俺を繋ぎ止めて」
楓は涙を拭い、強く頷いた。
「うん……焔。焔……大好きだよ」
焔の体が、淡い光に包まれた。
ゆっくりと、透明になっていく。だが、赤い瞳は最後まで楓を見つめていた。
「楓……ありがとう。
俺の灯火は、お前の中に……」
光が消え、部屋に静けさが戻った。楓は胸を押さえ、息を吐いた。
左手首の紋章が、かすかに温かい。
赤い光が、優しく脈打っている。
「……焔」声に出すと、胸の奥から――焔の声が返ってきた。
「ここにいる」楓は微笑んだ。
涙が、またこぼれる。
「ずっと……そばにいてね」
赤い瞳の温もりが、心の中で灯り続ける。
空白は埋まり、二人の絆は、永遠になった。




