第8章 君の名前を呼ぶ朝
朝の光が、カーテンを優しく透かしていた。楓はベッドの中で目を覚ました。
隣に、焔の人間の姿。
銀髪が枕に広がり、赤い瞳が静かに閉じられている。
九尾の尾が、シーツの下でゆっくり揺れている。楓はそっと手を伸ばし、焔の頰に触れた。
温かい肌。
人間の姿の焔は、こんなに近くで感じると、まるで本物の恋人のようだった。
「……焔」
小さな声で呼ぶと、赤い瞳がゆっくり開いた。
眠たげに、でも優しく楓を見つめる。
「おはよう、楓」
その声に、胸がきゅっと締めつけられた。
事故以来、誰かの「おはよう」を聞くのが怖かったのに……
今は、ただ嬉しい。楓は微笑んで、焔の胸に顔を寄せた。
「今日も……一緒にいよう」
焔は腕を回し、楓を優しく抱きしめた。
「当然だ。
お前の朝は、俺の朝でもある」
二人はそのまま、しばらくベッドにいた。
外の鳥の声が聞こえる。
静かな朝のルーティンが、二人だけのものになっていた。やがて、楓は起き上がり、キッチンへ向かった。
焔も後を追うように立ち上がり、背後からそっと抱きつく。
「今日は、何を作る?」
楓は少し照れながら答えた。
「トーストと……スクランブルエッグ。
焔、卵好き?」焔は首を傾げた。
「人間の食べ物は、味がわからないことが多い。
だが……お前が作るなら、食べる」
楓は笑った。
フライパンを火にかけ、卵を溶く。
焔の腕が腰に回され、背中に温もりが伝わる。
「……くすぐったいよ」
「我慢しろ。
お前の温もりが、俺に染み込む」
楓は頰を赤らめながら、卵を焼き続けた。
トーストにバターを塗り、皿に盛る。
二人で小さなテーブルに向かい合って座った。焔はフォークで卵を一口食べ、目を細めた。
「……美味しい」楓は驚いて顔を上げた。
「本当?
味、わかるの?」焔は静かに頷いた。
「お前の感情が、味に乗っている。
温かさ、優しさ、少しの照れ……
全部、感じる」
楓の目が潤んだ。
「じゃあ……これからも、毎日作るね。
焔が、味を感じられるように」
焔はフォークを置き、楓の手を取った。
「約束だ。
俺も、お前のために……何かしてやりたい」
楓は小さく笑った。
「そばにいてくれるだけで、十分だよ」
朝食を終え、二人は窓辺に立った。
外の街が、穏やかに動き始めている。楓は焔の肩に頭を預けた。
「焔……大好き」焔は赤い瞳を優しく細め、楓の髪にキスを落とした。
「……俺もだ。楓」
空白だった心に、毎朝の温もりが、少しずつ積もっていく。
二人の日常は、まだ続く。




